思想文化学専攻倫理学専修D3 児玉聡
『民主主義の功利主義的基礎づけ』
現段階において、本論文は序論と結論を除くと五章からなる。 第二章から第五章までは草稿段階で準備してあるため、 今後は序論、第一章、結論部分を中心に研究を進めることになる。 研究を行なうにあたり、学会での発表などを通して議論を煮詰め、 また研究資料の収集および意見交換の目的で海外渡航をする必要があるため、 論文完成には一年半から二年かかると見られる。
ベンタムがその晩年(19世紀前半)に展開した民主主義および憲法思想は、「自 由民主主義理論の嚆矢」と言われながらも、信頼できるテキストの不在が主な 原因で、近年まで研究が怠られてきた。しかし1980年代以降、ベンタム新全集 を編集している英国UCL(ユニヴァーシティ・コレッジ・ロンドン)から『憲法 典』『悪政防御論』などのベンタム後期の著作が相次いで発刊されるにしたが い、現代の福祉国家の機構を先取りする官僚組織、およびその腐敗を防ぐため の普通選挙・情報公開・世論の役割に力点を置いた彼独自の民主主義思想の全 貌がようやく明らかになりつつある。またこの作業により、これまでの通説で あった「ベンタムの民主主義思想はジェームズ・ミルによって代弁され、ジョ ン・ステュワート・ミルによって乗り越えられた」という認識が誤りであるこ とが明白になってきた。このようにベンタム研究の事情は改善されつつあるも のの、依然ベンタムの民主主義論に関しては、数本の論文と、『憲法典』のみ を紹介したローゼンの著作を除けば、日本国内はおろか英語圏でさえ、その全 体像を晩年の数々の著作をもとに詳細に検討した研究や、(古典)功利主義によ る民主主義の基礎づけを評価した研究はまだ現われていない。
一方、ベンタムの功利主義が持つ大きな問題のうちに、利己的な人間が自分の 利益だけでなく他人の利益をも尊重せよと要求する功利原理になぜ従うのかと いう動機の問題と、社会の幸福の最大化を要求する功利主義は少数者の利益の 切り捨てにつながるという少数者の抑圧の問題がある。ベンタムはこれらの問 題について『道徳と立法の原理序説』や『デオントロジー』といった倫理学的 な著作においてはほとんど取り組んでおらず、そのため一見したところ、彼は 「共同体はそれを構成する成員の総体である」という命題から「共同体の利益 は個人の利益の総体である」という命題を導き出し、そして楽観的に各人の利 益の自然的調和を想定して上のような問題は心配する必要がないと考えていた かのように見受けられさえする。しかし、人々の頭数を数える場合とは違い、 人々の利益についてはそのような単純な足し算はできないのは明らかである。
だが、ベンタムがそのような楽観的な立場を採っていなかったことは、『憲法 典』や『悪政防御論』といった後期の一連の憲法理論、とくに代議制民主主義 の議論を検討することによって明らかになる。これらの著作で彼は、為政者お よび役人を、大きな権力を持つがゆえに利己心が増大された存在とみなし、社 会全体の幸福を犠牲にしてでも自己の幸福を追求する人々の典型と考える。 それゆえ彼は功利原理と利己的な人間本性を橋渡しする第三の原理「利益の 結合規定原理」を提起し、為政者および市民の利益の一致のためには、代議制 民主主義がもっとも効果的であることを説く。この文脈でベンタムが選挙人に ついて述べている次の文は、利己的な人間がなぜ功利原理に従うのかという動 機の問題に対して重要な示唆を与える。「自分の利益のために全員の利益を犠 牲にするような人――つまり、自分に固有の利益のために他人の利益を犠牲に するような人は、けっしてたいした数の助けを得ることはできない。自分の利 益のうちでも、自分だけでなく他人にも利益になるような利益を促進しようと する人は、すべての人の助けを得ることができるだろう。(中略) ある有権者 が得ることが期待できる利益は、彼が他人と共通に持っている利益だけであ る」。つまり、他人との協力を必要とするかぎり、人は他人の利益を無視した 行為ではなく、他人の利益を考慮した行為を行なう必要がある。このとき、各 人が平等に自己の利益を主張できる理想的な状態においては、各人の利益が平 等に尊重されることになる。ベンタムが普通選挙、秘密投票、情報公開などを 基調とした代議制民主主義を唱えた背景には、このような功利主義にとって理 想的な状態を現実化するという意図があったと思われる。
また、ベンタムは世論の力を悪政に対する最大の防御として評価していたが、 世論がその内部において利益の衝突しあう「貴族的部分」と「民衆的部分」に 分裂しうることを認めており、少数者の存在を意識していたように思われる。 もっとも、多くの場合ベンタムが問題にするのは、少数の権力者によって多数 の市民の利益が損なわれるという事態であり、J・S・ミルが問題にしていたよ うな多数の市民による少数の市民の抑圧という問題ではない。しかし、この 「多数者の専制」の問題に関してスタインバーガーやローゼンといった研究者 が、試験による議員の知的能力の向上、および有権者の教育レベルの向上といっ たベンタムの計画を指摘することによって解決を示唆しているのは、 ベンタムの思想の限界を明らかにするうえで検討に値する。
このように、ベンタムの民主主義論を検討することは、より現実的な場面にお いてベンタムがどのように功利原理を適用しようとしていたかを考察すること につながり、それゆえ彼の思想の最終的な成果を検討するというばかりでなく、 功利主義の性格づけとその限界を鮮明にするために不可欠な作業だと言える。 そこで本論文では、ベンタムが功利主義の立場から代議制民主主義を採用した 理由を検討し、また民主制における立法府、行政府、官僚制、世論と情報公開 等の役割についての彼の議論を主にJSミルの議論と対比しながらくわしく検討する ことにより、彼の功利主義の評価を行なう。
(1) 序論においては、功利主義者ベンタムが民主主義を最善の統治形態と考え るに至る時代的背景を簡単に説明し、そのあと本論文の二つのテーゼを提示す る。第一のテーゼは、ベンタムが民主主義者になる前と後の功利主義は、それ ぞれ君主功利主義と民主功利主義と名付けて区別することができ、後者の功利 主義は前者の深刻な欠点である功利主義に従う動機の問題や少数者抑圧の問題 をかなりの程度克服している、というものである。第二のテーゼは、ベンタム やミルによってなされた功利主義による民主主義の基礎づけが、他の仕方での 基礎づけよりももっともらしいことである。
(2) 第一章では、功利主義による民主主義の基礎づけの仕方を見るまえに、民 主主義の基礎づけの仕方の代表的なものを概観する。Ross Harrisonの Democracyを主に参考にし、自律や平等といった概念を用いて民 主主義を基礎づけする仕方を見る。また、David HeldのModels of DemocracyやRobert DahlのOn Democracyその他の最近の 民主主義論の文献を参考にして、参加民主主義や討議民主主義といった民主主 義の諸類型についても簡単に触れることにより、第二章以降の議論が現代の民 主主義論の枠組によって理解できるようにする。
第二章においては、Constitutional CodeやSecurities Against Misruleにといった著作においてベンタムが行なっている民主 主義の正当化を検討し、章の最後で君主功利主義と民主功利主義の区別を導入 する。この区別について簡単に述べると、民主主義を採用する以前のベンタム は利己的な人間像を仮定する一方で、博愛的な立法家が功利主義に則った政治 を行なえばよいと考えていた。しかし政府の役人もやはり邪悪な(反社会的な) 利害関心を持つことを考慮に入れる必要を実感した彼は、彼の功利主義が現実 の統治の原理となるためには市民が統治者を選ぶ代議制民主主義でなければな らないという結論に達した。そこでわたしは、この博愛的立法家という想定に 立つ功利主義を本論では君主功利主義と名付け、みなが議論に参加し選挙権を 行使するという仕方で社会の意思決定に参加するという民主主義をモデルにし た民主功利主義と区別し、以下の章でその性格を明らかにすることを試みる。
第三章では、ベンタムの民主主義において不可欠な要素である情報公開と世論の 役割について論じる。 彼の考えでは、 政府は主に市民から情報を秘匿することにより悪政を可能にするので、 情報公開と世論は悪政に対する防御手段となる。 また彼はとりわけ政府に対する監視機関および世論形成の場としての 新聞メディアの役割を高く評価していた。 そこで本章では、悪政と情報秘匿の関係、 世論形成におけるメディアの役割などの検討を通じて、 各人が正確な情報を持つこと(あるいは誰も隠れて不正をできないこと)が 民主功利主義にとって重要な条件であることを示す。 また、政府に譲歩させて市民に情報公開を行なうようにさせるためにはどうすれば いいのかという点についてのベンタムの見解も検討する。
第四章においては、 選挙制度についてのベンタムの見解を検討する。 彼は女性の参政権は時期尚早として見送ったけれども、 原則的には普通選挙を唱えていた。 そこで普通選挙を正当化する彼の議論を検討することにより、 社会の意思決定に対して各人が平等な投票権を持たなければ 全体の利益を最大化することはできないと彼が考えていたことを示す。 そしてこの第三章、第四章の検討を通じて、 民主功利主義においては、 各人が意思決定に際して十分な議論と情報を必要とし、 しかも意思決定において平等な決定権を分け持たなければならないことが示される。
第五章においては、 『代議政治論』を中心としたJSミルの民主主義観について簡単に見ることにより、 ベンタムとの異同を確認する。ベンタムの議論に欠けているのは、 ミルの民主主義が個人の発展を促すという見解や、 ミルの階級立法の議論に見られる少数者の抑圧の議論である。 他方で複数投票などにミルの議論に見られる難点を指摘し、 二人の見解が相補的に功利主義による民主主義の基礎づけを強力なもの にしていると論じる。 なお、この比較についてはThompsonのJohn Stuart Mill and Representative Governmentや Fred RosenのJeremy Bentham and Representative Democracyを参考にするが、 二人の民主主義論を比較した文献はほとんどないことを付け加えておく。
結論においては、功利主義による民主主義の基礎づけの評価と、 民主功利主義の評価を行なう。 暫定的な結論としては、官僚の腐敗を防ぐために綿密な対策がなされ、最低限 の福祉を保証された市民が他人の重大な利益を侵害しない限りで自己の利益を 追求することのできる社会というベンタムの自由民主主義構想は、世論や新聞 (メディア)に対する過度の期待があるものの、現在そして未来の民主主義のあ り方を示すものとして評価できると論じる。また、功利主義の理論的問題に関 しては、「利害関係者の全員参加による意思決定」という考えが情報公開と世 論による役人の腐敗対策とほぼ無制限の普通選挙の支持に示されていることに 着目し、功利主義が持つ少数者問題や動機づけの問題に対する一定の解決策が 見出されうると論じる。
以下に主要参考文献を記す。
(以上)