(あんがーじゅまん engagement)
人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない。
---サルトル
この概念[アンガージュマン]はさまざまに解釈が可能であり、 その意味は必ずしも一義的ではない。 このことばには、単に〈参加〉という訳語だけではなくて、 〈政治参加〉〈社会参加〉〈現実参加〉〈自己束縛〉〈責任敢取〉〈かかわり〉など、 さまざまの訳語があてられている。これらの訳語にうかがわれることは、 現実を遊離して行きるのではなくて、 むしろ現実そのものにかかわって生きるということである。
---市倉宏祐
サルトルの用語。 フランス語なのでengagementは「アンガージュマン」と読む。 英語ではcommitmentと訳されることが多いようである。
通常、アンガージュマンは政治参加と解されるが、 より一般的には、或る選択(たとえば結婚)を主体的に行なうことである。 日本語では最近、コミットするという言葉が使われたりするが、 アンガジェするというのはこれとよく似た意味と思われる。
サルトルによれば人間には本質がもともと備わっているわけではなく、 各人の人間性あるいは「自分らしさ」は選択と行動を通して現実化する (「人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない」翻訳41頁、 「行動のなか以外に現実はない」同60頁)。 アンガジェすることは自分で自分を規定することである。 それゆえサルトルは、 人々は自分が自由に選択できることを自覚し、 積極的にアンガージュマンしていくことを勧める。 たとえば、結婚すること、仕事につくこと、政治参加をすること…。
このとき、「自らの意志で選び取る」ことが重要で、 まわりに流されて行動すると、「人間の自由から目をそらす不誠実な態度だ」と サルトルから非難されるので注意。
アンガージュマンにはもう一つの重要な側面があり、 自分が或る選択をすることは、 他の人もその選択をなすべきだと主張することになるとサルトルは言う。
私は、私自身にたいし、そして万人にたいして責任を負い、 私の選ぶある人間像をつくりあげる。私を選ぶことによって 私は人間を選ぶのである。翻訳45頁
だから、わたしが自分の結婚生活において一夫一婦制を選ぶなら、 わたしはそれを人間の理想像として提示することであり、 わたしがベジタリアンになるなら、 それが人間の理想像であると主張することになる。
われわれが選ぶものはつねに善であり、 何ものも、われわれにとって善でありながら万人にとって善でない、 ということはありえないのである。翻訳44頁
この主張はカントの道徳の普遍的立法やヘアの普遍化可能性を思い起こさせる。 しかし、この主張が多元的社会や寛容という発想と両立するのかどうかなぞである。
10/Feb/2002
冒頭の引用は以下の著作から。