99年度科学哲学演習レポートその2

December 3, 1999 (Chapter III)

テキストは、 (Lawrence Sklar, Space, Time, and Spacetime, University of California Press, 1974/1977.)

今回のレポートの課題は、 「空間の実体説と関係説の争点 (ライプニッツとニュートンまでの段階に限定してよい) を、簡潔に説明せよ。2000字以内」

[レポートを書く前の要約]

[空間の実体説と関係説] 実体説とは、 空間にはある物体と別の物体の位置関係によって表わされる相対的な空間だけでなく、 すべての物体の入れ物であるような絶対的空間があるという立場である。 それに対して、 関係説とは、そのような絶対的空間は存在せず、 存在するのは相対的な空間のみであると主張する立場である。 [書き方が不正確なので書き直すこと]

[両者の争点] 両者の論争におけるもっとも大きな論点は、 「絶対空間の存在を経験的に確かめる方法があるかどうか」 という問いである。

[実体説論者ニュートンの答] この問いに対して、関係説論者は、そのような方法は存在しないと答え、 それゆえ絶対空間の存在を否定する。 他方の実体説論者(ニュートン)は、遠心力などの慣性の力の存在を、 絶対空間の存在の論拠として解釈する。

[ニュートンの答に対する関係説論者の反論] 関係説論者は、慣性の力を関係説の枠組で説明しようとするが、 ライプニッツやホイヘンスに関する限り、 どうも分が悪いように見える。

…。これで2000字いくかなあ。

[可能性の観点] 実はもう一つ論点があって、 関係説だと《空間について語ることは物体間に成り立つ関係について語ること》 になっちゃうんだけど、 この場合、からっぽの空間つまり真空について語ることは説明が つかなくなるんじゃないか、という実体説からの批判があるんだよね。 そこで、関係説はこれに答えて、「可能性の観点」という議論を用い、 《からっぽの空間について語ることは、*もしそこに物体があるならば*そ の物体は他の物体とどのような位置関係をもつか、ということを語ることであ る》と述べている。 これも字数があれば扱うべきか…。

(評価)


空間の実体説によれば、この世界には、 光線や電磁場などを含むすべての物体の「入れ物」としての不変の空間が実在する。 すべての物体は別の物体との相対的な関係(相対位置、相対運動など) を持つだけでなく、 この不変の空間に対する関係をも持つ。 この空間は、 物体との相対的な位置によって決められる相対空間と区別されて、 絶対空間と呼ばれる。 また、物体が絶対空間に対して持つ位置関係や運動は、 物体同士の関係と区別するために、絶対位置、絶対運動と呼ばれる。

このような絶対空間の存在は、 日常的な言葉づかいによって支持されるように思える。 しかし、空間の関係説によれば、 実体説において主張されるような絶対空間は実在しない。 すなわち、実在するのは通常の物体のみであり、 空間について語ることはこれらの物体同士の関係について 語ることに他ならない。

このように、空間の実体説と関係説は、 絶対空間の実在性について相容れない主張を行なう。 両者の論争における主な争点は二つあり、 一つは、 「からっぽの空間についての言明は、 関係説においてどう説明できるか」 という問題である。 もう一つは、 「絶対空間の存在を経験的に確かめる方法があるかどうか」 という問題である。

まず第一の争点について説明する。 すでに述べたように、 関係説によると、 空間について語ることは物体同士の関係について語ることである。 しかし、 ときにわれわれは物体によって占められていない空間(からっぽの空間) についての言明をする。 実体説論者は、この事実を用いて、 絶対空間の実在を主張する実体説ではこうした言明は理解可能なものであるが、 関係説ではこの言明を説明できない、と批判する。

これに対する関係説の答には二通りある。 一つは、世界のどこにもからっぽの空間は存在せず、 そのような空間についての言明はすべて誤りである、という答である。 しかし、この答は真空の存在を否定するものなので、受け入れがたい。 もう一つの答は、ライプニッツによるものである。 彼は「可能性の観点」という考え方を用い、 からっぽの空間についての直説法による言明を、 その空間を占める可能性のある物体の持つ関係についての 仮定法による言明と等しいものとみなす。 つまり、彼によれば、 からっぽの空間について語ることは、 もしそこに物体があるならば その物体は他の物体とどのような位置関係をもつか、 ということを語ることに他ならない。 このように解釈すれば、 からっぽの空間についての言明は関係説においても理解可能である。 しかし、 このような「可能性の観点」を用いた関係説の立場で、 世界に物体がまったくないときでも空間の構造について 語ることが理解可能と言えるか、という困難な問題が残る。

次に、第二の争点について説明する。 実体説によれば、絶対空間は実在するとされるが、 関係説論者であるライプニッツは、絶対空間の存在や、 絶対空間と物体との関係を経験的に確かめる方法はない、と批判する。 彼によれば、 ある事物や世界の特徴が存在するという言明が有意味であるためには、 それらの存在を仮定した場合としない場合では、 観察可能な帰結に違いが生じるのでなくてはならない。 だが、絶対空間の存在を仮定した場合としない場合では、 観察可能な帰結にはいかなる違いもない。 それゆえ、絶対空間の存在を仮定することは不当である。

この批判に対して、 実体説論者であるニュートンは、 絶対空間の存在を仮定した場合としない場合では、 観察可能な帰結に違いが生じる、と論じる。 彼によれば、 物体の加速運動には必ず慣性力が伴なうが、 この慣性力の存在こそが、 その物体が相対運動ではなく絶対運動をしている証拠である。 というのは、 この慣性力は宇宙に普遍的に観察されるので、 近くの物体に対する相対運動の結果としてみなすことはできないからである。 そこで、観察可能な絶対運動から絶対空間の存在が推論され、 さらに物体の絶対速度や絶対位置の存在なども推論される。

加速運動に伴なう慣性力の存在を論拠にした ニュートンによる絶対空間の存在論証に対して、 関係説論者は、慣性力を関係説の枠組で説明しようとする。 たとえばライプニッツやバークリは、 単なる相対運動と絶対運動の区別を認めるが、 絶対運動を相対運動の一種として捉え、 絶対運動とは相対運動の原因が運動している物体に 備わっている相対運動だと考える。 だが、ニュートンによれば、 宇宙内のすべての物体が回転運動をしている場合のように、 すべての物体が互いと相対的に静止しているにもかかわらず絶対運動が行なわれ、 それゆえ慣性力が生じるという事態が考えられるので、 絶対運動を相対運動の一種とみなすことはできないとされる。 また、 ホイヘンスは円盤の回転運動における遠心力の存在を、 回転する円盤の中心に対して反対側にある二点の相対運動によって説明しようとする。 しかし、円盤上の任意の点に基準をとるならば、 この二点は互いと相対的に静止していると言える。 したがってこのような説明によって遠心力の存在を説明することはできない。(了)


先生の評価

今回は一応まとまっていたようで、80点でした。 次回もがんばります。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Apr 21 21:05:14 2000