原題は Robert A. Heinlein, METHUSELAH'S CHILDREN (1958) で、早川の初版は1976年(矢野徹訳)。
医学がどれほど発達しようと、人間にとって決して逃れられぬ運命
--死をまぬがれた人々がいた。
しかも、その不死性は何ら意図的なものではない。
死をもたらすと同じように運命が彼らから死をとりあげ、
不死の遺伝子を与えたのだ。
だが、ひとたびそうした"長命族"の存在が普通人に知られた時、
全世界はねたみと憎悪のるつぼと化した。
そして、"長命族"は対立を避ける唯一の道、
大宇宙への恒星間飛行へと旅立つのだった!
たえずSF界の話題を独占しつづけてきた巨匠ハインラインが、
ライフワークとして取り組んでいる意欲的な
〈未来史〉シリーズの劈頭をなす問題作!
(裏表紙から引用)
タイトルに出てくるメトセラは、 旧約聖書の「創世記」に登場するめちゃくちゃ長生きしたおじさんのことで、 聖書には969年生きたと書いてある。 ノアのおじいさんらしい。
この"長命族"は、 従来から長生きだった家系の人々を作為的に選んで交配させることによって、 遺伝的に最長200才以上の長生きができるようになったんだけど、 彼らの存在を知った普通の人々は「彼らは長寿の薬を見つけたに違いない」 と疑って、ついには政府が率先して"長命族"の人々の市民権を剥奪し、 彼らを捕えて自白剤を打ち、 その(ありもしない)秘密を聞きだそうと躍起になる。
まあ、たしかに普通の人々がそうなるのもわからなくはない。
彼らからすれば、人類が最長200才まで生きることのできる種族と、
最長でも100才前後までしか生きることのできない種族とに分かれたとは、
信じたくないであろう。
とくに、「人類皆平等」を信じる人々なら、
「彼らにもできるんだったら、わたしにもできるはずだ」と
考えるのが普通であろう。
(しかし、本当に人類が"長命族"と"短命族"の2種類に分かれてしまったら、
どんなことが起きるんだろうか。やはり身分差別が生じるのだろうか?)
物語はわりとゆったりとしたテンポで進むので、 それほど興奮して読み進んだわけではないが、 前半の"長命族"の迫害の部分と、最後に地球に戻ってくる部分は けっこう知的興奮しながら読めた。 解説にあるハインラインの1941年の講演もおもしろい。
ラザルス・ロング: もちろん、だめさ。結論は出ないだろうね。 メアリイ……委員会ってものは、胴は百もあるが、頭は一つもないっていう、 唯一の生命形態なんだ。 しかし、いつかは、だれか自分の意志を持ったやつが現れて、 否応なしに自分のプランをみんなに押しつけることになるだろう。 どんなプランかはわからないがね。(35頁)
ラザルス: もうろくしたんだね。 自分の欲するときに、自分の欲するものを求める…… そして、それが自然の法則に合致すると考えるんだな。(68頁)
スレイトン・フォード: 古い古い話だが、神の慈悲ということと、 幼児が死ぬということとを、 どうつじつまをあわせるか、 とたずねられた神学者があった。 その男は説明したよ、"神は、その公的な立場において、 そのことをなすことが必要であるとされたが、 その個人的な立場においては、悲しまれているのだ"とね。(99頁)
ラザルス: 人は……われわれの種類の人間、地球人は、 重要な質問に取り組むだけの時間を充分に持ったことなど一度もないんだ。 能力は充分にありながら、それをうまくつかうだけの時間がなかったんだ。 重要な問題にゆきあたると、ぼくらはまだ猿と大差はないんだ。(333-4頁)
ラザルス: だがこれは言えるよ、アンディ。 答はどうであろうと、ここに一匹の猿がいてね。 そいつはのぼりつづけるんだ。 そして、まわりを見まわして、自分の見られるかぎりのものを見るんだな、 樹の枝がもつかぎり。(334-5頁)
04/12/98-04/18/98
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