こだまの(新)世界 / 文学のお話

フィリップ・K・ディック、『流れよわが涙、と警官は言った』


原題は、 Philip K. Dick, Flow My Tears, the Policeman Said (1974) で、ハヤカワ文庫の初版は1989年(友枝康子訳)。訳はそこそこ。 この本は、1975年にキャンベル記念賞を受賞しているようだ。


内容

三千万人のファンから愛されるマルチタレント、ジェイスン・タヴァナーは、 安ホテルの不潔なベッドで目覚めた。 昨夜番組のあと、思わぬ事故で意識不明となり、 ここに収容されたらしい。 体は回復したものの、恐るべき事実が判明した。 身分証明書が消えていたばかりか、 国家の膨大なデータバンクから、彼に関する全記録が消え失せていたのだ。 友人や恋人も、彼をまったく覚えていない。 "存在しない男"となったタヴァナーは、 警察から追われながらも、 悪夢の突破口を必死に探し求めるが…… 現実の裏側に潜む不条理を描くディック最大の問題作!
(裏表紙からの引用)


感想

この物語は完全にトリップしてる。 正直にいってわけがわからない。 これまで読んできたディックの作品の多くは、 最後まで読まずにはいられず、 そして読み終わると、そのドヨドヨとした雰囲気に圧倒されるが、 全体として何が言いたいのかはよくわからない。 ところどころ哲学的で、ところどころ文学的。 ときどき印象的な人物や挿話が出てくる。 しかし全体としてみた場合、話の筋はよくわからない。 彼の作品は夢物語的、寓話的なのだ。

今回の作品は、 最後がうまくまとめてあるので割と完結した観はあるが、 一体なぜ主人公のタヴァナーがああいう事件に巻き込まれたのかについては、 納得行く説明が与えられない。

というわけで、良くわからないけれども、 タイトルからしてなんとも印象的な作品。 鬱な作品が好きな人におすすめ(かも知れない)。


名セリフ

ルース 「悲しみは自分自身を解き放つことができるの。 自分の窮屈な皮膚の外に踏み出すのよ。 愛していなければ悲しみを感じることはできないわ-- 悲しみは愛の終局よ、失なわれた愛だものね。 あんたはわかってるのよ、 わかってると思うわ。 でもあんたはそのことを考えたくないだけなの。 それで愛のサイクルが完結するのよ。 愛して、失って、悲しみを味わって、 去って、そしてまた愛するの。 ジェイスン、 悲しみというのはあんたがひとりきりでいなければならないと身をもって知ることよ」 (182頁)

ハーブ 「彼は自分の存在していない世界に移ったのですよ。 そしてわれわれも彼とともにそこに移ったんです、 われわれは彼の知覚の対象ですからね。 そのあとで薬が切れると彼はもとに戻ったのです。 実際に彼をここにもう一度押し戻したのは、 彼が飲んだものなんかではなく、 アリスが死んだことです。 当然彼のファイルがデータ・センターから届いたわけです」 (334頁)

ハーブ 「KR-3を服用したのはタヴァナーじゃありません。 アリスなんです。 タヴァナーは、われわれ、ほかの人間と同じように、 あなたの妹さんの知覚系統の中でひとつの基準点となったのです。 そして彼女が別の座標系に移ったとき、 彼も引きずられたのです。 どうやら彼女は願望充足の具現者としてのタヴァナーに傾倒していたようで、 生身の人間としての彼を知ることを頭の中で幻想的なショーとして しばしば夢に見ていたのですよ。 しかし、彼女が薬を飲んでその願望を充足していたといっても、 彼もわれわれも同時に自分たちの世界に留まっていました。 われわれは同時に、現実と非現実のふたつの空間回廊を占めているのです。 ひとつは現実です。 もうひとつはKR-3によって一時的に出現した、 多くの可能性の中のひとつの潜在的可能性です。 しかしほんの一時的なものです。 およそ二日です」(335-336頁)


09/30/98-10/04/98

B-


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Nov 1 01:38:41 JST 1998