ベンタムの代議制民主主義論における世論と情報公開の役割

児玉聡 (京都大学文学研究科研修員、日本学術振興会特別研究員)

(現在某学会に個人研究発表の申請中)

発表要旨

功利主義者ジェレミー・ベンタムが最大多数の最大幸福を実現するために理想 的だと考えた政体は代議制民主主義である。彼によれば、統治者は市民の利益 を犠牲にしてでも自己利益を追求する傾向があるため、市民は統治者の最終的 な任命権と罷免権を持つことにより、統治者に最も効果的な手綱を付けること ができる。彼がその晩年に出版した『憲法典』(1830年) は、代議制民主主義 に関する彼の成熟した思想を最も明確に示すものである。彼の民主主義論の大 きな特徴は、立法、行政、司法に関する具体的かつ詳細な規定もさることなが ら、世論、言論(報道)の自由、情報公開制度を民主主義が有効に機能するため の不可欠な構成要素として憲法に明確に規定している点である。法実証主義の 立場から自然権に批判的であったベンタムは、立法府の万能性を説き、人権宣 言も三権の均衡と抑制も憲法に採用することはなかった。その代わりに、政府 の腐敗を防ぐ最大の防御策として彼が重視したのは、統治者の任命権と罷免権 を持つ市民が徹底した情報公開制度によって政府の行動を監視し、また言論の 自由に基づいて政府を活発に批判することであった。また、そのさい新聞は率 先して世論を形成し、政府の腐敗に警鐘を鳴らす尖兵として役立つものと理解 されていた。

悪政に対する防御策として世論、情報公開制度、言論の自由を有機的に結びつ けて理解する彼の立場は今日においては当然のことと考えられるかもしれない が、当時は決して自明のことではなく、彼の発想の斬新さは適切には評価され なかったように思われる。たとえばJ・S・ミルは『自由論』の第二章で言論の 自由の代表的な擁護を行なっているが、『代議政治論』では言論の自由や情報 公開の必要性をまったく論じていない。また、米国のジャーナリストのW・リッ プマンは『世論』において、ニューイングランドの直接民主政とは異なる大規 模な代議民主政においては、市民や政治家が正確な事実に基づいた判断を行な うために、各省庁が情報部を設置して情報公開を行ない、新聞もそれに基づい た報道を行なう必要があることを主張しているが、彼はベンタムが自分よりも 約100年前にほぼ同じことを憲法典に明確に規定していたことにまったく気付 いていなかった。

また最近では、ベンタムの情報公開(公共性)の議論について、ハーバマス的に 情報公開を市民が理性的かつ批判的な議論を行なうことを可能にするものと捉 えるか、あるいはフーコー的に情報公開をベンタムの監視に対するフェティッ シュなまでの嗜好と捉えるか、二つの解釈がなされている。わたしの考えでは、 情報公開による権力者の腐敗の防止は(フーコー的な)監視によって権力者が規 律を内在化することによってなされるというよりは、むしろ市民が正確な情報 に基づいて活発に議論をすることによってなされるものである。リップマンが 「ソクラテス流の対話」として評価しているような、空疎な言葉ではなく経験 的事実に基づいて議論することは、ベンタムが『統治論断片』(1776年)を著し たころから指摘している功利主義の立場の特長である。その意味ではハーバマ ス的な理解が正しいと言えるが、上でも述べたとおり代議制民主主義論の文脈 では情報公開と新聞によって率先される合理的な世論の形成というのはそもそ もコインの両面であり、監視か合理的な議論かという二者択一的な理解は不毛 であると思われる。また、ベンタムの情報公開制度は個人のプライバシーに配 慮したものであり、決してビッグブラザー的な市民の監視を意図したものでは ないことについても発表で言及する。

そこで本発表では、ベンタムの民主主義論に関する最近の研究動向を視野に入 れて、『憲法典』およびそれと同時期に執筆された『悪政防御論』を中心に、 世論、言論の自由、情報公開が彼の代議制民主主義論において果たす役割を批 判的に検討する。


Satoshi KODAMA <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Sep 15 02:13:22 LMT 2002