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こだまの世界

2001年1月中旬号

As a general rule of thumb, if part of your life is a problem, see a counsellor, whereas if the whole of your life is a problem, see a psychotherapist.

from `Talking Heads' by Andrzej Klimowski
in The Guardian Weekend (13/Jan/2001)

彼女(マリー・ミジリー)は1938年にsenior scholarとして サマーヴィル・コレッジに進学した。 同学年にはアイリス・マードックがおり、 二人はすぐに親友になった。 彼女の一学年上には、 のちにウィトゲンシュタインの一番弟子になるエリザベス・アンスコムがいた (ちなみに彼女は先週亡くなった)。 一学年下には道徳哲学者のフィリッパ・フットがいた。 今日フットは、「彼女(マリー)は本当に目立ってました」 と述べている。 ミジリーの考えでは、 戦時中は、オックスフォードで哲学を学ぶ女性にとって、 特別にすばらしい時期であった。 「若い男たちがえんえんやかましく騒いで女性の気を散らすことがなかったのが よかったのだと思います -- 本当に哲学をやりたいと思って勉強している人しかいなかったですし。 それに、将来がなさそうだったから、 就職のことを考えている人もいませんでした」

from `Mary, Mary, quite contrary' by Andrew Brown
in The Guardian Saturday Review (13/Jan/2001)


11/Jan/2001 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

現代政治哲学

今回から哲学科のジョナサン・ウルフ教授。 この先生は説明がうまいので、 ひかえめに言っても失禁するほどおもしろい。

今日は第二次世界大戦後の政治哲学の歴史と、 ノージックの完全自由主義(Libertarianism)について。

第二次世界大戦後の政治哲学の歴史

戦後に道徳および政治哲学が低迷した理由は二つあり、 一つは、哲学が第二次大戦の惨禍を止められなかったことに対する失望。 もう一つは、価値と事実を峻別する論理実証主義が道徳、 政治哲学に与えた破壊的影響。

しかし、朝鮮戦争やベトナム戦争が起こると、 良心的兵役拒否や政治的義務についての議論がさかんになり、 政治哲学に対する関心がふたたび盛んになった。 (おれが政治的義務について関心がないのはそういう時代に生きてないからだな)

1971年にロールズが『正義論』を出し、 政治哲学が完全に復興する。 1974年にはノージックが『アナーキー、国家、ユートピア』を出版。 この時期には主要な哲学者はみな政治哲学の舞台で活躍。 ジョニー・ロットンも`Anarchy in the UK'をひっさげて、 哲学者デビューする。(などということは授業では言わなかった。念のため)

残念ながら、その後、 主要な哲学者は心の哲学や言語哲学の研究に向かったので、 現在、政治哲学は停滞期に入っている。

完全自由主義 (Ask a Libertarian)

完全自由主義については、 完全自由主義を採用しているL国の官僚と話す機会があったので、 その会話を再録しておこう。

「L国では、麻薬が禁止されていないそうですが」

「他人に危害を加えないかぎり、何をしようと個人の自由ですからね」

「シートベルトも締めなくていいとか」

「シートベルトをつけていないせいで死のうと死ぬまいと、 個人の勝手ですから」

「ギャンブルもやりほうだいだとか」

「ギャンブルで身を滅ぼそうと一山あてようと、個人の勝手でしょう」

「郵便局も鉄道も高速道路も図書館もすべて私営だそうですね」

「そういうことに政府が関与すると、 税金を市民の安全を守る以外の目的で使うことになり、 市民の所有権を侵害することになります」

「公立学校もないそうですね」

「国民健康保険も国民年金もありません。 国家は市民の安全を守るだけです」

「では、銃規制についてはどうですか」

「拳銃の所有は個人の自由です。 もちろん他人に危害を加えた人間は逮捕されますが」

「なるほど。では、家の裏庭に核ミサイルを設置してもいいのですか」

「他人に危害を加えないかぎりは自由です」

「ボクシングは禁止されていますか」

「いえ、たしかにこのスポーツは他人に危害を加える可能性が高いですが、 当人同士が同意しているなら、相手に危害を与えても許されます。 個人の自由ですから」

「同意していたら奴隷にもなれるんですか」

「なれます。売春も同意していれば許されます。個人の自由ですから」

News Memorandum

from today's Guardian

Chilly Messiah with a mission to blank out the competitive world

「なんでマイクロソフトによる市場独占っていうのはいけないんですかね。 競争社会で努力に努力を重ね、一位になったと思ったら、 『お前の会社は強力になりすぎたから分裂しろ』と言われるなんて、 なんだか変な話じゃないですか」

「まあ、マイクロソフトの場合は競争相手を追い抜くさいに足払いをかけたり、 ライバルが追いついてこれないようにマキビシをまいてみたり、 休憩所のドリンクに下剤を入れてみたりいろいろしたらしいから」

「ビルゲイツは『そんなのぜんぶ真っ赤なうそだ。きい』 って言ってるらしいですよ。しかしそれはともかく、 たとえそういう邪悪な手段をとってなくても、市場独占はダメなんですよね。 なんでなんでしょう」

「う〜ん、 民主主義的手続きによって民主主義を廃止することが許されないのと 同じなんじゃない?」

「というと?」

「つまり、競争の結果、あまりに巨大な企業ができてしまうと、 今後の競争にさしさわりがあるからじゃないのかな。 自由競争に価値があるわけだから、 自由競争の結果が今後の競争を妨げるようなものだと、 これは困るわけで」

「なるほど、あまりに大きくなりすぎて、 他の木々の成長を妨げてしまうような木は切られなければならない、 ということですか」

「そうそう。けど、問題は、 自由競争においてほんとにそういう状態が存在するのか、 あるいは存在したとしても長続きするかってことだよね」

「たしかにビルゲイツも、現在ほど競争が激しいときはない、と主張しています」

「それに、政府の介入がなくても、自然と他の木々も負けじと育つかもしれないし。 あれだ、見えざる神の右手、悪魔の左手、う〜めらぬ〜めらっていうやつだね」

「なんですかそれは」


12/Jan/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

今日の勉強

図書館で法哲学の勉強。もう一度、法実証主義、自然法理論、リーガルリアリズム (実体主義って訳すのかな?)などをおさらい。 いいかげんエッセイを書きださないとやばい。 しかし、まだプロットが。

今日の昼食

日本からやってきていた某教授とスペイン料理屋とおぼしきところで食事。 ごちそうになる。

古本

昨日インターネットで注文した本のうちの一冊がさっそく届く。早い。


13/Jan/2001 (Saturday/samedi/Sonnabend)

今日の勉強

まだ書きだせず。やばい。

Blackboards

夜、Crouching Tiger, Hidden Dragonを観るために出かけたら、 満席だったので、Blackboardsというイラン映画を見る。 例の、21才の若手女性監督の映画。

ストーリーはこんなの。

黒板をかついだ10人足らずの教師たちが、 生徒を求めて山岳地帯をさまよっているシーンからはじまる。 物語はそのうちの二人の顛末についてで、 一人はイランから国境を越えてイラクへ行こうとしている難民集団について行く。 もう一人は密輸品の荷物をかついで山岳地帯を渡り歩いている少年たちについて行く。

ほとんどが成人で構成されている難民集団について行った教師は、 「あなたは読み書きができますか? え、できない? だったら教えてあげましょう」 と呼び掛けるが、誰からも相手にされない。 彼はひょんなことで子連れの寡婦と結婚するが、 寡婦ともセックスするわけでなく、読み書きを教えようとする。 しかし、やはり相手にされない。

一方、子供の集団について行った教師も、 「きみたちは読み書きができるかい? え、できない? だったら教えてあげましょう。 読みかきができると、本や新聞が読めて、お金の計算もできるようになり、 これがもうすばらしいんだから」 と呼びかけるが、最初は「そんなものを習っても何の役にも立たない。 邪魔をしないでほしい」とニベもなく断わられる。 しかし、一緒に旅をしているうちに、 そのうちの一人が、自分の名前を書けるようになりたいと言いだしたので、 教師ははりきって読み書きを教えるようになる。

しかし、順調に行っていた教育も、 子供がつたないながらも自分の名前が書けるようになった瞬間、 教師ともども警備兵に撃ち殺されることによって台無しになってしまう。

また、難民と一緒に行動していた教師も、 難民がイラクに行ってしまうことで何の成果もないまま別れることになり、 しかも、離婚することになった嫁に黒板を持っていかれてしまう。

ここで物語は終わり。

このほとんど寓話的ですらある物語をどう解釈するかは、 (イランの文化的、政治的背景を知らないこともあり)なんとも難しいが、 ちょっと考えてみる。

まず、一見して明らかなのは、理想に燃える教師が、 まったく現実を無視して行動していること。 食うや食わずの難民や、命がけで密輸の仕事をしている子供たちに「2かける2は4」 などという知識を与えようとしても、話を聞いてくれるはずがない。 教師たちの努力は明らかに空回りしている。

ここから、 「衣食住に困っている人々にまず教育をほどこすというのは順序が間違っている」 という主張が読みとれる。

しかし、一方では、教育に燃える教師たちが黒板をかついでいる姿を、 羽の生えた天使あるいは使徒たちが福音を伝えに来ている姿に なぞらえることもできるかもしれない。 人々はかたくなに心を閉ざして、彼らの言うことを聞かないために、 いつまでも苦労を続けなければならない。

そう考えると、 「衣食住に困り、国家が荒廃しているときにこそ、人々は教育を受けて、 啓蒙されなければならないのに、 彼らはかたくなに教育されることを拒んでいる」 という主張を読みとることができるだろう。

他にもいろいろ解釈はありえるだろうが、 このくらいにしておく。 テーマは相当暗いが、ユーモアにあふれており、 変な深読みをせずに単純に見ただけでもかなり楽しめる作品。 それにしても21才でこんな映画を作るっていうのはすごいなあ。 ただ、テクニックなのかもしれないが、カメラがよくぶれるので、 目が痛くなった。B-。

News Memorandum

from today's Guardian


14/Jan/2001 (Sunday/dimanche/Sonntag)

日記の整理


15/Jan/2001 (Monday/lundi/Montag)

円安

BBCで日本の経済状況が悪化していると報道している。 現在1ポンド175円くらい。困った。 日本人、貯金しないで買物してくれー。

政治哲学入門

ここでも2学期は配分的正義の問題をとりあつかうようだ。 今回はノージックの完全自由主義について。ノージック読まねば。


16/Jan/2001 (Tuesday/mardi/Dienstag)

今日の勉強

「今日の夕方に、なんとか法哲学のエッセイを出しました」

「あれ、〆切は昨日じゃなかったの?」

「いや、ぼくもそのつもりだったので、昨日いったんあきらめたんですが、 友人が火曜日が〆切だと言うので、もう一度調べてみたら、 今日が〆切だったようです」

「よかったじゃない」

「けど、時間がなかったので、非常にいいかげんなものになってしまって。 自分でも恥ずかしいです」

「どんなテーマで書いたの」

「法実証主義を評価せよ、というテーマだったので、 『法実証主義は道徳と法の区別を鮮明にすることで、 自由主義を促進する傾向にある。他方、 法に対する盲目的隷従を強いるという批判は見当違いである』 というような話をしました」

「へえ。法実証主義と自由主義って関係があるの」

「もっとよく調べないとわかりませんが、法実証主義、功利主義、 民主主義、自由主義との関係をきちんと検討したいなあと考えています」

「人権論も自由主義を促進したんじゃないの」

「そうですねえ。もっと勉強します。とにかく、 今回のエッセイは、少しは意欲的なテーゼを立てたつもりですけど、 論証も足りないし、 読書量も少ないしで、まあそれはいつものことですけど、 出してから自己嫌悪に陥りました」

「君の大好きな心理的快楽説によると、 君はエッセイを提出することで快を得ているんじゃないのかね」

「いや、まあ提出しないことによって生じる自己嫌悪よりは ましなのかもしれませんが。しかし、快苦計算を間違えたかもしれません」

法哲学の授業

ロックとルソーの政治的自由についての議論。 予習していかなかったので、要復習。

届いた古本

英国の人不足

英国の人口は6000万人ぐらいらしいが、 鉄道、警察、医療、教育などのいろいろなところで人不足が起きている。

たとえば、ロンドンでは地下鉄の駅が「人員不足のため」 に閉まってしまうことがある。 鉄道はあまり乗らないのでよく知らないが、 やはり人員不足で電車が予定どおりに走らなかったりするようだ。

また、公共医療機関であるNHSでは、常に医者不足が嘆かれている。 とくに冬は老人がカゼで大量に入院するので、 ベッド不足が深刻な問題になる。 さらに、最近では教師不足のために週4日制の採用が検討されている。

警官の新規採用は去年あたりから徐々にうまくいっているようだが、 ロンドン市内では24時間勤務の交番の数が減って治安が問題になっていた。

これらの問題の原因は、英国に人間がいないというのではなく、 これらの職業の労働条件が魅力的でないというところにあるようだ。 あたりまえの話だが。

英国では今年の5月ごろに総選挙が行なわれる予定なので、 新聞ではしょっちゅうこの手の話が問題になっている。 与党の労働党がこうした批判をどうかわすかが興味深いところだが、 現在は保守党の人気がおそろしく低迷しているので、 労働党が続投することはほぼ確実のようだ。


17/Jan/2001 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

ベンタムの授業

今日は手続法、とくに裁判のあり方について。 来週、論文を要約して発表しないといけなさそうだ。

子供の売買

「英国人の夫婦が、インターネットを通して 米国でオークションに出されていた双子の赤ちゃんを買いおとしたそうです」 (BBC NEWS: Blair's horror at twins 'sale')

「ふ〜ん。英国ではどんな反応が出てるの」

「内務大臣のジャック・ストローは『子供をインターネットで売り買いするなんて、 考えただけでぞっとする』と言っています。 ブレア首相は『考えただけでげっそりさせられる』と述べています」

「英国の政治家は『ぞっとする』とか『げっそりする』とか感情を表明するだけで、 議論をする気がないみたいだね」

「そうですね、ポール・マッカートニー卿も、キツネ狩りについて、 『犬でキツネを追いかけて殺すなんて、野蛮だ』 などというありきたりな意見しか言ってないですし」

「いや、まあ、U2のボノならいざしらず、 ポール・マッカートニーにまともな意見を期待する方も問題だと思うけど。 それにしても、たしかに英国人は、『Aは文明的である』とか『Aは野蛮である』 という主張が立派な道徳的な根拠になると考えているふしがあるな。 ボクシングは野蛮であるから廃止すべきだとか」

「そうですそうです。 新聞のレベルでは直観主義がまかりとおっていて、 なんとも独断的意見が多いように思います」

「まあそういう意見の方がしろうと受けするんだろうね。 それと、君は君で、なぜ『ボクシングは野蛮であるから廃止すべきだ』 という意見がだめなのか、 ちゃんと理由をつけて説明しないといけないんじゃない?」

「わかりました。考えてみます。それよりも、子供の売買ですが」

「ああそうそう、なぜだめなんだろうね。養子は認められてるのに」

「英国では個人的に養子を迎えることは禁止されているようです。 市役所か何かが受け手側の家庭状況を検討しないと、 子供を養子には迎えられないそうです」

「ふ〜ん。完全自由主義者だったらなんていうんだろうね。 売春することも奴隷になることも個人の自由だとしても、 子供を売買することは許されないのかな」

「ちょっと難しいですね。 完全自由主義によれば、 当人の利益のために個人の自由な取引を束縛することは許されないわけですが、 赤ちゃんを親の所有物とみなせるかどうか」

「しかし、赤ちゃんにも大人と同様の自己所有権を認めると、 親は何もできなくなるんじゃないの。 授乳だって自由の侵害になるんじゃ。 それにさ、ロックの労働所有論を適用すれば、子供も夜のお勤めの成果であり…」

「あ〜、ぼくの日記で下品なことを言うのはやめてください」

「あ、すまんすまん。 とにかく、子供の場合だけ国家が個人の自由な取引に口出しすることが、 完全自由主義で正当化できるかどうか、 というのはおもしろい問題だね。 ノージックはなんて言ってるの」

「いや、なんて言ってるんでしょう。これから調べてみます。 それにしても、 『子供は安全で愛情にあふれた家族と暮らす権利がある』とか、 『この種の取引は不道徳であるから法律で禁止すべきである』とか、 つい読みとばしてしまいそうになるけれど、 よく考えてみると問題の多い意見がたくさんありますね」

「そういう意見を読んで立腹するのが好きだから、 君は新聞を読んでいるんだろう」

「いやまあそうなんですが…」

動物の権利

「英国でも動物の権利を主張する人々のテロ活動がさかんで、 近くハンチンドン・ライフ・サイエンスという会社が 彼らの圧力によってつぶされる可能性があり、 社会問題になっています」

「それ、なんの会社なの」

「医学研究をしている民営の会社のようです。 ガンの治療の研究とかやってるそうです」

「それで、どうやってつぶされるわけ」

「ええと、動物愛護論者は、 銀行を脅すことによって、 会社が銀行から金を借りることができなくする、 という手段に出るつもりのようです」

「まあ、動物の権利を主張するのはもっともだと思うけど、 テロはいかんよね」

「しかし、どうなんでしょう。化粧品はともかく、 ガンや心臓病や糖尿病やハンチントン舞踏病の治療薬を作るためには、 どうしても動物、 とくにモルモットで実験をする必要があるそうです。 動物に犠牲になってもらうより仕方ないんじゃないでしょうか」

「ほら、君は功利主義者だからすぐにそういう悪しき発想をする。 動物が自発的に同意しないかぎり、彼らの権利を侵害してはいけない」

「そんな無茶な。じゃあ、肉食もだめなんですか」

「菜食主義者になればいい」

「トマトやバナナの権利はどうなるんですか」

「トマトやバナナには権利はない」

「なんか恣意的な区別のような気もしますが、 今はひとまずおいておきましょう。 どうしてさっき功利主義者は悪しき発想をすると言ったんですか」

「今日のガーディアンのコメントを読んだらわかる。 『理想的な世界においては、 動物を使った実験を行なわないことはよいことだろう。 また、理想的な世界においては、 動物を殺して食べたりしないこともよいことだろう。 しかし、実際の生活においては、 動物を用いた実験が、 病気を治療し生命そのものを延長させるための費用として許容可能な範囲にあることは、多くの人が認めるところである』とか、さらに、 『たしかに、実験に含まれる手続は動物にとって特に優しいものとは言えない。 しかし、だからといって非人道的であるわけでもない。 それに、人間が受ける利益は、 どうしても使わざるを得ない手段によって引き起こされる損害をはるかに上回る』 (`A protest too far', The Guardian, 17/Jan/2001)」

「もっともな意見じゃないですか」

「ほら、 そんなことを言えるのは、君はもう功利主義の毒に染まっているからだ。 動物を犠牲にして人間が幸福を亨受するというのは、 朝鮮人や中国人を犠牲にして日本人が幸福を亨受するとか、 ユダヤ人を犠牲にしてドイツ人が幸福を亨受するとかいうのと同じ論理じゃないか。 実際、ガーディアンの意見をちょっと書きかえてみると、 ほとんどナチの論理と変わらないことがわかる」

「あ、ちょっと待ってください。 動物をユダヤ人とか朝鮮人に置きかえると、 かなり過激になるので、 日本人に置きかえてください」

「了解、了解。 『理想的な世界においては、 日本人を使った実験を行なわないことはよいことだろう。 また、理想的な世界においては、 日本人を殺して食べたりしないこともよいことだろう。 しかし、実際の生活においては、 日本人を用いた実験が、 病気を治療し生命そのものを延長させるための費用として許容可能な範囲にあることは、多くの人が認めるところである』。 ほら、少数者や弱者を犠牲にする典型的な論理じゃないかい」

「う〜ん、それでも必要最小限の犠牲は仕方ない気がしますが…」

「君はいつまでたっても功利主義の思考方法から抜け出せないようだね」

「じゃあ、動物実験をしないとしたら、どうしたらいいんですか。 医学研究はもうやめるべきなんでしょうか」

「わたしの提案は、動物実験は廃止して、 動物権利論者に進んで実験台になってもらうということだ。 自発的同意があれば死んでもOK。 また、一歩譲って、たとえ自発的同意がなくても、 一般市民や動物にも、 死なない程度に医学実験に協力してもらってもよいかもしれない」

「まためちゃくちゃな意見を言いますね」

「いや、筋を通せばそういうことになるはずだ」


18/Jan/2001 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

現代政治哲学

ノージックの続き。権原理論について。 ノージックの議論は、 一見すると配分的正義の議論をしているようには見えないので、 左翼ロールズと右翼ノージック(?)という文脈をしっかり把握する必要あり。

指導教官との話しあい

先週渡したエッセイ二本について、簡単なコメントをもらう。 「日本人学生にしてはよく書けている」らしい:-) ほめられているのか、けなされているのかよくわからないが、 とにかく修業修業。がんばれ日本人学生。

来週あたりに、論文の大枠を作って相談に行くこと。

Crouching Tiger, Hidden Dragon

英国で大当たりの映画をようやく観た。 中国(唐だったかな)を舞台にした、 一本の伝説的な剣をめぐって起こる一大叙事詩。 恋愛あり、カンフーあり、師匠弟子の葛藤あり、 ワイアを使った衝撃 (笑撃? 70年代の技法をまねているらしい) のジャンプシーンありと、まさに中国版スターウォーズ。 見どころのカンフーのシーンは、 マトリクスと同じ人(Yuen Woo Ping)が振り付けをしているらしい。 また、音楽はYoYo Maが担当しているようだ。

英国でのこの映画の評価はやたらと高いが、 なかにはこの映画をひどくこきおろしている批評記事もある。 たしかに、あまり深みのある物語とは思えないが、 それでもまあ見て損はしないと思うので、B-。 すでに続編が予定されているらしいので、 きっと見に行ってしまうだろう。

News Memorandum


19/Jan/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

ロンドンの気候

今日、ひさしぶりに雪が降る。 今日の気温は最高が2度、最低が-3度とのこと。 日本に比べると、昼と夜の気温差が小さい気がする。

Cast Away

夜、ロバート・ゼメキス監督、 トム・ハンクス主演のCast Awayを映画館に観に行く。 これから見に行くつもりの人は、

主人公が乗った飛行機が事故に遭い、 絶海の孤島に漂着して数年間ロビンソン・クルーソー的生活を送ったあと、 なんとか故郷に戻る、という話。

主人公がバレーボールのウィルソンと別れ別れになるシーンと、 主人公が故郷に戻り、 他の男と結婚してしまった元彼女と再会するシーンについては いろいろ分析してみたいが、時間もないので省略。

ちょっと終わり方に問題があるが、おもしろいし、迫力はあるし、 そこそこ感動させられるので、B。

動物の権利と定言命法

「カント的な動物の権利擁護論をあみだしました。 `Act in such a way that you always treat animals never simply as a means, but always at the same time as an end.'です」

「これまた安易な思い付きだなあ。 けど、 カントはそもそも道徳は理性的存在者についてしかあてはまらない と考えていたわけで、 この書き換えはずいぶんカントの意図を歪めることになるんじゃないの」

「いや、ぼくはこの格律は普遍化しても矛盾せず、かつ意志できると思います」

「しかし、君はライオンを食べないかもしれないが、 ライオンが君を食べるとき、ライオンは君を目的としては扱わないと思うよ」

「しつければいいじゃないですか。あ、ライオンと言えば、 こないだ友人からこんな意見を聞きました。 『この世界には食物連鎖というものがあり、 シマウマは草食であり、シマウマを食べるライオンは肉食である。 したがって、 動物界の頂点に立つ人間が肉も野菜も食べることは自然なことである』」

「う〜ん、前倫理学的な素朴な思考法だな。 倫理学の授業に出席するように勧めた方がいいんじゃないか」

「いや、ぼくも倫理学を学ぶまでは、 というかヒュームやベンタムに会うまではこういう発想のどこが悪いのか わからなかったので、バカにするつもりは毛頭ありませんが。 ただ、こういう考え方が根強く残っていることを知り、 ちょっと驚きました」

「こう、 ある行為が必然的であることを示すことによって 自分を正当化しようとする動機というのは、 いつまでたっても消えないんだろうな」

「ライオンと同様、自然の法則という必然性に従ってるんだから、 おれに責任はない、というわけですか。 動物実験をするのも自然の法則だと。 あっ。今ふつふつと怒りがこみあげてくるのを感じました。 な、なにが自然だ、こここの、死ね死ね」

「君はほんとに冷静に議論ができないたちだなあ」


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jul 28 07:37:42 2000