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KODAMA'S (NEW) WORLD

諸君は永久に生きられるかのように生きている。 諸君の弱さが諸君の念頭に浮ぶことは決してない。 すでにどれほどの時間が過ぎ去っているかに諸君は注意しない。 充ち溢れる湯水でも使うように諸君は時間を浪費している。 ところがその間に、諸君が誰かか何かに与えている一日は、 諸君の最後の日になるかもしれないのだ。 諸君は今にも死ぬかのようにすべてを恐怖するが、 いつまでも死なないかのようにすべてを熱望する。

多忙な人間には何ごとも十分に成し遂げることは不可能である。 弁論の勉強にしても学問の教えにしてもそうであるが、 心が雑事に追われていると何ごとをも深くは受け入れられず、すべてのものを、 いわば無理に詰め込まれたもののように吐き出してしまうからである。 実際多忙な人にかぎって、生きること、すなわち良く生きることが最も 稀である。

---セネカ『人生の短さについて 他二篇』


昨日 / 明日 / 2016年11月 / 最新 / はてな

この日の出来事


07/Nov/2016 (Monday)

某先生の講義など

真夜中

少しだけ早く起床。某翻訳作業。朝食、朝刊、娘とシャワー。 娘は昨日遊んで疲れていたので、夜に風呂に入れなかった。

朝、娘を保育園に送ってからしばらく自宅で仕事。国のために働く。

それから某打ち合わせに出席。お昼まで。

お昼はパンを買って研究室でもそもそ食べる。 それからメールの返事と明日の講義の準備。

昼下がり、某外国人先生と落ち合って新幹線の切符の購入を手伝う。 それからちょっとだけ明日の講義の準備など。

夕方、某外国人先生の講義。セックスロボットの倫理。 「道徳的に不正なことを想像して快を得るのは道徳的に不正か」という おもしろい問いを報告から得る。私はそれは単に悪趣味であって、 道徳的に不正ではないと思うのだが。

夜、百万遍で懇親会。歓談。夜中、歩いて某氏を送る。 それから御所の中を通って帰る。けっこう恐い。

さっさと寝るべし。


07/Nov/2013 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

某講義など

定時起床。髭剃り、朝食、朝刊。

午前中は某君に手伝ってもらっていろいろ雑用。研究室の本棚の整理もする。

お昼はおにぎり。某翻訳作業もする。あともう少し。

昼下がり、某センターの打ち合わせ。来年のカレンダーを見ていると、大きな ダブルブッキングがあることに気づく。某研究室で湯沸かし器を倒してしまい、 大事な雑誌を水浸しにしてしまう。顰蹙。

夕方、某応用倫理学入門。某氏による環境倫理その2。

夜、保育園に娘を迎えに行き、帰宅。一緒に夕食。

夜中、食器を洗い、娘と風呂に入る。共まだ本調子でないせいか、頭がぼーっ としていた。


07/Nov/2012 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

某校正など

定時起床。娘とFaceTimeしながらシリアル、朝刊、シャワー。

午前中は研究室で新聞と雑用と某翻訳。

お昼は少し遅めに某氏とカレー。いろいろ相談。

昼下がり、某校正と某院生の指導。ヒューム。

夕方も某校正。夜、中央食堂で夕食をとってからまた某校正。

夜中、歩いて帰宅。

真夜中、週アスを読みながら欲しいPCについて調べていたら遅くなってしまう。 寝よう。


07/Nov/2011 (Monday/lundi/Montag)

医学部図書館、四ツ谷で飲み会

定時起床。髭剃り、朝食。

娘を保育園に送ってから、携帯を忘れたことに気づいたので、一旦家に帰り、 これから本郷へ。お昼まで、喫茶店で仕事。

お昼に、久しぶりに医学部図書館に行く。色々調べ物。そういえば、少し前は ここで勉強していたな。また使うか。

お昼過ぎ、某所で昼食。それから夕方まで研究室で色々仕事。

夕方、地下鉄で四ツ谷に移動。夜、某仕事でお付き合いしている人々と長崎料 理屋で会食。いろいろとお話を伺う。

夜中に帰宅。娘を風呂に入れる。今日はさっさと寝よう。


07/Nov/2010 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中

比較的早めに起床。シャワー、シリアル。午前中は勉強…のつもりが、 ぼんやりと過ごしてしまう。

お昼前に電車に乗って桜上水へ。お昼ごろに某大学に到着。 お昼を食べながら打ち合わせ。

お昼すぎから夕方ごろまで、某例会の某教育関連ワークショップで報告。 部外者なので手加減してもらい、比較的無事に終了する。

そのあと、駅前で簡単な打ち上げ。おつかれさまでした。 用事があるにもかかわらず、つい二次会まで行ってしまう。紹興酒。

夜中に帰宅して、某院生とオンラインで研究相談。

真夜中、某原稿の〆切なのでいろいろ本を読んで必死に論文をでっちあげる。 と言っても、結局、時間切れでこないだ書いた内容の焼き直しになってしまったが。

ひさしぶりにこんな時間まで起きている。明日も早いのに。 しかし、一〆切去ってまた一〆切なんだよな。相変わらずimprudentだ。


07/Nov/2009 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

朝、ゴミを出してから二度寝。遅めに起きて、シリアル、メール等。

シャワーを浴びてからお昼すぎに大学へ。研究室で勉強…のはずが、 デスクトップにWindows 7を入れたりノートをVistaに戻したりで、 日が暮れるまでコンピュータをいじることに明け暮れてしまう。 逃避活動。

夜、某母親と某妻と三人で後楽園で中華。

帰宅後、ひたすらコンピュータをいじる。 途中、新聞を読み、真夜中にWiiを少し。

明日はコンピュータをいじらないで、勉強をすること。


07/Nov/2008 (Friday/vendredi/Freitag)

なんとか定時起床。シャワー、朝食。二階の朝の室温は15度(先日は13度だった)。

最近気付いたが、背骨の真ん中あたりに痛いスポットがある。ちょっと心配なので、 そのうちレントゲンでも撮ってもらうかなあ。

セネカ先生の言うように、忙しいとよく生きるのは難しい。とりあえず深呼吸しよう。

昼下がり

午前中、某妻と一緒に有楽町に行き、 『闇の子供たち』を観てくる(今日が楽日だったので)。 感想はまたあとで。真面目に生きなければと反省。

そのあと、銀座の某百貨店で手袋を購入したあと、タイ料理屋でバイキング。 汗を大量にかく。それから大学へ。

ベルルスコーニ伊首相、オバマ次期大統領のことを 「若くてハンサムで、しかも日焼けまでしている(young, handsome and even tanned.)」 と形容したそうだ。さすがにイタリアでも問題になっているとのこと。 この人の軽口は常識を超越しているな。

真夜中

昼下がり、一瞬転寝。夕方、某卒論生の研究指導。そのあと、某氏と某相談。

夜、某講義の手伝い。少し内職。無事に終了。 そのあと、本三で某氏らと飲む。地下鉄に乗って帰宅。

『闇の子供たち』は、若干長かったが、いろいろ考えさせられた。 一つはこういう「現実」があるから、もっと真面目に生きないとなあ、という一般的感想。 もう一つは、目の前にいる子供を助けるか、それとも悪い制度そのものを改善するために、 その目の前にいる子供のことはあきらめるか、という対立について。 これは普遍的なテーマであることを悟る。ネタとして使おう。 映像、音楽についてはもうちょっと凝ってもいいんじゃないかと思ったが、 ストーリーは良かった。B。


07/Nov/2007 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

今日のこと。

朝、ゴミ出し、シャワー、朝食。喫茶店に寄らずに直接大学に行き、 非常勤の準備と、少し文献検索など。それから某研究会。 お昼すぎまで某院生の指導。

お昼すぎからしばらく発表の準備。昼下がり、飯田橋に移動して 某非常勤。地域保健。そこそこ。

研究室に戻らずに、春日の喫茶店で一服(朝刊読む)してから、 帰宅。ちょっと寝る。気をつけないと体調を崩しそうだ。

小沢さんの辞任撤回。 「一度言ったことを撤回して男らしくない」 と厳しい意見もありそうだが、 あそこで辞めたら政治人生は終わっていただろうから、 恥を忍んで戻ってきたのは正解だったのではないか。 いずれにせよ、引き際というのは難しい。他山の石としよう。

真夜中

夕食後、真面目に勉強。読んでない文献が次々と出てくる。間に合わん…。


07/Nov/2006 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

朝、少し早起きして某発表の準備。午前中は某英語文献講読。 四原則の話を少し。

お昼に某ランチョン・セミナーで某発表の予行演習。 まだ7割方しか終わっていないが、 とりあえず聞いてもらってよかった。 あと数日でなんとか完成させること。

昼下がり、某ミーティング。某院生の発表の予行演習と、 某テキストのケースの相談。夜まで。

そのあと、某院生の指導をしていたら遅くなり、プールに行きそびれる。 同僚の某氏と某定食屋に行き、カキフライ定食とビール。 お昼もカキフライだったが、ぜんぜんダメだったので。

それからしばらく総合図書館で居眠り非常勤の準備をしてから 帰宅。しばらく書類の整理など。非常勤の準備を終わらせてから寝ること。

そういえば、おかげさまで、冷蔵庫のもらい手がつきそうだ。よかった。

部屋の掃除をしていたら、新聞の切り抜きが。

「起きるというのは、体性神経の力、つまり意志の力。 週一回でも早起きを実行し、充実したサイクルを繰り返しているうちに意志が 強くなり、失敗や逆境にへこたれないほど性格も強く変化するに違いありません」

---税所弘(早起き心身医学研究所所長)

そうか、やっぱり早起きというのも徳なんだな。早起きの徳を身に付けるべく がんばろう。

真夜中2

非常勤の準備。だいたい終わる。寝よう。


07/Nov/2005 (Monday/lundi/Montag)

よく寝た。わりと早起き。

夜中

午前中、ゆっくり先週のニュースなどを見ていたらすっかり遅くなってしまい、 お昼前に大学へ。懸案の事柄が一件片付く。

それから、同僚の某氏と昼食。刺身三点盛り定食。 例によって世界征服等々について密談。

お昼すぎから夕方まで某ベンタム研究会。勉強になる。 そのあとしばらく某喫茶店でみなと密談。

夜、プールで泳ぐ。55分で2.2キロほど。 帰りに購買部で弁当を買い、研究室へ。 今までゆっくり食事をしていたので、 これからまた翻訳の校正。眠いががんばれ。

真夜中

まだ翻訳の校正中。そろそろ帰って寝ないとまずいな。

真夜中2

まだ翻訳の校正中。終わらん。 が、体調を崩したら困るのでそろそろ帰って寝よう。

真夜中3

帰宅。 iPod miniでジャニス・ジョップリンを聴いていたら、どうにも訳したくなった。

Me and Bobby McGee

1.
バトンルージュですっからかん
電車が来るのを待ってたら
気持ちがジーンズみたいに色あせた

ボビーがトラックをつかまえた
雨が降り出す寸前のこと
ヒッチハイクでニューオーリンズへ

あたしはハーモニカを取り出した
うす汚ない赤のバンダナに入ってた
静かに吹くとボビーがブルースを歌う

トラックのワイパーがリズムを刻み
あたしはボビーの手をにぎってた
運転手が知ってる歌はすべて歌った

自由とは失うものが何もないってこと
自由でなければ意味がない
あたしはいつでも楽しかった
彼がブルースを歌うだけで
そう、あたしは楽しければ十分だった
十分だった、あたしとボビー・マギーには

2.
ケンタッキーの炭坑から
カリフォルニアの太陽まで
ボビーとあたしは心の秘密を分かちあった

どんな天気でも
何をするときでも
ボビーはあたしを寒さから守ってくれた

ある日サリーナスの近くで
あたしは彼を手放した
彼は家を探してた
見つかることを祈ってるわ

だけどすべての明日を失っても構わない
一日だけでも昨日に戻れるのなら
もう一度ボビーを抱きしめたい

自由とは失うものが何もないってこと
ボビーがいなくなって何もなくなった
あたしはいつでも楽しかった
彼がブルースを歌うだけで
そう、あたしは楽しければ十分だった
十分だった、あたしとボビー・マギーには

---Janis Joplin

木曜日のニュース。

金曜日のニュース。


07/Nov/2004 (Sunday/dimanche/Sonntag)

早朝

昨日は昼下がりから学会に参加。 といっても、発表を聞いたのは一つだけで、 あとは別の部屋でちょっと内職し、 懇親会に出たぐらい。 旧交を温められてよかった。 …というのは、学会に出た感想としてはおかしいか。

二次会まで付き合ったあと、帰宅してから少しだけ仮眠し、 それからシンポの準備。 某氏が親切にも京大で原稿をプリントアウトしコピーしてきてくれるというので、 〆切の朝7時ぎりぎりにメールで原稿を送った。感謝。

今日はたいしたこと言えそうにないので気が重いが、 まあがんばろう。批判を浴びて強くなろう。

夜中

帰宅。朝、某友人と会い、朝食。大阪まで一緒に出てから別れる。 お昼前に某学会に着く。

お昼すぎから某シンポジウム。 提題者三名が「福祉」という言葉をそれぞれ違った意味で用いており (一人は社会保障と同義で、もう一人は「社会福祉」という意味で、 最後の一人は「よき生」という意味で)、 空中戦どころか、地上と大気圏と銀河系でやりあうような議論になっていた。 まあそれはともかく、自分の議論の非厳密さにイヤになった。 もっと真面目に勉強しないといけない。

本当に最近は、適当に書いとけば好意的に解釈してくれるだろうというような 甘えが目立つので、今後は「デビル」(Mr. D)と会話するつもりで議論を 組み立てることを決まりとすることにしたい。 Mr. Dはデカルトの悪魔のように、 つねにWorst Possible Scenarioを携えてきて、 しかも平易な言葉で説明しなければ理解せず、 しまいには怒り出すという恐しい存在である。

Mr. D「なんや、わしのことを呼んだか。悪口言うとんやないやろな」

「いえいえ、違います。悪口じゃないです。研究の協力を頼もうと思って」

それはともかく、発表が終わってから、某先輩たちと新大阪に出て、 喫茶店でちょっと時間をつぶしてから新幹線で東京へ。 指定席を買っていたのだが、ちょっと早い便に乗ると、 指定席が満杯で、座席を何度もうつる羽目になる。 名古屋からは落ち着いて座ることができたので、爆睡する。

東京から本郷に戻ってきて、さきほど帰宅。眠い。

今日やること


07/Nov/2003 (Friday/vendredi/Freitag)

夕方

今朝は8時すぎに起きてシャワーを浴び、荷作りを終えてから朝食へ。

午前中は二つのセミナー。ギラムさんによる「研究倫理と倫理委員会について」 と、ボルシン氏による「医療過誤と医療の透明性について」。 二つの授業のあいだに集合写真を撮り、 最後にセミナー全体についての感想文を書いて終了。

某老人と一緒に外で昼食を食べたあと、しばらくぶらぶらし、 時間になったのでバスに乗ってワンガレッタへ。 そこから電車に乗り換えて二時間の旅。途中で寝て、さきほど起きたところ。

真夜中

夕方、無事にスペンサーストリート駅に到着。 そこで解散したので、タクシーに乗ってホテルへ。 予想通り、ロンドンの学生寮のようなところ。 訊くと、メルボルン大学の学生寮だそうだ。 部屋には風呂もトイレもないが、まあ机があるので勉強もできる。

夜は、某氏と二人で少し歩いたところにある中華街に行き、タイ料理を食べた。 味はそこそこ。さすがに中華街のあたりはアジア人が多い。

ホテルの近くのセブンイレブンで水などの食料品を少し買って、 帰宅。某氏と少し集中講座の復習をやってから自分の部屋に戻り、 パワーポイントのまとめを作成。

テレフォンカードを買ったので、国際電話をかけようとして四苦八苦する。 フロントに尋ねたところ、 国外に電話するにはまず0011を入れる必要があることがわかった。


07/Nov/2002 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中 (午前)

BBC Radioを聞きながらワイシャツにアイロンをかける。 ブロッコリを茹でて食べる。

早朝

起きる。シリアル、シャワー。行かねば。

ウィノナ・ライダー、万引きで有罪

コピーを済ませ、10分前に教室に来てしまった。き、奇跡だ。

バスの中で新聞を読んだら気分が悪くなってしまう。気をつけよう。

朝2

一コマ目、また時間ぎりぎりまでやってしまう。

お昼

ニコマ目は10分前に終わる。

昼下がり

授業のあと、お好み焼きを食べる。それからバスで大学へ。

ソファですこし寝たあと、 出張の報告書や科研費で雇うバイトの書類などを作成し、 会計に提出。

某ニューズレター編集委員会。

5コマ目の寛容の授業に出席したあと、 バスに乗って帰る。買物をしてから下宿へ。

テレビでニュースを見ながら英語の添削。

夜2

夕ごはん。鮭、ブロッコリ、その他。

机に向かっている時間…8.25hr
今日の勉強時間…7.75hr
マルクス係数…0


07/Nov/2001 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中 (午前)

あれ、コタツでうとうととしているとまた一日が終わってしまった。 う〜ん、人生を無駄づかいしている。 セネカ先生に怒られないように勉強しよう。

『倫理学研究』に掲載予定の論文を見直していると、 繰り返しが多いし、文章も拙い。もっとわかりやすく、 おもしろく書けるはず。がんばれ。 って、こないだの9月末に書いたばかりだが。

そういえば、 学振の方もめでたく採用が内定したので、 今年の春ごろに書いた応募書類をウェブに上げておく。 参考にするなり、こきおろすなりしてください。

真夜中2 (午前)

そんなことを書くなんてあなたの人権を疑う

宮崎哲弥編著の『人権を疑え!』(洋泉社、2000年)を読んでいる。 この新書はおれが批判する人権思想を批判しているので喜ばしいかぎりなのだが、 内容的に怪しいものが多く、ときどき破りたくなる。

たとえば、某佐伯氏による「法哲学者のドゥオーキンは、 社会契約論の考えを使って基本的権利を導き出そうとする。 かれは財産権の絶対性を導き、市民的自由の哲学的な基礎を与えようとする」 という記述(28頁)。 ドゥオーキンが財産権の絶対性を説いたという話は聞いたことがない。 ノージックと混同しているのではないか。 (ドゥオーキンの権利論は平等な尊重と配慮を受ける権利を基礎にしており、 そこから派生する権利に関しては、絶対性を認めていないはず)

さらに、宮崎某と呉某は、 両方とも人権を自然や人間本性によって基礎づけることを嘲笑 (「本質主義的誤謬」70頁)し、 人権というのはローカルな人為的取り決めに過ぎないと論じているにもかかわらず、 その一方で、「人間らしい暮らしをしたい」という「人類共通の本性」 から自然法が導き出せるかもしれない(92頁)とか、 「人間が誰でも本来持っている復讐権を国家権力は何故奪ったのか」(119頁) などと、明らかに矛盾する発言をしている。 片岡某も、法の裏付けのあるものだけが本物の権利だとして人権(自然権)を 否定しながらも、「反乱を起こす権利を留保したい」と述べている(190頁)。 なんなんだいったい。

真夜中3 (午前)

キムチと納豆でご飯を食べる。

Windows 2000の方がメモリの管理がずいぶんいいようだ。

早朝

『ムトゥ 踊るマハラジャ』

をビデオで観る。ちょっと古いダンスあり、 香港ばりのカンフーあり、裏切りと改心ありの一大叙事詩。 豪傑のヒーロー、美人のヒロインで見せる。 まあたまにはこういう映画もよい。B-。

つかれた。寝よう。

ASEANプラス3(日中韓)による東アジア共同体はありえるんだろうか。 おもしろい話だ。

夕方

昼下がりに起きる。

キムチ雑炊を作ってみる。なかなかいける。

クリーニング屋に預けておいたスーツを取りに行ったあと、 河原ですこしギターの練習。

そういえば、ベルギーでも安楽死法が通過したようだ。


07/Nov/2000 (Tuesday/mardi/Dienstag)

法哲学の授業

「ラズとハート」についてというテーマで議論が始まったが、 法と道徳の話に終始していた気がする。 ラズの勉強をあまりしていかなかったので口を挟めず。 要反省。

学生の一人が、 「裁判官がhard cases(判決が難しい事例)で行なっていることが 道徳の領域に入ろうと、法の領域に入ろうと、 そんなことどっちでもいいじゃないの」 と主張していたが、 先生も困っていたようだ (最終的に「そういうこと考えるのって楽しいじゃないの」と答えていた気がする…)。 たしかにこの争点(judicial discretionをめぐるドゥオーキンとハートの議論)は、 どういう実践的含意があるのかよくわからない。

法哲学が難しい理由

図書館の書庫でふと手にした本がおもしろいので読みふけってしまう。 J.G. Riddallという人のJurisprudenceという本。 法学部生向けの法哲学の入門書で、 第一章はなぜ法哲学が法学部生に嫌われるのかを説明している。 用いられている言葉が難解だとか、 問いに対する明確な答えがないとかいろいろ理由が挙げられているが、 とりわけ次の理由が現実味があっておもしろい。

法について書くとき、 著者はこれまでに誰も思いつかなかったような考えを生み出す必要はない。 そこでたとえば、上で述べた、あたりをうろつく権利(right to roam: たぶん法の専門語があるんだろうけど、知らない) に関連する問いについて書く場合は、 判例を徹底的に調べて法の現状についての結論を引出しさえすれば、 それで十分である。 しかし、法哲学においては、何か新しいことを言うことが理想である。 ときおりこの理想は現実化されることがある。 その事例は本書で後に述べられるが、 たとえばハート教授の法体系の考え方や、 ロールズ教授の正義の本質について考え方がそうである。 けれども、独創的な考えは簡単には生まれないし、 まためったに生まれないものである。 しかし、法哲学で食っている人間は --少なくとも昇進する機会を得るためには--論文を書く必要がある。 そこでどういうことが起きるかというと、 ある学者(A氏)は、たとえば正義について独創的な考えを持っていないとしても、 誰か他の人物が正義について述べた見解については独創的な考え(たいがいは批判) を持っていることがありうる。 そこでA氏は、たとえばロールズによって表明された正義概念について、 彼がその欠点と考えるものを指摘した論文を書く。 次にB氏が登場する。 彼は正義についても、ロールズの正義概念についても、 独創的な考えを持ちあわせていない。 けれども彼はA氏の見解に欠点を見つけだす。 そこで彼はA氏の見解の欠点を指摘した論文を書く。 次にC氏が登場する…。

そこで、法学部生が論文を読み始めると、 彼は自分が勉強するつもりの思想家の思想からは 自分が何歩か離れていることに気付く。 たとえば、ジョン・ステュワート・ミルについてのチュートリアルの準備を しているとき、彼が読んでいるのは、 ミルの自由概念をバーリンが分析したものについての マクロスキーの見解を論じたサメックの論文であるかもしれない。 あるいは、 道徳の強制についてのミルの見解に異論を唱えたデヴリンに対するドゥオーキンの 態度についてのサルトリウスのコメントかもしれない。 または、 デヴリンによって提出された反論に答えしかもドゥオーキンとハートによって 提出された論点に含まれる難点を避けるためにミルの議論を サルトリウスが再定式化したものについてのレイノルドの見解かもしれない。

(J.G. Riddall, Jurisprudence, Butterworths, 1991, pp. 6-7)

米国大統領選挙

もう数時間もすれば結果が出るようだ。 今日はインディペンデントを買ってみたが、 この新聞もゴア(民主党)を支持している。

共同の洗面所に行くと、 歯を磨いている中国人の友人 --彼はいつも狂産党の悪口を言っている-- に会ったので、「中国にも民主党はあるのかね」 と聞いたら吹き出していた。

(しかし彼によると実際に「民主主義党」というのが存在するらしい。 ただし、これは違法の政党で、党員のほとんどは獄中にいるとか)


11/07/99 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中

勉強中。Amazon.comで本を注文してみた。初体験。 一冊しか頼まなかったので、 郵送費が高くついてるのかもしれない。 ついでに古本のサーチも頼んでみる。


う〜ん。歌謡日までもうほとんどない。 今日午後からの加藤・山折対談にはいけそうにない。 すいません。

オーストラリアは共和制になれなかったようだ。 立憲君主制(イギリス女王が元首)をやめて共和制に移行するか どうかを国民投票で決めたらしいが、 だめだったらしい。


あ、そうか。あまり歴史的な読みには関心がないんだけど、 ベンタム前後の時代に使われていた「共通善common good」という言葉は、 イギリス本国が植民地に対して税金などを課すときの正当化根拠として 利用されたのか。邪悪な言葉だったんだな。

18世紀英国の政治思想は、革命後の社会の状況を反映していた。 18世紀前半には、 1688年の革命とその二つの産物--新しい政権と新しい英国国家-- を正当化する必要性が、政治的議論の枠組みを形成した。 18世紀後半には、 帝国内で増加する摩擦と宗教的寛容の範囲を広げよという新たな要求が 新しいテーマと新しい力点をもたらした。 植民地の反乱とフランス革命が一緒になり、 1688年の(革命を正当化するために用いられた) 概念(を表わす)言語の有用性に対するもっとも厳しい挑戦を突きつけることになる。

初期近代ヨーロッパにおいてはまだ主権者と主権との区別がなされており、 また抽象的なものよりも人に対しての方が忠誠心を生み出すの容易だった (そして今日でもそうである)ので、 変則的な王権の継承によって服従の基礎が損なわれてしまった。 ジェームズ二世が亡命しウィリアムとメアリが王位を受け継いだことにより、 しっかりとした忠誠心を再び確立すること --これは以前にはイングランドで チャールズ1世が処刑され共和制が創設されたとき(1649年)に生じた問題である-- が主な政治的急務になった。 革命直後の時期に、革命の擁護者と反対者は抵抗の正当性、 王位継承の合法性、議会の権限、王の権利といった問いを議論した。 必須とされる忠誠の誓いを一部の小さいが声の大きい人々が 行なおうとしなかったことは、合意の不在を示している。 英国国教会の精神的および世俗的役割を強硬に擁護する者 --いわゆる高教会派--は、王の神権が議会によって踏みつけにされることは ありえないと論じた。 王に抵抗する権利さえ、 《主権者の権力は共通善を確保する彼の義務に由来する》 という根拠によって支持された。 すなわち、彼がその義務を果たせなかった場合に、 その権力が失なわれる、というわけである。 18世紀が進むにつれ[う、変な日本語だな]、 「革命原理」の基礎であったこの主張は、 権力を持っていない人々によって、 権力を握っていたウィグ党の人々に対して向けられることになった。 権力を持っていない人々に含まれていたのは、 単に不満を持ったあるいは排除された政治家だけでなく、 より少数であるが、 1690年代の早くから支配者層あるいは「ジュント」と袂を分かった著作家たちもおり、 この著作家たちは近代ウィグ主義はどうしようもない欠点を持つと考えていた。 これらの人々は、ミルトンやハリントンの「古き良き大義」を掲げていたので、 「真の」ウィグとか「共和国人」とか呼ばれていた。 かつてはあからさまな暴政が公共の善に対して専制による脅威をなしていたのに対し、 今や公共善は議会の腐敗というコソコソした行為によって脅かされていると 彼らは考えた。

政府の支持者と反対者はそれぞれ自分たちの方が愛国的だと主張した。 言い換えれば、 自分たちの方が共同体の幸福のことをしっかり考えていると主張した。 この国内での議論は国際的な問題の結果、その形が変わった。 英国の帝国の統治は、18世紀の中葉になるまでは 腐敗とか愛国心の議論にかかわることはほとんどなかった。 潜在的な問題について警告した数少ない著作家たちでさえ、 国家と帝国の政治を別物だと考える傾向にあった。

七年戦争(1756年-1763年)がすべてを変えた。 帝国の状態の議論は、 商業的価値を大きくする手段に焦点を合わせる傾向にあった。 しかし、カナダとインドが加わることにより、 帝国の統治者は今や、 それとは異なる問いを投げかける物理的な現実に対処しなければならなかった。 基本的に、 商業的帝国(の各属国)は財政的に自足し、 母国への輸出によって自国の入用を賄うことが期待された。 けれども、領土的帝国は、 より巨大でそれゆえより費用のかかる行政および軍事制度を必要とすることを 置いておくにせよ、 あまりに巨大で、利益の上がるような経済的関係を築くことはできなかった。 それゆえ、英国は、1763年に、 こうした費用のいくらかを支払うために、 植民地税を導入することにしたのである。 これに続く植民地税の議論は、 はじめは帝国の主権の所在についての議論と考えられていたが、 まもなく大英帝国の議会、特に下院の至上性を正当化していた《代表》 という基本的な考えに挑戦するという様相を呈したのである。 自分たちの大義を演説や説教やパンフレットで表明した 「アメリカの友人」たちは、 《ちゃんとした代表制度がない》という ヴァージニアやニューヨークの住人の不満は、 (本国の)マンチェスターやリバプールの住人たちが持つのと 同じくらい正当な不満であることを直ちに見抜いた。 といっても、政府やその支持者はまさにこの(本国人に対する)不正を 《植民地人だけが不当な扱いを受けているわけではない》しるしとして 指摘していたのだが。 基本的に、18世紀の第三の四半世紀に生じた帝国の危機によって明らかになったのは、 大西洋帝国は単一の共同体ではなく、 それゆえ単一の共通「善」を持ちえないということであった。 革命だけでなく個々の政策も絶えず、またおそらくは不可避的に 共通善への訴えかけによって正当化されていたのだから、 この恐るべき植民地の主張は、 帝国の行政だけでなく18世紀の英国国家の基礎自体に問いを投げかけるものであった。

《個々人は彼らの具体的な「共通」善を代表者を選ぶことによって決める》 という議論は、 議会を運営するのに用いられていた当時の慣習と根本的に衝突していた。 財産資格の存在によって選挙民の大きさと性格が制限されていた。 borough chaters(都市の特権? 選挙区のこと?)の法的操作と、 役人あるいは政府に依存しているものを当選確実な選挙区に送りこむことにより、 議会の成員は与党が認める人々に限定された。 この選挙操作をどうにかせよという要求は、 改革を17世紀の内戦と同一視することによって阻止された。

Joseph Priestley, Political Writings, Peter N. Miller ed., Cambridge UP, 1993, pp. xi-xiv.

あ。あかん、こんなことやってたら朝になる。


夜明け前

夜半3時半ごろ、小さな地震があった。震央は福井県沖。 京都の震度は2から3。研究室も揺れました。


早朝

発表原稿、できつつあるような、ないような…。

新しいことを言うのは難しいものだ。 権威のある思想家と同じことを言うのなら、 たいした心理的圧力はないが、 それと反対のことを言う場合は、 「ぜんぜん的はずれのことを言ってるんちゃうか」 とか 「なんか大きな前提を忘れてるんとちゃうか」 とかいう心配と戦う必要がでてくる。

そのような心配を打ち消す方法は、 論理的思考が得意な人なら、 理詰めで考えればよい。 そうでない、直観型の人なら、 他人に相談して誤りを訂正してもらえばよい。

おれはどう考えても後者だな。

あ。もう一つ方法があった。 自分より先に本を書いているやつはみんな馬鹿だと考え、 批判されるのは当然だとみなすこと。 特に日本人の研究者が書いた本は信用しないこと :-) いや、これじゃだめだ。 外国語で書かれているからといって、 ありがたく押しいただかないこと。


ハートと深田三徳は功利主義と自然権論の決定的な違いを 「総和最大化」と「配分的正義」に見ている。 しかし、ベンタムがこの論点を見いだしていたかというと、 どうもそのようには思われない。 では、ベンタムが自然権論に見た重大な欠点とは何だったのか。 (つづく)

論文を書くときはたくさん勉強するから賢くなった気になるなあ。 歯。歯歯。歯歯歯歯歯。


朝、喫茶店がどこも開いてないので、 某所にて朝食。鮭定食。450円。なかなかよい。

下宿に戻る。 Brandtも功利性と権利について何か言ってるようだが、 よくわからない。もっとわかりやすく書いてくれ。

お昼前から夕方まで寝る。起きてシャワー。 ちょっとギターの練習をしてスタジオへ。 途中、某所にてMD*5を購入。800円ちょい。

今年のNFでは1曲しか歌わないのだが、 最近は歌の練習をしていないのですぐに声が出なくなる。 これではだめだ。

練習のあと、みんなで某所へ。海鮮丼。880円。いま一つ。

研究室に来たがとても眠い。寝てる場合ではないのだが。


今日やったこと


11/07/98(Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

勉強。


今日、標語県は某硬軟大学で関倫があった。 院生は『実践哲学研究』の販売の手伝いをしに行かなくてはならないので、 夜明け前から下宿で数時間寝た後、早朝に起き出し、 ヒゲだけ剃って待ち合わせ場所の某阪急河原町駅へ。 もちろん自転車で。 行くと皆スーツで来ていた。普段着はおれだけ。ううむ。 だってスーツないんだもん。しくしくしく。

某阪急河原町駅から特急に乗り、 十三で神戸線に乗り換え、さらに特急で岡本駅へ。 そこから歩くこと約10分。某硬軟大学に無事到着。 ところで硬軟大学って、 今日の今日までなぜか女子大だと思っていた。 なぜなんだろう? 先入見? 誤った生得観念?

それから延々と夕方まで『実践哲学研究』の販売を手伝う。 おれは押しが弱いので、営業には向いていない。 ほとんど役に立たなかった。 交代して時間の空いているときは、修論の勉強をしたり、 フロアーの片隅で椅子を並べて寝たり。役立たず。邪魔。

某大谷の方以外にも、某君を大変気に入った某先生や、 某先生、それに、某先生、某さん、 他にも、某さん、某さん、 某助教授などを見かける。 (これじゃなんのことだかわからんな)

ようやく夕方になって片付けをして、 おれと某君と某君は先に失礼した。 残りのみんなは懇親会に出たようだ。 某先生のご好意で、 うちの院生は参加費無料になったらしい。

帰りの電車では、某君とは梅田で別れたので、 某君と映画の話をして過ごす。彼は映画通だ。 そして某君とも河原町で別れ、自転車で大学へ。

関倫は明日もある。しんどい。


11/07/97(Friday/vendredi/Freitag)

・昼下がり・

・むむ。寝すぎた。まあ、ちょっと疲れていた、ということで 割り切ろう。

・今日は授業が休講のために一つも無いので、読書会の準備などに勤しむこと にする。


・夕方・

・ベンタム読書会の予習。


・夜・

・ベンタム読書会。

ところで、デカルトもロックも、「自分以外のものが存在するか どうかは疑うことはできるが、自分が存在することだけは直観的に明らかだ」っ て言うけど、ほんとにぼく(=自己)は存在するのかなあ。

・たしかに、太陽や火星は存在しないかも知れない。それどころか、お○だく んや3級ももしかしたらぼくの空想でしかなくて、存在しないのかも知れない。 (とりわけ、今直接に会っていないこの瞬間においては、その疑いが強い。ぼ くと別れた瞬間に消滅しているのかも…)

・また、ぼくの手や足も、実際には存在してないのかも知れない。実は「ぼく」 は体を持たない一個の脳に過ぎず、(悪しき火星人が)その脳に突っ込んだ電極 から電気を流すことで、いろいろな感覚を与えられているのかも知れない。

・しかし、デカルトによると、たとえ肉体的な「ぼく」が存在していないとし ても、このように思考をしている精神的な「ぼく」が存在していることは疑い えない、らしい。

・なぜなら、そもそも「ぼく」が存在していなければ、「ぼく」が思考してい るなどということは有りえないから、らしい。言い換えると、「ぼく」が思考 している限りにおいて、「ぼく」は存在する、ということだ。

・上の文章の内容は、ご存知のようにデカルトによって「われ考える、故にわ れあり(cogito ergo sum. Je pense, donc je sui.)」という風に語られるわ けです。

・が、が、しかしですね、たしかに「「ぼく」が何かを考えているなら、少な くとも考えている間は「ぼく」は必ず存在するはずだ」っていう文章は正しい と思いますが、ほんとに「ぼく」は考えているのでしょうか?

・「ぼく」は考えている…たしかにそんな気がしますが、ここには疑いをさし はさむ余地はないんだろうか。

・たとえば、(悪しき)火星人がぼくの脳をいじくって、「現在「ぼく」は何か を考えている」という情報を送り込んでいるとするとどうでしょうか。

・もちろん、今の「ぼく」は、(悪しき)火星人のそのような行ないについてま た「考えている」わけですが、やっぱりその「考え」も火星人による情報だと したら?

・自分でもよくわからなくなったのでこの辺で止めますが、疑問なのは、 「「ぼく」は現在考えている」ということはほんっとに直観的に明らかなのか、 ということです。


・真夜中・

・しかし、「「ぼく」は現在何かを考えている」(A)という風に自己意識を言 語化・意識の対象化した瞬間に、また(A)に対する意識が新たに生じてるわけ で…あああ、わからんっ。

・いつもの通り、ベンタム読書会のまとめをする。いつもの通り、ずいぶん時 間がかかる。これでいいのかっ。

・「ベンタムばっかり勉強してて、お前はほんっとにそれでいいのかっ」と自 問して、ギターを少しピロピロと弾いてみる。わからん。


11/07/96

朝。昨日も一時間ぐらいしか寝てないんじゃないかと思う。しかしなぜか元気 である。もしかして寝なくていい体になりつつあるのでは。なんてことはない だろう。きっとしわ寄せが来るに違いない。来るに決まってます。

実践哲学研究の編集作業は大詰めを迎えている。大団円を迎えるかどうかは最 後の最後までわからない。こともないか。

ぼくはそろそろ喫茶店にでもよってからうちへ帰ろっと。あらら、そういえば 今回初めてこの部屋で二日連続泊まってしまったよ。

まだ朝。みんながいるにも関わらずぐーぐー寝てしまった。今ちょうど印刷所 の方がいらっしゃっている。なんとかハッピーエンドを迎えたかのように見え る。しかし最後の最後まで予断は決して許されないのである。ぼくはぐーぐー 寝てるが。

昼。まだいる。そろそろ帰らねば。白水氏、江口氏が「打ち上げ」ている。有 益な人生訓をいただく。


Satoshi KODAMA
email: satoshikodama-tky[at]umin.ac.jp
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Last modified: Sun Nov 27 16:45:24 JST 2016