back to index / back to Professor Rinry
昨夜バンドの連中と別れてから、家に帰るべく阪急河原町で特急に乗って 発車を待ちながら、とある文書を読んでいると、ぼくの座っている二人用のシー トのとなりにドッカと腰を下ろして来た人がいた。
「おう、こだまくん、久しぶりやなあっ」
と、大声で話しかけて来るのは誰あろう、リンリー教授である。土曜の夜 のざわざわとしていた車内が一瞬しんとなり、しばらくして皆が「身の危険はなさ そうだ」と理解すると何事もなかったかのように再び活気を取り戻す。
「あ、リンリー教授。御無沙汰しています。お元気でしたか」
「元気も元気、絶好調やがな」
「あれ、ちょっとやせたんじゃないですか」
「むふふふ。そうやろうそうやろう、最近ちょっとヒットネスクラブ行っとってな」
「え?あ、ああ、フィットネスクラブですか。へ〜」
リンリー教授は「フィ」を「ヒ」としか発音できないようである。いつか も教授「ヒヒテがなんたら」とか言っていて、いったい だれのことかと思ったら実は「フィヒテ」だった、ということがあった。
「君もこんな遅くまで、飲み会かなんかやったんか」
「ええ、バンドのメンバー達とちょっと。そういうリンリー教授も少しお 酒の臭いがしますね。どこかで飲んでいらしたんですか」
「むふふふ」
「え、なんですかその笑いは」
「むふふふ。合コンやってん。女子大生とOLと」
「えっ?女子大生とOLを、ごご、強姦っ?」
「あほかっ。合コンやがな。コンパやコンパ。人聞き悪いなぁ」
「あ、コンパですか。すいません」
女子大生とOLとコンパってあんた、中年の大学教授がそんなことして許さ れるんかいな、と突っこもうかと思ったが、自称「哲学青年」リンリー教授の 気分を損なうかもしれないと思い、すんでのところで思いとどまる。
「ん、君が手に持ってんのはなんや」
「あ、これですか、あのですね、話すと長くなるんですけど、ええと」
「ん、どれ見せてみい(と言ってプリントをひったくる)。なになに、『教養科目: 人間と倫理G「功利主義的人間」試験答案から』。なんやこれ」
「ええと、****大の倫理学のですね、去年の授業の前期試験の答案かなん かを先生が要約しはったものなんです。それでぼくがそれを****大のホームペー ジから取ってきてプリントアウトしたんです。ほらここに書いてあるでしょ、 『9月30日の試験では、自分なりに考えて印象深い答案を書いた人が多く、感 銘しました。ここにその一部を要約して紹介します。』って」
「ほお、おもしろそうやないか。****大の倫理学の先生って言ったら誰や」
「あの、この授業をしたのは******という助教授の方みたいですけど」
「ふーん。****大でも功利主義教えてんのか。殊勝なこっちゃ」
「いやそれが、なんとベンタムの演習なんかもやってるみたいなんですよ」
「おおっ、それはすごいな。君も授業受けに行った方がええんとちゃうか」
「そうですねー。なにしろうちの倫理学ときたら、演習は全部ドイツ系だから…」
「んで、学生はいったいどんなこと書いてんねん」
「いや、それがですね、みんななんだかわけのわからないことを書いてい て、全然理解不能なんですよ」
「どれどれ」