`There is no such thing as the United Nations. There is only the international community, which can only be led by the only remaining superpower, which is the United States.'
---John Bolton, the US ambassador at the UN
他人も同じことを経験し、その経験の記録を残したということを知らないまま 人生を送るほど孤独なことはありません。 自分の私的な経験に思考の枠組を与え、また慰めになる考えを与えるために、 大人であれば誰でも、ヨブ、オルフェウス、キルケ、 ルツ、リア王、イエス、金の子牛、ホーリーグレイル、アンチゴネについて 考えることができる必要があります。
---Helen Vendler
問題のすべては自律的個人、市場経済、手続きとしての国家によって解決できる と考えるのが哲学的リベラルであり、より実質的な倫理的アイデンティティーと 民主的政策へのより能動的な参加とが健全な社会の存続には不可欠だと考えるのが 共同体主義者であるとすれば、確かに私たちは共同体主義者である。 しかし、「共同体主義」という言葉には、誤解を招くところがある。 家族、教会の信者、近隣といった顔見知りの集団だけが共同体であり、 国家、経済、その他今日の私たちの生活を大幅に支配している一切の大構造 に反対する者が共同体主義者であると、そう考える人もあるからだ。 しかし私たちが言おうとしているのは、経済や国家の大構造に市民がより大規模に 参加する必要があるということである。そうすることによってのみ、 私たちは現代の社会生活のますます深刻化する諸問題を克服することができる であろう。
ロバート・N・ベラー『善い社会 道徳的エコロジーの制度論』
President Bush and the secretary of state, Colin Powell, gave their own take yesterday. They blamed extremists bent on damaging democracy and western civilisation. Disturbingly, their views will likely wash with an audience whose grasp of international affairs is so dumbed down as to prevent them separating loaded representation from reality.
However, much as the attacks on civilian structures might suggest otherwise, democracy is not the intended target here, and neither is freedom. Inside America, the Trade Centre, the Pentagon, Camp David, and Capitol Hill are all seen as symbols of global US power and prestige, of the triumph of democracy. Outside, in the Muslim world, they are popularly regarded as symbols of terror and oppression.---Falsal Bodi, `Symbols of oppression',
in The Guardian, 12/Sep/2001."Russia was the head of the communist bloc. With the disintegration of Russia, communism withered away in eastern Europe. Similarly if the United States is beheaded, the Arab kingdoms will wither away. If Russia can be destroyed, the United States can also be beheaded. They are like little mice."
---Osama bin Laden, quoted in `A new breed of terror',
in The Guardian (G2), 12/Sep/2001.
定時起床。朝食、休刊日、娘とシャワー。肩のあたりが筋肉痛。
朝、娘を保育園に送ってから大学へ。午前中から昼下がりまで、 たまっていたメールの返事。今日も翻訳できず。
昼下がり、バスと地下鉄を乗り継いで某二条の映画館へ。 某妻とようやく『シン・ゴジラ』を観賞。4Dなんとかで、 水が顔にスプレーされて眼鏡が見えなくなるという恐ろしい観賞方法だった。 内容は途中までおもしろかったが、後半はあまり意外性がなくて 今ひとつだったような。しかしクオリティの高い映画だったと思う。
夕方、大学に戻って、自転車で某氏の某壮行会に参加。夜中まで。 がんばって勉強してきてください。
夜中、帰宅して娘とシャワー。先日買った小さいテレビでも(古い方の)AppleTVが 使えるようにしておいた。もう寝るべし。
昨晩は『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』を観てから寝た。感想はここ。
少し遅めに起床。シャワー、シリアル、朝刊。
午前中は研究室で某編集作業。お昼は中央購買部でサンドイッチなどを買って 研究室で。
お昼すぎ、某会議。昼下がり、別の某会議。夕方、某編集作業の続き。大雨と いうかスコール。
夜、集中講義に来ている某氏を囲んで百万遍で飲み会。楽しく真夜中まで飲む。 タクシーで帰宅。帰宅してシャワーを浴び、また某編集作業。終わらない。
定時起床。ゴミ出し、シャワー、朝食、朝刊。
午前中は娘を保育園に送り、しばらく本三駅前の喫茶店で仕事。出張する某妻 にWiMAXを貸したので、PHSで低速でネット接続。でもまあなんとか使えた。そ れから研究室で某校正作業。
お昼は集会室でおにぎり。そのあと、某会議に出席。時間を間違えており、少 し遅刻。
昼下がりは某翻訳の見直しやら某スライド作成やら。どれも中途半端にしか終 わらず。
夕方、某会議。そのあと、研究室でしばらく雑用をしてから娘を迎えに行く。
夜、娘と少し近くの公園まで散歩。蚊に刺される。それから洗濯物を取り込み、 某妻が作っておいてくれた夕食を娘に与え、自分もカレーを食べる。
夜中、娘とシャワー。それから一時間ぐらいかけて娘を寝かしつける。一人だ と本当に大変だな。これでさらに論文を書くとかは無理だ。そのあと、某先生 と少し電話。そろそろ寝よう。
定時起床。朝食。
午前中は、某先生と海の生物を見ながら研究相談。
お昼は中華街で食事。外で食べたら、食べ物がすぐに冷たくなる。
午後は、某先生と、旧市街地を歩きながら研究相談。 ハーバー・ブリッジも途中まで歩いてみる。
夕方、帰宅。夕食。娘が少し下痢気味で心配になる。
よく歩いたせいか、 夜に眠くてベッドに入ったら次の日まで起きられず。
朝、比較的早めに起きて、シャワー、シリアル、朝刊。
午前中、オンラインで某院生の研究相談。
お昼ごろに家を出て、本郷へ。 喫茶店で某校正作業。そのあと、少し遅めにカレー。
昼下がりに研究室に行き、まず寝袋。それからしばらく本の整理などの雑用。
夕方、白山の喫茶店に移動し、読書と某校正作業。 後悔先に立たずとか身から出た錆という言葉を実感を伴って思い出す。
夜、帰宅して夕食。仮眠する間もなく、某オンライン研究会。
真夜中、やっと一息付く。休日って何なんだろう…。 まあ、昨日は漫画喫茶行って、映画も観たし、今週もまたがんばるか。
朝、ゴミを出してから二度寝。シリアル、朝刊。
お昼ごろに家を出て、大学へ。途中、少し降られる。 購買部で弁当を買ってから研究室へ。雑用。
お昼すぎに某妻も来る。書籍部を素見しに行く。 そのあと、某校正のチェックなど。
夕方、留学が来まった某院生の相談に乗る。
一瞬寝袋。それからジムのプール。1キロほど。ひさしぶりなので疲れた。 杉山愛も34歳で引退したし、無理はしないようにしよう。 ジムの帰り、また雨に降られる。
これから少し功利主義アワー。
ほんの一瞬、功利主義アワーしたあと、大雨なので地下鉄で千石に戻り、 某讃岐うどん屋で夕食。いつもうまい。焼酎。
それにしても、みんな留学(在外研究)していてうらやましい。
泳いだせいか、眠い。
そういえば、医学部本部の前にある二本の木が、花を咲かせている。 おそらく「フクロミモクゲンジ(袋実木欒子)」という木のようだ。
先日録画した『エアポート ユナイテッド93』を、 賞味期限の切れたチータラを食べ、 新聞配達所にもらった発泡酒を飲みながら観る。 最後のあたり、何があったのかよくわからないところが不満だが、 全体的にはそれなり。C。
朝、ゴミ出しして二度寝。疲れている。シャワー、朝食。
お昼前に大学へ。お昼は某氏と魚定食。そのあと、喫茶店で相談。
昼下がり、某研究会の準備。夕方、某先生と1時間ほど相談。
夜、某研究会。ワインを飲みながら2時間ほど議論。勉強になる。
夜中、本三の某居酒屋で飲み会。日付が変わる前に帰宅。
今日のこと。
安倍首相の辞任はびっくりした。 なぜこの時期か、後継者は誰になるのか、など、疑問は尽きない。 株価が大幅に下がらないことを願う。
寝不足気味だが、定時出勤。小雨。
酔っぱらい。
午前中は某英語文献講読。お昼は某ランチョン・セミナー。 先日のNHKスペシャルの韓国クローンES胚捏造事件について。 今いち。もう少し黄教授の人格について掘り下げてほしかった。
お昼すぎ、同僚の某氏と学内にある某ドトールで相談。
昼下がり、某ミーティングと某院生の発表。遺伝子介入の是非について。 夕方、某テキストの相談。義務論。勉強になった。
夜、某出版社の某氏らと一緒に居酒屋で哲学談義。 ビールと焼酎二杯。酔っぱらう。
帰宅してちょっとだけ某翻訳。眠い。
今日のニュース
ひさしぶりに早起き。某スタバに行って新聞を読んでから大学に行こう。
自民大勝。212議席から296議席へ。公明は34議席から31議席へ。 民主は177議席から113議席へ。結果を見ると、 都市部の民主党の議席が、ごっそり自民党に流れた形だ。 自民党が勝つのはいいとしても、ここまで大勝すると、 二大政党制が根付かなくなる恐れがある。 民主党の党首は小沢さんになるんだろうか。
某スタバで新聞を読んでから大学へ。
お昼すぎ、雑用をしてから某所で蕎麦と鮭いくら丼。 それからもいろいろ雑用。
決めた。時間に余裕ができたら、 アメリカかイギリスにMPH(Master of Public Health)を取りに行くことにしよう。
夕方まで勉強。 某氏が来ていたので、同僚の某氏とコーヒーを飲んで少し歓談。
それから医図書に行き、頼んでいた論文のコピーを受けとる。 そのあとプール。 今日は3キロ泳いでみようと思い、ゆっくり泳ぐ。 1時間15分で3キロ。
購買部で買物をしてから某丼屋に行き、びんトロ丼大盛り。研究室に戻ってくる。
ジム・モリソンを少し聴きたくなるが、 あの雰囲気に浸される(というか侵されるというか)かと思うと、 ちょっと躊躇する。イギー・ポップのRaw Powerも聴きたいが、 やっぱり躊躇する。 ビーチ・ボーイズやラモーンズやトーキング・ヘッズまでならいいが、 エアロの古いのやヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「ヘ〜ロ〜イ〜ン」 やアリス・クーパーなんかはちょっと敬遠したくなるのはなぜか。
音楽的になんとかというのではなく、 やっぱりあの手の雰囲気に影響されると精神的に良くないと 思うからのような気がする。あるいは、 あの手の雰囲気に影響されていたころの精神状態が 蘇えるのが嫌なのかもしれない。 そのころのことを思い出したくないとか。
しかし、イギリスの音楽に関しては同じような感覚がないので、 なんというかアメリカのあの暗黒に引きずりこまれるような 暗い感じがやっぱりいやなのかもしれない。よくわからん。
公衆衛生の倫理の勉強。これまでに入手した文献の整理。 読んでも読んでも論文が減らない。
帰宅。
今日のニュース
朝までよく寝る(大学で)。 朝、某氏にちょっと指導をしてもらったあと、 大学病院内にある喫茶店で朝食。
戻ってきてからまた某用語集の勉強。ほんとはベンタムの勉強をすべきなのだが、 あと一息で終わりそうなので、今日中になんとかするか。
最近思うのだが、哲学畑の人(あるいは研究者一般)は、 かなり良心的に注を入れて原典を示すようにするのに対し、 実務家あがりの人は割とソースを示さず、 勝手に人の図表やアイディアを我が物顔で使っているように思える。 おそらく一般化のしすぎだろうが、思い出したのでメモ。
あ、というか、これの問題は、自分が引用したいときに、 当の実務家が最初に言ったのか、 あるいはさらに原典があるのか調べられないところだな。
あ、法律や指針を見ているとよく出てくる「フレキシブル・ディスク」 というのが気になっていたので調べてみたところ、 やはりフロッピーディスクと同じ意味だった。
いいかげん、geneとかgenomeとかの意味をきちんと 説明できるようにならなければならない。
夕方まで某用語集の勉強。あと少し。
夕方、ちょっと外でバドミントン。守衛に怒られて退散する。
夜、某氏らとピザを注文して食べる。
A life unexamined is not worth living. 胸に刻め。
うう、眠い。
いろいろあってまだ起きてる。が、もう寝るべし。
遅寝遅起き。郵便配達に起こされる。
が届く。郵送料込みで36ドル。
朝食(らしきもの)。パン、ヨーグルト、牛乳。 たまっていた食器も洗う。
今日は大学に行かないといけない。いろいろ勉強もしなければ。
ひさしぶりに脳死・臓器移植が行なわれるようだ (毎日)。 1997年10月に臓器移植法が施行されてからこれで24件目。
というわけで大学に来る。
ひさしぶりにNorah Jonesを聴くと、やはり良い。 そろそろ新しいアルバム作ってないのかな。 また、ひさしぶりにFresh Creamを聴くと、 これまたブッとんでいて良い。う〜ん、すごいなあ。
生協購買部に行くと、2時に閉まったようだ。
あ、ヘッドフォンが壊れた。 最近よく見かけるクリップタイプのやつなのだが、 右のスピーカーと左のスピーカーをつなげているヒモの中にある コードが切れかけているようだ。う〜ん、 一年間使ったようだし、 そろそろ寿命だったか。
勉強は捗らず。主に書類作成などで時間がつぶれる。
帰宅。夜、横浜駅のリトル・イタリーでピザ。 電車で戻ってきてから某スタバで一服し、 帰宅。暑い。眠い。
某仕事。あと少し。
首が痛い。今後も座業が続くわけだし、 どのように座れば一番肩や首が痛くならないかについては一度よく研究すべきだな。 猫のように丸くなってはいけない。
朝、不燃ゴミを出したあと、洗濯機をかけて二度寝してしまう。 起きてから洗濯物を干し、ヨーグルトを食べ、シャワー。
喫茶店に行き、まず某仕事を終わらせてしまおう。
某そば屋でとろろそば。
某仕事、ほぼ終わり。次は発表要旨を仕上げなければ。
夕方、駅前の区役所のそばの中華料理屋で食べる。水餃子その他。 ここもうまい(B-)。
食事の前に駅前で古本を買う。
たまっている新聞を少し読む。
世界銀行の
今年の白書に
よれば、持続可能な発展のためには(1)発展途上国は民主主義化を進め、
よい政府を作る、(2)先進国は発展途上国を債務免除や技術援助という形で助ける、
(3)市民団体は弱者の代弁をする、
(4)企業は環境への配慮をする必要がある。未解決の問題は、
(1)発展途上国が先進国の消費行動をモデルにしてよいのか、
(2)GM食品の普及を促進すべきか、
(3)知的財産権によって大企業の利益を守るべきなのか、
(4)世界的な移民の傾向をどうすべきか、だそうだ。
(「ヨハネスブルグ・サミットとその先を見据えて: 行動のためのアジェンダ」も参照。PDFファイル)
タマちゃんがまた南に引越したという話。 オレが京都に戻るころには鴨川まで引越してるかも。 いや、まったく別のアザラシの可能性もあるだろうけど。 アイデンティティが確認されるまで、「タマちゃん3号」と呼ぶべきかも。
ちょっとウトウトする。
逃避。たまりはじめていたメイルの返事を書く。
U2のベスト、アマゾンの宣伝メイルにつれられて注文してしまった。
年金を払うのを忘れている。明日払いに行くこと。
そういえば、スレイドが故郷にある大学から表彰を受けたとか (Honorary award for glam rockers)。 ただし、博士号ではないようだ。
机に向かっている時間…6.75hr
今日の勉強時間…4.25hr
マルクス係数…0
ようやく書きはじめた。現在2500語。起きたら今日は第一章を仕上げるつもり。
早起き。図書館に来て日本の新聞をネットで読む。 BBCはなかなかつながらない。ほとんどパンク状態のようだ。
これはもう宣戦布告なき戦争行為である。 アメリカの中枢が凄絶(せいぜつ)なテロ攻撃を受けた。 史上類を見ない空前の大量殺戮(さつりく)テロに激しい怒りを覚える。 断じて許せない蛮行だ。
9月12日付・読売社説(1)([米同時テロ]「絶対に許せない犯罪行為だ」 )
米国では「真珠湾以来の米国に対する挑戦だ」と報道されているようだが、 日本ではそのことは報じられていないのだろうか。 上の記述はなんとなく気まずい感じがするのだが。
アメリカは冷戦後の唯一の超大国として世界の平和維持に 中核的な役割を果たしている。 そのアメリカを標的にしたテロは、 国際社会への重大な挑戦だ。[…]
ビルが倒壊する瞬間の映像は、アメリカ国民だけでなく、 全世界に強い衝撃を与えた。いかなる理由があろうとも、 こうした行為は正当化できない。[…]
日本を含め、全世界が犯罪集団を厳しく追い詰めることがまず重要だ。 テロからは何ももたらされないことを、彼らに知らせなくてはならない。
同上
また、この事件の全体像を捉えるためには、 なぜ「正義の国」米国が狙われたのか、 原因をよく考える必要がある。 テロリズムを正当化するつもりは毛頭ないが、 テロリストから言わせれば、 今回の攻撃は巨大な軍事大国である米国に「報復」するための 非常に効率的な手段だったのだろう。
今回の事件は恐しく残虐だが、だからといって米国を一方的な 被害者として捉えるのは、広島に原爆が落されたからといって 日本を戦争の一方的な被害者として考えたり、 真珠湾攻撃があったからといって米国を一方的な被害者として 捉えるのと同じくらい短絡的な見方であろう。
(とはいえ、ブレア首相などは、「民主主義に対する悪の挑戦」 とマニ教徒かゾロアスター教徒のような意見を述べていたが。 しかし政治家としてはそう言わざるを得ないのだろう)
あ、訂正。新聞を読んでいて気づいたが、 キャンプ・デーヴィッドはメリーランドにあるらしい。
お昼に学生生協に行ったらすでに新聞が完全に売り切れていたので、 近くの本屋でガーディアンを買う。 社説は「非道なテロ行為、しかし米国は冷静に対処すべきだ」 という穏当な意見だが、 その他の主張(comment)は米国の中東政策の再考を求めるものが多い。 たとえばFalsal Bodi, `Symbols of oppression', George Galloway, `Reaping the whirlwind', both in The Guardian, 12/Sep/2001などを参照。
記載なし。
…12日。ら〜ら〜ら〜。まだ1行も書いてないなんて、恐くて誰にも言えない。
悪魔の誘いに誘惑されて、 某所で行なわれたオフ会の二次会に出席してしまった。 行ったら行ったで、 某師匠に「こんなことしてて発表大丈夫なん?」 などと脅かされ、冷汗をたらす。鬼。悪魔。
あ〜、書きます書きます。たった今から人類の第一歩を踏み出します。
書き出しました。現在600字前後。原稿用紙1枚半を超えようとしています。 さあ、どうなるどうなる。がんばれこだまっ。
そろそろ1000文字の大台に乗ろうとしていますっ。 10000字とすれば、あとたったの10分の9ですっ。 がんばれ、がんばれこだまっ。
2121字! あと5分の4! 2.5分の2! 1.25分の1! てことは、あと1で終わりだ! あと1! あと1!
(いやはや、数字の魔術って恐いっすね…)
2680字。う〜ん、疲れてきたので、 ただでさえ愚鈍な頭がますます回らなくなってきた。 ちょっと寝よう。
え〜と、今7時前ですが、12時には必ず復活します。宣言。
あ〜、だめでした、宣言撤回。お昼過ぎまで寝てました。
現在約3000字。
うしろを振り向かずにどんどん書こう。 一貫性なんか気にしちゃだめだ。 とにかく書くのだ。書けばいいのだ。 書きさえすればなんとかなるのだ。 書きながら考えるのだ。考えながら書くのだ。 いや、考えなくてもいいから書くのだ。 書いてから考えればいいのだ。 とにかく書け。まず書け。書け。 一息ついてないで書けったら。
う、ゴホゲヘ。ゴホゲーゴホセンに行ってしまったゴホ。ゲホゲホ。 ついでに某所で遅い昼食を食べてくる。ガーリックライス。ゲホ。
夕方、バンドの練習。久しぶりに曲を作ったので3曲ほど持っていくが、 1曲ヒット、1曲ボツ、1曲今後に期待。ぐすん、せっかく作ったのに。
さて、精神的には沈滞しつつあるが、やらねばやられる。やらねば。
さて、『はじめの一歩』第25巻も読んだし、やるかあ。
だめ。ぜんぜん進まなくなった。冷汗だらだら。 研究室にいると気が狂いそうになってきたので、 しばらく山に籠って勉強することにする。
う〜ん。月曜と火曜の二日でできるんかいな。 授業は両日ともサボるつもり。すいません。
今日やったこと
昨日は夕方にルネ(京大西部の生協)でキムチ冷麺などを食べたあと、 某古本屋に寄ってから (ハヤカワ文庫がごっそり始末されていた!--チェーンの他の店に移動したのだろうか)、 下宿へ戻った。
残ってたごはんをお茶漬けにして食べた後、 一旦寝ようと思って床に就いたのだが、 ウインダムの『さなぎ』を読み始めたら止まらなくなってしまい、 結局真夜中まで起きていた。
明け方に目が覚めて、朝までかかって『さなぎ』を読み終えた。傑作。 ウインダムはこれまで読んだ作品のどれもかなり良く書けている。
それからまたお昼すぎまで寝てしまう。 ビジネス英会話を聴きつつそうめんを食べてから、研究室へ。
ベンタムの勉強を少し。あ〜、修論修論。 ちょっと某研究室に御邪魔する。
ベンタムの勉強。うう。修論。
ああ、いろいろな〆切が迫ってくる。恐いよ〜。恐いよ〜。
・寝過ぎた。今日こそは夏休みの宿題をせねば。
・さて、
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
という言葉は、ぼくの大変好きな言葉の一つである。とある国語辞典を引くと、 「(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)小人物は大人物の 大志をさとることができないということのたとえ」とある。
・確かに、この言葉が含意するところには、ちょっと愚民思想というか、エリー ト思想のきらいがないでもない。
・しかし、「就職もせずに大学院になんぞ残りおって。ここ、このごく潰し がっ。おまえは社会の寄生虫じゃっ」などと近視眼的な利益ばかりを考える人々 の「一見もっともらしい」批判をやり過ごすのには適切な表現だと思っている。
・ただし、そういった批判が当たってしまわないように、つまりほんとに単な る社会の寄生虫になってしまわないように、しっかり勉強して、(少なくとも ある程度は)社会に貢献する必要があるとは思うが。
(長野県かどこかに悩める大学院生がいるようなので)
・ところで、ぼくなんか某母親に「あんたは知識ばっかり身に付けて知恵は全 然身に付いてない」としょっちゅう言われています。
・その度に(こんにゃろ、首をしめてやろうか)とふるえつつ思うんですが、某 母親の言う「知恵」とは結局「金の儲け方、処世術」のことなので、まあ「知 恵」をそのように定義してしまえば、養われている身分としてはくやしいなが ら何も言い返せません。
・そこで仕方なく、(へーん。知恵っていうのは「真実を悟り、物の本性を理 解する能力、または知識を正しく使用できる実践的な英知」の事を言うのであっ て、単なる「金儲けの仕方」を言うんじゃないんだよー)って思っています。
・まあ今は伏竜の時期、成虫になる前のさなぎの時期だと思って、その手の批 判をされてもおとなしく聞いておいて、せっせと自分を磨くのが最良の策では ないでしょうか。
・世代間倫理の勉強。これから夏休みの宿題に取り掛かる。はず。
・先ほど、「セントー」なるものに 行って来た。
・わが愛する読者の中には「セントー」を知らない人々もいると思うので、ま ず「セントー」の概念から述べねばなるまい。
・まず、「セントー」はフロ科セントー属に分類され、日本全域で広く観察さ れる。そして、上で「行って来た」と述べたように、「セントー」はある特定 の場所である。
・また、フロ科にはセントー属の他に、フロ属、シャワー属などもある。オン セン属がセントー属と明晰判別に区分されうるかは、長い間議論の的となって いて、現在も定説はない。ただし、わたしはオンセンとセントーは明確に区別 できると思っている。また、フロとシャワーはお互いに独立した概念であるこ とにも注意しなくてはならない。というのも、確かにフロにはシャワーが付い ていることがしばしば観察されるが、われわれはシャワーの付いていないフロ というものを容易に想像できるからである。
・さて、それでは「セントー」について詳しく見てみよう。
・「セントー」は漢字では「銭湯、洗湯」などと書かれるが、これは多くの複 合観念および単純観念によって構成される、一つの複合観念である。
・この複合観念を構成する複合観念の主なものを上げると、「番台」「脱衣場」 「風呂場」などである。
・「番台」を構成する単純観念は、「番台のおばさん、あるいは番台のおじさ ん」「貸しタオル」「石鹸(売り物)」「シャンプー(売り物)」「リンス(売り 物)」「入浴料」などである。また、この「番台」の観念には「下駄箱」「男 湯の入口」「女湯の入口」の単純観念が密接に結びついている。
・「脱衣場」を構成する単純観念は、「ロッカー」「比較的大きな鏡」「体重 計」「トイレ」「電動アンマ付イス」「洗面所」「テレビ」「有料ドライヤー」 「扇風機」「柱時計」「雑誌」「自販機」などがある。偶然的な単純観念とし ては、「雑誌を読みながらいつまでも長居をする中年」が挙げられる。
・「風呂場」を構成する単純観念は、「バスタブ」「シャワー(ただしこれは シャワー属ではなく、セントー属シャワー種に分類される単純観念である)」 「お湯の出る蛇口」「水の出る蛇口」「イス」「風呂オケ」「サウナ」「比較 的小さな鏡」などである。以上の単純観念は、「サウナ」を除けば、複数個あ ることが多い。また、偶然的な単純観念として、「壁に描かれた富士山の絵」 が挙げられる。
・ここまでで「セントー」の概念が明瞭に把握されたと思う。紙面の都合で 「セントー」の歴史が述べられないが、これはまたの機会に譲ろう。
・それでは次に、視点を変えて、わたしがどのように「セントー」に行き、無 事に帰って来たかを簡潔に述べよう。
・まず、わたしは「風呂オケ」に「石鹸」「シャンプー」「リンス」「比較的 小さなタオル」「比較的大きなタオル(バスタオル)」「財布」を持って「セン トー」に向かった。このときのわたしは、「セントー」に入ってしまった後に 「洗顔剤」を持って来るのを忘れて後悔するなどとは、まだ夢にも思っていな い。
・「セントー」の入口を開けると、「下駄箱」があるので、そこに「クツ」を 入れる。ふと上を見上げると、高くなった「番台」から「番台のおばさん」が わたしを見下ろしている。わたしは恐怖に駆られて、ポケットから財布を取り 出す。
・「番台のおばさん」の横に、入浴料の一覧表が書いてある。「大人320円、 中人--円、小人--円」。なるほど、これで人間には6種類いることがわかる。 列挙すると、ダイジン(男)、ダイジン(女)、チュウジン(男)、チュウジン(女)、 ショウジン(男)、ショウジン(女)である。わたしはどうやらダイジン(男)に分 類されるようなので、320円払って男湯の方へ入る。
・扉を開けて「脱衣場」に入ると、偶然にも「雑誌を読みながらいつまでも長 居をする中年」を観察する機会に恵まれる。ここで人は身に付けた装備を「ロッ カー」にしまって、「風呂場」へと進むことになっている(追記)。
・ここで、装備を全て外すと無防備になって危ないのではないか、と疑問に思 う方もいるだろう。その通りである。「セントー」に行くのは非常に危険であ るので、かなりの覚悟か、あるいは人生に対する諦念がなくてはここに行くの は容易でない。「セントー」に行く人が老人であることが多いという事実も、 ここ(人生に対する諦念)に求められよう。
・さて、わたしはというと、「セントー」に行くのは久しぶりなので恥ずかし いやら勝手がわからないやらで、「ロッカー」の鍵をかけずに「風呂場」に行っ てあわてて戻って来たり、「風呂場」にメガネを掛けたまま入ったりと、いろ いろ恥ずかしい思いをした。
・「風呂場」でわたしが何をしたかは、ここに書くのはいささか憚れるので省 略する事にしよう。
・「バスタブ」には「ミドリのフロ(泡が出ている)」「電気のフロ」「水のフ ロ」「お湯のフロ」「たつまきエステのフロ(これも泡が出ている)」などがあっ てなかなか楽しめる。
・時間が早かったので、数人の入浴客(全員「ダイジン」と思われる)しかいず、 ゆっくりと「バスタブ」に入ることができた。「男湯」は静かであったが、隣 の「女湯」はやかましかったことは特筆されよう。
・「風呂場」を出ると、「風呂場」と「脱衣場」が接するところに「洗面所」 があるのだが、どうやらそこで身体を拭いてから「脱衣場」の残りの部分へ行 くのが一般的な慣習のようである。しかし、わたしはすでに「風呂場」から出 てしまった後に、その慣習を観察事実から帰納的に推察したため、自分自身は ぼたぼたと水を垂らしながらロッカーの前で身体を拭いてしまった。
・その後、わたしはそそくさと「風呂場」を出て、「番台」の脇を通り抜け 「下駄箱」の靴を取り出して履き、無事「セントー」を脱出した。
・以上が「セントー」の概念と、わたしの「セントー」体験記である。何か意 見・反論がある方はメイルを送って欲しい。