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ロック曰くっ、(その3)

John Locke, An Essay concerning Human Understanding


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第二巻第二十章
快楽と苦痛の様々な形態modeについて

1. 快楽と苦痛は単純観念っ

単純観念っていうのは、五感による感覚と心の働きについての反省ってい う二つの仕方で得られるのでした。

それで、そうやって得られる単純観念の中でも、快楽と苦痛はとりわけ重 要な単純観念なんです。

どうしてかって言うと、身体においては感覚は単にそれだけで生じるか、 または快楽や苦痛を伴うわけだけど、ちょうどそれと同じで、心が考えたり、 知覚したりするときもやっぱり、考えや知覚は単にそれだけで生じるか、また は快楽や苦痛を伴うからなんです。快楽と苦痛って言ってもいいし、喜び delightと苦しみtroubleって言ってもどっちでもいいんだけどね。

ところで、この快苦の観念は、他の単純観念と同じで、「かくかくしかじ かのものである」って説明することができません。それに、「快楽」とか「苦 痛」という名前を定義することもできません。快苦を知る方法はただ一つしか なくって、それは五感によって生み出される他の単純観念についても言えるこ となんだけど、経験によるしかありません。

っていうのも、仮に快と苦を「善goodや悪evilが存在すること」であるっ て定義したとするでしょ。けどその場合、この定義の仕方は、善と悪がいろい ろな仕方でぼくらの心に働きかけているときに、ええと、善と悪がさまざまな 仕方でぼくらに働きかけているときってのは、ぼくらがそれらについて考慮し てるときって言い換えてもいいんだけど、とにかくそのときに、「ぼくらが自 分自身の中で何を感じているかについて考えてみなさい」って説明するのと同 じことになるでしょ。

2. 善と悪とは何かっ

そこでさ、何かが善いとか悪いっていうのは、それが快や苦に対してどう いう関係を持っているかってことに他なりません。あれっ、「他なりません」 はちゃんとした日本語だっけ?

ぼくらが何かを善いって言うのは、それが自分の中に快楽を生み出してく れるとか増やしてくれるとか、もしくは苦痛を減らしてくれるとかしそうな場 合や、または、その善いものがあるおかげで、何か他の善を得たり保てたりで きるとか、他の悪を持たないで済んだりしそうな場合です。

それから、反対に、ぼくらが何かを悪いっていうのは、それが自分の中に 苦痛を生み出したり増加させたり、それとか快楽を減らしたりしそうな場合や、 または、その悪いものがあるせいで、他の悪を持つことになったり、他の善を 失ったりしそうな場合です。

あ、ぼくはこれまで快苦って言葉を使ってきたけど、これは体の快苦と心 の快苦の両方を指していると理解して下さいね。世間ではよくそういう風に区 別されてるでしょ。けど実際のところはさ、快苦っていうのは単に心の異なる 状態でしかなくって、この心の状態が時には体の変調で引き起こされたり、時 には心が抱く考えによって引き起こされたりするわけなんだよね。


・ロック君による快苦と善悪の定義です。って言っても快苦はロックによると 定義不可能で経験的にしか知ることのできないものですが。

・快苦を用いた善悪の定義はベンタムとほぼ同じと考えられます。ロック 君がベンタム君よりもずっと前にこんなこと言っているとはなかなか感心させ られます。もちろんベンタム君はロック君のこの一文を読んでるはずですが。

・しかし、ロック君もやはりムーア先生 に「君は自然的誤謬を犯しておるっ」って叱られるでしょうな。

・ついでに、ロック曰く(その2)も参照してお きましょう。


Satoshi Kodama
kodama@socio.kyoto-u.ac.jp
Last modified on 10/26/97
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