2011年12月16日

自分をつくる仕事

私がおりおりに頼りにしているエッセイのひとつが、
Lingkaranという雑誌に掲載された西村佳哲さんの「自分をつくる仕事」という文章だ。


この見開き1ページの文章を読むと、
自分を囲んでいる「誰かの仕事の結果」に感謝すると共に、
自身の働き方が、「自分だからできること」でありたいと思う。



私が好きだと感じる芸能人やスポーツ選手は、
その仕事に対するまっすぐな努力に惹かれることが多い。
たゆまぬ努力の上に立っているその姿に感じるのは、
「好き」というよりも「尊敬」に近い。
小学生や中学生の時に、テレビに出てくる芸能人に「かっこいい」と思うのは、
おそらくひとめぼれに近い感覚だったけれど、
いま「素敵だ」と思うのは、
その人の人柄、努力の姿勢、そういったものへの示唆を含めての「かっこいい」だ。



とある音楽CDのレビューを読んでいたら、
「技術だけで想いが伝わらない」というコメントを残している人たちがいて、
芸術的な側面では確かにそれが正論なのかもしれないけれど、

私自身は、
その技術を磨くためにその人が費やしてきた時間や努力というドラマが忍ばれ、
感動するタイプの人間であり、
むしろ、そういった想像力を持つ豊かさを持っていたいと思う。



そうした感動に得た波動を、
自分のエネルギーに、手の動きに、繋げていければ、
自分の仕事ができるかな。
 
 
 

2011年11月12日

願い事

ここのところ秋の日和に結婚式が続いていた。
もうすぐ30歳という自分の年齢ゆえ、そういった時季が来たのだ。

その折、
私がお祝いしたかった大切な人の結婚式には
もう参加することができないということに気づき、
彼女がこの世を去ったことのやるせなさがぶり返してきて、涙が出た。


彼女は1年3ヶ月前に、突然その生涯を閉じた。
ピアノやパーカッションなど才能あふれる彼女だけど、
普段の彼女からはその雰囲気は漂わず、
ちょっと天然で、ときどき鋭い、かわいらしいお嬢さん。
私はそんな彼女のことが好きで、尊敬していて、
一緒に話ができるのがとても嬉しかった。
私が大学時代に親しくしていた数少ない友人で、
医学生として、医者として、同じ道を歩んできた彼女と
いろんな悩みを分ち、励ましたあった。

もうそれも今はできなくて、私は言葉を飲み込んだり、
時には空に向かって一方通行に伝えたりしているけれど、
返事はよく聞き取れない。
彼女が書いてくれた直筆のメッセージをときどき取り出しては、
勇気をもらっているけれど、
やっぱり聞こえてくる声が少しずつ薄れているような気がする。

今年の私はたぶん人生で一番忙しくて、一番責任があって、
その分自己嫌悪感を抱くことも多い。
でも周りにいる赤ちゃんたちは本当にかわいくて、
その赤ちゃんを見つめるお父さんお母さんのまなざしも暖かくて、
どうにかこの人たちを支えたいと思うけれど、
最近少し体が言うことを聞いてくれない。気持ちもコントロールできない。


笑っている、かわいくて、鋭くて、でも優しい、
そんな彼女の声がまた聞きたい。

2011年07月16日

てのひらに感じる重み

452gで生まれた娘を目の前にして、お父さんは人目をはばからずに涙を流した。
この夏一番の暑さのなか、黄色いTシャツにジーンズ姿で、
両手を頬にあてて、涙を流していた。

それはただただとても胸が熱くなる場面だった。


小さな腕も、か細い指も、力強く動かしている。
目の前にいるこの子は、確かに生きている。
彼らは、ただ生きることに精一杯なんだ。
呼吸をすることも、心臓の鼓動をうつことも、
足を動かすのも、あくびをするのも。
彼らの姿を見ていると、一つ一つのことが生きている証なんだ、って思える。


窓越しに彼らを眺めるお父さんやお母さんの気持ちもまた、
私の胸をしめつける。
手のひらに乗りそうな我が子を見て、
「本当に大きくなるんだろうか」と不安が先行しながらも、
その可能性に、その成長に、日々喜びも感じている。

人が生まれること、成長していくこと、
その一瞬一瞬に携わることができるのは、
本当に素晴らしいことだ。


忙しくて疲れたら、彼らを抱っこしてみる。
穏やかな寝顔、小さな掌、のびのびとした動き、
そのひとつひとつがすべてがひたすらに真っすぐで愛おしい。


鬱屈として、陰を落としがちなご時世だからこそ、
小さな命が、全力で呼吸をして、手足を動かして生きていること、
その勇気づけられる、愛おしい、未来のある事実を、
ただ誰かに伝えたいと思った。


その人のことを深く知ることが、その人を受け入れる第一歩で、
その積み重ねで、人の心は大きく強くなっていくのだと思う。
私はこうして小さく生まれても大きくなっていく命の存在を知ったから、
その子を、そのお父さんお母さんの道のりを知ったから、
その分また少し優しくなりたいと思った。
誰かを非難したり、誰かと争ったり、
そんなことは無意味なことに思えた。


彼らが家に帰って、
これからの長い人生を歩む中で、
少しでも明るい光が射すように、
手を動かし、頭を動かし、隣の人と手をつないでいきたいと思う。

2011年05月29日

変わらない大切にしたい想い

小さなフィルムの一場面に心躍らせるトト。彼を見守るアルフレード。これはふたりの物語。一方でこの映画は20年前に作られたものだが、既にその時代に、主人公の人生の横で常に寄り添っていた「映画」という世界の趨勢も描いている。
その当時の映画館には、人々の笑いも感動も悲しみも青春も詰まっていて、正に「NUOVO PARADISO」だった。トトはその場所で父の訃報を知り、様々な疑似体験をし、現実の厳しい恋も経験し、新たなステージへ旅立っていった。30年の時を経て戻ってきたその場所には見向きもされなくなった映画館があった。NUOVOの文字はすっかり影を帯びていた。あの時空回ってしまったものはもはや取り戻せない。変わってしまうことも避けようがない。でも30年経っても色褪せないものも確かに心の中に眠っていて、フィルムはそれを残してくれていたのだと思う。その道を歩み続けたことに誇りを感じていたのではないかと思う。
映画が大好きな人が作った、映画を大切にしたい想いに溢れた映画だ。

例えば昔は白黒だったファミコンや携帯電話が、今やカラーなのが当たり前になったように、駅員さんがはさみを入れてくれていた切符がカードでタッチになったように、私が生きてきた短い間にもたくさんの当たり前が変わっている。その中で私の暮らしも気づかないうちに確実に変化を遂げている。
でも私もこんな風にずっと大切にしたいものが見つかるといいな、と思う。
 
 
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2011年05月23日

明日が来ると思えること

その本に挟んであったレシートを見ると、1年前の3月に買っていた。
新しい職場にまだ慣れることができずに、すっかり塞ぎ込んでいた気持ちを持ち上げようと本棚からとったこの本の最初の章を読んで、今絶妙のタイミングで読み始めたことに気づいた。
それまで何度かこの本を開いて、でも主人公の女性の意図が掴めずに、北へ向かう列車の場面で挫折していたのが嘘みたいに、今回はすーっとページを繰っていた。

全てを終わりにしたいと思うきっかけというのは本当に些細なことで、そこから抜け出すのもまた些細なことに依るのだ。まったくもって同感だ。

田村さんは都会暮らしをしていたのが嘘みたいに、自然のなかでの暮らしが染み付いている人だ。包み隠さない無愛想の奥に、御両親を失った悲しみや神に祈る気持ちが見え隠れして、割り切れない気持ちを抱えている人なのかな、と思う。そういうのを乗り越えて今の田村さんがあって、彼が言葉少なに彼女に見せて伝えていたのは、そうして田村さんが辿った軌跡だったのではないかと思う。

皮肉にも?それとも予想通りに?街の暮らしへ彼女は戻っていく。自然をいただく過程を目の当たりにして、ものへの愛着も自分の見苦しさも理解したのかもしれない。田舎にはいられないことを自覚する旅だったのかもしれない。田村さんの大雑把なところに引っ張られるように率直な自分になって「長生き」できるようになったのかもしれない。マッチのお守りを得て。


温かい4月の風にふかれて、堰を切ったように涙が溢れてきて、明日がくるのか本気で希望が持てない夜を過ごしても、その翌日には笑って職場の人と話せる自分がいて、「日常」というのは実際はそういう日々が連綿と続いているものなんだと思う。

私のお守りはその時々で、変化していく。
音楽、誰かにもらった言葉、写真、人との繋がり。

大丈夫、まだ明日が来ると思える。
 
 
天国はまだ遠く (新潮文庫)
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2011年03月12日

ありがとう

東北地方巨大地震の大きさに、涙が出たり、不安が募ったり。
自分ができていることは本当に少なくて、
暖房を止めてダウンコートを羽織るくらい。


明日の夜勤をまたがんばらなくちゃ。
世の中は予想以上に日常生活に戻っているから。


とまった交通機関では、車両点検線路の点検に奔走してくれた人がいる。
復旧後も終夜で運転してくれた人がいる。
とまった水道や電気のために人が殺到した
コンビニで販売を続けてくれた人がいる。
被災地でも、自分自身が被災者でありながら、
炊き出しをしたり、販売をしたりがんばっている。


交通網のダメージに困っている人、
電気や水道やガスのライフラインに困る人、
地震の揺れの直接の被害を受けた人は最小限ながら、
その余波を肌身に感じざるを得ない。


入院したベビーのお父さんは横浜駅から6kmを歩いて
花粉症で鼻も目も赤くしながら会いにきてくれた。
私ができることは、
せめてその子たちを無事家に帰れるようにサポートすることだ。
そのために今日はしっかりエネルギーためる。

2011年03月05日

馴染みのこと

一年前と着ている服も何も変わっていないと言った彼女の言葉が
頭を過る。

聞いている曲は、流行の新しいものよりは、
昔自分が聞いていた曲を引っ張りだして聞いている。
古い服は少しウエストが気になってはけなくなったもの以外は
学生時代からあまり変わらない。

小学生時代に読んでいた漫画を読み返したり、
その頃聞いていた音楽を聞き直したり。
そのとき気づけなかったこと、そのときあったことの再考
それはそれで得る新たなものがある。
今は新しいものを吸収しようという気力と余裕がないから、
勇気が足りないから、
でも少し気分転換したい自分がいるから、
忘れ去りそうな過去のものを新しいものの代わりに引っ張りだしている。


悪いことじゃない。
気づくことも多い。
でも新しいことにも挑戦しないと、きっと前に進めない。
今は過去をエネルギーに変える時間かな。
でももう少し充電したらちゃんと新しいことを受け入れよう。

過去と未来の繰り返し。

2010年11月01日

ウォークマンの思い出

SONYがいよいよウォークマンの生産を終了するそうだ。

今時CDを買う機会も減り、
もはやダビングして好みのカセットを作るという行為は過去の遺産だ。
カセットテープを知らない子供もいるのだろう。


小学校4年生くらいから邦楽に興味を持つようになって、
音楽番組の森高千里や米米クラブの曲を必死で録音した。
タイミングを間違って、曲紹介が入ったりするのが許せなくて、
絶妙のタイミングで録音ボタンを押すのに一苦労した。

そして誕生日にCDからカセットにダビングができる
カセットレコーダーを買ってもらった。
カセットからカセットへもダビングができる黒いボディだった。
そして初めて買ったCDが、ZARDの「負けないで」。

学年が変わる前に作るクラス文集では、番付がお決まりで、
そのなかの好きな歌には「負けないで」を書いた。
そのとき、好きだった男の子が選んだ曲が気になって、
CHAGE&ASKAのYAHYAHYAHと書いているのを盗み見て、
「見るなよ!」と怒鳴られた記憶がある。

小学校6年生のときには、ちょっと流行に敏感な同じクラスの女の子に、
Mr.Childrenのことを聞いて、Tomorrow never knowsと奇跡の地球を買った。
以来15年来Mr.Childrenが好きだ。

そしてようやく私もウォークマンを手にした。
中学校に進学してから。再生機能だけのウォークマン。
青紫に塗られた金属的なボディが印象的だった。
一緒に買いに行ったのではなくて、お父さんが買ってきてくれた、
というのもの何か特別だった。
習いたてのNHK基礎英語を聞いたり、Mr.Childrenを聞いたり、いつも一緒だった。

とある日、お兄ちゃんに「スキー旅行に持って行きたい」といわれ
私のウォークマンを貸したことがあった。
その間はカセットデッキで音楽を聴いた。
でもお兄ちゃんがスキー旅行から帰ってきても
一向にウォークマンが戻ってこない。
正直私は5つ年上のお兄ちゃんが怖くて、
殊に高校生になったお兄ちゃんとはほとんど話さなくなって、
でも大好きなウォークマンを使いたかったから勇気を振り絞って
「ウォークマンは?」と聞いたら、
「もうちょっと貸して」と歯切れの悪い返事。

それから1週間ほどしたところでウォークマンが帰ってきた。
しばらくして、お兄ちゃんが私と同じウォークマンを使っているのを見て、
「お兄ちゃんも同じやつを買ったんだなあ」と思い、お父さんに話したら、
こっそり本当のことを教えてくれた。
「スキー旅行で失くしちゃって、新しいの買ったんだよ。後で見つかったみたいだけど。」

「言ってくれたら良かったのに」と思いながら、
失くしたことへの罪悪感が大きかったのだろうなあ、と思った。
そして高校生がウォークマンを買うっていうことの大変さと引き換えに
お兄ちゃんとしてのプライドを守ったということも。

その後高校生になってしばらくしてカセットウォークマンは壊れてしまい、
カセットが再生できなくなった。
時を同じくして、カセットからMDが台頭する時代となり、
私はMDコンポを買ってもらった。
大学に入るやMD WALKMANを買い、初海外のお供をしてもらった。
私は、好きな音楽を友だちや恋人に届ける手段として
主にMDを使っていた世代だったんだ、と振り返る。
男の子に乗せてもらった車で、
自分が編集したMDを聞いてどきどきする、そういう思い出。

今はたくさんのカセットやMDを買う必要もなければ、ウォークマンもいらない。
音楽はワンクリックで手に入り、
アルバム1枚に少し足が出るくらいで再生機も買えてしまう。
パソコンで簡単に再生リストを編集できる。
CD1枚1枚から好きな曲を抜き出して、
MDやカセットに時間をかけて録音し、
小さい文字でタイトルを書いていたのが懐かしい。

まだ私の家にはあの頃のカセットやMDが眠っているし、
役目を終えたカセットウォークマン・MD WALKMANがしまってある。
久しぶりに彼らに会いに行って、あの頃の私にも会ってみようかな。

2010年10月31日

優しさの源

ずっと腑に落ちずに考え込んでいるけれど、違和感がとれない。

彼の小説の通り優しさに溢れた言葉に安心するけれど、
実際の現場はそうじゃないことへのズレをどう解釈したらよいのか、
それを考えながら悶々としていた。

大好きな重松清さんと坂東眞理子さんとの対談。
タイトルは男女共同参画の潮流のなかでの
「働く・暮らす・生きるの”バランス”」

私は内容そっちのけで、
ただただ重松さんのお話を聞きたい一心で会場に向かった。
ふたりの娘さんを育てた重松さん。
女性の社会進出を支えてきた坂東さん。

おふたりは少子化の強烈なインパクトを原動力に進んできた
女性の社会進出を支えるシステムの進化を喜びながら、
「舌打ち、ため息、陰口」といった現場の闇を汲み取り、
それを乗り越えて「支え合う社会」を実現していくことを訴えておられた。

ある一定の豊かさを実現した成熟した社会は、
絶対的な正解を持たない。選択する自由があるから。
でも自由というのは、
それは一方を選んで一方を捨てる責任が個々に渡されるということで、
その重たさや正解のない不安に押しつぶされる人の多さを憂いておられた。

選択の違いが、貧しい人とそうでない人を作り、
ひいてはそれが次世代へと連鎖していく。
貧しいとそうでないでは、選択肢が圧倒的に異なる。

現状、経済の不況や貧富の差の中で、
これまで個人を守ってくれた会社がむしろ個人を見放す社会となり、
努力をひたすら積み上げる「ノーベル努力賞」では評価されず、
個人の力が、個性が、求められ、
それを持たない、もしくは、持っているか分からない人は
その不安につきまとわれることとなる。

この自由を放棄することは、いわば社会主義的な考え方だ。
歴史はそれを否定してきた。
とすれば、貧しさの中にいる人とそうでない人とが
支え合うシステムを目指していくことが、
国が国民すべてに幸せを保障するということになるのだろう。

富を築くことに奔走した65年から、その築いた富を使って、
坂東さんのおっしゃる「支縁社会」を目指すことになる。

論理では分かる。
でも厳しさの中で戦ってきたであろうふたりがどうして
「優しくなろうよ」とだけ言うのだろうか。


支え合いという言葉でいつも過るのが「障害」を持つ子供たちのことだ。
彼らがうまく生きていける場所を作りたいと願う一方で、
それが自然の摂理なのか、と。
「いや、成り立たせるのだ」という意志を持つべきなのだろうけど。
多くの子供たちは長く家の中に閉じこもっていた。
古い精神科の本に、精神障害者が牢屋に入れられていた写真があるのを
とある先生が見せてくれた。
らい病の人も長い間療養所に隔離されていた。

くさいものにふたをしてきた過去があったけれど
徐々に分かってきた新たな知識故に不要であった歴史が解放されていく。
またそれを包含していく豊かさが歴史の中で築かれてきた。

とすれば、そういった優しさの源のすべては知ることだと気づく。
知ることで、闇を理解することで、寛容になれる。
「何だか分からない」ことが遠ざけてしまうから、
ちゃんと理路整然と説明できるよう客観的な捉え方をすることは、
距離を近づけ、解決の糸口を示してくれる。
きっと坂東さんも重松さんもいっぱい聞いて、読んで、闇を知ったから
「優しくなろうよ」と訴えておられたのだろう。

だから私は日々その人の人生を知ることを怠たらず、
優しい人になりたいと思う。
全ての人がそうはなれなくても、一番身近な自分がそうなれたらと思う。

2010年09月20日

こころを忘れない先生

「じゃあ辻さん、よろしくね!」
懇親会の帰り際に、出口でぺこりとお辞儀をすると、
水谷先生はそう言って遠くから大きく手を振ってくださった。
家に向かう電車の中で、その場面がずっと目の前に浮かんで、
その度涙腺が緩んだ。
 

教授といえば、学生のころから、遠い遠い存在だった。
その教授から突然メールが届いた。
「過日先生が担当した患者さんのお父様からお褒めの言葉をいただき、
うれしくてメールしました。」と始まり、本当に余りある言葉が並んでいた。
実は患者さんのお父様が先生のお知り合いの研究者だったのだ。


若輩者の私に、
「うれしくて」という感情と共に励ましてくださった先生の心が、
「よろしくね!」と手を振ってくださる真っすぐな振る舞いが、
本当に嬉しくて嬉しくて仕方なかった。


忙しくて、折れそうになっていた心は、
こういった偶然と心遣いに救われて
再び起き上がることができるようになった。


研究者として、臨床家として、
教授というのはきっといろいろな評価の中で就く地位なのだと思うけれど、
私はこんな風に心を大切にしてくださる先生の下で働けること、
それを何より誇りに思う。