原題は、
Greg Bear, Blood Music (1985)
で、ハヤカワ文庫の初版は1987年(小川隆訳)。
訳は問題ないが、ぼくが買ったのは初版のもののようで、
誤植が散見される。
また、この作品の原型にあたる中篇(1983年発表)は、
ネビュラ、ヒューゴー両賞を獲得しているが、
それが長篇化されたこの作品は、両賞の候補となっただけである。
遺伝子工学の天才ヴァージル・ウラムが、
自分の白血球から作りだした"バイオロジックス"--
ついに全コンピュータ業界が切望する生体素子が誕生したのだ。
だが、禁止されている哺乳類の遺伝子実験に手を染めたかどで、
会社から実験の中止を命じられたウラムは、
みずから創造した"知性ある細胞"への愛着を捨てきれず、
ひそかにそれを研究所から持ちだしてしまった……
この新種の細胞が、人類の存在そのものをおびやかすとも知らずに!
気鋭の作家がハイテク知識を縦横に駆使して、
新たなる進化のヴィジョンを壮大に描きあげ、
80年代の『幼年期の終り』と評された傑作!
(裏表紙から引用)
途中までは「こ、これはすごい小説だ」と思って読み進んでいったが、 後半パワーダウンしてしまっている。 しかし、とにかく前半の典型的な「パニック小説」的進行ぶりはすごい。 とくに、 エドワードがヴァージルの彼女キャンディスの変態した姿を見つけるくだりは、 読んでいてぞっとした。
だが、 後半は、結末が意味不明。 ヴァージルのお母さんはどこに行ったのだろうか、 と疑問に思わせるあたり、物語に完結感がない。 原作は詩情豊からしいが、翻訳ではあまりそういう感じはなかった。 おそらく前半部分だけを描いた中篇の方が完成度が高いだろうと推察する。
パニック小説と遺伝子工学が好きな人におすすめ。
キャンディス 「いいこと、どんな関係にだって、 ときどきは仔猫のひっかき傷みたいなものが必要だわ。 あたしはあなたのことをいつでも手にできる仔犬みたいに思いはじめているけれど、 よくないことよ」(60頁)
バーナードの父
「女を自分のものにすることはできんのだよ、マイク。
すばらしい相手だが、所有することはできん」
「女の恋人がおまえだけだとしても、それは共有なんだ。
むこうもおまえを共有しているのさ」(340頁)
ケネス「おとなになるのが怖かったことはないのか?」
「赤ちゃんじゃなくなるのが怖かったことはないのかい?
それがちがいなんだよ。
ほかのみんなは、まだ赤ちゃんの状態に封じこめられているんだ。
おれたちはちがう。おまえだって、大きくなれるんだよ」(352-353頁)
07/14/98-07/18/98
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