ハヤカワ文庫の初版は1973年だが、 その前に、雑誌連載(1964-65)のあと立風書房から1968年に出版された。
197X年、偶発水爆戦争により米中ソ三大国は壊滅した。
全世界を覆う惨憺たる状況の中、
被害を関東地方のみに限られた日本では、
国連の要請に従いアメリカ太平洋岸地帯への自衛隊派遣を決定する。
治安維持と戦災者の救援--名目はいかにあれ、
かつてアメリカに占領された日本が、
今度は逆にアメリカを占領することとなったのだ!
大阪、福岡、神戸、清水、仙台の各港から出帆した陸上自衛隊の精鋭八千は、
12日の航海の後カリフォルニア州ユーレカに上陸。
有色人種に対する根強い偏見と憎悪、
執拗な抵抗運動と戦いながら、
危険きわまる任務を開始した……。
ベテランが鮮烈に描く第三次世界大戦後の恐怖世界!
(扉から引用)
大国による核戦争後の世界を、 非常にリアルに書いている。 上記三大国およびヨーロッパ各国の主要都市は壊滅状態に陥り、 各国は無政府状態になっている。 そして、東京(と沖縄)以外ほとんど無傷であった日本においては、 それまで畏敬されていた白人種の男性は殺され、 女性は嬲りものにされる。 彼らをかくまう日本人たちも、リンチにあう。 しかし、警察はこれを黙認している。 さらに、 主人公の婚約者は、核戦争の直後の無秩序状態の最中に、 暴徒と化した若者たちに犯され、精神異常に陥る。 --ここらあたり、リアルというか、ペシミスティックというか、 残酷というか、えぐい展開になっている。 ま、おそらく実際にもこんな風になる気がするが。
主人公は、東京に落ちた水爆のために婚約者は死んだものと思いこみ、 自衛隊の一員としてアメリカに渡り、 カリフォルニアの秩序を回復する作業に専念する。 そしてそこで出会った娘--すでに同じ米国人によって凌辱された若い娘-- と愛し合うようになる。
最後に、半分白痴となった主人公の婚約者が、 カリフォルニアにいる自衛隊員を慰問するための「特殊婦人部隊」に参加し、 彼女の乗った船がカリフォルニアに到着する、 という場面で物語は終わる。 ちょっと尻切れトンボ気味。 この三角関係はどうなるんだろうか。
とにかく、素人のおれからすると、 戦争状態や軍の描写がリアルなので、 物語の展開に説得力がある。 ただし、主人公を含め、登場人物の性格が平凡で典型的だし、 主人公の戦争や恋愛に関する道徳的葛藤という面が掘り下げられていないのが不満。 要するに、状況の描写はリアルだが、 人物および性格の描写が不足していると思う。
しかし、無秩序な世界ではどれほど容易に道徳が失なわれてしまうのか、 ということについていろいろ考えさせられた。
どうなんだろう? 結局のところ、 法的なサンクション(強制力)がないと、 道徳的なサンクションも失なわれてしまい、 大勢の人間は本来の利己的な本性を発揮して、 本能のおもむくままに行動するようになるのだろうか。 法がないところでは、道徳など無きに等しいのだろうか。
ベンタムの時代には狂気のフランス革命があり、 おれなんかよりはずっとこうした無秩序に対する恐怖が 現実的に感じられていたのだろう。 だからこそベンタムは感情ではなく理性を強調し、 宗教的および道徳的サンクションをあてにせず、 法による支配を強調したのではなかったか。
…なんてことを考えて、いくらか知的興奮した。 というわけで、破滅物が好きな人、 法のない世界における人間の行動を研究している人、 などにおすすめかもしれない。 ただし、女性に関してかなりえぐい展開もあり、 けっこう気分が悪くなるので、 そういうのが苦手な人は避けた方がよいと思う。
岩佐二佐 「犯罪を防ぐには恐怖が必要だ。 倫理感の根底に恐怖が不必要なほど人間の社会は進歩していない。 このあいだまでの日本に犯罪があまりにも多かった理由のうちの最大のものは、 刑罰が不当なまでに軽すぎ、 警察官が正当な権利の行使を恐れたからだ…… 今回、戒厳令が布かれるとすぐ、 自衛隊の管轄下にある各都市では、 交通違反までほとんど無くなってしまったことが、 それを証明している。 これはテロ政治ではない…… 単に、素朴な道徳が復活する助けをわれわれがやっただけのことなのだ」 (130頁)
京都大学の小松教授 「支配者がその支配力を維持するのは何によってだかわかるかね? 鞭だよ……愛の鞭じゃあない。 恐怖の鞭だ…… 情容赦なく鞭をふるうことのできる威厳と勇気を持った者だけが支配者たり得る」 (133頁)
11/01/98
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