バビロン

バビロンはB.C.2000年ころからその名前が歴史に登場し、ハンムラビ法典で有名なハンムラビ王の治世の下で急激に発展する(B.C.1750年ころ)。その後一時衰えるが、新バビロニア王国の首都としてネブガドネザルU世の時代に全盛期を迎える。

共に中東では有名な王であるが、特に後者はパレスチナ人に人気が高い。彼はB.C.6世紀初めにユダ王国の首都エルサレムを攻略し、多くのユダヤ人を捕虜としてバビロンへと連れ帰ったからである(バビロン捕囚)。パレスチナ問題の根は深い。


古代には、ここにジッグラトがそびえていたされている。

バビロンには聖書で名高いバベルの塔のモデルとなったジッグラト(聖塔)があった。

しかしバベルの塔とは違い、ジッグラトは本来神に捧げられた建造物であり、人の奢りとは程遠い。人々はバビロンの主神マルドゥークやその他の神々が容易に降りてくるように、と願ってできるだけ高い塔を作ったのである。

本来は90mほどの高さであったとされるが、現在はその基盤を遺すのみである。

 

バビロンは世界の7不思議の1つである空中庭園があることでも有名である。

空中庭園はネブガドネザルU世によって、最愛の妻アミティスのために作られた。彼女は隣国メディアの生まれであったため、故郷の山河を偲ばせるような階段状の庭を造り、そこに多くの草花や木々を植えて彼女の郷愁の念を慰めようとしたのである。空中庭園では、不思議な仕掛けによって常に最上段に水が送られ、そのために雨の降らないこの土地にあっても常に緑が絶えず青々と茂っていたと言われている。

歴史の中に消えていったバビロンが再び現れたのは20世紀になってからのこと。オスマントルコ朝のもと、ドイツのコルドヴァイによって発掘調査が行われた。

近年になってバビロンはイラク考古総局によって急速に発掘、改修されている。オリジナルの基盤の上に、新しい煉瓦を積み上げたりして多くの建造物が復元されているのだ。バベルの塔を復元しようという計画もある。

1989年からは、国士館大学の調査隊によりバビロンの近くの古代都市キシュの発掘調査が行われていたが、湾岸戦争以後は中断している。

 

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