こだまの(新)世界 / 文学のお話

『蒲団』、田山花袋著、1907年(明治14年)


「文学のお話」を始めるに当たって、いきなり『蒲団』というのもあれで あるが、まア、いきなり『蒲団』というのも良かろう。

3級がこの本は笑えるッていうので読んでみたのだが、数箇所を除けば、特 に笑うということはなかった。

かといって、決してつまらなかったわけではない。むしろ、かなり面白い 作品だと思った。全体の構成も良く出来てると思う(最後の駅での恋人同士の 別れのところなどはもう少しドラマティックに書けたかもしれないが)。表記 の仕方をもう少し現代風に変えれば、最近出された作品だと言われても気付か ないくらい、古さを感じさせない内容である(と思うのはぼくだけか?)。

この作品を読んでいる間、いわゆる自然主義的な要素にぼくが全く気付か なかったのも、この作品が当時持っていた「目新しさ」が現代では当然のもの となっているからではないだろうか。考えてみれば、文学が人間の心理をとこ とんまで突き詰めようとするなら、最終的に『蒲団』のような自然主義に辿り 着かざるをえないはずだ。まさに「すべての道は蒲団に通ず」である。とはい えもちろん、自然主義は必ずしもこの作品のように自己の体験に基づく「私小 説」の形式を取る必要はないが。

そう。そうなのだ。この作品の頭の痛い、というか読んでるとこっちが恥 ずかしくなる部分、かつリアリティーを生み出している部分というのは、これ が自然主義的作品だから、という理由ではなく、この作品がまるでフォーカス か何かのような、プライヴェートな部分をモロに露出させる露悪趣味を読む者 に感じさせるからなのだ。

しかも、これが若き多感な男女のプライヴェートな生活体験や心理ならば まだ救われるが(そういえば太宰の『女学生』は非常に好き)、この作品はもち ろんすでに中年となった男性の性欲的告白なのである。読者は、まるで丸裸に なった中年のおっさんに「うりうり、見てみい見てみい、うりうり」と言われ ているような錯覚に陥る。当時の文壇や社会が受けた大きなショックというの も、突然中年のおっさんが人前で服を脱ぎ出してヌードになったのを見たとき のショックに近いものなのではないか。

しかし、当時の教養のある進んだ女性を「新派」とか「当世女学生気質」 とか言って誉める反面で、新派で美人の女弟子が処女かどうかで心が千々に乱 れる中年男性の姿は、滑稽だが、共感が持て、なんだか愛らしささえ…いや、 愛らしさは感じないが少なくとも、あーわかるわかる、という気にはなる。女 性が教養を身につけ男性と対等になることを望みながら、やはり処女性にはこ だわるという保守性。こういう身勝手な男性は現在でも多いのではないだろう か。少なくとも気持ちは分かるのだから、ぼくもその一人なのかもしれない。

それにしても、「新派」っていう表現は今日使われているような(もう古く なったが)「ニューウェイヴ」「ニュータイプ」「新人類」「コギャル(これは 違うか?)」というのと同じですナア。革新性を誉める一面、「古いわしらはあ んたらにはようついていきませんわ」という非難の響きがあるところがそっく り。

(ついでに。岩波文庫に併録されている『一兵卒』は読む価値無し。そもそも ああいう暗いのは嫌いだし、しかも特に感動するところもなかった)

(さらに追記。昨日からこの文庫本が見つからなくて困っている。悪口書い たからどっかへ逃げたのだろうか。ぼくは本にいろいろ書き込むので、本がふ とした拍子に無くなると大変貴重なものを無くした気になる。自分が書いたり したものとかは記録としてどうしても残しておきたい性質なのだ)

08/10/97

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Satoshi Kodama
kodama@socio.kyoto-u.ac.jp
Last modified on 10/13/97
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