3月の読書会では『霊枢』の厥病篇を読んだんですが、偶然にも島田先生の『素問』ネットの公開も厥論だったんです。 |
《太素》巻十二・營衛氣別(『靈樞』營衛生會篇)に「老者之氣血衰,肌肉枯,氣道濇,五藏之氣相薄,其營氣衰小而衛氣内,故晝不精,夜不得瞑。」とあり、楊上善注に「代,蹇息也」と言う。蹇は行動が鈍いさま、息は停止する、あるいは滅びる。そして、『廣雅』釋詁二「㱖,待也」の王念孫疏證補正に「代與待亦聲近而義同」と言う。 |
馬継興先生の『出土芒佚古医籍研究』というのを見つけて、取り寄せてみました。 |
3月の読書会は,3月12日(日)午後1時から,いつものところで。 |
《太素》巻二十五 熱病説 |
2月の読書会は12日(第2日曜日)の午後1時からいつものところで。 |
MingLiU version3.21もHAN NOM Aも、私用領域に随分沢山の文字を容れてます。だから、自分なりに私用領域を利用するつもりの人は、EEC0あたり以降に作らないと拙い。はて、あとどれくらい作れるんだろう。たぶん、MingLiUには香港の文字、HAN NOMには字喃が入っているんだろうと思うけど、どちらもかなりのものが拡張領域AやBには含まれているんじゃないかしら。 |
今,実験してみましたが,HTML文書を書くときにフォントをMingLiUもしくはHAN NOM Aとだけ指定して,OperaもしくはMozila Firefoxで見てみると,拡張領域に有る文字はMingLiU-ExtBもしくはHAN NOM Bを融通して表示してくれているようです。つまり,何も心配いりません。ただし,IEではやっぱりダメです。 |
今頃になって気が付いたんですが、ユニコードCJK統合漢字拡張領域Bを含んだフリーのフォントがいくつか提供されているんですね、HAN NOM BとかMingLiU-ExtBとか。 |
古代漢語の知識を豊富にして、正確に経文を読むのは、必要不可欠なことには違いないけれど、それだけですむわけのものじゃない。そもそも古代医学の諸説は、「そうである」ではなくて、「そう考える」ということでしょう。だから、「論者は何を考えたのか」、「筆者はどう書いたつもりなのか」とともに、「どうしてそんなことを考える必要が有ったのか」、「どうしてそんなことを思いつけたのか」が重要になるだろうと思う。 |
1月の読書会は、1月22日の日曜日にいつもの時間と場所でやるつもりです。ただし、当日は何か大がかりな催しが有るらしくて会場の駐車場が確保できません。なんとか算段してください。すみません。 |
仁和寺本『黄帝内経太素』の脩と循が紛らわしいことが話題になっていたと思います。「太素を読む会」の掲示板が停止中なのでこちらに書きます。 |
岐阜はまた大雪です。月曜の朝の降雪量は超えて、しかもまだ降り続いてます。 |
経絡治療派の方法を解析し発展させた、ある高名な臨床グループのマニュアルによれば、脈が沈んでいれば兪穴、浮いていれば合穴を取る。言い換えれば、腕踵関節の穴には脈状を陽に導く力が有り、肘膝関節の穴には脈状を陰に導く力が有ることが期待できる。してみれば、実(盛)とも虚とも言い難い場合は、ニュートラルな穴を取る、つまり、合穴と兪穴の間に経穴を求める、ということで良いのではないか。 |
うっかりしてましたが、『霊枢』経筋篇の治療法は「燔鍼劫刺」だったんですね。『太素』では「燔鍼却刺」になっています。燔鍼は焼鍼で、火鍼というのも、また焠刺とか卒刺とかいうのも同じことのようです。「劫刺」とか「却刺」とか、どちらが良いのかわかりませんね。劫なら強奪、却ならしりぞける。で、具体的な技法としては要するに速刺速抜だと思いますが、たいした論考も無さそうです。 |
12月の第2日曜は、いつもの会場で何か催しが有るらしくて、利用できませんので、第4日曜の25日に変更になります。 |
刺腰痛篇に登場する聞き慣れない脈は、今のどの経脈に関わるのか、というのが注家の関心の的のようであるが、本当は的はずれではあるまいか。 |
うっかり来月の予定を書き込むのを忘れてましたが、いつもの第2日曜(11月13日)の午後にいつものところです。 |
経脈の実質のかなりの部分が実は血脈であり、その循行を調節することを主眼とする針灸術が存在したとしてもいけない理由は全く無い。と言うよりもむしろ、針術とはもともとはそうしたものであったかも知れない。血液循環の障碍となりがちなポイントを何らかの方法で刺激して疎通させ、血液の偏在するところから少量の血液を効率的に取り去って平衡を得る。ただ、それとは別に患部から離れたところで信号を受け取り、そこもしくは信号の解読から得たしかるべき部位を刺激して患部を改善させる、という夢想によって新しい針術を提唱したのが『霊枢』であると考える。けれども、皮肉なことにその一つの完成である経脈篇の循環がまた経脈=血脈という概念に奪われたような形勢となり、また編者自身も古い局部施術の有効性を棄てるに棄てられないでいる、というのが2000年前の針灸界の情況であったのではないか。そして情況は今もってそんなに変わってない。さて、未来の針術を探るにはどちらの観点に比重を置いたものか。 |
『素問』擧痛論:經脈流行不止,環周不休。寒氣入經而稽遲,泣而不行。客於脈外則血少,客於脈中則氣不通。故卒然而痛。 |
『霊枢』脈度 |
暴論であるのは自覚しています。言ってみれば経脈篇を金科玉条としている人への挑発行為です。 |
暴論。 |
予定としては三篇くらいは読むつもりだったけど,前にもどったり脱線したりであんまり先へは進みませんでした。四時気篇の「邪が六府に在るとき」の話しと対になりそうなんで、五邪篇の「邪が五蔵に在るとき」にもむりやり軽く触れましたが、五邪篇はまた来月きちんと読む必要が有るでしょうね。 |
『霊枢』では、九針十二原篇の原穴と五蔵の関係、本輸篇の本輸と頚周りの諸穴、根結篇の根結などの知識を統合して、経脈篇が成立している。ここまでは診断兼治療点と病症部位をつなぐ線条としての経脈である。ところが経脈篇で十二経脈の循環が確立すると、全身を栄養するものとしての性格を色濃くし、ほとんど血管系のことを言っているような様相を呈する。そして診断兼治療点と病症部位をつなぐ線条としての役目を血管系に負わせて、現代西洋医学が入って来て血管系にはそのような能力は無いと言われると、経脈説は妄言であったかのように自己批判する。誤って関連づけたものが間違いであると指摘されたからと言って、しょげる必要は無さそうに思う。経脈説は今、血管系的な部分を切り捨てて(あるいは棚上げにして)、「診断兼治療点と病症部位をつなぐ仮設の線条」として再構築すべきときであると考える。経脈篇は破棄しよう。 |
『霊枢』に述べられている経脈の多くの部分は,じつは血管系である。そして脈診で診ているものは、紛うかた無き血管の搏動である。血管搏動の如何を診て,血液循環の異常を知り,それを是正するポイントとして腧穴を利用するという治療体系は可能かも知れない。 |
四肢末端近くの施術ポイントと病症部位とをつなぐものとして発想され,やがて施術ポイント群となり、また起点の他に頚部あるいは躯幹部などに止点が見出される。そしてやがて『霊枢』経脈篇で,蔵府との属絡が確定され循環説が導入されて完成をみる。 |
例えば金槌が無いからと言って、鋸で釘を打とうというのは無茶です。そこいらで石ころでも拾ってくるくらいの知恵は必要でしょう。石ころで釘を打つのは縁起が悪いというのは迷信というものです。 |
どうして『霊枢』なんぞを読もうとするのだろう。こんなもの読んだからと言って臨床技術が向上するわけもないし、ましてや営業とは全く関係ない。それはまあ名人上手が読んではたと悟るところが有って、一段と高い境地に達するということは有るかも知れないが、一般的に言えばいかにも効率が悪すぎる。 |
字書を引いて、あるいはNETで捜して、気に入った意味が見つかったから、ああこれだ!これだ!という態度はダメです。五菜は薬草ではありません。古代の常食の野菜です。その後すたれたとしても、当時どのように食べられていたか、いつごろまでは文献に残っているかといった辛気くさい考察が必要です。手にあまれば、先学の論考を頼りにします。 |
食用の葵にはゼニアオイという説も有ります。フユアオイというのは小野蘭山『本草綱目啓蒙』の説です。青木正児は両説挙げて、結局フユアオイのほうを採っているようです。いずれにせよ、私には食べた記憶が有りません。 |
図書館利用の手もあるのですが、当地の図書には収蔵がありません。図書館としても一般的で無いので(多くの人が使う書物ではない、ので購入は出来ない)とのことでした。 |
神麹斎 さま |
①麻は、張介賓の説では芝麻です。で、芝麻とは何かというとどうもゴマのようです。『本草綱目』の胡麻のところに「俗に芝麻に作る」とあります。ただし、これは張介賓はそう考えているというだけのことで、正解かどうかは分かりませんよ。『素問』蔵気法時論では麻でなくて小豆です。五味に何をあげるかも『素問』、『霊枢』には何種類も有りますし、残念ながらどれが正しいとも言いかねる。そもそも産地によって味がかわってしまう菜というのも有るでしょう。 |
こんにちわ |
次回は9月11日(第2日曜)午後1時から |
厳しい言い方になりますが,化けた文字に対しておこなっていた格闘は「ほとんど」無駄です。「ほとんど」無駄なのであって,「全く」無駄では無いと思います。少なくとも私はそう信じています。だから「しんきくさい」などと名乗っています。 |
『霊枢』を読むためには,当然のことながら『霊枢』を手に入れる必要が有ります。 |
神麹斎 さま |
8月は諸般の事情により、特別に第3日曜日に変更されます。 |
経筋は、経絡学説中の外部循行路線の部分であり、それに微妙に内部循行的な記述が混じる。経脈への統合を志向したことはうかがわれる。その治療法が燔針劫刺であるところからすると、馬王堆では足臂十一脈がその祖先にあたるのかも知れない。昨今は灸頭鍼で代用されることが多そうだが、本来はもっと瞬間的に熱い灸のほうが相応しいのかも知れない。 |
読む対象を『霊枢』と定め、しかもがんがん先に進むもうというのは、つまり臨床的に読もうということです。ただし、その臨床的という意味は、臨床家の経験を通して読もうということではなくて、臨床の拠り所を求めて読もうということです。 |
次回は6月12日(第2日曜)午後一時から |
お勧めと言っても、大量の漢字を使いたい人にお勧めと言うことです。 |
陰陽の経脈には、もともと根本的な違いが有る。陰経脈は内部の症候の診断兼治療点とその患部を結ぶ仮想の線であった。陽経脈は身体を左右の前後横の縦六割にしたものであり、上下に感覚が流れる線でもあった。陰経脈の状態は腕関節の脈動即ち寸口=脈口で診るように統合され、陽経脈の状態はむしろ頚部の脈動で診るように統合された。陽経脈は足跗の脈動で診ても良かったろうと思われるが、実際には頚部の人迎のほうが選択された。寸口と人迎が選ばれたのは、結局のところ診やすかったからであろう。 |
今日は結局、経脈篇だけで、経別篇には入れませんでした。 |
袋だたきを覚悟して、より大胆に言えば: |
このところ読書会について報告も案内も書いてませんが、別に休会していたわけではありません。ようするに経脈篇をぐだぐだやっていて変化にとぼしかったということです。四月は経脈篇の終わりの方の気絶と十五絡のところ、余裕が有れば経別までやろうかと思っています。他にも絡についての記事が有るはずなんで、さらに横道に迷い込むかも知れません。場所と時間はいつもと同じ。つまり四月十日の午後からです。 |
今頃気が付くというのも迂闊な話ですが、『素問』平人気象論の春夏秋冬の脈、例えば「春胃微弦曰平」とかいう脈、楊上善は人迎で診ると言ってるんですね。(勿論、この人迎は頚部の人迎です。)だから、後のほうではわざわざ「寸口脈」云々になっている、ということですかね。 |
本当は、吃逆も呃逆も𩚚逆も、おしなべて誤りであって、噦逆と書くべきなのではあるまいか。いや、「しゃっくり」という意味のつもりならということですが。 |
燎原の『漢方用語大辞典』で「吃逆」をひくと,「呃逆(あくぎゃく)に同じ」とあります。「呃逆」をひくと,「証名。𩚚逆(あくぎゃく)に同じ。吃逆ともいう……寒呃.熱呃.気呃.痰呃.瘀呃.虚呃などの区別がある。各項参照」とあります。
|
ありがとうございます。 |
とりあえず『諸病源候論』の原文です。 |
『諸病源候論』巻30に《謇吃候》というのがあります。 |
『丹渓心法』卷三・咳逆三十一の附録に: |
全く別の字だよね。でも『格致余論』呃逆論「呃病氣逆也、氣自臍下直衝上出於而作聲之名也。」また『東医寶鑑』咳逆證、引『古今醫鍳』「咳逆者氣逆上衝而作聲也俗謂之𩚚逆是也」 |
ちょっとまって、そもそも「吃逆」なの「呃逆」なの。 |
「高価なオモチャね」というのは見解の相違というものであって、漢字にこだわる立場から言えば、数多いパソコンソフトの中でも最も強力かつ有効なものだと思います。偏と旁から有りそうな漢字が本当に有るのかどうかを探り、さらに似たような形で間違われやすい漢字を検討する。そんなことが可能なソフトは他には無いでしょう。 |
説明が足らなくてすみません。 |
本当はIEでも方法は有るのかも知れないから、貶めるのは問題だろうけど、Mozillaはタダだから勧めるわけです。ちなみにoperaも駄目でした。もっとも、これもおそらくは設定の問題です。 |
たしかにMozillaでは,神麹斎先生の書いた「食厄」字は,見えますね。エクスプローラーでは「・」になってしまっています。
|
『漢語大字典』に例として載っている『医宗金鑑・癰疽総論・癰疽七悪歌』:「六悪身浮腫,腸鳴嘔𩚚繁,大腸多滑泄,臓腑敗之喘。」の「𩚚」は「吃」と解したほうが良いかも知れませんね。ただ、そういう俗字としての用例の指摘は今のところ字書に見つかりません。(全ての俗字を網羅した字書なんて有り得ませんけどね。)もし「吃」のつもりということだったら、口偏と食偏は意味において通じるから変換可能、乞と厄は形が似ているから間違ったということだと思います。間違いがたびたびおこれば、習慣となって俗字が生まれる、といったことでしょう。 |
質問の意味を測りかねるんですが、食偏に厄の字は、『玉篇』に食偏に戹の字と同じとあり、『説文』によればその字は「飢也」です。(以上は、実は『漢語大字典』を見ただけのことです。)別段、呃との関係は載ってませんが。 |
チョト聞いていいかな。 |
ひょっとすると、寒という「外因」に傷なわれて、しかる後に熱とか風とか湿とかという「状態」になるというつもりかも知れない。(だから「それ熱病は、みな傷寒の類なり」なんてことをさらりと言って、ろくに説明しない。だから「風熱傷寒」と言っても全然おかしいことは無い。「傷寒風熱」のほうが良いかな。) |
五色篇に記載されているのは寒に傷なわれた場合ですが、他は脱したか、あるいは寒が全ての外因を総称するか。あるいはより深刻なもの、あるいは代表的なものだけ取り上げたか。考えてみれば食飲だけというのも片手落ちだけど、「だって結局それが一番の根本でしょう」と言われれば、「まあそうですね」と言わざるを得ない。 |
「人迎主外」は寒邪。『霊枢』で外は寒邪だけで、風邪、湿邪、燥邪はないのでしょうか?(自分で調べなくて怠慢ですが) |
五色篇の人迎脈口診は、人迎と脈口の脈状がどうあるべきかを言い、病がますます甚だしくなるとか衰える(『霊枢』の進を『太素』は損に作る)とか言う。 |
『霊枢』禁服篇の人迎寸口診は: |
斉の郎中令循の病: |
終始篇型の(人迎と寸口の比較を言わない)人迎寸口診ならば、『素問』にも見える。六節藏象論に: |
うっかりしていたけれど(言わずもがなだけど)、経脈にはもう一つ重要な性格が有るんですよね。つまり樽は縦に長い板が何枚かで出来ていて、そのバランスがきちんとしていることが樽が樽として役に立つ最低条件ですよね。多分、経脈にもそういったイメージのバランスの調整という重要なシステムが関わっていると思います。ただし、経脈説の発見のタネでは無かったように思うのです。つまり、成立後の工夫でしょう。勿論、価値ある工夫だと思いますし、今後より整理し発展させるべき方向だと考えます。 |
(終始篇の)人迎脈口診においては、例えば「人迎一盛,病在足少陽」などと言うだけで、別に脈口と比べて何盛と言うようなことは無い。治療においては「人迎一盛,写足少陽而補厥陰」などと言うけれど、これだって問題になった経の表裏に取るだけのことかも知れない。 |
近ごろ考えていることに、『霊枢』は単なる論文集では無くて、明確な意図を持った編纂物であろうというものが有ります。その意図とは「経脈というシステムを操作することによって病を癒す」ということです。で、その経脈とは何ぞや、という答えが経脈篇です。ところが、経脈篇の記述に至るまでには様々な経験の蓄積や論が有るわけです。『霊枢』はそれらを保存している。『難経』は一つの理論を貫き通し、全てをそれで完全に説明しつくそうとしています。そこが『難経』と『霊枢』の違いです。言い換えれば(割り切って言えば)『霊枢』の初めの部分は経脈篇に至る道筋であり、後ろの部分は経脈篇の運用である。そしてその双方に落ち穂拾いのあとが見られる。『霊枢』を読み返そうとは、この道筋における四苦八苦と落ち穂拾いに、より多くの価値を見出そうということです。 |
『素問』三部九候論は、全元起本では決死生、『太素』は篇首を欠くので篇名未詳であるが、三部九候ではない可能性は高い。 |
『霊枢』の人迎寸口診の発想は、経脈の(最初期の)起点と止点を押さえて、その間の状況を知ろうとするものではなかったかと思う。そして起点を大淵(付近)に、止点を人迎に代表させる方法に簡略化された時に、相互に何倍であるとか躁であるとかによる手足三陰三陽の弁別法が工夫された。 |
ありがとうございます。期待した人から、期待したような回答をいただきました。 |
広義の形藏のうち,胃の気の診察部位は足の太陰であり,胸中の気の診察部位は手の陽明である。太陰経と陽明経は表裏の関係にあることから,それらの診察目標もおのずと呼応すると考えなければならない。一方,胸中の気(肺気)は胃の気が上部に注いだものである,という見方が多くの古典の中にみられる(『靈樞』口問・營氣・動輸など)。したがって,ここにおける胃の気と胸中の気の関係も広義の胃の気の範疇に納めることが可能である。 1988年『日本東洋医学雑誌』第39巻第1号
|
『素問』三部九候論の中部の地のところ、 |
『霊枢』雑病篇に「腹満,食不化,腹嚮嚮然,不能大便,取足太陰」とある。この「足太陰」は、足の太陰経脈のどの穴でも可ということではなくて、(黄龍祥氏の所説に従えば)足の太陰経脈としてはじめに認識された線の末端部の治療点のことであろう。そして上記の症候は、『甲乙経』に「腹満嚮嚮然,不便,心下有寒痛,商丘主之」として見える。してみると、経脈説が発想された際の一つの道筋「原穴―五蔵」いう仮説も、少し余裕をもって考えたほうが良いように思う。逆に言うと、所謂原穴には何ほどの価値と蓋然性が有るのかも、若干割り引いて考えたほうが良いのかも知れない。そもそも手の太陰は、馬王堆灸経では、肺の経脈と言うより心の経脈と言ったほうが妥当であるとする意見も有るくらいだから、太淵は肺の原穴と言われて、そうそう素直にうなずくわけにはいかないではないか。 |
>元代の王好古『医家大法』、杜思敬『針経摘英集』はこの句を断じて「是主筋。所生病者」とする。即ち「是主筋」の三字を上に属して読む。(黄龍祥『中国針灸学術史大綱』より) |
久しぶりの読書会で、しかも来月はまたお休みということで、今回は足太陰の脈のところだけ読みました。 |
同学の一人が北京で黄龍祥氏からいただいてきた雑誌の、もう一つの新しい論文を読んでいます。 |
同学の一人が北京で黄龍祥氏の新しい論文が載った雑誌をいただいてきて、それをまた別の同学が翻訳してくれました。それに拠って、これに以前からの黄氏の論考を重ね、さらに愚案をもって敷衍して以下のごとく考えた。 |
許進京というのは2004年7月に『発現経絡』という本と『最新実用診脉法』という本を、中医古籍出版社から出している人らしい。(同時に?)どういう人なのかは、その本を持ってないので分かりません。 |
經絡学説は,古代医家が經と絡を用いて人体の複雑な体系を研究した系統方法論である。あらたに創造され,発展するものであり,固定不変のものではない。經絡は,決して人体内に生成されたものではなく,古代医家が人体の組織構造を概括し,生理病理を解釈し,人と天地自然について総合的に研究するための論理工具の一種である。 |
【九針十二原】 |
昔の名人と患者の対話。 |
蔵府病とは何か。針灸医学においては、原穴、下合穴、本輸穴、背兪穴、募穴などを駆使して対処すべき病症、言い換えれば要するに、ここに苦痛が有るからここに術を施す、というわけにはいかないものの概括。府病は概ね水穀に関わる異常、蔵病はさらにそれ以外の曖昧模糊とした問題の五分類。 |
11月の医古文同好会は、諸般の事情により、中止となりました。 |
最初は痛苦の部位に直接手当したはずである。無論、触れ得ない場合にはその近くに手当てした。だから内部(裏)の問題に体表(表)で対処する。これがやがて背兪穴・募穴となる。 |
原穴、背兪穴、募穴の蔵府病に対する威力は如何に? |
「徹底破壊と再構築の宣言」は、まあ話半分に聞いておいてください。半ばは嗜好の問題です。毒気に当てられても責任は持てません。 |
|
いい加減に格好いい臨床は諦めようと思う。 |
今、島田先生の『素問』講義のテープを起こして、素問講座onNetと銘打ち、やっと「宝命全形論第二十五」まで来たところです。ときどき胡天雄『素問補識』を利用されています。懐かしい名前ですね。もうすっかりそうした人がいたのを忘れかけてました。 |
神麹斎先生 |
所謂「三部九候診」において、下部の「天は以て肝を候い、地は以て腎を候い、人は以て脾胃の気を候う」、中部の「天は以て肺を候い、地は以て胸中の気を候い、人は以て心を候う」と言い、五蔵を候うほかに、「胸中の気」なんぞというものが有るのは何故か。そして何故、それを手陽明で診ると言うのか。 |
『太素』巻14の首篇に、「下部有り、中部有り、上部有り、部に各々三候有り、三候とは、天有り、地有り、人有り」とあって、「下部の天は以て肝を候い、地は以て腎を候い、人は以て脾胃の気を候う」、中部は「天は以て肺を候い、地は以て胸中の気を候い、人は以て心を候う」、上部は「天は以て頭角の気を候い、地は以て口歯の気を候い、人は以て耳目の気を候う」とある。しかし、それをどこで診るかは、篇末に付け足しのように書かれているだけである。そこで窃かに、もともとは候うべき対象に近い体表部の拍動を診たのでは無いかと考えている。後になって知恵者が、中部と下部については、五陰経脈と手の陽明で診ることを思いついたのではないか。 |
またまた、そういう言い方をするから、また読者を減らすんですよ、神麹斎センセイ。 |
霊蘭之室は、私が言いたいことを言い散らすためにやっているのであって、サービスをしているつもりはありません。 |
手陽明之脈 |
陰陽とはそれをどう把握するかであり、補瀉とはそれをどう処理するかである。したがって、様々なレベルの虚実と補瀉が有る。 |
あまりに漠然としたお尋ねの仕方をしてしまいました。 |
「当時の鍼灸ではおそらく補瀉の概念はなかったのではないか」、当時というのがいつのことなのか問題ですが、『霊枢』編纂の目的の一つが「補瀉の運用による針術」だったんじゃないかと思っています。だからそれ以前には、明確に「補瀉が針術の根本」というような意識は無かったろう。どっちみち曖昧な言い方ですがね。ここを暖めるのか、冷やすのか、というような選択の問題は最初から有ったはずですから。 |
新米鍼灸師としては臨床の実際において、先ず経絡図や陰陽五行説ありきという視点では何か本末転倒のような気がして、患者さんを目の前にして隔靴掻痒の思いがありました。 |
ブザーとベルの関係の発見は、特効穴の発見と似たようなものだと思います。 |
神麹斎先生 |
これは黄龍祥氏の論文に触発されて、私が抱いている妄想というようなものですから、そのつもりでお願いします。当然、とんでもない勘違いという可能性も有りますが、少なくとも今の私はこれが妥当だと思っている「お話」ということです。 |
神麹斎先生 |
◎流注:経脈篇の経脈の性格として、全身を栄養するということが有るように思う。そこで経脈は先ず中焦(胃)から始まる。そしてもう一つの性格として陰経脈は蔵に属し府を絡う。そこで大腸に下り肺に上る。ここまでは理論上の必要からの補足。脇に出たところが天府で、臂をめぐって腕関節部の大淵を経て、大指の末端に出る。これが原穴と蔵を結ぶ線、本輸と脇の穴に至る線の統合である。その他に腕後に分かれて次指端に出る支脈を加える。これは次の手の陽明に接続するための方便。ただし、もともと手太陰の脈が大指に達するべきだったのか、次指に達するべきだったのかは分からない。 |
『霊枢』経脈篇の読み方、と言っても今回の読書会(日本内経医学会東海教室=医古文同好会)での、私の試みというだけのことですが、 |
もともとの、『霊枢』の人迎気口診には、人迎で外因を診、気口で内因を診るなどという発想は無かった。それではそれは全くの無からの発明だったのか。そういうわけでも無いらしい。『太素』卷十六の「雑診」中(『素問』では病能論)に、左と右の脉状が異なっている場合についての記載が有るように思う。ちょっと解釈に自信の無いところも有るけれど、要するに右はそれぞれの季節に相応しい脈状を示すが(だから逆に言えば風寒暑湿に応じて平穏な範囲内で変化するが、基本的にはその人の体質を反映している)、左は病に応じた脈状を示すことが有る(病を基本的に外邪に襲われた結果であると考えれば、だから逆に言えば、新たな病気を引き起こすような異常なレベルでの気候の影響は先ず左に現れる)。こうした観察は『内経』の中では発展しなかったようであるが、『脈経』引「脈法讃」などでひょっこり首を擡げる。 |
古代中国の名医といえども、何も無いところから『素問』『霊枢』を紡ぎ出すことはできない。それでは、何を見つけたところから針術は生み出されたのか。 |
……郭店楚簡と上博楚簡の発見は、これまで疑古派や釈古派が組み立ててきた思想史の枠組みを、根底から揺るがした。……先秦の書とする古伝承を疑って、それらを漢代に入ってからの成立だと主張してきた疑古派や釈古派の学説は、今や壮大な屁理屈の山と化しつつある。あの一見緻密そうに見えた論証の、どこに欠陥があったんだろうか。……。(『諸子百家〈再発見〉』岩波書店 2004.08.10) |
○腕踵関節部陰側の顕著な反応点が、体幹内部の診断点であり治療点でありうることを発見する。五陰経と五蔵、足三陽経と六府の関係であり、ここに蔵府の脈が成立する。 |
8月の日本内経医学会東海教室(医古文同好会)は、夏休みということにします。 |
パソでの環境をご指導下さい 投稿者:鈴木 投稿日:2004/06/28(Mon) 23:48 |
『医心方』巻第一「合薬料理法」に『新注』を引いて、半井家本には「但視酒盡,更增一升酒,日〃別〃,添著一升。」とあります。この「日〃別〃」を、沈澍農氏主編の本では「日別日別」としています。 |
読書会関係の資料を久しぶりに見てみたら、いや単純が入力ミスが結構多い。そのうち何とかしますのでご勘弁を。 |
仁和寺本『太素』巻十九「知形志形宜」に、「惡」の字の上部が左右に突き出ておらず、つまりむしろ「凸」の上部のような形になっている字形を見つけました。だから、「亞」をそのような形に書く習慣は有ったようです。ただし、これは「亞」の異体字にそうしたものが有る、ということであって、「囟」の異体字に「亞」という形が有るということには、やはり、ならないと思います。ちなみに仁和寺本『太素』では、惡はほとんど覀の下に心という形に書かれます。どうしてここだけ違う字形なのかも不思議です。(『医心方』に出てくる囟の字形は、「過去の万愚節」の「俗体分化字」のところに載せてあります。) |
霊蘭之室に置いてある電子文献は、日常的に校正をおこなって、その都度、再アップロードしていますが、別に私一人が校正しているわけでは有りません。閲覧者からたびたび指摘が有ります。ちゃんと利用してもらっていることがわかって、とてもうれしいです。もっとも指摘者は大抵いつもおなじみの特定の人物ですが。 |
7月11日(第2日曜日)午後1時から5時 |
『中医古籍用字研究―中医古籍異位字研究』附録「中医古籍異位字釈叢」に挙げられている『医心方』引『病源論』の「亞」も、同じく『外台方』の亞と頁の組み合わせによる文字の「亞」も、『医心方』影印をよく見れば、上部は左右に突き出ておらず、やはりむしろ「凸」の上部のような形になっている。つまり「亞」とは別の字形である。小差を無視して同形異字と言うのには賛成できない。 |
沈澍農『中医古籍用字研究―中医古籍異位字研究』に云う: |
針灸の世界とかかわって以来、親しく日常的に接した島田隆司先生や井上雅文先生、あるいは原塾から日本内経医学会にかけての同学の面々はちょいと脇に置いといて、衝撃を受けた人との出会いは、まずは丸山昌朗、藤木俊郎。それから郭靄春、李今庸、凌耀星、段逸山、銭超塵、黄龍祥。日本では石田秀実。書物を通して江戸の考証学者、多紀元簡、多紀元堅、渋江抽斎、森立之。で、今回の南京の沈澍農が加わってくるか、と言ったところです。 |
私が上海で話したのは、『太素』に関する二つの問題で、いずれも仲間内の研究会では発表済みのものです。一つは楊上善注には音義の齟齬が多いということ、もう一つは通行本には仁和寺本に無い部分が有るという報告です。(『内経』No.126とNo.154) |
『霊枢』における人迎気口診は、腕・踵関節付近の診断兼治療点とその対象とを結ぶ線として最も古い経脈が発想され、上部の治療対象付近(具体的には本輸篇の頚周りの穴など)にも特異点が発見され、それもまた治療兼診断点としての地位を獲得し、ついで下と上の診断点を対照することによる脈診が生まれ、さらに上の診断点は人迎ひとつに集約され、下の診断点は気口ひとつに集約されて、乃ち人迎気口診が誕生した、というような歴史を想定しています。つまり、人迎気口診の本質は経脈の両端をおさえて、その間の状況を判断する方法であったと考えます。 |
上海で開かれた第七届全国中医文化与臨床 第十三届全国医古文 学術研討会における個人的な成果は二つ。 |
難経68難に: |
残念ながら、この質問にはいま簡単に答えるだけの能力が有りません。 |
変な質問かも知れませんが、『素問』や『霊枢』の針の刺し方は、捻針なんでしょうか、推し込みなんでしょうか。九針十二原篇や官針篇には特に捻っているような描写は無いようですが、当たり前だから書かなかった可能性も有りますし、よく分かりません。 |
ちょっと調べてみました。目録からすると若干違うようです。著者として紹介されているのが劉・銭両先生だけというのも前のと違います。 |
医古文基礎(劉振民 銭超塵)が三月に出版された?される?そうです。出版社が人民衛生から復旦大学にかわっていますので、再版と言っていいかどうかわかりません。内容も加筆・訂正などもわかりません。編著者は同じようですので、再版の可能性が高いようですがいかがでしょうか? |
古代中国医学において、陰陽五行説は関係論だったのか。古代の人にとって、実体と関係の区別なんて、それほど有ったんだろうか。それなりに区別は有ったとして、医家なんて種族は、実体論により傾いた人たちだったんではあるまいか。 |
頚と手首の人迎気口診の本質が、経脈の上と下を捉えてその間の状況を探ることだとすると、左右の手首の人迎気口診の本質とは何か。あるいは時間差なのではないか。左は外界の影響をダイレクトに示し、右はその影響の蓄積の結果である。勿論、逆の可能性だって有るが、我々の信奉する方法ではそうだろう。だから、実際には左右の比較は不要なのではないか。浮いているとか沈んでいるとか、大きいとか小さいとかは、本来はその人の正常値に比べてだろう。そうは言っても、平生診ていない人の脈を判断するためには、左右の比較は有効ではある。 |
>陰陽説から言えば、上下は陰陽性格を有する。その陰陽性格を頼りに、左右もまた陰陽であるとやったのは、臨床経験を抽象化、虚構化、普遍化する発展史を逸脱する飛躍であると思う。左右の人迎気口診は内経に無いという批判はそのように読むべきであろう。そして、左右に持ってきた以降の人迎気口診の価値は、その決して短くない歴史において何が経験され、何を蓄積したかに関わってくる。ただ、もともとが危うい出発であったことは認識しておいたほうが良いように思う。 |
内経医学には神秘は無い。疾病にも治療にも健康にも、須く然るべきワケが有る。人がその理を悟り得ないことがまま有るだけのことである。陰陽五行説は、当時の最も進歩的な合理的思考法であった。残念ながら、現代の科学的観点からすれば誤謬もあり不足もある。当然のことである。そして、誤謬は須く正さなければならない。今、陰陽と五行による説明に異を唱えると、事実だからしょうがないだろう、という答が返ってくる。ああ、古代の名医の探求心はどこへ行ってしまったのか。これでは、症状を追いかける凡百の医学と選ぶところが無いではないか。宇宙を如何なるものと考え、身体を如何なるものと考え、疾病を如何なるものと考え、それにどう働きかけることにことによって、そこに如何なることが起こって、健康は回復するのか。本当にそれらの説明は理に叶っているのか。それらのことに何ら思い煩うことなく、この脈の時にはこういう名前の病態で、だからこのツボとこのツボにこう針をすれば治る、事実です、五行の色体表にも叶っている。多少複雑になっただけのことで、悪しき現代医学の行き方と、本質的には同じことではないか。その人は、内経を著した先人達の末裔であるに値しない。 |
経脈説はもともと、下部・手足の末端付近の診断兼治療点と上部・頭頚部あるいは体幹部の病所をつなぐものとして発想された。経脈が想定されれば、当然その流注経路上の病症一般に対する治療効果が期待され工夫される。また三陰三陽の経脈相互の間のバランスを調節すれば、直接的に操作する経脈とは違う経脈の陰陽をも調節できる可能性が有る。 |
この他にもね、『泰素後案』には、文末の也字の後に「靈樞無」と言うことが結構多いんだけど、仁和寺本影印を見てみると、もともとそんな也字なんか、有りゃしないことが多いんです。それはまあ、最初の抄者が間違って付け加えた可能性も有りますがね。
|
『黄帝内経太素九巻経纂録』本蔵篇では、「脾應肉」云々の楊上善注に「麼■也莫可反」としています。■は、要するにユニコードにも流石に無い変な字形です。(乜に余分な点が二つ付く。)ところが仁和寺本の影印(06-31-3)を見ると、「縻薄也莫可反」となっています。それは確かに多少の蠹は有りますが、そんなに悩むほどひどくもない。「縻」のほうは「麼」に見間違えそうですが、経文が頼りになるはずだし、「薄」のほうは、これが判らないんじゃ他の箇所はどうやって判断したのか、というレベルです。 |
5月9日(第2日曜日)午後1時から5時 |
九針十二原から本輸、根結などを経て、終始、経脈に至る道筋というのは、経絡説完成へ向けてのものであるが、また人迎気口診への足跡でもある。つまり、腕関節、踵関節付近の診断兼治療点とその対照とを結ぶ線として、最も古い経脈が発想され、上部の治療対象付近にも、具体的には本輸の頚周りの穴などが発見され、それもまた治療兼診断点としての地位を獲得し、ついで下の診断点と上の診断点を対照することによる脈診が生まれ、さらに上の頚周りの診断点は人迎ひとつに集約され、下の腕関節、踵関節付近の診断点は気口ひとつに集約されて、乃ち人迎気口診が誕生する。つまり、人迎気口診の本質は経脈の両端をおさえて、その間の状況を判断する方法であったと考える。 |
実は、霊蘭之室のデータの大部分を再アップロードしましたが、作成者第一指定フォントを変更しただけですので、目録ページの最終アップロード日は変更しておりません。 |
4月11日(第2日曜日)午後1時から5時 |
私にも慈に見えます。だから電子文書もそのように処理しています。 |
楊上善注は、わたくしには、すくなくとも「息呂反」には見えません。「慈呂反」であると言われれば、納得します。 |
太素巻3調陰陽「偏阻」(03-37-1)の阻字に対する楊上善の反切は、やや難読ではありますが、多紀元堅の『素問参楊』では「慈呂反」、田沢仲舒の『泰素後案』では「息呂反」と判断しています。『素問参楊』に用いられた『太素』は、勿論「小島宝素抄本」です。田沢仲舒は奈須恒徳の実弟で、奈須恒徳による『太素』の抄本が中国中医研究院図書館に現存しているけれど、田沢仲舒自身の抄本が有ったって不思議はない。ただ、いぜれにせよ、「小島宝素抄本」からの再抄でしょう。同じく「小島宝素抄本」に由来しているだろうに、反切の文字が異なるのは何故だろう。 |
大禁二十五,在天府下五寸,(『太素』輸穴 氣穴・『素問』氣穴論) |
3月14日(第2日曜日)午後1時から5時 |
もっと言うならば、日本人は針灸医学を情緒的に捉えすぎているのではないか、それは日本語が情緒的であることと、連動しているのではないか、と言うことです。 |
思考の言語についての雑談は、こちらに引き取ります。 |
『霊枢』九針十二原の「所溜爲滎」に対する『素問講義』の講義は以下のようなものです。 |
ちと高すぎませんか?例の『素問攷注』と『素問講義』のセット、岐阜の某古書店で確か5万円以下だった(最近やっと売れました)と思うし、神保町の某古書店で仁和寺本『太素』や明鈔本『甲乙経』の入った例の全8冊セットが(去年の10月現在)9万5千円でしたよ。『備急千金要方』全3冊なら、2万8千円。 |
148にある『黄帝内経太素九巻経纂録』を収めた、続東洋医学古典注釈選集が、東京・神田神保町の内山書店の古書部で売りに出されていました。セットで157,500円でした。税別。(定価はいくらか存じませんが) |
『太素』の、何度目だったかは忘れましたが、校正を一巡り終了しました。 |
管理者の権限で、酒亭「一角獣の微睡」のほうへ移動させました。 |
実は、この箇所に相当する引用文が、『三因方』巻11 |
『太素』19-22-1は知鍼石ですので、『素問』の宝命全形論に相当します。『素問』については、『黄帝内経太素九巻経纂録』と同様の性質のものとして多紀元堅の『素問参楊』が有ります。注文を対比して見ましたが、異なったところは無いようです。因みに、『泰素後案』は、この部分については新校正との異同を注記しています。 |
『黄帝内経太素九巻経纂録』を持っていません。 |
仁和寺本『太素』巻二十九 気論 三気は影印では: |
「脈法讃」で、「人迎が官を司るとは制御の系統をつかさどるということである、気口が府を司どるとは代謝の系統をつかさどるということである」という話は面白いです。『三因方』の総論脈式では、人迎で六淫を診、気口で七情を診るわけですが、「六淫が制御系統を騒がし、七情が代謝系統を揺るがす」という具合につながっていくわけでしょう。では、後のほうの「陰病は官を治し、陽病は府を治す」との関係はどうなりますか。どちらかと言えば、六淫が陽で、七情が陰だと思うんですが。 |
『脉経』巻第1両手六脈所主五蔵六府陰陽逆順第7の「左主司官、右主司府」はどういう意味なのか、何を調べればいいのか、という質問を受けました。 |
『甲乙経』巻七・陰陽相移發三瘧第五に:{疒皆}瘧神庭及百會主之と有りますね。それにしても他に、{疒皆}瘧上星主之先取譩譆後取天牗風池大杼と{疒皆}瘧取完骨及風池大杼心兪上窌譩譆陰都太淵三間合谷陽池少澤前谷後谿腕骨陽谷俠谿至陰通谷京骨皆主之も有ります。何故でしょうね。原資料が違うんでしょうか。二番目のは、譩譆+上星+天牗・風池・大杼という順序に取る一つの方なんでしょう。とすると神庭及百會も、両方を取る一つの方という可能性は有りませんか。ずらっと羅列したものは、つまり「こういうのどれでもいいよ」ですかね。そこにも「及」は有るけど、まさか全部は取らないよね。だから、神庭及百會だって両方を取る可能性は低いと思うけど。 |
神庭は督脉と足陽明胃の会で、「主……痎瘧」医心方巻2。 |
ありがとうございます。 |
『千金翼方』巻26の326の312ページ下段→『千金翼方』巻26の312ページ下段。 |
『備急千金要方』巻29です。
|
『医心方』巻2で、梁門と太一の間にあります。 |
『甲乙経』に言われている禁針禁灸穴は本当なのか、というのは古くからの疑問ですが、 |
『太素』巻25傷寒・五藏痿 |
次回の医古文同好会は、来年の二月です。 |
官針篇を見ていて今頃気が付いたんですが、九針の用法というのはほとんどが所謂「近道取穴」なんですね。きちんと病所に取ると言うのは、鑱針と員針なんだけど、他も何だかそんな感じです。大膿とか機関の水は、勿論それの在るところに術を施すんだろうし、員利針とか毫針で痺気をどうとかするのも結局そのところで頑張るみたい。長針は九針十二原篇には遠痺を取ると言うから「遠道」みたいだけれど、官針篇では「病の中に在るもの」と言うんだから、結局長い針でそこまで届かせるんでしょう。鍉針と鋒針に「井滎分輸」に取るとか瀉すとか言っているのは、一応「遠道」なんでしょうが、何だか何となくイメージしてたのと違いましたね。特に鋒針が「井滎分輸」なのには虚をつかれた感じです。でもまあ考えてみれば、病が五蔵に固居しているからと言って、五蔵に鋒針(三稜鍼)を刺すわけじゃないわねえ。 |
12月14日(第2日曜日)午後1時から5時、 |
『素問』湯液醪醴論に、「嗜欲無窮而憂患不止」とあり、『太素』知古今では、嗜欲が視欲になっている。 |
『黄帝内経明堂』(楊上善撰)の太淵の条に有るのに、『甲乙』巻7~12に(よく似たものも)見当たらない記載は: |
下の中国科学技術出版社《針灸古典聚珍》の値段、結局2万3900人民元になった。 |
今度の医古文同好会の内容についてですが、 |
全国古籍整理出版規劃領導小組辨公室からの |
画像まで用意して頂き、ありがとうございます。参考になりました。一冊、服飾関係の書籍を取り寄せてみたいと思います。 |
要するに中国古代の服の、前中央の縫い目(合わせ目の場合も?)が衽(袵も同じ)、後中央の縫い目が衣偏に督です。つまり、任・督は前後の中央の線と言うだけのこと、という可能性が有ります。 |
少々、話題からそれてしますのですが…。多紀元簡『醫ショウ』巻中・八脈名義に「任則爲衽之義、其脈行腹中行、猶衣衽之在于腹前也」とあります。この「衽(おくみ)」のイメージがピンとこないので、古代服飾に関しての図版や資料がないかと探しています。どなたか良い資料をご存知でしたらご教唆ください。
|
『靈樞』邪氣藏府病形には「滎輸治外經,合治内府」と有りますが、壽夭剛柔には「病在陰之陰者,刺陰之滎輸;病在陽之陽者,刺陽之合」と有りますし、五亂には「氣在于頭者,取之天柱大杼,不知,取足太陽滎輸」、「氣在于臂足,取之先去血脉,後取其陽明少陽之滎輸」と有ります。何が何だかわけが分かりませんね。 |
11月9日(第2日曜日)午後1時から5時、 |
日本古典文學大系67日本書紀上 五四四ページ。補注:淮南子、天文訓の「清妙之合專易、長濁之凝竭難」による。專は音ダン。集韻に團、周礼作專とある。專と摶は通用。摶は、広韻に度官切。音ダン。まるく集まる意。名義抄にムラカルと訓む。これを搏、音ハクと誤り、アフグと訓をつけた古写本が多い。(日本書紀冒頭の部分「清妙之合摶易、長濁之凝竭難」に対する補注) |
申し訳ない、分かりません。 |
『黄帝内経太素九巻経纂録』終始篇に「形肉血氣、必相稱也、是謂平人」とあり、注文として「形謂骨肉色狀者也、肉謂肌膚及血氣四者也、衰勞减等□□好即爲相稱也、如前五種、皆爲善者、爲平人、」と有ります。ところが仁和寺本の影印を見てみますと、「平人」以下は無くて「是謂」が次の「少氣者」云々に繋がっています。「也是謂」で行が始まってます(影印の14-77-2)から、何行か脱落したというのでもなさそうです。仁和寺本に無い経文や注文が『黄帝内経太素九巻経纂録』に有るのはどうしたことでしょう。 |
前(No.45)に『太素』の楊上善注にも夾雑物が有るんじゃないか、と言っておきましたが、やっぱり有るんじゃないですかね。 |
やっとunicodeのcjk統合漢字の拡張領域Bまでを検索できる、部首/画数による索引が手に入るようになりました。と言っても、アプリケーションの対応と、フォントの普及がすすまなければどうしょうも無いわけですが。 |
電子版『霊枢講義』アップロード 、ありがとうございます。ご苦労様です。 |
電子版の『霊枢講義』をアップロードしました。 |
9月は会場確保難を口実に、岐阜市歴史博物館で開催中の上海博物院展を見学して、偉大な中国古代文明に接し、その後、奥美濃の山中を走破(車でだよ、勿論)して、森林の気を吸収し、大和村杉が瀬の梁を訪れて、天然の鮎を賞味した。 |
活字本『霊枢講義』p.1042○風從其所居之郷來云々の条に関する校勘部分はデタラメです。 |
『太素』「其胳循陰器合簊間繞簊後」の楊上善注に、「簊音督」とあるところから、『内経』No.126に、簊は篤の誤りではないかと言っておきましたが、面白い資料に気付きました。 |
果の下に衣を書く字が有って、しばしば誤って褁(裹の亠が無い)と入力されるけれど、これはどうも別字みたい。 |
山田業広抄本『霊枢講義』を見ますと、問題の自筆本で綴じ目近くに書かれた按語は、天頭に在り、そこでは善按を業広按と訂正しています。とすると、楊上善と馬蒔の説に渋江抽斎が反対し、山田業広は逆にさらに反論したことになります。めでたく解決と言いたいところですが、自筆本の善按云々は、私の目には抽斎の筆跡のように見えます。謎はさらに深まるという感じです。 |
胃中熱則消穀、令人懸心善飢、● 臍以上皮熱、● 腸中熱、則出黄如糜、●【善按楊氏馬氏以臍以上皮熱五字屬上文、誤、】臍以下皮寒、● 胃中寒、則腹脹、腸中寒、則腸鳴飧泄、●【善按楊氏馬氏以臍以下皮寒五字屬上文、非是、】胃中寒、腸中熱、則脹而且泄、● 胃中熱、腸中寒、則疾飢、小腹痛脹、● (●はそこに何らかの注が入るということを示す。渋江抽斎の按語は【 】に入れた。) |
30-9 問於歧伯曰:の後の諸注は歧伯の後に入るべきである。 |
9月の第2日曜は14日で、つまり老人の日の前日で、その準備のためにいつもの会場(岐阜市南部コミュニティーセンター)を借りることができません。 |
p291 |
『備急千金要方』巻9-1傷寒例に「華佗曰……精彩言語不與人相主當者」とあります。また宋本『外臺祕要方』卷1諸論傷寒八家合一十六首に「華佗曰……精采言語與人不相主當者」とあります。程衍道本『外臺祕要方』は未調査。 |
p204の2行目下の方 |
抽斎の稿本では: |
p202○凡刺之道云々の下の諸注、楊上善、馬蒔、張介賓、張志聡、桂山先生の順にしているけど、底本ではそれぞれの頭にわざわざ漢数字をふって、楊上善、張志聡、馬蒔、張介賓、桂山先生の順を指定しているんだよね。ちょっと気になる。 |
[103]に関連して、お尋ねします。 |
p197○肝悲哀動中則傷魂,魂傷則狂忘不精,不精則不正,當人陰縮而攣筋,兩脅骨不舉,毛悴色夭,死于秋。 |
『霊枢講義』を電子化するに際し、学苑出版社版の基準に従うとして、ユニコードCJK統合漢字の拡張領域Aまででは不足する字形は、おそらくは42字です。拡張領域Bを使用してもなお不足するのは、おそらくは11字で、そのうちの2~3字くらいは、そもそも文字学的に統合してかまわないんじゃないか、というものが含まれています。こんなの有るの?と、こんなの無いの!が交錯しています。例えば、氵に豕は有る。桂山先生は、「按ずるに、……字書に無考」と言ってるんですがね。艹冠に補は見つからない。 |
p001○昔皇帝作内經十八巻, |
『資治通鑑』に「以上疾新愈固諫」とあるなら、まず間違いないでしょうね。この上は『資治通鑑長編』ですかね。 |
『資治通鑑』巻198「二十一年、春正月、開府儀同三司申文獻公高士廉、疾篤。……壬辰、薨。上將往哭之。房玄齢以上疾新愈固諫」(孫引きであります) |
全然違ってましたね。でも太宗の病が癒えたばかりだったというのは、何にありました。 |
常識的にいって、病気のために薬を服用して療養している場合は、外に出かけないで、安静にいているのがよいのだと思います。 |
小学館の新選漢和辞典、書店で「抗疏」「抗表」を探してみました。両方ともなし。 |
いやあ、霊蘭大学院の入試は厳しいですね。霊蘭之室のほうは全然そんなことは無いですから……。 |
房玄齢は、太宗が薬石を餌していたので、喪に臨するのはよしたほうがよいと、上奏したのですが、ではなぜ薬石を服用していると、告別式に出席するのはよくないのでしょうか。 |
その2があるかどうか、わかりませんが…… |
医古文同好会、8月も一応やります。 |
孔子だけでなく仏菩薩もノタマフのであれば、我らが黄帝だってノタマっていいわけだけど、そういう例って有るのかしら。やっぱり日本では道教の勢力は弱い? |
ノタマハク(曰) |
なるほど、ノタウマク、ノタマハクのノは、ノイハクのノとは違って格助詞ではないんですね。もうそのあたりからして別格ということですか。(ノ給ハク……ということは無い?) |
以下、たぶんに孫引き |
訂正します。本当は次のようでした。 |
やっぱり、「孔先生が言った」で良いと思うんです。尊敬されるかどうかは、その言っている内容次第ということで……。たしか「光有れと言った、すると光が有った」じゃなかったかしら。 |
孔先生がおっしゃられた |
『医古文の知識』に対する書評を読んで、中国語原文に対する処理法を、自分なりに定めました。 |
またうっかりしました。 |
私自身に迷いが有るので(有ったので)よく分からない書き込みになって申し訳ない。 |
「孔子曰」は、「孔子がいった」ではナゼいけないのだろう。 |
下の「古代漢語からの現代日本語による逐語訳を目指す」は、いささか勢い余ってであって、実際には「古代漢語からの日本語文言文による逐語訳を目指す」(ポーズをとる)です。 |
東方書店の『東方』だったか、内山書店の『中国図書』だったかに、どこかの大学の先生が、古代漢語を引用するときは、訓読体が一番いいというような主旨のことを書いていました。たぶん、今年。古代漢語の翻訳は、現代語ではないのだから、日本語もそれに対応した古文でなされるのがふさわしい、という訳です。簡潔であり、漢語で表記された漢字がそのまま使われるわけですから。 |
ノタウマク、ノイハク、ガイハクの間に、尊敬と軽侮の差が有るということは、古代日本語においてなるほどそうかも知れぬが、古代漢語を読むに際しては余計なお世話だと思う。原文にはそのような区別は無いのであるから、一律にノイハクで沢山である。それもガイハクでは軽蔑する気持ちが表される、という古語辞典の知識に敬意をはらうからである。孔子ノタウマク、顏淵ノイハク、凡人ガイハクなどと区別するのが、漢文和訓の常識、くされ儒者の習慣であるとするならば、そのようなものは唾棄して、古代漢語からの現代日本語による逐語訳を目指す。 |
歴代ノ語皆ノタウマクトヨミナラハセリ。ノタマハクトヨマズ 賢人ニハ、イハクトヨム。是聖賢ノ別ナリ、但顔淵ノ曰 曾子ノ曰 有子ノ曰 子路ノ曰 子貢ノ曰之類、皆ノノ字ヲ付ヘシ 凡人ノコトクニ 某(ソレ)カイハクト稱シテイヤシメアナドルヘカラズ 此外ニモ高第ノ弟子ハ、ノノ字ヲ付テヨムヘシ、ガトハヨムヘカラズ、殊に顔曾ナト大賢ヲアナドリテ、ガトヨム事大ナルアヤマリ也 |
ひょっとすると「丸山先生の」という私の記憶のほうが間違いかも知れません。いずれにしても最初は島田先生の声で耳に入ってます。勿論、その後、『鍼灸医学源流考Ⅱ』も読んでますが、我ながらあんまり記憶力が良いほうではない……。 |
ご指摘ありがとうございます。 |
是故平旦隂盡、陽氣出於目、目張則氣上行於頭、循項下足太陽、循背下至小指之端、其散者、別於目銳眥、下手太陽、下至手小指之閒外側、其散者、別於目銳眥、下足少陽、注小指次指之閒、以上循手少陽之分側、下至小指之閒、別者、以上至耳前、合於頷脉、注足陽明、以下行至跗上、入五指之閒、其散者、從耳下、下手陽明、入大指之閒、入掌中、其至於足也、入足心、出内踝、下(『霊枢講義』引樓英曰、下當作上、)行隂分、復合於目故為一周、(『霊枢』衛氣行第七十六、『霊枢講義』では22-02a ) |
はじめて書き込みをさせて頂きます。 |
次回の医古文同好会は: |
みどりさんから、以下のご指摘をいただきました。 |
『太素』16-07-4 「夫虚實者、皆從其物類終始、五藏骨肉滑利、可以長久」の楊注 |
『甲乙經』巻12寒氣客於厭發瘖不能言第二: |
鍉針者鋒如黍粟之鋭主按脉勿陷以致其氣 |
『太素』巻21九針所生(『霊枢』では官針): |
次回の医古文同好会は: |
昔の人は現物を前にしてその形態を描写したはずなのに、現代の我々はその記述から現物を明確にイメージできない。古典を読むというのは、難しい。 |
『医心方』巻二の「孔穴主治法」が『明堂』の抄録であるという説を小耳にはさんで、一寸だけ見てみたけど、いやおもしろいね。 |
『甲乙経』はツボに関する最も古いまとまった文献であり、最も重要なものであるには違いないけれど、勿論、これにも先行する資料が有るわけで、しかも『甲乙経』の段階でも編集面で未整理な記述がチラホラと。 |
華夏出版社の『医心方』巻第二の孔穴主治第一に、「五处二穴,在督脉旁,去上星一寸五分。刺入三分,留七呼,灸三壮。此以泻诸阳气热,衂,善嚏,风头痛,汗出,寒热,癃,脊强反折,头重。」とあって、癃について、『甲乙経』巻七と『外台』巻三十九はいずれも「痉」に作っており、そのほうが意味的に優れていると注している。結論としてはそれで良いのだけれど、注釈としてはやや少し不足していると思う。つまり底本にしたはずの半井家本『医心方』では、癃は阝の無い字形を用いており、痙には痉に近い字形を用いている。だから、字形の酷似によって見間違え書き誤ったのである。 |
暑い広州・香港で発生して猛威をふるい、寒い北京・太原へ飛び火し、そのわりには中間の上海は比較的平静(これも疑わしいけれど、一応信用するとして)なのは何故か? |
虚は、日常的な意味としては「むなしい」である。だから名詞としてなら「あな」とか「すきま」と考えられる。ところが、『説文』では実は「大きな丘」である。(今はこの義には墟を当てる。)そこで、巨虚上廉は恐らく巨大な丘の上縁であろう。 |
(一)『霊枢』中には原気、営気、衛気の三大脈系が有る |
……歴代の経絡腧穴を研究した先賢にはもとより少なからぬ成就が有り、貢献を生んでいるのではあるが、経絡学説のある種の核心的な問題、例えば経気の主要な内容は、つまるところ原気が主であるか、それとも営気が主であるのか?十二経脈の走向、経穴の排列は、つまるところ『霊枢・本輸』における全き向心方向を宗とすべきなのか、それともやはり『霊枢・経脈』の半ばが向心であるのを宗とすべきなのか?五輸穴はつまるところ原気の発するところなのか、それともやはり営気の発するところなのか?十二経脈、十五絡脈と経気の関係はいかなるものか?十二原気はどうして四関に出るのか?さらには張景岳が提出した「経に長短有り、穴に多寡有り、いずくんぞ時を按じて能く分配せんや」など。……(向之中原作 李鼎重訂『針灸経穴与原気』1994年 中国中医薬出版社 詹永康序より) |
『甲乙経』に見える『明堂』由来の鍼灸方の大部分は単穴方であり、また特効穴的なものであると思う。無論、ここに鍼灸を施してかしこに治効を生ずるからには、間を取り持つ蔵府・経絡が必要であるには違いないが、いずれが卵であるか鶏であるか、は難しいところだろう。 |
霊蘭之室の所蔵電子文献に、どうして『難経』が無いんだ、という声がありますが、別に毛嫌いしているわけではありません。 |
蕭延平本『太素』というのは、偉大な作業であったのは間違いないけれど、しょうもない誤りもやっぱり有るわけで、例えば: |
九針十二原「正指直刺、無針左右、」に対して、『霊枢講義』は、『素問』鍼解篇「義無邪下者、欲端以正也、」の王冰注「正指直刺、鍼無左右、」を引いています。 |
経脈を連環させたのが、『霊枢』の経脈篇の功罪であると言ったって、営衛の行は上下に相い貫くこと環の端無きが如し、とか言うのがみんな経脈篇成立以後だと言うわけでは無いですよ。第一、そういう発想が芽生えてなければ、それまでばらばらだった経脈を無理矢理くっつけて循環させようするわけも無い。 |
次回は5月11日(第2日曜)午後1時から5時 |
最近はさまざまな大学や図書館のホームページでさまざまな資料が公開されていて圧倒されます。それに引き比べて我が霊蘭之室のなんとこころのせまいことよとは思わないでもないけれど、あちらは公的な予算が出てのことでこちらの個人的な努力とはわけがちがうというのはさておき、こちらだって閲覧・使用の申し出を断ったことは有りません。これからも断ることは無いと思います。ただし、どうしておまえのところは面倒くさいんだ、なんてことを言われたらわかりませんよ。ただし、俺のところは手続き無しで閲覧・使用させているのに、と言われたら、それもまた別です、すみません。 |
大陸版の黄龍祥『中国鍼灸学術史大綱』では: |
前に推奨した黄龍祥『中国鍼灸学術史大綱』には、台湾から出ている繁体字・増修版というのが有ります。勿論、大陸のものよりかなり高価です。でも繁体字・増修版ですから、わざわざ取り寄せました。 |
実のところ、「特に『難経』に詳しいワケでも奇経を研究しているワケでもないですから」ということで、一応お断りはしたんです。それでも、と言うことで無理矢理書きました。 |
むかし、『素問』の王冰注に後世の夾雑物が有るんじゃないかと言って、あきれられたか顰蹙をかったか。で、『太素』の楊上善注もね……。 |
受也というのはいくらも有るようですね。ただし、何を受けるのか前文からはっきり分かっているようです。例えば: |
結論としては之を也の草書と誤認したことから始まったんでしょうね。あるいは之也の之を落としたのかも。 |
「傷風上先受」と「傷濕下先受」は、対になっていますから、「之」と「也」をどちらかに統一したいという気持ちは、十分にわかります。
|
最近の漢和辞典には品詞を明記するものが増えたみたいなんだけど、賓語(目的語)を必要とするものかどうかは、書くわけにはいかない性質のものなんでしょうか。 |
小学館の『新選 漢和辞典』は、(たぶん、最新版から)「介詞」という品詞を用いています。その「介詞」を「介」のところで見ると「介詞句」をつくる、という説明があって、はぐらかされちゃうんですが……
|
『太素』巻6蔵府気液 |
次回は4月13日(第2日曜) |
ネットスケープでも、この掲示板のユニコードCJK統合漢字拡張Aは、表示できるようです。ただ、どうやったらできるようになったのか、だらしないけどわからない。したがって、Operaでの設定も先に説明したようなことではないかも知れない。 |
この掲示板に、ユニコードCJK統合漢字拡張Aを表示することが可能であると判明しました。 |
色でなく邑である可能性は高いと思います。 |
16-70-1:悁・居玄反、色忿之也」 |
官針篇の |
黄龍祥氏曰く: |
『霊枢』九針十二原に、「大要曰:徐而疾則實,疾而徐則虚。」云々とあって、『霊枢』小針解と『素問』鍼解に異なった解釈が有る。どちらの解釈が九針十二原の経文の原意に適っているかが屡々議論されるようだけど、それはおかしいのかも知れない。古経の「大要」篇に対して、小針解と鍼解が有って、それとは別に九針十二原としての解釈が有る、ということではないか。 |
『太素』巻十五・色脈診の楊注に「言失知色脈無知損益也」と言い、袁本も蕭本も無を不に作っています。底本の無の左にも、小さく不の字が添えられているように見えますから、抄者も疑問を持ったようです。無知の後に賓語を伴うのが変なのでしょうか。確かに『太素』の経注には、他に例は見当たらないようです。しかし、古籍中を見渡せば、別にそれほど珍しいとも思えません。例えば、『抱朴子』にも「世有了無知道術方伎,而平安壽考者,何也?」と有ります。何がいけないのでしょうか。 |
林克先生の「也之」の「之」はカギカッコであるという説、おそらくは正解なんだろうけど……。 |
江藤史郎氏からの校正案 |
『霊枢』九針十二原に「長針者鋒利身薄」とあり、『太素』九鍼所象では「長鍼者鋒利身慱」に作ります。『霊枢』では長鍼の身は薄いと言っているようです。仁和寺本『太素』の字形は忄に専です。影印で見る限りでは右肩に一点は有りません。慱は『漢語大字典』によれば、團の意味で使われることが有ります。してみると、『太素』では長鍼の断面は円と言っているようです。ただ、楊注の「音團」の方には、右肩の一点が有るようにも見えます。有れば「音圑」の可能性も有るわけで、ひいては「身愽」の可能性も出てきます。しかし、少なくとも現代人の感覚から言えば、音釈にわざわざ圃の俗字を用いるのは不可解です。 |
これは参考になるかどうか……。 |
林克先生曰く:『太素』「也之」の「之」は、カギカッコである。敦煌出土の巻子には、「乙」、「し」、「也」の草書体のような記号が使われている。それが漢字化して、「之」字となった。 |
『素問参楊』四気調神大論「逆之則傷肝(至)奉長者少」の下に、「肝氣在春、故晩卧形晩起逸、體急形、煞奪罸者、皆逆少陽也、」云々とあって、「故晩卧形晩起逸」の傍らに「此一句難讀」と記す。 |
大要に、徐にして疾なるときは実すと言い、補は随であって、随という意味は「これを忘れるが若く、行くが若く悔いるが若く、蚊虻の止まるが若く、留まるが若く還るが若く、去るは弦絶の如く」と言うからには、「針の出入の速度」であるに違いない。 |
遲速は、その来るをば迎える可からず(逆と迎は同じ)、その往くをば追う可からずであるところからすると、これはやはりタイミングの問題であると思う。 |
『霊枢』九針十二原の迎随の補瀉が、速刺除抜と除刺速抜であることは、かつての原塾・霊枢講座の井上先生の見解からも、最近の『中国鍼灸学術史大綱』の黄龍祥による解説からも、もう確実ですよね。その効果を保全するために開闔は加味するわけだけど。その他のゴチャゴチャは、後人の工夫である可能性はともかくとして、少なくとも『内経』の迎随の補瀉ではないでしょうね。 |
『太素』巻三・陰陽雑説に「二陽俱搏募病温死不治不過十日死」とあり、楊上善注に「陽明之氣皆聚則陽明募病」とあり「有本爲募也」(03-72)とありますが、経文も楊注も校異も同じ「募」では意味をなしません。そこで森立之は「有本爲募也之募,恐暮字之誤」と言いますが、その理由は明言していません。これはつまり、上文中の夜半、夕時、平旦、晝に倣って暮に改める、ということだと思います。蕭延平が勝手に「幕」に改めるのよりも、我等が森立之ははるかに優れています。なお、従って郭靄春『黄帝内経素問校注語訳』がその少し前の「盡」を「疼」に改めるべきと言うのも笑止の沙汰です。これは『太素』に従って「晝」にすべきです。ただ、森立之もそれを言ってない(?)ようなのは不審。 |
『霊枢』九針十二原の |
漢字の構造を話すときには、いつも許慎の六書のことが出てくるわけですが、実はその前に単体字と合体字ということを、考えておくと良いと思います。 |
黄龍祥氏の『中国鍼灸学術史大綱』刺灸法部に「迎随」についての考察が載っています。 |
『太素』巻3陰陽大論に、「(陽之汗,以天地雨名之,)氣以天地之風。」の楊上善注に「前明人汗,以天地之雨爲名;則人之氣,以天地之風名也。」(東洋医学善本叢書影印仁和寺本03-23)とあるが、「以天地之風名」には語法的に問題が有るのでは?上の雨の例と同様に「以天地之風為名」とするか、あるいはいっそ「以天地之風名之」とすべきではないか。 |
電子文献は日常的に校正していますが、その度に案内することはなかなか難しいので、所蔵一覧のページに最終アップロード日を小さく書き込みます。最近は『太素』の再アップロードが度々有りました。 |
『難経校注』(凌耀星主編)七十二難・按語 |
> 俗字は、点を打つのは好きですね。 |
「臨床書なんて読んでも仕様が無い」と書きましたが、ひるがえって逆に言えば臨床に基づかない経典なんてものは、もっとしょうもないわけで……。 |
医古文の話は、最初が工具書、次いで漢字、今度は版本とかなり変則的にやってますが、逆に言えば、どこから聞き始めても大丈夫ですし、どうせ一度では分かりません。 |
掛は挂と同じ(『太素』は挂に作る)で、『説文』にはもともと「挂,画也」と有りました。つまり区画するで、そこから阻碍するという意味も出てくる。「間不容髪」と言いたいところを「不可掛以髮」と言っても、何ら不都合は無いのかも知れない。(この髪は乘黄氏の言うような用法。) |
少々強引ですが、髮という字には長さの単位としての意味(一寸の百分の一)を持ち合わせているようです。 |
臨床書なんて読んでも仕様が無い、けれども、考えてみれば『素問』『霊枢』だってもともと臨床書だったろうし、著者のレベルはより高いと言ったところで、伝承の誤りを生ずる機会だってより多いだろう。 |
漢字の問題で悩ましいのは、この字とこの字は同じなのか、やっぱり違うのか……。 |
> 陽経の原穴は「本輸」に出ています。 |
知機之道者不可掛以髪不知機道叩之不発 |
次回は 2月9日(日)午前10時半ころから(今後はおおむね第2日曜) |
九針十二原の原穴は、陰経の原穴ではなくて、五蔵(と膏・肓)の原穴です。 |
以下は廃止した掲示板に在った書き込みです。こちらに保存しておきます。 |
どれが古いとか新しいとか、そう簡単には言えない、と一応ことわったつもりですが、若干、誤解されかねない言い回しだったかと反省して: |
九針十二原の序段は、まあ挨拶みたいなものだから、本当は大したことは無いんだと思うけれど、表題の句は、微鍼を以てこういうことをしたいという表明だから、割合意味が有るのかなと。 |
医古文を勉強したいという人のための研究会もとい同好会を始めました。 |