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ワンヘルスサイエンティスト Vol 6, 2; May 25, 2025

自殺という事象の多因子的構造の理解とワンヘルスアプローチの意義:自殺の疫学調査における環境・生物・社会的要因の統合に向けて

 村上 龍

・千葉科学大学 危機管理学部 保健医療学科
・明治国際医療大学 保健医療学部 救急救命学講座

Understanding the Multifactorial Nature of Suicide and the Significance of One Health Approach: Toward the Integration of Environmental, Biological, and Social Factors in Suicide Epidemiology

 Ryu Murakami

・Chiba Institute of Science, Faculty of Risk and Crisis Management
・Meiji University of Integrative Medicine, Faculty of Health Science




Abstract Japan has one of the highest suicide mortality rates among the G7 countries, with suicide being the leading cause of death among young people—a serious public health concern. Suicide is a complex phenomenon that cannot be explained by a single factor; in addition to demographic variables, mental disorders, and socioeconomic status, recent studies suggest the involvement of various environmental and biological factors, such as the gut microbiota, relationships with companion animals, and climate change. These findings highlight the need to move beyond traditional psychiatric and sociological perspectives and to consider a broader One Health approach that includes environmental and life sciences.
 Our research team has conducted forensic analyses of suicide death cases investigated by medical examiners, focusing on associations between demographic characteristics, psychiatric consultation history, and methods of suicide. We have also examined systemic challenges in Japan’s suicide surveillance framework, including the divergence in populations covered by different data sources and the limited geographic coverage of forensic investigations into suicide deaths.
 We advocate for the importance of interdisciplinary research aimed at understanding the reality of suicide and implementing effective preventive interventions. Building an integrated registry that incorporates insights from diverse fields and adopting One Health perspective may serve as a foundation for future suicide prevention policy.

Keywords; Suicide, Psychiatry and Neuroscience, Forensic Medicine, Meteorology, Molecular Biology, One Health Approach


 本邦はGroup of Sevenの中でも自殺による死亡率が高く1,特に若者の主要な死因が自殺となっている2。我が国のみならず世界全体で解決しなければならない課題の一つである自殺という事象そのものの実態解明と,適切な介入が行われることで防ぎ得る死亡3でもある自殺への予防介入を効果的に実行するためには,多様な視点を複合し,複数の学術領域が協働することが重要である。自殺やそれに密接に関連するメンタルヘルスの状態は,環境要因や医学・生物学的背景,未知の因子を含む複雑な要因が相互に関連し合って生じる事象であり4,そこには腸内細菌叢5や伴侶動物との関係性6,気候変動7なども変数として含まれる可能性が十分に考えられることから,ワンヘルスアプローチは有効な解決策となり得る。

 現在,本邦において自殺の実態調査に使用されている情報源は複数存在し,それぞれが異なる集団を対象としているのが現状である。例えば厚生労働省の人口動態統計は,日本における日本人のみの自殺者数を死亡者の住所地に計上しているのに対し,警察庁の「自殺統計」は,日本における日本人及び外国人の自殺を,自殺の発見地に計上しているという点において差異がある。また,この他にも様々な医療機関が救急外来で搬送された自殺未遂患者及び自傷行為の患者について報告をしている。

 しかしながら,法医学的見地における自殺の死亡例に関する報告に関しては現状では限定的であり,この要因には死因究明機関の中でも公衆衛生に資する観点から設置されている監察医が,東京都や大阪府など限られた地域のみに存在することが一因として挙げられる。

 本邦の死亡診断の実務において,自殺で死亡した例は,自傷行為によって救急搬送され,搬送先の医療機関で死亡が確認された例や,第一対応者が現場に到着した際には既に社会死の状態となっていた例などを含め,大きな区分として「異状死」(治療中の疾患による死亡以外の死亡,不慮の事故や他殺もこれに含まれる)に分類される。異状死は医師の検死や警察官等の検視が行われ,警察機関が死体と事件との関連や身元に関する詳細な調査を行う。法医学教室や監察医といった死因究明機関は自殺を含むあらゆる異状死について死因の究明を行う。その第一の目的は,死体と事件との関連(事件の関与の見逃しを防ぐことも含む)を明らかにすること,第二の目的は死亡に至った要因を解明することで公衆衛生に資することである。死因究明機関が取り扱う異状死の中には,自殺で死亡した例も存在し,筆者らはこの例について,精神神経科学,法医学,救急救命学の観点から統計学的に分析を行い,性別や年齢をはじめとする基礎的な人口動態変数,診療情報,自殺の手段などの情報の相互の関係性を探索している。

 これまでの自殺の疫学に関する研究の動向として,自殺者の生前の背景や様子を知る家族,親密な間柄にある者に対して聞き取り調査をすることで,自殺に至った要因を明らかにしようとする心理学的剖検や,自傷行為などで病院に搬送された例の診療記録の調査を含む種々の研究が行われている8-10。この様な研究に加え,自殺によって死亡した例そのものの疫学調査を行うことは,自殺という事象をより深く知るうえで重要である。

 自殺の発生予測,或いはハイリスク集団に対して予防的な介入を行うためには法医学,精神神経科学,その他種々の領域を横断した包括的なアプローチが肝要となる。世界保健機関は,自殺の発生予防を国家単位で効果的に実行するために,発生状況の詳細なサーベイランスと研究を強化し,脆弱性の高い集団を同定することの重要性に関して言及している3

 自殺未遂者と自殺既遂者では,その統計上の様相に異なる特徴が存在する。例えば自殺の手段の件数については自傷行為などで救急搬送された例の調査において,薬物などの服用による搬送例がその多くを占めるが11,自殺既遂例においては縊頸や飛び降りがその多くを占める12, 13。これらの特徴の違いには,自殺手段毎の致死率などが関与している可能性がある14。このように,自殺未遂者と既遂者の双方の情報を横断的に蓄積,分析することは,自殺の機序や真の実態の解明に繋がる。自殺は死の一形態であることを考慮すると,自殺未遂例と自殺既遂例を明確に区別することで,初めて明らかとなる未知の予防因子や予測因子も存在すると考え,この視点から研究を継続している。

 筆者らは現在までに,監察医が取り扱った自殺既遂例について,精神科受診歴や自殺未遂歴,自殺に使用された手段と人口動態変数との関連性を検討した研究12,13,15を実施した。これらの研究群において,精神科の受診歴があることに有意に関連する因子は性別(女性),手段(縊頸に対して飛び降り),精神科の受診歴が無いことに有意に関連する因子は,職業(無職者に対して有職者と学生)であった。また,自殺未遂歴があることに有意に関連する因子は,性別(女性),同居人がいること,精神科受診歴があることであった。これらの知見は死亡に至った事例から得られたものであり,命を守る実践に活かすべき基礎情報であると考えている。

 冒頭で述べた人口動態統計,自殺統計,各機関が独自に行う自殺未遂例などの調査では,それぞれ収集される項目が異なるなどの集計上の障壁が存在する。また,同一人物による複数回の自殺未遂例や,それに伴う複数回の来院に起因する情報の重複の問題,自殺既遂例の疫学調査においては監察医制度が置かれている地域が限定されていることや,時間が経過して発見された死亡事例では死因診断及び身元調査が困難になるなど,それぞれの情報源で課題が存在することも事実である。とはいえ,これらの現実的に収集可能な情報を積極的に活用すると同時に,例えば分子生物学や微生物学的なラボレベルのアプローチ,気象学,環境学といった領域など,従来自殺の疫学調査において関与が限定的な領域が積極的に参画することで,今まで検討されてこなかった未知の危険因子や予防因子が見出される可能性は十分にある。考え得る知見を最大限に活用し,自殺という現象の特徴に迫ることは,本邦のみならず世界中が抱える公衆衛生上の問題に立ち向かうことでもある。

 現在,全国レベルで自殺未遂例と既遂例,その他それに付随する研究結果に関する情報を網羅的に蓄積する仕組みは存在しない。医療機関や地域行政,研究機関,監察医,捜査機関などがインタラクティブにアクセスすることができる悉皆的な情報収集媒体と,学際的知見の集積を基盤とするレジストリシステムの将来的な構築が究極のワンヘルスとなり,自殺予防政策の方向性と効果測定に重要な波及効果をもたらすと考えている(図1)。



図1 自殺未遂者・死亡者情報統合収集システムの構想図
既存統計を含む様々な経路から収集された自殺未遂者と死亡者の情報を全国レベルで統合するレジストリシステムの一案

【謝辞】
大阪府監察医事務所に感謝の意を表す。本稿で紹介した筆者らの研究の一部はJSPS科研費JP22K21128,北村メンタルヘルス学術振興財団研究助成K2023-0004の助成を受けて遂行した。

引用文献
1)  厚生労働省 : 自殺総合対策大綱, 2-2, 2022. [アクセス:2025/2/23]
2)  厚生労働省 : 令和6年版自殺対策白書, 41-42, 2024. [アクセス:2025/2/23].
3)  世界保健機関 : 自殺を予防する-世界の優先課題-, 54-57, 2014. [アクセス:2024/4/13]
4)  張 賢徳. 精神神経学雑誌 114: 553-558, 2012.
5)  V. L. Nikolova., M. R. B. Smith., L. J. Hall. et al. JAMA Psychiatry 78: 1343-1354, 2021.
6)  M. J. Hughes., M. L. Verreynne., P. Harpur. et al. Clin Gerontol 43: 365-377, 2020.
7)  Cosh, SM,. Ryan, R,. Fallander, K. et al. BMC Psychiatry 24 : 833. 2024.
8) Hirokawa, S., Matsumoto, T., Katsumata, Y. et al. Psychiatry Clin Neurosci 66: 292-302, 2012.
9) Kodaka, M., Matsumoto, T., Yamauchi, T. et al. Psychiatry Clin Neurosci 71: 271-279, 2017.
10)  Narishige, R., Kawashima, Y., Otaka, Y. et al. BMC Psychiatry 14: 144, 2014.
11)  Kawashima, Y., Yonemoto, N., Inagaki, M. et al. J Affect Disord 163: 33-39, 2014.
12)  村上龍, 上久保敦, 守岡大吾, 他. 日臨救急医会誌 27: 723-729, 2024.
13)  Murakami, R., Morioka, D., Fukui, K. et al. PCN Rep 4: e70092. 2025.
14)  Cai, Z., Junus, A., Chang, Q. et al. J Affect Disord 300: 121-129, 2022.
15)  Murakami, R., Kamikubo, A., Morioka D. et al. PCN Rep 3: e194, 2024.



 【論文要旨】
 本邦はG7諸国の中でも自殺による死亡率が高く,特に若年層では主要な死因を自殺が占めるなど深刻な公衆衛生上の課題となっている。自殺は単一要因では語れない複雑な現象であり,人口動態変数,精神疾患,社会経済的要因に加え,腸内細菌叢や伴侶動物との関係性,気候変動といった多様な環境・生物学的因子の関与を示唆する研究も存在する。このような背景から,従来の精神神経学的・社会学的視点にとどまらず,環境・生命科学を含むワンヘルスアプローチの必要性についても検討が必要である。
 筆者らはこれまで,監察医が取り扱った自殺既遂例を対象とし,人口動態・精神科受診歴・自殺手段との関連を法医学的観点から分析してきた。また,国内の自殺に関する統計の情報源がそれぞれ異なる集団を対象としている点や,自殺既遂例に関する法医学的調査が地域的に偏在している現状など,制度的課題についても検討を行ってきた。
 本稿において,自殺の実態解明と予防介入に向けた学際的な研究の重要性を提言する。異分野の知見を統合するレジストリの構築とワンヘルス的視点の導入は,今後の自殺予防政策の礎となる可能性がある

キーワード; 自殺,精神神経科学,法医学,気象学,分子生物学,ワンヘルスアプローチ