涙の理由 (・・、)m

 泣くということは最も本質的なコミュニケーションの方法で、赤ちゃんが生れたとき、まず泣くのです。涙は2ヶ月くらいしてから分泌されるようですが、泣くことはお腹がすいた、どこか痛い、おしっこが出た、だっこしてくれ・・そんな大切な意思表示の方法だったんですね。
人間は言葉を覚えて、社会の中で生活して行く中で、「恥しい」「自負心(プライド)」等で泣くことを押し込めて生きます。哀しい・悲しい感情も押さえて表現できなくなって、最終的には「切れる」人間が増えてきたのではないだろうか、と思います。笑ったり、泣いたりして生きています。笑うより泣いた方が、脳内β-エンドルフィンの分泌が多く、精神的に安定するそうです。特に感動の涙は、人間にとって大切だと思うし、いろんな感情を共有できるように、いろんな経験をしてゆくと良いのではないかと思います。だから、涙は前頭葉ががんばっている「汗」といえるかもしれません。
ただ、涙は眼球を湿らせて鼻腔に流れるものなので、それが大量だと鼻水がドーっと出てきて大変ですね。

何故、この話題かというと、先日テレビで志茂田景樹さんが出ていて、少しだけ番組を見たんですね。彼は全国で本の読み聞かせを行っていました。職業は作家と書いてありました(コメディアンかと思っていた)。以前新幹線で近くの席に座ったことがあって、「カメレオン」のオバケかと思っていたんですが、そのテレビで、「子供達は喜怒哀楽の”哀”の表現ができないことがわかった。悲しいとき、感動したとき心のフタを開いて泣いてもいいんだよ。」と、言っていたんです。( 'o')b いいこと言うもんだなあと感心したわけです。

人間は感情の動物ではあるけれど、その感情を無理に押し込めたり、逆に影響を受けすぎて社会生活に適応できにくくなったり、感情をコントロールするということは、本当は難しいのであると思います。しかし、生きている限り家族や友人と一緒に感動したり、喜んだり、悲しんだりを表現したり、分かち合ったり自体が”生きる”ことであると思います。
何も持たずに生れてきて、死ぬときは一人で死にます。何も持つものはありません。何が持てるかといえば、生きた、多くの「思い出」しかないのではないかと思います。笑ったり、泣いたり、自分に素直に生きていこうと思います。

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