6月中旬号 / 7月上旬号 / 最新号

こだまの世界

2001年6月下旬号


主な話題


21/Jun/2001 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

[インターネット: 2時間 新聞: 1時間 専門の勉強: 5時間]

真夜中 (午前)

昨夜はだらだらと過ごしてしまい、ほとんど勉強できなかった。

さきほど、寮の地下にある洗濯機を回しているあいだにすこし勉強した。 洗濯室のように、ほかに何もすることがない場所だったら本をどんどん読めるのに。 ホテルを借りて缶詰状態で仕事をする人の気持がよくわかる。 犯罪をして刑務所に3年ぐらい入れられたら、博士論文が書けるかもしれない。

「あ、冗談ですのでくれぐれも本気にしないように」

昼下がり

お昼まで寝てしまう。

朝日の社説 (「ホームレス――やり直せる社会に」)。 なんだなんだ、「だれもがやり直せる社会にするために、 安全ネットを張り直したいものだ」という結論は。 書いていることはもっともだが、文章全体に、 バスで老人に席を譲るのを勧めるのと同じ程度の熱意しかこもっていない。 ホームレス救済法の成立は、 「今年の冬に間に合うよう、党派を超えて、 できるだけ早い成立をめざしてほしい」 というような希望を表明するだけではすまない、 もっと切迫した話ではないのか。

「また、何を熱くなってるんだか」

日経の社説 (「抜本改善必要な研究投資」)。 科学技術白書によれば、 日本は研究に莫大に投資している割には他の先進国と比べて 成果が上がっていないとのこと。 もうちょっと効率的な研究費配分を主張している。

「結果が恐いので哲学や倫理学に関しては白書を作成しないでほしいものですね」

「『研究費の配分的正義』というのはおもしろいテーマかもしれんな。 来年もし学振が当たったら、『学振制度はロールズ流の配分的正義に反する』 とかいう論文を書いてみたらどうだ。がはははは」

「いや、当たらなかったら書きます、それ」


22/Jun/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

[インターネット: 2時間 新聞: 30分 専門の勉強: 5時間]

夕方

「まだ最後のエッセイに手がついていない。 ドゥウォーキン、退屈なんだよな。 なんでこんなに退屈なんだろう。 あまりに常識的だからだろうか。 退屈で退屈で仕方がない。 もっと血を沸騰させるような哲学書はないものか。 興奮して手を震わせながらページをめくるような本。 ううむ。ううむ。いっそのことライオン使いにでもなろうか」


今後二週間近く更新されないかもしれませんが、心配しないでください。


23/Jun/2001 (Saturday/samedi/Sonnabend)

[新聞: 0分 専門の勉強: 7時間]

昼下がり

ようやく700語ぐらい書く。 明日は部屋の片付けと他のエッセイの見直しをしたいので、 今日中に仕上げたいところ。

近くのコミュニティセンターで小さな古本市がやっていたので、 ちょっと本を購入。


24/Jun/2001 (Sunday/dimanche/Sonntag)

[新聞: 30分 専門の勉強: 8時間]

真夜中

昨日は夕方に気分転換がてらすこし散歩。 LSE→トラファルガー広場→レスタースクウェアに行き、 イタリア料理を食べる。

あまりおいしくないパスタを食べている途中に、 イタリア旅行をする前にイギリスでイタリア料理を食べるというのは愚行だと いうことにハッと気づく。いや、残さずに食べたけど。

夜は勉強。まだエッセイが終わらない。あと1000語くらい。


25/Jun/2001 (Monday/lundi/Montag)

[専門の勉強: 3時間]

[canary wharf]

カナリ・ウォーフ

昨日は早朝に一応エッセイらしきものができたので、 息抜きのために友人と一緒にカナリウォーフまで散歩にでかけてきた。

カナリウォーフ(カナリア埠頭 Canary Wharf)は、 ロンドンビジネス街the Cityからテムズ河をずっと東へ下っていったところにある。

90年代に再開発されて高層ビルが立ちならび、 現在ではロンドン第二のビジネス地区として、 日本で言えば新宿みたいな役割を果たしているようだ。

コモンローのように自生的なロンドンの混沌とした街並に比べると、 地下鉄の駅近辺などは整然と区画されており、 ロンドンらしからぬ清潔さが漂っている。

[canary wharf2]

もっとも、ビジネス街の周りは小綺麗な住宅街になっており、 河沿いの猛烈に高そうなマンションのベランダでは白人が水着姿で 日光浴をしている。

可動の橋やキャビンクルーザーなど、 河に沿って散歩するといろいろ見て楽しむことができる。

あ、この写真はあまり上の記述を反映していないな。 金持ちの住まいを観察できる一方で、 こういう古くさいマンションや宇宙戦艦ヤマトのような船を見ることもできる。

イタリア旅行一日目: 出発、ピサ

スタンステッド空港からリヤンエアーで夕方ピサに無事到着。 今回の旅行のメンバーは、某イタリア人、某ベルギー人、某香港人、 某日本人(おれ)。

某イタリア人の妹の彼氏のところに泊めてもらうと聞いていたが、 車で空港まで迎えに来てもらい彼氏の家に到着すると、 こんなところに無料で泊めてもらっていいんだろうかというほどの豪邸で驚く。 彼氏はイランとイタリアのハーフだそうで、 イランの父親はテヘランの大使館に勤めているとか。

[the leaning tower of pisa]

夜遅くに夕食(スパゲティ)を食べ、さてもう寝るのかと思うと、 これからピサの市街に出るという。夜の11時ごろから2時ごろまで ピサの市内をうろつく。ピサの斜塔やピサ大学も見る。 夏は日中暑いせいか、夜中に大勢の若者が街をうろついている。 アジア人にはまったく会わず。

こっちに来るまでイタリアのお金についてぜんぜん知らなかったが、 リラは現在1ポンド3000リラくらいで、コカコーラは2000リラ、 マクドで昼食を食べると8000リラくらいだそうだ。 とりあえずATMを使って500000リラほど入手した。 まだあまり感覚がつかめないが、2000リラが100円、20000リラが1000円、 200000リラが1万円くらいだとすると、 500000リラは2万5千円くらいだろうか。

明日はルカに行くらしい。

[ちなみに、このピサの斜塔の写真はもともと暗くて判別しにくかったため、 イメージエディタでかなり手を加えました]


26/Jun/2001 (Tuesday/mardi/Dienstag)

イタリア旅行二日目: ルッカ

[san michele in foro]

イタリアの生活は怠惰で(この家の住人に限られるのかもしれないが)、 午前中は誰も起きてこない。 お昼すぎになってようやくみなぼつぼつと起きだしてきて、 タバコを吸いながら雑談をしばらく続けたあと、 昼下がりにようやく外出することになる。

今日はルッカに行ってきた。プッチーニが生まれたところらしい。 とくに何もない町だが、町をぐるりと囲んでいる城壁が川の土手のようになっていて、 そこを歩くと涼しい風が吹いていて快適である。 モッツァレラ・チーズのうまさに開眼する。

ピサに車で帰る途中、かなり道に迷う。

夕食はパスタ。 キアンティ(トスカナ産赤ワイン)を飲まされる。 食事中、サッカーの話で盛り上がるが、ついて行けず悲しい思いをする。 ちゃんと勉強していくんだった。


27/Jun/2001 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

イタリア旅行三日目: ヴォルテッラ、サンジェミニャーノ

[roman theatre]

今日もお昼すぎに出発。 最初にアラバスター(石雪石膏)細工で有名なヴォルテッラに行く。 ヨーロッパで唯一のアラバスター職人養成学校があるだけあって、 その超絶技巧には驚かされた。

また、この町はなんでもエトルリア人が作った古い町だそうで、 ローマ時代の劇場も廃墟として残っている。

[san gimignano]

次にヴォルテッラのそばのサン・ジェミニャーノに行く。 ここはそびえたつ塔を背景とした青空で有名な町で、 観光客で賑わっている。 おれもいくらかおみやげを買い、観光客としての役割を立派にはたした。

あとでガイドを読むと、 イタリアで一番のアイスクリーム屋があったらしい。 見逃してしまった。残念。

イタリアは夕食も遅い(この家の住人に限られるのかもしれないが)。 今日は11時すぎに近くのピザ屋(pizzeria)に行き、 1時近くまで食事を続ける。ピザ、うまい。 イタリア人にとってのスパゲティは日本人にとってのうどんか蕎麦のようなもので、 ピザはお好み焼きのようなものだろうかとか考える。 ビールとベイリーズ(カフェオレにアルコールをまぜたような飲み物) を飲まされる。


28/Jun/2001 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

日記の整理

イタリア旅行四日目: ピサ

[tower of pisa]

今日はお昼にピサの町に出て、斜塔と大学をすこし見学しただけで、 とくに活動せず。

時間を無駄に過ごすのはちょっともったいない気もするが、 休暇なので気楽にやろう(と自分に言いきかせる)。

ここは日本のように蒸し暑い。 英国にはいなかった蚊にも刺される。 あせもも出てきた。

夜、先に述べた某イタリア人の友人の妹の彼氏であり、 現在泊まっている家の(実質上の)主人でもある某が、 ピサの地元サッカーチームの試合(準決勝)に出るというので、 町に出て観戦する。

試合を見るはずだったが、試合があまりに退屈だったので、 おれと友人たちはいつのまにかコートのわきに置いてあった サッカーゲーム(台の横に四つずつあるハンドルを 押したり回したりして、ボールをゴールに入れるやつ)に夢中になり、 気がついたら試合が終わっていた(勝ったらしい)。

そのあと大学のそばの食堂でパニーニ(サンドイッチ)を食べ、 帰宅。


29/Jun/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

イタリア旅行五日目: ピストイア、ヴァン・モリソン

[cat]

今日も遅起きして午後から活動を開始。 巨大なスーパーマーケットで買物をして4時すぎに昼食を食べたあと、 ピストルの語源となった町ピストイアに出発。

ピストイアに行くことにしたのは、 ヴァン・モリソンのコンサートがあると先日聞いたので、 それじゃ観光ついでに見に行こうかという話になったからだが、 町に着いたらコンサートがはじまる時間が迫っていたので結局観光はせず。

[注: 写真と本文は関係ありません]

[van morrison]

それで肝心のコンサートはというと、 ヴァン・モリソンはもう年寄りだしあまり期待していなかったのだが、 予想に反してかなりよかった。 あの太くてつやのある声を生で聞くとやはり感動する。ひたすらしぶい。 `Gloria'はやってくれなかったが、 `Baby, please don't go'とか `Boon, boon'(だっけ?)や、`Bright side of the road'、 `Brown-eyed girl'、`Have I told you lately'など、名曲を披露してくれた。

そういえば、先日ジョン・リー・フッカーが亡くなったらしい。合掌。


30/Jun/2001 (Saturday/samedi/Sonnabend)

イタリア旅行六日目: ローマ

早起きして電車に乗り、ローマへ。 ローマへは某香港人(以下某嬢)と二人で行く。

[rome]

ローマ駅からタクシーに乗り、 姉から聞いていたパンテオンのそばにあるホテルにチェックイン。 パンテオンの中を覗いたあと、 道に迷いながらようやくトレヴィ噴水に辿りつく。

さらにポポロ広場からコルソ大通りを南に歩き、 ヴィットーリオ・エマヌエレ・モニュメントを見上げ、 ローマフォーラムを一望し、 テベレ川を渡ってトラステーベレ周辺に行き、 おいしい夕食を食べる。

それからふたたび道に迷ったあと、夜のトレヴィ噴水に辿りつき、 一息ついたあとホテルに戻る。

某嬢は彼氏が香港で待っているのだが、 おれと一緒にツインの部屋に泊まると電話で聞いてすこし怒ったらしい。


何か一言

your name:

subject:

body:

/


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jul 28 07:37:42 2000