最近では、「医療はサービスである」という認識のもとに、 患者の呼び方が「さん」から「様」へと変わっている。 「様」という呼び方に異論はないが、 そこに心が伴わなければ意味がない。
---宮脇美保子、「薄らぐ患者-看護師関係 ケアリングを看護に引き戻す」
単に欲求に突き動かされるのは奴隷であり、 自分が作った法に従うことこそが自由である。
---ルソー
早朝に起き、大学へ。お昼前まで必死に今日の発表の準備。
お昼前からお昼すぎまで、某勉強会。自律の概念と自律の正当化、 および自律を制限する理由について。
昼下がりから某ミーティング。医療資源の配分について発表する。 マクロの医療資源配分の議論、正義論について勉強不足なので、 しっかり勉強すべし。
夜、ジムに行こうと思ったが、寝不足なのでやめておく。 某氏と某居酒屋で飲みながら雑談。 疲れていたせいか酒のまわりが速く、 帰りはちょっとふらつく。 気をつけねば。
さて、新聞読んだら寝るか。
昨夜は爆睡。そこそこ早起きして大学へ。 朝の某勉強会に参加。昼食のあと、 教室の粗大ゴミ廃棄の手伝い。 あとは今朝届いた本を読んだり。
夕方、某氏と一緒に某教育棟に行き、 6月からの授業で使用するためのセミナー室の下見をする。
今夜は教室の新歓。オレは昨年の10月から働き始めているので、 歓迎される側ではなく、歓迎する側になるようだ。
昨夜はお茶の水で新入生歓迎会。 一次会がわりと楽しかったので、二次会のカラオケ、 三次会のバー、四次会の居酒屋まで行ってしまった。 さきほど研究室に戻ってきたが、けっこう酔っている。
帰ってちょっと寝よう。明日からまた心機一転して勉強すること。
夜明けごろに寝て、朝起きる。新聞を読んだりゆっくりしてから大学へ。
メモ。基礎と臨床の関係と、倫理学と応用倫理の関係をどこまでアナロジーで 考えることができるか。 臨床における「経験と勘」と倫理的判断における「直観」、 臨床におけるEBMと倫理的判断における合理性を対比的に語ることはできるか。 (そうしたいのは、もちろん、 なぜ倫理学を学ぶ必要があるのかを医療従事者に説明するためだ)。
医療上のミスを病院内で自己検証したり、 患者やその家族に報告するというのは、 同僚の中での評判が落ちる可能性、 訴訟の可能性、 メディアに叩かれる(name and shame)可能性など、 いろいろな意味で自己利益に反するため、 実行するのが難しい。 「だまっていればバレないかもしれないのに、 なぜ正直に言わなければならないのか」 というのは典型的なギュゲスの指輪の状況だ。
それに対して、そうしないと性格が腐ってしまうから、 と答えるのは(その通りだと思うが)説得力があまりなさそうだ。 病院の内側に対してはそのように説得するしかないものと想像するが、 むしろ、 外側から圧力をかけて情報公開制度を徹底させることによって、 透明になることのできる指輪を取り上げてやる必要がある。
夕方から某ミーティング。遺伝学の勉強。 夜、ジムに行って汗をかく。ちょっと貧血気味になる。
そのあと、某氏と蕎麦を食べ、雨の中帰宅。 眠いので新聞を読んだら寝よう。
なぜか早起き。今日の授業の予習をしよう。
「人格を否定」というのはあれだな、 目的自体としてではなく、単なる手段として扱ったということだ。 このフレーズはカント的道徳観をけっこうぴったり言い表している のではないだろうか。
やっぱり「外からの強制によって自律的存在でなくさせる」 というのがポイントだ。ただ、カントは自殺も自分自身の人格(理性)の否定と 捉えるから、「内からの強制によって自律的存在でなくさせる」 のもダメだとも考えている。 この自律についての考え方に多くの人は付いていけないんじゃなかろうか。
なぜか夜明け頃に起きる。老人になったということか。 あるいは、最近は夜中疲れ切っていることが多いので、爆睡しているのか。
昨日は午前中は南大沢に行き、ベンタムの勉強。 スミスとエルヴェシウスとベンタムの関係を勉強し、 ずいぶん見通しがよくなる。
南大沢でお昼を食べてから本郷へ。 研究室でちょっと休んでから神保町のゼミに出る予定だったが、 某氏から羽幌町の病院で起きた安楽死(おそらく正確には治療行為の中止) について一緒に論説を書かないかという誘いがかかったので、 ゼミの出席をあきらめ、夜までかかって論説を仕上げる。
それから、某氏と居酒屋で飲み、帰宅。 日記も更新できないほど疲れており、寝てしまう。
今日は勉強しよう。
洗濯。
自宅でちょっといろいろ勉強。これからジムに行く予定。
「未納」と「未加入」というfine distinctionが出てきた。 これは道徳的に重要な違いと言えるか?
大学生協で買物をして研究室へ。お昼を食べながら『ブラックジャックによろしく』 を読む。パターナリスティックで生命の神聖さを奉じてるよなあ、この研修医は。 しかし、大切な命を守ろうとするそのひたむきさに感動するわけだ。
命といえば、「いのち」と平仮名で書く人をよく見かけるが、 なんでなんだろう。産経はこういうのは非難しないのか。
夕方、研究室の椅子に座って少し寝る。リクライニングの椅子ならもっと快適 に寝られるのだが。
夜、ジムで汗を流す。 腹筋と背筋のマシン、 レッグカールのあたりはなんとなく使い方がわかってきたが、 スクワットとか胸と広背筋のマシン (呼び方を調べるのが面倒なので適当に済ます)は、 どうもうまく使えていないような気がする。 近いうちに某氏にでも教えを請うか。
昨夜は某氏と中華料理を食べてから帰宅。ジムでワークアウトしたせいか、 つかれていたのですぐに寝る。爆睡して起きたのは今日のお昼前。
お昼すぎ、洗濯などをしてから弁当を買って研究室へ。 某氏が先日の論説を書き直さなければならないというので、 夕方までかかって一緒に書き直す。 某氏と協力したおかげで、 ひさしぶりに明快かつ説得力のある議論を展開することができたような気がする。
今夜は明日の勉強会の準備をしないと。
ビーチャムの言う倫理原則のspecificationというのは、 「具体化」や「特定化」でもいいが、 「明細化」というのがしっくりくる気がする。 いや、こんな日本語ないんだけど。
某氏と某先輩にいただいた『誇り高い技術者になろう--工学倫理ノススメ』 (黒田光太郎・戸田山和久・伊勢田哲治編、名古屋大学出版会、2004年)を おもしろく読ませてもらう。プロ(プロフェッショナル)とは何かとか、 組織/社会の中の技術者の責任とか、いろいろおもしろいテーマがあり、 勉強になる。この本を参考にして、チーム医療の話を勉強する必要がある。
ようやくキムリッカの勉強を始める。明日の夕方に発表なんだよなあ。 眠いけどもうひとがんばりするか。
まだぜんぜん終わってないが、つかれたので帰ろう。 そういえば、晩ごはんをまだ食べてないんだよな。
それにしても蒸し暑い。
帰宅。眠い。もう寝て、早く起きて勉強しよう。
なんとか早朝に起き出して勉強中。間に合わん。
帰宅。
今朝は自宅でお昼前まで勉強してから大学へ。 いろいろコピーしたり発表の準備をしたりしていると、 あっという間に某政治哲学勉強会の始まる夕方になる。
今日が最初の会で、キムリッカの『現代政治理論』の 第二章の途中まで読んだ。第二版の序文によると、 キムリッカの問題設定は、
そのあと、ジムに行こうと思ったが、疲れていたので結局行けず。 某氏らと雑談をしたあと、 ピザを注文してビールと一緒に食べ (ピザは冷えていてまずかった)、 それから帰宅。今日はほんとにつかれた。
「勉強会をたくさんして…」とみなに言われるが(鏡台のときと同じだな)、 しかし、今はまだ授業もしてないし、一人では勉強しないし、 他人に付き合ってもらうのが一番ありがたい。 よく調べて発表し、その後なるべくアウトプットを出すようにしなければ。
ほんと、賢くなりたい。神…に頼まず、自分でなんとかしなきゃな。 研究五ヶ年計画でも作って、体系的に勉強しないと。
朝、某氏から電話があり、 自分が司会者の勉強会に寝坊してしまったことに気付く。 不覚も不覚、社会人失格だと思うが、 自分が発表者じゃなかったのが不幸中の幸いだった。 今度から目覚しを二重、三重にかけるように注意しよう。
朝の勉強会を終えたあと、昼食を食べ、昼下がりから某ミーティング。 倫理委員会について。いろいろ勉強になる。
それからしばらく事務室(一部では「サロン☆倫理」と呼ばれている)で雑談。 これから昨日行けなかったジムに行く予定。
忙しいときほど、いろいろ人に気を配れるようになること。というか、 自分の義務をしっかり果たせ。
どうも、某学会のシンポジウムで発表するようだ。 お相手の方々が大先生ばかりなので、 よっぽど準備していかないと、 赤子の手をひねるように死なされてしまうだろう。 今からちゃんと勉強しよう。
夜、ジムに行って汗をかく。やっぱりジムで腹筋とかしているときは、 快のために行為してないよなあ。もちろん、 苦痛を求めて行為しているわけでもない。 将来に得られる快に突き動かされて行為しているんだろうか。 あるいは、将来的な苦痛を避けるためか。
「なぜみな、苦痛なことをするんでしょう? ストレスがたまるだけではないんでしょうか」
「簡単なことで、たとえば仕事を投げ出す方が、 より多くの苦痛を生み出すからだろう。 『会社をやめるぐらいなら、今の小さな苦痛を我慢した方がましだ』 と考えるから、小さな苦痛がどんどん積み重なっていき、 最後には胃潰瘍で穴が開くわけだ」
「う〜ん、賢明に生きないといけませんね」
「君もD論を毎日書けばいいんだけどな。 そうせんとあとで大きな苦痛を蒙ることになるぞ」
「精進します」
そのあと、某氏らと某居酒屋に飲みに行き、ガス抜きをする。 酒の上でのバカ話も重要だなあ。 30才にしてようやく気付いた。
台風が接近中とかなんとか。不穏な雲行きだ。 一日中眠くて仕方がない。
朝、無事に起き、朝の某勉強会に遅刻せずに出席。
明日、某新聞に記事が載るとか載らないとかで、 掲載用の写真が必要となったので、お昼に某氏と撮影大会。 あほだ。全国版には載らないかもしれないので、 何新聞に載るのかはまだ秘密にしておく。
昼下がり、PDFファイルに直接書きこみを行なう方法を調べていろいろ苦労する。 調べたかぎりだと、アクロバットプロとか、 やさしくPDFへ文字入力 というソフトなんかを使えばいいようだ。 しかし、それを調べはじめた当初の目的が潰えてしまったので、 けっきょく調べただけになる。まあまたこの知識が必要になるときもあるだろう。
とにかく眠い。寝るか。
ゲワースが死んだそうだ(1912-2004)。合掌。
ちょっと研究室でうたたね。ソファが欲しい。
リファレンスセンター のコンピュータが使えるように登録したので、 ちょっとこっちで試してみる。 この図書室は今いち使いにくいのだが、ときどき隠れ家として使用することにしよう。
差し迫った〆切がないと動かない人間。 なんというか、殺那的なんだよな。
自分のlocality, historicityに敏感になること。 よかれあしかれ、オレは21世紀に生きる日本人であり(さらに独身男性、 大学教員、無宗教、etc)、 その特徴が自分の考え方に制約というかバイアスを生み出しているはず。 哲学をやっているとついついお釈迦さまにでもなったつもりで、 普遍的な立場からモノを言っている気になりやすいので、 よくよく気をつけること。
「おい、そこの医者っ」
「は、はい、患者さまっ」
「さっさと手術しろってんだ、このヤブ医者が」
「はいはい、ただいまただいま」
「ほんっとに、サービス精神が足りないんだから。 もう『お医者さま』なんて敬称で呼ばれる時代は終わったんだからな」
「はいはい。わかっています。それはもう。誠心誠意努力いたしております。 患者さまは神さまですから」
昨晩は、夜中にすこしシュニーウィンドのグロティウスとプーフェンドルフの ところを読んでから帰宅。カレー屋が閉まっていたので、 某自然法の息子屋(Natural Lawsonともいう)で適当に晩ごはんを買ってから帰宅。 大雨。
昨日もつかれていたのでさっさと寝る。なんか疲れがたまっているな。
朝なかなか起きられなかったが、なんとか起きて大学へ。途中、 自然法の息子屋で読売新聞を買ってみるが、記事は載っておらず、 がっかり。どうも北海道版にしか載っていないそうだ。 記事の内容はもうすぐこっちに転載される模様。
上の件、すでに転載された模様。すばやい仕事に感謝。
台風が近付いているそうだが、今日は涼しくてよい。 「サロン☆倫理・法」で、みなと一緒に弁当を食べる。
昼下がり、卒論指導の手伝い。 夕方から某ミーティング。 倫理委員会、医療倫理の四原則について勉強。
夜、ジムに行って汗をかく。トレッドミルは時速13キロぐらいがいいようだ (ウォームアップなので10分ぐらいしか走らないが)。 そのあと、某氏らと居酒屋で楽しく飲む。
現在は研究室。台風のせいで雨がひどい。どうするか。