(ふかのう impossible)
There is a commonly made mistake of speaking of one type of impossibility as though it is weaker than the others in the sense of "less impossible". But these are not distinctions among degrees of impossibility, but rather among sources and grounds of impossibility. It would betray a confusion of mind to encourage me in a high jumping contest by shouting to me as the bar is set a hundred feet above the ground: "Fear not. What you are trying to do is only physically (not logically) impossible!"
---Joel Feinburg
単なる言いかえだが、できないこと。
不可能にはさまざまな種類がある。 ジョエル・ファインバーグは「論理的に不可能」、 「物理的に不可能」、「技術的(technically)に不可能」の三つを区別している。
論理的に不可能とは、 矛盾を犯した事態が存在することである。 たとえば、「ポチはそこにおり、かつ、そこにいない」という言明を、 比喩的にではなく文字通りに理解した場合、 このような事態は論理的に不可能である。 (ただし、なぞなぞは一見(論理的に)不可能に見える言明でも、 ある解釈をほどこすことによって、 実はそういう事態が矛盾せずにありえることを示す遊びと言える。)
物理的に不可能とは、 論理的な矛盾を犯しているわけではないが、 物理法則に反しているがゆえに不可能な事柄のことである。 たとえば、 「ポチが水の上を歩いている」とか 「ポチがたきびの中で楽しく遊んでいる」と子どもが言ったとすると、 その発言には論理的な矛盾は含まれていないが、 犬のポチが水の上を歩くことは物理法則に反しているため、 そのような事態は物理的に不可能だ、と答えることになる。 (宗教的な奇蹟はだいたいこの部類に入る。 すなわち、一見すると物理的に不可能だけれども、 神の力によって可能になるとされる)
技術的に不可能とは、 論理的にも物理的にも可能だけれども、 現在の技術ではできないことを指す。 「技術的に」というのはわかりにくいが、 おそらく「生物の構造上」とか「個人の身体・精神能力」というようなことを 指していると思われる。 たとえば、ポチが言葉をしゃべったとか ポチはオスなのに、妊娠したとか、 こだまが100メートルを9秒台で走ったとか、 こだまがラテン語で論文を書いたとかである。 (「ポチが処女懐胎した」というのは宗教的奇蹟の事例と考えられると思うが、 これはファインバーグの説明では技術的に不可能の部類に入るだろう)
さらに、われらがベンタムは、 フランス人権宣言を批判した『無政府主義的誤謬』の中で、 不可能の意味を「物理的」、「道徳的」、「法的」 の三つに区別すべきと述べている。 ここでは詳細は省略するが、さまざまなレベルの「不可能」が存在するので、 これらを区別することが重要である。
21/Aug/2003
上の引用は以下の著作から。