田中美知太郎

(たなかみちたろう Tanaka, Michitaro)

モームのこれらの言葉で、わたしの驚くことは、かれが気軽に、多量の古典哲 学書を読んでいることである。これをわが国にうつし考えてみると、これだけ のひろい読書範囲は、哲学の専攻学生についても、ほとんど期待することはで きないだろう。それどころか、たとえばプロティノスの『エンネアデス』につ いて、それがプロティノスの書物であることを知っている者さえ、そう多くは ないのだ。

わたしは哲学を志望する学生の試験で、いつも暗い気持ちになる。哲学のきわ めて常識的なことがらさえ、まるで知らない者が多いからだ。いったい、よそ の大学では、何を教えているのだろうか。また哲学を志望するという学生は、 いったい何を読んでいるのであろうか。面接をしてみると、サルトルを勉強し たいなどと言い、それでいて、サルトルの書いている哲学的な書物さえ、何も 知らなかったりするのである。そしてそういうのが、新制大学の卒業生であっ たり、三回生であったりするのだから、驚くほかはない。おそらく教育が悪く、 一般の風潮も悪いためだろうと考えたりする。

まずモームにおけるクノ・フィシャーのような先生が、なかなか見つからない のかも知れない。多くの哲学教師は、まちがって哲学をやったような連中であっ て、むしろ哲学に対して怨恨をいだいていると言ったほうがいいような場合が 多いのではないか。だから、そのような人たちとの接触では、古典的哲学者の 著作を、片はしから読んでみようなどという、精神的刺戟を受けることは、ま ずないと言わなければならないだろう。(田中美知太郎、『哲学入門』、講談 社学術文庫、1976年、11-12頁)

---田中美知太郎


ギリシア哲学の大家(1902-85)。 記憶が確かならば、 藤沢令夫先生の先生だったはず。 京大文学部西洋哲学史古代の先生として活躍。 日本の哲学史においては、巨人の一人ということになるんだと思う。 ギリシア哲学の翻訳、哲学入門書、随筆など多数。

04/20/99


上の引用は以下の著作から。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Wed Feb 06 08:11:48 2002