直訳調です。
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われわれにとっては、フランス革命は歴史的な事件であり、 その原因と展開と結果は、冷静な仕方で研究されうる。 当時は、判断は明らかに強い感情によって伴なわれており、 しばしばそれに影響を受けた。 多くの人々にとって、この革命が、 フランス社会における国民の解放と再生の力として見えただけでなく、 他の国々にも光明と自由をもたらす運命にある運動として見えもしたのは 自然なことであった。 恐怖政治はもちろん嘆じられたかもしれないし、 または大目に見られたかもしれない; しかし革命の理想は、 人間の自由を主張するものとして、 そして時には、人々が待ち望んでいたように、 宗教改革を政治的社会的領域へ広げるものとして是認され、歓迎された。 けれども、革命が社会の基礎を脅かし、 社会的安定の代わりに無政府主義的な個人主義を据え、 フランスの伝統を気まぐれに破壊し、 道徳と教育と社会的結合に宗教的基礎を置くことを否定する 悲惨な出来事のように思われた人々がいたことも、 同じくらい自然なことであった。 明らかに、革命への敵意は利己的な動機によって大きく促進されえた; しかし、それは革命に対する支持についても同様である。 そしてちょうど理想主義が革命の側に加わることができたように、 革命的精神に対する反対 --それは革命の破壊的で不敬な性格についての偽りのない確信を表明していた-- もありえたのである。
哲学の分野における考え抜かれた革命への反対は、 いわゆる伝統主義者たちによって表明された。 革命の支持者も反対者も、 たしかに彼らは明らかに啓蒙に対するそれぞれの評価と態度において はっきりと異なっていたとは言え、 革命を啓蒙の成果として見る傾向にあった。 もちろん、伝統主義者を、 過去への郷愁に満たされ歴史の運動に盲目である反動家として 退けることはたやすい。 しかし、彼らがいくつかの点においていかに近視眼的であったとしても、 彼らは著名で影響力の大きい著作家だったのであり、 19世紀の初めの数十年におけるフランス思想の説明において 単純に無視することはできない。
「野心が大きすぎる」というのが、 思弁的哲学に対する一つの反論となってきた。 合理主義は特定の諸科学の制限のうちにおいて進歩を 生み出すための方法であることは認められる。 しかし、この制限された成功は、 事物の一般的本性を表現するような野心ある理論体系を形成する試みをなす 励みとなってはならない。
この批判の正当化の一つと称されるものは、それが不成功だというものである: [すなわち、] ヨーロッパの思想は形而上学的体系というゴミで散らかっており、 放棄され調停されないままになっているものとして表現される。
そのような主張は、暗黙のうちに、哲学に古い独断的なテストを結わえつけている。 これと同一の基準によるならば、不成功が科学に結わえつけられるだろう。 われわれは、17世紀のデカルト哲学を信奉していないように、 同じ世紀の物理学も信奉していない。 しかし、いずれの体系も、ある制限の内においては、重要な真理を示している。 そしてまた、われわれは、 それらの体系を正しく適用できる範囲を定義するようなより広いカテゴリーを 理解し始めている。 もちろん、17世紀においては、独断的な見解が支配的であった; その結果、物理学の諸概念とデカルト的な諸概念のいずれの妥当性も誤解された。 人類は自分達が追求しているものを決して完全には知らないものである。 思想の歴史を概観し、同様に実践の歴史を概観したとき、 われわれが見い出すのは、考えが一つまた一つと吟味され、 その限界が定義され、そしてその真理の核心が引き出される、ということである。 特定の画期によって要請される知的冒険を探り当てる本能に対して適用されるならば、 アウグスティヌスの修辞的な一節にはかなりの真理がある。 「全宇宙は確かなものとして判定する」。 少なくとも、人々は体系化への途上において自分のできることをなし、 そして最後には何かを達成するのである。 適切なテストとは、 最終的であるかどうかではなく、 進歩しているかどうかなのである。