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2007年09月 アーカイブ

2007年09月09日

灯火の前で

夏休みを2日間とって、実家に帰った。
台風吹きすさぶなか、とにかく実家方面の電車に乗り込んだ。

有楽町で下車して、国際フォーラムを通った時、
ふとその存在を思い出したので、入ってみることにした。
書家相田みつをの美術館。

6年生の最後のことを思い出した。
神経内科病棟で、林さんや三浦さんや大森さんに朗読させていただいていたこと。
その時、彼の言葉を読み、読んでいる自分も、読んだ相手も、励まされていたこと。


相田みつをの言葉は、非常に力強く、しなやかなこともあれば、
とても人間的で、自分を包容してくれる心の広さがあり、
にんげんの姿をまるごと捉えているような気がした。


「おてんとうさまのひかりをいっぱい吸ったあったかい座ぶとんのような人」
こんな人になれたらいいなあ。


あっという間に5ヶ月過ぎた。
そのなかで、人の生き死にのことを時々考える。

人の死が通過していくようになったらおしまいだと思いながら、
「日常」になっている事実。
それを危ういとつっこみをいれつつ、
死の横で世間話をしている。


自分が今一つ分かること、できることは、
いのちの前で、そこから学ぶ姿勢を忘れない謙虚さ。

2007年09月23日

事実を話すこと

「がん」というのは、医者にとっておそらく「ありふれた」病気です。
けれど、患者さんたちにとっては、死を突きつけられるような重さのあるものです。
私はその重さを、軽々しく考えていました。


指導医の先生が、先日私に、「告知」をする機会をくださいました。
私なりに準備をして、どういう話の展開をすればよいのか、
これまで同席させてもらった先生たちの説明を思い出しながら練りに練りました。

そして、
 ・「がん」という事実を正しく伝えること
 ・その悪い知らせを知らせたことの意味
 ・それに対して私たちが相変わらずサポートを続けること
それを伝えていくことが大事だと思いました。

うまく言えないことも多かったけれど、言葉がつまることも多かったけれど、
何とか患者さんにその事実を伝えました。

79歳の患者さんは、覚悟を決めていたかのように
「悪性ということですね。分かりました。」
と答えました。

翌朝その方の部屋を訪れ、もう一度お話をさせていただきました。
幸いその方のがんの進行度的には手術できる範囲内であり、
手術でとりきれる可能性がありました。
しかし、患者さんは、涙を流しながら、自分の命の限られた時間について
思いを巡らせ、残された時間をどう使っていきたいのか、とくとくと話されました。

「80歳にもなると、怖いというより、来るべきときが来たという感じがする」
「無理をしてまで、長生きしようとは思わない」
「できるだけ今の状態で残務処理をしたい」
「妻より先に死ぬのは自分勝手だ」
「家族には迷惑をかけない形にしたい」
「手術をすると、食欲も落ち、先が真っ暗な気がする」

そういった言葉を並べながら、手術より化学療法を希望される旨を話されました。
しかし医学的に考えると、断然手術の方が根治の可能性が高いのです。
そこで化学療法を選択するというのは、医療者にとって、相当に勇気のいる決断です。
けれど病気になっても、ならなくても、命が限られている事実を受け止め、
その質を大切にしようという考えは、年を重ねた方だからこそ言えることではないかと
思います。

私が高校生の時、祖父が同じようなことを言いました。
「この年になると、死はそばにあって、そのことを考えている」と。
それは「死にたい」とかそういうことではないと。
実際、当時83歳だった祖父は10年後までの計画を紙に書き出し、
当然そこまで生きる気持ちでいたわけです。
おそらく「終わりの予感」のようなものだったのではないかと思います。
矛盾とも思われる生と死が、共存する。何とも不思議な気持ちです。
そんなこんなで祖父はもうすぐ90を迎えます。


その後私は、その方の「家族に迷惑をかけたくない」思いを想いながら、
それぞれの治療の良い点・悪い点について、もう一度紙に書いて説明しました。
ゆっくり時間をかけて。気持ちが少しずつ傾いてくるのが分かりました。
そして、手術も考慮にいれた上で、ご家族と話し合い、決断するとのお返事をいただきました。


緩和医療の本を読んだ時、「患者さんに学ぶ姿勢を持つ」という言葉を読みました。
私はベッドサイドで、「あなたは若いから分からないでしょう。」とよく言われます。
確かに患者さんの気持ちを分かっていない部分は多分にあるでしょう。
それでも、私なりに努力して、こうした対話を通して、分かっていきたい。
目の前にいるその人の思いや生き様を聞くことで、医学的側面のみならず、
自分という人間の成長すら感じています。


年を重ねた人の思い。目の前にいる患者さんにとって大切なもの。
それに私は感動しました。
医療者というのは、「第3者」として客観的な判断をくださなくてはならず、
感情的な判断をしてはいけません。
それではお話をして、感動するというのは悪いことですか?
人として、その話を聞いてどう思うか、それは大切な感覚でしょう。
同じ話を家族が聞いてどう思うのか、想像を膨らませることも私たちの役割。
その一方で、この人のがんの生物学的特徴をとらえ、客観的判断を下すべきです。


がんというのは「なかったことに」するのがとても難しい病気です。
その運命を受け入れ、背負うという患者さんの姿は、私の心の琴線に触れます。
自分勝手かもしれないけれど、そういう方々とお話を続けたいです。
そしてお話しする中で、その方を支える良い方法を見つけ出し、実現したいです。
目を覆いたくなる事実が存在する道だけれど、
だからこそその人の「ひととなり」が映し出される大切な道であり、
それが私の胸を打つのです。

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