殺すことと死なせること

(ころすこととしなせること killing and allowing to die [letting die])

とりわけ終末期医療において、医者が患者を安楽死させるさいに問題となる区別。 通常、作為(=行為すること)的に患者に死をもたらすことを殺すこと(killing)、 不作為(=行為を控えること)的に患者に死をもたらすことを死なせること(allowing to die)と言う。 この基準に従うと、たとえば、 大量の筋弛緩剤を注射して患者を死に至らしめるのは殺すことであり、 患者の自発的呼吸が停止したときに人工呼吸装置を取り付けないのは 死なせることである。

殺すことと死なせることは、道徳的に異なるものと一般に考えられているが、 そのことに反対する哲学者もいる(James Rachelsなど)。 ダン・ブロックの挙げている例は、以下のようなものである。

あるALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者に貪欲な息子がいて、 彼は自分の母親が絶対に治療を止めそうにないと誤って信じており、 母親の長くしかもお金のかかる入院によって自分の遺産が食いつぶされてしまう と危惧している。 そこで彼は母親が鎮静剤を飲んで休んでいるあいだに部屋に忍びこみ、 人工呼吸装置を取り外し、母親は死んでしまう。 しかし、医者たちが彼のやったことを見つけ、 なぜ自分の母親を殺したのかと問いつめたとき、 彼は「ぼくは殺してないよ、ただ彼女を死なせただけだ。 彼女の死の原因になったのはALS病だったんだ」 と答える。

Dan W. Brock, "Medical decisions at the end of life", in A Companion to Bioethics, (ed. by Helga Kuhse & Peter Singer), Blackwell, 1998, p. 237.

ブロックの言いたいことは、 この息子のやったことは医者がやったことと同じ「死なせること」だ、 ということである。医者が患者の同意を得て患者を死なせることは不正でなく、 この息子が母親の同意なしに母親を死なせることが不正だとすると、 道徳判断の基準は、「同意があるかないか」とか、 「動機が善いものであるか悪いものであるか」とか、 あるいは「社会的に人工呼吸装置を止める資格があると考えられている人物かどうか」 などにあり、「殺すことか死なせることか」にあるのではないと言える。

なお、allowing to die (letting die)には定訳がなく、「死にゆかせること」 「死ぬにまかせること」「死を許容すること」などとも訳される。


KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri May 12 23:16:29 2000