日本イラク医学生会議
第3回訪問団 活動報告

日本イラク医学生会議では、2000年3月にイラクに3度目の訪問団
を派遣した。イラクは観光目的でビザを取ることがまだできないので、
イラクの学生同盟(NUIS〜National Union of Iraqi Students)に招待
されるという形でイラクを訪れた。

団員一覧
黒田直明 団長 筑波大学医学専門学群5年
伊東えりか   聖路加看護大学看護学部3年
伊藤淳   横浜市立大学医学部3年
江崎歩   筑波大学医学専門学群2年
遠藤剛   筑波大学医学専門学群4年
田村雅文   三重大学生物資源学部2年
山本一博   九州大学医学部2年
吉池望   埼玉大学大学院
林志光   筑波大学医学専門学群4年

 

訪問スケジュール
2000年3月
9日
先発隊アンマン到着
13日
アンマン集合
19日
陸路バグダッドへ
20日
サダム中央小児教育病院見学
アメリアシェルター見学
21日
バビロン遺跡観光
22日
小学校訪問
23日
バグダッド大学医学部表敬訪問、医学書の寄贈
エルウィーア病院見学
24日
カルバラモスク見学
25日
バグダッド大学にて学生と交流
NUIS表敬訪問
26日
クート市総合病院見学
クート市内小学校訪問
27日
孤児院訪問
28日
イラクを出発し、ヨルダンへ

 

アンマンからバグダッドまでは車で12時間の旅。
上がヨルダンの道路で、下がイラクの道路。

石油を持たないヨルダンと、持つイラクとの差が見て取れる。イラクは、湾岸戦争以前は世界でも指折りの豊かな国であった。こういった道路はもちろん戦争前に作られたもの。

しかし豊かとはいえ、イラクもご覧のように砂漠の多い国である。食料自給率は3割程度であった。突然の経済制裁は食料輸入の停止によりイラク国民を飢餓状態に陥れた。

病院にて。

経済制裁が始まって10年。少なくとも150万人の人々がその影響で亡くなったと言われている。その多くは老人や子供といった弱い立場の人々である。

クウェート侵攻により始まった制裁は、なし崩し的に終ろうとしている。何を目的として制裁を課したのだろう。そして彼らの犠牲と引き換えにその目的は達成されたのだろうか。それとも経済制裁は彼らへの罰だったということだろうか。

手に障害を持つ子供。

湾岸戦争ではアメリカ軍により、劣化ウラン弾が使用された。その影響か、イラクでは奇形、白血病、癌の発生が多くなった地域があると言う。劣化ウラン弾はユーゴ紛争でも使用され、環境汚染が問題となった。

湾岸戦争ではこの他にも人体への危険性が否定できない様々な化学兵器が使用された。それはイラク国民のみならず、米軍兵士にも被害を与えている。湾岸戦争で派遣された米兵やその子供に特有な症例は『湾岸戦争シンドローム』と呼ばれている。

アメリアシェルター。
湾岸戦争当時の防空壕である。

ここには2発のミサイルが命中した。1発目が屋根に大きな穴を開け、2発目がその穴から内部へ入り爆発した。

女性子供を中心とした、およそ1500人が犠牲になったと言われている。誤爆とも、このシェルターの地下にあった軍事施設を狙ったとも言われている。

今は反戦メモリアルとして保存されている。

バグダッド大学医学部に医学書を寄贈した。

経済制裁は学術書の輸入にも影響を与える。注射針でさえも生物兵器開発に使われる可能性があるからと、規制の対象になったこともある。

教授が海外の学会に出席したときに医学雑誌を買って帰るなどという努力も行っている。

国内に流通する数少ない本の価格は高価なものとなり、多くの学生たちは主に先輩から一昔前の教科書を譲り受けることで勉強している。

バグダッド大学ではイラクの医学生たちと交流した。日本は経済制裁やイラク空爆において、ほぼ完全にアメリカに追従している。イラクと日本はいわば敵国。敵国民同士の集合写真。

今日では国家というシステムが、人々の生活を保証していく最良の形態であることは否定しないが、国家のみが人の在り方を規定するわけではない。

国際社会においても、環境問題や人権問題の分野ではすでにNGOが影響力を持つようになってきた。21世紀では、国家という枠組を否定することなく、しかし時にはそれに縛られずに行動することが可能になってくるだろう。

 

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