メイン

医療 アーカイブ

2005年01月22日

女の人生

代理母とか体外受精とか女性の就業とか、私たちを取り巻く環境は、
きっと30年くらいの間に劇的に変化を遂げてきて、
考えなくてもよいことも、考えないといけなくなってきた。

私はもうすぐ22歳になるけど、多分ここまではあんまり将来考えなくても、
レールに乗ってこられた。だけどこれからはちょっと違う。
就職とか結婚とか出産とか子育てとか、なんだかそういうことを
経験して行くんだな、と思うと将来のことを考えないと、と思ってしまう。

特に人体について学んでいると「出産」に関しては非常に敏感にならざるを得ない。
「先天性なんたらかんたら」って病気がいっぱい出てきて、
リスクファクターは感染だ、高齢出産だ、と習う。
「不妊症治療」は今ここまで進んでいるけど、倫理的になんだかんだって
いって、使っていいのか?って気持ちになる。

私は非常に生殖医療に対して消極的だし、どんなに障害者の母親の本を読んでも
障害を持った子供はできれば産みたくないし、だったら自分で身を守るしか
ないかな、って思う。

この前朝日新聞に、生殖医療に対する法律案が通らなかったことに対する
意見を専門家が述べておったけど、果たして、
「っていうか何で10人に1人が不妊に悩まなきゃいけないんだ?」
って思った時に、結婚が遅くなったとか、STDが増えたとか、
そういう要素が多分に関係していて、私はそれを目隠しして、
「はいじゃあ、生殖医療もうまくいってきたし、これで解決しましょう」
なんて安易すぎて嫌なのだ。

一方で人生設計しないで、行き当たりばったりで、困った時には医学の進歩に
すがるなんて、自分勝手すぎる。

結婚が遅れるのは、相手を見つけるのが遅いのが悪いのか、
働いている間は子供を作れない社会が悪いのか。いずれの要素もあるにせよ、
後者に関しては改善の余地がある。
STDだって、知識をちゃんとして防ごうと思えば、回避できる。

だったら私自身は、早めに出産して、子育てして、それから働いても
いいかな、って思ったりする。っていうかそういう人生設計しないと、
いかんかな、と思う。


「じゃあ卵巣がない人はどうすればいいの?」
「じゃあ子宮がない人はどうすればいいの?」

それだって、例えばSTDにならないように気をつけなかったとか、
リスクファクターを省みなかった人だっているはずだ。


何かそう考えたら、自分の人生に自分で責任を持つなら、
もうそれこそ考えなきゃいけないことは山ほどあって、
この1分1秒も人生設計していかなきゃいけないんじゃないか、と思った。

かといってそんなことは無理だし、すべてのリスクファクターを
のぞくことも無理だし、現状は働いていたらなかなか子供は産めないし。
そのさじ加減が難しいところだ。

はてさて、この話はもう少し整理しないとな。とりあえずメモということで。

2005年01月23日

女性の人生2

私が将来子供を産むとするのならば、
私は不妊になるような条件はできるだけ避けるべきだということだ。
不妊になるリスクが分かっているのだから。


もちろん仕事の方が子供を産むよりも大事な人は、
仕事でどうしても休めない場合なら、子供を産むのは
年齢がある程度上になってからになってしまうだろう。
それはその人の優先順位に依るわけだ。

だから仕事をする上でも、自分が子供を産める「女」であることを
意識することが必要なのではないかと思い始めたのだ。
仕事を始めたら、子供は産めるのか?途中で休んだりできるのか?
子供を産めたとして、その後子供はどうやって育てて行くのか、
そういったことも一緒に考えて行かなければいかないのかな、と思い始めたのだ。
そしてもし子供を産んだり、育てたりすることが、仕事よりも優先されるのならば、
仕事はそれなりのものを選ぶ必要がある。
やりたい仕事があっても、子供のこととをうまくバランスをとらなくちゃいけない。

ただ、これは前提「仕事をする」=「子供を産みにくい」ということだ。
ということは、そもそも仕事を休めないっていうのが、優しくない社会だ。
そこを直さないで、不妊の人が増えた、でも子供を産みたいという希望は強いし、
社会的にも少子化は困る、じゃあ生殖医療だ、っていうのは正しくないと思う。

生殖医療は技術としてできたとしても、倫理的には十分議論されていないし、
そもそも議論したところで、結局法律でどうなるかっていう問題であって、
個人個人のレベルで見れば、生殖医療に賛成の人も反対の人も残り続ける、
そういった領域だと思う。パンドラの箱的な領域だ。

だから、まずはそういった上位の技術に進むよりも、
もっと誰もが賛成できる部分を直して行くことが必要だと思う。
それをしないで「不妊が増えたから生殖医療で解決」っていうのは無責任で、医療に頼り過ぎだ。

ただ、それを社会でバックアップできたとしても、それでも不妊の人は出てくるわけで、
その上で初めて、「卵子提供」「代理母」といった議論を行うのが順序として
正しい気がする。

高度なレベルの話をする前に、正しい性教育だとか、女性の生物学的な知識を
交えた人生設計の方法だとか、そういったことをまず考えるべきじゃないか・・・?

それは社会に女性が出て行って、
金銭的に自立し、仕事を持つという選択肢が増えた代償として、
私たちが自分で決めなければ行けない事柄、
言い換えれば流れに身を任せるだけではうまくいかない事柄が増え、
私たちはそれについてきちんと意識して考えて行かなければいけなくなった
ということだと思う。

モラトリアムもあと2年か。

2005年02月18日

確率

NIKKEI NET:B型肝炎、輸血で年間13-17人感染・日赤推計

 B型肝炎ウイルス(HBV)が混入した献血血液が検査をすり抜け、輸血で年間13—17人が感染するとみられることが17日、日本赤十字社の調査で分かった。初の大掛かりな調査による推計で、エイズウイルス(HIV)の感染も2年に1人程度と算出。献血者が感染した直後でウイルス量が少ない「ウインドー(空白)期」などに検査をすり抜けてしまうためで、ごくまれとはいえ現行の安全対策の限界が浮き彫りになった。  調査結果は19日、大阪市で開くシンポジウムで、東京都赤十字血液センターの佐竹正博副所長が発表する。  日赤は献血後の検査でHBV、HIVなどの感染が疑われた献血者について、過去の献血にウイルスが含まれていなかったか保管検体を詳しく検査している。検出されれば輸血された患者の感染を調べる。今回は1999年4月までさかのぼり、計2万5000本余りの保管検体を調べた。 (07:00)

輸血を受けている人がどのくらいいるのかな、と思って日赤のウェブサイトを訪ねてみた。赤血球製剤だけでも、供給本数は300万を越える数だった。その中の13~17人ということは、100万人に5人の確率。0.0005%。
それでもすり抜けることは問題なのかあ、と思った。

今ドラマで、私の5年生存率、87%というやつがやっていて、ドラマ自体は見ていないけれど、そのタイトルを見た時、感ずるものがあった。いろんな癌のいろんな5年生存率を眺めていると、87%なら治るなあ、と思うけれど、その裏で13%も助からない人がいて、それは当人にとってはものすごく重大な問題なんだよなあ。

この輸血からの感染だって、100万人の5人に入ることを恐れない人もいるけれど、恐れる人もいる。

そういうあいまいさを、常に抱えている。

2005年02月24日

ダブルメジャー

経営と医科学、同時取得もOK ダブル学位、大学続々 - asahi.com : 社会

 これこそ一石二鳥? 一定期間を二つの大学や大学院で学べば同時に卒業資格が得られるダブル・ディグリー(共同学位)制度が大学で増えている。欧米や中国など海外の大学と提携したり、学内での学部間交流を進めたりしている。国際化への対応を進める大学側の特色づくりと、「就職に有利」という学生側の需要で一気に広がりそうだ。

 慶応大は05年度から、大学院政策・メディア研究科の学生を対象に、韓国の延世大大学院社会学科と提携する。両大学院で最低、半年勉強すれば、最短2年間で両方の修士号を取得できる。
 学内でも今春から、大学院ビジネススクール(KBS)と医学研究科が始める。ふつうは4年かかる経営と医科学二つの修士課程を、最短3年で取得できるコースを設ける。「医科学にも通じた経営人は、製薬、バイオ関連産業などからの要請も強い」とKBSの矢作恒雄教授は話す。
 一方、早稲田大も、中国の北京大と復旦大との間で05年度から共同学位を始める。全学部生が対象で、中国側の学生は国際教養学部で受け入れる。同じ分野での提携を考えており、留学や遠隔授業で2年間を相手側で履修すれば、卒業時に両大学の学部卒の資格が与えられる。「中国に明るい学生をという企業のニーズが高い」(同大国際課)ためだ。北京大での学位取得を考える男子学生は「中国の大学卒業資格もあれば、就職の時に使える」と話す。
 国内でこの制度を初めて実施したのは立命館大。米国のアメリカン大との間で大学院は92年から、学部は94年から共同学位を授与してきた。年間約30人の実績があり、今年度からはオランダの社会科学研究所(ISS)とも協定を結び、最短2年間で二つの学位が取得できることになった。
 関西大、東工大などでも同様の取り組みが始まっている。
 こうした制度はジョイントまたはデュアル・ディグリーと呼ばれ、海外では珍しくない。日本では法令上、二重学籍は禁止されてはいないが、大学設置基準で学位ごとの最低授業時間が決められているため、なかなか進まなかった。海外の大学に対しては大学が特色づくりのため独自の判断で進めており、国際化と就職を意識した結果とみられている。 (02/24 16:12)

外国ではダブルメジャーというのはよくあるらしく、
友達からもその制度について聞いたいた。
確かに二つの領域の知識を持っていることはとっても大事だ。

これまで病院は、医者が経営をしていたからよくなかった、
と父はしょっちゅうぼやくが、
正にこの記事に示されるように、医学と経営に長けた人材は、
今後非常にその必要性が高まってくるのだろう。

私は沖縄旅行を通して、精神疾患を患う患者さんを支える
医師・看護士・作業療法士・ソーシャルワーカー・臨床心理士さんたちを
見ていく中で、それぞれにスペシャリストはいて、それぞれ患者さんを
助けるという部分では共通性は持っていながら、それぞれ異なる
アプローチをしている存在であり、それぞれはその道のスペシャリストの
意見が尊重されるべきだ。

精神疾患に関する法律を作るにしても、法律を作るという作業に関しては
政治家はスペシャリストだけれど、その内容に関しては全くの素人であり、
それは医療者が積極的に関わっていかなければならない。

いずれにしても、各々の道のスペシャリストがいる。けれど今この世で
かけているのは、その両者が歩み寄るという環境である。
作業療法士さんが、「みんな言っていることは正しいのに、別の意見を言うと
反対されているように感じている、本当はどれも正しいのに」とぼやいていた。
その通りで、それぞれ、それぞれの道で正しいことを言っていて、
だからこそそれを医者が自分と異なる意見だからといって切り捨ててはいけない。
切り口が違うだけなのだから。

そういう意味では、このような両者に長けた存在というのは、
両方の仕事をできるというよりも、
両者をつなぐ架け橋として非常に重要な存在ではないかと思う。

2005年08月18日

謙虚さと自信の同居

先日から3日間の病院実習に行ってきた私。
そこは夜の救急当直をほぼ研修医が担当しているという、
研修医に厳しい環境を提供する病院だったので、
そこで働く研修医は大学病院で見る研修医よりも医者として自信のある顔つきをしていた。

けれど私には自信が服を着て歩いているようにも見えた。

確かに診断能力や処置能力そしてその迅速さは素晴らしかった。認めざるを得ない。
それはまだ病棟実習もしていない、何の実力もない、机上の知識しかない
医学生のひがみからくるものなのかもしれない。

しかし患者さんを乗せたベッドが、CT室やレントゲン室と処置室を行き来する間、
何度も患者さんの家族の前を通り過ぎた時、その不安は顔に明らかに滲み出ているのに、
言葉がかけられることはなかった。
私はそれを差し置いて自信を振りまくことには、とても違和感を感じた。

私が感じた違和感のことを友達に伝えたら、自信というのは内に秘め、
謙虚さというのは外に振りまくものだという言葉が返ってきて、その違和感のわけを知る。

医学に裏打ちされた自信を内に秘めながら、
患者さんや家族に対する謙虚な態度を振りまく。
それこそ私が理想とする人間像。

2006年04月16日

医療の多様性

 私は高校生の時、「医療といえば医師と看護師」と短絡的に考えていた。けれど実際医学の勉強を進めて行くと、患者さんが病院に入院し、元の生活に戻っていく、もしくは生活の環境を調整して自分にあった生活を組み立て直していく過程で、本当に様々な職種の人が医療に携わっているということを実感するようになった。そしてそういった人々がうまく連携していくことで、患者さんの辿る道はより一層充実するということも感じつつある。それは3月の旅でも再確認したことだ。「医師が病気を治すだけでなく、退院後のこと、経済面のこと考えればいいのではないか」という人がいるかもしれない。確かに。「でも忙しい」それが医師の本音ではないか。医師一人で、患者さんの社会経済的な部分にまで踏み込み、生活サポートまでしていくことは難しい。だから医師はその性質上、診断・治療という側面から、その他の医療者は各々別の角度から患者さんを見て、各々問題点を把握し、各々のアプローチで解決していくという役割分担が必要になってくるのだろう。たとえば、医師ならば診断・治療、看護師ならば入院生活への適応や微妙な状態変化の把握・医療教育、検査技師ならば検査(採血・心電図・超音波)、ソーシャルワーカーならば患者の社会経済的サポート・退院後の治療継続支援、その他にも介護施設やデイケアによる人々のサポート・保健所での健康活動・精神疾患患者の授産施設etc...そのどれもが必要な仕事である。


 ある日友人が「俺、看護師を目指せば良かったな」と言った時、私は深く共感した。病棟実習をしていると、医師と看護師では看護師の方が圧倒的に患者さんと接する時間が長く、物理的・時間的に距離が近いことを知る。時には精神的にも。もちろん少ない時間を上手に使って、患者さんとの精神的距離を縮めている先生もいるのだが。そして、時折私は医師と患者との距離に寂しさを感じてしまう。
 またアメリカで出逢ったPhysician AssistantのDavidは、最初は医師を目指していたが、家庭生活も仕事も大事にしたいと思ってPAを選んだと言っていた。
 それぞれの職種でそのアプローチは違う。また、それぞれにいい所も悪い所もある。当たり前だけど。

 まだ知識が浅いながらも、私なりに感じてきたこの多彩さ・広がりを、そしてその大切さを、たくさんの人に伝えられたらと思っている。

2006年07月26日

赤ちゃんが生まれる時

Lingkaranという雑誌があって、ある日その雑誌のwebsiteの掲示板を読んだ。
以前お産を特集した号があり、その記事に対するコメントだった。

4年前に帝王切開で子供を産んだお母さんの傷み、
雑誌で奨励された「自然なお産」に対する疑問、
そういった言葉が書かれていた。

帝王切開と知った時の悲しみ。
自然分娩できないことの悲しみ。
私は想像してなかった。その言葉を聞いて初めて知った。

10ヶ月前から片時も離れず、成長を見守ってきた我が子を、産む。
ずっと夢見たその日を、その時を、掴めなかった悲しさ、悔しさ。


小さい頃、お母さんとお風呂に入った時、
おへその下の方にまっすぐ線が入ってた。
私とお兄ちゃんはそこから出てきた。
あの傷の痛みより、ずっと大きな傷みを抱えていたこと、全然知らなかったよ、お母さん。


安全に産むこととと、良いお産は別だって、Lingkaranの記事に書いてあった。
お母さんも子供も、無事でいられるように、医者は安全な道を選択する義務がある。
だけどそれで選んだ道が、お母さんの傷みになっちゃうんだと思うと、
とても悲しくなった。

安全に産むことと、良いお産は違うけど、
危険を冒してまで自然な分娩にこだわることは、医者として正しくない。
だけどそのコメント書いたお母さんは、傷ついた。

これからどういう可能性があるのか、これから何が起こるのか、
不安なお母さんにきちんと説明したり、
全てが終わった後、
10ヶ月前からの夢が消えてしまったお母さんの気持ちを思いやったり、
ここがスタートだということを伝えたり、
そんな言葉のキャッチボールがあれば、違っていたかな。


産婦人科医が足りない。家の近くでお産ができない。
そんな人手不足の中で、母体を救えなかった医者が捕まった。
自然分娩が叫ばれる。医者は敬遠される。

これからそっちに行く私だから、そんな実情に目を覆いたくなる。
でもその事実から目を背けずに、これから何ができるのか、何をしなくちゃいけないのか、
そういうことをいっぱい考えなくちゃいけないんだと思う。

2006年07月29日

かぜをひく時

うつ病の番組を見た時のジレンマ。
うつ病の人が抱える無気力・自責感といったものに対して、
寛大でいること、受け止めてあげることが大事だと思う。

一方で、「うつ病」を支える人たちは、
それだけの心の余裕を持つことができるのだろうか、と疑問に思う。
それは「うつ病」の人が吐露できない理由の一つであると思う。

大うつ病は「病気」だけど、ストレスで落ち込んだりするのは「病気じゃない」のか。
その境界線はDSM-IVの診断基準で区切ることができるものだろうか。

「うつ病だと思ったら、早く専門医に」
というのは、正しいけれど、それだけじゃないんだと思う。
うつ病の極期は、薬を使ったり、精神療法を受けたりする必要があるんだろう。
でも、本当にその人がうつ病を克服するには、
再発することを防げる環境を作る必要性があるのではないかな。

うつ病は内因性の病気だから、きっかけがなくても再発してしまうことがあるけれど、
その時、話が出来る身近な存在を作っておくとか、家族が支えていくとか、
そういう環境が整って初めて、その人の病気が克服されるんじゃないかと思う。
そうなると克服と言うか、共存と言うか、そういうことだ。

うつ病が治るのだろうかという不安の発端は、
うつ病そのものが悪い方向に向かっているのと同時に、
うつ病である自分を拒否している自分が存在してしまっているのだと思う。
これは本当の私じゃない。こんなんじゃない。
そういう風に自分を拒否しているんだと思う。

でも、リスクファクターとなるような病前性格があり、
再発を繰り返しやすいことも考えたら、
自分の一部として包含していく必要があるんだと思う。
「治った」っていうんじゃなくて、
「コントロールできるようになった」っていう、そういう方向が、
目指すべきところなのかな。


私を襲いつつある頭痛に、その言葉を捧ぐ。

2007年09月23日

事実を話すこと

「がん」というのは、医者にとっておそらく「ありふれた」病気です。
けれど、患者さんたちにとっては、死を突きつけられるような重さのあるものです。
私はその重さを、軽々しく考えていました。


指導医の先生が、先日私に、「告知」をする機会をくださいました。
私なりに準備をして、どういう話の展開をすればよいのか、
これまで同席させてもらった先生たちの説明を思い出しながら練りに練りました。

そして、
 ・「がん」という事実を正しく伝えること
 ・その悪い知らせを知らせたことの意味
 ・それに対して私たちが相変わらずサポートを続けること
それを伝えていくことが大事だと思いました。

うまく言えないことも多かったけれど、言葉がつまることも多かったけれど、
何とか患者さんにその事実を伝えました。

79歳の患者さんは、覚悟を決めていたかのように
「悪性ということですね。分かりました。」
と答えました。

翌朝その方の部屋を訪れ、もう一度お話をさせていただきました。
幸いその方のがんの進行度的には手術できる範囲内であり、
手術でとりきれる可能性がありました。
しかし、患者さんは、涙を流しながら、自分の命の限られた時間について
思いを巡らせ、残された時間をどう使っていきたいのか、とくとくと話されました。

「80歳にもなると、怖いというより、来るべきときが来たという感じがする」
「無理をしてまで、長生きしようとは思わない」
「できるだけ今の状態で残務処理をしたい」
「妻より先に死ぬのは自分勝手だ」
「家族には迷惑をかけない形にしたい」
「手術をすると、食欲も落ち、先が真っ暗な気がする」

そういった言葉を並べながら、手術より化学療法を希望される旨を話されました。
しかし医学的に考えると、断然手術の方が根治の可能性が高いのです。
そこで化学療法を選択するというのは、医療者にとって、相当に勇気のいる決断です。
けれど病気になっても、ならなくても、命が限られている事実を受け止め、
その質を大切にしようという考えは、年を重ねた方だからこそ言えることではないかと
思います。

私が高校生の時、祖父が同じようなことを言いました。
「この年になると、死はそばにあって、そのことを考えている」と。
それは「死にたい」とかそういうことではないと。
実際、当時83歳だった祖父は10年後までの計画を紙に書き出し、
当然そこまで生きる気持ちでいたわけです。
おそらく「終わりの予感」のようなものだったのではないかと思います。
矛盾とも思われる生と死が、共存する。何とも不思議な気持ちです。
そんなこんなで祖父はもうすぐ90を迎えます。


その後私は、その方の「家族に迷惑をかけたくない」思いを想いながら、
それぞれの治療の良い点・悪い点について、もう一度紙に書いて説明しました。
ゆっくり時間をかけて。気持ちが少しずつ傾いてくるのが分かりました。
そして、手術も考慮にいれた上で、ご家族と話し合い、決断するとのお返事をいただきました。


緩和医療の本を読んだ時、「患者さんに学ぶ姿勢を持つ」という言葉を読みました。
私はベッドサイドで、「あなたは若いから分からないでしょう。」とよく言われます。
確かに患者さんの気持ちを分かっていない部分は多分にあるでしょう。
それでも、私なりに努力して、こうした対話を通して、分かっていきたい。
目の前にいるその人の思いや生き様を聞くことで、医学的側面のみならず、
自分という人間の成長すら感じています。


年を重ねた人の思い。目の前にいる患者さんにとって大切なもの。
それに私は感動しました。
医療者というのは、「第3者」として客観的な判断をくださなくてはならず、
感情的な判断をしてはいけません。
それではお話をして、感動するというのは悪いことですか?
人として、その話を聞いてどう思うか、それは大切な感覚でしょう。
同じ話を家族が聞いてどう思うのか、想像を膨らませることも私たちの役割。
その一方で、この人のがんの生物学的特徴をとらえ、客観的判断を下すべきです。


がんというのは「なかったことに」するのがとても難しい病気です。
その運命を受け入れ、背負うという患者さんの姿は、私の心の琴線に触れます。
自分勝手かもしれないけれど、そういう方々とお話を続けたいです。
そしてお話しする中で、その方を支える良い方法を見つけ出し、実現したいです。
目を覆いたくなる事実が存在する道だけれど、
だからこそその人の「ひととなり」が映し出される大切な道であり、
それが私の胸を打つのです。

2009年06月20日

いしみがき

お隣の奥さんとうわさ話をするようなトーンで
「時間、かかりすぎですよね。」
 
看護師さんの胸から
血液検査を終えた孫を抱きかかえながらおばあちゃんが言った言葉は、
私の胸に突き刺さった。
 
 
自分を正当化したくて、
その言葉を先輩に吐露し、励まされた。
「確かにお母さんたちはその子のことを一番考えているけれど、
 私たちも二番目くらいには考えているよね。
 だって家に帰ってもその子たちのこと考えているでしょ?」
 
それでも突き刺さった言葉が耳に響いて眠れなかった。
 
 
その後、何度か付き添ってもらっての採血をしてみることにした。
 
「がんばれー」のお母さんの言葉は励まされるが、
(もちろんそれは子供に向けたエールであり、私に向けているわけではないが)
「かわいそうに」の言葉は、緊張を何倍にも膨らませた。
 
1回で終われば、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし1回目で採血できず、2回目手背のポタポタで何とか採血した子もいた。
2回目の採血への緊張感は1回目の何十倍もであった。
そんなときは看護師さんに「難しいなら、外に出ていてもらった方が・・・」
と気を遣わせることも・・・。
 
お母さんの視線を感じながら処置をすることへの
強い緊張感、失敗することへの恐怖感は拭えない。
いい方向にも、悪い方向にも働きうるその感覚は、
おそらく今の時点では「悪い方向」の意味合いが強いかもしれない。
 
しかし一方で、
外で子供たちの泣き声のみから扉の向こうの世界を想像するお母さんたちの気持ち、
それを考えいたたまれなくなる思いからは解放された、というのが本心だ。
ドアのすぐ向こうに見えるお母さんの影もまた、強い緊張となる。
 
冒頭の一件も、
カーテンの中でその子が泣いていた大半の時間は、
血管を探るのに費やされており、針を刺していた時間はその1/3か1/4だ。
(もちろん泣いている間、何らかの恐怖は感じており、針を刺すだけが
 「痛み」ではないのだが・・・)
今回の言葉の一件は、その感覚のずれを象徴したものかもしれない。
 
 
他の人たちがどう考えているのか、知りたくなり、インターネットを探る。
 
小児がんのお母さんが集うインターネット上の掲示板で
「どうして採血のときに処置室に入れてくれないのか」の議題で
討論するページを読んで落ち込む。
馬乗り、ぎゅーぎゅーしぼる・・・言葉の表現としては虐待にも近い行為に思える。
私がやっていることは、そういうことなのか・・・?と疑念との葛藤。
でも子供たちの必死の抵抗や
子供たちの細い血管から必要量の採血をすることの難しさからの行為だ。
それもすべて、説明と同意と付き添い・・・で解決できるだろうか。
その時間が許されるだろうか。
 
基本的には付き添ってもらい、
難しそうな子の場合には控えてもらうという理念を持つ小児科の先生の言葉があった。
言葉の選び方、それもあるのかもしれない。
 
 
 
まだすべては始まったばかりだ。
まだここにきて2ヶ月半。
何十年も続けていくつもりのこの仕事を、
ここでくじけるにはいかないのだ。
私なりのスタイルを築くしかないのだ。
そのためには確固たる技術、確固たる話術・コミュニケーション術、それを裏打ちする知識、
結局それを磨くしか術はないのだと、初心に立ち戻る。
 
 
「先生の方こそ体調大丈夫ですか?」
まだ駆け出しの私は、その言葉を聞いて、むしろちょっとほっとしている。
せめて時間をかけるくらいしか、今はまだできないから。

2009年09月12日

赤か黒か

先日、小児科で性別をどちらともいいがたい児が生まれ、この記事は私にとって非常にタイムリーな話題だった。


時事ドットコム:セメンヤ、性別疑惑−豪紙


今度12月に私の兄の第二子が生まれる。母は男の子なのか、女の子なのか、そわそわして落ち着かない。超音波でおちんちんが見えれば男の子、見えなければ女の子。生まれてからも性別を決める基本は同じである。


でも世の中には、外見上男だけれど、遺伝子上は女だったり、その逆だったりする人がいる。なかには遺伝子上どちらの性か決めにくかったり、男女両方の性質を持つ人もいる。
たとえば遺伝子では男なのだけれど、遺伝子が誤作動を起こして外見を女にしてしまうことがある。(性同一性障害では、脳の認識と外見が異なるが、そういった人々は外見と遺伝子の性は基本的には同一である。)
 
こういった人たちは社会的に男として育てられるのか、女として育てられるのか。
 
たとえば薬を飲むなどの介入で遺伝子上の性別として成長していくことができる場合があり、そのときは遺伝子上の性別に従うことになる。ただし生まれた時点で生殖器が別の性になっており、手術で治すことになる。多くは本人が性を意識する前に。


しかし遺伝子で男だからといって、男性として生活するには不都合が生じる場合もある。なぜなら他人が性別を判断するのは外見であり、一生を暮らしていくなかで男か女かということが問題となるのは、生殖器の働きであり、夫婦生活であり、プロスポーツのような肉体的な性差が関わる場所であり、そして自身の脳みそが認識する性別である。うまれた時点で生きていく性別の生殖器が十分に備わっていない場合、手術で治しきれず、夫婦生活が難しくなる。子供を作る問題も生じてくる。胎児期の脳形成時点で男女の別が少しでもあるとしたら、性同一性障害を発症するリスクもあるのかもしれない。


こういった点を考えた上で、社会的な性別をどちらにするのか、医学的に大まかな決まりがあり、それにそって判断していくこととなる。

 

・・・性別を誰かが「考えて決める」という事実があるということ、それが私にとってはとても衝撃であった。でもどちらかに入らなければならない「仕組み」がある以上、決めなくてはならないのだ。枠組みにあわせるということだ。

 

セメンヤ選手が800mを1分55秒で走るという偉業を18歳にして達成した事実。彼女が精巣を持っている事実。それらたくさんの事実を偏りなく知った上で、私たちは感情を抱く必要がある。
 
スポーツの世界で、男性も女性も活躍できるよう男女の別をつけることを、私は女性の立場としてそうあってほしいと思うが、ケースによっては難しいのかもしれない。

フェアプレーを保つために、そういった人たちの参加を制限するという手段をとったとき、傷付くのは他ならぬ本人であり、この方法が解決策とは思えない。
社会的性で分ける?ホルモン値で分ける?それともそもそも男女の別を取っ払う?男女区別する以上、どこかで線引きをする必要があり、それに絶対的な正解はないと思う。できることなら「参加制限」以外の方法で決め、決まった以上はそれを「フェアプレー」として受け入れる。その覚悟を参加する本人にも、それ以外の選手にも要求するという立場が貫かれればよいと思う。

2009年11月27日

気もそぞろ

連休が明けた火曜日、1日で新しい患者さんを8人受け持ちすることになり、てんてこまいのスタート。それに追い討ちをかけたもの・・・その日入院した肺炎のふたごのお母さんは、お医者さんだった。

小児科歴がようやく1年になろうかという私が、どうみても若いとばればれの容姿で、経験年数がもっと長いお医者さんの親御さんを相手に、どう対峙したらよいのか。説明のつかない居心地の悪さでいっぱいだった。


「1+1」の答えは2だけれど、「腹痛+熱」の答えはひとつではない。答えを得るには、本人の状態と検査結果に、今後の経過という時間要素が必要だ。ときには答えを得られないままに時が過ぎる。しかし私たちはその途中途中で常に決断を迫られ、説明を求められる。そんなとき、対峙する相手がことの次第をわかっていればわかっているほど、「確定的な説明がつかない、でもごまかしはきかない、知識故に痛いところに質問が飛ぶ、答えにつまる」

その心境といったらない。


二日後、外来で仕事をしていたところ、別の先生が診察していた紹介患者さんのお父さんが、以前務めていた病院の産婦人科の先生だと知った。何を隠そう1年3ヶ月前、私はそこにいた。患者さんを不安そうに眺める先生に「父親」の姿を見ながら、「先生、その節はお世話になりました。今は小児科医になりまして・・・」と挨拶をし、そそくさとその場を後にした。生きた心地がしなかった。今日は自分が診察するわけではなかったことに少しほっとした。
その後、当直で外来患者さんや入院患者さんの対応に没頭していているうちに、ようやく心が安定してきた。その矢先に診察した、お父さんにだっこされた3歳の男の子・・・。横に立つお母さんと話を進め、さて子供を診察しようと両側のほっぺが腫れ上がった彼の向こうに、学生時代から知る大学病院の整形外科の先生の顔が見えた。必死でいつものペースを守りながらたたみかけるように喋り続けた。


こうして続いた偶然に、まとわりついた居心地の悪さ。
今自分がやっていることは、そういった先生たちに見せて恥ずかしくないことなのか?それにはっきり「恥ずかしくないです」と返答できない自分に卑屈になる。
そして、考えれば考えるほど、「専門性」を盾に提示する情報を取捨選択することに甘えている自分が露呈されるのであった。

その余韻で不安が止まらない。小児科医として半年働き、甘えが出てきた私の気を引き締めるために、誰かが仕組んだのだろうか。「もっと頭を使いなさい。盾に甘えるな。」

体験を通し、「小児科医」として自立するために、小児科医としての知識だけでなく、社会人としての儀礼も含めて、いろんなことに穴が見つかる。

日々まとわりつく不安は、私の不足を示すバロメーターなのだ。それが何なのかきちんと言葉にして、次に生かすこと。そういうこつこつとした努力が今必要なのだと思う。

2010年05月23日

サイクルを回す覚悟

2008年11月、小児科医になることを決めた。
そのことをお世話になった方々や友人に伝えた時、
「初心を貫いたね」ということばをいただいた。
でもその響きの重厚感は、
自分の決意の固さとはほど遠い気がした。

それから1年半経った今も
学生時代持った決意、医師として働くなかで抱いた想い、
それらを日々の忙しさを前に、まるで形にできておらず、
とてもあの言葉にふさわしいとは言えない姿の自分がいる。

一つの人材派遣会社に所属し、1年毎に仕事場を移して行く。
その場所ごとに感じることはいろいろあって、
でも大きな仕組みを変えるほどの覚悟が持てず、動き出せない。
改善の余地があることを分かっているのに、行動に移せない。
それは忙しいということだけでなく、
自分の思っていることに根拠があるのか分からないということも
足をひっぱる大きな要因だ。

いろいろな人が関わるものごとを改善するためには、
 ・問題点を見つける、その解決策に根拠を持たせる
 ・それをもって人を説得する
 ・正しいことを「忙しい日常」のなかで成立させるために
  可能な方法を考える、相談する
 ・それを実践する
 ・その成果を数字など客観的方法で示す
この基本的サイクルを回して行くしかない。


覚悟を決めて取り組むか、諦めるかのどちらかしか道はない。
そのどちらを選ぶか、すべては自分次第だ。

About 医療

ブログ「46」のカテゴリ「医療」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。新しい順番に並んでいます。

前のカテゴリは写真です。

次のカテゴリは日常雑記です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type