リチャード・ウォルヘイム: J.S.ミルとアイザイア・バーリン

児玉聡


1. ミルは『自由論』の序章で、 自由についての自分の説が功利主義に基づいていると述べている。 しかし、バーリンによれば、ミルが傾倒している個人の自由、 多様性、正義といった諸価値は、 しばしば功利主義と両立しない。

2. 道徳についてのバーリンの説は、価値一元論を否定する多元主義 (階層秩序のない多元主義)。

3. バーリンの多元主義は、個人の内面における価値の多元性を説くもの。 したがって、理論的には、 この多元主義は倫理的客観主義や倫理的実在論と両立しうる。

4. バーリンのミル解釈は、上のバーリンの道徳の理解に基づいている。 ミルは他の人々の道徳的・社会的問題についての見解に共鳴していたが、 これらのさまざまな見解を一元的な功利主義によってまとめることはできない。 したがって、ミルは実際には功利主義ではなく、多元的道徳を採用していた。

5. バーリンの見解とは異なり、本論文では、 ミルが自分の言う通り功利主義者だったということを示す。 この解釈において重要なのは、 ミルが功利を「最も広い意味において」捉えていたという事実である。 このことは、バーリンが言うように功利概念を空疎になるまで引き延ばした ということを意味しない。この洗練された功利概念こそが、 ミルの功利主義の真骨頂だということを示す。

6. 複合的価値を功利によって基礎づけることで、 バーリンの言う価値の多様性をうまく説明したとしても、 この功利が道徳の中心に位置すべきかどうかという問題が残る。 しかしこの問題は本論文では論じない。

II

7. ミルの「精神の危機」について考察する。

8. 「人生のすべての目的が実現したと仮定してみよう。 制度や世論の変革が自分が期待している通りに、 この瞬間に完全に実現したとしよう。 これは大きな喜びであり、幸福であろうか」

9. 「抑えがたい自己意識が直ちに「否」と答えた。 この瞬間に私の心は沈んだ。 私の人生の基礎であったもの全体が瓦解したのである。 私の幸福のすべては、 この目的を絶えず追求することのなかにあったはずである。 この目的が魅力を失った以上、 どうしていまさら手段に興味を持つことができようか。 私には生きていくための目標が何も残っていないように思われた」

10. 彼が上で問うたのは、 「功利主義の目的が実現されることが自分の快楽になるだろうか」 ということ。 功利主義の二つの教義は、「行為者は道徳判断を十分に理解したなら、 その判断に従って行為するはず」(1)と 「功利主義は、この制約を満たす唯一の道徳」(2)というもの。 ミルが「精神の危機」に陥ったのは、(1)を受けいれ、(2)に疑問を感じたから。

11. それからミルは功利主義の修正を行なうことによって、 功利主義に対する動機づけの力を取り戻そうとした。 修正には、功利主義の内容を修正するか、 動機づけの理論を修正するかの二つの方法があった。

12. 動機づけの理論を修正すると、 ミルは精神の危機を感じたまさにその瞬間にも、 自己意識の「否」という声とは反対に、 功利主義に従う動機づけを持っていたことになりかねない。 そこでミルは功利主義の内容の修正を行なうことになる。

13. ミルによる功利主義の内容の修正は二段階に分けられるが、 これは歴史的な順序ではない。 第一は、功利を一元的から階層的で多元的なものへと捉えなおす段階。 第二は、階層なしの多元性への移行の段階。

14. 以下で功利主義の内容の修正を論じるにあたって生じる二つの問い。 (1)この修正は功利主義に説得力を与えるのに成功しているか。 (2)この修正は功利主義の枠内で行なわれているか。

15. 最後にミルが三層の倫理(ethic)を提案したことに注目する。

III

16. 功利主義の修正を考察するにあたり、純粋に利己的な道徳から 非利己的な道徳がどうやって出てくるのかという問題があるが、 本論ではこの問題は論じない。

17. ミルによる功利主義修正の第一の段階を特徴づけるのは、 心の教育、人格の尊厳の維持などの二次的諸原理の導入である。 これらの原理は第一原理の功利原理に厳密に従属している。 したがって、ここでの多元性は階層秩序をなしている。

18. 階層秩序の現れかたを見るために、例を挙げる。

19. 行為者は、なすべき行為を決定するにあたり、第一原理に訴えても、 二次的諸原理のどれかに訴えてもよい。しかし、二つの指令が異なる場合は、 第一原理に従わなければならない。

20. もうすこし複雑な場合。行為者は第一原理に基づいて行為するとする。 その場合、彼は行為が自他に産みだす快苦を計算し、 総和を最大化しなければならない。 ところで、彼の行為によって影響を受ける人々は、 第一原理に基づいて行為するか、 二次的諸原理に基づいて行為するかのいずれかである(ホント?)。 ここでは、彼らは全員、二次的諸原理に従って行為すると仮定する。 その場合、彼らが得る快楽は、 二次的諸原理が設定している目的の達成によって得られるだろう。 彼は以上の計算によって決定を下す。

21. しかしこの場合、もう一つの計算法がある。 彼の行為によって影響を受ける彼以外の人々が、 (それが事実かどうかはおいといて)第一原理に基づいて行為しているもの として快苦計算をする方法である。 この場合、各人の快楽は、 その人が実際に行為する際に依拠している二次的原理によって設定された目的 の達成によって得られるものとは見なさず、 むしろ端的に第一原理が命じることと等しいと考える。 この第二の場合の計算結果と、上の計算結果が異なるならば、 第二の場合を取るというのが、階層秩序があるということである。

22. この思考法によれば、第一原理と二次的諸原理の関係は、 完全に手段目的関係にある。すなわち、 二次的諸原理によって与えられる諸目的は、快楽への手段である。

23. この思考法は、功利主義をより魅力的にもする。 というのは、(快という目的だけでなく)二次的目的に関する人々の さまざまな考えや感情が、 功利主義において考慮に入れられることになるからである。 ただし、二次的目的が快を産み出すのに効率が悪いとなれば、 こうした考えや感情は排除される。

24. こういう暫定的な性格は、二次的諸原理が階層的(従属的)であることを 示している。 また、それだけでなく、 幸福や快の概念がたいして深化していないことを示している。 これらは功利主義がもう一つの修正を受けると大きく変わる点である。

IV

25. 多元的・階層秩序のない功利の概念

26. 功利の概念が不確定であることが特徴。 ミルによれば、各人は功利の概念の不確定性を見いだし、 二次的原理を用いてそれを明確にしようと努める。

27. 功利の概念は高度に抽象的→行為決定に役立たない→具体化が必要

  1. 二次的原理を試行錯誤的に使用することで、 自分の功利が何であるかを把握すること
  2. 他の人の功利を増進させるための前提として、 他人の功利が何であるかを把握すること

28. 功利主義的道徳にとっては、どんな二次的原理を採用してもよいわけではない →どのような原理が適切か。

29. 答、二次的原理によって設定される目的は、 (功利の明確な要素である)快に体系的に関連づけられねばならない。

30. 「体系的に」の解釈。

  1. 概念的。二次的原理の持つ目的は、快の概念から導出される
  2. 発生的。諸目的は枝、快は根本にあたる系統樹として理解される

ミルは後者だったはず。

31. 後者をとった場合、 二次的原理が第一原理に適切に関係するかどうかは、 発達心理学によってのみ明らかになる。 ミルはこれを準備していなかったが、 『功利主義論』の高次・低次の快の議論が役に立つ。 これは質的区別の議論ではなく、 心理的発達のレベルの違いによって、 快の種類が異なることを論じている。

32. 以上の二番目の修正を受けた功利主義を複合的功利主義と呼ぶ。 この功利主義はどの程度説得力を増しているか。

33. この功利主義においては、 二次的原理によって設定される目的を決める各人の思想や感情や態度が重要視される。

V.

34. この功利主義が説得力を増すのは、その適用範囲を狭めているから、 という風に言われるかもしれない。

35. この功利主義は人間の発展を想定しているので、 自他がそれぞれの幸福について一定の理解を持つ(個人的、あるいは社会的な発展)段階になければ、 この功利主義は説得力を失う。

36. ミルはそのような場合でも功利主義が成り立つと考えていたか。

37. 答はイエス。 ミルは複合功利主義を三層の倫理としての功利主義の中に位置付けている。

38. 最上層には、複合功利主義(1)。 最大化されるべき功利は、各人のいだいている幸福についての理解に基づく。 人々は十分に発達している必要がある。 中間層には、単純な功利主義(2)。 一元的な功利主義と、 多元的で階層秩序を持った功利主義を含む。 これは幸福について一定の理解を持たずひたすら快を追求する未発達な人間向け。

39. (原文では38と同じ段落) 最下層は予備的功利主義(3)。幸福について一定の理解を形成することと、 それを維持することを要求する。 この要求は、ほとんどの場合、第一層と第二層の指令に優先する。 「幸福が達成されることが可能な点まで教育することは、 快楽ないし幸福の達成よりも重要だからである」。

40. テキストによる予備的功利主義の裏付けを以下で三つ示す。

41. その一。 『自由論』におけるself-regardingな行為に他者が干渉すべきでないという 判断は、(1)(2)では正当化できない。 「生活の実験」によってはじめて幸福概念を形成できるから という(3)によってのみ正当化できる。

42. その二。 『自由論』における意見の自由擁護も、(1)(2)では十分に正当化できない。 (3)が補完的に貢献するに違いない。

43. その三。 『代議政治論』における善い政体の二つの基準。

  1. 既に存在する道徳的・知的・行動的資本を最大限に利用
  2. 共同体の一般的な精神の進歩を促進
(2)はとくに予備的功利主義の影響を示している。

44. これらはよく言われるような功利主義からの離脱ではない。 ミルの見解はバーリン的な道徳多元主義への関心と一致している。


Satoshi KODAMA <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sat Mar 16 00:51:48 2002