この作品は、小松左京の長編第4作目にあたる。1965年からSFマガジンに連 載され、早川書房から1966年に単行本化されたようだ。ちなみに、ぼくの読ん だ角川文庫の初版は1974年になっている。
--巨大な剣竜や爬虫類がいた六千万年も前の中世代の岩層から、奇妙な砂
時計が発見された。その砂は、いくらおちてもへらず、いくらうけてもふえな
い、上から下へ間断なく砂がこぼれおちていた。常識では
考えられない超科学的現象!四次元の不思議な世界を造りだしていたのだ。
さらに不可解な事件が起きた。この出土品の発見場所・K市の古墳へ出向
いた関係者が、つぎつぎに行方不明、変死を遂げてしまったのだ……。
迫力にみちたサスペンス、著者のSF長編小説の最高傑作。(扉の要約から)
・扉の文句では上のようになっているが、全体を簡単に説明するのは難し い。大変難解な内容なのだ。が、中心にある思想は以下のようなものである。
・世に言う超常現象が頻繁に起こり、それなのに大多数がそれを信じよう としない、という事態は、実は二つの未来からの干渉のた めである。すなわち、一方の未来人たち(拝時教徒)は、過去を変えようとして、 過去の時代に様々な奇妙な現象を残すのだが、他方の未来人たち(超未来人)は、 拝時教徒の試みを打ち砕くべく、そのような奇妙な現象の証拠をことごとく抹 消しようとする。そしてそのために超常現象はごく少数の者が信じるに留まり、 大多数のものは未来からのメッセージを読み取ることができない…。
・この小説ではその二つの未来の人々の争いが描かれているのだが、構成 が非常に難解で、同じ場面が違う視点から描写されたり、時代の違う二人の人 物が実は同一人物だったりして(また、二人が一人になったりして)、読む方は 謎を解きつつ読み進まなくてはならず、全体像を理解するのは非常に困難であ る。「思想がいささか先走りしすぎて、読みやすさの点で不満が残る」と言え ば聞こえはいいが、とにかく難しくてわからないのだ。(錯綜した内容がつか めるまで、何度も読むべし)
・しかし、部分的には印象的なところもある。特に、蒸発した野々村をひ たすら待って年老いていく佐世子の描写や、(これから読む人のために書かな いが)結末の部分には、ジーンとさせられる。
アイ(アイザック)「階梯を進むとは--まあ、君たちの知っている、多少と も似た概念でいいあらわせば--回心(オリエンテーション)に似ているともいえ るかな」(259頁)
野々村「だけど、ホアン。人間は--もうだめなんじゃな いかな?おれはそんな気がする」(335頁)
野々村「歴史を変えて、なぜいけない?」(338頁)
ノアヴィル氏「かわってしまって、そこから別の歴史が はじまっても、それが現在あるがままの歴史より、よりよい、よりスピードアッ プされたものなら、現在のわれわれはその歴史に対しては 存在しなくなってもかまわないではありませんか?いや--真相をのべれば、わ れわれ自身が、すでにそうやって、われわれの知らない、もう一つの 世界の未来人によって、歴史をかえられた結果なのです--みなさん、 ホモ・サピエンス時代にはいって、はじめて人間がはじめる"農耕 "は--偶然発見された技術だと思いますか?食用植物の"管理"という ような、高尚な考え方は、火の発見よりも、必然性がないと思いませんか?」 (368-369頁)
佐世子「私には、本当に、わかるのよ。--なぜだか知ら ないけど、あなたは、いずれかえってくるわ。ずーっと先になって……それで も、私の生きているうちに、かえってくる。すっかり年をとって--長い長い、 はてしない旅に、つかれきって……」(64頁)
小松左京氏の略歴については、日本SF作家クラ ブの名簿を参照のこと。京大文学部のイタリア文学科に在籍してたんです ね。(ところでこのホームページは大変役に立ちます)
12/22/97-01/05/98
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