ワンヘルスサイエンティスト Vol 3, 3; March 3, 2022
植物の病気とOne Health Science:サビキン類の系統分類,多様性や生活環の解明に向けて
糟谷 大河
慶應義塾大学生物学教室
ヒトと同様,植物も様々な病気に感染する。植物の病気は,何らかの病原により,水分や養分の吸収,光合成,花芽の形成,種子生産など,その形態的・生理的機能がかき乱されることを指す。そして,病気の結果,植物に生じる被害のことを植物の病害と呼ぶ。植物の病気は,ヒトの生活にも大きな影響を与えている。少々古い推計値であるが,2002年の全世界における農作物の総生産額は約9,500億ドルとされている。一方,このうち病気による損失額は約2,200億ドルであるという計算結果が得られている。この額は,約8億人分の食糧を賄うのに必要な額に相当する(Agrios,
2005)。つまり,植物の病気によって,約8億人が必要とする農作物が世界中で失われているのである。
植物の病気がヒトの社会生活に大きな影響を及ぼした,具体的な例を見てみたい。ジャガイモの疫病という病気がある。ジャガイモ疫病菌Phytophthora infestansは原生生物のストラメノパイル類に属する微生物で,これが感染したジャガイモの葉には暗緑色で湿り気を帯びた病斑が扇状に拡大し,裏面には霜のような白いカビ状の組織が形成される。また,塊茎の表面は灰色から暗色,内部は褐色に腐敗し,収穫は不可能となる。ヨーロッパではかつて,ジャガイモ疫病菌の蔓延によるジャガイモ飢饉が発生したことがある。1845年,ベルギーで発生したジャガイモ疫病は,1846〜47年にかけてヨーロッパ全土で流行し,大きな被害をもたらした。特に,多くの国民がジャガイモを主食としていたアイルランドでは壊滅的被害をもたらし,疫病流行前に約800万人だった人口は,流行後の1851年までに600万人以下に減少したという。このとき,ジャガイモが尽きる中で飢餓により100万人以上が死亡,さらに170万人ほどがアイルランドから国外へ移住した。ちなみに移住者のうち約20万人がイギリスへ,約150万人が北米へ移住しており,現在でもアメリカにアイルランド系住民が多いのは,ジャガイモ飢饉の影響であると言われている(Ross, 2002)。
植物の病気は,主因,素因,誘因の3つが関与して成立する。主因とは最も直接的な原因であり,病原が存在することである。植物の病気は,線虫などの動物,きのこやカビなどの菌類(真菌類),原生生物,細菌類,ウイルスなど,様々な病原により引き起こされる。病原が植物に感染し,病気を起こす能力のことを病原性と呼ぶ。素因とは,病気になる植物(宿主)が存在することであり,ある植物種が,特定の病原に侵されやすい性質を持っているという場合である。なお,植物が病原を受け入れる性質を感受性と呼ぶ。そして,誘因とは環境条件のことで,間接的・二次的な要素により病気を増長させる条件である。たとえば,日照量,降水量,気温や土壌の成分などがある。
病気の発生量(程度)は,病気の三角関係によって表される。これは,主因,素因,誘因の3者の量がともに大きくなるにつれて,病気の発生量も大きくなるという考え方である。したがって,植物の病気を防除する際には,主因と素因のいずれか一方,あるいは両者を小さくすること,さらに,誘因と主因と素因のいずれか一方,あるいは三者に不都合なように条件を制御することが必要となる。植物の病気は農林業や食料供給に重大な影響をおよぼすため,病気の種類を解明したり,病気を防除する方法を開発したりといった研究が,植物病理学,樹病学や菌学などの分野で行われている。
ヒトの感染症は,病原別にみるとウイルスと細菌類による病気が多く,菌類が病原となる病気は相対的に少ない。一方,植物ではヒトと異なり,ウイルスや細菌類による病気は少なく,菌類による病気が多数を占めている。これは,菌類は25°C前後の温度で活発に生育する種が多く,常時36°C程度の体温に保たれたヒトの体は,多くの菌類にとっては生育に不適な温度条件であるからである。
筆者は,菌類の系統分類や多様性の解明,生物地理に関する研究を行っている。中でも最近は,様々な生きた植物に寄生して病気を引き起こし,それらの組織や細胞から栄養を奪うことで生活している植物寄生菌類の一群である,サビキン(銹菌)類の系統分類,多様性や生活環の解明に向けた研究を進めている。サビキン類は植物に対して絶対寄生性であり,生きた植物の葉や茎などに赤色,橙色,あるいは黒色などに着色した,さびのように見える胞子の塊を形成する菌類である。
サビキン類による植物の病害は「さび病」と呼ばれ,ダイズさび病やコーヒーさび病など,食料の安定生産や農林業上,重大な脅威となる種類を多数含んでいる。また,サビキン類は多様な種を含み,既知の種数は約7000種とされている。しかし,地球上にはさらに多くの未知のサビキン類が潜んでいると推定されており,サビキン類の多様性の解明は遅れている。サビキン類の系統分類学的研究を進め,その多様性を明らかにすることは,農作物や園芸植物など,有用植物に発生する病気の実体解明だけでなく,希少な野生植物種の保全などにも関係する課題であり,多面的な意義がある。
そこで筆者らは,日本列島を中心とした東アジアを主な対象地域として野外調査を行い,様々な植物上でサビキン類を探索・収集している。そして,それらの形態的特徴を顕微鏡下で観察するとともに,DNAの塩基配列を用いた分子系統学的手法により系統関係の推定を行い,分類・同定を行っている。これまでに,園芸植物としても植栽されるバラ科樹木であるシャリンバイに寄生し,系統的位置が不明であったシャリンバイさび病菌Aecidium raphiolepidisについて,核rRNA遺伝子の塩基配列に基づき系統関係を解明し,本菌をGymnosporangium属に転属させ,G. raphiolepidisの学名を用いることを提案した(Kasuya et al., 2020)。現在は,クワさび病菌Peridiopsora moriの系統関係の解明を進めている。
また,サビキン類は複雑な生活環を持ち,2種の全く異なる植物に感染し,増殖することで1世代の生活環を全うすることができる,異種寄生性の種を多く含む。そのような異種寄生性の種については,上記のような手法に加えて,植物への接種試験により生活環を解明することも行っている。具体的には,グミ科の樹木であるマルバアキグミと,カヤツリグサ科の草本であるナキリスゲ上を行き来する異種寄生性サビキンPuccinia neovelutinaの生活環を解明した(Kakishima et al., 2018)。現在は,サルトリイバラ科植物とカヤツリグサ科植物に異種寄生するサビキンの分類,系統関係や生活環の解明を進めている。
これらサビキン類などの植物寄生菌類は,宿主となる植物にとっては大きな脅威となるが,一方で特定の生物種の爆発的増加を防ぐ個体数調節など,生態系において生物同士のつり合いを保つために必要な意義を果たしている場合もある。微生物からヒトまで,地球上の生物が互いにかかわりあって「一つの世界」に生きていることを認識し,ヒト,家畜,農作物,野生生物が健康に生活し,そしてそれを取り巻く環境が健全に維持される方法を模索するというOne
Health Scienceの視点から,今後も植物寄生菌類の研究を続けていきたいと考えている。
引用文献
Agrios GN (2005) Plant Pathology, 5th edition, Elsevier.
Kakishima M, Ji JX, Kasuya T (2018) Puccinia neovelutina nom. nov., a replaced name for Aecidium elaeagni and its new aecial host from Japan. Phytotaxa 336: 197–200.
Kasuya T, Hosaka K, Kakishima M (2020) Gymnosporangium raphiolepidis comb. nov. (Pucciniales) for Aecidium raphiolepidis inferred from phylogenetic evidence. Phytotaxa 460: 110–114.
Ross D (2002) Ireland: History of a Nation, Geddes & Grosset.
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