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日常雑記 アーカイブ

2004年12月12日

よしなしごと

みなさまご無沙汰しております。
しろばかりの管理人のツジです。
本当に3ヶ月も放置しっぱなしでごめんなさいでした。

いろんなことを経験しながらここに至り、ようやくひと息つきました。

そして、ずっとやってみたかったweblogを完成させました。
ここは、「編集長メモ」という感じで、雑誌「しろばかり」で
取り上げきれなかった日常的な内容を、載せていきたいと思います。

どうぞお付き合いください。

2004年12月14日

医者になること

昨日はラストクリスマスを見ていて、
春木の無力感が
「自分は頑張らなくちゃ」と思わせた。

けれど、病気が治るかどうかは、
天に運を任せるしかないのかなぁ。
所詮医者のできることは、患者さんを良い方向へ導くことだけだから。
そうだったら医者ですら、いや、医者だからこそもっともっと無力感を
感じてしまうのではないのかなあ。
自分がその立場に立った時、どうなるのだろうか。

2004年12月21日

魔法が解ける

大きな荷物を一つ下ろしたのだけれど、
この魔法はなかなか解けなくて、
でも今の私には、その魔法を解くために頑張る私を支えてくれる
二人のナイトがいる。

時々そのことを忘れて、魔法に踊らされる時があって、
昨日は正にそんな日だったんだけど、
けれど今朝こうして起きて決意を新たに、
二人のナイトがくれた安心を飲み込む。
そしてより決意を固めて、今日という日をちゃんと生きようと、
魔法に負けまいと、誓うんだ。

私を見てくれている二人のためにも、私はこの魔法を解く呪文を
手に入れるんだ。絶対手に入れてやる。

最初から完璧を目指さない

ごめんなさい。なかなか抜け出せない。
そんな自分に自己嫌悪。
だけど、前進したいんだ。お願いお願い。
私に強さをください。

忍耐!

でも最初から完璧を目指すな。時間をかけるんだ。

2004年12月27日

強さ

ハリウッド俳優の名前はいまいち覚えられない。
ようやく最近少しずつ覚えてきた。

その中でも私が積極的に名前を覚えたのがアンジェリーナ・ジョリー。
素敵な黒髪と妖艶な唇がたまらなく魅力的だ。
(Angie fan site )

ブロンド・ライフという映画を父親と見たのが彼女を知ったきっかけ。
それ以来どうしてもあのきりっとした口元に惹かれてしまう。

昨日彼女の雑誌のインタビューを少し読んだら、
29歳にして養子をもらっているとか。なんか強くてパワー溢れる人だな、と思う。
彼女の強いまなざし、輪郭のはっきりした口元に私は惹かれるのかな。
そう、たぶん私は芯の通った女性になりたいのだ。


卒業アルバムでよくある万番付を、毎年年末に部活で作る。
なぜか今年は「守ってあげたいランキング」の”圏外”に入った。
理由は「おれが守られたい」だとか・・・。
強い女性に憧れる私には、最上の誉め言葉だ。

2004年12月29日

大失態

2004年がもうすぐ終わりだという今日、
危うくとんでもないことを起こすところだった。

勉強中、ふと窓の外を見たら雪が綺麗に降っていたので、写真をとりに
外に出た。撮影会を終え、部屋に戻ると焦げ臭い。

見れば椅子に掛けてあった毛糸のひざかけとストーブが
見事に触れて、膝掛けは焦げ目がくっきり。部屋は焦げ臭さがばっちりしみ込む。

やむなく窓を開け放すこと2時間。
部屋は冷たい空気に包まれる・・・。足下が寒い。
でも何故か今も椅子の腰の部分が暖かい・・・、気味が悪い。

火の用心を心にしっかりと刻み込んだ、年の瀬。

2005年01月06日

救命病棟24時

救命病棟24時の2時間スペシャルをビデオに撮ってあったので、
さっきちょこちょこ見ていた。
どうも進藤先生がしっくりこない。
というのも、去年江口洋介は里見先生を演じていて、
優しくて正義感の強い医者だったから、
そっちのイメージが妙にかぶってきて、
進藤先生の人柄が私の中で混乱してしまったから。
同じ人が同じ医者だけれども違う医者を演じると、こんなことがおきるのか。
お正月にちょうど白い巨塔の再放送をやっていたし、
同じ感覚を持った人は結構いるんじゃないかしら。

2005年01月15日

沖縄

突然思い立ってお正月に沖縄旅行を計画した。
テストの勉強ばっかりなのが疲れて、
テストが終わった後の休みのことを考えていたら
突然思い浮かんだ。

でももう思いに任せて行動してみようと思って、
思い切って計画した。

こんなに衝動的な自分は初めてだった。
理由をつければいろんな理由が付けられるけれど、
かなりこれはもう衝動だ。


行った後、何を得て帰ってくるのか。
私自身にも分からない。

2005年01月21日

優しい時間

寺尾聰の醸し出す空気と、そのタイトルとに惹かれて見始めた「優しい時間」。
私は「北の国から」をほとんど見たことがないので、倉本聰の脚本のドラマは
ほとんど初めてだ。

コーヒーを自分でひく感じとか、息をのむほどの紅葉とか、
本当に見ていて穏やかな時間に包み込まれる。
でもなぜだか分からないけれど、何より心に響くのは、
拓郎の何かを悟ったかのような穏やかな声。
そして勇吉とめぐみの煙の漂う時間。

2005年01月27日

Engrishじゃだめ

今年の一つの目標が英語を身につけることで、
遠山顕が好きなこともあって、
12月からリスニング入門を聞いているけれど、
どうも私にMDを聞く習慣がなくなってしまったので、
CDを買って、それをiPodに落としてしまうことにした。
これなら簡単に移動中にも聞くことができる。

と思ったら、何と無料で英語音源をダウンロードできて、
おまけにtextまでダウンロードできるサイトがある。
その他iPodの様々な使い方を習得した。

iPod Fan iPod・iPod mini・iPod photo 徹底活用ガイド for Macintosh & Windows

この本をたまたま読んだら、「こんなことできるんだー!」ってなことで、
またiPodを使ってさらに便利な生活が取り組めそうだ。

とりあえず中学生の時に覚えた
Martin Luther Kingの"I have a dream"と、
大好きなLegally BlondeからElleの答辞をダウンロードしてみた。

American Rhetoric

あとはこいつを生かす私の努力だな。

2005年02月02日

先生

高校1年生の時、習っていた先生に久しぶりにメールをしたら、
その返事が今日返ってきて、
その内容がとても嬉しかった。

私が三線を弾いていたことを覚えていてくれたのとか
ほんとに嬉しくて。
先生ありがとう。元気をもらいました。

2005年02月13日

帰宅


沖縄から昨日帰ってきた。
何というか、言葉にならないいっぱいのものをもらってきた。
私はなんというか、こんなにいい出会いをもらっていいのかな。

そんな風に思う、今日このごろ。

2005年02月16日

それでも嬉しいことはある

っていうか、昨日はもうバレンタインデー翌日だった。
春休みの大学生なんて、そんなもんだよね。
今日バレンタインデー後の半額のチョコレートを買った。ロシェのチョコ。大好き。

沖縄旅行は、それはそれはすばらしい経験だった。
でもあんまり密度が濃すぎて、まだ手が付けられない状態だ。
たくさんの人に出会って、たくさんの人からたくさんのものをもらった。

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2005年02月17日

え?

昨日って地震があったの?
知らなかった。
重症だ・・・。

ちっぽけな願い

私には去年の秋から叶えたかった一つの夢があった。

学校で用事を済ませ、エクセルシオールカフェで暇をつぶしてから、
有楽町のビックカメラの前で待ち合わせた。兄と父と。

こうして3人で丸の内で夜ごはんを一緒に食べる。
それが私のちっぽけな夢だった。

COCAレストランというタイ料理のお店で、
3人でむしゃむしゃごはんを食べながら、いろいろと話した。
お父さんはお兄ちゃんと丸の内で出会った偶然について感慨深く語り、
お兄ちゃんは「顧問弁護士をうちの会社にしない?」などと営業を始め、
私は行ってきた沖縄での経験を話し、
たった1時間半の食事で、5年分くらいの空白を埋めた気がした。

父も兄も仕事の途中だったので、二人とも丸の内の会社へと戻っていった。
「じゃあね」と手を振り合った。

楽しかった。とても幸せだった。
こんなちっぽけな夢が、本当に嬉しくて仕方なかった。

会話のある食卓を囲んでいる人には、あまりイメージが分からないんだろうな。
だけどこんな出来事が本当に嬉しい、そういう人もいるんだな、と思ってもらえたらいい。

2005年02月19日

ありふれた人生

souvenir.jpg

「じんせい」ってうったら「腎性」って出てくるこのパソコン。
肩すかしを食らった気分。


今日はずっとスピッツに助けられている。

ありふれた人生なのは分かっているけれど、
それでも私の色をつけたくてしかたがない。

スピッツ 公式サイト:スーベニアの画像を引用

2005年02月25日

国立二次試験

あぁ、今日は国立の二次試験の日だ。毎年恒例の。がんばれ受験生。

今日学校にいったのにまーったく気づかなかったよ。
だってうちの学校の学科試験は某予備校で行われるんだもん・・・。
そんでもってふつーに授業は行われるし。

試験期間も一切休みを提供しない、困った学校。
さすがに面接は学校で行われるけど、3年生の時なんて
「今日は面接官やらないといけないので、早めに授業終わらします。」
って言って、質問も受け付けずに帰ってったもん。
先生そんなに頑張って授業せんでもええですよ。

2005年03月02日

都路里

ぎをんパフェ.jpg

女子の憧れ都路里パフェを食べてきました。
部活の同輩後輩5人で。
春休みの大学生が5人揃ってカレッタ汐留へ。
さすがに平日のしかも開店直後ということで、
ほとんど並ばず入れました。
メニューに見入ってどれにするか迷った挙げ句、ぎをんパフェを注文。

抹茶・玄米茶・ほうじ茶・バニラアイスの絶妙なトッピング!
もうこれはおいしいというしかないでしょう。
甘すぎず、3つのお茶のアイスでさっぱり食べきれました。


北海道に部活の遠征に行ったのに、大会出場組の私は
雪印パーラーのパフェを食べ損ねてしまいました。
応援組の方々の雪印パーラーパフェの話を聞くに耐えられず、
東京で美味しいパフェを食べよう企画を思い立って早半年。

やっとこさこの夢を実現でき、
後輩と至福の思いを抱いたという訳であります。

はぁ、美味しかった。

茶寮 都路里 カレッタ汐留店 web site

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2005年03月03日

今一番辛いこと

毎日の頭痛で、どうにもこうにも頭が痛くて、
先が読めないから、私はずっと予定を入れるのが怖かった。
ここ2・3日うまく行っていたから、漸く春休みにしか会えない友達と
会う約束を取り付けることにした。

でもカレンダーにたくさんの丸印がついて、少し不安になっている自分もいる。

私は本当は触れたい人がたくさんいて、
話したい人がたくさんいて、
憧れていて、その人がどんな人となりで、どんな暮らしをしてきて
どんな道を進んでいくのか、そんな話を聞くのがとても好きだ。

けれど、毎日毎日不安で仕方なくて、
その日を乗り切る自信がないから、
会う約束をするのを、我慢していた。
我慢すると言うか、したくてもできないでいた。

だから昨日のパフェにしても、4日前のボーリングにしても、
私が1日でも健康で、落ち込まずに誰かと話していられたことが
本当に嬉しくて仕方なかった。そんな日々は久しぶりだった。


今日は残念ながら、また頭が痛くてどうしようもなくなった。
けれど、メールをくれた二人組のあったかい言葉に、救われた。

早くこんな不甲斐ないbad spiralから抜け出して、
前へ前へと進みたい。
憧れているたくさんの人々とふれあいたい。


私は人一倍人恋しいのに、怖くて踏み出せなくて、
だからもしかしたら私はひどく人付き合いの悪い人になっているのかもしれない。

示したいこの気持ちを示せないもどかしさが、
こんなにもみんなを恋しく思っていることが伝えられない、
それが今の私にとって一番辛いことなんだ。

2005年03月04日

しゃんとするの

私の思いを自由に伝えるために、
私は自分をしっかり強く持たなくっちゃ。

頭が痛くても、大きく息を吸い込んで、
立ち止まって
1個1個処理していくしかない。

もう私がしゃんと背筋を伸ばすしかないの。
鬱積していく物事を吐露する相手がほしいなんて、
そんなことばっかり言ってないで、
深呼吸してぴんとしなくちゃ。

私が強くならなくちゃ。
負けないの。

2005年03月07日

将来のこと

先輩達が結婚や出産を迎え始め、
周りが慌ただしくなり、
私もそろそろそんなことを気にし出した。

そんなことも含めて将来を考え始めた。

ふとクラスメートとメールをしていたら、
将来の話になった。

確実に音を立てて近づいてくる将来。
私はみんなのそんな話に耳を傾けている時間が好きだ。

2005年03月08日

前髪

どうしてか未だによく分からないけれど、
私はクラムボンの郁子ちゃんがすごく好きで、
私は彼女のような考え方をしたいし、
私は彼女のような振る舞いをしたいし、
私は彼女のようなピアノを弾きたいし、
私は彼女のような笑い方をしたい。

悪いモードの私は、そんな思いで胸がいっぱいになって、
切なる願いを込めて、はさみを右手に前髪を切る。

2005年03月09日

お昼ごろ、大学に行く前に郵便受けを覗くと、乱暴な文字で
宛名の書かれた、私宛の少し大きめの茶封筒が入っていた。
誰からだろうと裏へひっくり返すと、卒業した先輩からだった。

少し厚みがあり、ますます中身が分からないその封筒をびりびりと開けると、
保護剤に包まれて入っていたのは「ブルフェン」という錠剤の束。
私はそれを見た瞬間、ものすごくびっくりしながら、
先輩の想いを一心に感じ取り、本気の涙を流した。
それはまるでドラマのワンシーン。

毎日続く頭痛
忙しくてろくに話を聞いてもらえなかった悲しさ
そんなことを先輩に吐露した

以前もらったそのお薬は、もう頭痛には出せないと言われ、
どうしてだろう、と尋ねた私の言葉を先輩は確実に受け取ってくれていた。

人によって効くお薬というのは違っていて、
私はそのブルフェンというお薬が比較的効くので、どうして処方できないのか
尋ねたかったけれど、そんな時間も忙しい先生の前では許されなかった。

先輩は頭痛では保険適用にならないから、上気道炎とかで処方する、という理由と共に
そのお薬を送ってくれた。


先輩が確実に私の言葉を受け取ってくれていたこと、
そして私のうじうじ悩みに確実にレスポンスしてくれたこと、
そんな熱い想いがぐっさりと突き刺さって、心は痛んだ。

ありがとう、先輩。

2005年03月13日

あまりの頭痛のひどさに、枕を購入しました。
伊勢丹でさまざま調整してもらった、1万円もする枕です。

でも頭のところがへこんでいたり、首の高さを調節したり
いろいろと手が込んでいて、これはなかなかな枕です。
これで頭痛が少しでも和らぐといいな。

2005年03月17日

男泣き

友達の男泣きを眺めながら、私の心はこんがらがった。

2005年03月27日

無尽

健康へのデザイン : 「無尽」で人とつながり : 医療ルネサンス : 医療と介護 : YOMIURI ON-LINE (読売新聞)

2005年04月13日

すっかり書きそびれて

すっかり書きそびれていた。
調子がよかったり悪かったり。
苦しいなあ。

2005年05月07日

けなされ続けた人の顛末

毎度のことだ。母親との口論。
口論という熟語にするほどのものでもない。
ひらがなで書く「くちげんか」程度のものだ。

それが私を地の底へと追いやる。

私が作った部のコンサートのポスターに対して
母が「直した方がいいよ」と言った。
「大丈夫だよ」と言ってその場は流した。

その後コンサートの会場からチェックの電話があり、
いくつか連絡先の記載など事務的な内容について訂正が必要となり、
再び作り直すことにした。

その電話を勝手に聞いていた母親が口にした「やっぱり」という言葉。

ひどく腹が立った。
いつも私をさげすむその言葉。


どうして私をいつもさげすむんだ。
どうして私のことをいつも下に見ているんだ。
けなされ続けた私は、どんな他の人が言っても「アドバイス」ととれる言葉すら、
相手が母親になると、basicに「否定されている」という想いを付け加えてしまう。
だから「アドバイス」は「罵倒」に変わる。
そして「やっぱり」という言葉がその想いに拍車をかける。

それでも母は祖父にけなされ続けたと聞く。
連鎖している。
仕方のないことだよ。
理解して、理解して、押し込めて、押し込めて、鎮める。

連鎖を切る。

世の中の大人が、子供をけなすことと、愛を持って注意することを
見まがいませんように。
私がそういう大人になりませんように。

2005年05月08日

伝える

私は区報とか新聞のイベント欄をよく眺めている。
「このシンポジウムに行ってみようかな」とか
「このイベント参加してみようかな」とか
いろいろと思うところはあるのだけれど、たいていの場合それは思うだけで終わる。
「わざわざ行く必要があるのかな」「このイベントに行く意味があるのかな」
「興味本位じゃない?」「何を目的に行くの?」
いろいろ考えて、結局足を運べずじまいに終わることが多い。

そんなことを思っていた3月のある日、読んだのが、下の一言。

  でも足を運んでみる。人に話しを聞いてみる。
  そんなことが重要じゃないかなって、最近よく考えています。

これは、東京カフェマニアの川口葉子さんなどが
リレー形式で綴っているブログで見つけたもので、
ベンチャー起業家の関根健次さんが綴った言葉である。
中国茶と茶器のチンシャン・ほんわか茶飲み日誌: 伝えるということ


結局自分で体験したこと程、説得力のあるものはないわけで、
伝聞を伝聞しても、いまいちぴんとこない。
それは伝聞ではなかなかものごとを自分の言葉にしづらいからだと思う。

石橋を叩いて叩いて渡らない私。
時々はもっと冒険してみるのも悪くないんでない?

ピラティス

今日は最近よく耳にする「ピラティス」を体験してきた。
何でも第一次世界大戦のドイツ軍兵士のリハビリ用に開発されたものらしく、
体への負担が軽いということで、広い年代に通用するものとして、
重宝されてきたものらしい。

ヨガを基本としてやっているらしいが、そもそもヨガを知らない私は、
呼吸法が最初難しく、なかなか言われた通りにできなかった。
さすがに部活で筋肉は鍛えているので、
運動そのものの大変さはさほどないものの、
やはり本来のピラティスには遠いようだった。


レッスン後、先生と受講生とのお茶会に少し参加した。
みんなおそらく働いている女性たち。
私としてはそんな人たちに囲まれて話をするのが、
なかなか興味深い体験だった。

前回も講習に参加したと言う人がピラティスについて
詳しく知っており、またその受講動機も非常に明確なものだった。
他の人々は、レッスンが行われたIIDという場所に興味を持っていたり、
その他様々な思惑があったようだが、
今の世相がここに凝縮されているような、そんな想いがした。


こうして知らない世界にもまれるのもまた一興。

2005年05月20日

嬉しいこと

05052001.jpg

 金曜日は朝から歯学部の方で口腔外科という授業を午前中受けていました。みんなちょっと週末でお疲れ気味。授業の合間に教室の後ろの方にあったソファーで3人が休憩中。何だかその光景がちょっとよい感じで、携帯でパシャリ(一番左の人は、高校教師の最終回意識だそうです)。本当に何気ない場面だけれど、この写真をとれたことが、なぜだかとても嬉しかった。私はこの人たちに別に必要とされているわけではないけれど、この空間に私は存在していいと確かめられたような、そんな気分だった。

 私は班で唯一の女で、なかなかみんなについていくのは難しいんだけれど、だんだんみんなと話をできるようになって、その人の人柄とかにも気づいてきて。

 だから何とかなくこういう写真を撮れる関係、そういう距離感、それが嬉しい。

2005年05月22日

Tokyo Tower Boys

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I went to Mori building at Roppongi with my father and his colleague's son from Hawaii. We took them there to show all around the Tokyo city. The weather wasn't so clear, but we can see most of the main place in Tokyo.

I like the place, but I don't know why.

It was a muggy day, but I had a jolly afternoon.
well, I thought I have to practice English conversation more, though.

2005年05月28日

号泣

ドラマでも映画でも、こんなに泣いたのは初めてだったと思う。
嗚咽までして、それでも泣いた。

瑠璃の島というドラマの中で、照明さんが亡くなった。

小学校6年生の子供がいるほどの大人なのに、
状況を読んで、その場に見合った行動をするという基本的な部分が
すっぽりと抜け落ちた人だった。

けれど彼は
ウミガメの産卵に毎年感動したり、
子供のいっちゃんに会いたい一心で手紙が何度戻ってこようとも手紙を書き続けたり、
そのいっちゃんに会うためにアルコール中毒になった自分を戒めたり、
いっちゃんから来た手紙を本当に嬉しそうにみんなに見せに回ったり、
自分に協力してくれた人たちにまっすぐ「ありがとうね」と感謝したり、
私たちが小学校で習うような、人間として至極基本的なのに、
成長する中で薄れていってしまうものを、変わらず持ち続けた人だった。

「どうして彼が死ななければならないのだろう」
画面を見ながら必死で考えたけれど、そんなことは分かるはずもなかった。
私は大切な人を失うということが、きっとこういう気持ちなんだろうと思った。

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2005年06月05日

海外で勉強すること

私は母が英語の先生で、父が海外と取引をする人で、
小さい頃から英語に触れていたわりには
ちゃんと英語喋れる自信を持てるような機会はなかったし、
たとえば留学してみようとか、そういう行動派にもなりきれなかった。

だけど、最後の挑戦だと思ったし、挑戦してみることにした。
学校でつい1ヶ月前に言われたから、正直難しいと思ったんだけど、
しかもessayなんて締め切り2日前から書き始めて、
しかも希望した場所はやっぱり行けないことが判明して。

それで今日も行ける場所探したりして。

それでも心残りだった、ずっと心にひっかかっていたことが
一つでも実現できたらいいな、と思っている。

最近やりきれないことがおおくて、指つっこむことがまた増えてきたけれど
それでも今は一段落して落ち着きを取り戻した。
行きつ戻りつやっていくしかない。
焦ったら落ち着くしかない。
今日の私を振り返って、もしまた同じ状況になった時に
一体どう行動するか、それを少し心に余裕が在る時に
考えるようにしたらいい。

最近何度も繰り返し音読する言葉。

Courage is not the absence of fear,
but the judgement that something else is more important than fear.
From now on, you'll be traveling the road between
who you think you are and who you can be.
The key is to allow yourself to make a journey.

やりきれなくなって借りてきたプリティ・プリンセスの中で出てきた印象的な言葉だ。

勇気とは恐れないことではなく、恐れるということよりももっと
何か重要なことがあるということに気づくことができるということだ。
想像している自分像と、自分の可能性との間で生きていくことになるけれど、
その中で大事なのは、自分自身を冒険していいよ、と肩を押してあげること。

最後のチャンスを掴みたい。
いろんなことをこの1・2ヶ月で捨ててきたけれど、
押し殺してきた私の気持ちを、一つでも解放できたら、
私は今弱っている自分を叩きのめせるかな。

2005年06月29日

ごじまん

高校の時、同級生の女の子に
「つっちーの足の筋肉はかっこいい」と言われたことがあって、
なかなか渋い所ついてくる子だなあと思った。

大学に入って、陸上コンスタントにやるようになってから、
ある人から、ラグビー部の男の子が私の腓腹筋を誉めていたと言われる。
これって喜んでよいのかな?陸上部的にはいいのかな。
(っていうかラグビー部のあんたの方がよっぽどいい筋肉じゃない?、とつっこみつつ)

つい最近、班のメンバーの男子数名に「腓腹筋がうらやましい」と言われる。
またかよ、と思う。

男の子からも羨望の眼差しを受ける私の腓腹筋は、
どうやら私のご自慢と言ってよさそうだ。

2005年06月30日

甘党班

ホットケーキ.jpg

万惣フルーツパーラホットケーキ.jpg

ずっと食べてみたかった万惣フルーツパーラーのホットケーキ。
班の男の子たちを引き連れて神田のフルーツパーラーまで。

この不思議な環境にいい意味も悪い意味も見いだしながら、
それでも状況を楽しんだ。おいしかった。
バターたっぷり、カスタードシロップたっぷり。

美味しくって、その後の班の話し合いはすっかり骨抜き。

夏の暑い暑い風に吹かれて行った甘党大会。
来年また同じ風が吹いたら、いい想い出になるのかな。

2005年07月17日

FLY, DADDY, FLY

fdf

先日映画「FLY, DADDY, FLY」を見た。
最高に気分が晴れない日に
見ようと決めていた。

映画の中で使われる言葉も書くので、
知りたくない人は読まない方がいい。
あと、映画の紹介にはなってない。
むしろ今の私の内面を書いているので。

何度も舜臣(スンシン)が唱える
「止めてもいいんだぜ、自分のためにやってるんだから」
って言葉は悔しい。身に覚えがあるから悔しい。
挫折はみんな自分の甘えに端を発することをしっかり自覚させる。


ここは泣き所じゃねぇだろ、ってところでもよくわからないけれど
涙が出てきた。
クーラーが効いた部屋だったからかもしれないけれど、
生まれて初めて涙が「熱い」と思った。
私の中にあった解釈しきれなかったいろんな思いに納得いったり、
むしろ納得できないままフラストレーションが降り積もったり、
単純に鈴木さんのまっすぐさに感動したり、
そんないろんな気持ちで涙がでてきたんだろう。


多分普通の人はあんまり泣いたりしないと思う。
この映画はもっとスカっとした見終わりなんだと思う。
でもあんまり私の状況が悪かったからな…
劇場を出てトイレに行ったら、まぶたがぷっくり腫れ上がってた。


外に出たらまだ明るくて、
太陽がまぶしかったな


その後も私は空回りを繰り返しながら、
ようやく今あの映画の爽快感を感じたりする。

「余計な物を削ぎ落とすには、ただ走ればいいんだ」

FLY, DADDY, FLY:http://www.f-d-f.jp/site.html

2005年07月18日

東京コース

そんなわけで、余計な荷物を削ぎ落とすべく、
ジョギングをしたわけです。

森ビル目的地が欲しかった私は、
世田谷の家から海を目指すことにした。
 井の頭通り→山手通り→246→六本木通り
というコースで、
ひとまず渋谷経由、六本木ヒルズ行。
とっても暑かったけれど、
自分が空っぽになるのが分かった。

人が賑わうテレビ朝日と
そびえ立つ森ビルを横目に、
麻布十番方面へ歩を進めた。


東京タワーヒルズまで来ると、
いよいよ
東京タワーが見え隠れするようになった。

10分くらい走ったら、
東京タワーがすごく大きくなって
現れた。

それからさらにまっすぐ、
ひたすらまっすぐ道を進んだら、
JRの線路をくぐる暗い道があって、
それを通り抜けたら、
いよいよ潮の香りが漂い始めた。


道なりに進めば、見覚えのある道へ。以前浜松町からお台場まで歩いた時通った道だった。そしてゴールの海へ!家から1時間半ほど。暑い中で休み休みだったけれど、自分の足で海まで来られた満足感に浸る。


日の出桟橋日本語がたどたどしい観光客の男性に頼まれ
レインボーブリッジを背景に
写真を撮ってあげた。

私も記念にフジテレビとレインボーブリッジを
携帯電話のカメラで写真に収めた。

帰りは電車でしたが、
帰り道を気にせず、
ひたすらゴールを目指す感じが
とても気持ちよかったので
また走り出したいな。

次はぜひお台場まで!

2005年08月04日

ちがうことなのかな

最近思う。憧れるのと好きになるのは、別のことではないかと。

憧れるというのは、つまり自分がそのような人になりたいということだ。
好きになるというのは、その人になりたいわけではなくて、
その人に自分を一番だと思って欲しいということではないかと思う(こっちは自信なし)。

つい昨日くらいまでは、私ってのはそれをごっちゃごちゃにしていて、
憧れていてる人が好きなんじゃないかと思いこんでいた。
でもその人と二人でいる姿を何度想像してみても、ちっともしっくりこなかった。
結局私はその人の一番になりたいわけではなく、その人になりたいのだ、とようやく。
結局は好きな人なんていない生活が続くのだ。

昔高校の陸上部を辞めた時に「自分の好きなことを見つけることができる人は
何かを本当に一生懸命やっている人なんだよ」と顧問の先生に言われました。
私はその言葉に何度も何度も助けられ、尻を叩かれ、ここまできた。

きっと自分の好きな人を見つけることができる人も、何かを本当に一生懸命
やっている人なんじゃないかと思うので、
私は走ったり、勉強したり、英語を練習したり、今できることを精一杯
やっていきたいと思うのです。

はあなんて女子っぽい。恥ずかしい。

2005年08月21日

わくわく感

先週の終わりから今週、ずっと頭痛などの体調の悪さに悩まされて、
アップダウンはあったんだけど、昨日やら今日やらは、
夏休みの目標をかなり思い描きながら行動することができて、
完全な満足ではないけれど、それでもよい日々が過ごせた。

そしてなぜか明日からの陸上合宿が楽しみでたまらん。
自分がどれだけ走れるようになるのか、やれるだけやってやろうじゃないか。
そんな気持ちだ。

2月の終わりからすっかり走るのをおざなりにしてきた代償に、
この間の大会は散々な結果を残した。

だけど、おかげさまで今の走欲はすごいすごい。
あとは体調さえもう少し我慢できるようになれば、
いっぱい練習できると思う。
だいぶ我慢できるようになったから、
もう少し我慢できるようになれればいい。

ピアノそんな1週間を過ごしている中でやっぱり私には音楽が流れていて、
ふと郁子ちゃんの「たのしそうかなしそう」を聞いたとき、
この曲が1年中私の中にいて、
「ああこの季節がやってきたんだなあ」って
夏の終わりが近づきつつあるのを感じた。


雨待ち風そして今年新しいこの季節の曲に、
スキマスイッチの「雨待ち風」が加わる。
情景がばーっと広がる。こころがしんとする。


今は深夜2時。
どっかから風鈴の音がする。
3時間後にまた起きなくちゃ。
たくさんの成長を期待して、これからを進みたい。

2005年10月10日

病院にいること

病棟実習が始まって早1ヶ月。
耳鼻咽喉科・救命救急科・麻酔科・小児外科を回ってきました。

最初の耳鼻咽喉科は、自分の知識のなさに毎日参っていて、
一生懸命勉強しないといけない一方で、
1ヶ月の海外研修に向けて英語を頑張らなくちゃ、とか
11月のレースに向けて走る距離を積まなくちゃ、とか
そんなことで頭の中がごちゃごちゃになった。

その後続く救命救急科や麻酔科では、何とか目標を定めて実習に向かうも、
毎日なかなか満たされずに、実習をするのだった。

そして外科。小児外科の先生はとても面倒見がよくてありがたいけれど、
どうしても私の中にはもやもやとした心が残るのだった。

どうにかこの気持ちを言葉にしたいのだけど、いい言葉が見つからない。
ここに書くのが厭われたけれど、
何かにして吐き出しておかないと、とてももたないと思った。

忙しすぎて立場や、すべきことやいろんなことを見失って、
一人でてんてこ舞いになってるような感じだと思う。
その他にもいろんなことが私を取り巻いて訳が分からなくなる。

気を抜く場所も必要だと思いながら、そうしている自分に反吐が出る。

それでも、こんなひどい愚痴でも、書かないとやってられない。

今日もやるべきことはたくさんある。
だから今日もそれをこなそう。
それから来週からの身の振り方を少し考えて・・・

I can't find my way....

2005年11月23日

自己分析

これまで明確に言葉にしてこなかったこと。避けてきたこと。
その断片をここに記そう。
自分を客観的に見る練習。

言いたいことを言えない
熱しやすく冷めやすい
長期的な目標は立ててもすぐ忘れてしまう
バカ真面目
応用力・連想力が足りない
アイデア好き
シンプル好き
あまのじゃく
形式にこだわりがち
マイペース
落ち着き
受容
柔軟性に欠ける
人とのコミュニケーションが不得意
ひとり好き
変わった世界が好き
自分のことを認めていない
批判は嫌い
後悔
開き直れない
人の話を聞く方
計画倒れ
物腰やわらか
負けず嫌い
否定されるのが怖い
答えが出ないといらいらする
人と人の繋がり

それらの寄せ集めが私なのだ

2006年01月14日

朝の目覚め

一日の計は朝の目覚めにあるかもね。
今朝はパシって目が覚めたんだ。
ガバって起きれたんだ。

いつも目覚ましが鳴っても「あと5分」って思っちゃってた。
殊にお正月ボケしてた最近はね。
だけど今日は全然違ってた。


それに今日は私の口からoutputも多かったし、
よく笑ったしさ。

こういう日を少しずつ重ねてきたい。

今日の収穫:ギャル文字 ( ex) ⊇∪゛ぁ⊇ゐ)

2006年01月17日

理解されること

彼女の彼に対する感情移入を妨げているのは、彼が彼女に<理解されること>を求めている点だった。
それは、それを望んだ時点で、最も遠いところに行ってしまうのを多くの人は知らない。
理解するというのは、常に、偶発的に開いてしまった心が解かせるパズルのようなものだ。
他者にそれをさせるには待つしかない。あるいは、待っても時間の無駄であることを知るしかないのだ。
(山田詠美「アニマル・ロジック」より)

「人と話をする時に、答えを用意してはいけない」と言われたことがある。
ましてや相手が自分の思った通りの反応をしてくれなかったと腹を立てるなど
もってのほか。

でもそうでなくなるのはとても難しいこと。
しょっちゅう「どうしてこの人は分かってくれないのだろう?」と思ってしまう。
言葉を尽くせばいつかは伝わるのではないかと期待してしまう。
でも言葉を尽くしても分かってもらえないことがいっぱいあるのかもしれない。

それは人間各々の違いを受け入れているのか、それとも諦めなのか。
事実かもしれないけれど、何だか寂しい。

2006年01月21日

バイオリズム

きちんと部活に行きました(ちょっと遅刻したけど)
ばっさり髪を切りました(4ヶ月ぶりです)
がつんとビッグバンドの音楽を聴きました(圧巻です)

調子が落ち込んでくると、
もともとネクラな私は、
引きこもって、目は自分の方ばかり向きがちなものです。


けれどそういう時にこそ、
少し頑張って外に出て行くべきなのでしょう。

心から楽しいという感覚や
何かに向かって進もうという意思
といった類いの前向きなものたちから
長らく遠ざかっています

上へ向いたバイオリズム
このタイミングを逃してはならない

2006年02月05日

もうすぐ夜明け

昼間に走ったせいか、夜の7か8時頃から眠ってしまいました。
起きたら23時で、それから何となく音楽を聴きながらソリティアをやってたら、
気づけば朝の5時でした。

iTunesに詰め込んだ音楽をランダムにシャッフルさせて聞いていると、
数年前によく聞いてた曲が絶妙の順序で流れてきて、
心躍るミッドナイト。

その音楽と共に、うっすらと昔の記憶がたくさん蘇ってきた。

さらに
世話好きのJimさんから今日届いたChicago DownTownの地図を眺めながら
今度はアメリカ旅行を回想するひととき。

もうすぐ夜が明けるけど、
そういういろんな時間の連鎖の果てに、
今日がまた始まってくのだな、と何となく感傷的。

2006年02月12日

バクテリウム

木曜日、謎の頭痛・悪寒・胸の不快感・吐き気・腹痛がやってきました。
何とか実習を終えて、実習地の茨城から命からがら2時間かけて自宅に帰ってくると、
38.2℃の熱発。そのままベッドに倒れ込みました。

翌日も微熱。相変わらずの嘔気・頭痛・腹痛・関節痛に
「インフルエンザかしら・・・」
と思いながら近所のお医者さんに行きました。
綿棒検査でインフルエンザは検出されず、
通常のウイルスによる風邪に細菌感染を合併していると言われ、
抗生物質をもらって帰ってきました。(よく分からない・・・)

それからもずっと2日間寝込んで、ようやく今日は持ち直してきたと思ったら、
家に帰って来た兄の婚姻届の証人の欄に署名をすることになり、
びっくりしてまた寝込みそうになりました(笑。
聞いてないよ!
でも、お兄ちゃんおめでとう。

P.S. 吐き気がある時というのは、肝心の吐き気止めが飲めないということは
  十分肝に銘じます。

2006年02月25日

散在する言葉たち

高校時代に数学を教えてもらった塾の先生に、
今も半年に一度くらいふらっとメールを打っている。
先生もふらっと返信をくださる。

先生はすごく生徒の目を見て教えてくださる方で、
人見知りの私が、唯一いろいろ話をできた先生だった。


この間またいつものごとくふらっとメールを送ったら、今日先生から返信が来ていた。
いつももらうメールより、もっと言葉が鋭くて、核心を突く。
十何年も私の前を進む先生。その言葉を読んで、身が引き締まる思いがした。

私の言葉をちゃんと受け止めて、先生の言葉を確実に返してくれる。
私はそういう人の存在があって、始めて私らしくいられるように思う。


まとまりなく様々な考えが浮かんできてしまう私の脳みそを、時折憂いている。
私は唐突な話をし出すことが多いのだ。
それでも私の言葉を受け止めてくれる人がいてくれて、そういう時とても安心する。

でもきっとそこで終わったら、私はまた同じことを繰り返すだけなんだ。
そこから考えを整理していかないと、
いつまでもまとまりのない考えが散らばり続ける頭を抱えることになるんだろう。

頭の中に散らばるものごととものごとの間に、上手に線を引く術。
身につけていかなくては。

2006年02月26日

お出迎え

近所のCDショップでCDレンタルした後、
出口の自動ドアが開いた時、目にした光景。

二匹の犬が、並んで上手におすわりしたまま、
こちらをじーっと見つめてた。

頭をよしよしとなでて、バイバイと手を振って
家路につく。

2006年03月05日

旅立ち

本日より、アメリカで1ヶ月研修してきます!

去年の5月に思い立って、
医学も英語も中途半端な私だったけれど、チャンスがあるならと動き始めました。
「本当に実現するのかな」と思いながら、気づけば今日を迎えていました。

イリノイ大学Rockford校にあるNational Center for Rural Health Professions
という施設に行きます。
プログラムも何もないところを、無理を言って実習というか見学できることになりました。

場所を探して、頼んで、調整して、っていうのを自分でやるのは大変だったけど、
いろんな人の助けのお陰でここまできました。

一昨日は学校で研修奨学金の授与式なるものがあり、始めて学長とお話しました。
「肩の力を抜いて、いろんなことを見て聞いて来てください」
と温かいお言葉をいただきました。

いろんな人に助けられてここまできました。
そのことをきちんと頭に置いて、いっぱいのことを見て聞いて、
自分をリニューアルしたいと思います。


では行ってきまーす。

2006年04月22日

Banzai!!

今日私に念願の「お姉さん」ができました。
神父さんの言葉に泣きそうでした。
兄がお嫁さんに向けて熱唱した「バンザイ」に感動して泣きました。
お姉さんが涙ながらに両親に伝えた言葉にもらい泣きでした。
二人はとても幸せそうでした。

wedding_s.jpg

2006年05月19日

波立ち

うすうす気づいてたけどさ、やっぱり苦手なんだって分かった。

続きを読む "波立ち" »

2006年06月07日

距離感

実習が忙しくて、去年の9月に始まった実習以来仲良くしてた友達とも
どんどこ距離がひらいて行った。

だけど臆病な私は、距離がひらけばひらく程、話しかけづらくなる。
どうやって話しかけたらいいか分からなくなる。
しまいには「相手は私と話したくないかな」なんてネガティブまっしぐら。

今朝起きたら、その子から優しいメールが入っていた。
眠い目が一気に覚めて、ものすごい嬉しさがこみ上げてきた。
こんな風にしてもらわないと、思いを感じられない私でごめんね。
だけど大切なものを、厭うことなしに手放してきた今までとは
確実な変化を遂げているのだよ。

あなたがくれたお箸の片割れが折れてしまったけど、
残りの一本は鉛筆立てに立っています。

2006年06月08日

嘘と逃避

なんで嬉しいことがあっても
こんなに胸が張り裂けそうに苦しくなるんだ?

つい1時間前は楽しく話していたのに
なんでこんなに不安とか焦燥とか孤独とか
そういうのが突如として取り巻いてくるのだろう。

わかんない。わけわからない。
苦しいよ。涙も出てこねい。

説明できないんだって。この寂しさとか。
仮に説明できたとしても、きっと理解できない。
仮に理解できたとしても、解決の糸口は結局私の問題。

死ぬほど家を欲しながら、家に裏切られ続ける。
期待するのが間違ってる。

君に必要なのは嘘と逃避の反対にあるものをって誰かが言ってくれたけど、
それを追うだけのパワーはもうほとんど残っちゃいない。
だって徹底的に逃避している人と対峙しているんだもん。
そして徹底的に逃避している側から、正反対のことを相手に望んでる人。
だけど正反対のことを望んでいるから、
私はそこから逃避しようとする自分をまた嫌いになる。
・・・いったいどれだけ捕われれば気が済むんだ。


やりきれずにいてもたってもいられなくなると、何の責任もない人に敵意が向く。
単なる八つ当たりにすぎない。

そしてこの悪循環をさらに悪化させているのは
私が捨て去った拠り所。


なぜか理解できない逃避から逃避したい。
忘却の彼方に捨て去りたい。
だけど切ることの出来ない絆なんだよ。
私はそれを憎んでいる訳じゃない。
ただ理解できないそれに縛られているから、我慢ならない。

突如として頭をもたげてくる。

2006年06月24日

温度差

そろそろ実習も終わりに近づいているのだけど、
最後の最後で班の居心地が悪いと感じるようになってしまった。

何かコレという原因があったわけではないのだけど。
敢えて挙げるとしたら温度差かなぁ。

先日、その温度差にイライラが募り始め、同じ班の人と喋りたくなくなり、
殻に閉じこもろうとした。
すると丁寧語で話しかけられ、
私はイライラのバロメーターと理性のバロメーターが両方急速に上がり始めた。
ギリギリのところで流れ出しそうな本音を懸命に心の奥に閉じ込めて、
理性の言葉を絞り出した。

だけど、5分と経たないうちに
閉じ込めた本音が溢れ出しそうになって、トイレに駆け込むやいなや、目から出てった。
大人としての常識ぐらい示そうよ。何でちゃんとしてくれないんだろう。
そのくせあんな言い方はないでしょう?

最近人に牙をむいてばかり。
寛容になりきれないのは、私も余裕がないから。
それはすごく嫌いなこと。私の状況が良くない証拠。

でも、私の胸のうちなんて、伝えてたまるもんか。

2006年06月25日

mina

Top Runnerに皆川明さんが出演されていました。
途中からしか見られなかったけど、
彼の話のペースが、ものすごくゆっくりで、根をはって落ち着いた雰囲気で、
ああ、こういう人のところにみんな集まるよなあって思いました。

焦りを長い時間の中に取り込むこと、
そのペースから生まれる安らぎや落ち着きが、力になりました。

2006年07月08日

詰め込む

専門性のある人に対して、説得力がある人になるためには、
どんなに問題意識が強くても、知識なくちゃだめなんだ。

その事実を常に頭に置きながら、知識を詰め込む努力をしなくちゃいけない。
今に疑問を抱かなくちゃいけない。
私は何を目指してたんだっけって、方向修正しなくちゃいけないんだよ。

魔法はなかなか解けちゃくれないが、少しずつね。

2006年07月10日

言いたいこと

なんだかんだ言って、言いたいことや主張したいことはいっぱいあって、
「しろばかり」はそんな場所になってた。
あんな生産的な文章を自分が書いていたという事実が、
今となっては驚愕だったりする。
でも是非、あんな文章をまたかける活力を持ち直したいと思う。


今日江國香織の「とるにたらないもの」というエッセイを読んでいて、
私もあんな風に自分の日常からいろいろ想像を膨らませたり、
いろんなことを関連づけたりして、物事を考えたいと思った。

しろばかりを書けていた頃は、少なくとも今よりその地点に近かった。
もう一度手を伸ばしてみようね。

2006年07月25日

夏色

先週金曜日でいよいよ病棟の実習が終わった。
私が11ヶ月弱で出会ってきた患者さん、先生方のことを思い出している。
失敗したことも、嬉しかったことも、いっぱいあった。
だけど、支えてくれた人たちのおかげで何とか終えることが出来た。

そんなありがとうを伝えた友達は、
実習が始まった当初、本当に心が乱れてしまっていた私を見て、
「混乱していた」と言った。

2週間毎に変化する状況に対応して行く術を知らず、
周りの新しいものに、怯え、不安を隠しきれずにいた。
頭の中は「混乱」していたのだろう。

父はそんな私の話を聞いて、「どうしてそんな大変な実習を課すのか。」
と疑問というか、答えというか、そんな言葉をくれた。
これから出会うたくさんの患者さんの前で、混乱しないように。これは訓練なのだ。


そんな毎日が嘘のような流れの緩やかさが今ある。
となりの家から漂ってくる夕飯のにおい。
暑さに混じる涼しい風。
夜寝る前に心を落ち着けて本を読む。

夏だ。夏がやってきている。
心はそれにおどるおどるおどる。
また外へ向かって行こうとする心が育つ。

二つの世界を行き来する術を、この夏は身につけよう。
基礎の上の彩り。そういうものを持つ人になりたいから。

2006年07月28日

家族の風景

先週の土日、お兄ちゃんとお姉さんが来た。
私は土曜日カラオケオールした後、朝の6時頃帰宅した。
机の上に置いてあった紙袋は、頼んだお土産。
かわいらしい色とりどりのネックレス。ありがとう。

ひと眠りして9時頃ごそごそ起き出すと、
二人は朝食を食べていて、テレビを見ながらおはようって言って。
二人のイタリア新婚旅行の写真を遅ればせながら見た。
無言で。

結局二言三言話しただけで、さよならした。


結婚する前にお姉さんが来たとき、
私の話が遮られたことがあった。
それに気づいてくれたのは彼女だけで、
その時なんとなく気まずい思いをさせてしまったことがある。
でも、私自身、お兄ちゃんが出て行った後に起きた家族関係の変化を実感し、
一方で4人だったときの家族内の位置を思い知らされた気がして、
途方に暮れ、それどころではなかった。
せっかく気遣ってくれたのに、ごめんなさい。

お兄ちゃんとお姉さんの妹たちは、仲良しだ。
でも私とお姉さんはそんな風になれてない。
私とお兄ちゃんの仲が良いわけではないので、仕方ないことなのかもしれない。

縮めたくて仕方ない距離を縮めることに臆病だ。

新しい存在が増え、家族は急速に変化をしていく。
ゆるがないと思っていた私と父や母との関係すら、
きっとそれによって小さな変化を重ねて行く。

8月13日にある、祖父の米寿の祝いには、
祖父母、父母、叔母、叔父さん一家、兄夫婦が一同に会する。
その時また、私の位置というものを思い知らされるんだろう。
正直なところ、心が乱れる気がして不安だ。

でも本当に本当に正直なところをいえば、
すごいくだらないけど、
自分に注目が集まらないことが、面白くないだけなのかもしれない。

あの誕生日会の時みたいに。

2006年08月01日

モラル

道を歩いているとき、やつは突然目の前に現れる。
そのとき一瞬時が止まって、私の頭はグルグル回転して、
うまく行けばやつを拾う。
最近私はこれを「一ゴミ一会」と称することにした。

NHKスペシャルでモラルの薄れを問題として取り上げていたが、
道端には確かにゴミが落ちている。駅でも落ちている。

オウム事件やら駅トイレの事件やらで、すっかり駅のゴミ箱は肩身が狭くなった。
おかげで捨てる場所がないのだ。だからってそこにポイってする??
自分が許さないよ、そんなの。

ゴミを見て見ぬ振りをするのは共犯だと思うから、
今日も明日も一ゴミ一会を続けていけたらよいと思う。

2006年08月26日

幸せなひととき

私とまきちゃんの関係は、確か私が決定的に傷ついた日に、
彼女に話を聞いてもらったのが大きかったと思う。
それまでは、学校の授業で隣に居る、時々喋る、くらいの関係だった。

分かんないもんだ。
同じクラスなのに、半年に1回とか、何ヶ月に1回とかのレベルでしか
二人で会ったり話したりしていない。
それでも、お互いが必要だと思っている。

私はまきちゃんにしか話せないことがあるし、
まきちゃんも同じように思ってくれている。
私がまきちゃんにとってそういう存在でいるという事実、
そして私にそういう存在がいるという事実、
それがとても幸せなことなのだ。

まきちゃんと話す度、お互い感謝し合う。
素敵な関係だと我ながら思う。ずっと続いてほしいと思う。

2006年09月02日

小さい秋みーつけた

09020003.jpg

家に閉じこもるとよくないと、
特に目的もなく着替えて家を出ると、
涼しい風と爽快な青空が見えた。

小さい秋を見つけて、私は足を進めた。
そして出会ったわんこ。後ろ足はペタリと地面にくっつけて。

2006年09月03日

前向き思考

人と接する元気を取り戻して、
mixiをいじってみた。突然の始動です。

この1週間、これまであんまり話すことなかった人たちとも、
これまでいっぱい話してきた人たちとも、たくさん話して、
「嫌いな自分も、好きな自分もひっくるめて、受け止めるんだ」って思えた。

思い切り前向き思考の波に乗ってく。

2006年09月05日

それは突然動き出す

今日、中学校1年生の時の担任の先生に手紙を書いた。
先生は、何十年と続いてきた夫婦生活を、奥様の病気という形で終えられた。
その深い悲しみが、ゆっくりと、癒されていきますように。


今日、勇気を出して、十数年私の中で円を描いてぐるぐると回っていた問題を他人に話した。
その人の目から、ひとつぶ涙がこぼれるのを見た。
こんなに心を込めて私の話を受け止めてくれた大人に出会ったのは初めてだった。


今日、三年間心の中にそっとしまっていたことを、友達に伝えた。
彼女がちょっと慌てた後、
「何でもない」と知らないふりを決め込むつもりだった事実を、
私は知っていた。私は「知っている」と伝えた。
ほんとうは私も知らないふりをするべきだったのかもしれない。
一番難しい立場のあなたを、困らせてしまっていたらごめんなさい。


他人を思いやる気持ちと自分の本心とは、常に比率を変えている。
本心が限りなく大きくなったり、思いやりの気持ちで胸がいっぱいになったり。
その比率とタイミングとがうまく合わさる時、
何年も動かなかったことが嘘みたいに動き出すみたいだ。

2006年09月07日

押忍!

それは強がりかもしれないけれど、とてもかっこいいことのように思えた。

今日昼ご飯を食べながら、重松清の「小さき者へ」という短編集に入っている
「団旗はためくもとに」というお話を読んでいた。
タリーズの窓際端っこに座りながら、
主人公の行く末を追いかけた。
そして出会った言葉。

「『押忍』の心は、言い訳をしない心なんだ。」

後悔はたくさんする。どんな道を選んでも後悔はする。
大事なのは、後悔してもいいから、
言い訳をせず、「忍んで」進むことだと主人公のお父さんは言った。

私は清々しい気分になった。

今夜は満たされたようにまーんまるい月が見えた。
でも明け方にそれは欠けていくそうだ。
Polarisの「月の恋人」を聞きながら帰った。

2006年09月09日

ひとりぼっち

「ニュートリノはひとりぼっちなんだ」

電荷をもたない素粒子ニュートリノは、
どんなに頑張っても他の粒とくっつくことができない。
だからひとりぼっちなんだって。

電気を帯びていないとものがくっつかない。
プラスとマイナスがあるからくっつく。


そしてプラスとマイナスの小さい粒がたーーくさん集まってヒトができている。
そんな大きなかたまりもまた、
プラスとマイナスがあるからくっついているのかもね。
プラスを共有したいから、マイナスを共有したいから。

じゃあプラスとマイナスが同じだけあってゼロになると
ひとりぼっち?

2006年09月16日

ペースアップ↑

ここ2・3日で、急に長袖を引っ張り出す季節が訪れた。
私はそれについていけないまま、この季節特有の物悲しさにだけ包まれている。


今朝、早起きして、いつもの神社巡りコースを走った。
かなり息が上がるくらいのハイペーーース。

途中で細長い顔の、大くて白い犬4匹とすれ違った。
神社からは夏のラジオ体操の音やセミの音が消えていた。
踏切で立ち止まると、
2両の小さな電車が通り過ぎる横で大きなひまわりが1本咲いていた。

さらにペースを上げると、
西の空に灰色がかった暗雲が立ちこめていたけれど、
それにも立ち向かっていけそうだった。


ちょっと季節に追いつけたかなー。

2006年09月25日

いま から つながる

それは高校生3年生のとき言われた言葉だ。

  あっちゃんには、これから、
  たくさんの「今」があるわけだから、
  それを大切にしようね

  未来も大切だけれど、今の向こうにあるものだから
  今を大切にすれば、未来をもっと大切にできるから


そして卒業試験のタイミングで出会った

  将来のために「今」を我慢するのは、「今」に失礼だと思う(蒼井優)


高校生の時は実感として分からなかったその言葉が、
今になって少し分かるような気がする。
それはきっと、将来に繋がる「今」を楽しめている証拠さ。

2006年09月30日

見えるもの見えないもの

久しぶりに昼の皇居を駆けてみると、
お堀の色が緑色であることに気づいた。
そして、洗剤の泡みたいな白と、苔色の緑が浮かんでいた。

目を覆いたいと思った。


夜の皇居では、
半蔵門を通り過ぎて三宅坂に差し掛かると、
真っ黒な水面と高層ビル群からもれる光のコントラストが
素晴らしい景色を描き出す。

しかし暗闇のマントが取り払われると一転・・・。

むかし「世紀末の詩」というドラマで、盲目の女性が光を得る話を見た。
彼女は手術で視力を取り戻した後、
それまでずっと支えてくれた男性から離れ、
顔立ちの良い男性と結ばれていった。


目が見えるから見ることができるものと、
目が見えないから見ずに済んでいるものがある。

目が見える私は、
見えてしまった以上、見えないふりはしてはならないと思った。

見えてしまったものを受け入れることは、きっと大きな困難を伴う。
けれどどうにかこうにか昇華することができれば、
自分はもっと懐大きくなれるはず。

2006年10月02日

川のこっちと向こう

病院では、毎日のように、
誰かがこの世からあの世へと旅立っていく。
そして、その人たちには、専用の出口が用意されている。


その部屋の近くを通ると、時々すーっと線香の匂いが漂う。
「あぁ今日も誰かが・・・」
と思う。

––––––––––––––––––––

ある日その部屋の近くを通ると、やはり線香の残り香がした。
心の中で手を合わせ、スピードを緩めずに部屋の前を通り過ぎ、
15メートルほど先にあるドアに手をかけようとした、

まさにその瞬間、
後ろからの強い風で、ドアが勢いよく開いた。


5秒間くらい、何が起きたのかよく分からずに立ち尽くした。

––––––––––––––––––––

未だにあれが何だったのかは分からない。

おそらくは、ちょっとした風向き加減で起きた、
単なる自然現象だったんだろう。

とは思いながらも、
「この世はあの世と繋がってるんだよ」という、
何か伝言めいたものを感じてしまった。

2006年10月20日

立ち止まってみる

今年8月に行われた北海道マラソンで、
千葉真子選手は「がんばるマラソン」を終えた。

これから千葉選手は、ジョギングをする時、
どんな気持ちで走るのだろうか。


先日出会った40歳年上の高校の先輩は、
「患者さんの命を預かる」という肩の荷を下ろした。

今担う別の形での社会貢献もまた、
充実しているそうだ。


それまで頑張ってきたことが終わりを迎える、という局面がある。
学生最後のいま、こんな私にも、終わりを迎えるものがいくつかある。


でもこれは一つの区切りであって、まったく縁を切る訳でもない。

新しい関係になるのだ。
それまで「追いかける者と追いかけられる者」という厳しい関係だったのが、
たとえば「安らぎを求める者と心を休ませる者」という温かな関係に変わる、
とか、そういうこと。

走り続けてきたスピードを緩め、立ち止まってみる。
そして一度息を整え、新しい関係の下にもう一度スタートする。

2006年10月28日

わたしがおばさんになったら

嬉しいことは突然降ってくる。

試験が終わった日の午後、学校の自習室で勉強していると、
珍しく母親からメールが届いた。
「何か怒られることしたかなぁ」とネガティブ思考でメッセージを開くと・・・
自ずと顔は緩んだ。


新しい家族が増えるみたい。
そしてわたしはおばさんになっちゃうみたい。
お兄ちゃんはお父さんになっちゃうみたい。
お父さんはおじいちゃんになっちゃうみたい。
お母さんはおばあちゃんになっちゃうみたい。

大慌てて産婦人科の教科書を熟読し始めるわたし。

2006年11月01日

締め

10月8日晴れ空の下で行われた陸上大会で、
私は学生としてのトラックを走り納めた。
まったく納得のいくタイムではなかったけれど、
6年間続けることができて、本当に良かった。


正直、意地で続けてきたところがある。
高校生の時に2'40"で800mを辞めたときから持ってた意地。
辞める時泣いたから、大学で始めるからには続けたかった。

大学で始めてから、最初は楽しいことばかりだったけれど、
医学という道を目指しながら、
そして部活という団体を意識しながら続けることは、
簡単なことではなかった。

それでも意地があったから、
何度も波はあったけれど、
最後の2年はもう歩いているのか、走っているのか、
分からないくらいのペースでしか進めなかったけれど、
いっぱいの人に支えられて、

走った。

陸上競技は個人競技であり、
悪い結果が出た時、結局「自分が練習を怠った」、それに終始すると私は思っている。
むしろその言い訳できない潔さが、私にはあっていたのかもしれない。

けれど一緒に練習する仲間がいて、
その人たちがいるから頑張れる。
だから良い結果が出た時には、その人たちのおかげで喜びは2倍にも3倍にもなる。


そして、

締めに、11月19日の舞台に立つことに決めた。
走りきることができないかもしれないけれど、
これまで支えてくれた人、一緒に走ってくれた人たちにお返しができるよう、
そして大学生の自分を納められるよう、
悔いのないよう走りたいと思う。

2006年11月04日

まるい

11040002.jpg
 
まるいは満月。
高層ビルの間から、
こちらに迫ってくるような月が見えた。
だけど眼鏡をかけていない私の目には、
輪郭がぼんやりして、
まんまるなのかどうなのか、
正直なところよく分からなかった。


まるいは私の顔。
テストで時々席が隣になる友達に、
「あっちゃんの顔を見てるとお月様を見てるみたいだ」と言われた。
私はこの丸い顔が大嫌いだったけど、
だからその言葉に「それって褒め言葉?」って返したかったけど、
でもその言葉に救われた。


ちゃんと眼鏡をかけて、その輪郭をもう一度良く見てみようかな。

2006年11月13日

偶然の産物

偶然という種類の幸せ。
月を眺めていたら、イヤホンから月を歌う曲が流れてきたとか、
おでんが食べたいなあと思って帰ってみたら、夕飯がおでんだったとか、
友達と手帳で予定をチェックしていたら、
実はお互い同じ映画を見に行く予定を入れていた、とかとか。

あたかも非日常的に思えるできごとが、日常の中で起きる。
そんなドラマチックなできごと、偶然。

みんな違う性格で、違う好みで、違う時間を過ごしている。
だけど、ときどき、まるで誰かが糸で操っているように力が働いて、
知らず知らずのうちに何かと何かが繋がり合う。
違うって思えば思うほど、寂しくなればなるほど、その瞬間の喜びは大きい。


「きょうのできごと」という映画の中で描かれていた
どこかとどこかで誰かと誰かが繋がっている姿がとても好きだった。
自分の毎日の中で時に現れるその偶然が、どれもいとおしくて、
日記に丁寧に残した。

ああ、私はこの感動が好きなんだなあ。
そして、「繋がり」を胸に生きる私にとって、
それがどれほど力を与えてくれるか、知れない。

2006年11月18日

もうすぐ来る明日

不安対高揚比は6:4。
あいにくの雨の予報に、不安感が一歩リード。


この2ヶ月で走った550km。
これまで一緒に走ってきた仲間たちとの時間。
いろんな場面でもらったエール。

そういった全てが力になると信じて、
ちっぽけな私だけど、明日は走りきりたい。

2006年11月19日

その日の記録

今にも雨が落ちてきそうな重たい空模様の下、
審判員が「先は長いのだから押すな押すな」と制する声を聞きながら、
ぱぁん、と鳴ったピストルの音で走り出した。

目の前に広がるトラックの赤が迫ってきて、
胸がいっぱいになった。


息づかいをたよりに、練習してきた4'50"のリズムを刻む。
四谷から続く下りで少しペースが上がった。
先は長いし、落ち着こうと言い聞かせる。

水道橋の駅前でかくっと右に進路をとると、
今日まで一緒に頑張ってきた友達が大きな声で応援してくれた。
ありがとう。

さらに走って美土代町の交差点を右に折れると、
いつも皇居ジョグに行く道に出た。
神田橋の高速下をくぐり、日比谷通りが真っすぐ続いていく。
歩道を走りながらずっと夢見ていた東京の道を走ること。
それを今自分がしているんだと思うと、嬉しくてたまらなかった。

日比谷公園にさしかかるところで、陸上部の同級生の声がした。
思わず笑顔。

赤い鳥居の立つ増上寺前で、
一緒に練習してくれた友達のお父さんが声を掛けてくれた。
今回走る上で大きな自信をくださった方。


しかし、状況はあまり思わしくなくなった。
予想以上の寒さのせいか、臀部に、大腿に、なんとなく違和感があった。

品川駅で傘の人が列を作る歩道橋をくぐると、八ツ山橋の坂上り。
少しペースが落ちた。

17kmでスポーツドリンクを飲み、何とかペースを持ち直し、
すれ違った土佐選手や高橋選手の懸命な姿、
そして谷川真理選手の「負けないで、諦めないで」の声掛けに力をもらい、
100分で折り返し。

そこからはエネルギー切れと、雨と、風と、足の重みに逆らって足を動かした。

前に進む程ペースは落ち、後ろから来る人に抜かれていく。
第一京浜から日比谷通りに戻る頃、一人旅の私に追い打ちをかけるように
雨脚は強まり、向かい風が吹きすさぶ。

それでも自分の意志で足を止めるという選択肢はあり得なかったのだ。
みんなのところへ辿り着きたい。

知らない沿道の人がゼッケンを見て名前で応援してくれたり、
友達や、友達のお父さんや、父の姿を見たり、
見えない場所で頑張った仲間のことを思ったり、
どれほど自分を支えてくれる人がいることか。


32kmを過ぎた辺りで、救護者の車から「大丈夫ですか」と話しかけられた。
「大丈夫です」と絞り出すように答えて、
前にいるランナーに追いつき、追い越し、でも追い越された。

意識がもうろうとする中で、神田橋の高速が見えた。
頑張ろう。


乗用車に追い越された。
前方で停車し、ブレザーの女の人が白い紙を持って出てきた。
赤字で書かれた文字は、雨でよく見えない。

10m先を走っていた人が毛布にくるまれた。
何だかよく分からないまま、そこまで歩くように走って、立ち止まった。
白い紙には「タイムオーバー」と書かれていた。


毛布をかけられた私は、審判員に声を掛けられたけれど、
今何が起きているのか、あまり把握できなかった。

誘われるがままに車に乗り込み、席へがたんと座った。
毛布を何枚かけても震えが止まらなかった。
隣の席の女性が、一生懸命私をさすって、自分の毛布まで私にかけ、
ずっと介抱してくださった。

競技場へ戻り、更衣室に入っても震えが止まらない私に、
その女性は温かいコーヒーを買ってきてくださった。
北海道から来た介護士だという彼女のてきぱきとした行動に、
私は泣きそうだった。

何とか御礼の言葉を言えるようになり、ありがとうございましたと繰り返し伝えた。
彼女はやはりてきぱきとした調子で着替え、北の地へと帰っていった。
「良かったら北海道マラソン一緒に走りましょうね。」と言い残して。


徐々に頭がはっきりしてきて、
競技場に来てくれていたはずの友達に、心配してくれた母親に、応援してくれた父親に、
電話をかけた。
声がうまく出せなかったけれど、ありがとう、伝わったかな。

その後ハーフマラソン後で疲れている中、競技場に足を運んでくれたみんなと落ち合った。
ドトールのミルクは温かかったけれど、みんなの表情はもっと温かかったなあ。


家に帰り、シャワーを浴びた。
風呂から上がり、震えがようやく落ち着いた。
部屋に入り、ふと、今日を共にしたストップウォッチに目をやると、
文字盤は2時間57分26秒で止まっていた。

2006年11月26日

拾い集めたものもの

2006年11月19日。
国立競技場の迫ってくるような赤いトラックに感動を覚えながらスタートしたレースは、
東京の大きな道を走るという夢の実現と共に、
34km過ぎタイムオーバーで完走できない悔しさも残した。

2時間57分26秒で時計は止まった。

結果に対する悔しさは当然のこと。
だけど今回の挑戦過程は、
たくさんの大切なもの・大切なことに気付く貴重な時間だった。

走る楽しさ。
続けることで得られる成長・喜び。
6年間共に陸上競技を共有してきた仲間の存在の大きさ。
もがきながらも1回1回の練習をこなす後輩の姿、それに対する尊敬。

分野は違えど「何かを目指して頑張る」という共通点で繋がることの強み。
人の幸せを喜ぶには、自分自身に恥じないだけの努力を積む必要があること。

努力を積み重ねるというアイデンティティ。

そして、
6年生のこの時期に挑戦できる場があったというタイミングと、
いろんな人に支えられていたこと・そもそも支えてくれる人がいてくれたこと、
それに気付いて、伝えきれないくらいの感謝の気持ちが湧いてきた。

レースの翌日、高校時代お世話になった塾の先生から
「頑張りやさんの辻さんにはぴったりの競技だね」
とメッセージが届いた。
それは今の私にとって、最上の誉め言葉です。

2006年12月07日

それでこそ

つい最近まで赤々と木を彩っていたもみじが、
今や茶色になって、からからに乾いて、地面で踏みにじられて、
粉々になっている。

その身は土に還り、来年の葉の栄養になる。
と考えれば、その落ち葉も寂しくないかな。

でも、この粉々の茶色を、
来年美しい紅葉を見ながら想う人なんて、いないんだろうな。


理想主義と現実主義が際限なくせめぎあう。

小説には必ず結末があるけれど、
私の生活には私が想う限り結末は来ない。
だから落としどころを見つけても、
結局翌日にはまた再燃して、沸騰する。


それをかき消したくてジョギングに出かけたら、
無意識に落ち葉を踏んでいる自分に気付いてしまい、
落ち込む。


いいことばっか あるわけないよ それでこそmy life かぁ。

2006年12月08日

力を込めて

アメリカでの別れは寂しい気持ちでいっぱいだった。
会ってそんなに長くないのに、
とっても心に残る人たちばかりだった。


でも正直なところ、何度か経験した別れ際のhugたちは、
そんな悲しさの一方で、幸せを感じる時間でもあった。

Dr.ThorntonもDr.HunsakerもBethもMattもMindyもJimさんも力強いhugをくれて、
ぎゅっと私に力が伝わってきた。
だからこそ別れはより一層物寂しくなるのだけど、

でも、幸せ。


だから時折、あの別れの時間をふと思い出すと、
温かな気持ちと柔らかな自信が湧いてくる気がする。

2006年12月27日

思いがけず

上弦の月が南中するのに見とれながら、駅へ向かい、中央線に乗り込む。
今日は新宿駅で途中下車。
新宿エルタワーにあるニコンサロンで開かれている写真展が目的地。

「人間列車」と名付けられたその写真展は、
公共の場でありながら、各々が自分の世界に浸って時間を過ごす、
電車のそういった特殊性に焦点を当てたもの。

http://www.tokyoartbeat.com/event/2006/3540

人が好きだから、興味があった。


18時半頃ビルに着いた。
中は会社勤めのサラリーマン達が帰り始め、夜に向かって静けさを増していた。
エレベーターに乗り込み、28階へ。
お正月を意識してか、BGMはお琴。


「ポーン」という到着音と共に28階でエレベータのドアが開く。
それに合わせて階の表示に向けていた視線をドアの方向に向けた。


night viewすると、
新宿の夜の街が鮮やかに映し出された。
それは待ちに待った演劇の幕が開いたかのような興奮。

キラキラと、思い思いに光るあかり。
そのあまりの綺麗さに息をのみ、
そのにくすぎる演出に心が躍った。
 

2006年12月28日

雨模様

12月の24時間降水量としては、観測史上最多だったという12月26日の雨。


勉強に勤しむ傍ら、友人ふたりにちょっとした用事でメールを送信。
音を立てて降る雨を窓から眺め、
「あいにくの雨ですね」と一言付け加えた。


一人から返信が届く。

「地味に雨は好きなんだよね。雨の街、傘の彩り。」

晴れた空が大好きな私にとって意外な返事であり、
でもそういう感性はとても素敵だと思った。
その目で見ると、雨の日も捨てたもんじゃないな。


もう一人からも、返信が届いた。

「雨ですね。暖房に守られて見ている分には好きなのですが。」

この人も雨が好きなんだ。
私が当たり前のように書いた「あいにく」は、
そうでもないらしい。


違ったからこそ知ることのできた新たな魅力。
違うということは、寂しいばかりじゃないみたい。

2007年01月05日

糸電話

それは労力を要することだ。
同じ場所を共有しないってのはそういうことだ。
それは卒業した時気付いていたんだけどさ。


高校時代のクラス同窓会で出会った人たちから話を聞いて気付いた。
同じ大学に高校の同級生が一人もいなかった私は
自分から共有する場所を作り出さないと繋がらなかった。
もともと情報の末端にいる人間なのに、
ますます末端の末端へ・・・。


それでも、何とか繋げてきた細い糸が何本か張ってる。
綱引きの綱くらい太くて確かなのもあれば、
スズランテープみたく幅はあってもぺらぺらなのもあるかも・・・。
蜘蛛の糸みたく見えなくなりそうなのも。

その糸電話から具体的に何が得られるかと聞かれたらうまく答えられないけれど、
話した後にはいつも刺激をもらってる。新しい発想をもらっている。

それらを保つことは、自分の可能性を残すことのような気がしている。

2007年01月11日

動かない

右手が、右腕が、痛くて痛くて、鉛筆持つのも嫌になった。
そいでも勉強しなくっちゃって、
左手使ったりしながら耐え凌ぐ。


毎日朝6時に目が覚める。
夜1時に寝ても2時に寝ても、
5時とか6時に目が覚める。


言い訳しないで頑張りたい。
自分を愛していたい。
だけど頭はそれについていかない。
体はもっとついていかない。

そして否応無しに迫るその日。

2007年01月20日

あぐらをかく

この間高校時代のクラス同窓会で会った男の子が、
西武鉄道に就職したと言っていた。
私はそれを聞いて、本当に本当に感動してしまった。

都電荒川線近くに生まれ育ち、鉄道が好きな男の子。
その彼がちゃんと西武鉄道に就職したっていう一貫性。


その彼が、二次会に移動する列から離れ、
駅へ向かう帰宅組に加わるや放った言葉は、「明日も仕事だ」


私たちは当たり前のように、平日も休日も電車に乗っていて、
時刻表の違いに休日と平日の区別を感じはすれども、
年中無休で動く電車に何の疑問もない。

けれど、それが成り立つためには、
世の中の休日を返上して仕事をしてくれる人の存在が不可欠なのだ。

昨夏イタリアへ旅行した兄が、日本の便利さが身にしみたとか。
イタリアでは自動販売機がことごとく故障して使えなかった。
日本でそんなことがあったら大事で、
でもそれを実現するために、誰かが面倒を背負って直してくれている、と。


働くということは、目に見えない支え合いではないかと思う。
電車を動かすことで、その便利さを手に入れる人が何千人、何万人といるけれど、
電車を動かしている人にその人たちの顔はほとんど見えていない。
自動販売機に人知れず缶を継ぎ足してくれている人のおかげで
缶コーヒーがいつでも飲めるけれど、彼らにはそんな私たちの姿は見えない。
見えない・見えにくいニーズに対して応えること、
そういう仕事がこの世にはたくさんある。


いったい私は、
どれだけの便利の上に、どれだけの人の仕事の上に、あぐらをかいているんだろう。

とても感謝しきれないけれど、
できるだけ多くのことに気がついて、
感謝の気持ちを体中に貼付けて、
生活できたらいいなあ。

2007年02月01日

釘付け

朝ご飯を食べながら、新聞を読んだり、チラシを見たりするのが日課。
いわゆる食卓のお父さんやお母さんの姿は、うちじゃ私の役目。

日曜日の朝、
いつものようにテレビ欄の載っている一番後ろから新聞をめくり始めた。
社会面には、最近自殺とか、殺人とか、失言とか、悲しい記事が多い。
地域面には、ちょっと心温まるような記事や、心を熱くさせる記事がある。

ラジオ欄や広告を通り過ぎて、
スポーツ面に至った。

ページを繰る手が止まって一枚の写真が視界いっぱいに。

グリーンのコート、投げ出されたWを浮かべたラケット、
金髪のポニーテールと美しい背中、抱きしめる笑顔。

この場面にいる人、この場面を見守る人、
この写真を撮った人、この写真を載せた人、そしてこの写真を見た人。
きっとみんなじっとその場面に思いを馳せたんだろうなあ。

緑の写真を切り取って、またページをめくり始めた。

2007年02月02日

挽きたて

むかし、朝の食卓で、父がコーヒーを飲んでいた頃、
珈琲は嫌いな匂いだった。
いっつも匂いをかがないようにしていた。

大学生になって、コーヒーを飲む機会が増えて、
ちょっとしたコーヒーへの憧れもあって、
眠気覚ましや、気分転換の意味も加わり。


この間、エクセルシールカフェに行った時、
入り口近くで豆を挽いていた。
満たされた挽きたての匂いに思わずうっとりする。
今じゃ珈琲は大好きな匂い。

2007年02月07日

何でもない日々の機微

■ 一月二十二日 月曜日

01220001.jpg
 帰り道、TSUTAYAの脇道を歩いていたら、
 何やら黒いものが動いている

 ぬいぐるみみたいな黒い巻き毛の犬だ

 だけど本当はね、
 ぬいぐるみが犬を真似したのであって
 首輪をしていても、
 犬は犬として誰のものでもない自分を生きている


■二月一日 木曜日

 朝、神社へお参り
 今日の充実を祈ろうと目をつむると
 拝殿から雅な笛の音
 神主さんの粋なはからい
 
 新しい月が始まる


■二月五日 火曜日

 「今日も疲れたなあ」と空きっ腹抱えて家路を急ぐ
 駅の出口へと続く階段にさしかかる


 若草色の斜めがけと
 茶色のマフラを身につけた女の人が
 前を下ってく
02050001.jpg

 そしてその横には、
 おんなじ
 若草色と茶色のライン鮮やかなマフラを巻いた男の人

 ふたりの間にあるもの ふたりの間の空気
 たまらなくうらやましい


■二月七日 火曜日

 昨日の春めいた温かさのせいで
 今日の強い風がひときわ冷たい

 向かい風に負けずに
 走っていつもの神社へ

 拝殿の前に立つと
 また強い風にさらされる

 かたかたかた
 と鳴る絵馬たち


 みんなの願いが
 ぶつかり合いながらも
 優しい音を立てて揺れている

 叶うといいね

2007年03月02日

交差点

07030201.jpg
「OpenSky 2.0」に行ってきました。

これは、八谷和彦というアーティストが、
「個人的に飛行装置を作れるか検証する」
という目的で始めたプロジェクトの展示会です。


彼のことをほとんど知りませんでした。
ただ、夢見がちなことを現実にしてしまおう、
という、たいそう夢見がちな行動に惹かれただけです。


その過程の一部始終が、携わった人の気持ちも含めて克明に記録されており、
私はこの人の「真剣さ」に、「思い」に、すっかり虜になりました。

さらに素晴らしいのは、
この展覧会が、
展示そのものが楽しめるよう
しっかり見る人が意識されたものであったことです。脱帽でした。


クイズに正解して、東京の空をシミュレーターで飛びました。
操縦の難しさから八谷氏の努力を感じ、
上から見下ろす景色に夢の続きを心から応援しようと思いました。


そしてさらに夢かと思ったのは、
高校時代の友人と、その会場ではちあわせしたという偶然です。
展示会場を上から見下ろしながら、空を飛ぶことに思いを馳せ、
後ろを振り向くと、見たことのあるシルエット。

いろいろなものの交差点を見ました。

八谷和彦 「OpenSky 2.0」
会場: NTTインターコミュニケーション・センター
スケジュール: 2006年12月15日 〜 2007年03月11日
住所: 〒163-1404 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階
電話: 0120-144199

2007年03月03日

ちょっと大きいことだけど

夜ご飯を食べながら、NHKをつけていた。

「その時歴史は動いた
  東京オリンピックへの道 〜平和の聖火 アジア横断リレー〜」

1964年東京オリンピックで、田畑政治氏が見せようとした
平和への思いに心打たれた。

聖火は日本が第二次世界大戦で闘ったアジア地域を巡り、
台湾・沖縄を通って東京まで運ばれた。
そして最終ランナーを務めたのは、
原爆が投下された1945年8月6日に広島で生まれた坂井義則青年。

その思いは全選手に波及したのか、
熱闘が過ぎ去った閉会式、
各国の選手たちが国の壁を越えて共に入場してきた。
入り乱れてはためく万国旗がまぶしかった。

それから40年が経ち、
また東京でオリンピックを開催しようという気運が立ちこめ始めた。
今年はその流れに勢いをつけるかのように、
東京という大都市の真ん中で3万人規模のマラソンもスタートした。

2016年にもし日本でオリンピックができるとしたら、
スポーツという国の壁を越えた共通点を通して平和を願った田畑氏の熱意を、
また52年の歳月を経て、再燃させられたらと思う。

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昨年1ヶ月アメリカにいた時、どうしても払拭できなかった違和感は、
一回りも二回りも年上の看護師さんを、First Nameで呼ぶことだった。
それは単純に年上であるということだけでなく、
本当に尊敬すべき人であったからなおさらのこと。
丁寧語と普通の言葉とを使い分けられない、
尊敬を伝える術が分からない、ことへの違和感。

その時思った。私は日本人だ。
上下関係厳しい教えが、体の中に流れている。
そういうものを大切にすることの欠点もあるけれど、
良い点だとも思った。

そういう古き良きを守るということが、
必ずしも価値のあることだとは思わないけれど、
「これからどうしていきたいのか、どんな国にしていきたいのか」
という願いや希望を持ち、
それを実現するために残すべきものは、残していくべきだと思う。
決して周りの状況から「こうすべきだ」と判断するのはなく。

たとえば、
「日本が武装を拒み続けるのは、世界情勢に反することで、平和憲法は改正すべきだ」
ということではなく、
「平和を願う国にしたい、だから平和憲法を残そう」
という願いとそれを実現する意志を持つ姿勢をとるべきだということだ。
(『平和憲法を世界遺産に 中沢新一・太田光』)


日本が平和を伝える上で、
私が感じたその厳しい教えは、
きっと大切な考え方だと思う。
人を思いやるのが、平和へ繋がると思うから。

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小田急線が終点の新宿駅に着いた時、
「この先もお気をつけていってらっしゃいませ」
と車掌さんがアナウンス。

2016年に東京でオリンピックが行われるとしたら、
私は、日本人として、
控え目で、他人を尊重する日本人の文化で、
ここにやってきた様々な国の人々を、
あのアナウンスみたいにもてなせたらいいな。

2007年03月15日

これは何本?

何事にも気乗りしない気分を変えたくて、
パッチアダムスのDVDを見始めた。


医学部の特殊かつ閉鎖的な環境に存在するルールをはみだそうとも、
患者のためになることならいとわず実行するパッチ。
それを良く思わない医学部長。


ルールというのは、
ある失敗に対する反省や、起こりうる失敗への予防として生まれる。
だけどその実情を忘れると、そのうち、
「ルールさえ守っていれば」という甘えや、
「ルールは守らなければ」という本質のはき違えが、
起きてくるのだと思う。

というのも、とあるテレビ番組で、
「マニュアルというのは、失敗の積み重ねで出来上がっているが、
 最近はその”失敗”を知らずに、マニュアルさえ守れば、と考える
 ”偽ベテラン”が増えている」
という言葉を聞いたから。

それぞれの世界は各々特殊だからこそ、
厳格なルールが適応される必要があるわけで、
しかしその本質を見失っては、
そのルールは形骸となり、時に弊害となるわけで。


なぜこのルールがあるのか?
なぜこの過程が必要なのか?
その疑問と答えの繰り返しだ。

2007年03月30日

6+6×3=24

あとがきだけ読み残した本がたくさん積まれていて、
ここ数日は、
それらを一気に読みこなして本の背表紙をパタンパタンと閉じていく、
そういった日々だった。


世の中が高速で春めいて、
境界線がぼんやりとした限りなく白に近い桃色に
視界の端々が染まっている。

毎年見てきた桜が、今年はいっそう大切に感じられた。

自分がこれまで走ったり、歩いたり、立ち止まったりした道を
もう一度おさらい。寒い冬から新しい春への移り変わりの中で。
それは涙を誘うに十分なほど感傷的な作業。

07032901.JPG

24年間を過ごした土地を去ります。
6年間お世話になった小学校は、
現在立て直しの真っ最中で瓦礫の山。
6年間お世話になった中高は、
今どうなっているのかな。
6年間お世話になった大学は、
これまでもこれからも大切な仲間との
大事な繋がりの場所だ。ありがとう。

最後の本を読みきって、背表紙を閉じる。ぱたん。

2007年05月04日

孵化したひな

この土地に暮らすことも、ひとりで暮らすことも、社会人として暮らすことも、
はじめてづくしの2007年4月が終わりました。

新しい環境に放り込まれ、最初はその場の状況も把握できず立ち尽くしていました。
少しずつ先生たちと、看護師さんたちと、距離を縮める作業。
そして何より患者さんたちと距離を縮める作業。


分からないことだらけで、自分の勉強不足を痛感することばかり。
できないことだらけで、自分の技術不足と度胸不足もまた。
それでも、見捨てず優しく見守って下さる先生や看護師さんたち、
優しく指導して下さる先生たちのおかげで、ここまでやってきました。

失敗することもあったけれど、そこは誠意でカバーするしかないと思い、
採血を失敗した患者さんのところに通い詰めた。
1ヶ月後、「先生と話しているとほっとするよ」
と言ってもらえたのがとても嬉しかった。


07043006.JPGあっという間に過ぎ去った1ヶ月で
自分が何を身につけられたのか、と言われると、
まだまだ事務的なことくらいしか身に付いていないけれど、
いつもその不安と戦いながら、
いつも不足していることに気付きながら、
前に進んでいくのみだ。

文字列の病者でなく、目の前に正に存在する患者さんと接すること、
歯車の一つとなって働くこと、
そのためにずっとやってきたわけで、
今そうなれたことでやりがいを感じています。

その気持ちを忘れないまま、嵐の毎日に私なりのペースを見い出そう、
と海風の前で思った。

2007年05月06日

真っ白

一昨日家でインターネットが使えるようになり、
久し振りにweblogに記事を書いてみようとしたけれど、
どうにも言葉が出てこなかった。

頭が真っ白で、キーボードを叩く手が止まってしまう。
何とか書いてみたものの、まだしっくり来ない。

そして、この1ヶ月がうまく思い出せないことへの不安感は募る。
何してたんだろう。この手に何が残ったんだろう。


その後少し気を取り直して、郁子ちゃんのラジオを聞いた。
新しいアルバム発売を控え、取材の日々を送る彼女がとつとつと話す。

「年末からアルバムを作り始めて、その間は集中しすぎていたから、
 今取材でどうやってアルバムを作っていたかを話そうとしても、
 思い出せないのです。
 ようやく最近落ち着いてきて、自分の音を聞きながら、
 どういう気持ちでアルバムを作ったかを教わっているような感じです。」


そういうものか。
単純な私は思う。それ聞いて安心した。

私は集中の真っ只中にいるのだ(と思い込む)。
不安だとか言わずに、それにのめり込む。

そして、もう少し時間が経って、落ち着きを取り戻した時、
今のことを振り返って、それがきっとまた糧になる(はず)。

2007年06月02日

違いを抱え込むには?

1ヶ月の研修を終えた整形外科の飲み会に行った。
楽しい席のはずが、
人の冗談みたいな言葉にうっかり傷付いてしまったり、
自分の思っているのと違うように言葉を捉えられてしまったり、
そういったことが重なると、激しく落ち込む。


社会人になると、同年代の人は数少なく、
年上の方たちと働くことになるわけで、
それが思いの外ストレスフルだ。

一つは距離感が摑めないから。
どのくらいの近さで接してよいのか、どのくらいの丁寧さを保てば良いのか。

もう一つは、上下関係とか、見方の違いとかに日々さらされるから。
婉曲的な対立を目の当たりにする度、心が痛んで、やりきれない気持ちになる。
笑ってごまかすけど、本当は自分をごまかせていない。もやもや抱えている。

それを真に受けて、心に波を立て続けるのには疲れた。
でもそれを諦めてしまうのは、もっと許せないことだ。
何かできることがあるんじゃないかって思う。

嬉しかったのは、看護師さんたちが、
「先生の記録は丁寧で助かりました」と言って下さったことだった。
何かしたいと思うけれど、何かできるほどの力量を私は持っていない。
だけどせめて誠意を持って周りに接することができれば、
信頼関係を築き、人と人の潤滑油になれるのかもしれない。


異なる立場の人たちが交錯する世界の壁にぶつかっている。

2007年07月28日

ちょっとそこまで足をのばして

夏真っ盛りという言葉がぴったりな土曜日の昼間、
藤沢駅で彼女の姿を見つけてほっとした気分になった。

海の望めるイタリアンレストランで遅いランチ。
テラス席で日焼けをちょっと気にしながら近況報告。
ついつい長居する。

弁天橋を渡って江の島へ。
歴史の教科書の最初に出てくるみたいな青銅色の鳥居の先に、赴きある町並み。
左右に時折繋がる細い道が、また味付け。

張り付いた汗を柄杓の水で流して、江島神社をお参り。
何を願ったか、それは言わずもがな。

さらに歩みを進めて、展望台へ。
太陽の光が海面を照らして、なんてきれいなんだろう。

何も喋らないけれど、隣にいる。
それを心地よく感じられる相手というのは数少ないと思う。

下り階段に少し怖さを味わいながら、
展望台下に広がるウッドデッキに腰を下ろして、
またぽつりぽつりと日々を交換する。
「根が生えそうだ」と言いながら、夕暮れまで話し込む。

07072820s.JPG

最後に鎌倉高校前駅のベンチで眼前の海に癒されて、フィナーレ。

夏と海と緩やかな時間とを満喫。
また明日へと踏み出す小さな活力。

2007年08月12日

夏の風物詩

昼過ぎまで汗をかきながら眠った土曜日、
夕方久し振りに自転車で海まで行った。
アイスクリームほおばりながら波しぶきを見るのは至福のとき。


帰り道、近くの公園で盆踊り大会が行われていた。
さほど大きくない公園の中に、老若男女が一同に会し、
円を描いて同じ踊りを踊る。

07081105.jpg赤い浴衣を着た女の子が
猛スピードで走っていたり、
お父さんが息子を肩車していたり、
おじいちゃんもおばあちゃんも
お父さんもお母さんも
お兄ちゃんもお姉ちゃんも
一緒に同じ踊り楽しんでいた。


「見るより聞くより踊るもの
 七夕踊りは踊るもの」


なーんか温かくなります。


ぼんやり眺めていたら、
もうすぐ80歳になるというおばあちゃんに話しかけられました。
「1年に1回しかないんだもの。せっかくだから見に来たのよ。
最近世の中が変わってきているでしょ。子供が親を殺したりとか。
だからこういうものを大切にしなきゃ」

最後には
「中身が真面目な相手を見つけなきゃだめよ」
と、ぽんぽんと肩を叩かれました。


一人暮らしを初めて4ヶ月が経つけど
なんかちょっと心が温まる一日になった。

2007年08月18日

マンゴー

マンゴー味のものって、何となく手が出てしまうのは、
小さい頃からマンゴーが家にあったからかな。
何となくあの黄とオレンジの中間みたいな色も懐かしさをそそるのだ。


そんなわけで私の父がR25にちょびっと載りましたのでご報告。
R25の反響はものすごかったそうな。

http://r25.jp/index.php/m/WB/a/WB001120/id/200708021107

ちょっとした雑学です。

2007年09月09日

灯火の前で

夏休みを2日間とって、実家に帰った。
台風吹きすさぶなか、とにかく実家方面の電車に乗り込んだ。

有楽町で下車して、国際フォーラムを通った時、
ふとその存在を思い出したので、入ってみることにした。
書家相田みつをの美術館。

6年生の最後のことを思い出した。
神経内科病棟で、林さんや三浦さんや大森さんに朗読させていただいていたこと。
その時、彼の言葉を読み、読んでいる自分も、読んだ相手も、励まされていたこと。


相田みつをの言葉は、非常に力強く、しなやかなこともあれば、
とても人間的で、自分を包容してくれる心の広さがあり、
にんげんの姿をまるごと捉えているような気がした。


「おてんとうさまのひかりをいっぱい吸ったあったかい座ぶとんのような人」
こんな人になれたらいいなあ。


あっという間に5ヶ月過ぎた。
そのなかで、人の生き死にのことを時々考える。

人の死が通過していくようになったらおしまいだと思いながら、
「日常」になっている事実。
それを危ういとつっこみをいれつつ、
死の横で世間話をしている。


自分が今一つ分かること、できることは、
いのちの前で、そこから学ぶ姿勢を忘れない謙虚さ。

2008年01月19日

計らい

12月30日、年の瀬の慌ただしい雰囲気と北風と冷たい雨に包まれながら、
新宿の世界堂横にあるカフェへ向かった。

そこは、入り口近くに帰国前の外国人が陣取っていた影響もあって、
新宿のど真ん中にして、異国を感じる場所だった。

まるで前からそこにあったかのように
とくさんの写真が額に収まっているのを横目に見ながら席へ通される。
つい立ての向こうの席で、「こちらへ」と店員さんに言われる。
テーブルに落とした視線を上に向けると、
そこには、あの、私が大好きな、向かい合う老夫婦の写真。

あまりに粋な神様の計らいに、笑顔がこぼれずにいられなかったよ。

2008年02月09日

たすき

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90年を紡いできたおじいちゃんが繋いだたすきが
4人目に渡りました。

ある日、第4走者のゆりかちゃんに目を細めているおじいちゃんの写真が母から送られてきました。少し遠くから大きく包み込むような視線。

私の父からすれば、ゆりかちゃんは第3走者で、父はその子の急激なスピードアップにひたすらの幸せを感じている。とはいえ一抹の不安も少々。

私の兄からすれば、ゆりかちゃんは第2走者で、まだ彼女の行く末を案じながら、日々悪戦苦闘なんだろうな。


四世代が同じ時代にいること。
奇跡であり、軌跡である。

2008年04月23日

返信

東京に戻っていつの間にか3週間が経った。
毎日朝8時前に出勤して、夜23時過ぎに帰る生活。
歩いて5分の帰り道に、変えたばかりの携帯電話を開く。
携帯電話を開くと、もうすぐ1歳になる姪っ子の素敵な笑顔が飛び込んでくる。
左上のメールマークのボタンを押して、新着メールを確認する。
期待を込めて。

平塚にいた時に知り合ったひとびとから、ぽつりぽつり言葉が届く。
「ど〜お〜、大学は?」
「またへこんだりしていませんか?」
「東京の自宅はちゃんと鍵かけてる?戸締まりしっかりね」

遠い場所で、
自分の存在を忘れないで、
自分のことを思ってくれる人がいるのが嬉しくて、
どんなに短いメールでも、「うっ」って涙腺がゆるむ。


その一つ一つが大切で大切でしかたないのだけど、
でもこのメールに返事をしたら、
縁が切れてしまうような気がして、
なかなか返事が書けない。

これで返事を書いてしまったら、
もうメールが送る理由がなくなって、
繋がれなくなってしまうんじゃないかって、
もったいなくて、かけない。
ものすごい矛盾を抱える。


そんな感情を持て余しているうちに、
いつの間にか眠りに落ちてしまう。

2008年06月03日

はさみをいれた先の世界

郵便受けをのぞくのは密かな期待を込める時間。
今日はその期待に応えてくれた。

封筒にはさみを入れる。うっかり便箋の端っこも一緒に切れた。
落ち込む暇なく、サボテン柄の便箋を開く。

変わらないいつもの口調が語られる。
中学の時から変わらないその字は、
名前以上にその人のアイデンティティ。


変わっていく自分を拒んでいる私。
変化が怖いのだ。
だから変わらず流れているその人がまとう雰囲気に
こうやって触れるのが、
ほっとするっていうか、あったかいっていうか。

そんな気分。

2008年07月20日

夏休み

これでもか、これでもか、というくらい自分と対話する三連休だった。
唯一入れた予定としては、一年振りの美容院くらいで(床に落ちた髪の毛が、ホラーだった・・・)、あとはひたすら夏の空の下をぶらぶら歩いて、空を見上げたり、風景に心奪われたりしていた。最近涙が出ないのが少し苦しかったけど、もう少しで泣きそうだなあと思う瞬間が何度かあって、爽やかな気分を味わった。
  
一昨年何度も駆けた北沢川緑道を、今日はゆっくり歩いた。
小学生が遊んでいるのを見かけて、「あー、夏休みなんだなあ」と季節を再確認。
ラジオ体操してアーモンドキャラメルをもらったり、昼間から近所の子とおにごっこや缶蹴りして遊んだり、駄菓子屋に行ったり、学校のプール教室に出かけたり、お祭りに行ったり。それが私の夏休みだった。インドアの家族で、「小さいときに、もっといろんなところに旅行に連れてってもらえたら、今の私もちょっと違っていたかなあ」と思うこともあったけれど、今日は、近所の友達と遊ぶ毎日が懐かしく思い出され、そんな思い出を持てたことに、感謝の気持ちが沸いてきた。
 
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2008年08月23日

ぬくもる

山梨県富士吉田で行われた社会医学セミナーに参加し、毎日の業務の中で余裕を持てずにおざなりにしていた、患者さんを取り巻く状況への気配りといった感覚を取り戻せたように思う。社会医学では、他領域が関わり合うという点において「他人を説得するための確固とした根拠の提示」が必要である一方で、公衆衛生が目指すのは「社会で暮らす人々みなの幸福を実現する」という人間の温かさ、曖昧模糊としたものを拠り所としている側面も持ち合わせている。その両極端がある世界が不思議だな、でも面白いなと思って帰ってきた。


竹野内豊が主演した「人間の証明」というドラマでは、同じ人間に自分の父親を踏みにじられ人を信じられなくなっていた刑事が、冷徹で「信じる対象」として最もそぐわない女性の奥底に残る「人間らしさ」にかけて言葉を語る場面があった。忙しく泥くさく働きまわる私たちの中でどれだけの人が、同時代に生きる他人・将来生まれてくる他人の幸福を思って、日々暮らせているのだろうか。たとえ行動が伴わないとしても、どんなに冷たいひとでも、心の奥底では温かさを基礎に持っているのだろうか。そんな理想主義をかざしたら、笑われそうだけど。


クラムボンが実現した野外音楽堂ライブ追加公演で、チケットを手にできなかったファンへのバンドメンバーの思いや、すでに1日目のチケットを携えた人たちがそうでない人へ残したメッセージを見て、忙しい毎日の中で、こんなに思いやりのある温かい現実が、真っ直ぐ受け止めていいのか戸惑ってしまうほどのぬくもりある世界があることを知り、幸せだ。

2008年09月04日

変化への拒否

いっぱいの失敗、いっぱいの不勉強、それらを痛感しては落ち込む自分を押し込めていたら、ものごとが肌をなでてすーっと通り過ぎ、心を貫かなくなってきた。ある種防御反応だけれど、それを繰り返すうちに、なんだか自分が自分じゃないような、居心地の悪さがつきまといだした。頑張らないことを自分を守る言い訳にしている。

私はこうして研修医生活を続ける中で、防御反応がすっかり身についた。それは「うまく」渡る術かもしれないけれど、果たしてそれが本当に良いことなのだろうか。ときどき「これは私じゃない。」ってどこかでささやいている。

明日の私は頑張れるかな。

2008年09月07日

いま

佐藤多佳子の「一瞬の風になれ」を再読しながら、大学時代の練習を思い出して、目頭を熱くした。あの頃頑張ったこと、夏のじりじりのなか走ったこと、その日々を仲間と乗り切ったこと、それがまた明日に踏み出す力をくれた。

けれどこの前耳にした「今のあなたは、過去の栄光にすがっているだけ」というどこかのドラマの台詞が耳をつんざく。あの頃頑張ったことを糧にするのは構わない。でもあの頃頑張ったことは今の自分の評価になるわけではない。今の自分は今の姿で勝負をするしかないのだ。

あー、走りたい。走ってこよう。

2008年11月09日

そのひとらしさ

ここ最近、緒形拳さん・筑紫哲也さん・峰岸徹さん・深浦加奈子さん、と私が日常的にテレビで目にしていた人たちががんによって最期を迎えた。この人たちの死が私に印象を遺すのは、ついこの間までその人たちがテレビの画面に映っていたからだと思う。「そういえばこんな人もいたよね」じゃなくて、「昨日テレビの画面で見たよ」ってそういう感じだったから。峰岸さんは「おくりびと」を見た2日後の知らせだった。

でもその亡くなり方を見ると、どの方もその人らしく人生を全うできたのではないかな、と思う。病院で過ごすのではなく、その人の過ごしたい場所で、その人の過ごしたい時を過ごした証が、それぞれの作品に仕上がって、私の目に映ったように思われからだ。

10月に訪問診療をする診療所に1ヶ月出入りし、まさに家族の眼前で「息を引き取った」患者さんにも出会った。これからそういう方向へ歩きつつある人にも出会った。その人たちはいろんな気持ちを経験していると思うけれど、その差し引きはきっとプラスになっていると思う。どの人も残りが短くとも長くとも、その人らしい日々を過ごせたらいいと思う。

そして今、お母さんと離れたばかりの命に向き合い始めた。
彼らの一生懸命な姿はかわいくて、ただただ励まされる。
昨日書面に印を押して、小児科に自分の身を置くことに決めました。

2008年11月26日

ふたり

両親の還暦を祝うために、私たち四人家族の足跡を辿る写真を一つの本にまとめた。

この家族の始まりともいえるふたりの結婚式の写真。
カラー写真が少しセピアがかって、色褪せている。
だけどそこに写っているふたりの笑顔は、
これまで見たことのない、幸せに満ちたものだった。

仲がいいか悪いかでいえば、どちらかといえば後者に入るふたりだと思っていたけれど、
スタート時点では、そこから続く道が明るいことを信じて疑わない笑顔を携えていたのだ。
それを知った時、とても感動し、嬉しく思った。


ついこの前まで勤務していた診療所での出来事。
がんという病を患った「妻」を自宅で看病を続け、
最期を看取った旦那さんが、目を閉じたままの「妻」を前に

「生まれ変わってもまた結婚しよう」

と言った。


日常は気持ちを廃れさせる。霞ませる。
それでも最期にそんな風にお互いのことを思えたら・・・

2009年01月01日

おとなになること

何者だかわからないもの、そういうものが世の中にはいっぱい転がっていて、
それにふれると私たちは「不安」という気持ちを抱く。
その気持ちは所在なく、
どうにか解消したくて情報をかき集めたり、誰かに一緒に持ってほしくて相談したりする。
そんなことが重なると、つい守りに入ってしまう


だけど年末実家に帰ったら、
1歳半になった姪っ子はわからないことだらけの世界に思い切り足を突っ込んでいた。
なりふりかまわない好奇心で、何にだって
手を伸ばし、ひっぱって、叩いて、投げて、口に入れて、
そして痛い思いをする。
それでもまた1分後にはそんなこと忘れて興味津々に手を伸ばす。
これは人間の本能なのか。

  

できればそれは持っていたくないものだ。いてもたってもいられなくなる。
その気持ちに巻き込まれないためには、学ぶことだ。
できるだけたくさんの情報、たくさんの知識にふれて、
頭の中に詰め込んだり、せめてその情報がどこにあるかを覚えて、
折々に引き出して、わからないものを説明できるようにすることだ。


大人になるということは、
不安にふれないように手をこまねいているのではなく、
かといって危険を顧みずに火の中に突っ込んでいくのでもなく、
情報を使って、善し悪しを判断して、手を伸ばす、そういう勇気の獲得なのかもしれない。

2009年02月14日

じゅんやくんのきもち

帰る前に一目顔を見ようと、
いつもと何ら変わらない気持ちでじゅんやくんのベッドを訪れた。

「こんばんは」と声を掛ける。
だけどいつものような元気な彼の声は返ってこない。
それどころかタオルケットを顔の半分までかぶって、じっと私を見つめる。

なんとなく身に覚えがあった私は「せんせいのこと怒ってる?」と尋ねた。

しばらくテレビの方に視線をそらしては、また無言で私を見つめる。
何度かそれを繰り返す。
少し痛いまなざし。

「せんせい来なかったから怒ってる?」
それでも黙ったまま、何かを訴えるその目は
少しうるんでいるようにも見えた。
 
午前10時、小一時間一緒に遊んだ後、「またくるね」といって彼のベッドを離れた。
他の検査や仕事に追われ、次に彼を訪れたのは19時過ぎだった。
 
少し張りつめた時間が流れた後、
タオルケットに隠していたくちびるを覗かせてぽつんと彼がこぼした。
 
「・・・まってた・・・」
 
 
その言葉を前に言い訳をする気持ちにもならない。
弁解は何の助けにもならない。
 
 
「ごめんね。じゅんやくん。せんせい来られなくてごめんね。」
それをただ真っすぐ伝えるので精一杯だった。


「病棟という狭きコミュニティのなかで、彼らはどう成長していくか」
そんなこと大人ぶって考える前に、
私が成長しなくちゃいけないや。

人の気持ちを感じ取って、思いやること。
ただあたりまえのこと。

2009年11月01日

90年を生きること

祖父が90歳になったのを期に、長きにわたって続けた洋装店を閉店した。
万が一の折には、母や私の連絡先をいつでも取り出せるよう、
山梨から東京へ仕入れに来るとき持ち歩いていたという。
しかし足腰の衰えには抗えず、「迷惑をかける前に」と。


3年で転職のこのご時世、
90歳までひとつの仕事を続けるこということがどういうことなのか、
想像を超える世界だ。


そんな祖父90歳・祖母82歳を慰労すべく、
祖父母の家から30分ほど車で走ったところにある温泉街へ
両親と私とで食事に招待した。
豪勢な料理を、親子三代仲良く舌鼓をうった。


さらに1時間ほど走ったところにある「ぶどうの丘」へ連れ出した。
普段「汽車」からしか見たことのないその場所に立ち、
甲府盆地を眺める二人の背中には、哀愁たっぷりだった。

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帰り道は高速道路で家へ送った。
「高速道路なんて初めて乗ったさ。
 周りのペースに併せて走らんと、巻き込まれちもう」
と、甲州弁で語る祖母の言葉が、じっと胸に残った。

80年・90年を経て、ようやく体験した高速道路。
高速道路など体験しなくても、観光名所に行ったことがなくても、
自分は嫌でもそこにいて、月日は確実に流れ、
日々多くのことを体験し、日々多くのことを語り合えるのだ。


その圧倒的な時間の流れを前に、
ちっぽけな悩みの火がいとも簡単に吹き消された。


これまで大きな病気ひとつせず、健康に生き続けるふたりが、
ただただ素晴らしい。

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2009年11月22日

転勤生活

大学を卒業する24年間は、生まれてからずっと同じ土地に同じ家族と住み続けた。
卒業してからは毎年のように住居を変え、住む土地を変え、馴染み始めた頃にまた別の土地に移る生活が続いている。


先日私が駆け出し1年目に平塚で、研修医の父親役としてお世話になった先生とばったりお会いした。「せんせい!」と声をかけると、先生は「おー!」と。失敗ばかり、わからないばかりの毎日を知っている先生だからこそ、今の姿を見せるのは気恥ずかしい。「あれ、先生は3年目?小児科?」と私のことをちゃんと把握してくださっていたのが嬉しいことだ。隣にいた整形外科病棟の看護師長さんも私のことを覚えてくださっていたようで、ぺこりと会釈。

その日一日家に帰るまで、私の中身は1年目のおぼつかない心持ちに入れ替わり、時間感覚も場所感覚も全てがおかしな気分のままだった。あの病院の風景、周りの先生たちがばーっと目の前を駆け抜け、武蔵野にいながらにして平塚にいるような不思議な感覚。2年前のことが今そこにあるように流れるのが驚きだ。

家に帰り、平塚時代を共にした1学年上のさこちゃんにメールをした。
「あのころ楽しかったね。」

それぞれの土地で、それぞれの病院で、いい出会いもつらい出会いもして、それぞれの季節ごとに、それぞれの土地にちなんで思い浮かべられる人がいる。転々とすることは変化に弱い私にとって大変なことだけれど、一方でこうして毎季節を大切に生きられる術なのだろう。


数年後の秋には「武蔵野で立て続けに重症患者さんに当たって、成長したよなぁ」ってきっと思い出すんだろう。

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2009年12月31日

最初の一歩

2009年は私のこれからの人生という意味では、すべてのスタートとも言えるもので、2008年11月から始まった小児科人生の最初かつ大きな一歩になった。

神経グループでは一人の患者さんの死と向き合うことになり、血液グループでは思春期の患者さんの移植という大きな節目に立ち会うことになり、大きな山を越えることになった転移性脳腫瘍の患者さんをICUに送り届け、新たな土地へ移った。


研修医から小児科医へのステップアップは思いのほか急速なもので、知識も心構えも間に合わないままその場に対峙しなければならない状況となった。勝手にそんな自分へプレッシャーを感じて、自分の行為が果たして正しかったのか、害は及ぼさなかったのか、家に帰ってからも不安を感じて、眠れない日々を過ごした。自分の無力に投げられた言葉に傷つくこともあった。すべての患者さんを幸せにはできなかったかもしれない。救急外来で待ちぼうけにしてしまったり、うまく説明ができずに不安をあおってしまったり、判断が空回り入院が長引いてしまったこともあったり、いろいろな失敗が気づかないものも含めて本当にたくさんあったと思う。心の中でいつも謝っていた。いつもそういった不安や後悔や懺悔を抱かなければならないのが、つらいと思うこともあった。

けれどその一方で、ぐったりしていた子供たちが元気にはしゃぎ回るようになったり、温かいメッセージをもらったり、なかには「家に帰ったら、ツジ先生ごっこが早速始まりました」と嬉しい報告をくれた人もいて、そういった一つ一つのことがが私のことを支えてくれた。学問的に興味深いものにも出会って、それが日々のなかで知的好奇心を高めてくれた。

一年目は一生に一回。
そのとき感じた一つ一つを踏み台に、次の二年目という場所に踏み出していくのです。

2010年01月24日

また次のステージへ

また新しい土地へ動くことが決まった瞬間、ここ最近味わったことのない無力感に包まれた。

私は今いる土地で何をしたんだろう、これから行く土地で何をできるんだろう。

目的を持たない行き先の決定は、去年も同じだったけれど、今回はもっと希望が持てないような気がした。医局に所属するということは、そういう運命の決まり方であることは分かっていても、いざそうなってみると何だかいたたまれない気持ちなのだった。
そんな気分を後押しするかのように、同期の幸せ話を耳にして、そろそろ50%に達する結婚率に焦燥感を抱くどころか、私の先はこのまま暗いトンネルが続いていくんじゃないかという不安にかられた。

それでも就職先があるだけ幸せだし、どこにいっても私の診療方法が変わる訳じゃないし、憧れの横浜だし、大事な友達が近くに住む街だし、ってポジティブ要素をあとからあとから数え上げていく。

そして何より、そこで一生懸命にやっている人たちがいるのだから、落ち込むのは筋違い。

多分暗い気分の諸悪の根源は、情報の少なさに起因するんだろう。そこで何ができるかってことを、私らしい何ができるかってことを、見つけることからすべては始まるんだ。どれだけ私ががんばれるか、見せつけてやろうじゃないか。

2010年01月27日

それは理由なく訪れた直感

小さくて細いけれど、確かに私とおんなじ形をしたその体に触れると、
あの頼りない、なめらかにゆっくりと手を握るしぐさを見ると、
「愛おしい」という気持ちが溢れてくる。


血の繋がりがない私ですらそう思うのだから、
十月十日その子と共に過ごしてきたお母さんやお父さんは、
その想いは溢れて止まらないんだろうと思う。


箱入り息子や箱入り娘たちを、大切に、見守り支えていこうと思う。

2010年02月14日

同じ本棚

「どんな人が好きなの?」
彼氏のいない私へ決まって問われるこの質問に
いつも困ってしまう。

目指すべきところを持って努力している人、
自分を持っている人、
話のテンポが合う人、
音楽や映画の趣味が似ている人、
私が感じるいろいろのことを興味をもって相づちを打ってくれる人、
いろいろ挙げてみるけど、実像を伴わない。


角田光代の「さがしもの」を読んでいて、
あぁいいな、と思ったのは、
「ぼくんちの本棚みたいだ」という男の子と女の子の話。
そういう共有があればいいなと思う。

それが有名でないものであればあるほど、
嬉しさが増すのである。

そういう日がいつか訪れればと、
いろんなことに興味をもってみようとがんばる。

2010年02月15日

瞬間冷凍パック

重松清が「許すこと」を語っているインタビューをみて、
ふと思い出したのだ。

私がこれまで本当の意味で仲直りできていない関係がふたつあること。

一方的な言い方をすれば、
ふたつとも、私が相手のことを許せていないということだと思う。

でも「許す」という言葉は、
何かしてはいけないことをした相手に対するもので、
正確に言えば、私の場合、してはいけないこととはいえない。

私からすれば、「しないでほしかった」ことだったのは事実だけれど。

ー 急な雨が降ってきた。
ー 外へ出ようと私が傘を開いた。
ー その少し先で男の子も傘を開いて立っていた。

ー 一緒に外に出ようとしていた子が
ー 当然私の傘に入ると思っていたら、
ー 少し恥ずかしそうに小走りで、男の子の傘に入った。

本当にささいなことだし、
その子にとったらほんのりした恋心なんだろうと思う。

でも私は、その一瞬に自分の傲慢さへの恥ずかしさと、
裏切りと、ジェラシーを感じたんだと思う。
でもそんなこと感じる自分に自己嫌悪で、何も言えなかった。

そのとき感じたわだかまりは、
放たれないまま、時が経っても私の心の中にある。

ー 「この関係に成長はない」ときっぱり言われて彼氏にふられた。
ー 会話に少しでも深みが出るようにがんばったけれど、
ー 届かなかった。

頭の回転の早さも、共有するものも、少なすぎたんだと今なら分かる。
でもそれを言われたとき、
自分が全否定されたようにショックだった。
こんな風に傷つけておいて、謝りの一言もないのが、
悔しくて仕方なかった。

でもぶちまけられず、悔しさは私の心の中にとどまっている。


「許す」ということが成立するためには、
そもそも相手が「悪かった」と思わなければならないわけで、
でもそれは伝えなければ気づかないこともあるわけで、
私が自分勝手に許せずにいるふたつの関係は、
私がその気持ちを瞬間冷凍したままでは、
解凍されることはないのだろう。


感情を露にすることが、年を重ねるごとに難しくなる。
でも本気で氷をとかすには、その場を取り繕う大人力ではなく、
恥ずかしさも忘れて気持ちを爆発させる瞬発力が必要なんだ。

壊れて踏み荒らして、拓けた場所に新しいものが生まれる。

2010年03月20日

脈動を感じて

30代半ばで永久の眠りについた従姉妹の顔を見つめて
自分の脈がどくどくするのを感じた。
その隣で、父が何度も深いため息をもらした。

端的に言って、その場面はとても緊張した。
見てはいけないものを見てしまったような気持ちとか、
今にも目を覚ましそうな穏やかな寝顔に安堵する気持ちとか、
いろんな気持ちが混ぜ合わさって、言葉にならなかった。


2009年の暮れから2010年の年明けにかけて
私の周りで人生の終わりを迎えた人が何人かいて、
私はその人たちと私とが関わり合ったときのことを
できる限り思い出して、忘れないようにしようと思った。
一方でもっと関わり合えたんじゃないかと後悔もした。


大学に入るまではちっとも本や映画に縁がなかったけれど、
最近は映画や小説にも興味が向くようになった。
そういった話のなかには、
クライマックスに誰かが死を迎える場面がしばしば出て来る。
でも今の私のタイミングでは、そういった描写に嫌悪感を抱いてしまう。
息を引き取った後は、どんなに声を大きくしても、その人に言葉は届かない。
届くのかもしれないけれど、それすら生きている人の都合良い解釈なのでは
ないかとも思う。
本人不在では、何が本当なのかうやむやになってしまうんじゃないかと思うし、
抱いた言葉たちを、ぶつける矛先もない。


従姉妹の病床にお見舞いの手紙を送った翌日、
悲しい知らせは届いた。
私の声は少なくとも生きているうちには届かなかった。
そのことを「すみません」と謝った私に、
おじさんは「そういうことが後でいい思い出になるから」
と言ってくださった。


それでも私はやっぱり生きて言葉を交わすべきだと今は思う。
そして、それは終わりを思って今を大切にするのではなくて、
次なる今がもっと良いものになるよう願いながら、
今を大切にするということでありたい。

2010年08月28日

なつやすみの思い出

「とうきょうのおじいちゃんととうきょうのおばあちゃん」
今年3歳になった姪っこに再会すると、そんなフレーズを口にした。

今年の夏は彼女と「やまなし」で再会した。
そこは、お父さんのお母さんのお父さん・お母さんが住んでいる場所。
そして、お父さんのお父さんのお父さん・お母さんが眠っている場所。
彼女は「こうふのひいおじいちゃんとひいおばあちゃん」も
覚えてくれるだろうか。
墓前ではしゃいでいた彼女は、
「やまなししのひいおじいちゃんとひいおばあちゃん」の存在を
いつ理解していくのだろうか。


去年の11月に彼女にはおとうとができた。
突如として家にやってきたおとうとは、
日に日に大きくなったお母さんのお腹が
ぺったんこになったという事実とあわせて、
血の繋がりを納得したのだろうか。


仕事柄、しばしば家系図を書く機会がある。
丸と四角と線とで描く血の繋がりは、
連綿と続いていく。
彼女が覚えた「とうきょうのおじいちゃんとおばあちゃん」に
それを一個一個理解していく姿を見て、何だかとても心震えた。


「その日」が決して遠くないこうふのひいおじいちゃんとひいおばあちゃん。
ふたりに抱っこされたことを、
写真でなく実際の記憶として覚えていてくれるだろうか。
覚えていてほしい。

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2010年09月20日

こころを忘れない先生

「じゃあ辻さん、よろしくね!」
懇親会の帰り際に、出口でぺこりとお辞儀をすると、
水谷先生はそう言って遠くから大きく手を振ってくださった。
家に向かう電車の中で、その場面がずっと目の前に浮かんで、
その度涙腺が緩んだ。
 

教授といえば、学生のころから、遠い遠い存在だった。
その教授から突然メールが届いた。
「過日先生が担当した患者さんのお父様からお褒めの言葉をいただき、
うれしくてメールしました。」と始まり、本当に余りある言葉が並んでいた。
実は患者さんのお父様が先生のお知り合いの研究者だったのだ。


若輩者の私に、
「うれしくて」という感情と共に励ましてくださった先生の心が、
「よろしくね!」と手を振ってくださる真っすぐな振る舞いが、
本当に嬉しくて嬉しくて仕方なかった。


忙しくて、折れそうになっていた心は、
こういった偶然と心遣いに救われて
再び起き上がることができるようになった。


研究者として、臨床家として、
教授というのはきっといろいろな評価の中で就く地位なのだと思うけれど、
私はこんな風に心を大切にしてくださる先生の下で働けること、
それを何より誇りに思う。

2010年10月31日

優しさの源

ずっと腑に落ちずに考え込んでいるけれど、違和感がとれない。

彼の小説の通り優しさに溢れた言葉に安心するけれど、
実際の現場はそうじゃないことへのズレをどう解釈したらよいのか、
それを考えながら悶々としていた。

大好きな重松清さんと坂東眞理子さんとの対談。
タイトルは男女共同参画の潮流のなかでの
「働く・暮らす・生きるの”バランス”」

私は内容そっちのけで、
ただただ重松さんのお話を聞きたい一心で会場に向かった。
ふたりの娘さんを育てた重松さん。
女性の社会進出を支えてきた坂東さん。

おふたりは少子化の強烈なインパクトを原動力に進んできた
女性の社会進出を支えるシステムの進化を喜びながら、
「舌打ち、ため息、陰口」といった現場の闇を汲み取り、
それを乗り越えて「支え合う社会」を実現していくことを訴えておられた。

ある一定の豊かさを実現した成熟した社会は、
絶対的な正解を持たない。選択する自由があるから。
でも自由というのは、
それは一方を選んで一方を捨てる責任が個々に渡されるということで、
その重たさや正解のない不安に押しつぶされる人の多さを憂いておられた。

選択の違いが、貧しい人とそうでない人を作り、
ひいてはそれが次世代へと連鎖していく。
貧しいとそうでないでは、選択肢が圧倒的に異なる。

現状、経済の不況や貧富の差の中で、
これまで個人を守ってくれた会社がむしろ個人を見放す社会となり、
努力をひたすら積み上げる「ノーベル努力賞」では評価されず、
個人の力が、個性が、求められ、
それを持たない、もしくは、持っているか分からない人は
その不安につきまとわれることとなる。

この自由を放棄することは、いわば社会主義的な考え方だ。
歴史はそれを否定してきた。
とすれば、貧しさの中にいる人とそうでない人とが
支え合うシステムを目指していくことが、
国が国民すべてに幸せを保障するということになるのだろう。

富を築くことに奔走した65年から、その築いた富を使って、
坂東さんのおっしゃる「支縁社会」を目指すことになる。

論理では分かる。
でも厳しさの中で戦ってきたであろうふたりがどうして
「優しくなろうよ」とだけ言うのだろうか。


支え合いという言葉でいつも過るのが「障害」を持つ子供たちのことだ。
彼らがうまく生きていける場所を作りたいと願う一方で、
それが自然の摂理なのか、と。
「いや、成り立たせるのだ」という意志を持つべきなのだろうけど。
多くの子供たちは長く家の中に閉じこもっていた。
古い精神科の本に、精神障害者が牢屋に入れられていた写真があるのを
とある先生が見せてくれた。
らい病の人も長い間療養所に隔離されていた。

くさいものにふたをしてきた過去があったけれど
徐々に分かってきた新たな知識故に不要であった歴史が解放されていく。
またそれを包含していく豊かさが歴史の中で築かれてきた。

とすれば、そういった優しさの源のすべては知ることだと気づく。
知ることで、闇を理解することで、寛容になれる。
「何だか分からない」ことが遠ざけてしまうから、
ちゃんと理路整然と説明できるよう客観的な捉え方をすることは、
距離を近づけ、解決の糸口を示してくれる。
きっと坂東さんも重松さんもいっぱい聞いて、読んで、闇を知ったから
「優しくなろうよ」と訴えておられたのだろう。

だから私は日々その人の人生を知ることを怠たらず、
優しい人になりたいと思う。
全ての人がそうはなれなくても、一番身近な自分がそうなれたらと思う。

2010年11月01日

ウォークマンの思い出

SONYがいよいよウォークマンの生産を終了するそうだ。

今時CDを買う機会も減り、
もはやダビングして好みのカセットを作るという行為は過去の遺産だ。
カセットテープを知らない子供もいるのだろう。


小学校4年生くらいから邦楽に興味を持つようになって、
音楽番組の森高千里や米米クラブの曲を必死で録音した。
タイミングを間違って、曲紹介が入ったりするのが許せなくて、
絶妙のタイミングで録音ボタンを押すのに一苦労した。

そして誕生日にCDからカセットにダビングができる
カセットレコーダーを買ってもらった。
カセットからカセットへもダビングができる黒いボディだった。
そして初めて買ったCDが、ZARDの「負けないで」。

学年が変わる前に作るクラス文集では、番付がお決まりで、
そのなかの好きな歌には「負けないで」を書いた。
そのとき、好きだった男の子が選んだ曲が気になって、
CHAGE&ASKAのYAHYAHYAHと書いているのを盗み見て、
「見るなよ!」と怒鳴られた記憶がある。

小学校6年生のときには、ちょっと流行に敏感な同じクラスの女の子に、
Mr.Childrenのことを聞いて、Tomorrow never knowsと奇跡の地球を買った。
以来15年来Mr.Childrenが好きだ。

そしてようやく私もウォークマンを手にした。
中学校に進学してから。再生機能だけのウォークマン。
青紫に塗られた金属的なボディが印象的だった。
一緒に買いに行ったのではなくて、お父さんが買ってきてくれた、
というのもの何か特別だった。
習いたてのNHK基礎英語を聞いたり、Mr.Childrenを聞いたり、いつも一緒だった。

とある日、お兄ちゃんに「スキー旅行に持って行きたい」といわれ
私のウォークマンを貸したことがあった。
その間はカセットデッキで音楽を聴いた。
でもお兄ちゃんがスキー旅行から帰ってきても
一向にウォークマンが戻ってこない。
正直私は5つ年上のお兄ちゃんが怖くて、
殊に高校生になったお兄ちゃんとはほとんど話さなくなって、
でも大好きなウォークマンを使いたかったから勇気を振り絞って
「ウォークマンは?」と聞いたら、
「もうちょっと貸して」と歯切れの悪い返事。

それから1週間ほどしたところでウォークマンが帰ってきた。
しばらくして、お兄ちゃんが私と同じウォークマンを使っているのを見て、
「お兄ちゃんも同じやつを買ったんだなあ」と思い、お父さんに話したら、
こっそり本当のことを教えてくれた。
「スキー旅行で失くしちゃって、新しいの買ったんだよ。後で見つかったみたいだけど。」

「言ってくれたら良かったのに」と思いながら、
失くしたことへの罪悪感が大きかったのだろうなあ、と思った。
そして高校生がウォークマンを買うっていうことの大変さと引き換えに
お兄ちゃんとしてのプライドを守ったということも。

その後高校生になってしばらくしてカセットウォークマンは壊れてしまい、
カセットが再生できなくなった。
時を同じくして、カセットからMDが台頭する時代となり、
私はMDコンポを買ってもらった。
大学に入るやMD WALKMANを買い、初海外のお供をしてもらった。
私は、好きな音楽を友だちや恋人に届ける手段として
主にMDを使っていた世代だったんだ、と振り返る。
男の子に乗せてもらった車で、
自分が編集したMDを聞いてどきどきする、そういう思い出。

今はたくさんのカセットやMDを買う必要もなければ、ウォークマンもいらない。
音楽はワンクリックで手に入り、
アルバム1枚に少し足が出るくらいで再生機も買えてしまう。
パソコンで簡単に再生リストを編集できる。
CD1枚1枚から好きな曲を抜き出して、
MDやカセットに時間をかけて録音し、
小さい文字でタイトルを書いていたのが懐かしい。

まだ私の家にはあの頃のカセットやMDが眠っているし、
役目を終えたカセットウォークマン・MD WALKMANがしまってある。
久しぶりに彼らに会いに行って、あの頃の私にも会ってみようかな。

2011年03月05日

馴染みのこと

一年前と着ている服も何も変わっていないと言った彼女の言葉が
頭を過る。

聞いている曲は、流行の新しいものよりは、
昔自分が聞いていた曲を引っ張りだして聞いている。
古い服は少しウエストが気になってはけなくなったもの以外は
学生時代からあまり変わらない。

小学生時代に読んでいた漫画を読み返したり、
その頃聞いていた音楽を聞き直したり。
そのとき気づけなかったこと、そのときあったことの再考
それはそれで得る新たなものがある。
今は新しいものを吸収しようという気力と余裕がないから、
勇気が足りないから、
でも少し気分転換したい自分がいるから、
忘れ去りそうな過去のものを新しいものの代わりに引っ張りだしている。


悪いことじゃない。
気づくことも多い。
でも新しいことにも挑戦しないと、きっと前に進めない。
今は過去をエネルギーに変える時間かな。
でももう少し充電したらちゃんと新しいことを受け入れよう。

過去と未来の繰り返し。

2011年03月12日

ありがとう

東北地方巨大地震の大きさに、涙が出たり、不安が募ったり。
自分ができていることは本当に少なくて、
暖房を止めてダウンコートを羽織るくらい。


明日の夜勤をまたがんばらなくちゃ。
世の中は予想以上に日常生活に戻っているから。


とまった交通機関では、車両点検線路の点検に奔走してくれた人がいる。
復旧後も終夜で運転してくれた人がいる。
とまった水道や電気のために人が殺到した
コンビニで販売を続けてくれた人がいる。
被災地でも、自分自身が被災者でありながら、
炊き出しをしたり、販売をしたりがんばっている。


交通網のダメージに困っている人、
電気や水道やガスのライフラインに困る人、
地震の揺れの直接の被害を受けた人は最小限ながら、
その余波を肌身に感じざるを得ない。


入院したベビーのお父さんは横浜駅から6kmを歩いて
花粉症で鼻も目も赤くしながら会いにきてくれた。
私ができることは、
せめてその子たちを無事家に帰れるようにサポートすることだ。
そのために今日はしっかりエネルギーためる。

2011年05月23日

明日が来ると思えること

その本に挟んであったレシートを見ると、1年前の3月に買っていた。
新しい職場にまだ慣れることができずに、すっかり塞ぎ込んでいた気持ちを持ち上げようと本棚からとったこの本の最初の章を読んで、今絶妙のタイミングで読み始めたことに気づいた。
それまで何度かこの本を開いて、でも主人公の女性の意図が掴めずに、北へ向かう列車の場面で挫折していたのが嘘みたいに、今回はすーっとページを繰っていた。

全てを終わりにしたいと思うきっかけというのは本当に些細なことで、そこから抜け出すのもまた些細なことに依るのだ。まったくもって同感だ。

田村さんは都会暮らしをしていたのが嘘みたいに、自然のなかでの暮らしが染み付いている人だ。包み隠さない無愛想の奥に、御両親を失った悲しみや神に祈る気持ちが見え隠れして、割り切れない気持ちを抱えている人なのかな、と思う。そういうのを乗り越えて今の田村さんがあって、彼が言葉少なに彼女に見せて伝えていたのは、そうして田村さんが辿った軌跡だったのではないかと思う。

皮肉にも?それとも予想通りに?街の暮らしへ彼女は戻っていく。自然をいただく過程を目の当たりにして、ものへの愛着も自分の見苦しさも理解したのかもしれない。田舎にはいられないことを自覚する旅だったのかもしれない。田村さんの大雑把なところに引っ張られるように率直な自分になって「長生き」できるようになったのかもしれない。マッチのお守りを得て。


温かい4月の風にふかれて、堰を切ったように涙が溢れてきて、明日がくるのか本気で希望が持てない夜を過ごしても、その翌日には笑って職場の人と話せる自分がいて、「日常」というのは実際はそういう日々が連綿と続いているものなんだと思う。

私のお守りはその時々で、変化していく。
音楽、誰かにもらった言葉、写真、人との繋がり。

大丈夫、まだ明日が来ると思える。
 
 
天国はまだ遠く (新潮文庫)
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2011年05月29日

変わらない大切にしたい想い

小さなフィルムの一場面に心躍らせるトト。彼を見守るアルフレード。これはふたりの物語。一方でこの映画は20年前に作られたものだが、既にその時代に、主人公の人生の横で常に寄り添っていた「映画」という世界の趨勢も描いている。
その当時の映画館には、人々の笑いも感動も悲しみも青春も詰まっていて、正に「NUOVO PARADISO」だった。トトはその場所で父の訃報を知り、様々な疑似体験をし、現実の厳しい恋も経験し、新たなステージへ旅立っていった。30年の時を経て戻ってきたその場所には見向きもされなくなった映画館があった。NUOVOの文字はすっかり影を帯びていた。あの時空回ってしまったものはもはや取り戻せない。変わってしまうことも避けようがない。でも30年経っても色褪せないものも確かに心の中に眠っていて、フィルムはそれを残してくれていたのだと思う。その道を歩み続けたことに誇りを感じていたのではないかと思う。
映画が大好きな人が作った、映画を大切にしたい想いに溢れた映画だ。

例えば昔は白黒だったファミコンや携帯電話が、今やカラーなのが当たり前になったように、駅員さんがはさみを入れてくれていた切符がカードでタッチになったように、私が生きてきた短い間にもたくさんの当たり前が変わっている。その中で私の暮らしも気づかないうちに確実に変化を遂げている。
でも私もこんな風にずっと大切にしたいものが見つかるといいな、と思う。
 
 
ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版 [DVD]
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2011年07月16日

てのひらに感じる重み

452gで生まれた娘を目の前にして、お父さんは人目をはばからずに涙を流した。
この夏一番の暑さのなか、黄色いTシャツにジーンズ姿で、
両手を頬にあてて、涙を流していた。

それはただただとても胸が熱くなる場面だった。


小さな腕も、か細い指も、力強く動かしている。
目の前にいるこの子は、確かに生きている。
彼らは、ただ生きることに精一杯なんだ。
呼吸をすることも、心臓の鼓動をうつことも、
足を動かすのも、あくびをするのも。
彼らの姿を見ていると、一つ一つのことが生きている証なんだ、って思える。


窓越しに彼らを眺めるお父さんやお母さんの気持ちもまた、
私の胸をしめつける。
手のひらに乗りそうな我が子を見て、
「本当に大きくなるんだろうか」と不安が先行しながらも、
その可能性に、その成長に、日々喜びも感じている。

人が生まれること、成長していくこと、
その一瞬一瞬に携わることができるのは、
本当に素晴らしいことだ。


忙しくて疲れたら、彼らを抱っこしてみる。
穏やかな寝顔、小さな掌、のびのびとした動き、
そのひとつひとつがすべてがひたすらに真っすぐで愛おしい。


鬱屈として、陰を落としがちなご時世だからこそ、
小さな命が、全力で呼吸をして、手足を動かして生きていること、
その勇気づけられる、愛おしい、未来のある事実を、
ただ誰かに伝えたいと思った。


その人のことを深く知ることが、その人を受け入れる第一歩で、
その積み重ねで、人の心は大きく強くなっていくのだと思う。
私はこうして小さく生まれても大きくなっていく命の存在を知ったから、
その子を、そのお父さんお母さんの道のりを知ったから、
その分また少し優しくなりたいと思った。
誰かを非難したり、誰かと争ったり、
そんなことは無意味なことに思えた。


彼らが家に帰って、
これからの長い人生を歩む中で、
少しでも明るい光が射すように、
手を動かし、頭を動かし、隣の人と手をつないでいきたいと思う。

2011年11月12日

願い事

ここのところ秋の日和に結婚式が続いていた。
もうすぐ30歳という自分の年齢ゆえ、そういった時季が来たのだ。

その折、
私がお祝いしたかった大切な人の結婚式には
もう参加することができないということに気づき、
彼女がこの世を去ったことのやるせなさがぶり返してきて、涙が出た。


彼女は1年3ヶ月前に、突然その生涯を閉じた。
ピアノやパーカッションなど才能あふれる彼女だけど、
普段の彼女からはその雰囲気は漂わず、
ちょっと天然で、ときどき鋭い、かわいらしいお嬢さん。
私はそんな彼女のことが好きで、尊敬していて、
一緒に話ができるのがとても嬉しかった。
私が大学時代に親しくしていた数少ない友人で、
医学生として、医者として、同じ道を歩んできた彼女と
いろんな悩みを分ち、励ましたあった。

もうそれも今はできなくて、私は言葉を飲み込んだり、
時には空に向かって一方通行に伝えたりしているけれど、
返事はよく聞き取れない。
彼女が書いてくれた直筆のメッセージをときどき取り出しては、
勇気をもらっているけれど、
やっぱり聞こえてくる声が少しずつ薄れているような気がする。

今年の私はたぶん人生で一番忙しくて、一番責任があって、
その分自己嫌悪感を抱くことも多い。
でも周りにいる赤ちゃんたちは本当にかわいくて、
その赤ちゃんを見つめるお父さんお母さんのまなざしも暖かくて、
どうにかこの人たちを支えたいと思うけれど、
最近少し体が言うことを聞いてくれない。気持ちもコントロールできない。


笑っている、かわいくて、鋭くて、でも優しい、
そんな彼女の声がまた聞きたい。

2011年12月16日

自分をつくる仕事

私がおりおりに頼りにしているエッセイのひとつが、
Lingkaranという雑誌に掲載された西村佳哲さんの「自分をつくる仕事」という文章だ。


この見開き1ページの文章を読むと、
自分を囲んでいる「誰かの仕事の結果」に感謝すると共に、
自身の働き方が、「自分だからできること」でありたいと思う。



私が好きだと感じる芸能人やスポーツ選手は、
その仕事に対するまっすぐな努力に惹かれることが多い。
たゆまぬ努力の上に立っているその姿に感じるのは、
「好き」というよりも「尊敬」に近い。
小学生や中学生の時に、テレビに出てくる芸能人に「かっこいい」と思うのは、
おそらくひとめぼれに近い感覚だったけれど、
いま「素敵だ」と思うのは、
その人の人柄、努力の姿勢、そういったものへの示唆を含めての「かっこいい」だ。



とある音楽CDのレビューを読んでいたら、
「技術だけで想いが伝わらない」というコメントを残している人たちがいて、
芸術的な側面では確かにそれが正論なのかもしれないけれど、

私自身は、
その技術を磨くためにその人が費やしてきた時間や努力というドラマが忍ばれ、
感動するタイプの人間であり、
むしろ、そういった想像力を持つ豊かさを持っていたいと思う。



そうした感動に得た波動を、
自分のエネルギーに、手の動きに、繋げていければ、
自分の仕事ができるかな。
 
 
 

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