「まったく患者というのは気まぐれなものですな。 たとえば同じ処置を施したのになおるやつもいれば死ぬやつもいる。 なおれば医者を神様扱いするし死ぬと家族が告訴する」
---筒井康隆、「問題外科」
われわれの生まれたのは、ただ一度きりで、 二度と生まれることはできない、 これきりで、もはや永遠に存しないものと定められている。 ところが、君は、明日の〈主人〉でさえないのに、 喜ばしいことをあとまわしにしている。 人生は延引によって空費され、われわれはみな、ひとりひとり、 忙殺のうちに死んでゆくのに。
---エピクロス
昨夜は勉強が一段落してから某氏らと某居酒屋へ。 食事をしながらいろいろ相談。そのあと、 居酒屋のマスターが近くのバーで一杯おごってくれるというので、 付いていってさらに歓談。飲みすぎだ。
新聞を読んだら寝よう。
なぜか朝早くに目が覚める。 まあよく寝たということにしておこう。
`Ethics, actually, is all around'というフレーズを昨日思いつく(パロディだけど)。 論文のタイトルにでもするか。
朝、勉強会に出席。そのあと、不動産屋に家賃を振り込みにいったり、 いろいろ散財する。
昼下がり、別の某勉強会。みっちりやる。 夜、ジムへ。腹筋が筋肉痛で動かないので、腕を鍛えると、 腕が上がらなくなる。残るは足と背中か。
そのあと、宅配ピザを頼んで、 某氏らと歓談しながら飲み食いする。 そのあと帰宅。
お昼まで起きられず。さっさと学校に行かねば。
お昼、弁当を買って大学へ。 昼下がり、某氏の卒論指導に少し顔を出す。 夕方から3時間半ほどミーティング。みんなタフだ。
夜、某氏らと居酒屋へ。 つかれてるのかビール一杯で酔っ払う。 閉店したので帰宅。
朝、なんとか起きて南大沢へ。M1の学生の発表を聞き、 思想史を研究する意義とかそういうことを考えさせられる。 「おもしろいから」というのも重要な理由だと思うが、 それだけじゃだめな気がする。 しかし、安易な「現代的意義」を主張するのも近視眼的に思える。 いずれにせよ、演習発表はライブと同じで、 「自分が楽しいからやってる」だけじゃだめなんだろう。
新宿でタイ料理。ついでに少し夏服を買う。 それからいったん帰宅し、大学に立寄ってから、 自転車で神保町へ。近道をしようとして道に迷ってしまう。
ゼミは今日からスキャンロン。ちゃんと予習していかないと付いていけない。 ゼミのあとの飲み会にも参加。そのあと大学に戻ってくる。
某筋から、筋肉を付けるにはアミノ酸の錠剤を摂取するのがよいと教わる。
眠い。
ちょっと真面目に勉強。しかし、分析的な哲学って、 読むのに時間がかかるし、せっかくいろいろ覚えても、 読んでしばらくすると忘れちゃうんだよなあ。 身に付かないってことはよくわかってないということなのだろうか。 たぶんそうだろう。
帰宅。
Eva CassidyのSongbirdというアルバムをアマゾンで購入。 ちょっと気になったので買ってみたが、たしかによい。 ライブ録音などもあるので粗いところも少し目立つが、 ソウルフルかつデリケートな歌いっぷりがすごい。
野田又夫が死んだそうだ。会ったことないけど、 ついこないだ「まだ生きてるのかな」とうわさしていたところだったこともあり、 少なからずショックを受ける。 享年93才。合掌。
昨日はお昼前に起きてから大学に行き、 購買部で買った弁当を研究室で食べたあと、 ジムへ。お腹の調子が悪かったせいもあり、 1時間ほどいろいろやっているとかなり疲れる。
それから某氏らと4人で集まり、つつじ祭りをやっている根津神社に行く。 屋台も人出も多く、にぎやかな祭りだった。 たしかに子どもと行くとおもしろいだろう。
そのあと、買物をして某氏のしゃれたマンションで鍋をやり、 先日のNHKの「医師の質を問う」のビデオを一緒に観賞する。 医師患者関係ひとつ取っても問題は簡単でないことを再認識する。
11時ごろまで腹一杯飲み喰いし、いったん研究室に戻ってから帰宅。 今週はほぼ毎日飲んでしまった(調べてみると、月曜の夜以外はずっと飲んでいる)。 いかん。来週はちょっと気をつけよう。
メールでの質問への答え。 マルクス・アウレリウスの『自省録』に出てくる「指導理性」というのは、 「理性」と同じ意味でいいんじゃないでしょうか。「指導」とあるのは、 しばしば性欲や食欲などの欲望や、怒りや怯えなどの情念に動かされて しまいかねない精神を理性が指導する、というようなことでしょう。 詳しくは『マルクス・アウレリウス 自省録』(西洋古典叢書) の解説303頁以降を読むとよいでしょう。 理性と欲望および情念との関係は、『パイドロス』に有名な御者の比喩があります。 今、手元に『パイドロス』がないので、ブラックの『プラトン入門』から 引用しておきます。
このミュートス(神話・物語)の中で、魂は二頭の馬を操る御者になぞらえられている。 御者は理性を表わし、二頭の馬は欲望と感情(気概)を表わしている。 かの世において神々の馬車はやすやすと進んでいくが、 われわれの魂の馬車は、いまだこの世の汚れをまとっているために、 あちらこちらへと道をそれ、馬たちはちぐはぐな方向に引っぱろうとする。
『プラトン入門』(岩波文庫、183頁)
新聞。
`At the end of the day'(つまるところ)、 `With all due respect'(たいへん失礼ですが)などのフレーズは、 かなり嫌われているようだ(Plain English Campaign, 23 March, 2004)。 気の利いたセリフのつもりで使わないように気をつけよう。
情報が遅いが、Googleがエンコーディングを変えたとかなんとかで、 今までの検索ボックスがうまく行かないとかなんとかいう問題については、 以下を参照。
Sleipnirの場合は、Sleipnirオプション→検索バー→検索エンジンで、
Google(日本語)のエンコードをUTF-8にしたら直った。
このサイトのindex.htmlに作っている検索ボックスについては、
<input type="hidden" name="ie" value="ISO-2022-JP">
を入れてやるとうまく行った。SJISでファイルを作っている人は
value="Shift_JIS"とすればいいそうだ。
今日はお昼すぎに起き、部屋の掃除と洗濯。勉強しなければ。
昨日は夜、兄夫婦が泊まりに来る。 朝、根津神社に散歩に行く。
朝から大学へ。しかし、雑談をしたり居眠りをしたり しているとほとんど進まない。 が、昼下がりになってなんとか勉強する気が出てきた。
夕方、ジムへ。腕を中心に筋肉痛になる。
夜、某氏と某居酒屋へ。店主にいろいろ昔話を伺う。夜遅くに帰宅。
そういえば、昨日某ラクーアの店でお香を買ってみた。なかなかよい。
哲学の一つのモットーは、「結論じゃなくって、推論」。 「なぜ?」という問いを大事にすること。
お昼に話していたが、公平の観念を身につけるには、 やはり兄弟姉妹と物を分ける練習をするのが良いだろう。 兄弟姉妹なら、たいていは遠慮がないから、みな「合理的な利己主義者」 として行為するだろうからだ。
朝起きて洗濯、シャワー。シャツにアイロンをかけていると遅刻しそうになる。
お昼前からお昼すぎまで倫理理論の勉強会。徳倫理、ケアとフェミ、決疑論、 反照的均衡など。
昼は某海鮮丼屋に行って買ってくる。これからまたミーティング。 がんばれ。
夕方、3時間強の某ミーティング。守秘義務とか。
つかれた。が、明日の準備をせねば。
早朝起きてベンタム友の会の準備。 朝は某勉強会。昼から夕方までベンタム友の会。 ジムに行き損ねる。夜、某氏と晩ごはん。
昨晩は某マンガ喫茶で。『ARMS』を最初から読み出す(14巻まで)。 エンハンスメント。生きる意味について考えさせられる。
ついでに書いておくが、 ご多分にもれず、 「何のために生きているのか? (What's the meaning of life?)」 という問いは繰り返し心の中に立ち現れる。 とくに宗教的でもないし、 自然や進化の一部分としての役割を担っているとも思っていないので、 自由に見つけるあるいは創るものだと信じているが、 まだそんなことを考えているということは、 自分の現状や目標に満足していないという証拠だろう。 では、何を得れば、あるいは何を達成すれば、 「これでよし」と言うことができるだろうか。
もう一つついでに書いておくが、 「自分は何も知らない」 という自覚は恐しいものだ。
「まあ、泣きごと言っても仕方がないし、 いいかげん一眠りして、起きてからまた勉強すれば?」
「そうですね。ただ、 たまには立ちどまってデカルトのように反省する必要があるとも思うんですけどね」
昼下がりに起きて大学へ。 天気が良いので、某氏らと上野恩賜公園あたりまで散歩。
夜、ベンタムの勉強。ちょっと椅子で寝て、 それからヒト胚の中間報告書についてちょっと勉強。
お昼まで寝てしまう。 いいかげん勉強しないとまずい。