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2007年06月 アーカイブ

2007年06月02日

違いを抱え込むには?

1ヶ月の研修を終えた整形外科の飲み会に行った。
楽しい席のはずが、
人の冗談みたいな言葉にうっかり傷付いてしまったり、
自分の思っているのと違うように言葉を捉えられてしまったり、
そういったことが重なると、激しく落ち込む。


社会人になると、同年代の人は数少なく、
年上の方たちと働くことになるわけで、
それが思いの外ストレスフルだ。

一つは距離感が摑めないから。
どのくらいの近さで接してよいのか、どのくらいの丁寧さを保てば良いのか。

もう一つは、上下関係とか、見方の違いとかに日々さらされるから。
婉曲的な対立を目の当たりにする度、心が痛んで、やりきれない気持ちになる。
笑ってごまかすけど、本当は自分をごまかせていない。もやもや抱えている。

それを真に受けて、心に波を立て続けるのには疲れた。
でもそれを諦めてしまうのは、もっと許せないことだ。
何かできることがあるんじゃないかって思う。

嬉しかったのは、看護師さんたちが、
「先生の記録は丁寧で助かりました」と言って下さったことだった。
何かしたいと思うけれど、何かできるほどの力量を私は持っていない。
だけどせめて誠意を持って周りに接することができれば、
信頼関係を築き、人と人の潤滑油になれるのかもしれない。


異なる立場の人たちが交錯する世界の壁にぶつかっている。

2007年06月24日

沖縄の夜明け

1999年に修学旅行で初めて沖縄を訪れた。
それから8年の間に、3回訪れている。

独特の文化や素晴らしい自然を抱え、
琉球音階、三線の音が醸し出す踊り出したくなるような亜熱帯の明るさ。
と、同時に第二次世界大戦の痛手とその傷跡が残る。
その共存に惹かれる。何度も目に焼き付けなければと思う。

 辱めを受けぬ前に死ね
 手りゅうだんをください
 鎌で鍬でカミソリでやれ
 親は子を夫は妻を
 若ものはとしよりを
 エメラルドの海は紅に
 集団自決とは
 手を下さない虐殺である
 (丸木位里・俊「沖縄戦の図」より)

佐喜眞美術館に飾られる沖縄戦の図は見る度心に突き刺さる。
沖縄戦では、情報の漏洩を恐れた日本軍が、
民間人にアメリカ軍の捕虜になる前に自決するよう指導していたという。
自らの祖国と信じた日本に命を捨てるよう迫られた人たちがいたこと。
一方でアメリカ軍の捕虜となることで命を救われた人たちがいたこと。

日本にある米軍基地の75%は沖縄にある事実。
米軍が支払うべき土地の貸借費を日本国が一部負担している事実。
そのお金をもらわなければ、米軍相手の商売がなければ、
生計を立てられない人たちがいる事実。
沖縄戦から続く矛盾の鎖。

07030615.jpg
何度も足を運んで、何度も胸に刻み付けて、
その矛盾に頭をこんがらがらせて、
感覚的に「繰り返してはいけない」という気持ちを
持ち続けたいと思う。

平和の丘から平和の礎に向かって
真っすぐ道が伸びる方角から、
6月23日、沖縄戦が終わったその日、
太陽が昇ってくる。

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