原題は Philip K. Dick, The Man in the High Castle (1962) で、ハヤカワ文庫の初版は1962年(浅倉久志訳)。
アメリカ美術工芸品商会を経営するロバート・チルダンは、
通商代表部の田上信輔に平身低頭しながら商品を説明していた。
すべては1947年、
第二次世界大戦が枢軸国側の勝利に終わった時から変わったのだ。
ここ、サンフランシスコはアメリカ太平洋岸連邦の一都市として
日本の勢力下にある。
戦後15年、世界はいまだに日本とドイツの二大国家に支配されていたのだった!---
第二次大戦の勝敗が逆転した世界を舞台に現実と虚構との間の微妙なバランスを、
緻密な構成と迫真の筆致で見事に描きあげ、
1963年度ヒューゴー最優秀長篇賞を受賞した、
鬼才ディックの最高傑作、遂に登場!
(裏表紙から引用)
内容はわりと地味で、 SF的要素と言えば、 第二次世界大戦の戦勝国が枢軸国側になっていることと、 その世界で--一部の地域で発禁になりつつも--ベストセラーとなっている本が、 史実通り、連合国側が大戦に勝ったという想定の下に描かれている、 ということぐらい。 他に重要な小道具として、占いを行なうための「易経」が出てくるが、 これはSF的とは言えまい。
しかし、あまりSF的でないとは言え、話はおもしろい。 何人かの登場人物による複数の視点で物語は進んでいくが、 各人がそれぞれ個性的(かつ病的)で人間臭く描かれており、 読んでいてあきさせない。 また、物語が展開するにつれ、 各人にまつわるさまざまな謎も徐々に解き明かされていき、 どきどきはらはらさせる。
ただし、結末はいささか不満。 ディック自身、易経で占いをしながらストーリーの展開を決めたらしいが、 一応登場人物のそれぞれにある程度の落ちがついているとは言え、 結末においてすべての問題が解決されたとは言い難い。 印象的な結末には違いないが、 途中のおもしろさに比べると読後の満足感が小さいのは、 結末がもの足りないからだろう。
田上「われわれはだれでも、なんらかの信仰を持たねばなりません」 「答を知ることはできないのです。自力で、先を見通すことはできないのです」 (107頁)
田上「われわれの社会はまだ老人問題を解決していません。 医学の進歩とともに、老人の数はたえずふえていきます。 中国はいみじくも老人を敬うことをわれわれに教えてくれました。 しかしながら、ドイツ人の行動を見ると、 老人を粗略に扱うのが逆に美徳のように思えてきますな。 むこうでは老人を殺しているといいますから」(110頁)
ジュリアナ「ねえ、いつかの晩のボブ・ホープ・ショー聞いた?」 「すごく傑作なジョークをいったでしょう。 ほら、ドイツのなんとかいう少佐が火星人たちの取調べをするのよね。 ところが、火星人のほうは祖父母がアーリア人種だという証拠書類を提出できないの。 そこでドイツの少佐はベルリンへ報告するわけ。 火星にはユダヤ人が住んでるって」(118-9頁)
ベティ・梶浦「あら、そうじゃないわ」「だって、科学がありませんもの。 それに舞台も未来じゃないし。 サイエンス・フィクションは未来を扱うものでしょう? とくに、いまよりも科学の進歩した未来を。 この本はどっちの条件にも該当しないわ」(164頁)
06/30/98-07/03/98
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