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2010年10月 アーカイブ

2010年10月31日

優しさの源

ずっと腑に落ちずに考え込んでいるけれど、違和感がとれない。

彼の小説の通り優しさに溢れた言葉に安心するけれど、
実際の現場はそうじゃないことへのズレをどう解釈したらよいのか、
それを考えながら悶々としていた。

大好きな重松清さんと坂東眞理子さんとの対談。
タイトルは男女共同参画の潮流のなかでの
「働く・暮らす・生きるの”バランス”」

私は内容そっちのけで、
ただただ重松さんのお話を聞きたい一心で会場に向かった。
ふたりの娘さんを育てた重松さん。
女性の社会進出を支えてきた坂東さん。

おふたりは少子化の強烈なインパクトを原動力に進んできた
女性の社会進出を支えるシステムの進化を喜びながら、
「舌打ち、ため息、陰口」といった現場の闇を汲み取り、
それを乗り越えて「支え合う社会」を実現していくことを訴えておられた。

ある一定の豊かさを実現した成熟した社会は、
絶対的な正解を持たない。選択する自由があるから。
でも自由というのは、
それは一方を選んで一方を捨てる責任が個々に渡されるということで、
その重たさや正解のない不安に押しつぶされる人の多さを憂いておられた。

選択の違いが、貧しい人とそうでない人を作り、
ひいてはそれが次世代へと連鎖していく。
貧しいとそうでないでは、選択肢が圧倒的に異なる。

現状、経済の不況や貧富の差の中で、
これまで個人を守ってくれた会社がむしろ個人を見放す社会となり、
努力をひたすら積み上げる「ノーベル努力賞」では評価されず、
個人の力が、個性が、求められ、
それを持たない、もしくは、持っているか分からない人は
その不安につきまとわれることとなる。

この自由を放棄することは、いわば社会主義的な考え方だ。
歴史はそれを否定してきた。
とすれば、貧しさの中にいる人とそうでない人とが
支え合うシステムを目指していくことが、
国が国民すべてに幸せを保障するということになるのだろう。

富を築くことに奔走した65年から、その築いた富を使って、
坂東さんのおっしゃる「支縁社会」を目指すことになる。

論理では分かる。
でも厳しさの中で戦ってきたであろうふたりがどうして
「優しくなろうよ」とだけ言うのだろうか。


支え合いという言葉でいつも過るのが「障害」を持つ子供たちのことだ。
彼らがうまく生きていける場所を作りたいと願う一方で、
それが自然の摂理なのか、と。
「いや、成り立たせるのだ」という意志を持つべきなのだろうけど。
多くの子供たちは長く家の中に閉じこもっていた。
古い精神科の本に、精神障害者が牢屋に入れられていた写真があるのを
とある先生が見せてくれた。
らい病の人も長い間療養所に隔離されていた。

くさいものにふたをしてきた過去があったけれど
徐々に分かってきた新たな知識故に不要であった歴史が解放されていく。
またそれを包含していく豊かさが歴史の中で築かれてきた。

とすれば、そういった優しさの源のすべては知ることだと気づく。
知ることで、闇を理解することで、寛容になれる。
「何だか分からない」ことが遠ざけてしまうから、
ちゃんと理路整然と説明できるよう客観的な捉え方をすることは、
距離を近づけ、解決の糸口を示してくれる。
きっと坂東さんも重松さんもいっぱい聞いて、読んで、闇を知ったから
「優しくなろうよ」と訴えておられたのだろう。

だから私は日々その人の人生を知ることを怠たらず、
優しい人になりたいと思う。
全ての人がそうはなれなくても、一番身近な自分がそうなれたらと思う。

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