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2009年11月 アーカイブ

2009年11月01日

90年を生きること

祖父が90歳になったのを期に、長きにわたって続けた洋装店を閉店した。
万が一の折には、母や私の連絡先をいつでも取り出せるよう、
山梨から東京へ仕入れに来るとき持ち歩いていたという。
しかし足腰の衰えには抗えず、「迷惑をかける前に」と。


3年で転職のこのご時世、
90歳までひとつの仕事を続けるこということがどういうことなのか、
想像を超える世界だ。


そんな祖父90歳・祖母82歳を慰労すべく、
祖父母の家から30分ほど車で走ったところにある温泉街へ
両親と私とで食事に招待した。
豪勢な料理を、親子三代仲良く舌鼓をうった。


さらに1時間ほど走ったところにある「ぶどうの丘」へ連れ出した。
普段「汽車」からしか見たことのないその場所に立ち、
甲府盆地を眺める二人の背中には、哀愁たっぷりだった。

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帰り道は高速道路で家へ送った。
「高速道路なんて初めて乗ったさ。
 周りのペースに併せて走らんと、巻き込まれちもう」
と、甲州弁で語る祖母の言葉が、じっと胸に残った。

80年・90年を経て、ようやく体験した高速道路。
高速道路など体験しなくても、観光名所に行ったことがなくても、
自分は嫌でもそこにいて、月日は確実に流れ、
日々多くのことを体験し、日々多くのことを語り合えるのだ。


その圧倒的な時間の流れを前に、
ちっぽけな悩みの火がいとも簡単に吹き消された。


これまで大きな病気ひとつせず、健康に生き続けるふたりが、
ただただ素晴らしい。

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2009年11月22日

転勤生活

大学を卒業する24年間は、生まれてからずっと同じ土地に同じ家族と住み続けた。
卒業してからは毎年のように住居を変え、住む土地を変え、馴染み始めた頃にまた別の土地に移る生活が続いている。


先日私が駆け出し1年目に平塚で、研修医の父親役としてお世話になった先生とばったりお会いした。「せんせい!」と声をかけると、先生は「おー!」と。失敗ばかり、わからないばかりの毎日を知っている先生だからこそ、今の姿を見せるのは気恥ずかしい。「あれ、先生は3年目?小児科?」と私のことをちゃんと把握してくださっていたのが嬉しいことだ。隣にいた整形外科病棟の看護師長さんも私のことを覚えてくださっていたようで、ぺこりと会釈。

その日一日家に帰るまで、私の中身は1年目のおぼつかない心持ちに入れ替わり、時間感覚も場所感覚も全てがおかしな気分のままだった。あの病院の風景、周りの先生たちがばーっと目の前を駆け抜け、武蔵野にいながらにして平塚にいるような不思議な感覚。2年前のことが今そこにあるように流れるのが驚きだ。

家に帰り、平塚時代を共にした1学年上のさこちゃんにメールをした。
「あのころ楽しかったね。」

それぞれの土地で、それぞれの病院で、いい出会いもつらい出会いもして、それぞれの季節ごとに、それぞれの土地にちなんで思い浮かべられる人がいる。転々とすることは変化に弱い私にとって大変なことだけれど、一方でこうして毎季節を大切に生きられる術なのだろう。


数年後の秋には「武蔵野で立て続けに重症患者さんに当たって、成長したよなぁ」ってきっと思い出すんだろう。

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2009年11月27日

気もそぞろ

連休が明けた火曜日、1日で新しい患者さんを8人受け持ちすることになり、てんてこまいのスタート。それに追い討ちをかけたもの・・・その日入院した肺炎のふたごのお母さんは、お医者さんだった。

小児科歴がようやく1年になろうかという私が、どうみても若いとばればれの容姿で、経験年数がもっと長いお医者さんの親御さんを相手に、どう対峙したらよいのか。説明のつかない居心地の悪さでいっぱいだった。


「1+1」の答えは2だけれど、「腹痛+熱」の答えはひとつではない。答えを得るには、本人の状態と検査結果に、今後の経過という時間要素が必要だ。ときには答えを得られないままに時が過ぎる。しかし私たちはその途中途中で常に決断を迫られ、説明を求められる。そんなとき、対峙する相手がことの次第をわかっていればわかっているほど、「確定的な説明がつかない、でもごまかしはきかない、知識故に痛いところに質問が飛ぶ、答えにつまる」

その心境といったらない。


二日後、外来で仕事をしていたところ、別の先生が診察していた紹介患者さんのお父さんが、以前務めていた病院の産婦人科の先生だと知った。何を隠そう1年3ヶ月前、私はそこにいた。患者さんを不安そうに眺める先生に「父親」の姿を見ながら、「先生、その節はお世話になりました。今は小児科医になりまして・・・」と挨拶をし、そそくさとその場を後にした。生きた心地がしなかった。今日は自分が診察するわけではなかったことに少しほっとした。
その後、当直で外来患者さんや入院患者さんの対応に没頭していているうちに、ようやく心が安定してきた。その矢先に診察した、お父さんにだっこされた3歳の男の子・・・。横に立つお母さんと話を進め、さて子供を診察しようと両側のほっぺが腫れ上がった彼の向こうに、学生時代から知る大学病院の整形外科の先生の顔が見えた。必死でいつものペースを守りながらたたみかけるように喋り続けた。


こうして続いた偶然に、まとわりついた居心地の悪さ。
今自分がやっていることは、そういった先生たちに見せて恥ずかしくないことなのか?それにはっきり「恥ずかしくないです」と返答できない自分に卑屈になる。
そして、考えれば考えるほど、「専門性」を盾に提示する情報を取捨選択することに甘えている自分が露呈されるのであった。

その余韻で不安が止まらない。小児科医として半年働き、甘えが出てきた私の気を引き締めるために、誰かが仕組んだのだろうか。「もっと頭を使いなさい。盾に甘えるな。」

体験を通し、「小児科医」として自立するために、小児科医としての知識だけでなく、社会人としての儀礼も含めて、いろんなことに穴が見つかる。

日々まとわりつく不安は、私の不足を示すバロメーターなのだ。それが何なのかきちんと言葉にして、次に生かすこと。そういうこつこつとした努力が今必要なのだと思う。

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