« 2009年02月 | メイン | 2009年09月 »

2009年06月 アーカイブ

2009年06月20日

いしみがき

お隣の奥さんとうわさ話をするようなトーンで
「時間、かかりすぎですよね。」
 
看護師さんの胸から
血液検査を終えた孫を抱きかかえながらおばあちゃんが言った言葉は、
私の胸に突き刺さった。
 
 
自分を正当化したくて、
その言葉を先輩に吐露し、励まされた。
「確かにお母さんたちはその子のことを一番考えているけれど、
 私たちも二番目くらいには考えているよね。
 だって家に帰ってもその子たちのこと考えているでしょ?」
 
それでも突き刺さった言葉が耳に響いて眠れなかった。
 
 
その後、何度か付き添ってもらっての採血をしてみることにした。
 
「がんばれー」のお母さんの言葉は励まされるが、
(もちろんそれは子供に向けたエールであり、私に向けているわけではないが)
「かわいそうに」の言葉は、緊張を何倍にも膨らませた。
 
1回で終われば、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし1回目で採血できず、2回目手背のポタポタで何とか採血した子もいた。
2回目の採血への緊張感は1回目の何十倍もであった。
そんなときは看護師さんに「難しいなら、外に出ていてもらった方が・・・」
と気を遣わせることも・・・。
 
お母さんの視線を感じながら処置をすることへの
強い緊張感、失敗することへの恐怖感は拭えない。
いい方向にも、悪い方向にも働きうるその感覚は、
おそらく今の時点では「悪い方向」の意味合いが強いかもしれない。
 
しかし一方で、
外で子供たちの泣き声のみから扉の向こうの世界を想像するお母さんたちの気持ち、
それを考えいたたまれなくなる思いからは解放された、というのが本心だ。
ドアのすぐ向こうに見えるお母さんの影もまた、強い緊張となる。
 
冒頭の一件も、
カーテンの中でその子が泣いていた大半の時間は、
血管を探るのに費やされており、針を刺していた時間はその1/3か1/4だ。
(もちろん泣いている間、何らかの恐怖は感じており、針を刺すだけが
 「痛み」ではないのだが・・・)
今回の言葉の一件は、その感覚のずれを象徴したものかもしれない。
 
 
他の人たちがどう考えているのか、知りたくなり、インターネットを探る。
 
小児がんのお母さんが集うインターネット上の掲示板で
「どうして採血のときに処置室に入れてくれないのか」の議題で
討論するページを読んで落ち込む。
馬乗り、ぎゅーぎゅーしぼる・・・言葉の表現としては虐待にも近い行為に思える。
私がやっていることは、そういうことなのか・・・?と疑念との葛藤。
でも子供たちの必死の抵抗や
子供たちの細い血管から必要量の採血をすることの難しさからの行為だ。
それもすべて、説明と同意と付き添い・・・で解決できるだろうか。
その時間が許されるだろうか。
 
基本的には付き添ってもらい、
難しそうな子の場合には控えてもらうという理念を持つ小児科の先生の言葉があった。
言葉の選び方、それもあるのかもしれない。
 
 
 
まだすべては始まったばかりだ。
まだここにきて2ヶ月半。
何十年も続けていくつもりのこの仕事を、
ここでくじけるにはいかないのだ。
私なりのスタイルを築くしかないのだ。
そのためには確固たる技術、確固たる話術・コミュニケーション術、それを裏打ちする知識、
結局それを磨くしか術はないのだと、初心に立ち戻る。
 
 
「先生の方こそ体調大丈夫ですか?」
まだ駆け出しの私は、その言葉を聞いて、むしろちょっとほっとしている。
せめて時間をかけるくらいしか、今はまだできないから。

About 2009年06月

2009年06月にブログ「46」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2009年02月です。

次のアーカイブは2009年09月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type