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第9章

道徳的?葛藤


★この物語は、純粋なフィクションです。 実在の人物、団体名等とは一切関係ありません。


今日から知恩寺で古本まつりがあるので、 朝からさっそく会場へ。 MDウォークマンでオーティス・レディングを聴きながら、 何か掘り出し物はないものかと物色していると、 突然、野太い声がオーティスの歌声をかき消して耳に届いた。

「おっ、こっ、こだま君やんけっ」

「わっ、リンリー教授じゃないですか」(と、ヘッドホンを外す)

「久しぶりやなあ」(といいつつ、本を漁っている)

「ほんとに久しぶりですねえ。 京都で下宿するようになってから阪急を使わなくなってしまったんで、 教授とはあまり会わなくなっちゃいましたね」

「元気にやっとんかいな」(といいつつ、本を漁る)

「ええ、元気です。今年修論の年なんで大変です」

「おお、そうかそうか。またベンタムか」

「ええ」

「まあ、ある程度できたらわしも見たるから、持ってきいや」 (といいつつ、本を漁る)

「あ、どうも。お願いします。 古本、何かお目あてのものはあるんですか?」

「いや、あれや。わし、最近ついに単著出してなあ」

「え。そうなんですか。おめでとうございます」

「よっしゃよっしゃ。君のとこにもそのうち送ったるから買わんでええからな。 それでやなあ、 わしの本をさっそく古本屋に売りに出してるふとどき者がおらんかどうか チェックしとんのや」(と、さらに本を漁る)

「あ。な、なるほど… (そういう動機で古本まつりに来る人もいるのか…)」

「本に名前でも書いとってみい、 わしが買いとってやなあ、 さらに『著者謹呈』て書いてからそいつんとこに郵送したる」

「うわ。そ、それは恐いですよ」

「ま、それよりやなあ、わしが登場した言うことは、 なんか君に悩みか問題かあるんとちゃうんかい」

「あ、いや…、実はそうなんですよ。 最近いろいろと悩みが多いんですけど、 ここ数日特に悩んでる話を聞いてくれますか?」

「聞いたる聞いたる。なんでも話してみい。恋愛沙汰か?」(といいつつ、本を漁る)


「いや、残念ながら恋愛問題ではなくってですね、 こういう問題なんですよ。 ええと、一応作り話として話しますので、 そのつもりで聞いてもらえますか?」

「おうおう。なんでも話してみい」

「あのですね、ほら、 大学の研究室にはいろいろな会社からの営業の人が物を売りに来るじゃないですか」

「ふんふん」(といいつつ、マンガのコーナーに行く)

「それで、最近、某会社の営業の女性が、某研究室によく出入りするんですよ」

「ふんふん。それは君んとこの研究室か?」

「いや、まあ、その。それは一応作り話ということで…」

「わかったわかった。それで?」

「いや、それでその某営業の人がですね、 最近自宅でコンピュータを買ったらしいんですよね」

「ふんふん」(といいつつ、しゃがみこんで少女マンガを漁る)

「それで、アプリケーション・ソフトを買うお金がもったいないっていうんで、 某研究室にあるソフトをコピーさせてくれって頼んできたんですよね」

(突然立ち上がって)「なっ、なんやてえっ。も、もいっぺんゆうてみいっ」

「ちょ、ちょっと。教授。声がおっきいですよ」

「おい、ちょ、ちょっと君、悪いけどわしに、 『教授は世界中で何が一番嫌いですか』って訊いてくれ」

「えっ? じゃあ、教授は世界中で何が一番嫌いなんですか?」

「よ、よう聞いてくれた。 わ、わしなあ、世界中で何が一番嫌いかって、 ソフトの不正コピーほど嫌いなもんはないんや」

「ま、まあまあ、その、落ち着いて話の続きを聞いてください」

「ふん。しゃあない。じゃあ聞いたろ。 それにしても、けっ、けしからん。 君、倫理学者やろっ。 そんなやつは大学立ち入り禁止にしてしまえっ」

「いや、まあ、とりあえずその件に関しては、 その人も不正コピーの問題についてあまり知らなかったらしくて、 その後某研究室の某助教授が優しく教え悟したみたいなんですよ。 それで、どうも本人も深く反省してるんだそうです」

「ふん。そうか。そんならまあ許してやろう」(再びしゃがみこむ)

「それでですね、その営業の人、 あきらめて普通にソフトを購入するかと思ったら、そうじゃなくて、 次に、アカデミックプライスというやつに目をつけたんですよね」

「アカデミックプライスで安く買おうちゅう魂胆か」

「そうなんですよ。けど、あれって、 購入するときに生協のカード見せないといけないでしょう」

「ふんふん」(と言いつつ、100円均一コーナーの方に向かって歩き出す)

「それで、その某営業の人、どうも僕に買ってきてもらいたいみたいなんですよね」

「あれ、この話は作り話とちゃうんか」

「あ。そうです。すいません、さっきのところ、 『』じゃなくて、 『僕に似た人物』にしといてください」

「ま、それでどうしたんや、その『君に似た人物』は」

「いや、どうしたらいいと思いますか? 僕なら、そういうことの片棒を担ぐのは、あまり気が進まないんですけど」

「わしならやらへんな」

「でしょう?」

「しかしやなあ、よう考えてみようや。 そしたら、もしその『君に似た人物』が頼みを断ったらどうなんねん。 功利主義者やったら帰結を考えなあかん。帰結を」 (と言いながら、100円均一コーナーの本を物色しだす)

「そうなんですよ。まさにそこが悩みになっていて。 僕、というか、『僕に似た人物』がそれを引き受けないと、 どうも知り合いの他の人物がやらされることになりそうなんですよ」

「ふ〜む。まあ、カントなら『そんなこと知ったこっちゃない、 自分さえ手を汚さなければオッケーや』って言うかもしれんけどな」

「だけどそういうわけにもいきませんから」

「そやろなあ。それにやなあ、考えてみい。もし君が断って、 その君の知り合いも断ったとしたら、結局その営業のやつは、 どっかからソフト借りてきて、不正にコピーすることになるんとちゃうんか」

「あ。なるほど。たしかにそれはありえそうな話ですね。 それじゃあ元の木阿弥ですね」

「そやろ? それやったら、そこらへんで手ぇ打っといたらどうや。 人間、同じものが安く手に入るって知ったら、 なかなか正規の値段で買う気にはならへんもんやからな」 (と言いつつ、100円均一コーナーで綿密に本を漁る)

「そうかあ。やっぱり『僕に似た人』が折れて、 その人の代わりにソフトを買いに行くのが一番良いんですかねえ。 あんまり気が進まないんですけど」

「わしやったらやらへんけどな。 もちろん、何か代償くれるんやったら別やけどな」

「またまた。そういう悪どいことを言う」

「あたりまえやないか。人間、ただで働く思っとったら大間違いやで。あっ」 (と、ひときわ大きな声で叫ぶ)

「え。ど、どうしたんですか」

「こ、これ、わしの本やないかっ」

「え、この、『倫理学の根本問題の基礎--入門篇その壱』 ですか?」

「し、しかも100円均一コーナーにっ。 わ、わ、わ、わしの本がなんで、ひゃ、ひゃっ、ひゃくっ、 100円均一コーナーにあんねんや。 ゅ、ゅ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆ、ゆるっっせんっ」 (怒りでわなわなとふるえ出す。 口からは泡がぼこぼこと吹き出している)

「ま、まあまあ。あの。その。そ、そしたら僕はこれで失礼しますので」


と、僕は教授に軽く頭を下げて足早にその場を立ち去った。 その後リンリー教授がどのような言動をなしたのか、 少なくとも僕は知らない。


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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Nov 1 21:43:49 JST 1998