バーリン: J.S.ミルと生活の諸目的


グレイによる序論 (『ミル「自由論」再読』から)

1. 近年の二つのミル解釈: 伝統派、修正派。 「古典的功利主義とは、要約すると、快楽のみが内在的価値をもっており、 正しい行為とは快楽を最大化する行為、またはあらゆる快楽の総和と見なされる 全体の福祉を最もよく増進する行為であるという原理のことである」

2. 伝統派のミル解釈: 功利原理と自由原理は矛盾する。 バーリン、ヒンメルファーブなど。

Himmelfarbはなぜ翻訳では「ヒンメルファー*ヴ*」になってるんでしょうか。 この調子で行くと、Barbieはヴァーヴィー、 Bushはヴッシュということになりますが。 いや、そんなことはどうでもいいですが。

3. ヒンメルファーブの解釈には無理がある。 一つには、ミルは自分の思想の一貫性を主張している。 もう一つには、ミルは自由原理が功利原理から導出されないという意味で 自由原理が「絶対的」と言っているわけではない。 それに、この解釈は議論を鼻から打ち切ってしまってつまらない。

翻訳7頁下「この語(自己防衛)」は、「自己防衛→絶対的」の間違えだと思います。 諸賢のご意見をお聞かせください。

4. バーリンによれば、自由の内在的価値を主張するミルの見解は、 自由を全体幸福の手段としてしか見れない功利主義の枠組で基礎付けることは 土台無理な話である。

5. バーリンによれば、ミルは自認していないが、バーリンと同様の価値多元主義者。 ミルは政治に関する直観を功利主義によって理論化・体系化することに失敗している。

6. そのように批判するにもかかわらずバーリンは『自由論』 の情熱と雄弁を高く評価している。 バーリンの論文は伝統派の議論を再評価するきっかけとなった。

7. ライアン(修正派)の革命的解釈: 「生活の技術」という概念を用いて、 自由原理を功利原理から導き出されることを示した。

8. ライアンによれば、 『自由論』は『功利主義論』やその他の著作と合わせて大きな体系を作っている。

9. しかし、ライアンの見解によって「自由原理はその内容がアイマイである」 という伝統派の批判が片付けられるわけではない。 たとえばウォルフェンデン報告の論争は、ライアンの見解だけでは片付かない。


J.S.ミルと生活の諸目的 (1959年)

ミルの『自由論』(1859年)に見られる寛容論の全体的評価: 「この論文は、ミルトンやロックからモンテスキューやヴォルテールに至る、 個人主義と寛容に関するそれまでの弁護論の形式よりも優れておりました。 時代遅れの心理学を抱え、論理的にも一貫性を欠いてはおりましたが、 個人の自由を擁護する古典的な声明文として今日でも有効です」(翻訳30-31頁)

I: 子ミルの生いたちと人間観の変化

父ミルによる理性主義的教育→精神の危機→ロマン主義への傾倒→ 人間観・幸福観の変化

彼は以前と同じように幸福が人間存在の唯一の目的であると表明し続けましたが、 何が幸福に寄与するかという点の彼の考え方は、 恩師たちとは非常に違ったものになりました。 というのは、ミルは合理性や満足ではなく、 多様性や融通性[versatility]や人生の充実、 つまり個人的天才の予測できない飛躍や、 個人・集団・文明の自発性や独自性を最も評価するようになったからです。(33頁)

ミルの考えでは、人間が動物から根本的に区別されるのは、 人間が理性を持っているからでも、 道具や手段を発明するからでもなく、選択ができる存在であるからでした。 つまり、人が最も自分自身であるのは、 選ばれることではなく選ぶことのなかにあるということです。(34頁)

幸福には自律的選択が必須→自律的選択には選択する自由・多様性が必要。 しかし、 実際にはミルは自由の(全体幸福の手段としての)道具的価値よりも 内在的価値を強調していたように思える。

これらの主張に共通しているのは、 その主張が「より大きな幸福」という原理と直接に関係しているというより、 人権の、すなわち自由と寛容の問題を主題としているという事実です。36頁

ミルが快楽や幸福ということで何を考えていたかを問うなら、 答えは明瞭ではありません。…。ミルの書いたものの中で、 幸福は「自己の願望の実現」に近いことを意味するようになりますが、 その場合、願望は何であってもよいのです。 そうすると幸福の意味は無内容になるまで拡大されます。 …。ミルが、ベンサムが「曖昧な一般概念」と呼んだことへ逃避する傾向を示しているからこそ、 ミルの著作と行動に示されている実際の価値尺度が何であったかを問わなければ ならないのです。 もし彼の生き方と主義主張を証拠とするなら、 公的な生活で彼にとって最も高い価値を持っていたのは、 「二次的諸目的」と彼が呼ぶかどうかは別として、 個人の自由、多様性、そして正義であったことは明らかだと思います。 38頁

しかし、経験論的には、これらの二次的諸目的を促進することが 第一原理である功利主義によって正当化されるかどうかは原理的に不明。 それにもかかわらず、 『自由論』では寛容を説くためにこれらの諸目的を強調。

II: ミルの自由の擁護とその前提となる信念

自由を縮小する理由: (c)どのように生きるべきかという問題については真理は一つ。 真理に反対するものは虚偽を広めているから抑圧すべき。

ミルの反論: いかなる人も無謬ではない。「私たちが無謬でない以上、 討論による以外に、どうして真理が明らかになってくるでしょうか」(44頁)

ミルの議論の前提にある経験論(⇔直覚主義): 「ミルは、観察による証拠によらなければ、 合理的に真理が確立されることはないと考えていました」(44頁)

直覚主義者の反論: 討論の自由はつねには真理をもたらさない。 例: ヘイト・スピーチを認めるべきか。プロパガンダ。

ミルの半真理の議論も、直覚主義者を説得することはできない。 真理のドグマ化の議論も説得力が乏しい。

ミルの議論の前提となる信念 (懐疑主義): 人間の知識はつねに誤りうる。 単一の普遍的真理は存在しない。 人間の生活は不完全であり絶えず変化する。46頁

今日イデオロギーの領域と呼ばれているもの、 つまり価値判断や人生の一般的見方や態度の領域ではどっちみち経験によって修正 されないような最終的真理は存在しないと信じている…。 48頁

知識は不確実+幸福のためには私的領域において自律的選択が必須→危害原理 (政治的自由主義の究極的基礎)

イスラム教徒たちが本当に気分を害するからといって、 彼らが豚肉を食べることを全ての者に禁止してよいであろうかとミルが反語的に 問うとき、その答えは功利主義の前提から必ずしも自明ではありません。 …。なぜ、理性的な人間が非理性的な人間よりも自分達の望むことを達成する 権利があるのでしょうか。 もし、最大多数の最大幸福が…行為の唯一の正当化される目的であるなら、 なぜ非理性的な人間の権利が優先されないのでしょうか。 …。もし幸福が唯一の判定基準であるなら、 人身御供や魔女狩りは、そのような習慣が強い大衆の感情によって支持されていた時代には、 疑いもなくその時代の大多数の人たちの幸福に寄与したのです。49-50頁

功利主義だと上の例は許されるが、 ミルは可謬性と自律的選択を重視しているから許さない。

III: ミルと社会科学

社会科学の不可能性→個人の多様性を単純な法則で理解することはできない

彼が見るところ、人間が互いに異なったり進化したりするのは、 ただ自然の原因からそうなるのではなく、 人間が自分自身で時には意図せぬ仕方で自分の性格を変えようとして行為するからでした。 それだからこそ人の行為は予測できず、 力学や生物学からの類推で発想された法則や理論では一個人の性格が持つ複雑さと質的特性を理解することはできません。51頁

「多様性や個性それ自体を求めようとするミルの抑えがたい欲望」 「単に他人と異なること、抵抗のための抵抗、抗議それ自体でも意味がある」

デモクラシーは唯一の正しい統治形態だが、潜在的には最も抑圧的な統治形態 →教育と自由の両方が必要

ミルの理性主義: 無制限な自由が人々にとってそれほど望ましいか。 ミルは20世紀に台頭した非合理的な力を予測できなかった。 とはいえ、彼が自分の時代が理性的だと考えていたわけではない。 55頁

ヴィクトリア朝の英国の病は、 閉所恐怖症でした。つまり、閉塞感があり、 この時代の最も優れた才能のある人たち、 ミルやカーライル、ニーチェやイプセン、 左派の人も右派の人も、もっと空気を、もっと光を、 と要求しました。 私たちの時代の大衆神経症は、 広所恐怖症です。人々はばらばらになり、 あまりにも指導されない状態を恐れています。…。 多すぎる自由は彼らを広大でよそよそしい何もない空間、 道や道標や目標のない砂漠に置き去りにするように見えるからです。56頁

非合理性の軽視、時代遅れの心理学、貧困や病気の軽視。 しかし、解決法は理性、教育、自己を知ること、責任しかありえない。57頁

IV: ミルの思想の現代的重要性

ミルの思想は合理主義とロマン主義の融合

『自由論』におけるミルの議論はダメなものが多いが、 主張していること(=人間の画一化を促進する民主主義社会における自由の必要性)は よい。だからこそミルの思想は現代でも生き残っている。

しばしば指摘されてきたように、 ミルの『自由論』における弁論は、 知性的に最高の質のものではありません。 多くの議論が結果的に彼に不利であり、 どれも争う余地のあるものです。 …。それにも拘わらず、 内部の要塞、つまり中心の主張は試練に耐えています。 それは仕上げや修正を必要としているかもしれませんが、 しかし依然として、開かれた寛容な社会を望む者の立場を、 最も明晰に、最も率直に、説得力を持つ形で、 また心に訴える形で述べたものになっています。 …。彼は、深く本質的なことに気づいていました。 現代社会で人が自己改善をしようと努力して大いに成功しつつも、 それが破壊的結果をもたらしていること、 また、近代デモクラシーの予期せぬ結果、 そして、それらの結果のうちの最悪のものを弁護した…理論の持つ欺瞞性と 実際的危険に気づいておりました。 59-60頁

V: ミルの総合的評価

ミルは、一世代の、そして一国民の教師でしたが、 教師以上の者ではなく創造者や改革者ではありませんでした。 彼は後世にのこる発見や発明をしておりません。 彼は論理学、哲学、経済学、政治思想の分野で、 ほとんど見るべき前進をなしとげていません。しかし、 思想を諸領域に適用し、 成果を上げた彼の視野の広さと能力は、 類例がありません。 彼は独創的ではありませんでしたが、 彼の時代の人間の知識の構造を変えたのです。

彼は古典世界と理性の時代ら受け継いだ擬似科学的モデルと決別しました。 それによると、 人間本性はいつでも、どこでも同じ、 決定された不変の欲求、感情、動機を持ち、 ただ状況と刺激の違いによって異なった反応をするにすぎない、 あるいは何らかの不変の型に従って進化するにすぎません。 このモデルの替わりに彼は、…創造的で自己完結することのできない、 またそれゆえに完全には予測することのできない人間像を提出しました。 …。 彼は人類を他の自然から区別するのは合理的思考や自然に対する支配ではなく、 選択し実験する自由であると考えたのです。 彼の思想全体のなかで、この見解こそ彼の名声を長期にわたって不動のものと いたしました。自由ということでミルが考えているのは、 人々が崇拝の対象と様式を選ぶことを妨げられない状態のことです。 彼にとっては、この状態が実現している社会だけが、 十分に人間的な社会と言えるのでした。63-5頁


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Feb 01 05:18:35 2002