日本交通科学学会の60(+α)年の主要な足跡

1.「日本交通医学協議会」の時代
 【発祥の時代】
 [昭和37年(1962年)~40年(1965年)]

 まず時代背景として、日本のみならずアジア地域初の開催となった昭和39(1964)年の“東京オリンピック”を契機に、日本に於けるモータリゼーション(=自動車社会の到来)が大きく成長を始めた。この折、日本最初の高速道路の登場や都市高速道路の初期部分の供用といった、前代未聞の道路交通環境が出現し、程なく昭和40年代の高度経済成長期の「自動車の使用・保有の増大や自家用車(マイカー)の普及、それと覇を競う様に道路網整備が進められる、等の様相が見られた。

 これに並行する様に道路交通事故も増大し、やがて昭和45(1970)年には“交通事故年間死者が史上最多の16,765人“を記録した「第一次交通戦争(のピーク)」へと突き進むこととなる。

 この様な時代の中で「被害者の救護」また交通事故の発生と被害状況を科学的に分析・評価することで、対策を立て未然に予防する事を目的とし、当学会の前身「日本交通医学協議会」が産声を上げたのである。

 その後、車両や道路を含めた交通環境の科学技術的進歩も著しく、交通利用者の「安全」をより広く深い視野に立って分析・評価し,対策の立案・実行に結びつけるためには「医学系のみならず工学・心理学・法学・社会学・経済学ほか学際的な研究者・実務者・専門家の方々の智の結集が、必要不可欠」との考えのもと、昭和40(1965)年に学会名を「社団法人 日本交通科学協議会(略称:交科協)」と改め、科学技術庁所管の研究機関として活動を継ぐこととなった。

2.交科協の創立前後から交通安全対策基本法の制定まで
 【“交通科学協議会時代の始まりと推移 その1】
 (昭和40年(1965年)~45年(1970年))

 第1回の「交通科学協議会(=交科協)」総会は、昭和40年6月近藤武日本大学教授を総会会長として、東京で開催され、特別講演や交通問題に関する研究討議が行われた。以降毎年5~6月を中心に持ち回りの総会 会長のもとに開催されることとなった。また、翌年の第2回総会からは、総会関連のシンポジウムも開催されている。

 研究内容としては「疲労・飲酒等の運転上の心理・生理的な解明研究」、「交通事故犠牲者の実態報告」、「救急体制」、「むち打ち症問題」などに関して調査研究が行われた。

 これら学会活動の傍ら、交通事故の様相は悪化の一途を辿り続け、先述の昭和45(1970)年“交通事故年間死者数(24時間)が史上最多の16,765人“という「第一次交通戦争(のピーク)」に至る。これを機に、行政等の交通安全に関する施策等も見直され「交通安全基本計画(5カ年)の策定」など時を経て今に至るものも緒に就いたと思われるが、当学会としてもいよいよ活動に邁進する意義を認識する契機となった。

3.交通事故の様相「最小記録達成まで」
 【“交通科学協議会時代の始まりと推移 その2】
 [昭和46(1971)年~昭和54(1979)年)]

 当時の研究内容としては「救急医療」、「交通事故鑑定」、「むち打ち傷害(後に衝突傷害)」、「運転適正」、「交通事故研究」、「飲酒運転」、「夜間交通安全」、「交通環境研究」、「幼老年者交通安全研究」等の各研究部会が行われた。

 また広報啓発の分野では、昭和47年8月に「交通安全夏期大学セミナー」の第1回が企画実施され、昭和51年10月に「交通科学総合シンポジウム」の第1回を開催している。更に、昭和54年11月に は世界初の「シートベルト国際シンポジウム」を開催している。

 特にこの10年はピーク時死者数からその半減を達成した期間であり、交通安全及び被害軽減対策樹立に向けて科学的な取り組みの重要性を発信し続けるとともに、他の関連学術組織等の誕生にハズミをつける役割を担った。

★★

 以降、海外機関連携としては,日本版外傷データバンク構築の礎となった米国自動車医学振興会 (AAAM: Association for the Advancement of Automotive Medicine) との連携による1980年版AIS翻訳と試行,また,国際的な会議としては、昭和60(1985)年5月に「第10回国際交通災害医学会総会」を主催、更に平成9(1997)年10月には「夜間の交通安全国際会議」を主催し、実りある講義・討議が行われた。  時代の動きとしては、一時の交通事故様相の悪化は一転して下降線をたどり、昭和54(1979)年には交通事故年間死者数(24時間)が8,466人まで低下することとなっている。

緒に就いたと思われるが、当学会としてもいよいよ活動に邁進する意義を認識する契機となった。

4.交通安全に関する政策の再構築が求められる等の時代を経て
 【“交通科学協議会時代の始まりと推移 その3】
 [昭和55年(1980年)~昭和→平成移行期の第二次交通戦争期]

 「交科協」組織結成後から設置されてきた研究部会は、昭和50年代に入って段階的に(?)「プロジェクト委員会」方式に移行した。 研究内容としては「救急システム」、「航空機による救護システム」、「自動車安全装備研究」、「人身傷害研究」、「積雪寒冷地研究」、「トラックの被視認性向上」、「車両構造特性の解析」、「老人の交通安全研究」、「幼老年交通安全研究」、「二輪車事故研究」、「事故車等の緊急排除システム」、「トラック(トレーラ)の操縦安定性検討」、「交通科学ライフサイエンス文献リスト」「頭部外傷データバンク構築」等のプロジェクトが推進された。

※この時期の時代背景としては、日本における自動車社会(モータリゼーション)が大きく伸張し、また自動車産業の進展に伴い国際的視野も求められるようになった時期、ともいえよう。

 昭和54(1979)年に交通事故死者数をはじめ発生状況は一旦底を打ったかに見えたが、昭和末期~平成初頭期(昭和63=1988年→平成7=1995年)にかけて8年連続「交通事故死者数1万人超」という、いわゆる「第二次交通戦争」といわれる時期を迎える。

 この時期、1980年代前半の二輪車ブーム(いわゆる”ソフトバイク”等と称された無段変速の原付一種や、スポーツタイプで”7.2ps”のしのぎを削る原付一種を含め、排気量50~400ccの二輪車が数多く普及。免許審査の厳しさから400cc超の免許取得・使用が抑制されていた中で、400cc以下の高出力化等が進む)や、

ほぼ同時代の四輪車の高性能化(昭和54=1979年の”(省燃費)ターボ搭載”を皮切りに、DOHC化やツインターボ、インタークーラー、スーパーチャージャー等の搭載:小型車の”2千cc枠”内での高性能化を追求したと思われる)など、

「技術の進展(高出力化)」が進み、一方で「乗員保護」や「運転免許取得後教育への着目」なども重要視される契機となった。

 先の”原付一種”にもヘルメット義務やスピードリミッターが義務づけられ、また1980年代半ばのほぼ同時期に、四輪車でも”前席(運転席・助手席)のシートベルト着用が義務化(当初は高速道路、続いて一般道路にも適用)されるなど、法規制も厳格化されている。

5.”第二次交通戦争”後の交通安全に関する近代化など
 【“交通科学協議会”→“日本交通科学”学会“へ】
 [平成8(1996年)~現在]

 当学会における先述の研究部会体制は、令和8(1996)年以降も引き継がれ「乗員保護策(シートベルト、チャイルドシート、乗車用ヘルメットの利用等)」「道路標示等」「むち打ち損傷」「頸部傷害」「季節性の交通事故」「夜間交通安全(車体への反射材利用等含む)」「交通環境研究」「幼老年者交通安全研究」「救急救命医療体制の検討」等、多方面にわたる研究部会が行われた。

 

※特に第2次交通戦争期以降「参加・体験型の交通安全啓発」「車両の乗員保護対策の充実」「救命救急医療体制の拡充」「交通事故等に関連するデータ収集と分析、及び反映」といった、時代と共に活性化する交通場面(特に道路自動車交通)に着目し、関連分野の専門家等が集い意見交換の場を持つ処となってきた。

 一例として、救命救急医療体制における「迅速性」を重視した機動性(航空機や車両の活用)の向上なども、ドイツ(旧:西独)の前例に学んだ故・富永誠美会長(元:警察庁の初代交通安全部長)の意志と、それに果敢に取り組まれた医療従事者の先生方が当学会を軸に実証施行を重ねた実績をもとに関係処方面に働きかけ、実現の結実に依ったものである(=ドクターヘリ:現在「HEM-Net」と「日本航空医療学会」に発展。いわばその”ゆりかご”は当学会といえよう)。

 以降、四輪自動車に関して平成12(2000)年には「6歳未満児に対するチャイルドシート使用義務化」、平成20(2008)年には全座席でのシートベルト使用が義務化されるなど法律も厳格化が進み、また諸方面における取組の奏功もあって、幸いなことに交通事故の様相は”右肩下がり”を維持するに至った。

 こうした中、平成25(2013)年、折からの公益法人改革の関係と、学会名についても会員の要望を反映する形で「一般社団法人 日本交通科学学会」への改称を遂げ、新たな時代に歩み出す事となる。

 平成2015(平成27)年、救命救急現場の悲痛な状況を反映した「救急車に『再帰性に富んだ反射板(材)』の使用を!」とした提言をもって、関係諸方面への説得を行い、現在(今後の発展の余地は残しながらも)まずは多大な理解を得て実現が進んでいる状況に”手応え”を感じている処でも、ある。

  しかしながら「高齢ドライバーの課題」「アクセルとブレーキの踏み間違い等による暴走事故」「運転中の体調急変による事故惹起」「自転車や電動キックスケーター」等、新たな交通場面の課題は依然存在している、との認識がもっぱらといえる。また道路交通における国際共通化の動きも得て、既存の実状の再検討なども課題とされる。

現在の課題としては枚挙に暇(いとま)はないが、

・高齢運転者の課題(認知症等の関連や、ペダル強踏・踏み間違い、免許返納後のこと等々)

・体調や疾病との運転業務の関連

・日常生活に関連する運転の支援

等々・・・尽きることのない課題が、多々存在する。

 自動運転等々、めまぐるしく変化する世情の中で、道路交通に関する課題もおそらく当分は尽きることがないのでは、との認識を持たざるを得ない。特に「自動車は100年に一度の大変革期を迎え」る、と称される様に大きなハードウェア的変革も迎えつつある中、さらなる取組は必然と当学会関係者は思いを強めている。

★この先は・・・ぜひ「貴方に記して」いただきたい!

 それが、当学会世話人に共通する偽りのない強い思い、と申し上げておきたい。

(更新日:2024年04月19日)