ゴティエ『合意による道徳』の簡単な索引と引用

ちょっと訳者から文句が来そうな気もしますが、 索引がなくて不便な方も大勢いると思うので、 公開しておきます。

原文との対応ページ数もそのうち載せます。


CH. 1

しかし、道徳言語は利益の言語ではないとしても、 それが理性の言語であることは確かである。11頁

もし道徳的義務が合理的に基礎づけられているならば、 道徳的な訴えは説得を目的としてものにすぎないと考える情緒主義者や、 合理的な訴えは自己利益によって限定されると考える利己主義者は間違っている ことになる。 しかし、はたして道徳的な義務は合理的に基礎づけられているのだろうか。 我々がこれから試みるのはこのことの立証である。 我々は次のことを明らかに示すことによって、 つまり理性は個人の利益に関係してはいるがこれを超越する実践的な役割を 有しており、それゆえ、利害関係を無視して義務を命ずる行動原理でも 合理的に基礎づけられうることを明示することによって、 上記のことを立証しようと思う。12頁

我々は、合理的選択理論の一部分を構成するものとして道徳理論を展開するのである。 我々が議論しようと思うのは、 複数の可能な行為の間で選択や決定を下すための合理的な原理の中には、 各自私的利益を追求する行為者に公平(impartial)な仕方で拘束を課するような ある種の原理が含まれているということであり、 この種の原理を我々は道徳原理として特定化するのである。13頁

我々が立証しようと試みるのは、 非道徳的な前提から推論を始めて、 個人が自分の選択に対して道徳の拘束を受け容れるようになるのはなぜか、 ということである。15-6頁

我々の論証によって支持される公平で合理的な拘束と、 我々が両親や同輩、神父や教師から学んだ道徳の間には疑いもなく相違が --おそらくは著しい相違が--みられるだろう。 しかし我々の関心事は、個人的利益の追求に対する一組の合理的で 公平な拘束として道徳を捉える観念を確証することであり、 何らかの特定の道徳的規範体系を擁護することではない。16-7頁

相対的譲歩のミニマックス原理=相対的利益のマクシミン原理
バーゲン問題の解決は、 合理的な合意のプロセスと内容を規律する原理を提供してくれる。 我々は第5章でこの点につき論じるだろう。 その際に我々はバーゲンにおいて各々の人間が期待しうる最高の利益(stake) --すなわち、合意の不存在に替えて彼が受け容れることのできる最小の利益と、 他人によって合意から排除されることに替えて彼が受け取れるかもしれない 最大の利益との差--の測定法を提示するつもりである。 そして我々は、バーゲンの参加者の対等な合理性が次のような要請へと 至ることを論じるだろう。つまり、 譲歩者の最高賞金の割合として測定された最大の譲歩はできるだけ 小さくなるべきである、という要請である。 我々はこれを相対的譲歩のミニマックス原理として定式化する。 そしてこの要請は、各人の相対的利益 --これも同じく各人の最高賞金の割合として測定される-- はできるだけ大きくなるべきであるという要請と同じものである。 それゆえ我々は、 相対的譲歩のミニマックス原理と同じことを意味する相対的利益のマクシミン 原理を定式化し、 この原理がバーゲン状況における公正と公平さの理念を捉えており、 正義の基礎として役立つことを主張する。 したがって、相対的譲歩のミニマックス原理あるいは 相対的利益のマクシミン原理は我々の理論の中核となる第二の理念である。 25-6頁
WHY BE MORAL問題の解決
合理的選択理論の一部として展開された契約論的道徳理論には 明白な強みがある。 この理論は、他の人々の利害に何の関心も抱かないかもしれない人に対し、 自分の個人的な利益の追求に公平な拘束を課することが合理的であることを 我々が立証できるようにしてくれるからである。……。 これに代わるどのような道徳の説明もこのことを達成できない。28頁

CH. 2

パラメトリックと戦略的 33-4頁 (79-80頁)
賢慮 46-7、51-2頁
選好強度 53頁以降
完全性
ある選択状況における任意の二つの可能な結果に対して選択者は 一方を他方より選好しているか、 両者を同じ程度に選好している(両者に対して無差別である) かのどちらかでなければならない。これが完全性の条件である。 この条件は選好によって比較することが不可能な諸結果を排除する。54頁
推移性 55頁
非循環性 56頁
くじの比喩 58頁 (84頁)
期待効用
くじの景品(あるいは結果)の各々の効用にその蓋然性を乗じることによって 得られる値の合計。58-9頁
期待効用の極大化 59頁
単調性 59頁
連続性 60頁
効用の割り当て方 60頁 (87頁)
価値の主観主義と客観主義 63頁以降

「価値は、……、それが選好の尺度であることから主観的であり、 それが個人的選好の尺度であることから相対的である。 善いものは窮極的にはそれが選好されているから善いのであり、 それを選好する人々の……観点からみて善いものとされるのである」 77頁


CH. 3

戦略的に合理的な選択に課せられる三つの条件
A: 各人の選択は他の人々が行なうと当人が期待する諸選択への合理的な 応答でなければならない。(つまり自分が合理的)
B: 各人は他のすべての人々の選択が条件Aを満たしていると期待しなければ ならない。(つまり他人が合理的であるとみなす)
C: 各人は自分の選択と期待が他のすべての人々の期待の中に反映されていると 信じなければならない。(つまり、自分の選択を相手も知っているとみなす) 81頁
合理的な=効用を極大化する
個人の効用極大化と合理性の同一視を前提として、 我々は条件Aの「合理的な」という言葉を「効用を極大化する」 という言葉に単純に置き換えるべきだ、と想定していいだろう。81頁
結果
結果とは相互作用に参加する各々の人間がそれぞれ一つの行為を遂行 した場合にこれら複数の行為が生み出す産物である、と述べることにする。 82頁
どのような相互作用についても、ある相互作用にとって生ずる諸結果の集合は 行為者たちにとって可能な諸選択の諸集合のデカルト積だということである。 83頁
マトリックス、選択結果の表 83頁
純粋戦略と混合戦略
純粋戦略は一つの行為に確率1を割り当て、 他のすべての行為には確率0を割り当てる。 この戦略はただ一つの景品しかないくじであり、 その景品は常に手近に用意されている。 これに対して混合戦略は二つ以上の行為にゼロでない確率を割り当て、 割り当てられた確率の合計はいうまでもなく1となる。 それゆえ、これは複数の行為を景品とするくじということになる。85頁
期待結果 85頁
均衡
もしある(期待)結果が行為者たちがそれぞれ戦略をとったことの所産であり、 しかも他の人々により選択された戦略を所与の前提とした場合に各人の戦略が 当の戦略を選択する当人の期待効用を極大化しているならば、 そしてこのときに限り当の結果は均衡状態にある、 あるいは均衡した結果である。 もっと簡単に次のように言えるだろう。 つまり、ある結果が均衡状態にあるのは、 それが相互に各人の効用を極大化しあう複数の戦略の所産であるときであり、 このようなときに限られるということである。86頁 (91頁)
効用の割り当て方 60頁 (87頁)
図心的効用極大化 90頁
強い均衡状態、弱い均衡状態
各々の戦略が他の戦略に対する行為者の唯一の効用極大化的な応答であるとき、 そしてこのときに限り当の結果は強い均衡状態にある。91頁
支配されない結果と支配されている結果 92-3頁
マクシミン効用 96頁
フレデリク・ズーゼンの原則 97頁
この原則によれば、合理的であるためには、 譲歩のコストと行き詰まりのコストの比率がより小さいほうの人間が相手方 に譲歩しなければならない。
最適性
ある(期待)結果が最適(あるいはもっと完全な言い方をすれば、 パレート最適)といえるのは、 ある人間にもっと大きな効用をもたらし、 いかなる人間の効用も低下させないような結果が可能性として 全く存在しない場合であり、そしてこの場合に限られる。98頁
囚人のディレンマ 102頁以降
囚人のディレンマの要点
合理的と想定された効用極大化的人間は、 不合理と想定された最適化的人間よりも自分にとって はるかに不利益なことを行う。104頁

道徳の問題
我々は既に最適と均衡が必ずしも常に両立可能でないことを指摘した。 したがって、 もし我々が戦略的にみて合理的な選択が一般に可能だと想定するならば、 応答は効用極大化的であると同時に最適化するものでなければならない、 といった要求をすることはできない。 ……。 それでは我々はどうすれば効用極大化と最適化の二つの要求を和解させることができるのだろうか。 そして和解させることができないならば我々は両者のどちらを とったらいいのだろうか。 これは戦略的合理性に関するどのような理論にとっても中心的と言える問題である。 後でみるように道徳理論というものは本質的に、 効用極大化に対して最適化の拘束を課することに関する理論なのである。 101頁


CH. 4

完全市場: 均衡と最適の合致
スミスは「自然的自由の体系」を完全に競争的な市場として理解していた。 このような市場の観念は、 様々な個人の一見して対立する分散した利益がそこで完全に調和化されるような 構造を示すことによって、 合理的相互作用に関する我々の理解に証明を当ててくれる。 我々がこれから見るように、 理念型として観念された完全市場は均衡と最適の合致を保証し、 それゆえその構造は囚人のディレンマのまさにアンチテーゼということになる。 107-8頁
外部経済
外部経済は、 生産や交換や消費の行動が当の行動の当事者ではない何らかの個人、 あるいは意に反して当事者となった何らかの個人の効用に影響を及ぼすときに 常に生ずる。111-2頁
完全に競争的な市場の前提条件
個々人に賦与された生産要素と私的財、自由市場の働きと相互的無関心、 そして外部経済の不存在、これらのものが完全に競争的な市場の 前提条件である。113頁
道徳的拘束が必要となるとき 118頁
市場の諸条件と市場の働き 119-20頁
レント 123-4頁および註11
賦与された基本的生産要素 126頁
行為者間の相互的無関心 126頁以降
道徳的感情は必要なし 129頁
功利主義の検討、ミルの権利論 131頁以降
功利主義、福利最適 131頁
マルクス主義理論の検討 137頁

CH. 5

正義
均衡と最適の予定調和を伴う市場での相互作用が善悪の彼岸にあり、 ただ乗りと寄生の存在する自然的相互作用が暴力や詐欺へと堕落するのに対し、 協力的相互作用は正義の領域である。 正義とは、自分の仲間たちも同じような態度をとると想定した上で、 彼らを利用して不当に利益を受けるようなことをしない態度、 無料の財を求めたり賠償せずに他人にコストを負わせるようなことを しない態度である。141頁
正義が必要となる条件 141-4頁
協力を生成する人間的状況の諸特徴である正義の根本的環境は、 我々の周囲世界にみられる外部経済の自覚と 我々の性格にみられる自己への偏執の自覚である、と。144頁
協力の内的合理性、外的合理性 146-7頁
ホッブズの自然状態の例: 南太平洋の島民ドブ族 143-4頁
純粋共同戦略と混合共同戦略
相互作用に参加する各々の人間がそれぞれ一つの純粋戦略をとったとき、 これら純粋戦略から成る集合の要素によって生み出されるものが 純粋共同戦略である。…。 そして混合共同選択は複数の純粋共同戦略ないしは可能な諸結果を景品とする くじ引きのようなものである。このとき或る一つの期待された結果 (期待結果)は単純に一つの混合共同戦略であり、 あるいは複数の可能な結果に対するくじ引きに他ならない。149頁
結果スペース
149-50頁
協力関数
150-1頁
ケネス・アロー
151頁以降
合理的バーゲン
157頁以降
バーゲンの原初状態
我々はこの原初状態を一つの結果と考えてもよいし、 バーゲン参加者一人一人の効用から成る諸効用の一集合と考えてもよい。 158-9頁 (170頁)
協力余剰利益
159頁、170頁
相対的譲歩
どのような譲歩についても、譲歩の相対量は完全譲歩の絶対量に 対する当該譲歩の絶対量の割合として表現できるだろう。 …。相対的譲歩とは二つの効用差ないし効用間隔の比率のことである。 …。かくして我々は、効用のいかなる個人間比較も導入することなく、 しかもバーゲン状況で異なった複数の人々が申し出る譲歩を 相互に比較できるような相対的譲歩測定のための尺度を手にした ことになる。164頁
相対的譲歩のミニマックス原理
165頁
バーゲン状況
170頁
要求
170頁
要求点
170頁
譲歩
171頁
譲歩点
171頁
譲歩の絶対量
171頁
譲歩の相対量
171頁
マクシマム譲歩
171頁
ミニマックス譲歩
171頁
合理的バーゲンの諸条件
(i)合理的要求 (ii)譲歩点 (iii)進んで譲歩しようとすること (iv) 譲歩の限界171-2頁
どのような協力的相互作用においても、 合理的な共同戦略は協力に参加する人々の間の次のようなバーゲンによって 決定される。すなわち、その中で各人が自分の最大限度の要求を提示し、 それから相対量においてミニマックス譲歩より大きくない譲歩を申し出るような バーゲンである。174頁
相対的利益
185頁
相対的利益のマクシミン原理
185頁
これは我々の旧友である相対的譲歩のミニマックス原理を新しい装いで 示したものである。185頁
透明な存在
各々の人間は仲間がとろうとする態度を直接的に知っており、 自分があからさまに効用を極大化する者と相互作用しているのか、 それとも拘束された仕方で効用を極大化する者と相互作用しているのかを 知っている。人を欺すことは不可能であり、 愚か者はありのままの自分をさらけ出さなければならない。207-8頁
半透明性
人々は東名でも不透明でもなく、それゆえ協力しようとしたり 協力しなかったりする彼らの態度は他の人々によって察知されうるが 確実に察知されるというわけではなく、 またそれは単なる推測でもなく推測以上のものだと想定するのである。208頁
狭い範囲での順守者と広い範囲での順守者213頁

CH. 6

条件Aの解釈A'
正しい人間は条件Aの次のような解釈A'を受け容れる。 すなわち、各人の選択は他の人々が行うと当人が期待する選択に対する 公正であると同時に最適化する応答 --このような応答が彼にとって現実に可能であるとして-- でなければならず、その他の場合は彼の選択は効用極大化的な応答 でなければならない、ということである。189-90頁
ホッブズの描く「愚か者」(利己主義的人間) 191頁以降
愚か者が問題にしているのは契約の順守ないし固守を要求する第三の法である。 というのも、合意することが有利だとしても、 合意されたことに違反するほうがもっと有利ではないだろうか。 もしこれが有利ならば、それは合理的だということではないだろうか。 愚か者はホッブズが我々とともに確立しようと試みる理性と道徳の結合 の核心 --各人が最大の効用を直接的に追求することに対して道徳的拘束を 受け容れることの合理性--に異議を唱えているのである。193-4頁
効用をあからさまに極大化する者と拘束された仕方で効用を極大化する者
相互作用する相手方の戦略を所与の前提として自分の効用を極大化 しようとする人間を、効用をあからさまに極大化する者と呼ぶことにしよう。 他方、相互作用する相手方の戦略ではなく効用を所与の前提として 或る種の状況で自分の効用を極大化しようとする人間は、 拘束された仕方で効用を極大化する者である。200頁
拘束された仕方で効用を極大化する者は (i)すべての人々が自分と同じように行動した場合に結果がほぼ公正で 最適になるか否かを考慮し、 (ii)自分がそのように行動した場合に彼が実際的に期待する結果が 全員非協力の場合と比べてより大きな効用を自分にもたらすか否かを考慮する。 もしこれらの条件が二つとも充たされるならば彼は自分の行動を 共同戦略に基づかせる。 あからさまに効用を極大化する者は単に、 自分が共同戦略に基づいて行動したら実際的に期待しうる 結果が彼が別の何らかの代替戦略に基づいて行動したときに 期待しうる結果よりも大きな効用を自分にもたらしてくれるか否かを --もちろん、短期的な効果と同時に長期的な効果をも 計算に入れて--考慮するだけである。 この条件が充たされた場合にのみ彼は自分の行動を共同戦略に基づかせる ことになる。203頁
囚人のディレンマの問題 (「あからさま」と「拘束」のどちらがより合理的か)
203-4頁

KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Wed Nov 24 02:53:59 JST 1999