ジャスティン・オークリー「徳倫理の諸相」要約

Justin Oakley, `Varieties of Virtue Ethics', Ratio (Vol. IX No. 2), September 1996.


要旨

ここ35年間における徳倫理の復活は、驚くべきほど多様な諸学説を生み出した。 それらの諸学説はあまりに多様なので、一見したところ、それらを結びつけて いるのは、おなじみのカント主義的および功利主義的倫理学説のさまざまな特 徴を批判しているという点しかないように思われるほどである。わたしはこの 論文で、さまざまな種類の徳倫理によって共有されている共通の土台を詳しく 述べることにより、徳倫理の主な*肯定的*特徴を体系的に説明する。わたしが このことを行なうのは、徳倫理を新たに擁護するためではなく、むしろ概念的 な地図を--徳倫理の主たる主張と議論を、競合する諸学説の主張と議論と関係 づけて位置付け、そして今日の倫理学に対する徳倫理に特有な貢献を明らかに するような概念的な地図を--提供するためである。わたしはすべての種類の徳 倫理によってなされる六つの特定の主張を提示し、そして これらの主張によって徳倫理が近年の性格を基礎に置く種類のカント主義的倫 理や功利主義から区別されることを説明する。そのあと、わたしはこの枠組み を用いて、最近の研究において発展してきた二つの徳倫理の主潮流を手短かに 検討する。


(0. はじめに)


1. 徳倫理の本質的特徴

(a) ある行為が正しいのは、 有徳な性格の行為者ならばその状況においてその行為をなすであろう場合であり、 その場合に限る。

「そこでフィリッパ・フットの論じるところでは、ある人の命を救うことは-- その命がなお当人にとって善いものであるのなら--正しい。なぜなら、善意 benevolenceの徳を持った人ならば、そのように行為するだろうからである」

(b) 善さが正しさに先行する。

「すなわち、善さの概念が主要なものであり、正しさの概念は善さと関係づけ ることによってのみ定義されうる」
→正しさが善さに先行すると考えるカント主義から区別される

(c) 諸徳は還元不可能な複数の内在的善である。

→すべての価値を快に還元する・徳を快を生み出すための手段的善とみなす古 典的功利主義から区別される

(d) 徳は客観的に善い。

→価値を欲求と結びつけて考える選好功利主義から区別される

(e) いくつかの内在的善は行為者に相対的なものagent-relativeである。

「ある特定の善を行為者に相対的なものと述べることは、それがわた しの善であることがその善に付加的な道徳的重要性を(わた しに) 与える--これに対して行為者に中立な善の場合、それがわた しの善であることから付加的な道徳的重要性が生じることはない--と言うこと である」
→すべての価値を行為者に中立なものとみなすほとんどの帰結 主義から区別される

(f) 正しく行為することは、善を最大化することを要求しない。


2. さまざまな徳倫理

非帰結主義的 (=価値を[促進するのではなく]尊重する行為を正しいとする)徳倫理 フィリッパ・フットなど (c)と(e)を強調

帰結主義的 (=価値を促進する行為を正しいとする)徳倫理

(i) 性格-功利主義

功利主義を性格や動機の評価に用いる立場。 しかし、(d)、(e)、(f)の基準を満たさないので徳倫理とは言えない。

(ii) アリストテレス的完成主義

トマス・ハーカなど。 (d)を強調。しかし(e)と(f)を採らないため、徳倫理とは言えない。

(iii) 満足化完成主義 Satisficing Perfectionism

「この手の立場では、人は徳を満足できる水準にまで促進すべきであるが、必 ずしも最高水準まで促進する必要はないとされる。また、人は他人の徳の要求 よりも自分自身の徳を促進することに特別な優先性を与えてもよいとされる」
→(a)〜(f)を満たすので徳倫理とみなしてよい。


結語

近年、徳倫理の活発な運動により、カント主義的および功利主義的倫理学説に 代わる特有で説得力のある選択肢としての徳倫理の確立に向けて大きな進展が あった。この過程において、徳倫理は、こうした伝統的なアプローチが持つい くつかの深刻な欠点を暴き出し、また道徳心理学、政治哲学、および応用倫理 学などの関連領域において新たな洞察を提供した。しかし、徳倫理の中心的特 徴は常にかなり不明確なままで、そのせいで徳倫理のよさを評価することが困 難であった。徳倫理が提示するものをよりよく理解し判断するために、わたし は、多くの形態の徳倫理を束ねる六つの重要な主張を明らかにした。この結果 生じる基本的立場は、徳倫理がカント主義や功利主義とは重要な仕方で異なっ ていることを示しており、それゆえなぜ徳倫理が、何人かの哲学者が考えたよ うには、性格に基礎を置く形態のカント主義や功利主義に単純に同化されえな いかを説明している。徳倫理の本質的特徴とさまざまな理論家によってそれが どのように展開されたかを概説することによって、徳倫理の運動が現代の倫理 学になした独自の貢献についてもある程度理解していただけたかと思う。最近 再生した徳倫理が倫理学の分野における不朽の特徴として生き残っていくかど うかはまだわからない。いずれにせよ、この議論が徳倫理の展望を明らかにす るのに役立ったことを願う。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Jan 10 17:21:10 JST 2000