功利主義による寛容の基礎づけ――ベンタムの同性愛寛容論を手がかりにして

(2002年日本倫理学会大会発表用)

児玉 聡 (京都大学文学研究科研修員)

功利主義者ジェレミー・ベンタムの名を聞くと、「フーコー→パノプティコン →ビッグ・ブラザー→スターリン」というような連想が働き、寛容とはまった く縁遠い人物のように思われるかもしれない。けれども、彼はその長い文筆活 動のかなり初期の段階から、同性愛寛容論を書き記しており(ただし、当時は 身の危険を感じて発表しなかった)、また女性や動物その他のマイノリティに 対する配慮を示す文章を書いていた。たとえば刑務所の改善案として考案され たパノプティコンにしても、劣悪な環境に置かれている囚人や貧民の生活環境 を改善するにはどうすればよいかという関心から生まれた一つの解決策なので ある。細かい相違はあるにせよベンタムは自由主義の代表者の一人であるJ・S・ ミルの師匠なのであるから、ベンタムがミル同様にマイノリティに対する配慮 を見せてもなんら不思議なことではない。

このように述べると、「しかし、ベンタムにせよ、ミルにせよ、英国の寛容の 伝統に従ってマイノリティの擁護を主張していただけで、 功利主義によって 寛容論が導かれるわけではない」と論じられるかもしれない。現に、C・L・テ ンをはじめとして、他者に危害を与えないかぎり個人は自由であるとするミル の自由原理が功利主義によっては基礎づけられないとする研究者も多い。まし て、ミルと違って「自律」だとか「自己陶冶」だとか「人間精神の進歩」といっ た価値を強調しないベンタムが、功利主義によって寛容論を基礎づけるのはま すます困難のように思える。

功利主義がマイノリティの抑圧を支持すると考えられるのは、多数者が少数者 に対して強い不快を感じている場合である。たとえば、イスラム教徒が圧倒的 多数派の国において、誰かが豚を食べることは、それを知ったイスラム教徒た ちの間に強い不快感をもたらす。この不快感が十分に多くの人に共有され、し かも非常に強いものであれば、総和最大化型の功利計算はイスラム教徒たちの 苦が豚を食べる人の快を上まわるとするだろう。同性愛についても同様である。

功利主義の枠内ではマイノリティ抑圧の問題を解決することはできないと考え る人々は、何かより基礎的な価値に訴えることによってこの問題を解決しよう とする。たとえばドゥウォーキンは、「平等への配慮」という根拠を持ち出し てきて、イスラム教徒が豚を食べる人に対して持つような他者についての選好 を排除しようとする。またテンやラズならば、「自律」という基礎的な価値に 訴えることによって、この問題を解決しようとするであろう。

だが、本当に功利主義の枠内で寛容を基礎づけることはできないのだろうか。 本発表では、ベンタムの同性愛寛容論(これは彼が『立法と道徳の原理序説』 で示した功利主義の一適用例である)を検討することにより、ベンタムがミル の自由原理とよく似たテストを用いており、それが功利主義の枠内で正当化さ れていると論じる。


Satoshi KODAMA <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon Aug 26 01:44:37 LMT 2002