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お 茶 の 時 間

308:[ 4月の読書会の案内 と 厥って何なんだ!? ]

3月の読書会では『霊枢』の厥病篇を読んだんですが、偶然にも島田先生の『素問』ネットの公開も厥論だったんです。

それにしても厥って何なんでしょうね。分かったような分からないような。
厥という字自体がはっきりしません。白川静さんは厂と欠を取り除いた屰は彫刻刀のような刃物だと言うんですがね。でも、逆から辶を除いた屰は大(人のかたち)の倒立だと言うんです。どちらか間違ってませんか。
それに学習漢和辞典にも「卒倒」とか「手足の冷え」とか、載っているようですが、その他に載っている意味とはあんまり関連が無いような気がします。ひょっとすると中医学に使われる厥と『説文』に「石を発掘する」という厥は別の字じゃないかしら。
で、中医の厥は「逆である」という単純素朴な説が正解なのかも知れない。経脈が厥・逆すると、つまり変動を起こすと、診断点に異変が見え、その点を治療点として適切に処置してやれば、経脈の変動はおさまる。
だから、足に冷えが走ったり熱が走ったりということも有るだろうし、視点を変えれば要するに躯幹部に起こった変動の四肢への波及であり、だから是動病であるとも言える、かも知れない。

4月の読書会は4月9日(日曜)午後1時から5時、場所は岐阜市南部コミュニティーセンター。地図は読書会案内のページの「岐阜市南部コミュニティーセンター」をクリックすると出現します。
銭超塵教授の『黄帝内経太素新校正』の凡例の予想と、『霊枢』は病本と雑病を予定しています。

【Re】投稿者 : 神麹斎 日時 : 2006/3/16
蹶(つまずく)に通じる厥と、劂(彫刻刀)に通じる厥は、もともと別の字だったんじゃなかろうか。

神麹斎 03/14

307:[ 代脈は待脈? ]

《太素》巻十二・營衛氣別(『靈樞』營衛生會篇)に「老者之氣血衰,肌肉枯,氣道濇,五藏之氣相薄,其營氣衰小而衛氣内,故晝不精,夜不得瞑。」とあり、楊上善注に「代,蹇息也」と言う。蹇は行動が鈍いさま、息は停止する、あるいは滅びる。そして、『廣雅』釋詁二「㱖,待也」の王念孫疏證補正に「代與待亦聲近而義同」と言う。
あるいはこれと代脈の「代」と、関係が有るのでは無いか。

神麹斎 03/01

306:[ 針灸経脈漆木人型 ]

馬継興先生の『出土芒佚古医籍研究』というのを見つけて、取り寄せてみました。
中に双包山漢墓出土の針灸経脈漆木人型についての論文が有ります。
手の三陰三陽と足の三陽と督脈の十脈なんですね。つまり足の三陰を缺いている。
その理由について、馬継興先生は「どうして足三陰の脈を缺くのか、今のところ正確な回答を下す術がない」と慎重ですが、可能性の一つとして、下肢の前面の大部分は陽明が占め、外側面は少陽が占め、後面は太陽が占めて、余すところは内側面だけで狭いからではないかとおっしゃってます。
つらつら考えるに、手を表裏の有る笏のようなものだとすると、足は円筒状のバットのようなものである。もともとそこには表裏は無くて、前と横と後である。足太陽の支配領域の肌理は、手でいえば完全に陰側のものであるから、つまり後と前は、内側では間に横を置かずにつながっているとも言える。内側面というのは存在しないことになりかねない。足の三陰の居場所も無くなる。
そこでもう一つ飛躍させると、この経脈はむしろ経筋系のものではなかろうか。つまり手足の三陽で全身を覆いうるけれども、背中は広いから真ん中に一本通し、手は平べったいから全部を陽とは言い難い。そこで表裏をそれぞれ三分した。いくつかの支脈の書き入れは有るが、体内に入り込むものは無いらしい。まあ、書きようが無いとも言えそうだが。

【Re】投稿者 : 神麹斎 日時 : 2006/2/20
『霊枢』本輸篇の頚周りと腋に至る脈が、手足の三陽と手の太陰と少陰なんですね。つまり、足の三陰は有りません。これも何か関係が有るのかも知れない。

【Re】投稿者 : 神麹斎 日時 : 2006/3/3
おそらく足の三陰は、下肢でも深部を循行するのだろうと思う。だから、現代の経絡学の教科書のように、無理矢理図にすると、表面に投影した線を書き込むと、交叉する箇所ができてしまう。そういうことをしないで、深部のものは深部のものであって、表面には書きようがないと素直に考えれば、この木人のようになる。

【Re】投稿者 : 神麹斎 日時 : 2006/3/4
任脈もまた深部を行く。
結局、表層を循行するは手足の三陽と手の三陰と督脈である。
表層を行くものを木人の表面に書き込む。
何の不思議も無い。
また、別に特殊な経絡説でも無い。

【翻訳実験】投稿者 : 管理人 日時 : 2006/3/9
 從雙包山漢墓出土的針灸經脈漆木人型,有手的三陰三陽、足的三陽和督脈,共計有十脈。總之沒有足的三陰和任脈。因為足的三陰和任脈是深部循行的。人型的作者,在人型表面寫入了只做表面循行的經脈。做深部循行的經脈,不被寫入。因此,被寫入了的經脈僅僅是10條。並不是把特殊的學說作為根據,所以經脈的數成為了10條。

上はJ北京V5で機械的に日中翻訳を試みたものです。日本語の難度についての工夫はしましたが、翻訳の精度には何の保証も有りません。
こんなもので使い物になりますかしら。

神麹斎 02/17

305:[ 3月の読書会 ]

3月の読書会は,3月12日(日)午後1時から,いつものところで。
『霊枢』は厥病篇の予定です。
その他に、『太素』の周辺を逍遥していようかな、と。

神麹斎 02/13

304:[ 熱病 ]

《太素》巻二十五 熱病説
偏枯,身偏不用而痛,言不變,知不亂,病在分腠之間,臥針取之,益其不足,損其有餘,乃可復也。
痱為病也,身無痛者,四支不收,知亂不甚,其言微知,可治;甚則不能言,不可治也。
病先起於陽,後入於陰者,先取其陽,後取其陰,浮而取之。

「病先起於陽,後入於陰」とは、つまり先ず外界の気象によって傷なわれる。逆の「先起於陰,後入於陽」の記載が無いことにも、当たり前だけど注意すべきかも知れない。
また、あるいは寿夭剛柔篇の「病在陽者命曰風,病在陰者命曰痺,陰陽倶病曰風痺」とか「病有形而不痛者,陽之類也;無形而痛者,陰之類也」とも関係が有りはしないか。偏枯は風であり、痱は痺である。病の陰の類を解決して、陽の類と言えるところまでもってきて、取る。

まだ単なる思いつきでうまくまとめられないが、とりあえず。

【RE】投稿者 : 神麹斎 日時 : 2006/1/25
偏枯の身不用は陰だけれども、痛は陽であって、陰陽半ばしている。痱は無痛も陰、四肢不用も陰だが、その「知亂不甚,其言微知」の段階にはまだ陽的な部分も残っている。それが「不能言」となったら、これはもうどうにもならない陰の状態である。
とは言うものの、これはやっぱり陽から起こって陰に入った病であるから、先ず陽の問題としてアプローチして、しかる後に陰の問題にとりかかる。陰の問題を何とか陽の問題まで浮かべてきて解決する。

やっぱり上手く言えないけれど、「偏枯」と「痱」は対で、だけど「臥針取之」と「浮而取之」は対じゃないというのは、たぶん正しいと思う。

神麹斎 01/24

303:[ 2月の読書会 ]

2月の読書会は12日(第2日曜日)の午後1時からいつものところで。
『霊枢』は熱病篇の途中から。

今年の心づもりとして、『霊枢』と併行して銭超塵教授主編『黄帝内経太素新校正』を丁寧に読んでみようと考えています。と言ってもその本の出版予定が本年の上半期ということですので、それまでの間は銭教授『黄帝内経太素研究』を主たる参考書として予習をしていようかなと。

神麹斎01/23 07:59

302:[ 私用領域を私用に使う ]

MingLiU version3.21もHAN NOM Aも、私用領域に随分沢山の文字を容れてます。だから、自分なりに私用領域を利用するつもりの人は、EEC0あたり以降に作らないと拙い。はて、あとどれくらい作れるんだろう。たぶん、MingLiUには香港の文字、HAN NOMには字喃が入っているんだろうと思うけど、どちらもかなりのものが拡張領域AやBには含まれているんじゃないかしら。

神麹斎01/18 18:46

301:[ テスト ]

今,実験してみましたが,HTML文書を書くときにフォントをMingLiUもしくはHAN NOM Aとだけ指定して,OperaもしくはMozila Firefoxで見てみると,拡張領域に有る文字はMingLiU-ExtBもしくはHAN NOM Bを融通して表示してくれているようです。つまり,何も心配いりません。ただし,IEではやっぱりダメです。
それと私が使ったエディターでは、文書作成中に問題の文字がきちんと表示されてないので、いささか不便(不安)でした。これにもまた何か方法が有りそうですが。

唐辺睦01/18 13:12

300:[ 拡張領域AとB ]

今頃になって気が付いたんですが、ユニコードCJK統合漢字拡張領域Bを含んだフリーのフォントがいくつか提供されているんですね、HAN NOM BとかMingLiU-ExtBとか。
この二つのフォントはSimsun(Founder Extended)より良いかも知れない。つまり虫食いだったところも全部埋まっているようです。だから仁和寺本『太素』の目に芒の字も表示できます。ただ、困ったことも有って、何故だか拡張領域Aを含むフォントとBを含むフォントの二本立てのようなんです。つまりアプリケーションで使用フォントをHAN NOM Bに指定すると、CJK統合漢字の非拡張領域が期待したようには見えないんです。
で、質問なんですが、この二本立てのフォントを統合するか、もしくは互いに融通しあって表示させるような設定とかは無いもんでしょうか。

神麹斎 01/18 09:07

299:[ そう考える ]

古代漢語の知識を豊富にして、正確に経文を読むのは、必要不可欠なことには違いないけれど、それだけですむわけのものじゃない。そもそも古代医学の諸説は、「そうである」ではなくて、「そう考える」ということでしょう。だから、「論者は何を考えたのか」、「筆者はどう書いたつもりなのか」とともに、「どうしてそんなことを考える必要が有ったのか」、「どうしてそんなことを思いつけたのか」が重要になるだろうと思う。

神麹斎 01/08 09:32

298:[ 1月の読書会 ]

1月の読書会は、1月22日の日曜日にいつもの時間と場所でやるつもりです。ただし、当日は何か大がかりな催しが有るらしくて会場の駐車場が確保できません。なんとか算段してください。すみません。

なにせ、年末年始はいろいろ面倒ごとが多くて思うにまかせません。

神麹斎 01/06 21:22

297:[ 脩と循 ]

仁和寺本『黄帝内経太素』の脩と循が紛らわしいことが話題になっていたと思います。「太素を読む会」の掲示板が停止中なのでこちらに書きます。
この二字の違いは、唐代の碑の拓本でみると:
亻か彳か、ただし脩にも彳に従うものが有る。
右上が権の右上のようになっている(4画)か、夭の末筆を欠くような形になっている(3画)か。
右下が月か目か、ただし仁和寺本の抄者のハネがきついので月が目に見えることが多い。
ということで、仁和寺本『黄帝内経太素』に書かれている文字は、ほとんどの場合は脩です。ただし、意味からは循であるべきことも多いので、書き誤っていることも多そうです。ですから、仁和寺本『黄帝内経太素』の脩と循は、やっぱり紛らわしい。

書法初心者 12/30 09:19

296:[ 12月の読書会は中止 ]

岐阜はまた大雪です。月曜の朝の降雪量は超えて、しかもまだ降り続いてます。
で、火曜の夜あたりに車を動かした人の体験として、北側の日陰の駐車場で雪かきが不十分なところは大変なことになっていたらしい。
このまま降り続くと、日曜の昼の読書会会場は雪に埋もれていると思います。整備されているという望みは薄そうです。勿論、会場までの道路事情、帰りの交通機関にも若干の不安が有ります。
そこで、12月25日の読書会は中止にしたいと思います。

1月の第2日曜は、年明け直後であわただしいし、第3日曜には内経の研究発表が有ります。現在、1月の第4日曜、22日ではどうかを検討しています。決まりましたらまた連絡します。

神麹斎 12/23 12:02

295:[ 不盛不虚,以経取之 ]

経絡治療派の方法を解析し発展させた、ある高名な臨床グループのマニュアルによれば、脈が沈んでいれば兪穴、浮いていれば合穴を取る。言い換えれば、腕踵関節の穴には脈状を陽に導く力が有り、肘膝関節の穴には脈状を陰に導く力が有ることが期待できる。してみれば、実(盛)とも虚とも言い難い場合は、ニュートラルな穴を取る、つまり、合穴と兪穴の間に経穴を求める、ということで良いのではないか。

神麹斎 12/09 09:15

294:[ 燔鍼 ]

うっかりしてましたが、『霊枢』経筋篇の治療法は「燔鍼劫刺」だったんですね。『太素』では「燔鍼却刺」になっています。燔鍼は焼鍼で、火鍼というのも、また焠刺とか卒刺とかいうのも同じことのようです。「劫刺」とか「却刺」とか、どちらが良いのかわかりませんね。劫なら強奪、却ならしりぞける。で、具体的な技法としては要するに速刺速抜だと思いますが、たいした論考も無さそうです。

神麹斎 11/16 13:03

293:[ 12月の読書会 ]

12月の第2日曜は、いつもの会場で何か催しが有るらしくて、利用できませんので、第4日曜の25日に変更になります。
時間はいつもと同じです。

『霊枢』の熱病篇を、選穴を気にしながら読んでみようかと…。

神麹斎 11/14 18:07

292:[ 刺腰痛篇 ]

刺腰痛篇に登場する聞き慣れない脈は、今のどの経脈に関わるのか、というのが注家の関心の的のようであるが、本当は的はずれではあるまいか。
実際には腰痛の特効穴の羅列であるように思う。
古代中国人は、我々の常識(?)よりもずっと即物的な人たちであったから、ある種の腰の痛みに反応する点が下部に有り、そこに刺してある種の腰の痛みが改善されるのなら、間を取り持つ物質的な裏付けが有ったはずであるとして、「なんとかの脈、人をして腰痛せしむ」というような表現にしたのではないか。
後に経脈が十一乃至十二に整理されるに際しては、多数の点対部位の関係は少数の線対部位の関係に統合された。

神麹斎 10/30 09:16

291:[ 11月の読書会 ]

うっかり来月の予定を書き込むのを忘れてましたが、いつもの第2日曜(11月13日)の午後にいつものところです。
寒熱病篇のところをもう少しぐだぐだと。

とくに連絡が無ければ、日時と場所はいつもどおりです。

神麹斎 10/25 07:05

290:[ 経脈は血脈である、として ]

経脈の実質のかなりの部分が実は血脈であり、その循行を調節することを主眼とする針灸術が存在したとしてもいけない理由は全く無い。と言うよりもむしろ、針術とはもともとはそうしたものであったかも知れない。血液循環の障碍となりがちなポイントを何らかの方法で刺激して疎通させ、血液の偏在するところから少量の血液を効率的に取り去って平衡を得る。ただ、それとは別に患部から離れたところで信号を受け取り、そこもしくは信号の解読から得たしかるべき部位を刺激して患部を改善させる、という夢想によって新しい針術を提唱したのが『霊枢』であると考える。けれども、皮肉なことにその一つの完成である経脈篇の循環がまた経脈=血脈という概念に奪われたような形勢となり、また編者自身も古い局部施術の有効性を棄てるに棄てられないでいる、というのが2000年前の針灸界の情況であったのではないか。そして情況は今もってそんなに変わってない。さて、未来の針術を探るにはどちらの観点に比重を置いたものか。

神麹斎 10/23 22:11

289:[ 不通則痛,通則不痛 ]

『素問』擧痛論:經脈流行不止,環周不休。寒氣入經而稽遲,泣而不行。客於脈外則血少,客於脈中則氣不通。故卒然而痛。
張琦『素問釋義』:脈外傷衞,脈中傷營,互文見義。血少則氣虚可知,氣不通則血亦不行矣。其脈必見遲濇。(『漢辞海』p53互文:二つの表現において、一方で述べたことは他方で省き、双方補って意味を完全にする修辞法。)
森立之『素問攷注』:今熟考經文,琦説似是。

以下は私の勝手な想いです。
ここの経脈の実態は血管系と考えて良い。寒気によって血液循環が滞って、だから痛む。それだけの単純な話です。「血脈とも神経とも違うという意味での経脈説」を持ち出す必要は感じません。また、経脈説の中の血管系的な要素は古くも新しくもない。縦につながる線状の何者かであると考えれば、発想の最初から当然ながら血管系もその中に含んでいる。『霊枢』経脈篇に至って経脈は循環するものであるという考えが確立すると、全身を栄養するものであるという役割が経脈観を覆うことになってしまった。でもそういうものとしての縦系列なら、古今東西のあらゆる医学に存在する。中国伝統医学に特有の経脈説と言うからには、そうした役割は西洋現代医学に進呈して(分担をお願いして)でも、かしこに発生した病変がどのようにしてここに信号を点滅させるのか、ここに施した術がどのようにしてかしこの患部を改善させるのかを追求したいものです。

神麹斎 10/19 09:09

288:[ 経脈説の分岐点 ]

『霊枢』脈度
黄帝問曰:氣獨行五藏,不營六府,何也?
岐伯答曰:氣之不得毋行也,如水之流,如日月之行不休,故陰脈營其藏,陽脈營其府,如環之無端,莫知其紀,終而復始。其流溢之氣,内溉藏府,外濡腠理。

気は五蔵には行くが六府をめぐらないのは何故か、という問いに対して、そんなことは無い、気が行かない部位など有るわけが無い、陰脈が蔵をめぐり、陽脈が府をめぐるのだ、と答える。と言うことは、逆に言えば、陽脈と六府の関係はまだ必ずしも定説とはなっておらず、従ってここで力説するわけである。つまり経脈が施術点と病所をつなぐ線であり、気とは両者を連絡する何ものかであるとすると、五蔵には行くが六府をめぐることはないと考えた時期が有る。経脈が血管系としての役目を獲得すれば、全身を栄養するわけで、その意味では気は六府もめぐる。

神麹斎 09/17 09:47

287:[ 経脈篇で完成ではないということ ]

暴論であるのは自覚しています。言ってみれば経脈篇を金科玉条としている人への挑発行為です。
1.治療に役立たないなどとは言ってません。経脈学説から血管系としての役割を拭い去っても、施術点を離れた箇所に治療効果が出現する体系としての経脈学説に充分な存在価値が有り、それこそを追求すべきではないかと言っているのです。血管が経絡の解剖学的正体でなくとも、血管系≓経絡系という部分を捨て去ったとしても、経脈学説の一番かんじんなところは残るだろうと言っているのです。
2.おそらくは、A経の病をB経の経穴で治療する、できるというのは、実はB経の病でもあるからであろうと考えます。この病はA経のものであると断定しがちなこと自体も、経脈篇を唾棄すべき理由の一つです。
まさか、「経脈学説を破棄しよう」と言っている、と思ったわけじゃないでしょうね。

神麹斎 09/12 12:14

286:[ >経脈篇を棄てる ]

暴論。
1.治療には,役立たないとしても,先人が苦労して営衛循環にあわせて作る出した生理学が経脈篇なのではないでしょうか。
2.では,A經の病にB經の経穴で治療する・できるというのは,どう考えるのでしょうか?

血管系 09/12 11:18

285:[ 十月の読書会 ]

予定としては三篇くらいは読むつもりだったけど,前にもどったり脱線したりであんまり先へは進みませんでした。四時気篇の「邪が六府に在るとき」の話しと対になりそうなんで、五邪篇の「邪が五蔵に在るとき」にもむりやり軽く触れましたが、五邪篇はまた来月きちんと読む必要が有るでしょうね。

手こずった話しの一つ、邪気蔵府病形篇にある陽陵泉の取り方は、「ちゃんと立って膝を真っ直ぐにして揃えて」にすぎないんじゃないですかね。昨夜、ふとそう思いました。他の諸穴について言われていることは取る時の体勢、動作であって、位置関係ではないでしょう。だから「委陽之陽」云々は衍文かも知れないし……。これはまた来月紛糾するでしょう。

次回は10月9日(日)、場所と時刻はいつもと同じ。

神麹斎 09/12 08:12

284:[ 経脈篇を棄てる ]

『霊枢』では、九針十二原篇の原穴と五蔵の関係、本輸篇の本輸と頚周りの諸穴、根結篇の根結などの知識を統合して、経脈篇が成立している。ここまでは診断兼治療点と病症部位をつなぐ線条としての経脈である。ところが経脈篇で十二経脈の循環が確立すると、全身を栄養するものとしての性格を色濃くし、ほとんど血管系のことを言っているような様相を呈する。そして診断兼治療点と病症部位をつなぐ線条としての役目を血管系に負わせて、現代西洋医学が入って来て血管系にはそのような能力は無いと言われると、経脈説は妄言であったかのように自己批判する。誤って関連づけたものが間違いであると指摘されたからと言って、しょげる必要は無さそうに思う。経脈説は今、血管系的な部分を切り捨てて(あるいは棚上げにして)、「診断兼治療点と病症部位をつなぐ仮設の線条」として再構築すべきときであると考える。経脈篇は破棄しよう。

神麹斎 09/08 15:28

283:[ 血管系 ]

『霊枢』に述べられている経脈の多くの部分は,じつは血管系である。そして脈診で診ているものは、紛うかた無き血管の搏動である。血管搏動の如何を診て,血液循環の異常を知り,それを是正するポイントとして腧穴を利用するという治療体系は可能かも知れない。
中国伝統医学における経脈説には血管系とは別に,このポイントを操作することが彼方の部位の異常を是正することになるという仮想の体系が存在する。ポイントと部位をつなぐ線条が物質的に実在すると考えたことによって経脈説は成立しえたのであろうが、ポイントと部位をつなぐ線条が物質的には(あるいは解剖学的には)血管系であるというのはやはり,現在に至っては否定される。またその実は仮想である線条に関する情報を,血管の搏動を診ることによって得られるという保証は,実はどこにも無い。

神麹斎 09/08 11:15

282:[ 経絡説の変遷 ]

四肢末端近くの施術ポイントと病症部位とをつなぐものとして発想され,やがて施術ポイント群となり、また起点の他に頚部あるいは躯幹部などに止点が見出される。そしてやがて『霊枢』経脈篇で,蔵府との属絡が確定され循環説が導入されて完成をみる。
循環することになると,全身を栄養するという機能が重視されるようになり,『霊枢』においても経脈篇以降ではむしろそれが主流という印象がある。しかし,循環し栄養するものはじつのところ血管系のはずであり,現代西洋医学によって血管系には中国古代医学が期待するような治療機能は無いといわれると,経絡説はとたんに妄想視されることとなった。
経絡説における全身を栄養する機能は,経絡説の本質では無い。そうした機能は血管系に返却して,その施術ポイントと病症部位とをつなぐ仮想の線条(古代中国の人々にとっては物質的な実在であったろうし,そう考えることが古代中国医学の特徴であったろうが)としての機能、性質を追求することのほうに,経絡説の可能性は存すると考える。

神麹斎 09/01 08:39

281:[ 金槌と鋸 ]

例えば金槌が無いからと言って、鋸で釘を打とうというのは無茶です。そこいらで石ころでも拾ってくるくらいの知恵は必要でしょう。石ころで釘を打つのは縁起が悪いというのは迷信というものです。

蔭軒 08/29 08:16

280:[ どうして『霊枢』なんぞ…… ]

どうして『霊枢』なんぞを読もうとするのだろう。こんなもの読んだからと言って臨床技術が向上するわけもないし、ましてや営業とは全く関係ない。それはまあ名人上手が読んではたと悟るところが有って、一段と高い境地に達するということは有るかも知れないが、一般的に言えばいかにも効率が悪すぎる。
とは言っても、しこしこと読んでいる人は有るわけで、私なんぞも、現代のいわゆる古典的針術は嘘くさいと思っているから、『霊枢』でもしつこく読み解いて、さすがにこれだけは本当というものを見つけ出す以外に立つ瀬が無い。これは私の疑い深い性がなさしめるのであって、万やむを得ずやっていることであって、とても人様にお勧めできることではない。
私の読書会に来ている人は、たまたまそこそこ以上の臨床技術の持ち主であるから、臨床の会で学んだことが金科玉条ではないことを知って、開放感を楽しんでいてくれる。これはそれこそ偶然なのであって、全くの初心者だったら全くの融通無碍の境地に至ることも有りうるのではなかろうかと、夢想はする。
普通の針灸師が『霊枢』を読むのは、いわゆる教養のためということか。専門に研究するつもりもなく、新たに負担を背負い込む覚悟もない。だったら、東洋学術出版社の『黄帝内経霊枢』でも読むのが、一番効率的ではあるまいか。もっともこれだって様々な読み方が有るわけで、ましてや疑問が生ずればやっぱりそれなりの格闘は必要になる。そのとき徒手空拳で立ち向かおうとするのは、風車に突進したドンキホーテのようなもので(あれは徒手空拳ではなかったが)、本人は英雄的あるいは悲劇的と思っていても、はたからみれば喜劇以外の何ものでもない。

神麹斎 08/28 20:36

279:[ ジグソーパズルではない ]

字書を引いて、あるいはNETで捜して、気に入った意味が見つかったから、ああこれだ!これだ!という態度はダメです。五菜は薬草ではありません。古代の常食の野菜です。その後すたれたとしても、当時どのように食べられていたか、いつごろまでは文献に残っているかといった辛気くさい考察が必要です。手にあまれば、先学の論考を頼りにします。

今さら古代の五菜が何であったって、臨床にはほとんど関係が無い。だけど、読みかけたんだから一応それが何であったかは調べてみたい。そういう好奇心を刺激するだけの代物です。

そもそも五味篇にどれほどの価値が有るのか。例えば、肝病に辛を禁ずるなどは食餌指導の根拠になりそうですが、考えてみれば五行相剋の理屈を安易に当てはめたに過ぎない可能性が高いし、辛いというのも黄黍、鶏肉、桃、葱の類です。葱はともかく、鶏肉や桃を辛いと思いますか。黄黍の味の記憶は無いけれど。
まあ、いろいろバランス良く食えというのは絶対的な真理です。

神麹斎 08/28 08:54

278:[ ]

食用の葵にはゼニアオイという説も有ります。フユアオイというのは小野蘭山『本草綱目啓蒙』の説です。青木正児は両説挙げて、結局フユアオイのほうを採っているようです。いずれにせよ、私には食べた記憶が有りません。
豆の若芽のほうは、ちかいものなら食べました。まあまあです。最近の健康ブームの新野菜と甲乙無い。

葵が美味いか、藿は不味いか。それは多分、両者とも不味かった。だから早くに食用はすたれた。だけどそれしか無ければしかたがない。料理法しだいとも言える。例えば、菠薐草を美味いと思っている国民は意外と少ない。ポパイやそのお友達は無理して食べているのが本当らしい。料理法がどうにもならないからです。

『説文解字』なんて別に高い字書ではありません。千円くらいのものでしょう。

私のWEBでは現在使用可能な限りの文字を使用します。そういう性質の内容を扱っています。閲覧者のパソコンで表示されるかどうかなんて知ったことではありません。OSがXPなら、それ以降の構築に別に金がかかるわけのものでも有りません。頑張って、探し回って対応する必要は有りますが。面倒くさいことをするか、金ですませるか。私は辛気くさいことをするのがけっこう好きですが、そうは言ってもお金を全然かけないというわけにはいきません。

神麹斎 08/27 22:49

277:[ 辞典について ]

図書館利用の手もあるのですが、当地の図書には収蔵がありません。図書館としても一般的で無いので(多くの人が使う書物ではない、ので購入は出来ない)とのことでした。
田舎町の図書館です。無理も言えません。

車で1.5時間位の所に国立大学がありますが、以前問い合わせしたところ、学生の為の図書館なので、
国立とはいえ、一般人には利用させないと言われました。

必要なものは、個人で用意しなくてはならないのですが、
収入の無い身です、金槌と鋸とでやれるところまでやるだけです。

avijja~ 08/27 18:58

276:[ re.五味について あるいは物好きの勧め ]

神麹斎 さま

早速のお答えありがとうございます。
①いろいろある」とのこと、わかりました。
③フユアオイですか。こちらでゼニアオイでヒットしていました。
④豆の葉の若いもの、ですか。
私の家の隣りに大豆の畑があります、若い葉でも食指は動かないと思います。
枝豆も美味しいですし、豆も(料理)も美味しいですが、
葉には食指は動かない。
もっとも、霊枢の編纂時の頃の豆と私の家の隣の大豆が同じ種類か分かりませんが、霊枢の大豆の若い葉は柔らかく充分に食す事が出来たのかも知れません。
ここの「藿」は、私の内では「カワミドリ」の解釈で措きます。

このテキストboxには「藿」が表示されますね。
一般的なWebのページのテキストboxでは文字化けして
表示されないものが多いので、
文字を分解して記述しています。いちいちそうしないで
ユニコード文字も表示してくれると良いのですが、
私が使っている、Webのページのテキストboxは出来ません。

ありがとうございました。

ps、私の場合は、専門にこれを研究するワケではありません。ですので高価な辞典辞書は購入の意志はありません。
○『医古文の基礎』 東洋学術出版社 はアマゾンに頼みましたが、直ぐに手に入らないい様です。(版元にも無いかも)

霊枢が終わったら、素問に行ってみようと思っていますが、
まだ25章残しています。

宜しければ、またお答え頂けますと助かります。

avijja~ 08/27 18:40

275:[ 五味について あるいは物好きの勧め ]

①麻は、張介賓の説では芝麻です。で、芝麻とは何かというとどうもゴマのようです。『本草綱目』の胡麻のところに「俗に芝麻に作る」とあります。ただし、これは張介賓はそう考えているというだけのことで、正解かどうかは分かりませんよ。『素問』蔵気法時論では麻でなくて小豆です。五味に何をあげるかも『素問』、『霊枢』には何種類も有りますし、残念ながらどれが正しいとも言いかねる。そもそも産地によって味がかわってしまう菜というのも有るでしょう。
②『霊枢』にはそもそも馬という字は、馬矢とか馬刀俠癭とかしか出てきません。
③葵はフユアオイのことらしい。花を観賞する葵とは別種です。
④藿は『説文解字』に「菽の少なり」とあります。つまり豆の葉の嫩いものです。『説文解字』は手に入れたほうが良いです。
③と④については青木正児に「葵藿考」という文章があります。平凡社東洋文庫の『中華名物考』に入っています。どうせなら物好きは捜して読むところまでいきたいものです。

なお、藿という字はユニコードには有ります。パソコンで古典を勉強したいのだったらユニコード対応のフォントくらいは手に入れた方が良い。

古典を読むのに常識を基礎とするという態度は正しいものです。問題は常識のレベルの高下が、読みの精度の高下に直結するということです。つまり物好きを推し進める必要が有る。

神麹斎 08/27 14:34

274:[ 五味第五十六 について ]

こんにちわ

お言葉に甘えてお尋ね致します。

現在、霊枢の五味第五十六を読んでいるのですが、
五穀に

『五穀.○米甘.麻酸.大豆鹹.麥苦.黄黍辛』 とあります。
 
 (○はのぎへん+杭の旁で作る漢字=うるち米)

①ここで『麻酸』とありますが、 麻(アサ) なのでしょうか?

五穀の穀は穀物であろうと思います。
麻が、ヒトの食用に適するとも思えないのですが・・・

あまり良い辞典ではありませんが、
手元にある簡明鍼灸医学事典(医師薬出版・第一版)では
粟の文字が見えます。

 木)麦・火)黍・土)粟・金)稲・水)豆  とあります。

霊枢では、ここは

 木)麻・火)麦・土)うるち米(稲)・金)黄色の黍・水)大豆  で

腎水の大豆が一致しているだけです。
後世に色々な解釈から、変遷したことも充分に考えられますが、
霊枢の記述は『麻』で間違いないのしょうか?

また、他書に五畜に「馬」が入っているものも在るようです。
②霊枢の五畜には「馬」の文字は見えません。
 霊枢では「馬」は採用していないのでしょうか?

③また、五菜の『葵』はどんな植物でしょうか?
辞典を見たり、ネットで検索してみましたが分かりませんでした。

④五菜の『草冠に雨、その下に隹』はなんでしょうか?
 この漢字はおそらく「カワミドリ」のことではないかと思います。

 http://www.e-yakusou.com/sou/soum096.htm

 に写真、説明がありますが、
 薬草としても、他書にある様に「豆の葉」は食べないのではと思います。

お手数をおかけ致します。

ご意見をお聞かせ頂きますと助かります。

ありがとうごさいます。

avijja~ 08/27 10:30

273:[ 9月の読書会 ]

次回は9月11日(第2日曜)午後1時から
場所はいつもと同じ、岐阜市南部コミュニティセンター

『霊枢』の四時気篇から数篇を読みます。

このあたりは結構おもしろそうだけど,意外と手強いかも知れない。

神麹斎 08/22 08:22

272:[ 『霊枢』を読むために2 ]

厳しい言い方になりますが,化けた文字に対しておこなっていた格闘は「ほとんど」無駄です。「ほとんど」無駄なのであって,「全く」無駄では無いと思います。少なくとも私はそう信じています。だから「しんきくさい」などと名乗っています。
ただ,誤った文字に拠って読んだ各篇は,改めて読み直したほうが良いと思います。その上で疑問が有ればここに書き込んでください。必ず応えます。
正解であるかどうかの保証は無いですよ。そんな保証を出せる人がいるわけが無い。古代漢語の基礎知識と常識と,後は想像力の勝負です。貴方にはひょっとすると,好奇心と想像力は人並み以上に有るのかも知れない。蛮勇もまた力には違いない。

神麹斎 08/13 21:19

271:[ 『霊枢』を読むために ]

『霊枢』を読むためには,当然のことながら『霊枢』を手に入れる必要が有ります。

テキストとして
◎明刊無名氏仿宋本『黄帝内経霊枢』(B5版)
 日本内経医学会刊 1500円(会員1200円)

注釈書として
○『霊枢講義』(上下) 学苑出版社
基礎的な知識のために
○『医古文の基礎』 東洋学術出版社
この両書には多大な問題点が有りますが,他に無いのだからしょうがない。

私の読書会に参加している人には,最低限これらは持ってもらっています。
その他は時に応じて,必要に応じてお勧め本は紹介しています。
小型の漢和辞典と現代中国語辞典だけですませようというのは蛮勇に属します。
 

神麹斎 08/13 20:59

270:[ 文字鏡フォント ]

神麹斎 さま

文字鏡フォントインストール致しました。
確かに
「月偏にくにがまえの中に禾」の漢字で表示されました。
お手数をおかけしました。

avijja~ 08/13 19:44

269:[ 8月の読書会 ]

8月は諸般の事情により、特別に第3日曜日に変更されます。
時刻・場所は同じです。
そもそも会場の岐阜市南部コミュニティセンターが第2日曜は休館でした。お盆ですからね。そう言えば、去年は休会にしたんだったかな。今年は一週間遅れで一応やります、暇だから。
暑さでダレてるけど、かと言って、会場の冷房もしんどい。私は夏は寒がり、冬は暑がりです。

『霊枢』のこのあたりの篇は、『霊枢』全体に占める地位がよく分かりません。それでまあダレてるという面は余計に有ります。次回は脈度と営衛生会の予定です。その後、9月からはツボ名が頻出する、言い換えれば古代の名医の具体的な臨床成果ではないかという篇が続きます。そのあたりからまた真面目にやりましょう。

なんだかどんどん「医古文同好会」じゃなくなりそうです。医古文的な話は、質疑応答という形で対応します。まずは教科書的な本にざっとで良いから目を通してください。どっちみち月に数時間の「お話」ではどうにもなりません。これも具体的な文章をどう読むかという質疑応答のほうに分が有りそうです。

神麹斎 07/11 09:00

268:[ 7月の読書会 ]

経筋は、経絡学説中の外部循行路線の部分であり、それに微妙に内部循行的な記述が混じる。経脈への統合を志向したことはうかがわれる。その治療法が燔針劫刺であるところからすると、馬王堆では足臂十一脈がその祖先にあたるのかも知れない。昨今は灸頭鍼で代用されることが多そうだが、本来はもっと瞬間的に熱い灸のほうが相応しいのかも知れない。

次回の読書会は、七月十日(第二日曜)。時間・場所は同じ。
『霊枢』の骨度、ひょっとすると五十営も。

神麹斎 06/13 08:05

267:[ 臨床的に ]

読む対象を『霊枢』と定め、しかもがんがん先に進むもうというのは、つまり臨床的に読もうということです。ただし、その臨床的という意味は、臨床家の経験を通して読もうということではなくて、臨床の拠り所を求めて読もうということです。
『霊枢』は針術の経典著作です。だからといって保守的なものではありません。実に革新的な書物です。譬えていえば、それまでのマッチをすってランプをともすことから、スイッチを推して電灯をつけることに変えようというものです。(ランプはランプでちゃんと明るいけどね。)最も針術らしい針術だと思います。それから以降は、占いと呪いで明かりをつけようとする要素が紛れ込んできている懸念が有る。
占ってお呪いをしたのでは効かないのかというと、これが効くから話はややこしい。だから、占いやお呪いでいい人は、別に今までどおりでかまわないんじゃなかろうか。でも、どうしても占いやお呪いには絶対に抵抗感が有るとなったら、『霊枢』は微妙な妥協点ではなかろうか。

神麹斎 05/16 21:43

266:[ 6月の読書会 ]

次回は6月12日(第2日曜)午後一時から
場所はいつもと同じ、岐阜市南部コミュニティセンター

『霊枢』の経筋篇を読みます。

面白くない篇はがんがんすっ飛ばします。質問をうけて立ち止まります。

神麹斎 05/15 19:33

265:[ EmEditor Professional v4.14 beta7のお勧め ]

お勧めと言っても、大量の漢字を使いたい人にお勧めと言うことです。
現在、大量の漢字を使いたい場合、ユニコードのCJK統合漢字拡張領域Bまでを使えば約7万が可能です。とは言っても、これをまともに表示できるEditorは有りませんでした。あるものは一字分だけ空白が生じ、今までのEmEditor Professionalでは、半角分だけ次の文字が重なってしまいました。
友人の一人が重ならないというメールをくれたので、試してみましたがやっぱり重なってました。そこでEmEditorの作者に問い合わせたところ、やっぱり重なっていて、今のところ拡張領域Bまでは対応してないので、今後なんとかしますという返事でした。それが確か4月の25日のことです。今朝メールをチェックしたら、対応させたから試してみてという連絡が入ってました。勿論、早速試してみました。完璧です。感動的です。速やかな対応にも感激です。
前のバージョンでも重ならなかったという友人は、()に入れた文字と重ならないように見えたと言うことではないかと想像しています。()だとフォントによってはもともと半角分の領域にしか筆画が無いことが有ります。
EmEditor Professional v4.13はシェアウェアで4200円、v4.14 beta7はベータ版ですが、そのくらいの費用と冒険は充分に報われると思います。

神麹斎 05/13 08:16

264:[ 二つの人迎気口診 ]

陰陽の経脈には、もともと根本的な違いが有る。陰経脈は内部の症候の診断兼治療点とその患部を結ぶ仮想の線であった。陽経脈は身体を左右の前後横の縦六割にしたものであり、上下に感覚が流れる線でもあった。陰経脈の状態は腕関節の脈動即ち寸口=脈口で診るように統合され、陽経脈の状態はむしろ頚部の脈動で診るように統合された。陽経脈は足跗の脈動で診ても良かったろうと思われるが、実際には頚部の人迎のほうが選択された。寸口と人迎が選ばれたのは、結局のところ診やすかったからであろう。
『太素』を撰注した楊上善の時代には、上下の人迎気口診を左右に置き換えたものが流行していたようである。ただし、伝統的な学者(楊上善もその一人である)はそれに反対していた。左右の人迎気口診などというものは『内経』には無い、という主張である。
本当にそうであろうか。左右を人迎と気口あるいは寸口と呼んだ例は確かに無い。しかし、左右の脈の性格が異なるという説の芽生えは有るように思う。そこでは右の脈は季節に従うと言い、左の脈は季節には従わない、言い換えれば現病を示していると言う。この考え方には、後代の人迎気口診を受け止める力が有りそうである。ただし、左右の脈がそこに主張されているような違いを、本当に持っているかどうかは別の問題である。古代の中国医学に関心が有る現代の西洋医の中に、左右の脈状には疾病に対応する先後が有ると言う人がいるらしい。左右の脈に性格の相違が有ることだけは間違い無さそうである。
『内経』の人迎気口診は、人迎の大小によって左右の前後横のバランスを判断して、陽経脈を選択する手段であり、気口の大小によって内部の問題の所在を判断して、陰経脈を選択する手段である。
後代の左右の人迎気口診は、外界からの影響が出現する時差を根拠にして、内因と外因の軽重を推定する手段である。

神麹斎 05/06 13:59

263:[ 五月の読書会 ]

今日は結局、経脈篇だけで、経別篇には入れませんでした。
だから五月は経別篇とたぶん経水篇です。
五月だけ、特別に第三日曜に変更します。場所は同じ。

会場のすぐ近くに城趾が有って、桜が満開です。去年はもう散ってたと思うのに、やっぱり寒かったんですね。今日もちょっと寒かった。

神麹斎 04/10 17:25

262:[ 経脈篇の大まとめ かなり乱暴な ]

袋だたきを覚悟して、より大胆に言えば:
陰経脈は体内を行き、陽経脈は表層を循る。是動病は体内に関わる症候群であり、所生病は循行する領域の問題である。しかして陰陽経脈にそれぞれ是動病、所生病が有るは如何。
陰経脈の是動病は蔵の病である。ただし、この際、蔵についてのイメージを改める必要が有る。乃ち肝は陰器に関わる蔵である、と言うが如きに。所生病は、体内流注の表層への投影に関わる病である。
陽経脈の是動病は、各経脈について主○というものがそれである。(主○を是動病のほうに属して読むという説は、たしか前に紹介したと思う。)乃ち足陽明は主血であり、血は狂気に関わるもの、と言うが如きに、である。また、手の陽経脈については、馬王堆陰陽十一脈に歯・耳・肩の脈と称するをもって至当とする。所生病はまさしくその流注上の問題である。

神麹斎 03/25 08:41

261:[ 四月の読書会 ]

このところ読書会について報告も案内も書いてませんが、別に休会していたわけではありません。ようするに経脈篇をぐだぐだやっていて変化にとぼしかったということです。四月は経脈篇の終わりの方の気絶と十五絡のところ、余裕が有れば経別までやろうかと思っています。他にも絡についての記事が有るはずなんで、さらに横道に迷い込むかも知れません。場所と時間はいつもと同じ。つまり四月十日の午後からです。

神麹斎 03/22 08:24

260:[ 平人気象論の人迎脈診? ]

今頃気が付くというのも迂闊な話ですが、『素問』平人気象論の春夏秋冬の脈、例えば「春胃微弦曰平」とかいう脈、楊上善は人迎で診ると言ってるんですね。(勿論、この人迎は頚部の人迎です。)だから、後のほうではわざわざ「寸口脈」云々になっている、ということですかね。

神麹斎 02/03 12:24

259:[ 噦と書こうか ]

本当は、吃逆も呃逆も𩚚逆も、おしなべて誤りであって、噦逆と書くべきなのではあるまいか。いや、「しゃっくり」という意味のつもりならということですが。
吃はやっぱり「どもり」でしょう。
だから『諸病源候論』には、吃と噦と両方とも出て、噦のほうがあちこちに出てくる。

神麹斎 01/29 08:32

258:[ 漢方用語大辞典 ]

燎原の『漢方用語大辞典』で「吃逆」をひくと,「呃逆(あくぎゃく)に同じ」とあります。「呃逆」をひくと,「証名。𩚚逆(あくぎゃく)に同じ。吃逆ともいう……寒呃.熱呃.気呃.痰呃.瘀呃.虚呃などの区別がある。各項参照」とあります。

菉竹 01/28 23:53

257:[ 変遷 ]

ありがとうございます。
手元にある『康煕字典』で見てみました。「噦」は『玉篇』で「逆氣也」とあります。また『三因方』噦逆論証は「噦者咳逆也」で始まります。どうも「噦」から始まったようですね。「吃」が『諸病源候論』に有るのですね。
「吃」と「噦」は藤堂書だとグループが違うのかしら、『康煕字典』にみると反切は違うのだけど。これは調べてみます。

福々丸 01/28 13:36

256:[ 諸病源候論 ]

とりあえず『諸病源候論』の原文です。
謇吃候
人之五藏六府稟四時五行之氣陰陽相扶剛柔相生若陰
陽和平血氣調適則言語无滯吐納應機若陰陽之氣不和
府藏之氣不足而生謇吃此則稟性有闕非針藥所療治也
若府藏虛損經絡受邪亦令語言謇吃所以然者心氣通於
舌脾氣通於口脾脈連舌本邪乘其藏而搏於氣發言氣動
邪隨氣而干之邪氣與正氣相交搏於口舌之間脈則否澀
氣則壅滯亦令音謇吃此則可治 養生方云憤滿傷神神
通於舌損心則謇吃
呃や呝は有りません。吃も上の記事中以外には有りません。
ただし、噦は諸処に見えますからねえ。

神麹斎 01/28 08:28

255:[ 『説文』には「吃,言蹇難也」 ]

『諸病源候論』巻30に《謇吃候》というのがあります。
くわしくは,神麹斎先生の電脳書庫を。

菉竹 01/27 23:04

254:[ やっぱり吃逆? ]

『丹渓心法』卷三・咳逆三十一の附録に:
「咳逆為病。古謂之噦。近謂之呃。乃胃寒所生。寒氣自逆而呃上。此證最危。」云々と有りました。
また『玉篇』には、「呝,鶏声,亦作呃」というのが有るらしい。
つまり、もともと方書にはしばしば「𩚚」もしくは「呃」と書かれていて、でも「呝」のつもりで「呃」と書くことも有って、だから逆に「呃」のつもりで「呝」と書くことも有ったはずで、さらに「戹」と「乞」が間違われるの何ぞは当たり前のようなものだから、「吃」と書かれることも有った。
じゃあ「呃逆」と「吃逆」とどちらが正しいのかとなると、これがよく分からない。方書にはしばしば「呃逆」と書かれると言っても、方士の教養水準何ぞは知れたものであるし、『説文』には「吃,言蹇難也」は有るけれど「呃」は無いみたいだから、やっぱり「吃逆」で良いのではなかろうか。
ただし、『漢語大詞典』には「呃逆」が載っているけれど、「吃逆」は見つからない。

神麹斎 01/27 22:41

253:[ 咳逆=吃逆=𩚚逆=呃逆? ]

全く別の字だよね。でも『格致余論』呃逆論「呃病氣逆也、氣自臍下直衝上出於而作聲之名也。」また『東医寶鑑』咳逆證、引『古今醫鍳』「咳逆者氣逆上衝而作聲也俗謂之𩚚逆是也」
また『東医寶鑑』は「咳逆一曰吃逆乃氣病也」とし先の「氣自臍下直衝上出於而作聲之名也」を「丹心」として掲載している。『東医寶鑑』も『古今醫鍳』も「𩚚逆」をしゃっくりと考えているようなの。


福々丸 01/27 18:27

252:[ 吃か呃か ]

ちょっとまって、そもそも「吃逆」なの「呃逆」なの。
普通は「しゃっくり」は「吃逆」だけど、古書では「呃逆」なんですか。
「呃」は、不平の嘆声の意味で、音は「アク」。「吃」はすらすら話せない、咽がつまる、口に入れる(食べる)といった意味で、音は「キツ」。別の字ですよ。

神麹斎 01/27 13:53

251:[ オモチャの弁護 ]

「高価なオモチャね」というのは見解の相違というものであって、漢字にこだわる立場から言えば、数多いパソコンソフトの中でも最も強力かつ有効なものだと思います。偏と旁から有りそうな漢字が本当に有るのかどうかを探り、さらに似たような形で間違われやすい漢字を検討する。そんなことが可能なソフトは他には無いでしょう。
さらに贅沢を言えば、ユニコードCJK統合漢字拡張領域Bの漢字も、ユニコード漢字としてコピー&ペーストできたら最高なんだけど。でも、これは無理かなあ、手間もだけど、「今昔文字鏡」の商品価値が下がるとおもう人も多いだろうね。でも、違うと思うよ。漢字検索ソフトとして空前のものになる。ただ、苦労して作ったフォント自体は殆どいらなくなるかも。
以上、弁護とお勧めでした。

文字鏡からは、ユニコードCJK統合漢字拡張領域Bの漢字はコピー&ペーストできません。Atokの一覧表から探すか、もう少しましな方法として、『UNICODE 4.0』という書物の部首別一覧表から探します。
拡張領域Aまでは文字鏡で大丈夫です。ただし、これも対応フォントが入っていればです。「形式を選択してコピー」で「unicodeテキスト」を選択すれば、そもそも拡張領域Aまでは区別が有りません。

神麹斎 01/27 13:36

250:[ 「𩚚」と「吃」と「呃」字 ]

説明が足らなくてすみません。
『東医寶鑑』に引く『古今醫鍳』、『壽世保元』『東医寶鑑』もみんな「食厄」字なんだけど『壽世保元』の呃逆、註「𩚚、當爲「呃」字之語、據文義改爲呃。」とある。また『古今醫鍳』の簡体字本では「呃」字が使われていて、『格致余論』でも「呃病」とある。もう少し時代を遡って調べないと分からないんだけどどこで変わったか。
ところでMozillaでカットアンドコピーで表現できたけど
文字鏡からどの形式でコピーしたの?教えて。

福々丸 01/27 13:22

249:[ やっぱり Mozilla!? ]

本当はIEでも方法は有るのかも知れないから、貶めるのは問題だろうけど、Mozillaはタダだから勧めるわけです。ちなみにoperaも駄目でした。もっとも、これもおそらくは設定の問題です。

で、「𩚚」と「吃」の問題は、本当はどういうことなんでしょうね。

●拡張領域Bの漢字は原則的には使用を自粛しています。

神麹斎 01/27 08:32

248:[ みえる ]

たしかにMozillaでは,神麹斎先生の書いた「食厄」字は,見えますね。エクスプローラーでは「・」になってしまっています。

菉竹 01/27 00:40

247:[ 医宗金鑑? ]

『漢語大字典』に例として載っている『医宗金鑑・癰疽総論・癰疽七悪歌』:「六悪身浮腫,腸鳴嘔𩚚繁,大腸多滑泄,臓腑敗之喘。」の「𩚚」は「吃」と解したほうが良いかも知れませんね。ただ、そういう俗字としての用例の指摘は今のところ字書に見つかりません。(全ての俗字を網羅した字書なんて有り得ませんけどね。)もし「吃」のつもりということだったら、口偏と食偏は意味において通じるから変換可能、乞と厄は形が似ているから間違ったということだと思います。間違いがたびたびおこれば、習慣となって俗字が生まれる、といったことでしょう。

神麹斎 01/26 21:32

246:[ 食偏に厄は飢える ]

質問の意味を測りかねるんですが、食偏に厄の字は、『玉篇』に食偏に戹の字と同じとあり、『説文』によればその字は「飢也」です。(以上は、実は『漢語大字典』を見ただけのことです。)別段、呃との関係は載ってませんが。
どこかで、影印で食偏に厄の字が、活字本では呃になっていたと言うようなことですか。だったら多分、活字化した人の間違いでしょう。
ちなみに食偏に厄の字「𩚚」は、ユニコードCJK統合漢字拡張領域Bには有ります。実はこの掲示板にはそれも表示できます。(上の「 」内に実は入力されている。)ただし、特別なフォントが必要です。予算はあと一万円くらい。

神麹斎 01/26 21:17

245:[ 申し訳ありませんが。 ]

チョト聞いていいかな。
「今昔文字鏡」やっと入手、『悠悠漢字術2002』も合わせて。家族に“高価なオモチャね”と…。早速「食厄」字を探す。やはり有った。チョッと感動だね。でも何故「呃」字になったんだろう。

福々丸 01/26 19:38

244:[ ひょっとすると ]

ひょっとすると、寒という「外因」に傷なわれて、しかる後に熱とか風とか湿とかという「状態」になるというつもりかも知れない。(だから「それ熱病は、みな傷寒の類なり」なんてことをさらりと言って、ろくに説明しない。だから「風熱傷寒」と言っても全然おかしいことは無い。「傷寒風熱」のほうが良いかな。)
とすると、食という「内因」に傷なわれて、しかる後にさまざまな「状態」になるわけで、精神状態は念頭に無いのかも。
古代中国人ってのは、一般になんとなく思っているよりずっと即物的な人たちだったような気もする。

神麹斎 01/26 09:33

243:[ 寒と食 ]

五色篇に記載されているのは寒に傷なわれた場合ですが、他は脱したか、あるいは寒が全ての外因を総称するか。あるいはより深刻なもの、あるいは代表的なものだけ取り上げたか。考えてみれば食飲だけというのも片手落ちだけど、「だって結局それが一番の根本でしょう」と言われれば、「まあそうですね」と言わざるを得ない。
脈診の最終発展段階はやっぱり「ひとり寸口を取る」方式だと思います。ただし、それは単なる簡略化に過ぎなくて、より価値あるものを取り落としてきたのかも知れない、ということは有る。
それと『霊枢』の人迎寸口診に何が言われていようと、やっぱり上下のであって、左右に安易に持ってきたとすれば、それは永遠にそしられても致し方ないことだと思います。

神麹斎 01/25 21:45

242:[ 人迎脉口診 ]

「人迎主外」は寒邪。『霊枢』で外は寒邪だけで、風邪、湿邪、燥邪はないのでしょうか?(自分で調べなくて怠慢ですが)
『内経』の人迎脉口診が『難経』『傷寒』で展開され、やがて『三因方』の人迎気口脉診に繋がっていく。脉診発展の最終段階が人迎気口診。但し『三因法』の人迎気口診は未完成。人迎気口診への発展経過の中から、そして臨床を通じて確たる脈診法が発見できるとすばらしいですね。

じんろく 01/25 21:29

241:[ 五色篇の人迎脈口診 ]

五色篇の人迎脈口診は、人迎と脈口の脈状がどうあるべきかを言い、病がますます甚だしくなるとか衰える(『霊枢』の進を『太素』は損に作る)とか言う。
ただ、最後の一句はちょっと面白い。(『太素』の字句による。)
 人迎盛緊者,傷於寒;脈口盛緊者,傷於食飲。
つまり正しく「寸口主中,人迎主外」である。

神麹斎 01/25 18:51

240:[ 禁服篇の人迎寸口診 ]

『霊枢』禁服篇の人迎寸口診は:
人迎大一倍于寸口,病在足少陽,一倍而躁,在手少陽。人迎二倍,病在足太陽,二倍而躁,在手太陽。人迎三倍,病在足陽明,三倍而躁,在手陽明。
寸口大于人迎一倍,病在足厥陰,一倍而躁,在手心主。寸口二倍,病在足少陰,二倍而躁,在手少陰。寸口三倍,病在足太陰,三倍而躁,在手太陰。
『太素』には躁であれば手に在るという記述は無い。また何れにも「于寸口」は一倍にしか無い。そしてこの直後の文章に拠れば診るべきものは、盛虚緊代と陥下である。
前には大と言いながら、後では盛と言う。もともとは盛で、経脈篇の書き方に倣って修正したのではないか。だから「于寸口」ももともとは無かったのかも知れない。つまり、禁服篇の人迎寸口診は終始篇型だったのではないか。
それともう一つ、診るべきものの中に虚も含まれる。考えてみれば人迎あるいは寸口で判断できる内容には実も有れば虚を有る。
さらにもう一つ、三部九候診で診るべきものは小・大・疾・遅・熱・寒・陥、九針十二原篇の治療の対象は虚・満・宛陳・邪勝、邪気蔵府病形篇で診るべきものは緩・急・小・大・滑・濇。ちょっと似ているような似てないような。

(人迎)盛則為熱,虚則為寒…は良いけれど、(寸口)盛則脹満寒中食不化,虚則熱中出麋少気溺色変…ですか。う~ん、そうですか。

神麹斎 01/25 13:47

239:[ 倉公診藉中の左右の脈 ]

斉の郎中令循の病:
切其脈時,右口気急,脈無五蔵気,右口脈大而数。数者中下熱而涌,左為下,右為上,皆無五蔵応,故曰涌疝。
斉の尉潘満如の病:
右脈口気緊小,見瘕気也。
済北王の侍者韓女の病:
肝脈弦,出左口,故曰欲男子不可得也。
残念ながら「寸口主中,人迎主外」につながっていくような記述は無いが、左右の脈の異なった性質を診ようとする試みは有ったのかも知れない。
ただし、右には有の、左には在の、誤字という可能性も有る。

神麹斎 01/25 09:24

238:[ 『素問』の人迎の脈 ]

終始篇型の(人迎と寸口の比較を言わない)人迎寸口診ならば、『素問』にも見える。六節藏象論に:
故人迎一盛,病在少陽;二盛病在太陽;三盛病在陽明;四盛已上為格陽。寸口一盛,病在厥陰;二盛病在少陰;三盛病在太陰;四盛已上為關陰。人迎與寸口俱盛四倍已上為關格,關格之脉贏,不能極於天地之精氣,則死矣。
また、「人迎一盛少陽,二盛太陽,三盛陽明」は、腹中論にも見える。

病能論には次のような記述が有る。
黄帝問曰:人病胃脘癰者,診當何如?岐伯對曰:診此者當候胃脉,其脉當沈細,沈細者氣逆,逆者人迎甚盛,甚盛則熱;人迎者胃脉也,逆而盛,則熱聚於胃口而不行,故胃脘爲癰也。
これは経脈説発想のもととなった診断点が腕踵関節部の脈動とは限らないことを示している。すなわち、頚部の人迎の脈動の異常から、その先に在ると想定した胃の状態を測っている。(案ずるに胃脈とは要するに足陽明の脈で、その下部循行線をさぐると沈細になっている。これを気が逆上していると判断する。だから上部の人迎では反対に甚盛になっている。)
奇病論の記述は、人迎が胃の脈の端と言うだけでなく、頚部の脈動の代表格になっていったことを示唆すると思う。
有癃者,一日數十溲,此不足也。身熱如炭,頸膺如格,人迎躁盛,喘息氣逆,此有餘也。
陰陽類論の「一陽者,少陽也,至手太陰,上連人迎,弦急懸不絶,此少陽之病也」も、上に人迎に連なるものは足陽明だけではないということが前提となっている。

至真要大論には「論言人迎與寸口相應,若引繩小大齊等,命曰平」とあるが、この論に言うとは『霊枢』禁服篇の「兩者相應,俱往俱來,若引繩大小齊等,春夏人迎微大,秋冬寸口微大,如是者,名曰平人」のことだろう。禁服篇には「人迎大一倍于寸口」とか「寸口大一倍于人迎」とかがあるが(二倍、三倍には比較の字句は無い)、禁服篇と経脈篇の新旧は本当はよく分からないし、そもそも至真要大論自体がそう古いものではあるまい。

神麹斎 01/24 13:32

237:[ 経脈のバランス ]

うっかりしていたけれど(言わずもがなだけど)、経脈にはもう一つ重要な性格が有るんですよね。つまり樽は縦に長い板が何枚かで出来ていて、そのバランスがきちんとしていることが樽が樽として役に立つ最低条件ですよね。多分、経脈にもそういったイメージのバランスの調整という重要なシステムが関わっていると思います。ただし、経脈説の発見のタネでは無かったように思うのです。つまり、成立後の工夫でしょう。勿論、価値ある工夫だと思いますし、今後より整理し発展させるべき方向だと考えます。

神麹斎 01/23 16:26

236:[ 人迎脈口診と人迎寸口診 ]

(終始篇の)人迎脈口診においては、例えば「人迎一盛,病在足少陽」などと言うだけで、別に脈口と比べて何盛と言うようなことは無い。治療においては「人迎一盛,写足少陽而補厥陰」などと言うけれど、これだって問題になった経の表裏に取るだけのことかも知れない。
(経脈篇の)人迎寸口診においては、例えば「盛者,寸口大三倍於人迎」などと言って、明らかに人迎と寸口を比較して判断しようとしている。
後代の人迎寸口診においては、「内外傷を弁別する」ことに主眼が移っている。その突破口となったのは禁服篇の「寸口主中,人迎主外」ではなかったかと思う。

で、経脈篇と禁服篇は、どちらが古いんだろう。定説では、経脈篇冒頭の「禁脈之言」云々は「禁服之言」の誤りということになっているけれど。で、経脈篇に「寸口主中,人迎主外」という意識は有ったんだろうか。

『霊枢』における人迎寸口診を説明するにあたっては、経脈篇の記述をもとにして終始篇を援用するのが普通だろうが、それはひょっとすると大間違いなのではなかろうか。本来は人迎なり脈口なりを取って、「平常よりもどれほど盛んであるか」を診たのではないか。「寸口大三倍於人迎」などと言うのは、これもまた経脈篇編纂時の賢しらではなかったか。挙げ句の果てに後世から「人迎の脈はいつだって寸口より大きい」とそしられる。所詮、実践家の経験の蓄積ではないのだろう。

終始篇の人迎脈口診を考えるのに、経脈篇の人迎寸口診を援用しない。こういった態度でもう一度考えなおさないと、そしてむしろ終始篇の中から「寸口主中,人迎主外」の可能性を探し出さないと、どうして後代の「左右で内外傷を診る」脈法が人迎寸口診を名乗ったかの謎は解けないような気がしている。

神麹斎 01/22 13:17

235:[ 経脈説の誕生 ]

 近ごろ考えていることに、『霊枢』は単なる論文集では無くて、明確な意図を持った編纂物であろうというものが有ります。その意図とは「経脈というシステムを操作することによって病を癒す」ということです。で、その経脈とは何ぞや、という答えが経脈篇です。ところが、経脈篇の記述に至るまでには様々な経験の蓄積や論が有るわけです。『霊枢』はそれらを保存している。『難経』は一つの理論を貫き通し、全てをそれで完全に説明しつくそうとしています。そこが『難経』と『霊枢』の違いです。言い換えれば(割り切って言えば)『霊枢』の初めの部分は経脈篇に至る道筋であり、後ろの部分は経脈篇の運用である。そしてその双方に落ち穂拾いのあとが見られる。『霊枢』を読み返そうとは、この道筋における四苦八苦と落ち穂拾いに、より多くの価値を見出そうということです。
 先ず経脈とは何か。未だに解剖学的に探している人が有るとしたら、私には説得する能力は有りません。そういう考えの人を相手にしなければ、診断・治療のポイントと病処を結ぶ仮想の線が経脈です。その最初の形態のなごりが九針十二原篇の原穴にも有ります。五蔵に不都合が発生すれば、原穴に異常が見られ、その異常を治めることが出来れば、五蔵に生じた不都合も解決に向かうのではないかと期待する。その二部位をつなぐものが経脈というわけですが、ここで注意すべきことは、古代の中国人はその間をつなぐ物体を想定したということです。お祈りすれば、向こうで何かが応えてくれるのではなくて、ここを操作すれば、その情報が線条を伝達されて、向こうでしかるべき反応がおこる。この考えかたであるからこそ、経脈説が誕生し得た。つまり神無き世界の産物です。このことは経脈が発見されたものではなくて想定されたものであるということと共に、記憶にとどめたほうが良いと思います。
 診断・治療のポイントと対象分野をつなぐ線が経脈であるとして、ポイントは唯一ということはあるまいと発見にこれつとめれば、本輸篇のようなセットの成立を見ます。これによって経脈は末端から肘膝までは比較的詳細に記述されることになります。また、それでお終いではなくて、例えば手太陰は天府に至り、手心主は天池に至り、手足三陽は頚周りの諸穴に至る。結局、おぼろげながら頚脇付近までは記述されます。陰経脈について二つしか記述が無いというのは、つまり、陽経脈の発見整理のほうが古いということでしょう。
 さらに次いで根結篇に、足の陰陽、手足の陽のポイントの説明が有ります。ここにも手の陰経脈の説明を欠いていて、やはり陰経脈の発見整理のほうが遅れたことを示しています。ところが五蔵と陰経脈との関連付けは、六府と陽経脈との関連づけよりもむしろ古いようです。つまり、本輸篇や根結篇の記述は、体表を循行する感覚線についてのものであったと思われます。考えてみれば、私ごときでも時には患者さんからそういう感覚を告げられることが有るのですから、古代の名人がそれを発見し整理しないわけがありません。
 そこで深部への連線と表層循行線を発見し、それを統合しようとし、また諸派の学説を統合しようとして、そこそこの成果をあげたのが乃ち『霊枢』経脈篇であったと考えます。ところが経脈篇成立以降にも、そもそも編者自身に異説の存在の可能性、落ち穂拾いの必要性の認識は有ったようです。だから、経脈篇自体にも別(絡)の記述が有り、経脈篇に続いて経別や経筋に関する篇が存在するわけです。
 つまるところ経脈篇は臨床家の経験の直接的な継承ではなくて、多分に理論的(あるいは貶めていえば屁理屈)の産物であります。しかも編者自身が不足の存在をわきまえている代物であろうということです。したがって絶対視するのははなはだ危険であると思います。
 そもそも経脈説の価値とは何でしょうか。西洋医学の方法は、素人の蛮勇をもって言えば、細菌を殺すか、部品を取り替えるか、それが叶わなければ部品を取り外すことである。経脈説は、その他に、縦の情報伝達線を操作することによって、身体状況を改善できる可能性を示すものではないかと期待しています。本当に出来るのかとか、どうしてそんなことが出来るのかという疑問に応えるのは我々の役目ではありません。我々はこういうことが出来る、あるいは古代の人はこういうことが出来ると考えていたということを示せば良い。ただし、その時に経脈篇を絶対視したのでは、所詮は現代科学の批判に耐えられそうにありません。古代の名医の思考をたどりなおすことによって、むしろ事柄は明快となり、現代医学の批判に耐え、その盲点をつく可能性を生むと考えます。

神麹斎 01/20 09:13

234:[ 三部九候診新解 ]

『素問』三部九候論は、全元起本では決死生、『太素』は篇首を欠くので篇名未詳であるが、三部九候ではない可能性は高い。
「死生を決する」篇であってみれば、全文が三部九候診に関する文章とは限らない。「有三部,部有三候,以決死生」云々とあるから、三部九候診が中心となるのは間違いないが、例えば弾踝診が三部九候診の一部だとは言えない。
新校正によれば、中部と下部の診処を手足に指定した文章は篇末にやや唐突に在り、それは『太素』もさらには敦煌医書でもそのとおりである。従って後代の付け足しである可能性も排除できない。もし篇末の部分を棚上げにすれば、下部と中部も上部と同様に、診るべき対象の直接的な表層で診ていた可能性が出てくる。
診るものも確かに脈動であったかどうか、厳密には不明である。経文中の三部(上部とか中部とか下部とかも含めて)とか九候とかいう詞が出てくる箇所を検討してみると、根本的には「独小者病,独大者病,独疾者病,独遅者病,独熱者病,独寒者病,独陥者病」である。脈動についてが過半ではあるが、全部ではない。
問診で見当をつけて、触れるなり見るなりして異常が有れば、その内部に異常を推測する。
「七診雖見,九候皆順者,不死。」七診とは何か。おそらくは問診で知るべき七種の病症であろう。そうした異常が生じていても、九候にバランスが取れていれば、死までには至らない。
それにしても中部の候云々という句は度々出るのに、上部や下部というのは無い。脱簡か、あるいはやはり心と肺が直接的に死生に関わるということか。
さて、何故に三部九候診は早くに亡んだか。古いタイプのものは実は募穴診もしくは背兪診のごときものであった。これは細々とではあるが伝えられてきた。新しいタイプのものは原穴診であって、やがて「独り寸口を取る」脈法まで変化し発展する。言い換えれば、三部九候診というような独自のものはもともと実態が無かった。故に埋没した。

神麹斎 01/18 09:25

233:[ 二つの人迎寸口診 ]

『霊枢』の人迎寸口診の発想は、経脈の(最初期の)起点と止点を押さえて、その間の状況を知ろうとするものではなかったかと思う。そして起点を大淵(付近)に、止点を人迎に代表させる方法に簡略化された時に、相互に何倍であるとか躁であるとかによる手足三陰三陽の弁別法が工夫された。
後代の人迎寸口診は、内外傷を弁別することに主眼を置く。相互に何倍云々の字句を載せる医書はごく稀であり、しかもそこに重点はない。
左右で内外傷を診る脈法は、『素問』『霊枢』には無かったのであろうか。実は有ったのではないかと考えている。それは「左右のどちらがより早く(あるいはより良く)外界の状況を反映するか」そして「どのように反映するか」というようなことであったろう。そうした記述を探し出し、さらに現代医学的に有りうることであるかどうかの批判にも曝さなければならない。そこに初めて自然界に順応して生きる人間の、順応の不調と是正という壮大な物語が立ち現れてくる。
「左右の脈が示すものの性質は異なる」という発見から後代の人迎寸口診への道のりを示す文章を欠くので、「経典によりどころが無い」と言われがちであるが、この批判はあたってないのかも知れない。難ずべきは、不用意に人迎寸口診という名前を借用したことのほうである。

神麹斎 01/17 09:15

232:[ 胷中之氣≒胃中之氣 ]

ありがとうございます。期待した人から、期待したような回答をいただきました。

ただ、「太陰経と陽明経は表裏の関係にあることから,それらの診察目標もおのずと呼応すると考えなければならない。」は、『霊枢』経脈篇成立以降はなるほどその通りでしょうが、『素問』三部九候論当時もそうであったか、特に最初期の三部九候診においてもそうであったか。
もっとも、王冰は『霊枢』経脈篇以降の人ですから、その注釈の説明としては問題ないのかも知れません。

下の書き込みは、端的に言えば王冰の見ていた本はひょっとすると「胃中」になっていたのではないか、でもそんなこと無理だよね、『太素』も「胷中」だし楊上善の注もそれに沿っているし、ということです。

「最初期の三部九候診」云々は、三部の脈診部位の説明が原『素問』でも『太素』でも篇末に付け足しとして在ることから、もともとは上部と同様に診察対象の直接的な表層で診ていたのではないかと疑っているということです。中部と下部の診処が『霊枢』九針十二原の原穴の考え方とあまりにも一致することも疑念を増幅させます。そして残り一つが「胷中之氣」であることも。(読書会案内のページにとんでもない决死生論の臆解が置いてあります。)

神麹斎 01/15 08:14

231:[ 遠藤次郎「三部九候の研究」第一報 脈診の意義 ]

広義の形藏のうち,胃の気の診察部位は足の太陰であり,胸中の気の診察部位は手の陽明である。太陰経と陽明経は表裏の関係にあることから,それらの診察目標もおのずと呼応すると考えなければならない。一方,胸中の気(肺気)は胃の気が上部に注いだものである,という見方が多くの古典の中にみられる(『靈樞』口問・營氣・動輸など)。したがって,ここにおける胃の気と胸中の気の関係も広義の胃の気の範疇に納めることが可能である。 1988年『日本東洋医学雑誌』第39巻第1号

菉竹 01/14 23:11

230:[ 胷中 ]

『素問』三部九候論の中部の地のところ、
 地以候胷中之氣。
 王冰曰:手陽明脉當其處也。經云:「腸胃同候。」故以候胷中也。

中部の地が手の陽明であり、手の陽明が大腸経であるというのは許すとして、腸胃が同候だと、どうして「胷中」を候うことになるんですかね。誰も気にしてないようですが。何か間違いが有るんじゃないですか。

神麹斎 01/13 15:40

229:[ 原穴 ]

『霊枢』雑病篇に「腹満,食不化,腹嚮嚮然,不能大便,取足太陰」とある。この「足太陰」は、足の太陰経脈のどの穴でも可ということではなくて、(黄龍祥氏の所説に従えば)足の太陰経脈としてはじめに認識された線の末端部の治療点のことであろう。そして上記の症候は、『甲乙経』に「腹満嚮嚮然,不便,心下有寒痛,商丘主之」として見える。してみると、経脈説が発想された際の一つの道筋「原穴―五蔵」いう仮説も、少し余裕をもって考えたほうが良いように思う。逆に言うと、所謂原穴には何ほどの価値と蓋然性が有るのかも、若干割り引いて考えたほうが良いのかも知れない。そもそも手の太陰は、馬王堆灸経では、肺の経脈と言うより心の経脈と言ったほうが妥当であるとする意見も有るくらいだから、太淵は肺の原穴と言われて、そうそう素直にうなずくわけにはいかないではないか。

神麹斎 12/17 09:34

228:[ 是主筋所生病者 ]

>元代の王好古『医家大法』、杜思敬『針経摘英集』はこの句を断じて「是主筋。所生病者」とする。即ち「是主筋」の三字を上に属して読む。(黄龍祥『中国針灸学術史大綱』より)

読書会で、馬王堆医書がもう手に入らないという嘆きが有りましたが、灸経の部分は『中国針灸学術史大綱』に引用と解説が載っています。とりあえずこれを利用しておいてください。

神麹斎 12/17 07:41

227:[ 足太陰脈 ]

久しぶりの読書会で、しかも来月はまたお休みということで、今回は足太陰の脈のところだけ読みました。

足太陰の脈は、馬王堆の陰陽十一経脈を見ると、いきなり「是胃脈也」とあって、胃から起こって内踝の上廉に出ることになっています。是動病の中に胃の病として違和感の有るものは無さそうだし、「上走心」だって胃の膨満感の結果と言えるでしょう。胃と内踝の上廉をつなぐ線を経脈として仮設して、所産病もその線上に発生する諸問題であるとくくって、まあ問題はない。
変だなと思うのは、内踝の上廉にそんなに有力な穴は有ったかなという点です。三陰交は、実はもともと内踝の上八寸に在ったものです。現在の常識の三陰交なら内踝の上廉と言えないこともないけれど、そんなに下に持ってきたのはかなり後の人です。かろうじて商丘が「足内踝下微前陥中」に在りますから、古代の人はこれを「出内踝之上廉」と言わないことも無いかなあという感じです。でも、商丘にせよその付近の他の穴にせよ、足太陰の是動病とぴったりする主治症を持ったものは無さそうです。
それから、所産病のほとんどについて「死」です。所産病は、『霊枢』では言わずと知れた所生病です。所生病のイメージってそんなに深刻なものでしたかね。所産病に死という厳しい判断が登場するのはあと足厥陰だと思うけれど、どうしたことなんでしょうね。

あともう一点、先ず手太陰―手陽明―足陽明―足太陰というグループとか、この前面のグループのつぎは少陰と太陽という後面のグループに移って、最後は厥陰と少陽という側面のグループという、この関係には何か実際的な必然性とか、あるいはそう仮定したから何かができるようになったとかいう利点は有るんでしょうか。

神麹斎 12/13 08:54

226:[ 真珠と(真珠の首飾りの)糸 ]

同学の一人が北京で黄龍祥氏からいただいてきた雑誌の、もう一つの新しい論文を読んでいます。
やや乱暴にかいつまんで言えば、
>科学理論あるいは仮説は経験された事実に対する解釈であって、解釈によって構成された論理体系である。また言い換えれば一つの理論あるいは仮説には二つの成分が含まれる。その一は、経験された事実であり、現象の間の規律に関する知識である。その二は、経験に対する解釈であって、現象あるいは規律の本質に関する説明である。
そして真に価値あるものは「経験された事実」であって、「規律の本質に関する説明」は本来絶えず更新しつづけるべきものだと主張する。そして、
>実験研究の目的は古い理論的な枠組みを取り替えることであって(これこそが科学における革命の証である)、実験で得られた数値でもって古い枠組みが科学的であるとか偉大であるとかを証明することではない。
これには深い賛同の意を表するとともに、また、ほんの僅かの疑念を抱かざるを得ない。古い枠組みを捨て去り新たに求める枠組みは、結果として所謂現代西洋科学的な枠組みに近いものになりがちではないか。とすると、そうした枠組みは、彼らの世界において行き詰まりを自覚されているのをどう考えるのか。千百年来の中国人あるいはさらに東洋人が営々と築きあげてきた壮大な屁理屈のなかにこそ、あるいは我々とそしてあるいは欧米の科学者とを驚嘆させる拾いものが見つかりはしないか。
外国人に拾い上げられる日に至って、中国人はまた再び「もともとそれは中国に在ったのだ」と言いだして、自己の精神の安定を図るはめになるのではなかろうか。

神麹斎 12/10 12:50

225:[ 厥陰脈は前陰脈 ]

同学の一人が北京で黄龍祥氏の新しい論文が載った雑誌をいただいてきて、それをまた別の同学が翻訳してくれました。それに拠って、これに以前からの黄氏の論考を重ね、さらに愚案をもって敷衍して以下のごとく考えた。
十二経脈(あるいは十一経脈と言うべきか)の是動病とは、手足の腕踵関節付近の診断兼治療点によって診断し治療できる病であり、その点と治療対象の部位を結ぶ仮設の線が乃ち経脈である。その病とは黄氏が論考のモデルとした足厥陰脈では陰疝であり、その主要症状の部位は前陰および少腹部である。つまり厥陰脈とは即ち前陰脈であり、したがって馬王堆帛書に登場する歯脈、耳脈、肩脈と同様の考え方による命名である。だから当然、手の厥陰という名前の登場は随分と遅れる。私も自分の読書会で、足の陽明を「狂脈」とでも名づけたいと口走ったことが有るけれど、他の脈についても同様の検討をしてみたい。(足の陽明は言うまでもなく穀の脈です。ここでは経脈篇の足の陽明ということです。)
では、古代の医家の念頭には十一乃至十二の病しか無かったのか。そういうわけではない。陰陽論的命名法の数量的制限から漏れたものは、任・督・蹻脈のごとくやむを得ずして奇経とされてしまった。これらも発想という観点から謂えば、本来は十二経脈と何ら変わるところが無い。
では、絡脈もそうか。これはよく分からない。あるいはむしろ、同様な病に対する別の診断兼治療点、そしてその点とその治療対象を結ぶ線であったかも知れない。その点が先の経脈の診断兼治療点に近い処に存在すれば、両者の関係をあれやこれやと考え始めるのもまた自然の趨勢では無いか。そして絡穴は経脈上に配置され、絡脉は経脈の分支となる。

神麹斎 12/07 21:39

224:[ 許進京? ]

許進京というのは2004年7月に『発現経絡』という本と『最新実用診脉法』という本を、中医古籍出版社から出している人らしい。(同時に?)どういう人なのかは、その本を持ってないので分かりません。

前半はその通りだろうと思いますが、後半の「思想的基盤と具体的な方法の源は『易経』である」は眉唾です。『易経』は、古代中国のさまざまな思想と方法をその具体的な基盤としている、のほうが少しはましかも知れない。

神麹斎 12/04 08:24

223:[ 許進京『発現經絡』 ]

經絡学説は,古代医家が經と絡を用いて人体の複雑な体系を研究した系統方法論である。あらたに創造され,発展するものであり,固定不変のものではない。經絡は,決して人体内に生成されたものではなく,古代医家が人体の組織構造を概括し,生理病理を解釈し,人と天地自然について総合的に研究するための論理工具の一種である。
古代の医家がつくった經絡学説の思想的基盤と具体的な方法の源は『易経』である。


菉竹 12/04 01:22

222:[ 針経の粗筋 ]

【九針十二原】
九針のほとんどが局所に施すものだったのに、十二原のうちの十原では五蔵の問題に遠隔操作的に対処しようとしている。これはどういうことか。連想するのは三部九候診、これも最初は内部の状況を表層で判断しようとする方法だったと思う。ところが知恵者が手足の陰経脈で判断する方法に置き換えた。その手足の陰経脈の診処は要するに腕踵関節部である可能性が高いであろうから、つまり原穴である。診処の異常をその箇所で是正できれば、五蔵の異常も解消されると考える。具体的にはどうするか、毫針を用いて補瀉する。その技法の説明がつまり篇の冒頭に在る。
【本輸】
表層を循行する感覚(或いは組織)からの考察である。本篇の本輸から頚周りの穴に至る線、根結篇の根溜注入する穴をつなぐ線についての認識も、経脈説構築の根拠の一つであったろう。恐らくは、足陽経脈、手陽経脈、手足陰経脈の順で認識されたと思う。本輸穴の選択基準は四季の移り変わりであった。
【邪気蔵府病形】
どの蔵の問題であるかは色脈で定める。この脈の診処は分からないが、尺の皮膚の状態からも推量できる。どの蔵の問題であるかを定めた後に、原穴の脈状で病の性格を診て、治療の大方針を決める。六府の問題は、概ね症状から判断し、下合穴を用いて治療する。
【根結】
足の陰陽の根結は、点対点である。足の踵付近の診断点に異常が有るときに、上部のどこに問題が有ると推測できるか。手足の陽の根溜注入は、身体を縦割りにした認識である。身体は上下にどのように連なっているか、どのような一連の痛苦が考えられるか。両種の知識の蓄積、統合が本輸篇の記載のごときものに向かったと考える。
【寿夭剛柔】
寿夭の判断基準、ただしこれは粗筋からはややそれている。その他に、病処の内外陰陽と選穴の基準を述べる。要穴の選択基準がより抽象化する過程だろう。
【官針】
粗筋としては、「毫針で遠隔操作」に向かうのであろうが、ここでは毫針による局所施術のテクニックが開陳されている。これも勿論、重要な問題である。
【本神】
粗筋からは外れているにしても、精神的な要素は無視できない。
【終始】
根(あるいは末端)と結(あるいは頚周りの穴)という考え方が確立してみれば、その両端を押さえてその間の状況を知ろうという発想が生まれる。その末端の代表として大淵の脈動が選ばれ、頚周りの代表として人迎の脈動が選ばれて、ここに人迎気口診の原型が生まれる。

『針経』の粗筋は、「経脈に則って、毫針を用い、補瀉の技法によって、離れた箇所の(或いは全身的な或いは抽象的な)病苦を解決」したいという理想の追求であろう。

神麹斎 11/19 18:28

221:[ 薬と針と ]

昔の名人と患者の対話。
患者:先生、私の病気はお腹なんですよ、どうして足に針するんですか。
名人:じゃあ、あんたは薬をどこから飲むかね。
患者:だって、薬だから……。
名人:だって、針だもの。
名答である。名答ではあるけれど、やっぱり迷答でもある。何故ならば、例えば足が痛いときに薬を飲んだとして、口もしくはお腹と足をつなぐ線を考えたりはしないだろう。ところが古代中国の針医は、足と腹をつなぐ線を想定した。それがつまり経脈である。このやっぱり物質的な仲立ちを必要としたところが、むしろ中国伝統医学の、特に針医学の特徴であり本質であると思う。

神麹斎 11/18 08:54

220:[ 蔵府病とは何ぞや ]

蔵府病とは何か。針灸医学においては、原穴、下合穴、本輸穴、背兪穴、募穴などを駆使して対処すべき病症、言い換えれば要するに、ここに苦痛が有るからここに術を施す、というわけにはいかないものの概括。府病は概ね水穀に関わる異常、蔵病はさらにそれ以外の曖昧模糊とした問題の五分類。

神麹斎 11/17 21:25

219:[ 11月は中止 ]

11月の医古文同好会は、諸般の事情により、中止となりました。
したがって次回は、12月12日となります。

神麹斎 11/09 07:19

218:[ 太古とその次 ]

最初は痛苦の部位に直接手当したはずである。無論、触れ得ない場合にはその近くに手当てした。だから内部(裏)の問題に体表(表)で対処する。これがやがて背兪穴・募穴となる。
表裏の関係に次いで上下の関係が発見される。つまり体幹部の問題を手足のどこかで判断し処理する。(これは大飛躍であり、しばしば眉唾でもあるが、これが認められなければ針の医学は無い。)これが原穴・下合穴と臓腑の関係として整理される。この内部循行線は、ボタンとベルの関係の如きものであって、その中間部分はとりあえず関係ない。(コードは有る。それが最初の経脈である。)絡穴と絡病の関係も、本質的にはこれと同じである。
これとは別に外部循行線とでも言うべき感覚帯が認識されていた。これが本輸穴から頚・脇のおおむね天を冠する諸穴に至る線として整理される。経筋として整理されるものも、本質的にはこれと同じである。
この内部循行線と外部循行線が統合されて『霊枢』経脈篇の経脈になったという仮説は、やや言い過ぎであった。少なくとも陽経脈の内部循行線には、下合穴と六府の関係とは別の経験知識が用いられている。例えば、足の陽明が胃の脈であるという認識は確固としたものであったはずなのに、用いられたのは狂気との関係である。
また、最初に腕踵関節付近と臓腑との関係の整理に漏れたものは改めて絡として整理され、これは大部分が経脈説に統合された。
ただ、先に述べたように下合穴の知識の大部分は統合されなかった。背兪穴・募穴も同様である。

原穴・下合穴・背兪穴・募穴などで、治療可能と考えられる症候群が整理され、臓腑の名を戴いて認識される。そうすると、ある患者の状態を診て、どの症候群であるかを判断し、どの孔穴の組み合わせで対処するか、という問題になる。無論、原穴・下合穴・背兪穴・募穴などで対処できなければ、その前後にも探し求めるわけで、結局は本輸穴の選択の問題を生ずる。また、この経脈とあの経脈の関係などということを発生する。ここに理論的根拠として陰陽五行説が用いられ、意外な組み合わせが浮かび上がり、それがまた著効をもたらすことがしばしば有って、針の医学は発展の途につくわけであるが、だんだん胡散臭くなるのも免れがたい。

神麹斎 10/31 13:57

217:[ 募穴とは何ぞや ]

原穴、背兪穴、募穴の蔵府病に対する威力は如何に?
純粋に『内経』の世界からみれば、第一が原穴、次いで背兪穴、で、募穴は何だか胡散臭い。
原穴は『霊枢』九針十二原篇に「五蔵六府の疾有るものを主治する」と言ってますし、背兪穴は背兪篇に「五蔵の兪の背に出るもの」云々とあって、『素問』血気形志篇にも別の取法が載っている。
募穴は『素問』通評虚実論に「腹が暴に満して、按じても下らなければ、手の太陽の経絡を取る、胃の募である」とあったり、奇病論に「気が上に溢してそのせいで口が苦いものは、これを治するに胆の募兪を以てする」と言ったりしていますが、これは単にツボという意味に過ぎないと思います。腹部の所謂募穴とは限らない。
ただ、内臓の状態の体表への現れという意味では、腹部への現れは最も有りそうなことだから困ってしまう。背中への反応の現れと腹部への反応の現れとの甲乙はともかくとして、腕踝関節への反応の現れよりは少なくとも「現代的には」理解しやすいんじゃないですか。
では、『内経』の世界では全く気づかれてなかったことを、後世の誰かが突如として言い出したのか。そういうわけでないでしょう。実は窃かに考えていることは有ります。例の三部九候診の古いタイプ、中部・下部の天地人も実は、上部の天地人と同様に局部の状態でその直下を診断する方法だったはず、という私の妄言のことですが、これが時を経て再び注目され、整理されたのではないか。陰陽論的な説明と、『素問』に現に有る胃の募とか胆の募とかいう言葉の影響で、何となく六府の募穴のほうが主要なものという人もいるけれど、そういうわけでもないでしょう。

神麹斎 10/19 12:43

216:[ 思考の嗜好 ]

「徹底破壊と再構築の宣言」は、まあ話半分に聞いておいてください。半ばは嗜好の問題です。毒気に当てられても責任は持てません。

『難経』の陰陽五行説的整合性は、実は好みなんです。でも信じることはできません。
そもそも中国古典医学には神秘は有りません。早々と手を切ったはずです。
古代中国人は、世界は説明できると考えた。(神様がそう決めたんだから、そうなんだ!という思考停止は無い。)その説明方法として、陰陽五行説は当時としては最も合理的だったとは言える。だからといって、その説明を二十一世紀の今日、素直に信じる馬鹿がどこにいるか。(この世界にいる。)
陰陽五行説で思考する古代中国人が、実際には何を経験していたのか、何を考えていたのか。それを実感する為には、我々もまた陰陽五行説で思考する必要は有る。だからといって彼らの思考の限界にまで付き合う義理は無い。二千年の時間の経過は、我々の頭脳を少しは明晰にしたと思いたいではないか。(テレビのモーニングショーに「今日の占い」なんてのが有るところをみると、二千年たっても思考も嗜好も変わってないんだろうか、と思うけれどね。)

神麹斎 10/19 00:01

215:[ BIG BANG ]


  いよいよ新しい物語の誕生へ・・・

    胸ときめかせております

辛臼歯 10/18 16:21

214:[ 徹底破壊と再構築の宣言 ]

いい加減に格好いい臨床は諦めようと思う。

正直言って陰陽五行説的な説明なんぞを信じることは出来ません。
ただ、身近に接している諸先輩の見事な臨床は憧れです。説明はともかくとして、起こっていることには疑いを差し挟む余地は無い。だから、信じられないのに、その方法を理解し使おうとしてきました。あるいは、自分で納得できる説明を『内経』によって築き上げようと足掻きながらも、日常的には陰陽五行説的なマニュアルを使用してきました。これは精神に亀裂をもたらします。言い訳のために書いた雑文もいくつか有ります。正しく未練のなせるわざです。
いい加減に格好いい臨床は諦めようと思います。
『素問』、『霊枢』をひもとき、さらに根源に立ち戻り、そこで分かった(と思った)ことと、そこから派生した精確な(と思える)思考だけに拠る臨床は、正直言ってきついです。そんなことが可能だと思うのは、正しく蟷螂の斧です。
それでも、中国伝統針灸さらには日本伝統針灸のカラクリを一旦破壊しようと思います。そして、かなわぬまでも根源からの再構築を志します。おそらく、今日明日明後日には何も無いでしょう。
再構築を企てるとは、つまり新たな物語を欲すると言うことです。経験的治療と理論的治療の違いとは、物語を有するかどうかだと思います。もう一つ別の新しい物語とは、西洋科学的現代医学とは別のということと、さらにより大きな志として、陰陽五行的古代医学とは別のということです。その物語の種は、もとより実験室からではなく、また凡百の臨床経験からでもなく、古典を遡ることによって、言い換えれば古代の名医の臨床経験から、先ず第一に得ようと思います。

そんなことが可能だと思うのは、正しく蟷螂の斧です。でも、私にはもともと他の道は無かったんだと思います。

神麹斎 10/16 13:29

213:[ 昭和も遠く ]

今、島田先生の『素問』講義のテープを起こして、素問講座onNetと銘打ち、やっと「宝命全形論第二十五」まで来たところです。ときどき胡天雄『素問補識』を利用されています。懐かしい名前ですね。もうすっかりそうした人がいたのを忘れかけてました。
で、最近、『霊枢』経脈篇を読むにあたって、当然ながら馬王堆帛書の灸経は気になるわけで、周一謀・蕭佐桃主編『馬王堆医書考注』を引っ張り出してみたら、参加編写人員の一人が胡天雄さんでした。何故だか今まで気づかなかった。
実は例の天安門事件の頃に長沙で学会が予定されていて、島田先生も参加する心づもりで私が連絡にあたってました。結局、あの騒動でそのままうやむやになってしまったけれど、無事開催されていたら胡さんにもお会いできていたのかも知れなかったんですね。
胡天雄さんももう亡くなっているはずです。『馬王堆古医書考釈』の馬継興さんは、一昨年お会いしたときはお元気でしたが。この両書も含めて、馬王堆の医書に関する出版物は、もうほとんど手に入らなくなったらしいです。はやくもブームは終わったと言うことですか。

神麹斎 10/13 22:50

212:[ 壮大な物語 ]

神麹斎先生
『黄帝内經靈樞臆解』拝読しました。
私はこれまで古典の字面を追うだけで精一杯でありましたが、ここまで深く掘り下げて読むものであるかと驚嘆し、またそこに1つの壮大なストーリーが秘められていることを知って感動致しました。

経絡とは治療行為を成立させるために、肉体という実像と仮想システムである虚像を結び付ける懸け橋の役割を果たすものであること、そしてその性格上、経絡自身が実像と虚像が渾然一体となった存在であることを学びました。

また補瀉については、経絡の一端を成す実像部分であるところの経穴に施術することによって、経絡のもう一端である虚像部分に仮想的変化(第三者から見れば仮想的であるが、患者と術者にとっては実像の世界にフィードバックされる現実的変化)を呼び起こすものであると了解致しました。

実像と虚像を跨いで生み出される事象であるならば「身体のほうで勝手にしかるべく反応してくれる」とも言えるでしょうし、術者も1つの生命システムとして鏡像関係にあるわけですから、患者と術者を合体して1つの場と考えれば「術者が補と信じて行えば補、瀉と信じて行えば瀉」であるとも言えるのでしょう。

今回、古典の世界に広がる壮大な物語に触れることができたのが何よりの収穫でした。

お忙しい中、懇切にご指導頂き誠にありがとうございました。
この場をお借りして、ご厚意に心から御礼申し上げます。

辛臼歯 10/13 17:07

211:[ 胸中の気 ]

所謂「三部九候診」において、下部の「天は以て肝を候い、地は以て腎を候い、人は以て脾胃の気を候う」、中部の「天は以て肺を候い、地は以て胸中の気を候い、人は以て心を候う」と言い、五蔵を候うほかに、「胸中の気」なんぞというものが有るのは何故か。そして何故、それを手陽明で診ると言うのか。
つまり、足の陰経脈は3本、手の陰経脈は2本、そうとしか考えられなかった時代の産物である。手厥陰なんて、まだ想像もできなかった。
だから、当然、経脈篇よりも古い。

神麹斎 10/13 13:44

210:[ 三部九候診なんて無かった ]

『太素』巻14の首篇に、「下部有り、中部有り、上部有り、部に各々三候有り、三候とは、天有り、地有り、人有り」とあって、「下部の天は以て肝を候い、地は以て腎を候い、人は以て脾胃の気を候う」、中部は「天は以て肺を候い、地は以て胸中の気を候い、人は以て心を候う」、上部は「天は以て頭角の気を候い、地は以て口歯の気を候い、人は以て耳目の気を候う」とある。しかし、それをどこで診るかは、篇末に付け足しのように書かれているだけである。そこで窃かに、もともとは候うべき対象に近い体表部の拍動を診たのでは無いかと考えている。後になって知恵者が、中部と下部については、五陰経脈と手の陽明で診ることを思いついたのではないか。
三部九候論という篇名は王氷が『素問』を整理したときにつけたものに過ぎない。百歩下がって『甲乙経』巻4に三部九候という篇が有り、その篇名が当時からのものであると認めたとしても、『素問』や『霊枢』が覇を争っていたころに、「三部九候診」というものが有ったとは思えない。最初の各部で各部の状態を診る方法は、全身に散在する拍動異常でその場の異常を知る方法が、やや整理されたものであって、「死生を決する」方法のうちの一部に過ぎない。後に加わった中部を手の脈、下部を足の脈で診る方法は、つまり、すぐにも経脈診へと変質していくだろう。
で、手の陽明で胸中の気を候うという一項を省いて、五陰経脈の腕踝付近の拍動を診る方法が変化したのが、九針十二原篇の十二原穴中の十原穴であると、これもまたまた窃かに考えている。もしそうであれば、『霊枢』に三部九候が無いのは当然であるし(もし有ればそれは兪穴診、背兪診あるいは原穴診といったものに姿を換えていると思われるし、そうしたものは現に存在する)、『素問』に有るという三部九候だって(そうあっちこっちに有るわけではない)、実態がどんなものであったか知れたものではない。

全身に散在する拍動をさらに整理して、人迎と脈口だけになれば人迎脈口診であろうし、人迎と寸口を比較してどの経脈の病であるかを知ろうとすれば経脈篇の人迎寸口診である。この人迎と脈口・寸口・気口を診る方法と後の世の、腕関節の左右に診処をかえ、また内因と外因を診ようとする人迎気口診との間には、本来ほとんど何の関係もない。

神麹斎 10/12 14:52

209:[ またまた ]

またまた、そういう言い方をするから、また読者を減らすんですよ、神麹斎センセイ。

蔭軒 10/12 12:48

208:[ 言いたい放題 ]

霊蘭之室は、私が言いたいことを言い散らすためにやっているのであって、サービスをしているつもりはありません。
九針十二原篇については、今の私が言えることは既に言っています。この内容について、ここが分からない、あそこがおかしいという、質問や反論であれば歓迎します。
九針十二原篇の字句について、どう読むのかとか、どういう意味だとか問われても、溜息が出るだけで、何も言う気にはなりません。

神麹斎 10/12 10:50

207:[ 手足陽明之脉 ]

手陽明之脈
○流注:手の陽経脈については、内部循行路線に関する資料は無かったのではないか。馬王堆の陰陽十一灸経に記述された歯・耳・肩の脈は、本輸篇や根結篇にある外部循行路線とは別物である可能性が有って、これは陰経脈や足の陽経脈の内部循行路線(と言うか外部循行路線ではないもの)に相当するものとして考え出されたのかも知れない。三部九候診の上部の両額の動脈・両頬の動脈・耳前の動脈も何か関係が有りそうに思う。馬王堆のものからすれば、歯の脈でつまり合谷と歯をダイレクトにつなぐ線が、内部循行線と言えようか。三部九候診では上部の「地以候口歯之気」であるから、腕関節部のどこかと口から頬にかけてと言えばよさそうだが、実はそうはいかない。中部の「地以候胸中之気」とあって、また「中部地,手陽明也」とあるからである。で、具体的に手陽明の流注の記載を見てみると、大指の次指の端から頸に至る線は、本輸と扶突を結ぶ線に相当する。これにやっぱり歯に至る線を加える。さらに次の足陽明につなぐために、鼻の下で左は右へ行って右は左へ行って鼻孔を挟む。交叉させる理由は(本当は)わからない。また肺を絡い大腸に属すための理論的な線を加える。途中の「柱骨之会上下」(普通は下字は下句に属させる)も少し気になる。海論に「膻中者,為気之海,其輸上在于柱骨之上下,前在於人迎」とある。ここにもまた気だとか膻中だとか……。肩から頸の後ろへ行って反転して前の膻中へ下るという手応えをどこかでつかんでいたかも知れない。
○是動病:だからつまり歯と頸の病だけである。さらに陰陽十一灸経では頸ではなくて、䪼である。䪼は眼眶の下、つまり頬である。こっちの方が良い。頸だって悪くないけど、それはむしろ所生病に相応しい。
○所生病は、目の下まで伸ばした場合の流注上の病候ということで良い。気有余とか虚とかで整理しようとしてすぐに挫折してしまったわけだけど、所生病の本義ということになればむしろ忠実である。
●手の陽経脈を通じてのことだけれど、是動病にも所生病にも、冠された府にかかわるようなものは何も無い。

足陽明之脈
○流注:足陽明の膝から下に三里・上巨虚・下巨虚と並ぶから、胃・大腸・小腸に関わる流注が有って良さそうなものなのに、それが無い。不思議だ。本輸と人迎を結ぶ線の他は、概ね流注を次へつなぐための線と、理論的に脾胃を関係づけるための線である。ただ、顔をめぐる線が有る。この線は馬王堆の灸経にも記載が有る。或いは、三部九候診の上部の両額の動脈は、これと関わるのかも知れない。(しかし、現在、顔面の問題でただちに足の陽明をさぐる術者も珍しいだろうねえ。)
○是動病:これはもうほとんど全て「狂」の症状である。胃に関する記述が無いのが不審だが、足陽明と太陰が消化器に関わるという記述は、他の篇にも随所に見える。「胃之」という二字を冠することでここはひとまずすませておいて、詳しい記述は足太陰に譲ったか。
○所生病:概ね流注上の病候だけど、すこしだけ胃に関わるものが有る。これは入り混じちゃったんじゃないですかね。

●「是主津液所生病」とか「是主血所生病」とかの読み方もよくわからない。或いは「是主○」は上の句(是動病)に属して、「……是主津液。所生病者,……」とか「……是為骭厥,是主血。所生病者,……」ということは無いか。馬王堆の陰陽十一脈灸経で、例えば(足)陽明脈が、概ね「……此為骭蹶,是陽明脈主治。其所産病,……」と解されていることからも、可能性は大いに有ると思う。
●内部循行線と外部循行線の統合という仮説は、早々と立ち往生気味です。(でも、簡単には諦めないからね。)だから、是動病はこうこうこういうもの、所生病はこうこうこういうものと、あたりをつけて読んでいるわけだけど、そうそう上手くはいきません。でも、誰かが分かっちゃったから教えを垂れたんじゃなくて、みんなでそれまでの経験を持ちだして、侃々諤々やったんだと思います。足陽明については、「狂気にかかわる」という経験が、他を圧倒したんでしょう。
●内部循行路線は、特に陽経脈については、特効穴とその対象部位とを結ぶ線と言い換えます。各所に散在している特効穴のうち、腕踵関節付近の特効穴から伸びる線が経脈、それより少し上の特効穴から伸びる線のうちのいくつかが絡脈となる。その他の特効穴は経絡説には統合されなかった。例えば下合穴とか募穴とか背兪とか。(仮説ですよ。)

今までのところを強引に総括すれば:
手太陰は胸部(心と肺)の諸症状。
手陽明は歯と、ひょっとすると胸の諸症状。
足陽明は狂気に関わる。
そして、各経脈の(表層)流注領域の痛苦。手陽明は、頸椎に行っているというのも、重要な認識だったかも知れない。足陽明は、目とか顔の周囲へ行っているとかいうのも、重要な認識だったかも知れない。

神麹斎 10/11 08:42

206:[ 補には曰く ]

陰陽とはそれをどう把握するかであり、補瀉とはそれをどう処理するかである。したがって、様々なレベルの虚実と補瀉が有る。

例えば、原穴を操作することによって、五蔵の病候を改善できると考えれば、原穴の盛・虚・熱・寒・陥下などに対して補瀉を試みます。下合穴を操作することによって、六府の病候を改善できると考えれば、下合穴の盛・虚・熱・寒・陥下などに対して補瀉を試みます。本輸穴を操作することによって、経脈支配下の痛苦を軽減できると考えれば、本輸穴の盛・虚・熱・寒・陥下などに対して補瀉を試みます。(盛・虚・熱・寒・陥下など、というのは例えばということです。要するにその箇所の偏りを是正します。)
五蔵や経脈の虚実という概念が成立すれば、その虚実を補瀉する段取りを工夫します。ボタンとベルの関係で言えば、ガンと鳴らしたいかコンと鳴らしたいかは、ボタンの選択によるのか、押しかたの工夫によるのか、とかね。
蔵府経絡から病因病理に至る壮大な虚構を築き上げれば、その虚構を補瀉の対象として、いろいろ悩むわけです。陰陽五行の関係で補瀉の効果が本当に発生するのか、とかね。
現在が如何なる情況であり、どのような方法を取ってどのような情況にもっていきたいのか、というお話が無いのは医学ではありません。お呪いお払いの部類です。「どのような」には当然「虚実」が有るし、「どのようにして」には当然「補瀉」が有ります。
しかし、いずれの場合でも、術者が具体的に操作できるのは、実は穴の虚実に対してだけだと、今は思っています。(面に対する施術を否定するものでは有りませんが、点に操作して、線を介して、塊を変化させるというのが、伝統的針術の本質だと思っています。)その操作の結果、身体が予定通りに補的あるいは瀉的に変化してくれるかどうかが、治療の分かれ目だと思います。中国伝統医学の世界に、虚実という概念が有り、補瀉という手段が有るのは当然です。問題は、実際にやる補瀉の操作と、そうなってほしいという期待の補瀉の区別です。刺絡などは操作としては瀉の最たるものだと思います。でも、刺絡の目的が身体に対する瀉的な効果ばかりだとは、如何になんでも思わないでしょう。つまり、そこに虚構が必要とされる。

「瀉には曰くこれを迎える」とか「補には曰くこれに随う」とかは、とりあえず「読書会案内」に入って、『黄帝内經靈樞臆解』の九針十二原の部分を読んでみてください。話はそれからです。
極端に噛み砕いて言ってしまえば、迎とは奪うということです、随とは待つということです。(また誤解を楽しむような言い方を……。)

神麹斎 10/09 21:10

205:[ 補瀉なんです… ]

あまりに漠然としたお尋ねの仕方をしてしまいました。
つまり、まだ何をどうお尋ねすればいいのかという整理ができてないのです。私にとってそれほど補瀉は悩ましいのです…

ブザーとベルの関係を発見した当時はまだ補瀉の概念は無かった(必要無かった)のだろうと想像しました。対症療法から病状や病因を判別して行う治療へと発展する過程で補瀉が生まれてきたのではないかと考えました。

まずは個々の問題から出発させて頂けますでしょうか。
『霊枢 九鍼十二原篇』の「補には曰くこれに随う」は経脈の流れに随うことではないとのご指摘がすでに驚きです。
迎・随とはどういうことを意味するのでしょうか。

たどたどしい質問の仕方で申し訳ありません。
よろしくお願い致します。

辛臼歯 10/09 11:13

204:[ 補瀉ねえ…… ]

「当時の鍼灸ではおそらく補瀉の概念はなかったのではないか」、当時というのがいつのことなのか問題ですが、『霊枢』編纂の目的の一つが「補瀉の運用による針術」だったんじゃないかと思っています。だからそれ以前には、明確に「補瀉が針術の根本」というような意識は無かったろう。どっちみち曖昧な言い方ですがね。ここを暖めるのか、冷やすのか、というような選択の問題は最初から有ったはずですから。
補瀉は、実際的には局所の補瀉だと思います。理論化が進めば、それによって蔵府や経絡の補瀉という概念も構築されていくでしょうが、現実に操作できるのはポイントに施す技法でしょう。で、九針十二原では徐刺速拔、速刺徐抜の補瀉こそが、針術らしい針術であると宣言しているわけです。これもやっぱりポイントに施す技法でしょう。「微針を以て、経脈を通じ、其の血気を調え、逆順出入の会を営らす」と言ったって、「補的に通ず」とか、「瀉的に営らす」とか言う意味ではないでしょう。そういう技法はポイントに施して、その結果として通じ調い営って、身体は平常を回復するんでしょう。(通じ調い営ぐる様が補的であったり、瀉的であったりということは有るわけで、あらかじめそのように、ポイントへの操作を加減するという発想は生まれてくるでしょうが、針灸医学発展の次の段階だと思う。)「瀉には曰くこれを迎える」と「補には曰くこれに随う」は、一般的に誤解されていますが、経脈の流れを迎えるとか流れに随うとかじゃないですからね。
原穴と五蔵の病候について言えば、原穴の脈動の強弱・寒熱などに相応しい技法を施せば、五蔵の機能亢進とか低下とかもそれに伴って改善されると考えたんでしょう。本輸のどれかを選んで、その穴の硬軟・寒熱などに相応しい技法を施せば、その経脈支配下の寒熱とか弛緩・緊張も正常化すると考えたんでしょう。
蔵府とか経脈とかを、直接に補瀉するなんてことは、今もってできないんじゃないでしょうか。穴の虚実に補瀉という技法を施すことによって、結果として蔵府や経脈が機能を回復したり抑制されたりする。最初は多分、両者の虚実は連動していると考えたと思う。そのうち、病候は虚だけど、穴の反応は実なんてややこしいことも考え始めるでしょうが。そして、複雑化して、高度にはなったけれど幻想的になる、だんだん詳細緻密になるけれど、だんだん怪しくもなる。
とは言え、現在の臨床の実際ではとなると、使うつもりの穴に、少なくとも凡人に感知できるようは虚実も寒熱も無いことが多いんじゃないですか。そうすると理論的に割り出して補瀉の選択をするしかない。それはまあ、虚実も寒熱も特に感知できないということは、つまり虚である、でも大過無いのかも知れませんが。身体のほうで勝手にしかるべく反応してくれるのかも知れませんが。(また、非難の囂々が聞こえてくる。)

以上は、私自身が暗中模索で、苦し紛れに「今」考えていることです。明日はまた、何を言い出すか、分かりませんよ。

神麹斎 10/07 21:22

203:[ 医学と医療 ]

新米鍼灸師としては臨床の実際において、先ず経絡図や陰陽五行説ありきという視点では何か本末転倒のような気がして、患者さんを目の前にして隔靴掻痒の思いがありました。
今更ではありますが鍼灸とは何か、鍼灸を発見した古代の治療家は患者さんを前にして何を感じ、何を考えていたのかという疑問が頭を離れなかったのです。

そのため今回千載一遇の機会を得て、しつこくお尋ねさせて頂きました。
懇切丁寧にご教示頂きありがとうございます。
ご厚意に深く感謝致します。

お話を伺いながら「医学」と「医療」の関係に思い至りました。
個々の経験を集約するには何らかの概念が必要になり、更にそれを経験のない他者に伝達するには頭で納得させるための理論が必要になる。このようにして経験の一般化が行なわれる過程で医学が構築されていったのではないかと思います。その過程で理屈の方が先行して経験が後追いになる、あるいは捻じ曲げられてしまうということも起こるのでしょう。

しかし臨床の実際は医療であります。目の前の患者さんは古今東西唯一人、万巻の症例集を探っても当人の記載はあるはずもなし。
一般化された医学を如何にして個別の医療に資するか、それが治療家の苦悩であり力量であると痛感する今日この頃であります。

このような素朴な思いに、正面から応えて頂き心強い限りです。

調子に乗ってもう1つ素朴な質問をさせて頂きたいのですが、宜しいでしょうか。
経絡の次は補瀉が難問です。
今回解説して頂いた当時の鍼灸ではおそらく補瀉の概念はなかったのではないかと想像します。

「談話室」の方に宮川先生の「内経補瀉考」という論文が紹介されていたので拝読しました。主に局所について 虚実-寒熱-補瀉 の関係が述べられており、大変参考になりました。

しかしそこから内生の邪(痰湿等)への瀉法、五臓の補瀉等への展開が分かりません。
私自身、臨床では一応補瀉を行ってはいるのですが、正直その時「実際は何がどうなっているのか?」具体的にイメージすることができないのです。

果たして鍼灸で局所以外の補瀉の意味があるのか、と思ったりもします。

矢継ぎ早に質問して恐縮です。
「補瀉とは何か」ご教示頂けたら幸いです。

辛臼歯 10/07 11:30

202:[ ブザーとベルの関係 ]

ブザーとベルの関係の発見は、特効穴の発見と似たようなものだと思います。
結局は天才とか名人とかのなせる業でしょう。私のような凡人にはほとんど計り知れないものです。それでも、私自身の体感として、足が冷えると腹の具合が悪い、三里に灸をすえると少しは楽になる。あるいは風邪をひいて鼻水が垂れる、そういうときは腕がぞくぞくする、手の三里や曲池をきつく押さえると少し楽、置針するほうが簡単、鼻水の垂れるのもとりあえずとまる、灸をすえればもう少し長く止まっている。とまあ、それくらいの経験は有るわけです。その数倍あるいは数十数百倍の能力というのは想像できます。
頭が痛いときにこめかみに手をやるのと、歯が痛いときに合谷を押さえるのは、同じようなものなのか、異質のものなのか。天才にとっては同じようなものだったんじゃないか。そういうことを直感できる人もいるんだと言われるほうが、誰かが何か様から巻物を授かったと言われるよりは、まあ信用できる。
最初の針治療は、病苦の局所に(針のようなものを)施したはずです。でも、ちょっと離れたところにも変化が生まれることを発見するのに時間はかからないでしょう。で、その変化が内部の症状だったり、全身症状だったりすると、どこに何が起こったというのは困難です。そこで、原穴で五蔵の病が診断・治療できるというのではなくて、診断・治療できた病候が抽象化されて、五蔵の病候としてまとめられたんだと思います。五蔵の病候というセットができかかってみれば、あれが出来るならこれだって、という発想はすぐにはじまる。ただ、妄想も始まるわけです。「こうやったらああなっちゃった」という経験を蓄積し抽象化するのは、まあ大丈夫だと思う。「ああしたいからこうやる」への転換は、かなり危ない。それをつまり妄想と言ってみたわけです。陰陽五行説が力を持ってからは、ますます酷くなる。「こうやったらああなっちゃった」という素朴な直感あるいは誤解(本当は偶然だったかも知れない)のほうが本来で、陰陽五行は説明にすぎないのだけど、哲学的な説明のほうが威張っている。意外と臨床家にそういう傾向が強いのは不思議ですね。マニュアル崇拝に過ぎない、とまでは言わないけれど。
有史以前と言うほどでもなくて、『素問』『霊枢』の中にもかけらは散在していると思います。

最終的には「是動病も所生病も同じことを指している」という結果になるんだったら、是動病とか所生病とか区別して考える必要も無いようなものだけど、つまり、ブザーとベルの関係であって、経脈のどこもが同じ治療効果を持っているんじゃないんだよ、全ての穴が経脈の上に配列されているなんてのも迷信だよ(また、反発されるだろうなあ)、というようなことを考えるには有意義です。勿論、経脈の上に配列されていると考えたほうが都合が良い場合も有るだろうし、このブザーで鳴らなければ、別のブザーを探すということも有るんでしょうがね。

神麹斎 10/06 21:33

201:[ 発見と発明 ]

神麹斎先生
期待通り、新しい世界に瞠目致しました。
長い歴史の中で様々な発見と発明が積み重ねられ、生き物のように脱皮や変態を繰り返して今日のような姿になってきたのですね。
もしかして現在の姿も成長過程の通過点なのかな。

私は外部循行線の発見が経絡の起源であり、その後逐次発明が付け加えられ構築されてきたと思っていました。
内部循行線の概念、そして是動病との関係は初めて知りました。
霧が晴れた思いです。

そこで更に興味が湧くのは、内部循行線の発見と発明はどのような推進力によって進められたのだろうかということです。
外部循行線は感覚線の存在の経験から、直感的に所生病との関係を構築することができたのだろうと予想できます。

内部循行線の発見はひたすら試行錯誤した結果なのでしょうか。
古代の人が動脈拍動部に関心を持ち、そこへ灸することで何らかの病を治療できると期待し試行錯誤したと想像することはできます。
しかし感覚的裏付けがないものを追求するより、直感的に納得できる外部循行線の開発の方に傾倒するのが自然ではないかと思ったりもします(私の個人的な好みの問題かも)。
それとも腕踵膝部と是動病のブザーとベルの関係を追求させる推進力となる何らかの概念が存在したのでしょうか。

そこまで遡ると有史以前の世界のお話になってしまうでしょう。
私的興味で申し訳ありませんが、もし神麹斎先生が何らかのイメージをお持ちでしたらお聞かせ頂ければありがたいです。
よろしくお願いします。

辛臼歯 10/06 10:19

200:[ 内外 ]

これは黄龍祥氏の論文に触発されて、私が抱いている妄想というようなものですから、そのつもりでお願いします。当然、とんでもない勘違いという可能性も有りますが、少なくとも今の私はこれが妥当だと思っている「お話」ということです。

そもそも経絡というモノは無いのに、経絡という考え方は有る、というのはどういうことか。だれかが実践経験で得た知識を積み上げて「お話」を作ったんです。で、そのお話を利用して、患者の状態を検討し、施術を指導すると大いに効果が有ったから、今まで伝わってきたわけです。(「お話」の魅力によって伝わる、ということも有るからややこしい。ホラ話のほうが楽しいってこと有るでしょう。)

今のところ、経絡説成立の柱の一つは、原穴と病候部位、下合穴と病候部位を結ぶ仮想の線だったと思います。(したがって、本来は是動病と原穴や下合穴の主治症は一致しないとおかしいけど、後から新しい経験がどんどん加わるからそうはいかない。)本当はもっと多くの雑多な経験が有ったはずだけど、そのように、腕踵膝部に集約されていったわけです。(三部九候診もその過渡期だと思う。また余分なことをいうから混乱する。)この診断兼治療点と病候の在る部位を結ぶ線には、元来は中間というものは無い。ブザーを押すと向こうでベルが鳴る。つないでいるコードは有るけれど、コードを押したって何もおこりません。
もう一つは、腕踵から頸や脇に達する、基本的には表面を行く感覚線の存在を経験したのだと思います。本輸穴と頸の天の字を冠する諸穴、あるいは根結篇の記述などをイメージしています。その循行路線の支配下に在る病候は、路線上の点を操作することによって改善できると期待する。この線は当然ながら連なっているし、どこを押しても双方向に影響を与えるだろうけれど、それはやはりより有効な点というものは有る。
で、この内部循行線と外部循行線を統合した人が有る。お話を作ったということですよ。その病候は、出自が違うんだから併存させた。内部循行線と外部循行線が統合されてみると、腕踵膝部の点が診断し治療できると推測する病候は流注の知識によって拡大していくだろうし、外部循行線が行くところに生じた病のはずだったものが内部循行線の支配下領域も何とかなるんじゃないかと言い出す。と言うわけで、統合後まもなく是動病と所生病は互いに境界を侵しはじめたでしょう。
このときの経脈は、施術と効果を結ぶための仮想の線(有った!じゃなくて、有るはず!!)だったと思う。おまじないじゃないんだから、何も無いというわけにはいかない。(具体的に何が伝達したかと言えば、それはやっぱり神経でしょう、多分。)
ところが、線ということなら血管系も有る。これも統合しようとする者が現れる。そこで、経脈に全身を栄養する役割と循環という性質が付与される。そして、循環させることも針治療の手段の一つとなる。
……とまあ言うようなことを考えています。

ご質問にそって言えば、「原穴で診断及び治療ができる」、ある意味で「ここが痛いとかあそこが動かない」というのとは次元の異なるものが是動病で、「体表面を縦に走る路線の支配下に生じる病苦」で、その路線のどこかに施術することによって、必ずしも局所に施術しなくてもなんとかなりそうなものが所生病ということになります。ただし、二つの「お話」から産まれた2種類の路線が統合されて、言い換えれば身体の内外をあわせて循行する経脈になってみれば、認識は相互に浸透しあって、最終的には「是動病も所生病も同じことを指している」という結果になりかねません。

神麹斎 10/04 21:35

199:[ 引き続き「是動病」について ]

神麹斎先生
お言葉に甘えて参じました。
くどいようで申し訳ありません。
「原穴が動ずるときの病」とはつまりはその経絡の流注に関係付けられていると理解したのですが、誤解してますでしょうか。
原穴が動じていると診断されれば、その流注範囲に異常があると判断できると考えていました。
そう考えると「経脈の流注範囲に生ずるところの病」であるところの所生病と同じことを指しているという結論になるのではないでしょうか。

それとも「原穴で診断及び治療ができる」のが是動病で、診断や治療という視点とは関係無く、単に「流注範囲に生じる病」として認識されていたのが所生病ということでしょうか。
何処かで迷路にはまってしまったようです。

再びご教示お願い致します。

辛臼歯 10/04 15:26

198:[ 手太陰之脈 ]

◎流注:経脈篇の経脈の性格として、全身を栄養するということが有るように思う。そこで経脈は先ず中焦(胃)から始まる。そしてもう一つの性格として陰経脈は蔵に属し府を絡う。そこで大腸に下り肺に上る。ここまでは理論上の必要からの補足。脇に出たところが天府で、臂をめぐって腕関節部の大淵を経て、大指の末端に出る。これが原穴と蔵を結ぶ線、本輸と脇の穴に至る線の統合である。その他に腕後に分かれて次指端に出る支脈を加える。これは次の手の陽明に接続するための方便。ただし、もともと手太陰の脈が大指に達するべきだったのか、次指に達するべきだったのかは分からない。
○是動病:これが動ずるときの病と解する。これとは腕踵関節部の重要な診断兼治療点である。陰陽十一脈灸経の段階ですでに是動病のなんたるかが不明確になっていたとすると、経脈篇ではなおさらである。そこで陰陽十一脈灸経の臂鉅陰脈の是動病を検討すると、「心滂滂如痛,缺盆痛,甚則交兩手戰」である。是動病を原穴が動ずるときの病でありその動を治めればその病も治まると解すれば、大淵穴の古くからの主治症の中にこれに類するものが有るべきである。そこで『明堂』『甲乙経』を繙くと、そうしたものは確かに有る。ただ、陰陽十一脈灸経でも『明堂』でも、ボウボウとするものは肺ではなくて心である。つまり太淵は肺の原穴となる前に、むしろ心の重要な診断兼治療穴であったということになる。つまり大淵は肺ではなく、心の原穴であると言うべき段階が有ったはずである。九針十二原ではどうして大淵が肺、大陵が心の原穴ということになったかについては、手少陰の脈、心主の脈を読むときに、もう一度考えてみる。
●所生病:その経脈の流注範囲に生ずるところの病と解する。陰陽十一脈灸経の段階ですでに所産病のなんたるかが不明確になっていたとすると、経脈篇の所生病ではなおさらである。そこで陰陽十一脈灸経の臂鉅陰脈の所産病を検討すると、「胸痛,脘痛,心痛,四末痛,瘕」(馬継興氏の釈字による)である。もともとの表を行く経脈の流注を本輸から天府に至るものと考えれば、相応しいのはかろうじて四末痛だけで、他は流注上の症状とは言い難い。ただ、心痛は臂鉅陰脈の流注が「入心中」まで拡張されていることの反映と考えることはできそうである。そうすれば胸もまあその途中と言えなくは無い。残る脘痛と瘕は、陰陽十一脈灸経の段階では、流注上の症状とは言い難い。ただ、馬継興氏が「脘」と判断された文字は、実は甲本、乙本ともに疒に怨である。また丙本(張家山漢簡)では䏿となっているが、馬氏はそれは腓腸のことであるから全く問題にならないとして斥けている。しかし、そもそも馬王堆・張家山の医書の保存状態はあまり良好とは言えない。確かにそうした字形であるかを疑っても良いと思う。そこで䏿ではなく臂であり、疒に怨ではなくてそれに似た臂の異体字であるとしたら、古い記述の流注上の症状としては、「臂痛」と「四末痛」が有り、新たに「入心中」という流注を加えることに伴って「胸痛」と「心痛」を加えたのであるが、もとの体例に疎かったので、その挿入すべき位置を誤った、と考える。「瘕」は分からない。
●以上は、特に所生病については、ほとんど妄想である。
★妄想ついでに、妄想的治療原則を一つ。所生病(体表流注上の痛苦)は、本輸穴とそれに対応する頚・脇の穴(本輸篇に見える、天字を冠する穴)に置針して治療できる可能性が有る。さらに妄想を重ねて、是動病(蔵府に結びつけられた内部の症候の概括)は、原穴あるいは下合穴と兪募穴に置針して治療できる可能性が有る。

神麹斎 09/13 08:54

197:[ 『霊枢』経脈篇の読み方 ]

『霊枢』経脈篇の読み方、と言っても今回の読書会(日本内経医学会東海教室=医古文同好会)での、私の試みというだけのことですが、
1:流注は、原穴・下合穴と蔵府を結ぶ線と、腕踵関節部から表面を上行して頚・脇に至る線を統合し、さらにそれを循環させる為の補助線が加わる、という仕組みになっているかどうか。
2:是動病は原穴・下合穴が動ずる時に予測される病症群であり、またその動を治めることによって癒すことができると期待される病症群である、という言い方はどの程度に妥当であるか。言い換えれば、原穴・下合穴の主治症と是動病はどの程度一致するか。
3:所生病はその経脈の流注範囲に生じる諸症状である、という言い方はどの程度に妥当であるか。
そして以上のようなことは、馬王堆医書に於いては『霊枢』経脈篇に於いてよりも、よりストレートに表現されていると言いうるか。言い換えれば、馬王堆医書を、上記のような経脈成立仮説の中間に在るものと考えることはできるかどうか。
と言うようなことを主な関心事として読んでいくつもりです。

読書会に参加する諸氏には、また別の関心事が有ることを期待します。

神麹斎 09/08 18:22

196:[ 人迎気口診成立仮説メモ2 ]

もともとの、『霊枢』の人迎気口診には、人迎で外因を診、気口で内因を診るなどという発想は無かった。それではそれは全くの無からの発明だったのか。そういうわけでも無いらしい。『太素』卷十六の「雑診」中(『素問』では病能論)に、左と右の脉状が異なっている場合についての記載が有るように思う。ちょっと解釈に自信の無いところも有るけれど、要するに右はそれぞれの季節に相応しい脈状を示すが(だから逆に言えば風寒暑湿に応じて平穏な範囲内で変化するが、基本的にはその人の体質を反映している)、左は病に応じた脈状を示すことが有る(病を基本的に外邪に襲われた結果であると考えれば、だから逆に言えば、新たな病気を引き起こすような異常なレベルでの気候の影響は先ず左に現れる)。こうした観察は『内経』の中では発展しなかったようであるが、『脈経』引「脈法讃」などでひょっこり首を擡げる。
だから、『霊枢』の人迎気口診と、左右の寸口部をとる人迎気口診には継承関係は無く、だから左右の比較という発想も、もともと無かったと思う。
『内経』以降に連綿としぶとく続いていた人迎気口診はどちらに属するのか。くわしくは調べてないけれど、外因と内因を左右に割り振るタイプだったと思う。とすると、普及のため(?)に「人迎気口診」という名称を借用したのがむしろ裏目に出たのではないか。(左右脈口診と呼ぼうよ。)

例えば、冬に脈を診る。
当然、右の脈は沈んで緊である。それはまあ、体質の違いの差は有るだろう。
ところが左の脈は浮いている。これは異常である。
浮いていると言うからには風邪の影響が推測される。
浮いて上部に異常な気が有ると解釈すれば、肺に病が有るかも知れない。
浮いてしまって下部に正常な気が無くなっていると解釈すれば、腎に病が有るかも知れない。
「雑診」中では現に腰痛を起こしていると言う。

神麹斎 09/06 09:04

195:[ 経脈説成立仮説メモ ]

古代中国の名医といえども、何も無いところから『素問』『霊枢』を紡ぎ出すことはできない。それでは、何を見つけたところから針術は生み出されたのか。
最初に発見されたのは、患部に針を施すことによって、苦痛を和らげ得ることだったはずである。その術に関わる秘訣は、実は今なお明らかにされているとは言い難い。
やがて、患部とは離れたところに診断と治療の点を見いだす。そして、腕踵関節部の内側の診断兼治療点の対象は、五蔵である。いやむしろ、五つの診断兼治療点と結びつけ得る症候ごとにまとめられて五つの群となり、五蔵の症候となった、と言ったほうが適切なのかも知れない。
足の陽側前部の脈が、消化器系統(胃・大腸・小腸)と関わることは早くから認識されていたらしい。また、膝のうしろに水分代謝(膀胱・三焦)と関係する点が存在することも。(膝下の側面がどう認識されていたかは、残念ながら適当な表現を思いつかない。)
蔵府と診断兼治療点が結びつけられたと言っても、それぞれの点と群との関係であって、その間に関係性が連なっているわけではない。
それとは別に、体表を伝わる感覚線が発見されたであろう。我らごときものでも時に敏感な患者の針感伝導に立ち会うことが有る。古代の名医が知らなかったわけがない。本輸から上行して頚・脇に至る陰陽合わせて十一脈に整理される。(最初は手足の三陽、ついで何故だか手の二陰、そして足の三陰が加わる。)その路線上に出現する痛苦は、その両端を操作することによって処理しうると期待される。
蔵府に関わる線と、体表を行く線とを、統合しようとする知恵者が現れる。症候群は蔵府に関わるものと体表循行線に関わるものに二大別されて残る。ただ、注意すべきは、六府の脈はもともとは足の三陽脈であって、手の三陽脈とは関わりないことである。そこで歯とか耳とか肩とか、府とは別のものとの関わりが模索された時期が有る。
血管系に関する知識も蓄積されつつあったはずで、それもまた脈であるには違いない。おそらくはその循環性に着目した人が、その循環の理論を、蔵府の脈+体表の脈に導入し、ここに『霊枢』経脈篇の「経脈」が成立する。
患部に施術するという原始的かつ当然の方法論も、表面とその深部の抽象的症候群との関係という方向に発展した可能性が有る。つまり兪募穴と蔵府の関係である。だから、脈を診て、蔵府を割り出し、それによって兪募穴を選択するというのは、実は臨床経験の裏付けを欠いている。したがって高級であるとともに、実はインチキくさい。ただし、背兪は背中に上下に配列されているのであるから、蔵府とは関わりなく、何らかの陰陽関係に直接働きかける可能性は有る。募穴にもそうした関係性を期待できるのかも知れない。

神麹斎 09/03 14:20

194:[ モノは論考に改変をせまる ]

……郭店楚簡と上博楚簡の発見は、これまで疑古派や釈古派が組み立ててきた思想史の枠組みを、根底から揺るがした。……先秦の書とする古伝承を疑って、それらを漢代に入ってからの成立だと主張してきた疑古派や釈古派の学説は、今や壮大な屁理屈の山と化しつつある。あの一見緻密そうに見えた論証の、どこに欠陥があったんだろうか。……。(『諸子百家〈再発見〉』岩波書店 2004.08.10)

神麹斎 08/16 07:59

193:[ 人迎気口診成立仮説メモ ]

○腕踵関節部陰側の顕著な反応点が、体幹内部の診断点であり治療点でありうることを発見する。五陰経と五蔵、足三陽経と六府の関係であり、ここに蔵府の脈が成立する。
○それとは別に腕踝関節部陽側から上行して頚部に至る流れ、表層の脈が知られていた。手足三陽の脈から、やがて手足三陰三陽の脈に拡張され、最終的には蔵府の脈と統合される。
○体幹を離れて脈動の顕著なものには、気口と人迎と、そして附陽が有る。気口は蔵脈の代表の地位を獲得し、人迎は表層を行く脈の代表であり、また胃(大腸、小腸を含む)の脈の代表であり、さらに府脈の代表の地位を獲得する。(つまりもともとは、五蔵に在るそれが有ることによって生命であることの何ものか、と胃の気あるいはさらに生命の維持に関わる代謝を、ある意味で別個にそれぞれ探る方法であった。)
○附陽もまた胃の脈の代表としての可能性を有しており、人迎のほうが選ばれたのは、そちらのほうがより便利と考えられたためであろう。(人迎―体幹―気口と、気口―体幹―附陽はどちらがよりダイナミックに内部事情を表現するだろうか。)
○気口と人迎(現実には、附陽ではなくて、こちらが選択された。)に特殊な地位が付与されることによって、上下をおさえて、その間の情況を知る方法が展開される。
○気口と人迎の拍動を比較することは新たな試みであったろう。それによって陰陽論的な玄理が横行し、また上下の陰陽から、左右の陰陽への変換という飛躍が準備される。(拍動の大小によって、三陰三陽のいずれの脈の問題であるかを知ろうというのは、もともと無理な相談では無かったか。)
○以上は、遠隔操作的に診断し治療しようとする試みである。これとは別に、最も原始的には、大表の変化によって直下の内部の情況を察知し、その大表の変化を治めることによって、内部の異常を癒していた。(だから、九針のほとんど全ては局所的な用法である。)その方法の残存として、膏肓の原(上腹と下腹の原)が有る。従って、おそらくは(兪)募穴を選定するための脈診法としては、人迎気口診は元来相応しくない。

神麹斎 08/08 16:58

192:[ 次回からの読書会 ]

8月の日本内経医学会東海教室(医古文同好会)は、夏休みということにします。
みなさんいろいろいそがしい。

次回は9月からで、『霊枢』の経脈篇をしつこく読んでいこうと思っています。
馬王堆帛書は勿論、経穴書や現代の実験室経絡研究資料も利用しようかな、と。
ある意味で、『霊枢』の編者は経脈篇が書きたかったんじゃないか。
九針十二原から終始まではその準備で、経別以降は残り物整理……。
まあ乱暴きわまりない総括ですが、その当否の判断も含めてしこしこと。

神麹斎 07/17 08:06

191:[ パソコン環境に関する問い合わせ ]

パソでの環境をご指導下さい 投稿者:鈴木 投稿日:2004/06/28(Mon) 23:48

はじめまして。
初歩の問い合わせですみません。
私は古典の勉強を今更本格的に始めだした、鍼灸師です。古典の原文は以前、小林先生からCDでいただいた内経学会テキストを使っています。
このたび、遠方の知人と色々インターネットを使って、古典を勉強したいと思っています。私は98、彼はXPです。パソコンにあまり詳しくありません。新・東洋医学辞書V2[ユニコード辞書]を使うと良い。と教えてくれた人がいましたが。皆様はどのように古典の原文を使いこなしていますか。
教えていただければと思います。
一番の問題は外字だと思います。
ユニコード、cjk、とあまりよく理解しておりません。
私はエディタ(QX)を使っているのですが。
これも今のところユニコードの対応がイマイチうまく分かりません。
ですからsomon3の外字を使わせていただいております。

どうぞよろしくお願いいたします


Re:  神麹斎 - 2004/06/29(Tue) 07:06

小林さんのテキストを使っているなら、とりあえず小林さんのsomon3の外字で大丈夫だと思います。ただ、小林さん自身もユニコードのCJK統合漢字を中心にして、外字には今昔文字鏡の使用に切り替えていく方針のようです。
私が作成するデータや文書は、原則としてユニコードのCJK統合漢字拡張領域Aまでの範囲で作成しています。その範囲で不足する漢字は、文字の構成要素(簡単に言えば偏や旁のこと)を{ }の中に入れて代用します。外字は使用しません。
ユニコードで使用できる漢字数には、今のところ3段階有ると思います。CJK統合漢字と拡張領域のAとBです。例えば『太素』の経注、CJK統合漢字の範囲でどれだけ不足したかは記憶してませんが、拡張領域のAを使用しても不足するのは15字、拡張領域のBまで使用すれば全て有ります。ただし、拡張領域Bを使用するには別にフォントを入手する必要が有りますし、拡張領域Bを使用できるソフトが少ないので、現実には拡張領域Aまでの使用にとどめているわけです。(拡張領域Aまでのフォントがウィンドウズに附録されているかどうかも忘れました。少なくとも無料フォントは有ります。)
ウィンドウズの98と2000以降では、ユニコード対応にかなり差が有ると思います。やはりこの際XPに変更することをお勧めします。第一、インターネットを使って一緒に勉強しようという人とPC環境に差が有るのはしんどいでしょう。装飾的な機能を一切削除してテキスト利用に特化すれば、今のままのPCでもなんとか動くのではないでしょうか。(これは想像です。責任はもてません。)
QXがユニコードに完全対応しているかどうかは知りません。私が確認しているエディタでは、EmEditorとAkira22(多分、秀丸も)なら拡張領域Aまでは大丈夫です。拡張領域Bを使用できるエディタはまだ無いと思います。
ちなみに「黄帝内経太素を読む会」の掲示板は拡張領域Bも大丈夫なはずです。ただ、フォントを持っている人がごくわずかだろうということで、自粛しています。拡張領域Aまでなら「読書会のお茶の時間」とか「一角獣の微睡」といった霊蘭之室関係の掲示板や、内経の「談話室」でも大丈夫だったと思います。例えば潰瘍の「潰」はJIS にも有ったと思いますが、「㿉」(やまいだれに貴)はユニコードのCJK統合漢字拡張領域Aのはずです。「癃」(やまいだれに隆)はユニコードのCJK統合漢字ですが、やまいだれに隆のこざとへんの無いものは拡張領域Bです。


Re: 鈴木 - 2004/07/11(Sun) 11:36

ありがとうございました
とても参考になりました

小林先生の方向性が、1番良さそうですね
でも、OSを、今替えるのはとても経済的に難しいのですが・・。

ついでにもう一つお伺いしますが
OSが98SEでは、☞電子文献書庫が文字化けしてしまうのには
会員でないからですか。
よろしくお願いいたします


Re:  神麹斎 - 2004/07/11(Sun) 17:50

電子文献書庫の案内ページが文字化けする理由は分かりません。
表示→文字コードで Unicode(UTF-8)を選んでみてください。その選択肢が無ければ、OSの問題です。
会員でなければ文字化けするような仕組みにはしてありません。
ただし、書庫の内容は、完全公開ではありません。
別に申し込みを要求しています。友人でもない気にくわない人には公開しない、と言ってますが、現実には申し込みを拒絶したことは有りません。


【パソコン環境に関する問い合わせは、こちらの掲示板のほうが相応しそうなので移動させました。】

管理者=神麹斎 07/11 19:47

190:[ 侃〃諤〃 ]

『医心方』巻第一「合薬料理法」に『新注』を引いて、半井家本には「但視酒盡,更增一升酒,日〃別〃,添著一升。」とあります。この「日〃別〃」を、沈澍農氏主編の本では「日別日別」としています。
沈澍農氏主編の『医心方校釈』(学苑出版社)は、現有の校正本では一番まともだと思いますが、これは素直にはうなずけません。
もっとも、こうした符号の正式な読み方といったものが良くわからないので、私の変だと思う感覚のほうが変なのかも知れない。
ただ、結構結構を結〃構〃と書くことが有るのは分かるけれど、侃侃諤諤も侃〃諤〃としか略しようは無さそうに思う。

神麹斎 07/10 08:30

189:[ 単純なミスが…… ]

読書会関係の資料を久しぶりに見てみたら、いや単純が入力ミスが結構多い。そのうち何とかしますのでご勘弁を。

神麹斎 06/29 07:10

188:[ 囟 少しだけ訂正 ]

仁和寺本『太素』巻十九「知形志形宜」に、「惡」の字の上部が左右に突き出ておらず、つまりむしろ「凸」の上部のような形になっている字形を見つけました。だから、「亞」をそのような形に書く習慣は有ったようです。ただし、これは「亞」の異体字にそうしたものが有る、ということであって、「囟」の異体字に「亞」という形が有るということには、やはり、ならないと思います。ちなみに仁和寺本『太素』では、惡はほとんど覀の下に心という形に書かれます。どうしてここだけ違う字形なのかも不思議です。(『医心方』に出てくる囟の字形は、「過去の万愚節」の「俗体分化字」のところに載せてあります。)

神麹斎 06/23 14:24

187:[ 霊蘭之室の校正 ]

霊蘭之室に置いてある電子文献は、日常的に校正をおこなって、その都度、再アップロードしていますが、別に私一人が校正しているわけでは有りません。閲覧者からたびたび指摘が有ります。ちゃんと利用してもらっていることがわかって、とてもうれしいです。もっとも指摘者は大抵いつもおなじみの特定の人物ですが。
以下は最新の指摘で、指摘者は菉竹氏です。

(『霊枢講義』21刺節真邪)
〈陳氏〉云、骨瘤者、形色紫黒、堅硬如石、疙瘩高起、推之不移、昂昂堅貼於骨是也、
>陳實功の『外科正宗』の引用(癭瘤論)は「昂昂堅貼於骨」までなので、「骨」と「是」に「、」を入れる。
久者數歳乃成、以手按之、則可至于柔然、亦必有其所、
>馬玄台の文だけ読んでいると「則可至于柔、然亦必有其所」とすべきだろうと思います。

ご指摘のとおりです。渋江抽斎の稿本は実際にはそうなってます。やや見にくくて間違えました。

神麹斎 06/20 08:05

186:[ 読書会7月の予定 ]

7月11日(第2日曜日)午後1時から5時
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの教養娯楽室
内容は『霊枢』終始篇の解読(の予定)
もし時間に余裕が有れば、九針十二原篇から経脈篇に至る道筋について

神麹斎 06/15 16:27

185:[ 補足 ]

『中医古籍用字研究―中医古籍異位字研究』附録「中医古籍異位字釈叢」に挙げられている『医心方』引『病源論』の「亞」も、同じく『外台方』の亞と頁の組み合わせによる文字の「亞」も、『医心方』影印をよく見れば、上部は左右に突き出ておらず、やはりむしろ「凸」の上部のような形になっている。つまり「亞」とは別の字形である。小差を無視して同形異字と言うのには賛成できない。

神麹斎 05/29 08:53

184:[ 亞は囟の異体字ではない ]

沈澍農『中医古籍用字研究―中医古籍異位字研究』に云う:
亞には、『漢語大字典』に「yà(次)」、「yā(同丫)」、「è(同惡、堊)」の三つの音義が有る。中医古籍の用例から見て、「亞」にはさらにもう一つの音義が有り、「囟」の異体と為す。『太素』巻八『経脈連環』:「是主筋所生病者:痔、瘧、狂颠疾、頭亞項痛、目黄涙出、鼽衄……」の「亞」を、『霊枢・経脈』と『甲乙経』巻二第一はいずれも「顖」、即ち今の「囟」字に作っている。又『医心方』巻二第一に頭頂の穴位を述べるにあたって正中第一行第一穴を「亞会」としているが、この穴は常例にてらせば即ち「囟会」である。「亞」を「囟」の異体とすることについては、前人の述及したものがない。しかし以上の二例はそれが疑いなく「囟」の異体であることを証明するに足る。またもし字形から分析すれば、「亞」が頭囟を表している古い源渊を有する可能性が高い。「囟」字は実線の「×」をもって頭縫を表示しているが、「亞」は空中の「+」をもって頭縫を表示しており、その理屈は一致する。だから、「亞」を「囟」の一つの別体とし、この音義もまた大型字典中に補入すべきである。
反論:「亞」は「囟」の異体字ではない。
『太素』や『医心方』に見える字形は「亞」ではない。ユニコードに適当な字形が無くて遺憾であるが、ようするに上部は左右に突き出ておらずむしろ「凸」の上部のような形になっており、それがつまり「囟」の異体である。(『医心方』に見える別の一例はさらに異なった字形である。)「亞」には一組の形音義が有り、「囟」にもまた自ずから別の形音義が有る。形の小差を見落として、強いてあるいは安易に異体字と言おうとするのには賛成できない。こうしたことは篆隷から楷書化しようとした時にも屡々おこったであろうが、ここでまたそれを繰り返すことはない。亞と頁の組み合わせによる字(CJK統合漢字拡張領域Bには有る)も有り、「顖」の代わりに用いられた例も有ったように記憶するが、これもまた書き誤りと解すべきで、異体と言うには当たらないと思う。約定俗成されたとは言い難いからである。亞と頁からなる字は、『漢語大字典』に首巾を謂う字の或体として載る。

神麹斎 05/28 13:01

183:[ 老師們 ]

針灸の世界とかかわって以来、親しく日常的に接した島田隆司先生や井上雅文先生、あるいは原塾から日本内経医学会にかけての同学の面々はちょいと脇に置いといて、衝撃を受けた人との出会いは、まずは丸山昌朗、藤木俊郎。それから郭靄春、李今庸、凌耀星、段逸山、銭超塵、黄龍祥。日本では石田秀実。書物を通して江戸の考証学者、多紀元簡、多紀元堅、渋江抽斎、森立之。で、今回の南京の沈澍農が加わってくるか、と言ったところです。
こうして並べ立ててみると二つのグループに分けられるような気がします。つまり、古典の読解について目を開かされた人と、「そも針灸治療とは如何なるものか」を考えるについての導き手あるいは同行者です。
多紀元簡、多紀元堅、渋江抽斎、森立之、郭靄春、李今庸、段逸山、銭超塵、そして今回の沈澍農などは私にとっては古典の先生です。黄龍祥も最初はそうでした。ところが『針灸史大綱』以来見方を変えました。彼は現在および未来の針灸治療をどうするかに能動的にかかわってくる人です。そして実はそれは、丸山昌朗―藤木俊郎―黄龍祥という師承関係だろうと思っています。凌耀星も「三焦の二つの体系」論によって、少なくとも古典針灸研究会の人迎気口診にとっては臨床的な研究者です。

(上述で島田・井上両先生以外の敬称を略しました。敬愛しないという意味では毛頭有りません。巷間、大して親しくもない人を某先生と呼んで、あたかも特殊な関係に在るがごとき空気をかもしだそうとする人が嫌いだからです。全部に敬称をつける主義ならそれはまあ別ですが、それも読者には煩わしいでしょう。無論、私だって上記の人たちを口頭で話題にするときには某先生あるいは某さんと言いますよ。それはその場の誰にとっても敬愛の対象だろうと安心しているからです。)
(あらためて考えてみると、先生と言っているのは丸山先生、島田先生、井上先生だけですね。他はみな某さんです。不思議なことに、あるいはあたりまえのことかも知れないけれど、江戸の考証学者は呼び捨てですね。)

神麹斎 05/26 08:18

182:[ 上海で話した『太素』の問題 ]

私が上海で話したのは、『太素』に関する二つの問題で、いずれも仲間内の研究会では発表済みのものです。一つは楊上善注には音義の齟齬が多いということ、もう一つは通行本には仁和寺本に無い部分が有るという報告です。(『内経』No.126とNo.154)
楊注の音義の齟齬については、簊(『素問』では篡)の音を督というのを例に挙げました。そして意味は肛門だろうと。篡が肛門であるという説は今までも有ったはずだし、今回の沈さんの論文集にも有りました。だけど楊上善が音督と言っていることは無視ですね。形音義の矛盾を解消するには、形は篤の誤り、音は督、意義は肛門、で実は肉月に豖の字の仮借。これしか無い、と思うんですがね。今回の発表の中には、炅は熱の異体字であるというのが有りました。これは多分正解。でも、やはり楊上善注に音桂といっているは無視ですか。私、実は最近、楊上善の語学者としての水準に一抹の不安を感じているんですが、ひょっとして中国の学界もそうなんですかね。
仁和寺に脱落している経注の報告は、仁和寺本は本当に天下の孤本か、という疑問を呈するとともに、中国の学界がともすると蕭延平本を底本としてこと足れりとする傾向に対する警鐘の意味も有ったんだけど、さて伝わったかしら。
ともあれ、日本で仲間内で話してもあまり反応が無いので、上海で持ち出してみたんですが、はてさてどうなることやら。どうにもならんでしょうね。

神麹斎 05/24 21:39

181:[ 人迎気口診に関する妄想 ]

『霊枢』における人迎気口診は、腕・踵関節付近の診断兼治療点とその対象とを結ぶ線として最も古い経脈が発想され、上部の治療対象付近(具体的には本輸篇の頚周りの穴など)にも特異点が発見され、それもまた治療兼診断点としての地位を獲得し、ついで下と上の診断点を対照することによる脈診が生まれ、さらに上の診断点は人迎ひとつに集約され、下の診断点は気口ひとつに集約されて、乃ち人迎気口診が誕生した、というような歴史を想定しています。つまり、人迎気口診の本質は経脈の両端をおさえて、その間の状況を判断する方法であったと考えます。
『霊枢』における人迎気口診には二つの重大な飛躍が有ります。つまり、人迎と気口に集約できるというのがすでに幻想です。それぞれを比較して何倍であるかで三陰三陽を分別する方法にも、かなり危うさが有ると思われます。
しかしそれにしても、ここまでは臨床経験の積み重ねであり、抽象化です。
ところが人迎と気口を左右の腕関節に持ってくることには、もともと実践の裏付けは有りません。単に陰陽説の運用による飛躍です。
そもそも左右の人迎気口診の初見は、いつ頃なんでしょう。その時、やはり比較して何倍であるかで分別したのでしょうか。『脈経』の「脈法讃」やずっと下って「道三の脈書」では、そうとも思えません。右で体質を診、左で病情を診ると言ったほうがまだしも良いように思います。
となると、こうした考えの萌芽はむしろ『太素』巻十六の雑診中(『素問』では病能論)に在るのではなかろうか。
黄帝曰:有病厥者,診右脉沈,左脉不然,病主安在?
岐伯曰:冬診之,右脉固當沈緊,此應四時,左浮而遲,此逆四時。在左當主病,診在腎,頗在肺,當腰痛。
曰:何以言之?
曰:少陰脉貫腎上胃肓,胳肺,今得肺脉,腎為之病,故腎為腰痛。
黄帝曰:善。
ちょっと分かりにくいのですが、右の脈は季節に応じて変化するのだから、その季節にぴったりしない部分はその人の体質の表現である。もし気象に異常が有ればその影響は左の脈に表現され、したがって現に外淫によって病んでいる情況を表現する。
この問答の場合、冬に右の脈が沈緊であるのは季節に相応しいから特に重大な体質的な問題は無い。ただ、左の脈が浮にして遅というのは異常である。そこでこれを足の少陰脈が上下バランスをくずしていると診る。(厥を何らかのバランス異常と解する。)つまり流注上関連する二蔵のうち、肺がより実して腎は虚している。したがって腰痛となる。
言うまでも無いことですが、左右に持ってきてからの臨床実践にも悠久の歴史が有ります。その構想は(最初は妄想であったにしても)今や充分に精緻であり、目覚ましい治療実績を誇っています。だから、その先祖を内経中に求めてやきもきする必要は無いようなものですが、もし強いて求めれば上下の人迎気口診は実の親では無いような気がしています。
そして多分、そこにはもともと比較の要素は無い。

神麹斎 05/23 14:37

180:[ 上海での医古文学術研討会 ]

上海で開かれた第七届全国中医文化与臨床 第十三届全国医古文 学術研討会における個人的な成果は二つ。
一つは『太素』に関して日頃疑問に思っていることに関して、中国の学者から批判や反論を受ける機会を得たこと。勿論、今後の期待と言うことですが。
二つ目は、南京の沈澍農氏とお近づきになれたこと。『中医古籍用字研究―中医古籍異位字研究』という論文を頂きました。近々出版されるらしいのですが、一足先に読めます。中国のことだから、三足くらい先に、かも知れない。
わざわざ上海まで出かけたのに残念だったことはいくつも。
一番ガックリしたのは、書籍が思うように買えなかったこと。『黄帝内経太素校注』は影も形も有りませんでした。竜伯堅の『素問』『霊枢』の研究もです。『漢語大詞典』のCD-ROMも探したけれど書店員が知りもしない。つきあってくれた留学中の研究者にこぼしたら、上海の人は勉強しませんからね、とあっさり。
そもそも上海の街全体が拝金主義に染まっているようで、古き良き上海を懐かしむつもりで行ったものとしてはちょっと残念でした。外灘ですれ違う中国人の大半が偽ロレックス売りか物乞いに見えてしまいます。
かつて好きだった安くて(記憶の中では)美味しかった小さな食堂はいずれも跡形も無くなってました。勿論、新しく見つけた気にいった店も(ごく少数ですが)できました。でも、次回に同じような雰囲気で残っているかどうだか。

神麹斎 05/22 22:01

179:[ 募穴の妄想的使用法 ]

難経68難に:
井主心下満、滎主身熱、兪主体重節痛、経主喘欬寒熱、合主逆気而泄。
そして、これは陰経の場合は:
木、火、土、金、水に配当されている。
症状の性格からもまあまあ妥当であろう。
ところで腹部の蔵の募穴は:
(肝)期門、(心)巨闕、(脾)章門、(肺)中府、(腎)京門。
五蔵の五行性格から:
(木)期門、(火)巨闕、(土)章門、(金)中府、(水)京門。
また、中府を例外として、他は肋骨弓の下あるいは下付近に正中から脇に向かって配列されている。ただし、期門と巨闕の順番は逆かも。
症候の陰陽性格に則って、井滎を取るときに、腹部では期門と巨闕、井合を取るときに、腹部では期門と京門を併用するというのは如何。

これは「酒亭」向きの戯言ですが、最近あちらはより戯言化していますので、今後は、針灸に関する話題はあぶなっかしい話もこちらを使います。

神麹斎 05/14 09:25

178:[ Re:捻るか推すか ]

残念ながら、この質問にはいま簡単に答えるだけの能力が有りません。
今後、『霊枢』の校読に際して、この問題にも注意をはらっていくことにします。

神麹斎 05/13 08:50

177:[ 捻るか推すか ]

変な質問かも知れませんが、『素問』や『霊枢』の針の刺し方は、捻針なんでしょうか、推し込みなんでしょうか。九針十二原篇や官針篇には特に捻っているような描写は無いようですが、当たり前だから書かなかった可能性も有りますし、よく分かりません。

にらみの介 05/09 08:36

176:[ 改版? ]

ちょっと調べてみました。目録からすると若干違うようです。著者として紹介されているのが劉・銭両先生だけというのも前のと違います。
内容にそんなに変化が有るわけは無いでしょうが、買っておいて損は無いと思います。

上编
第一章 医话选
方药等分解………………………朱昇恒
三折肱医不三世不服其药辨……黄凯钧
脉理不可臆断……………………毛样磷
医鉴………………………………陆以湉
锡餳不辨…………………………陆以湉
医须周察…………………………陆以湉
食无求饱…………………………娄居中
学医犹学弈………………………赵彦晖
大病不守禁忌论…………………朱震亨
书方宜人共识说…………………顾文煊
第二章 医论选
用药如用兵论……………………徐大椿
小儿则总论………………………张介宾
不失人情论………………………李中梓
不治已病治未病论………………朱震亨
汗下吐三法该尽治病诠…………张从正
大医精诚…………………………孙思邈
养生论……………………………嵇 康
与崔连州论石钟乳书……………柳宗元
三因论……………………………陈 言
内外伤辨感………………………李 杲
秋燥论……………………………喻 昌
第三章 传记选
李时珍传…………………………顾景星
李杲传……………………………李 濓
庞安时传………………………《宋史》
钱仲阳传…………………………刘 歧
丹溪翁传…………………………戴 良
徐灵胎先生传……………………袁 枚
皇甫谧传………………………《晋书》
郭玉传……………………………范 晔
华佗传……………………………陈 寿
扁鹊仓公列传……………………司马迁
第四章 序文选
《医学心悟》自序………………程国彭
《串雅》序………………………赵学敏
《类经》序………………………张介宾
《本草纲目》原序………………王世贞
《备急千金要方》序……………孙思邈
《伤寒论》原序…………………张仲景
《黄帝内经素问注》序…………王 冰
《新修本草》序…………………孔志约
《小儿药证直诀》原序…………阎孝忠
《外台秘要》序…………………王 焘
第五章 《内经》选
《素问·四气调神大论》(节)
《素问·异法方宜论》
《素问·刺志论》
《素问·脉要精微论》(节)
《素问·宝命全形论》
《灵枢·本神》
《灵枢·外揣》
《灵枢·五变》
《灵枢·贼风》
《灵枢·邪客》(节)
第六章 道家选
《老子》五章
《庄子》两篇
一、逍遥游(节选)
二、养生主
第七章 《易经》选
乾 第一
《系辞传》二章
《说卦传》三章
序卦传
杂卦传
第八章 诗词选
词二首………………………………辛弃疾
诗二首………………………………文天祥
赠眼医王生彦若……………………苏 轼
五律二首……………………………王安石
行医叹………………………………徐大椿
养生诗二首…………………………陆 游
旋风吟………………………………邵 雍
余病痢,医者误投参耆遂至大剧…袁 枚
中编
第九章 工具书常识
一、为何要运用工具书
二、字典和辞典
三、类书和丛书
四、索引
「附]《汉书·艺文志》序及方技略(节)
第十章 古书的句读
一、要重视句读训练
二、误读举例
三、怎样断句
「附]《甲乙经》序……………皇甫谧
第十一章 语法
一、实词
二、虚词
三、句子
「附]《康熙字典》序
《察病指南》序…………赵崇贺
第十二章 训诂学常识
一、什么是训诂学
二、训诂学的内容
三、传注训诂的体例和方法
四、怎样运用训诂
「附]名医………………………徐春甫
读药书漫记…………………刘 因
第十三章 古音学
一、为什么要学习古音学
二、上古的韵部和声纽
三、研究古音的作用
四、《内经》的韵例
「附]治痰嗽……………………张 杲
《格致余论》序……………朱震亨
第十四章 古籍的语译
一、语译的标准
二、语译的方法
三、语译的具体要求
「附]疡医………………………《周礼》
汤液醪醴论…………………《素问》
第十五章 目录学常识
一、为什么要学习目录学
二、什么是目录学
三、目录之种类与范围
四、关于四部分类的内容
五、常用书目简介
[附」千金外台论………………徐大椿
《小儿药证直诀》原序……阎孝忠
第十六章 版本与校勘
一、版本的由来及发展
二、古书的版本
三、关于校勘
四、校勘中应注意的几个问题
下编
第十七章 常见虚词选释
一、代词
二、副词
三、介词
四、连词
五、语气词
第十八章 常见难字音义
第十九章附文语译
一、《汉书·艺文志》序及方技略
二、《甲乙经》序
三、《康熙字典》序
四、《察病指南》序
五、名医
六、读药书漫记
七、治痰嗽
八、《格致余论》序
九、疡医
十、汤液醪醴论
十一、千金外台论
十二、《小儿药证直诀》原序

神麹斎 05/08 07:03

175:[ 24年後の医古文基礎 ]

医古文基礎(劉振民 銭超塵)が三月に出版された?される?そうです。出版社が人民衛生から復旦大学にかわっていますので、再版と言っていいかどうかわかりません。内容も加筆・訂正などもわかりません。編著者は同じようですので、再版の可能性が高いようですがいかがでしょうか?
24年後の医古文基礎・・・買いですか?
ちなみに定価は\2、500程度です。

乘黄 05/08 01:48

174:[ 思考回路として ]

古代中国医学において、陰陽五行説は関係論だったのか。古代の人にとって、実体と関係の区別なんて、それほど有ったんだろうか。それなりに区別は有ったとして、医家なんて種族は、実体論により傾いた人たちだったんではあるまいか。
戦や病の時に祈るなんてことは、意外と少ないんじゃないか。無いわけでは無いし、不用だったわけでは無い、特に戦の時には。でも、開戦の日時を占うのは、彼らにとっては科学的な情報分析でしょう。祈りは戦闘員の志気を高めるための虚構であった……。
ああすればこうなる、という思考回路として、陰陽五行説は当時としては最良のものだった。ただし、現在も最良とは限らない。当たり前でしょう。それに、陰陽五行説にはそもそも妄想を生み出しやすい欠陥が有りそうです。それを指摘することで、頑迷な現代科学信奉者呼ばわりされる傾向が有るのは心外です。
陰陽五行説の効用は、今となっては、「ああしたいならこうすべき」を見つけるための関係論だと思います。建前としては、唯一最善の方法の探求であろうと思います。だから「生体への刺激をシステム化し、過剰な侵襲を防止するという一見消極的であるように見えながら重要な役割」というのは、人体が持っているある種いい加減な(だから生きてられるんだし、進化してこられたんでしょうが)機能のせいなのであって、陰陽五行説の目的でもなければ限界でもないと思います。(限界ではあるかも知れない。)
「結果としてある範囲の中で妥当性を持っている」のは、五者択一程度の範囲では結構な正解率ということじゃないでしょうか。あるいは厳密な統計学からいえば、もっとインチキな計算になっているのかも知れない。数学に弱いんでよくわかりませんが、なんだか胡散臭い。例えば、「あしたの天気は晴れ」という予測の正解率は50パーセントなんでしょうか。次の日になって同じ天気を晴れと言う人もいれば、晴れのち曇りという人もいるし、雨のち晴れのち曇りという人もいるし、薄曇りだけどまあ晴れという人もいる。みな正解ということになれば、正解率は、それは上がるでしょう。ちょっと話が違ったかな。
ようするに解答を引き出すためのよりましなシステムとしての陰陽五行説、だけど出てきた解答が正しいかどうかはやってみてのお楽しみ、とまあ腰の定まらない態度ですねえ、私としては……。
(陰陽五行説の生みの親である中国人はよりましな方法を見つければさっさと乗り換えると思います。それが発見者の末裔としての正しい態度だと思います。育ての親のほうが覚悟が足りない、のかな。)

神麹斎 05/06 09:31

173:[ 左右の人迎気口診 ]

頚と手首の人迎気口診の本質が、経脈の上と下を捉えてその間の状況を探ることだとすると、左右の手首の人迎気口診の本質とは何か。あるいは時間差なのではないか。左は外界の影響をダイレクトに示し、右はその影響の蓄積の結果である。勿論、逆の可能性だって有るが、我々の信奉する方法ではそうだろう。だから、実際には左右の比較は不要なのではないか。浮いているとか沈んでいるとか、大きいとか小さいとかは、本来はその人の正常値に比べてだろう。そうは言っても、平生診ていない人の脈を判断するためには、左右の比較は有効ではある。

要するに、内経の上下の人迎気口診と、我々の左右の人迎気口診は全く別物である。

神麹斎 05/04 21:37

172:[ Re:人迎気口診の誕生 ]

>陰陽説から言えば、上下は陰陽性格を有する。その陰陽性格を頼りに、左右もまた陰陽であるとやったのは、臨床経験を抽象化、虚構化、普遍化する発展史を逸脱する飛躍であると思う。左右の人迎気口診は内経に無いという批判はそのように読むべきであろう。そして、左右に持ってきた以降の人迎気口診の価値は、その決して短くない歴史において何が経験され、何を蓄積したかに関わってくる。ただ、もともとが危うい出発であったことは認識しておいたほうが良いように思う。
神麹斎 04/13 13:04

見事な見識だと思います。特に、「左右に持ってきた以降の人迎気口診の価値は、その決して短くない歴史において何が経験され、何を蓄積したかに関わってくる。」というのは。ただ、ぼくは左右に陰陽を見つけた中世中国人の感覚を、想像以上に繊細で敏感に左右差をとらえていたかもしれないと考えるようになっています。もちろん、実際にとらえていた内容と(血や気、外傷や内傷などという)とらえていると考えた内容はまったく無関係で、その主観的な理論(つまり神麹斎の言う迷信)による治療で治癒を促進する結果が出ていたに過ぎないのでしょう。理論は間違っているが、結果は正しい。陰陽五行論とは、そういうものだと思うのです。

中国医学における陰陽五行論がなぜ結果としてある範囲の中で妥当性を持っているのか。その謎は、実体論にこだわる限り永遠に解けないと思います。左手寸部は心で右は肺、左手関部は肝で右は脾云々という五行配当を実体的な事実と考えるなら、もうおしまいです。そうではなく、関係論に立つならば、寸関尺の3部は、おそらく極めて大まかに全身の、あるいは体幹部の上中下3部に、対応するという構図が見えてきます。部分に全体がホログラフィックに投影するという、中医学が80年代のニューサイエンスから導入した議論は、神秘主義に流れない限り、実体論よりはるかに有効だと思います。

特効穴の議論を除外して言えば、原則的にどこにはりをしても治る(それこそ、自律神経効果によって)。でなければ、相互に矛盾する手技と無数の流派が成立している現状をトータルに理解することはできません。効果を期待してはりをすることよりも、むしろその刺激が生体にダメージを与えないことの方が必要ではないのか。陰陽五行説は、生体への刺激をシステム化し、過剰な侵襲を防止するという一見消極的であるように見えながら重要な役割を果たしている、という考え方はどう思われますか?

松田博公 05/03 21:09

171:[ 理に叶う ]

内経医学には神秘は無い。疾病にも治療にも健康にも、須く然るべきワケが有る。人がその理を悟り得ないことがまま有るだけのことである。陰陽五行説は、当時の最も進歩的な合理的思考法であった。残念ながら、現代の科学的観点からすれば誤謬もあり不足もある。当然のことである。そして、誤謬は須く正さなければならない。今、陰陽と五行による説明に異を唱えると、事実だからしょうがないだろう、という答が返ってくる。ああ、古代の名医の探求心はどこへ行ってしまったのか。これでは、症状を追いかける凡百の医学と選ぶところが無いではないか。宇宙を如何なるものと考え、身体を如何なるものと考え、疾病を如何なるものと考え、それにどう働きかけることにことによって、そこに如何なることが起こって、健康は回復するのか。本当にそれらの説明は理に叶っているのか。それらのことに何ら思い煩うことなく、この脈の時にはこういう名前の病態で、だからこのツボとこのツボにこう針をすれば治る、事実です、五行の色体表にも叶っている。多少複雑になっただけのことで、悪しき現代医学の行き方と、本質的には同じことではないか。その人は、内経を著した先人達の末裔であるに値しない。

神麴齋 04/27 13:36

170:[ 本輸+背兪+募穴 ]

経脈説はもともと、下部・手足の末端付近の診断兼治療点と上部・頭頚部あるいは体幹部の病所をつなぐものとして発想された。経脈が想定されれば、当然その流注経路上の病症一般に対する治療効果が期待され工夫される。また三陰三陽の経脈相互の間のバランスを調節すれば、直接的に操作する経脈とは違う経脈の陰陽をも調節できる可能性が有る。
背兪は本来は蔵府と関わるものである。ただ、言うまでもなく上下に排列されているから、上下の陰陽バランスを調節することによって、体幹部ひいては全身のバランスを遠隔操作できるのではないかと期待する。
募穴もまた本来は蔵府と関わるものである。これに陰陽性格を与えることは難しい。ただ、背兪との関係は腹部と背部という陰陽関係であるから、これを利用して、体幹部全体に及ぼす遠隔的調節のモデルは何とかなるのではないかと思う。手足の本輸の上下と、背腹の兪募の前後の挟み撃ちである。
勿論、背兪と募穴の内藏との関係を是認すれば、蔵府の機能を通して全身症状への働きかけは期待できる。ただ、期門は肝の募であるから五行性格は木で、即ち五行の色体表に基づいて風の治療に用いる、というような短絡思考はなるべく避けたい。
今窃かに考えていることは、難経68難の「井主心下満」云々の応用です。五輸穴の主どる病症、その病症の部位、その部位に在る募穴、という連想をたどって、井と心下満と巨闕なんて魅力的じゃないか。巨闕を井穴の替わりに使い、期門を……。

神麴齋 04/26 12:54

169:[ ]

この他にもね、『泰素後案』には、文末の也字の後に「靈樞無」と言うことが結構多いんだけど、仁和寺本影印を見てみると、もともとそんな也字なんか、有りゃしないことが多いんです。それはまあ、最初の抄者が間違って付け加えた可能性も有りますがね。

神麴齋 04/20 18:25

168:[ ホントに仁和寺本? ]

『黄帝内経太素九巻経纂録』本蔵篇では、「脾應肉」云々の楊上善注に「麼■也莫可反」としています。■は、要するにユニコードにも流石に無い変な字形です。(乜に余分な点が二つ付く。)ところが仁和寺本の影印(06-31-3)を見ると、「縻薄也莫可反」となっています。それは確かに多少の蠹は有りますが、そんなに悩むほどひどくもない。「縻」のほうは「麼」に見間違えそうですが、経文が頼りになるはずだし、「薄」のほうは、これが判らないんじゃ他の箇所はどうやって判断したのか、というレベルです。
それは確かに急ぎの作業ではあっただろうけれど、本当に仁和寺本から抄写したのか、という疑問も頭をもたげてきます。

神麴齋 04/20 12:55

167:[ 読書会(日本内経医学会東海教室)5月の予定 ]

5月9日(第2日曜日)午後1時から5時
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの教養娯楽室
内容は『霊枢』官針篇の解読(の予定)

神麹斎 04/13 13:06

166:[ 人迎気口診の誕生 ]

九針十二原から本輸、根結などを経て、終始、経脈に至る道筋というのは、経絡説完成へ向けてのものであるが、また人迎気口診への足跡でもある。つまり、腕関節、踵関節付近の診断兼治療点とその対照とを結ぶ線として、最も古い経脈が発想され、上部の治療対象付近にも、具体的には本輸の頚周りの穴などが発見され、それもまた治療兼診断点としての地位を獲得し、ついで下の診断点と上の診断点を対照することによる脈診が生まれ、さらに上の頚周りの診断点は人迎ひとつに集約され、下の腕関節、踵関節付近の診断点は気口ひとつに集約されて、乃ち人迎気口診が誕生する。つまり、人迎気口診の本質は経脈の両端をおさえて、その間の状況を判断する方法であったと考える。
陰陽説から言えば、上下は陰陽性格を有する。その陰陽性格を頼りに、左右もまた陰陽であるとやったのは、臨床経験を抽象化、虚構化、普遍化する発展史を逸脱する飛躍であると思う。左右の人迎気口診は内経に無いという批判はそのように読むべきであろう。そして、左右に持ってきた以降の人迎気口診の価値は、その決して短くない歴史において何が経験され、何を蓄積したかに関わってくる。ただ、もともとが危うい出発であったことは認識しておいたほうが良いように思う。

神麹斎 04/13 13:04

165:[ フォントの変更 ]

実は、霊蘭之室のデータの大部分を再アップロードしましたが、作成者第一指定フォントを変更しただけですので、目録ページの最終アップロード日は変更しておりません。

神麹斎 04/04 13:22

164:[ 医古文同好会(日本内経医学会東海教室)4月の予定 ]

4月11日(第2日曜日)午後1時から5時
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの教養娯楽室
内容は『霊枢』根結篇と、時間に余裕が有れば、壽夭剛柔篇の解読(の予定)

神麹斎 03/19 18:01

163:[ 私にも慈に見えます ]

私にも慈に見えます。だから電子文書もそのように処理しています。
問題は、田沢氏がどうして息にしたかです。もし小島氏抄本が「息呂反」で、だけど脇の「切慈呂反止也」も書き込んであった、元堅はそちらを採った、ということならまあ理解はできます。でも、ことわって欲しかった。
まさか田沢氏が用いた抄本と元堅が用いた抄本と、系統が違うんじゃないだろうね、ということです。もっと言えば、違う仁和寺本を写したんじゃないだろうね、ということです。まあ、ほとんど可能性は無い、と思うけど、例の変な箇所が有るんで……。

神麹斎 03/08 20:59

162:[ 「慈」に見えます ]

楊上善注は、わたくしには、すくなくとも「息呂反」には見えません。「慈呂反」であると言われれば、納得します。
また「息」の声母は「s」で、「慈」の声母は「dz」、「阻」は形声字で「且」の声母は「dz」か「ts」なので、「慈」のほうが、可能性が高いと思います。(藤堂明保『学研漢和大字典』による)
なお、「切慈呂反止也」の「切」は『切韻』の略です。

ミドリ 03/08 20:22

161:[ 偏阻 ]

太素巻3調陰陽「偏阻」(03-37-1)の阻字に対する楊上善の反切は、やや難読ではありますが、多紀元堅の『素問参楊』では「慈呂反」、田沢仲舒の『泰素後案』では「息呂反」と判断しています。『素問参楊』に用いられた『太素』は、勿論「小島宝素抄本」です。田沢仲舒は奈須恒徳の実弟で、奈須恒徳による『太素』の抄本が中国中医研究院図書館に現存しているけれど、田沢仲舒自身の抄本が有ったって不思議はない。ただ、いぜれにせよ、「小島宝素抄本」からの再抄でしょう。同じく「小島宝素抄本」に由来しているだろうに、反切の文字が異なるのは何故だろう。
まあ、想像はつきます。仁和寺本影印の経文「偏阻」の脇には「切慈呂反止也」の注記が有ります。そして楊上善注の文字は見にくいけれど、どちらかというと「息」に近い。つまり、どっちを採ったかなんでしょうね。……でもねえ。

神麹斎 03/06 20:01

160:[ 大禁の五里 ]

大禁二十五,在天府下五寸,(『太素』輸穴 氣穴・『素問』氣穴論)
楊上善『太素』注:三百六十五穴中有大禁者五里穴也。在臂天府以下五寸。五五廿五往寫此穴氣。氣盡而死。故爲大禁也。
王冰『素問』注:謂五里穴也。所以謂之大禁者,謂其禁不可刺也。《鍼經》曰:「迎之五里,中道而上,五至而已,五注而藏之氣盡矣,故五五二十五而竭其兪矣。蓋謂此也。」又曰:「五里者,尺澤之後五里。」與此文同。

いずれもこの大禁の穴を、五里穴と言っている。
『甲乙経』には五里という穴は三つ有る。すなわち手陽明と足厥陰と、さらに手厥陰の労宮穴の一名として有る。そのうち禁不可刺と言っているのは手陽明の五里(『太素』本輸の楊注に引く『明堂』では、ちゃんと手陽明の脈気が発するところになっている)であるから、古今の注家は概ねそれに従って異を唱えない。しかし、手陽明の五里はそんなに危険な穴であろうか。また、「天府の下」とか、『霊枢』本輸の「陰尺動脈在五里」とかは、手陽明の穴を言うのに相応しいであろうか。
天府は、腋下三寸に在る手太陰の穴である。本輸篇に「腋内動脈,手太陰也」とあり、『甲乙経』には「腋の下三寸、臂臑内廉の動脈中に在り、手太陰の脈気の発する所」とあるのだから、この帰経に間違いは無いだろう。してみると、大禁の五里もまた、手の太陰経脈上に在るほうが相応しい。あるいは、手陽明、手厥陰(労宮)、足厥陰の五里の他に、もう一つ手太陰の五里が、古くは存在したのではないか。侠白穴は『甲乙経』によれば、天府の下で、肘を去ること五寸の動脈中に在る。あるいは、侠白の一名にも、古くは五里というのが有ったのではないか。「手太陰之別」という特殊な注記も暗示的である。ただし、禁不可刺というような記載は無い。巻七以降の主治記述でも「主之」である。
そもそも、尺沢と天府をつなぐ線上に、それほど危険な穴が本当に存在しうるのか、それがまた解らない。

神麹斎 02/09 10:26

159:[ 医古文同好会(日本内経医学会東海教室)3月の予定 ]

3月14日(第2日曜日)午後1時から5時
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの教養娯楽室

内容は『霊枢』邪気蔵府病形篇の解読(の予定)

神麹斎 02/08 21:51

158:[ 情緒の言語と論理の言語 ]

もっと言うならば、日本人は針灸医学を情緒的に捉えすぎているのではないか、それは日本語が情緒的であることと、連動しているのではないか、と言うことです。
古代中国人の思考は、もっと論理的で、あるいはいっそ即物的であったかも知れない。現代(白話)漢語で思考する現代中国人でも、纏綿たる日本語で思考する我々よりは、ずっと論理的(?)かつ即物的だろうと思います。

神麹斎 02/08 08:36

157:[ 思考の言語 ]

思考の言語についての雑談は、こちらに引き取ります。

日本人の(あるいは東方世界の)あらゆる(少なくとも普遍性をめざす)思考は須く(文言)漢語によってなされてきたのではないか。日本人が日本語(の口語)で思考するようになったのはいつ頃からなのだろうか。そして、それは本当に良いことだったのか。

どういうことか、もう少し丁寧に言えば、日本人は文言漢語を放棄することによって、ますます思考を曖昧模糊、あまりにも情緒的、目配せして解る方向へもっていってしまい、外国人に自らの言わんとすることを伝えるのが不得手な民族にしてしまったのでないか、ということです。名だたる外交下手にも、英語下手にも、これが影響しているのではないか。漢文で大論文をものすることが出来る人物は、文章でなら、英語で議論できたのでないか。

少なくとも、文言の漢語のほうが、口語の日本語よりも論理的な思考に適していると思う。

古漢語で、中国伝統医学を思考すると、ややともすれば陰陽五行説の枠内で思考することになりかねない。しかし、それは避けることが可能な困難だと思う。何と言っても、漢文には大量の非道教的文庫が有るのだから。

神麹斎 02/07 13:04

156:[ 所溜爲滎 ]

『霊枢』九針十二原の「所溜爲滎」に対する『素問講義』の講義は以下のようなものです。
 〈史崧〉曰、溜、謹按難經當作流、滎、音營、絶小水也、
 〈馬蒔〉曰、水從此而流、則爲滎穴、如肺經魚際之類、
 〈張介賓〉曰、急流曰溜、小水曰滎、脉出於井而溜於滎、其氣尚微也、
 〈楊玄操〉曰、泉水既生、留停於近、滎迂未成大流、故名之曰滎、滎、小水之狀也、
 〈桂山先生〉曰、張云、急流曰溜、未見所據、楊氏讀溜爲留、然六十八難、明言所流爲滎、則當從史説、
 〈善〉按『明堂』楊上善注云、水溢爲滎、
「溜」は、動詞としては「水や液体が下方に流れる」という意味だそうです。『漢辞海』にはちゃんと載ってます。「溜」を「たまる」、「ためる」などと訓むのは、日本語的用法に過ぎないんだそうです。だったら「流」とするべきだとか、その意見に賛成するとか、何でわざわざ言う必要が有るんだろう。どうして桂山先生ほどの人が悩むんだろう。なぜ中国人の史崧がこだわるんだろう。

神麹斎 02/06 08:13

155:[ 高すぎませんか? ]

ちと高すぎませんか?例の『素問攷注』と『素問講義』のセット、岐阜の某古書店で確か5万円以下だった(最近やっと売れました)と思うし、神保町の某古書店で仁和寺本『太素』や明鈔本『甲乙経』の入った例の全8冊セットが(去年の10月現在)9万5千円でしたよ。『備急千金要方』全3冊なら、2万8千円。

きっと、容易に売れないから高くせざるを得ないんでしょう。

神麹斎 02/01 22:34

154:[ 続東洋医学古典注釈選集 ]

148にある『黄帝内経太素九巻経纂録』を収めた、続東洋医学古典注釈選集が、東京・神田神保町の内山書店の古書部で売りに出されていました。セットで157,500円でした。税別。(定価はいくらか存じませんが)
それにしても、日本の鍼灸師には、古典を勉強したいと思う人が多いのでしょう。これだけの額のものを買うのですから。
その熱意に頭が下がります。

直耕 02/01 20:09

153:[ 『太素』第X次校正終了 ]

『太素』の、何度目だったかは忘れましたが、校正を一巡り終了しました。
2003年1月11日に、霊蘭之室に置いたものからは、随分修正されています。

昨年末に、例の「中医古籍整理出版規劃」の『太素』がやっと出版されたようです。まだ日本には入ってきてないようですが、次回の校正はそれとの照合ということになると思います。

神麹斎 01/29 23:44

152:[ 霊蘭大学、2004年度、入試問題 ]

管理者の権限で、酒亭「一角獣の微睡」のほうへ移動させました。
つまり「おあそび」「たわむれ」の扱いです。

でも、こういうの大好きです。

出題は少陵→移動させたのは管理者 01/29 22:09

151:[ ありがとうございます ]

実は、この箇所に相当する引用文が、『三因方』巻11
の噦逆論證に楊上善云とあります。それが『太素』や新校正の引用文と異なっているので、質問してみました。陳言が『太素』か新校正を見て、要約したのでしょうか。

ミドリ 01/28 21:49

150:[ 回答 ]

『太素』19-22-1は知鍼石ですので、『素問』の宝命全形論に相当します。『素問』については、『黄帝内経太素九巻経纂録』と同様の性質のものとして多紀元堅の『素問参楊』が有ります。注文を対比して見ましたが、異なったところは無いようです。因みに、『泰素後案』は、この部分については新校正との異同を注記しています。

神麹斎 01/28 07:29

149:[ 質問 ]

『黄帝内経太素九巻経纂録』を持っていません。
おうかがいします。『纂録』は、『太素』19-22-1 深者其聲噦【言欲識病微者須知其候鹽之在於器中津/洩於外見津而知鹽之有鹹也聲嘶知
19-22-2 琴瑟之弦將絶葉落知陳木之已蠹舉此/三物衰壞之微以比聲噦識病深之候

に相当する部分の注文では、異同はあるのでしょうか。

ミドリ 01/28 00:40

148:[ 仁和寺本『太素』は本当に孤本か!? ]

仁和寺本『太素』巻二十九 気論 三気は影印では:
夫心系舉肺不能常【泣呿者泣出之時引氣張口也】(オリエント出版社影印29-08-7~09-01)
となっています。ところが、喜多村直寛の『黄帝内経太素九巻経纂録』では:
夫心系舉肺不能常舉乍上乍下故呿而泣出矣【呿音去身中五官所管津液並滲於目為泣呿者泣出之時引氣張口也】
となっています。つまり、ここにも仁和寺本を精抄したはずの本には有って、仁和寺本を影印したはずの本には無い部分が有ります。

神麹斎 01/27 15:31

147:[ 脈法讃から三因方へ ]

「脈法讃」で、「人迎が官を司るとは制御の系統をつかさどるということである、気口が府を司どるとは代謝の系統をつかさどるということである」という話は面白いです。『三因方』の総論脈式では、人迎で六淫を診、気口で七情を診るわけですが、「六淫が制御系統を騒がし、七情が代謝系統を揺るがす」という具合につながっていくわけでしょう。では、後のほうの「陰病は官を治し、陽病は府を治す」との関係はどうなりますか。どちらかと言えば、六淫が陽で、七情が陰だと思うんですが。

竹庵 01/27 10:13

146:[ 脈法讃 ]

『脉経』巻第1両手六脈所主五蔵六府陰陽逆順第7の「左主司官、右主司府」はどういう意味なのか、何を調べればいいのか、という質問を受けました。
残念ながら、何を調べればいいのかは、所謂「正統的な学問の方法」の訓練を受けてない悲しさ、よく分かりません。
ただ、こういう場合は、原文の環境に於いて考えるべき、だろうとは思います。そこでその原文:
《脉法讃》云:肝心出左,脾肺出右,腎與命門,倶出尺部。魂魄穀神,皆見寸口。左主司官,右主司府。左大順男,右大順女。關前一分,人命之主。左爲人迎,右爲氣口。神門決斷,兩在關後。人無二脉,病死不愈。諸經損減,各隨其部。察按陰陽,誰與先後。陰病治官,陽病治府。奇邪所舎,如何捕取。審而知者,鍼入病愈。
『千金要方』巻28五蔵脈所属第4への「脈法讃」の引かれかたから見て、ひとまずここまででいいでしょう。
とすると、司官の官は、陰病治官の官であるし、司府の府は陽病治府の府であろう。そしてまた冒頭の句からみれば、左の官は乃ち肝心、右の府は乃ち脾肺ということになる。そこで、思い出すのが上海の凌耀星教授の「二つの三焦論」です。肝心は三焦の相火の系統、つまり精神神経を司どり、言い換えれば制御の系統である。その役割を官と言った。脾肺は三焦の気化の系統、つまり栄養の摂取と排泄および津液を司どり、言い換えれば代謝の系統である。その役割を府と言った。司には、察するという意味が有り、官は政務の処であり、府は時に流通の場である。また魂は人の精神をつかさどり、魄は人の肉体をつかさどり、穀は即ち形質であり、神は乃ち無形の何ものかである。つまり「左主司官,右主司府」とは、左(人迎)で制御機能の如何を伺い、右(気口)で代謝機能の状況を察せよ、というのではないか。
「腎与命門,倶出尺部」との対比から言えば、「肝心出左,脾肺出右」は倶に寸部に出る、で良いのではないか。関前一部とは何ミリ前であるか、という問いはあるいは穿鑿に過ぎるのかも知れない。神門で決断するとは、つまり腎の部を診るということだろう。生命の根本は腎である。
したがって、『脈経』巻1両手六脈所主五蔵六府陰陽逆順第7の、心部在左手関部寸口是也云々以下は、「脈法讃」とは別物と思いたい。言い換えれば、「脈法讃」は寸口診+尺診(左で司官、右で司府、尺で決死生)であって、寸関尺診ではない。

神麹斎 01/21 06:57

145:[ 『甲乙経』の主治 ]

『甲乙経』巻七・陰陽相移發三瘧第五に:{疒皆}瘧神庭及百會主之と有りますね。それにしても他に、{疒皆}瘧上星主之先取譩譆後取天牗風池大杼と{疒皆}瘧取完骨及風池大杼心兪上窌譩譆陰都太淵三間合谷陽池少澤前谷後谿腕骨陽谷俠谿至陰通谷京骨皆主之も有ります。何故でしょうね。原資料が違うんでしょうか。二番目のは、譩譆+上星+天牗・風池・大杼という順序に取る一つの方なんでしょう。とすると神庭及百會も、両方を取る一つの方という可能性は有りませんか。ずらっと羅列したものは、つまり「こういうのどれでもいいよ」ですかね。そこにも「及」は有るけど、まさか全部は取らないよね。だから、神庭及百會だって両方を取る可能性は低いと思うけど。
痎瘧心下脹滿痛上氣灸手五里左取右右取左なんてのもね、これは若干やり方が異なる。

どれもこれも、楊上善の選択にピッタリではないような……。

『甲乙経』の關門は:
腹脹善滿積氣關門主之
遺溺關門及神門委中主之
身腫關門主之
瘧は有りませんけど、『甲乙経』の主治も「先人の経験を網羅」というわけにはいかないよね。

『甲乙経』の主治のもとになった『明堂』のもとになった資料は、どんな具合だったんでしょうね。

神麹斎 01/18 16:51

144:[ 神庭 ]

神庭は督脉と足陽明胃の会で、「主……痎瘧」医心方巻2。

ミドリ 01/18 10:30

143:[ ありがとう ]

ありがとうございます。
開明=閞明=關明。『太素』の關は(ほとんどorみんな)閞なのに気が付きませんでした。おはずかしい。
明と門は、音の近さかしら形の近さかしら、両方とも有り得そうですね。
それにしても足陽明と言って、いきなり神庭、関門、天枢……とは、楊上善もなかなかやりますね。現今の帰経に隋唐の楊上善は全然拘束されてない。当たり前だけど。

神麹斎 01/18 09:33

142:[ またまた訂正 ]

『千金翼方』巻26の326の312ページ下段→『千金翼方』巻26の312ページ下段。
楊上善がみたのは『翼方』だったのでしょうか。

ミドリ 01/17 20:50

141:[ 訂正 ]

『備急千金要方』巻29です。

ミドリ 01/17 20:42

140:[ 開明 ]

『医心方』巻2で、梁門と太一の間にあります。
この「開」は、「門」+「弁」で、「關」の略字でしょう。開明=閞明=關明
『備急千金要方』巻9の509ページ、下段末。『千金翼方』巻26の326の312ページ下段の最初の穴に対応します。
足陽明胃経の「關門」に相当するのでしょう。

ミドリ 01/17 20:40

139:[ 禁刺? ]

『甲乙経』に言われている禁針禁灸穴は本当なのか、というのは古くからの疑問ですが、
『太素』巻25傷寒・十二瘧に:
瘧方欲寒,刺手陽明、太陰、足陽明、太陰。
楊上善注:以前諸瘧之中,寒瘧可刺手足陽明、太陰。手陽明脉商陽、三間、合谷、陽谿、偏歷、溫留、五里等,足陽明神庭、開明、天樞、解谿、衝陽、陷谷、厲兌等,手太陰列缺、太泉、少商,足太陰大都、公孫、商丘等穴。或熱衰方寒也。
このうちの神庭(督脉、足太陽、陽明之會)は「禁不可刺,令人癲疾,目不明」ですし、五里は『甲乙経』の目録(巻3)でこそ「刺入六分」ですが、『素問』『霊枢』中で最も有名な「刺す可からざる」穴じゃなかったですかね。
ところで開明ってどこのことですか、森立之でさえ未詳と言ってますが。

神麹斎 01/16 10:28

138:[ 陰滎水也? ]

『太素』巻25傷寒・五藏痿
黄帝曰:治之奈何?荅曰:各補其滎而通其輸,調其虚實,和其逆順,則宗筋骨肉,各以其時受日,則病已矣。黄帝曰:善。
楊上善曰:五藏熱痿,皆是陰虚,故補五藏陰經之滎。陰滎,水也。陰輸是木,少陽也。故熱痿通其輸也。各以其時者,各以其時受病之日,調之皆愈也。
どうして陰の滎が水で輸が木なのか分かりません。陽であれば(『霊枢』本輸によれば)滎水、輸木なんでしょうが、ここの注文で陰を陽に改めるわけにもいかないでしょう。
まともに文句をつけている人も無さそうです。ちょっと調べたかぎりでは、わずかに『素問紹識』で、「陰滎水也陰輸是木少陽也」の下に「按此句疑」と言うくらいのものです。
なんとも腑に落ちません。どなたか分かるかたはいらっしゃいませんか。

神麹斎 01/07 13:06

137:[ 次回の医古文同好会 ]

次回の医古文同好会は、来年の二月です。
一月は内経医学会の新年会兼研究発表会が、東京で有ります。

やっと九針十二原が一応終わりました。
次回から本輸に入ります。

もともと「より大胆に」を旗印にしてますが、さらに「より簡潔に」を加えて、先へ進めるようにしたいと思います。

それにしてもあんまり「医古文」同好会じゃなかったね。むしろ読古医書会(ドッコイショかい)でした。来年もその傾向は続くだろうと思います。

神麹斎 12/15 07:47

136:[ 九針の用法 ]

官針篇を見ていて今頃気が付いたんですが、九針の用法というのはほとんどが所謂「近道取穴」なんですね。きちんと病所に取ると言うのは、鑱針と員針なんだけど、他も何だかそんな感じです。大膿とか機関の水は、勿論それの在るところに術を施すんだろうし、員利針とか毫針で痺気をどうとかするのも結局そのところで頑張るみたい。長針は九針十二原篇には遠痺を取ると言うから「遠道」みたいだけれど、官針篇では「病の中に在るもの」と言うんだから、結局長い針でそこまで届かせるんでしょう。鍉針と鋒針に「井滎分輸」に取るとか瀉すとか言っているのは、一応「遠道」なんでしょうが、何だか何となくイメージしてたのと違いましたね。特に鋒針が「井滎分輸」なのには虚をつかれた感じです。でもまあ考えてみれば、病が五蔵に固居しているからと言って、五蔵に鋒針(三稜鍼)を刺すわけじゃないわねえ。

神麹斎 12/12 15:59

135:[ 医古文同好会12月の予定 ]

12月14日(第2日曜日)午後1時から5時、
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの教養娯楽室。

夜は忘年会という話も出てました……。

神麹斎 11/24 18:49

134:[ 視欲 ]

『素問』湯液醪醴論に、「嗜欲無窮而憂患不止」とあり、『太素』知古今では、嗜欲が視欲になっている。
さて、この「視」欲は誤りなんだろうとは思うけれど、『太素』を撰した中国人のもともとの誤りなのか、抄写した日本人の誤りなのか。多分、伝写の過程での誤りだろうとは思うけれど、中国語でも「嗜」と「視」は同音なんだよね。古来同音なんだよね。上古には声母が禅で韻は脂部、中古には常利切。

神麹斎 11/13 18:55

133:[ 太淵 ]

『黄帝内経明堂』(楊上善撰)の太淵の条に有るのに、『甲乙』巻7~12に(よく似たものも)見当たらない記載は:
脹満膨膨,臂厥,肩膺胸痛,妬乳,目中白眼青,転筋,掌中熱,乍寒乍熱,缺盆中相引痛,数欠,喘不得息,臂内廉痛,上鬲,飲已煩満。
おもしろいねえ。えっ、何がおもしろいか分からないって?
『霊枢』経脈篇の手太陰の脈の病症は:
是動,則病肺脹満膨膨,而喘咳,缺盆中痛,甚則交両手而瞀,此為臂厥。
是主肺所生病者,欬上気喘渴,煩心胸満,臑臂内前廉痛,厥,掌中熱;気盛有余,則肩背痛,風寒汗出中風,小便数而欠;気虚,則肩背痛寒,少気不足以息,溺色変,為此諸病。
結構似たものが有ると思いません?しかも是動病の中ばかりでなく、所謂所生病の中にも。
また、陰陽十二脈灸経(馬継興先生校正)の臂鉅陰脈にも:
是動則病:心彭彭如痛,缺盆痛,甚則交両手而戦,此為臂厥,是臂鉅陰脈主治。
其所產病:胸痛,脘痛,心痛,四末痛,瘕,為五病。
つまり原穴である太淵の主治の中には、所謂経脈病症がかなり見つかるということ。

神麹斎 11/12 20:37

132:[ 《針灸古典聚珍》の値段 ]

下の中国科学技術出版社《針灸古典聚珍》の値段、結局2万3900人民元になった。
日本円に換算して約32万?31冊です。一冊あたり(現地値段で)一万円強。
中国の出版界も気が狂った。

神麹斎 11/12 17:21

131:[ 医古文同好会 ]

今度の医古文同好会の内容についてですが、
『霊枢講義』九針十二原はどこからでしょうか?

11/06 12:49

130:[ 中国書出版情報 ]

全国古籍整理出版規劃領導小組辨公室からの
国家古籍整理出版“十五”(2001—2005年)重点規劃執行情况によれば、
人民衛生出版社《黄帝内経太素校注》 130万字,原定2001年出版,予計2003年出版,已交稿。
また、2000、2001年度古籍整理出版补貼項目完成情况総述によれば、
中国科学技術出版社《針灸古典聚珍》(補貼1.5万),已排印,量大,不能確定能否完成。

神麹斎 11/03 11:54

129:[ 名義 ]

画像まで用意して頂き、ありがとうございます。参考になりました。一冊、服飾関係の書籍を取り寄せてみたいと思います。
日本の着物にも「衽(おくみ)」と呼ばれる部分がありますが、随分と違うものですね。任督が前後の中央線を言うだけだとしたら…。意外に簡単なことが、現在では怪しい意味合いで語られていることが多いのかも知れません。
先の書き込み「教唆」→「教示」の誤りです。大変失礼致しました。

10/30 22:26

128:[ 任督 ]

要するに中国古代の服の、前中央の縫い目(合わせ目の場合も?)が衽(袵も同じ)、後中央の縫い目が衣偏に督です。つまり、任・督は前後の中央の線と言うだけのこと、という可能性が有ります。
大した本ではありませんが、『中国古代服飾』(劉建平 姚仲新 編絵 天津人民出版社 1988年6月)http://plaza.umin.ac.jp/~linglan/pix/hukushoku.JPGというのが有ります。表紙は漢の韓信だそうですが、張飛だって唐の太宗だって、似たようなものを纏っています。「編絵」とありますが、勿論、古い絵画を資料にしたと思いますよ。

神麹斎 10/28 06:36

127:[ 衽(おくみ)。 ]

少々、話題からそれてしますのですが…。多紀元簡『醫ショウ』巻中・八脈名義に「任則爲衽之義、其脈行腹中行、猶衣衽之在于腹前也」とあります。この「衽(おくみ)」のイメージがピンとこないので、古代服飾に関しての図版や資料がないかと探しています。どなたか良い資料をご存知でしたらご教唆ください。

10/28 00:22

126:[ 滎輸 ]

『靈樞』邪氣藏府病形には「滎輸治外經,合治内府」と有りますが、壽夭剛柔には「病在陰之陰者,刺陰之滎輸;病在陽之陽者,刺陽之合」と有りますし、五亂には「氣在于頭者,取之天柱大杼,不知,取足太陽滎輸」、「氣在于臂足,取之先去血脉,後取其陽明少陽之滎輸」と有ります。何が何だかわけが分かりませんね。
そもそも邪氣藏府病形には「五藏六府之氣,滎輸所入為合」と有るんだけれど、何だか變でしょう。孫鼎宜は滎輸の二字は衍文だと言い、郭靄春は(多分、張志聡に從って)「從滎輸」と解してますが、そんなことして良いんですかね。殘念ながら、澀江抽齋は別に何も言ってない。
ひょっとすると滎輸には、井滎輸經合の滎輸の意味じゃない場合が有るんじゃないでしょうか。因みに海論には「必先明知隂陽表裏滎輸所在,四海定矣」と有るけれど、これも井滎輸經合の滎輸じゃよく分かりません。
井、滎、輸、原、經、合がそれぞれかつてツボの意味であった時代が有って、後に出る所とか入る所とか區別して命名するのにそれぞれ採用されたけれど、もともとのツボ一般の意味に使われている箇所も殘っている、……なんてことを考えたんですが、如何なもんでしょう。

神麹斎 10/24 15:22

125:[ 医古文同好会11月の予定 ]

11月9日(第2日曜日)午後1時から5時、
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの教養娯楽室(室が変わります)。

医古文常識は、音韻学の初歩。
『霊枢講義』九針十二原のつづき。

その他、『甲乙経』の巻7以降の経穴主治の文章を、楊上善撰注『明堂』の残っている部分(つまり手太陰)を手始めに、整理して読んでいきます。

神麹斎 10/15 18:07

124:[ 『太素』のダンとセン ]

日本古典文學大系67日本書紀上 五四四ページ。補注:淮南子、天文訓の「清妙之合專易、長濁之凝竭難」による。專は音ダン。集韻に團、周礼作專とある。專と摶は通用。摶は、広韻に度官切。音ダン。まるく集まる意。名義抄にムラカルと訓む。これを搏、音ハクと誤り、アフグと訓をつけた古写本が多い。(日本書紀冒頭の部分「清妙之合摶易、長濁之凝竭難」に対する補注)
『太素』と共通する問題か。

みどり 10/13 16:07

123:[ 分かりません ]

申し訳ない、分かりません。

ひょっとして他書(『医心方』『医家千字文註』etc.)に引用されて残っていたものを利用したのかと思って、東洋医学善本叢書の「解題・研究・索引」を引っ張り出してみましたが、見つかりません。もっともあの一覧表には、仁和寺本に有るのに未見といっている箇所がかなり有って精度に若干の問題が有りますので、漏れているのかも知れません。でも、喜多村直寛だったら、他書を参考にすれば、そのように注記すると思います。

仁和寺本『太素』巻第十四の卷首の二紙は失われていて、そのうちの第二紙は影印では大正の模写で拠って補ってあります。巻第二十一、第二十七と第三、十二、十四の断簡を合装したものが、江戸末期に京都の福井家に流出し、現在ではさらに杏雨書屋の所蔵になっています。大火のどさくさに持ち出されたようです。もともとそんなに厳重に管理されていたわけではなかったのでしょう。そもそも尾張の浅井氏が(当時知られていた)全巻を転写させたときも、正規のルートを通したわけではなくて、秘密に借り出したようです。あるいは浅井氏が写した第十四巻は本物で、今有る第十四巻はその頃につくられた模造品、あるいは古くから伝わった(やや劣った)副本ではないか。本物(あるいは正本)は誰かに盗まれたか、あるいは火事かなんぞで失われた……。

神麹斎 10/10 22:30

122:[ 『黄帝内経太素九巻経纂録』について質問 ]

『黄帝内経太素九巻経纂録』終始篇に「形肉血氣、必相稱也、是謂平人」とあり、注文として「形謂骨肉色狀者也、肉謂肌膚及血氣四者也、衰勞减等□□好即爲相稱也、如前五種、皆爲善者、爲平人、」と有ります。ところが仁和寺本の影印を見てみますと、「平人」以下は無くて「是謂」が次の「少氣者」云々に繋がっています。「也是謂」で行が始まってます(影印の14-77-2)から、何行か脱落したというのでもなさそうです。仁和寺本に無い経文や注文が『黄帝内経太素九巻経纂録』に有るのはどうしたことでしょう。

左佑 10/10 11:09

121:[ 『太素』楊上善注の夾雑物2 ]

前(No.45)に『太素』の楊上善注にも夾雑物が有るんじゃないか、と言っておきましたが、やっぱり有るんじゃないですかね。
『太素』14真藏脉形:「急虚身卒至五藏絶閉脉道不通氣不往來辟於隨溺不可爲期」の楊上善の注に、「辟於隨溺辟卑尺反除也謂不得隨意溺也」というのが有るんです。この「辟卑尺反除也」(音義)は、後人が楊上善注にさらに加えた注が紛れ込んだんではないかと思います。

神麹斎 10/06 21:35

120:[ ユニコード漢字の索引 ]

やっとunicodeのcjk統合漢字の拡張領域Bまでを検索できる、部首/画数による索引が手に入るようになりました。と言っても、アプリケーションの対応と、フォントの普及がすすまなければどうしょうも無いわけですが。
The Unicode Standard, Version 4.0  販売元: Amazon International Sales, Inc.

神麹斎 10/04 09:40

119:[ 感謝 ]

電子版『霊枢講義』アップロード 、ありがとうございます。ご苦労様です。
わたくしも、拙速を尊ぶもののひとりとして(わたくしの場合、遅くしても、拙のほうは、能力不足でどうしようもないのですが)、先生の力業には、おおいに驚嘆し、また尊敬申し上げております。

みどり 09/25 04:46

118:[ 電子版『霊枢講義』アップロード ]

電子版の『霊枢講義』をアップロードしました。
これは、卷三まで入力して中断していたものを、2003年夏に学苑出版社排印本を入手して、その刺戟によって作業再開したものです。したがって、特に卷四以降は学苑出版社排印本の恩恵を承けており、また中断に伴って、卷三以前と卷四以降には処理上に微妙な差が有るものと思われる。
影印を持ってない人のために、しばらくの間は書庫の外にも置きます。
(ただし、今後の校正は書庫内のものを対象にします。)
表紙頁から読書会案内に入り、「霊枢講義」をクリックしてください。
影印をお持ちのかたは、所在を標記してありますので、間違いさがしに便利です。お気づきの際は是非ともご一報願います。
ただし、この電子版『霊枢講義』はそれほど親切なしろものではありません。フォントの準備が無ければいくつかの文字は欠けるはずです。掲示板に書き込んでいただければ、対処のしかたをわかる範囲でお答えします。

神麹斎 09/22 13:04

117:[ 医古文同好会10月の予定 ]

9月は会場確保難を口実に、岐阜市歴史博物館で開催中の上海博物院展を見学して、偉大な中国古代文明に接し、その後、奥美濃の山中を走破(車でだよ、勿論)して、森林の気を吸収し、大和村杉が瀬の梁を訪れて、天然の鮎を賞味した。

来月は会場確保できました。
10月12日(第2日曜日)午後1時から5時、
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの多目的室。

神麹斎 09/14 21:32

116:[ 活字本『霊枢講義』校勘部分の校正 ]

活字本『霊枢講義』p.1042○風從其所居之郷來云々の条に関する校勘部分はデタラメです。
抽斎の指示を細かにつなげば、以下のようにすべきでしょう。
○風從其所居之郷來、爲實風、主生長養萬物、
『大素』、無句首風字、
○從其衝後來、爲虚風、傷人者也、主殺主害者、謹候虚風而避之、故聖人日避虚邪之道、如避矢石然、邪弗能害、此之謂也、
『大素』、從上有風字、『甲乙經』同、來下有者字、爲作名曰、又傷上有賊字、害上無主字、下無者字、『大素』害者下有也字、無日字及虚邪之道如避矢石然九字、『甲乙經』、謹上有必字、避之上有謹字、無故聖人日四字、然下有後字、無此之謂三字、
このほうがマシなはずですが、『太素』および『甲乙經』の現物との突き合わせを厳しくやったわけではありません。

神麹斎 09/13 12:43

115:[ 雑学の効用 簊音督考 ]

『太素』「其胳循陰器合簊間繞簊後」の楊上善注に、「簊音督」とあるところから、『内経』No.126に、簊は篤の誤りではないかと言っておきましたが、面白い資料に気付きました。
馮夢竜『笑府』(岩波文庫)形体部に{尸+穴}篤という話が載っていて、その原注に「松江県(蘇州府属)の人は{尸+穴}のことを篤という」とあります。{尸+穴}は女陰です。そして笑い話の本文に、「毛があって痩せているのを{尸+穴}といい、すべすべして肥えているのを篤というんだ」とあります。でも、かの竜陽君の国のことであるからして、もとは前の毛があるのと後のすべすべしているの、だったんじゃないか。とすると、蘇州方言で肛門のことを篤という可能性も、あながち棄てたものではないんでないか。

神麹斎 08/31 14:49

114:[ 衣の中に果 ]

果の下に衣を書く字が有って、しばしば誤って褁(裹の亠が無い)と入力されるけれど、これはどうも別字みたい。

衣と果を字素とする字にはいくつか有って、衣の真ん中に果が入って裹は「包む」という意味、うん、良くできている。で、果の下に衣は、『龍龕手鏡』に裹の俗と載る。そして果の横に衣を置くと、裸で「はだか」、面白いねえ。

神麹斎 08/30 18:58

113:[ 業広按 ]

山田業広抄本『霊枢講義』を見ますと、問題の自筆本で綴じ目近くに書かれた按語は、天頭に在り、そこでは善按を業広按と訂正しています。とすると、楊上善と馬蒔の説に渋江抽斎が反対し、山田業広は逆にさらに反論したことになります。めでたく解決と言いたいところですが、自筆本の善按云々は、私の目には抽斎の筆跡のように見えます。謎はさらに深まるという感じです。

神麹斎 08/24 16:09

112:[ 『霊枢講義』師伝について質問 ]

胃中熱則消穀、令人懸心善飢、● 臍以上皮熱、● 腸中熱、則出黄如糜、●【善按楊氏馬氏以臍以上皮熱五字屬上文、誤、】臍以下皮寒、● 胃中寒、則腹脹、腸中寒、則腸鳴飧泄、●【善按楊氏馬氏以臍以下皮寒五字屬上文、非是、】胃中寒、腸中熱、則脹而且泄、● 胃中熱、腸中寒、則疾飢、小腹痛脹、● (●はそこに何らかの注が入るということを示す。渋江抽斎の按語は【 】に入れた。)

上は『霊枢講義』巻十一「師伝」の一部です。オリエント版の自筆校本では11-2bから11-3aにかけての箇所です。
その綴じ目のところにさらに以下の善按があり、挿入すべき箇所の指示が有りません。
これはどういう意味なんでしょう。

善按就句法攷之楊氏馬氏以五字屬上文者似是竊謂臍以下皮寒寒字或誤疑當作熱則上下文意甚覺平穩

前後文では、楊上善と馬蒔が上文に属させるのを誤りと言っているはずなんですが。医理の上では賛成できないが、文理のうえでは良さそう、という意味でしょうか。

左佑 08/23 10:07

111:[ 『霊枢講義』九針十二原校正その1 ]

30-9 問於歧伯曰:の後の諸注は歧伯の後に入るべきである。
30-11 而道黄帝有五等之爵の黄帝の下に時字が有るべきである。
30-12 校正に関する按呉悌本呉勉學本無其字を脱しているように思われる。
30-14 「百姓,百官。」の後の《説文》は削るべきである。
30-15 田賦の上に税字が有るべきであろう。税吏の吏は衍文であり、《食貨志》でなく《史・食貨志》であると思われる。
31-2 《説文》云々は、次行の善按の下に入るべきである。従って善按二字は大字のはず。また、二者皆攻瀉之法も張志聰の語である。
31-9~10 滅、絶、忘、章、形に押韻を示す符号が有るべきである。
31-12 聖人起天地之數云々は張志聰曰:「九鍼者,(排印本に脱)の後に続けて、31-18の張介賓の注の後に置くべきである。
31-14 經、情に押韻を示す符号が有るべきである。
31-15 義本諸此も張介賓の語である。
31-17 善按は令有綱紀の下に入るべきである。《甲乙經五・鍼道》は、「小鍼之要,易陳而難入。」以下がそこに有るということであるから、しかるべき箇所に移動させるべきである。
32-2 易言入也の入は衍文である。
32-4 神に押韻を示す符号が有るべきである。
32-10 小鍼解云々は趙府本云々の次に在るべきである。
32-11 神、門、原に押韻を示す符号が有るべきである。
33-9 微、遲に押韻を示す符号が有るべきである。
33-13 機に押韻を示す符号が有るべきである。
33-18 動、空に押韻を示す符号が有るべきである。
34-5 機、微に押韻を示す符号が有るべきである。
34-7 清靜は清淨の誤りである。
34-9 逢、追に押韻を示す符号が有るべきである。
34-14 往來の來は衍文である。
34-15 髪、發に押韻を示す符号が有るべきである。
34-16 《甲乙經》無「之」字は、不可掛以髪の下に入るはずである。
35-4 來、期に押韻を示す符号が有るべきである。
35-7 之に押韻を示す符号が有るべきである。
35-14 問に押韻を示す符号が有るべきである。
36-13 高武の注は、36-8~9の張介賓注の次に置くべきである。
(以下、未校正)

医古文同好会 08/11 21:48

110:[ 9月の予定 ]

9月の第2日曜は14日で、つまり老人の日の前日で、その準備のためにいつもの会場(岐阜市南部コミュニティーセンター)を借りることができません。
いっそ、リクレーションにしようかという案が出ています。岐阜公園の歴史博物館で「上海博物館展」を開催中ということでもありますし……。

神麹斎 08/11 21:47

109:[ 『霊枢講義』校正:経脈を経典と誤る ]

p291
或問手厥陰,《經》曰心主、又曰心包絡,何也?
(正)
或問,手厥陰經曰心主、又曰心包絡,何也?

神麹斎 08/08 09:00

108:[ 106の補足 ]

『備急千金要方』巻9-1傷寒例に「華佗曰……精彩言語不與人相主當者」とあります。また宋本『外臺祕要方』卷1諸論傷寒八家合一十六首に「華佗曰……精采言語與人不相主當者」とあります。程衍道本『外臺祕要方』は未調査。

みどり 08/05 23:35

107:[ 『霊枢講義』校正:単純ミス ]

p204の2行目下の方
不結不動也→不結動也
こうした単純ミスは今後ここには(私は)指摘しません。

神麹斎 08/05 09:44

106:[ 104への回答 ]

抽斎の稿本では:
……盖〈華佗〉〔『千金方』引、『外臺祕要方』同、〕所謂精彩言語不與人相主當者、即此義、言其狂妄也、……(自筆稿本4-5a5)
『千金方』引と『外臺祕要方』同の間に「、」が有ります。(これも学苑出版社本の句読の失誤です。)
つまり、華佗の説話を証明に引こうとするんだけれど、それは『千金方』に載っているものだし、『外臺祕要方』に載っているのも同じ、という意味だと思います。(本当に載っているかどうかは確かめてません。)

神麹斎 08/05 09:14

105:[ 『霊枢講義』校正:諸注の順、押韻 ]

p202○凡刺之道云々の下の諸注、楊上善、馬蒔、張介賓、張志聡、桂山先生の順にしているけど、底本ではそれぞれの頭にわざわざ漢数字をふって、楊上善、張志聡、馬蒔、張介賓、桂山先生の順を指定しているんだよね。ちょっと気になる。
それと、押韻を指摘した○を削除しているようだけど、どうしてなの。

神麹斎 08/05 09:00

104:[ 質問 ]

[103]に関連して、お尋ねします。
「不正當人」一句……の下に
「蓋華佗《千金方》引《外臺祕要方》同。」とあります。(《千金方》引《外臺祕要方》同までは、小字)
ここは、どういう意味なのでしょうか。唐代の書物である『備急千金要方』が宋代の書物である『外臺祕要方』を引用できるはずはありません。
どう解釈したらよいのでしょうか。どこか句読点が抜けているのでしょうか?入力の間違いでしょうか?

あお 08/05 08:36

103:[ 『霊枢講義』校正:句読 ]

p197○肝悲哀動中則傷魂,魂傷則狂忘不精,不精則不正,當人陰縮而攣筋,兩脅骨不舉,毛悴色夭,死于秋。
底本の句読は:
肝悲哀動中、則傷魂、魂傷則狂忘不精、不精則不正當人、陰縮而攣筋、兩脇骨不舉、毛悴色夭、死于秋、
善按に「不正當人」は一句であると言うのであるから、学苑出版社本の句読は不当である。ただし、渋江抽斎が、「諸注正當二字屬下文、非是、」と言うのも奇怪である。「諸注當人二字屬下文、非是、」と言うべきではないか。

神麹斎 08/04 22:05

102:[ ユニコードの威力と限界 ]

『霊枢講義』を電子化するに際し、学苑出版社版の基準に従うとして、ユニコードCJK統合漢字の拡張領域Aまででは不足する字形は、おそらくは42字です。拡張領域Bを使用してもなお不足するのは、おそらくは11字で、そのうちの2~3字くらいは、そもそも文字学的に統合してかまわないんじゃないか、というものが含まれています。こんなの有るの?と、こんなの無いの!が交錯しています。例えば、氵に豕は有る。桂山先生は、「按ずるに、……字書に無考」と言ってるんですがね。艹冠に補は見つからない。

ついでに校正:
p835《甲乙經》「水之下岸」作「水■之下」。
■に、ご苦労にも土に厈を造字しているが、底本は㟁(山に厈)で、この字は拡張領域Aには有る。
p992「䭇」即「◆」之壞,
◆に、渋江抽斎は確かに見たこともないような字を書いているが、綴じ目の近くに書かれた小字であるし、字書にも無さそうであるし、『漢語大字典』に『篇海類編』を引いて「饐」と同じと言うことでもあるし、文義から見て「饐」に改めて良いんじゃないか。因みに底本の様な字形は、拡張領域Bにも無い。

神麹斎 08/04 12:45

101:[ 学苑出版社『霊枢講義』校正 ]

p001○昔皇帝作内經十八巻,
言うまでも無く、皇帝は黄帝の誤り。

p048~49○刺之而氣不至,無問其數。
善按:馬注所謂二句出(字數難以判明)篇。
おそらくは、
善按:馬注所謂者出離合眞邪篇。(自筆本1-11a7~8△)

神麹斎 08/03 07:41

100:[ 表現と本意 ]

『資治通鑑』に「以上疾新愈固諫」とあるなら、まず間違いないでしょうね。この上は『資治通鑑長編』ですかね。
穢れ=死・出産・月経など異常な状態、触れるべきでない不浄とされた状態になる意、というのも知っています。
だから屍を見るのを忌むというのは納得できます。哲学は死とは何ぞやを考えることだと言い、屍を見るのを人が一般的に嫌うのはそこに自らの死を見るからだとも言います。死が一大事であるのは、古今往来変わりなかろうと思う。
ただ出産・月経はどうなんでしょう。こんなことを言うとフェミニストみたいですが、そういうことでなくて、現在において人はこれをそれほど忌み嫌っているだろうかという疑問、さらに言えば現代人が再び(千金要方に従って)忌み嫌うべき必要なんかあるだろうか、と言うことです。今じゃ子供の誕生によって元気になる人の方が多くはないか。
強く忌み嫌っているものには、病後の精神状態で接するのを避けるにこしたことは無い、には違いない。でも、大臣がばたばた駆けつけて土下座までして諫めるのは、「忿怒憂労」を引き起こさないのか。やっぱり、房玄齢や長孫無忌の態度には迷信(或いは経方の記載)に支配されている部分も有ると思う。
「凡服薬、忌見死尸及産婦穢汚触之、兼及忿怒憂労」のうち、「忌見産婦」の抹消を提言(忌見死尸は保留)することが、「迷信の一言でかたづけ」ることとは思いません。
我々としては、『備急千金要方』の注意書きのうちの軽重をはかって対処すればいいし、根本は「忿怒憂労」だと思います。入院患者を見舞う人が、無神経に親戚縁者の病気や死亡を話題にするのには、私もイライラハラハラします。老人の三大疲労要因の一つに、葬式への参列(あと二つは、確か孫の世話と庭の草取り)が挙げられるのにも、多分関係している。単純に張り切りすぎて疲れる(あとの二つと異なって)ではないように思う。

神麹斎 07/27 08:04

99:[ 『資治通鑑』 ]

『資治通鑑』巻198「二十一年、春正月、開府儀同三司申文獻公高士廉、疾篤。……壬辰、薨。上將往哭之。房玄齢以上疾新愈固諫」(孫引きであります)
 「上疾新愈」を「太宗の病気は癒えたばかり・最近快癒した」と解釈しました。
 産婦をケガレた存在とみなすことについて、いま例は挙げられませんが、日本でも平安時代の通念であったようです。
 岩波『古語辞典』けが・れ【穢れ】《ケ(褻)カレ(離)の複合か。死・出産・月経など異常な状態、触れるべきでない不浄とされた状態になる意》

みどり 07/27 02:48

98:[ 忿怒憂労 ]

全然違ってましたね。でも太宗の病が癒えたばかりだったというのは、何にありました。
『舊唐書』の太宗の本紀に「(貞觀)二十一年春正月壬辰開府儀同三司申國公高士廉薨」とありますが、その前の年に太宗が病気だったらしき記事は見当たりませんし、十九年には「五月……甲申,上親率鐵騎與李勣會圍遼東城」なんてあります。病中の高士廉を見舞ったのは二十年のようだし(高士廉の列傳)。
「凡服薬,忌見死尸及産婦穢汚触之,兼及忿怒憂労」はまあ頷けるけれど、産婦というのが引っかかるなあ。戦争に行ったり、重病人を見舞うのは良いけど、……というのはねえ。当時の人が特にそれを気にしていれば、影響はこうむるだろうけど。今の人にとって葬式に参列したり、子供の誕生に立ち会ったりが、そんなに穢れだろうか。
「忿怒憂労」は避けた方がいいに決まっている。

神麹斎 07/26 07:57

97:[ 合格! ]

 常識的にいって、病気のために薬を服用して療養している場合は、外に出かけないで、安静にいているのがよいのだと思います。
このとき、太宗は病気が治ったばかりだったのです。それで、房玄齢は、行かない方がいい、といったのですが、太宗は聞き入れず、数百騎を従えて、興安門を出て延喜門まで行きました。すると告別式に出ていた長孫無忌がそれを知って陛下の馬前に馳せ参じ、「餌石臨喪、経方明忌」と諫めました。房玄齢も長孫無忌も服餌の際の注意事項を知っていたわけです。
 どんなことを忌避しなければならないかというと、『備急千金要方』卷1・序例・服餌第八に「凡服薬、忌見死尸及産婦穢汚触之、兼及忿怒憂労」とあります。
 薬物を服用しているときは、死体は見てはいけなかったようです。それに感情を亢ぶらせるのも良くなかった。迷信の一言でかたづけていいものでしょうか。

みどり 07/25 21:13

96:[ 新選漢和辞典 ]

小学館の新選漢和辞典、書店で「抗疏」「抗表」を探してみました。両方ともなし。
この辞典は、親字が一万二千七百字で類書中最大だそうです。個人的には、漢字字典は、九千字あればかなり使えて、一万一千字もあれば十分だと、感じています。それ以上のものは、異体字か、よほどの生僻字だと思っています。そういう訳で、12,700という数字には魅力を感じません。でも、「抗」をひいて驚いた。「抗疏」「抗表」がないのは仕方がない?けれども、そのかわり「抗菌」「抗訴」「抗生物質」がある。この編集者は、家にあるのは、漢和辞典だけで、国語辞典のかわりに使う読者というのを想定しているのでしょうか。漢和辞典を持っている人なら、一冊ぐらいは国語辞典は持っていると思うけど。この編集者たちの発想には正直申してあきれかえります。これで、「抗疏」「抗表」も出ているのなら、へんな漢和辞典だと思うだけですが、抗生物質のせいで「抗疏」「抗表」が駆逐されてしまったのなら、なんのための漢和辞典だ、と嘆かざるをえません。購買意欲がなえます。(先に挙げた漢和辞典のうち、四冊は最近古書店で一冊百円、百五円で買った物なので、おおきなことはいえませんが)

みどり 07/25 21:10

95:[ 餌石臨喪 経方明忌 ]

いやあ、霊蘭大学院の入試は厳しいですね。霊蘭之室のほうは全然そんなことは無いですから……。

で、この問題よく分からないんですが、実は房玄齡が諫めても太宗は言うことを聞かなかったんですね。長孫無忌がかけつけて「餌石臨喪,経方明忌」と言ってもまだダメ。馬前に土下座して涙ながらに止めて、やっとご帰還なったんですね。
「経方明忌」とあるから、経方の中に捜すべきなんでしょうが、取りあえずそんな元気は無いので想像説を。
石というのは、おそらくは五石散の類で、服用すると性格に影響を与え怒りやすく傲慢になる、また皮膚が弱くなってよれよれのゆったりした衣服でないとしんどい。つまり、礼儀に叶う態度をとりづらい。(勿論、礼儀に拘ると健康を害する。)したがって「喪に臨するのはよしたほうがよい」ということになる。
ただし、実は高士廉の病中を見舞てはいるんですね。だから、死の穢れを避けるとかいう意識が、房玄齡や長孫無忌には有ったんでしょうなあ。迷信ぽいけど、日本でいえば平安朝でしょう。中国伝統医学に迷信的な記載が有ってもいたしかたないし、その迷信的なところをあがめ奉らなきゃならない義理も無いと思うけど。

以上、取りあえず。

神麹斎 07/25 07:56

94:[ 問題です ]

房玄齢は、太宗が薬石を餌していたので、喪に臨するのはよしたほうがよいと、上奏したのですが、ではなぜ薬石を服用していると、告別式に出席するのはよくないのでしょうか。 
      霊蘭大学院03年9月、入学試験問題

みどり 07/24 20:50

93:[ 辞書ひきくらべ その1 ]

その2があるかどうか、わかりませんが……
例文:
趙翼『二十二史剳記』卷19・唐諸帝多餌丹薬「高士廉卒、太宗将臨其喪、房玄齢以帝餌薬石不宜臨喪、抗疏切諫」(高士廉が亡くなると、太宗はかれの告別式に臨席しようとしたが、房玄齢は皇帝が薬石を服用しているので、告別式に臨席するのは良くないと思い、抗疏切諫した。)
『旧唐書』卷5・高士廉伝「司空玄齢以上餌薬石不宜臨喪、抗表切諫」。
両書を見ると、「抗疏」と「抗表」は、同義語であろう。
手元にある漢和辞典を閲す。
1.新漢和辞典・改訂第四版昭和四十五年 大修館書店
 「抗疏」項目なし。「抗表」表(意見書)を天子にさし出すこと。
コメント:表=意見書という意味が分かり、ありがたい。動詞+目的語。すると、「抗」は「あげる」の意味。
2.角川 新字源 昭和五十一年一〇二版
 「抗疏」=「抗表」強い意見書を天子にたてまつって直言する。
コメント:「強い」「直言」がポイント。
3.角川 漢和中辞典 昭和五十四年一八二版
 「抗疏」項目なし。「抗表」意見を書いた書を上(かみ)に奉る。〔唐書・房喬伝〕「寝v疾抗表諫ⅱ太宗ⅰ」
コメント:「コウヒョウして」と訓んでいるようだ。 この辞典の熟語は画数順。
4.旺文社 漢和中辞典 1980年重版
 「抗疏」意見書を天子にさし出す。「抗表」意見書を天子にさし出す。上表。
コメント:してみると「疏」は、名詞。「疏」をひくと、「天子に上奏する文章。『上疏』」とある。なるほど。
5.全訳漢辞海 二〇〇〇年第二刷 三省堂
「抗疏」=「抗表」天子に上奏して直言する。<杜甫─詩・秋興>
コメント:「上奏」をひくと、「天子に意見を申し上げる」とある。してみると、文書ではなく、口頭でもよいのか。文書にかぎらないのか。
6.現代漢語例解辞典 一九九七年第一版二色刷第一刷 小学館
 「抗疏」「抗表」ともに項目なし。
コメント:この辞典は語義別に熟語が分けられていることに特色がある。ただし親見出し・熟語数はすくない印象あり。小学館からは「新撰漢和辞典」第七版が最近出たが、未入手。数十の字について、意味の派生図がついた。
7.白川静 字通 一九九六年初版 平凡社
 「抗疏」(「坑疏」に誤る)上表。「抗表」上疏して争う。
コメント:誰と「争う」のか?皇帝とか?「争う」は、抗議の「抗」の意味か。「抗」を「上」と「争う」のふたつに振り分けて訳したのか。
8.学研 漢和大字典 昭和57年第6刷
 「抗疏」上奏文をたてまつって天子に直言する。「匡衡抗疏功名薄=匡衡は疏を抗して功名薄し」〔杜甫・秋興〕。「抗表」項目なし。
コメント:「抗」は、「上」の意味だけではなく、「さからう・たちふさがる・手向かう」といった意味が記されていますから、単に「たてまつる」だけではなく「直言する」とあるのでしょう。「疏を抗して」疏はやはり名詞ですね。熟語は画数順。頁にはさむ紐が二本付いているのはありがたい。
9.新明解漢和辞典 第四版 1990年 三省堂
 「抗疏」上奏して直言する。「抗表」①反対の意見書を天子に奉る。②意見書。
コメント:①にある「反対の」が分かりやすい。この辞典も第二字の画数引きだが、『漢語大詞典』と同様に、第二字の画数が明示されているところがよい。
10.『大漢和辭典』旧版 大修館書店
 「抗疏」意見を書いた書を上に奉る。抗表。〔揚雄、解嘲〕「獨可ⅲ抗疏、時道ⅱ是非ⅰ」〔潘岳、〓督〓〕「大将軍屡抗ⅱ其疏ⅰ」 「抗表」意見を書いた書を上に奉る。上表。上疏。『唐書』房喬傳「寝v疾抗表諫ⅱ太宗ⅰ」
 

★「抗疏」「抗表」の「抗」には、「あげる」と同時に「反抗」の「抗」の意味も含んでいる。
 漢語大詞典、例文は略す。「抗疏」謂向皇帝上書直言。 「抗表」向皇帝上奏章。

みどり 07/24 20:39

92:[ 次回の医古文同好会 ]

医古文同好会、8月も一応やります。

8月10日(第2日曜日)午後1時から5時、
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの多目的室。

参加できない人が有りそうなんで、
希望が出ている『甲乙』の『明堂』部分を、
9月から読むための説明と準備を、
ぐだぐだとやろうかと思っています。

神麹斎 07/13 17:46

91:[ 黄帝ノタマハク ]

孔子だけでなく仏菩薩もノタマフのであれば、我らが黄帝だってノタマっていいわけだけど、そういう例って有るのかしら。やっぱり日本では道教の勢力は弱い?

ところで、内経を口語で訓読の試み:
黄帝が岐伯に言われた。余は万民をわが子のように慈しみ、百官を養って、租税を受け取る。余はそのものたちが天寿を全うすることができずに病気がちなのを哀れむ。……
どうしても解釈に踏み込まざるを得ない。やっぱり解釈は一時保留してゆっくりグダグダと校勘や語釈をやるためには、文語かいっそ原文だけ、かねえ。
少なくとも、原文―翻訳―解説ではなくて、原文―解説―翻訳でしょう。いや、これは和訓の場合も、本当は同じこと。

神麹斎 07/13 10:57

90:[ 儒教の専売特許ではなかったようで…… ]

ノタマハク(曰)
(連語)(動詞(ノタマフ)のク語法)「イハク(曰)」に対して、最高の敬意を込めた表現。漢文で、仏・菩薩などの会話文引用に見える「云」「曰」「言」諸字を訓読する際に用いる。仰せられることには。……鎌倉時代、この語は、漢籍の訓読では「のたうばく」の語形が用いられる。
    『訓点語辞典』東京堂出版、2001年、292ページ。

みどり 07/13 00:13

89:[ なるほど ]

なるほど、ノタウマク、ノタマハクのノは、ノイハクのノとは違って格助詞ではないんですね。もうそのあたりからして別格ということですか。(ノ給ハク……ということは無い?)
宣リ給ヒでは確かに、荘子も墨子もというわけにはいかないわ、文宣王さまでなくっちゃ。

神麹斎 07/13 00:04

88:[ 「子曰」の現代語訳 ]

  以下、たぶんに孫引き

貝塚茂樹:     孔子がいわれました。「……」
金谷治:      先生がいわれた、「……」
宮崎市定:     子曰く、……
吉田賢抗:     孔子言う。……
倉石武四郎:    先生「……」
木村英一・鈴木喜一:先生のお言葉・「……」


宣り給ヒ(ノリタマヒ)→宣ひ(ノタマヒ)→のたまはく・のたまく(ノタマフのク語法)→ノタウマク

みどり 07/12 22:34

87:[ 訂正 ]

訂正します。本当は次のようでした。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

これにならえば、「孔先生は言われた」ですか。

神麹斎 07/11 21:32

86:[ 孔先生が言った ]

やっぱり、「孔先生が言った」で良いと思うんです。尊敬されるかどうかは、その言っている内容次第ということで……。たしか「光有れと言った、すると光が有った」じゃなかったかしら。
まあ、このへんは水掛け論になってしまうんだけど、儒家だけを特別あつかいにするのが気にくわないんです。
ただ、「子ということばのもつ尊敬をノタウマクなどの動詞に反映させた」というのはなるほどと思います。だったら、「荘先生がおっしゃった」「墨先生がおっしゃった」などと統一されたら文句のつけようがない。「○子がおっしゃった」で良い、「○先生がおっしゃった」は屋上に屋をかさねるものだ、という非難は有りうるか……。
語法が違うんだから、名詞を動詞に訳してかまわない、というのもそれはそうだと思います。ただ、この動詞はどこから来たのかとか、あの名詞はどこへ行っちゃたのかとか、そういうのは「なるべく」避けようと思うわけです。(古文を引用している場合のことですよ。解説文の翻訳にそこまで気を使わない。)

儒家だけ特別あつかいが気にくわないとは言いましたが、実のところ自分はどうしようもなく儒教的な人間だと思っています。李白と杜甫と、どちらが好きかといえば李白だけど、自身がどちらタイプかとなると杜甫タイプでしょうね、どのみちそんなに偉くないけど。それほど真面目でもないけれど。風に御して行くなんてことは思いもよらない。

神麹斎 07/10 23:21

85:[ すこし、むしかえしで、すみません ]

孔先生がおっしゃられた
 「孔子曰」の訳文を上記のようにしたいと思います。

 誰が話そうが、漢語では「曰」でちがいがないのだから、みんな「いわく」で十分というのは、一見もっともそうですが、「孔子曰」で考えた場合、ちょっとちがうと思います。
 なぜ、江戸時代、おもに上方に人たちが「ノタウマク」「ノタウバク」やら「ノタマワク」と尊敬語を使うことを考えついたかについての苦労を理解していないと思います。

 「子」は尊称です。でも「孔子」「孔子」と聞くと、このことばには尊敬が含まれていることに気づかない日本人も多かったと思います。ですからこの「子」ということばのもつ尊敬を「ノタウマク」などの動詞に反映させたのだと思います。
 漢語と日本語では、語法が異なるわけですから、名詞をそのまま名詞に訳す必要もなく(あるいはできなかったり、十分に原意が伝えられない場合)、動詞として訳してもかまわないはずです。これこそが、よりよい翻訳ではないでしょうか。
 
 貝原先生を弁護すると、こういうことになるでしょうか。

みどり 07/10 20:47

84:[ 中国語原文の処理 ]

『医古文の知識』に対する書評を読んで、中国語原文に対する処理法を、自分なりに定めました。

経典著作は訳さない。原則として白文。意味のまとまりと判断した適当なところで切って、校勘とか解釈とかを現代日本語でグダグダと冗長にやります。(今までも、自分の作ったものは、実際にはほぼこのとおりでした。)
文中に引用される中国語原文は、現代日本語に「なるべく」逐語的に訳す。「なるべく」というのは、単音詞を合成詞と言うか、熟語に訳すのは躊躇わない、という程度です。日本語になりにくい語法結構も時には無視する。ただ「なるべく」過不足なくと心がける。(今までも、現代中国語の場合はそうでした。)会話の際もこれに準ずる。

神麹斎 07/09 16:34

83:[ 実例 ]

またうっかりしました。
「孔子曰」は、「孔子がいった」で良いけれど、「子曰」はどうなんだろう。「先生が言った」で良いんだろうか、というのが迷いです。
いっそのこと、

【原文】子曰
【解説】子は、師に対する尊称。ここでは孔子こと孔丘を指す。曰は、……と言う。発言の内容をそのまましめす、つまり引用符としての性格が強い。

としちゃおうか、というのが現在のつもりです。でも会話の中では「子曰ク」と言ってるんだろうなあ、です。

神麹斎 07/08 22:58

82:[ 原文+解説文 ]

私自身に迷いが有るので(有ったので)よく分からない書き込みになって申し訳ない。

現在のつもりとしては、原文と解説文です。
原文に標点符号を付けるべきかどうかにはまだ迷いが有ります。解説文の他に、現代日本語訳が必要かどうかにも、若干の迷いが有りますが、二度手間ではないかという思いがやや勝っています。
現代日本語だけで、解説無しにそこそこ理解できる訳文を書く自信は有りません。
誰にでも理解できる簡潔な現代語訳の訓読文を創造するつもりも、第一、能力も有りません。誰かがそうしたものを完成したら、あるいはまた戻っていくのかも知れません。それは、現代的文言ということになる。もともとは話し言葉でも、簡潔に過不足無しに、というのをクリアしたら、それは充分に新たな書き言葉の誕生と言える、という意味です。まだ、無い。それはあるいは明治の文章に近いものになるかも知れない、とはぼんやりと思っています。

みどりさんが、森鷗外の文章でさえよく理解できないというのは、謙遜です。

孔穎達をクヨウダツ、杜預をドヨと読むのは、私も反対です。トホの先祖のドヨがなんてのは滑稽以外の何ものでもない。(孔子をクシと読むのなら、クヨウダツでも良いわけで、氏としてはクと読むでも良いわけで、要するにどっちかにせい、ということです。)

文学の受容としては、確かに訓読文という日本語が有ったわけで、例えば春眠不覚曉でなくて、春眠暁ヲ覚エズとして、我々の文学的素養(?)をなしているわけで……、と言ったって科学論文の理解に、読んでいてここちよいのなんのというのは、まあ関係無いでしょうなあ。

つけたし:
孔子が言った、で充分だと思います。孔子様がおっしゃった、は余計だと思う。孔丘という人が言った、も拙いと思う。孔子というのはね、名を丘といって云々は解説文の領分だと思う。で、「孔子が言った」が必要かどうかに若干の迷いが有る。

神麹斎 07/08 22:13

81:[ 断絶 ]

 「孔子曰」は、「孔子がいった」ではナゼいけないのだろう。

 そもそも、江戸時代とわれわれの間にはおおきな断絶がある。たとえば:
「孔子」についても、われわれ現代人は、「こうし」以外のヨミを教わっていない。ところが、『源氏物語』の昔から江戸時代まで、「くし」または「くじ」が一般的であったらしい。高校の世界史の授業でも、孔穎達のヨミは「くようだつ」であることを習ったと思う。だから、そのご先祖さまが「くし」「くじ」であってなんの不思議もない。
(まあ、杜甫の先祖が「ド・ヨ」であったり、原則などヨミにはないのかもしれませんが。)

 正直申しまして、わたくしは森鷗外の文章でさえ、自分なりに頭の中で反芻しながら翻訳文を作らなければ理解できないくらい、古文にうといものです。ですから、神麹齋さんには、わたくしにも理解できる現代語訳の訓読文?を創造していただきたいと思います。
 訓読してから、これは、現代日本語ではこういう意味ですと説明するのは、二度手間ではないのでしょうか?語法構造の解析のための訓読なのでしょうか。

 いま、古代漢語の原文を載せず、読み下し文と現代語訳だけの書物が明治書院?などから出版されていますが、あれはわたくしにはまったく理会できません。なぜ原文と現代語訳ではないのでしょうか。
 訓読文は、読んでいてここちよいからでしょうか。なにかのコンプレックスを刺戟するのでしょうか。

みどり 07/08 20:15

80:[ そもそも訳さない 説明はする ]

下の「古代漢語からの現代日本語による逐語訳を目指す」は、いささか勢い余ってであって、実際には「古代漢語からの日本語文言文による逐語訳を目指す」(ポーズをとる)です。
勿論、その文言文は一読して理解できなきゃ話にならん。おおむね江戸の支那かぶれの読本作者(馬琴とか)や明治の文豪と言われる人(露伴とか)の文章を、おぼろげにイメージしています。
で、「逐語訳を目指す」というのは、実は『医古文基礎』に影響されています。第六章に古籍的語訳というのが有ります。勿論、『医古文の基礎』には訳されていません。理由は当然わかるでしょう。その中に語訳的方法と題して次のように言っています。

……我々が普通に語訳を行うときは、おおむね直訳の方法を採用する。いわゆる直訳とは、すなわち語訳の時に必ず原文の詞序、詞義と語法結構に密着し、環環相い套い、糸糸扣に入り、処処に白話と文言の対応関係を体現させるべきで、だからある人はこれを称して「番号にしたがって席につく」とする。直訳では任意に原文の詞序を改めることはできず、また勝手に字を加え字を減らすこともできない。……(おおむね直訳を試みる。)

勿論、この通りにして日本語化は不可能なんだけど、気持ちとしてはこれに準じている。現代口語よりも文言の方でやったほうが、むしろやりやすいだろうと見当をつけているわけです。
とは言うものの、実際には和訓を含め(少なくとも)経典著作を訳すことは避けています。原文を白文のまま、あるいは必要によっては可能なかぎりの新式標点符号を施し(語法結構を明示して)、しかる後に、校勘とか解釈とかを現代日本語でグダグダと冗長にやっています。ただし、会話や講義の際は、話者の中国語音で原文を読む能力の不足と、聴者の聴く能力の(おそらくは)不足に鑑み、万やむを得ずむりやり訓読「調」を採っています。正直なところ記録するのは勘弁してほしい……、と思う。(そもそも訳したくない、本当はね。説明はする。)

旧来の漢文訓読風日本語文言にも大いに問題が有るとは思ってる。そこでいわゆる医古文の知識を導入したいのですが、最近になって古代日本語の知識の不足にも悩まされている。
漢文訓読風日本語に問題が有るというのは、与其○孰若△=その○せんよりは△するにいづれぞ、の類の他に、ちょっと新しい文章では、例えば露伴訳水滸伝、口調は張り扇で結構なんだけど、文言に引きずられたと思える変なところが多々有る。露伴にして然りですよ。(原文が口語のものを、文言で訳そうとするのが、そもそもくされ漢学者の……。でも冗長な現代口語では講談にはならないし……。)
古代日本語の知識の不足というのは、例えば「孔子が曰く」とやったんでは、軽侮の意味が入ってしまうらしい。いや、そんなつもりは無いんだけど……。

神麹斎 07/08 08:50

79:[ 現代日本語による逐語訳を目指さない ]

 東方書店の『東方』だったか、内山書店の『中国図書』だったかに、どこかの大学の先生が、古代漢語を引用するときは、訓読体が一番いいというような主旨のことを書いていました。たぶん、今年。古代漢語の翻訳は、現代語ではないのだから、日本語もそれに対応した古文でなされるのがふさわしい、という訳です。簡潔であり、漢語で表記された漢字がそのまま使われるわけですから。

 わたくしの場合、訓読は語法の解析の補助として用いても、基本的には採用していません。簡潔なる訓読(太宰春臺のいう「倭讀」)は避け、冗長なる現代語訳をこころがけています。

 なぜ、訓読しないか。あるいはわたくしの漢語歴。雑感。
 われわれの先輩は、鍼灸古典を和刻本で勉強したのだと思います。かれらには、古典と訓読は一体の物であると思います。わたくしの場合、鍼灸学校へ入った時は、すでにそれらは高価で容易に手にすることができませんでした。そういう訳で、経済的な理由で、中国本で勉強しました。(わたくしが入学したのは、奇しくも原塾開校の年です。金と時間がなくて、原塾にはいっていません。)
 医道の日本社の『経絡十講』が2800円か3800円で、それが高くて手が出なかった。神保町で、その原書がその七分の一ぐらいの値段で手に入った。それで原書を読もうと思った。NHKの中国語講座は3ヶ月しか聴いていない。なぜかというと香坂順一?さんの『中国語文法』書を3ヶ月で読み終わったので。(わたくしの耳の学習はそこから進んでいません。)それから、『経絡十講』、つぎに黒龍江科学技術出版社の『医古文語法』を読む。
 そういう訳で、和刻本から古典に入っていないので、はじめから訓読する習慣がなかった。独学。
 また文字を下から上に上がったりする目の振られ方をすると、いらいらして個人的に、健康的に害があるようなので、避けている。
 上下を行ったり来たりしていると、なんとなく意味が分かったような錯覚をおこす。これが、訓読の自分にとっての危ういところと感じてもいる。
 訓読に未練がなくなったのは、いくつかの経験によります。たとえば:
 与其×、孰若○を「その×せんよりは、○するにいづれぞ」
 こりゃ、だめだ。この古代日本語、意味がわからん。この迂回する勉強法は、時間の無駄だ。自分の理会できる日本語でなくちゃ、はなしにならぬ。
 多紀元簡の読んだ書籍を後追いしていたとき、『朱子語類』にいきあたりました。口語で書いてある! 古代シナ人の文章のうらには、口語が存在することに遅蒔きながら気付きました。であるからには、わたくしがかれらの文語を口語で読解しようとも、不都合はないはず。 (禅の語録を訓読するのも、理会できない。ついでながら。神麹齋さんのお好きな水滸伝も一緒。)
 高士宗の『素問直解』を読んだとき、これこそ自分の手本とすべき古代漢語の読み方だと感激しました。文言で書かれた物をどのようにふくらませて読解したらよいか。

 とりいそぎ、所感をのべました。意味不明のところがあれば、ご寛恕のほどを。

みどり 07/08 05:45

78:[ 孔子ガイハクとまではしない ]

ノタウマク、ノイハク、ガイハクの間に、尊敬と軽侮の差が有るということは、古代日本語においてなるほどそうかも知れぬが、古代漢語を読むに際しては余計なお世話だと思う。原文にはそのような区別は無いのであるから、一律にノイハクで沢山である。それもガイハクでは軽蔑する気持ちが表される、という古語辞典の知識に敬意をはらうからである。孔子ノタウマク、顏淵ノイハク、凡人ガイハクなどと区別するのが、漢文和訓の常識、くされ儒者の習慣であるとするならば、そのようなものは唾棄して、古代漢語からの現代日本語による逐語訳を目指す。

神麹斎 07/06 17:33

77:[ 貝原益軒『訓點新例』聖賢之語ヨム法 ]

歴代ノ語皆ノタウマクトヨミナラハセリ。ノタマハクトヨマズ 賢人ニハ、イハクトヨム。是聖賢ノ別ナリ、但顔淵ノ曰 曾子ノ曰 有子ノ曰 子路ノ曰 子貢ノ曰之類、皆ノノ字ヲ付ヘシ 凡人ノコトクニ 某(ソレ)カイハクト稱シテイヤシメアナドルヘカラズ 此外ニモ高第ノ弟子ハ、ノノ字ヲ付テヨムヘシ、ガトハヨムヘカラズ、殊に顔曾ナト大賢ヲアナドリテ、ガトヨム事大ナルアヤマリ也

みどり 07/06 09:49

76:[ 無題 ]

ひょっとすると「丸山先生の」という私の記憶のほうが間違いかも知れません。いずれにしても最初は島田先生の声で耳に入ってます。勿論、その後、『鍼灸医学源流考Ⅱ』も読んでますが、我ながらあんまり記憶力が良いほうではない……。

ところで、その藤木先生に私淑しているという黄龍祥さんの経脈説も面白いですね。(根源的な経脈説においては)陽経は体表を行くけれど、陰経は(肘膝以下はともかく)おおむね内部を行くと考えているようです。ただ、いずれも手足の末端に始まると考えるから、循環ではないけれど、あい通じるところが有るように思います。
三陽一陰説が過渡的なもので、経脈篇の十二経脈循環説で完成という単純なものでもないようですね。そもそも、経脈は必ずしも循環しているとは限らない。循環していると考えることによって見えてくるものと、かえって見えなくなるものが有るように思います。

「末端まで行くと、天が雨露で地を潤すように染み入って経に入る」という表現は、気功家が好みそうな気がしませんか。

神麹斎 06/19 06:28

75:[ 妄想・迷走。 ]

ご指摘ありがとうございます。
確かに色々な話を聞き、情報が入り、時間が経つにつれ、自分の妄想が少々入ってしまったのかも知れません。
どうもできすぎた話のようで…。

三陽一陰といえば、藤木先生も『鍼灸医学源流考Ⅱ』の「経脈走向の三形式について」で問題提起をされています。
学生時代、教えられていた『十四経発揮』と五行穴の流れが逆であったり、流注に様々な走向があったり、ツボとツボを無理矢理に線で結んでいったような流注があるのに違和感をおぼえたりしていましたが…、それが面白いんですね。

衛気も色々あって面白い。
折々、気をつけて読んでゆきたいと思っています。
また何かありましたら、ご指摘ください。
ありがとうございました。

Mail06/18 22:06

74:[ 三陽一陰説? ]

是故平旦隂盡、陽氣出於目、目張則氣上行於頭、循項下足太陽、循背下至小指之端、其散者、別於目銳眥、下手太陽、下至手小指之閒外側、其散者、別於目銳眥、下足少陽、注小指次指之閒、以上循手少陽之分側、下至小指之閒、別者、以上至耳前、合於頷脉、注足陽明、以下行至跗上、入五指之閒、其散者、從耳下、下手陽明、入大指之閒、入掌中、其至於足也、入足心、出内踝、下(『霊枢講義』引樓英曰、下當作上、)行隂分、復合於目故為一周、(『霊枢』衛氣行第七十六、『霊枢講義』では22-02a )
ご質問の「衛気は末端(?)まで行くと、天が雨露で地を潤すように染み入って経に入る(?)…」という記述は見当たりませんが、ここのところは島田先生を通じてお聞きしたことが有る丸山先生の「三陽一陰説」の出処です。つまり、朝になると陽気が目に出、三陽に循じて体表を下行し始め、足下に至ると、足心から体内に入って上行して百会に至り、再び体外に出て下行するという、経脈篇とは異なる経脈循環を想定しています。そして夜になると体内に留まって、眠る。
ひょっとすると、これを誰かが分かりやすく説明しようとしたものを聴いた記憶ではありませんか。

神麹斎 06/18 08:13

73:[ 衛気の行方。 ]

はじめて書き込みをさせて頂きます。
どうぞよろしくお願い致します。

『霊枢講義』に載る衛気に関しての注(?)で、
「衛気は末端(?)まで行くと、天が雨露で地を潤すように染み入って経に入る(?)…」という記述があったような…。
自分の思いこみか、読み違い、妄想かがハッキリせず、改めて頁をめくっても出てきません。
探し方が悪いのか、本当に思いこみや読み違いなのか…。
いったい、どこで読んだのだろうか、と。

今頃、衛気って何だろう、と考えています。
非常に曖昧で、いい加減な質問ですが、
もし、このような記述がある篇をご存知の方がいらっしゃいましたらご教唆ください。

全くの勘違いでしたら、お恥ずかしい次第…。
よろしくお願い致します。

Mail06/17 22:30

72:[ 7月の医古文同好会 ]

次回の医古文同好会は:
7月13日(第2日曜日)午後1時から5時、
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターの多目的室。

内容は『霊枢講義』九針十二原の続き。
その他に、医古文を載せているオブジェとしての書物、
つまり、版本の形式についてもお話したいと思います。
また、もし余裕があれば、
『医古文の基礎』第3章「語法』の第3節「文」を、
読めるところまで読んできてください。

見学・ひやかしを歓迎します。

神麹斎 06/08 21:48

71:[ 太素の校正 ]

みどりさんから、以下のご指摘をいただきました。

24-08-3 冥冥若神髣髴【冥冥之道非直目之不可得見亦非舌所得/之味若能以神髣髴是可得也此道猶是
24-08-4 黄帝之玄珠内象/通之於髣髴之】
『荘子』天地篇に、黄帝が赤水の北に遊んで、玄珠を失い、「知」や「離朱」に探させても、見つからず、「罔象」に探させると見つけて帰ってきたという、話があります。ですから、ここの「内象」は、やはり延平本にあるごとく、意味の上から「罔象」としておいたほうがよいと思います。

訂正しました。

神麹斎 05/29 20:57

70:[ 16-07-7柔弱者生之徒者也 ]

『太素』16-07-4 「夫虚實者、皆從其物類終始、五藏骨肉滑利、可以長久」の楊注
【万物之類、虚實終始、皆滑利和調、物得久生也。是以五藏六府、筋脉骨肉、柔弱滑利、可以長生、故曰柔弱者生之徒者也】

 故曰「柔弱者生之徒者也」 なぜ、「故曰」なのかというと、「柔弱者生之徒者也」が、『老子』76章のことばだから。
 楊上善注の真意・由来するところをより深く理解するには、『老子』『荘子』を暗記するぐらい読み込まなくちゃならないかも。そうすれば、楊注の難解さの一割ぐらいは、低減できるかも知れません。
 
 王冰も、道教徒であるので、老荘思想(や鄭玄のことば)が出てきますが、次注本には、山田業広の『素問次注集疏』があるから、若干助かります。

みどり 05/29 01:58

69:[ 刺扶突與舌本出血 ]

『甲乙經』巻12寒氣客於厭發瘖不能言第二:
暴瘖氣硬刺扶突與舌本出血
黄龍祥氏は『霊枢』寒熱病の暴瘖氣鞭取扶突與舌本出血に相当し、『明堂』からの採録では無いと言う。黄氏の『甲乙經』の腧穴排列序例に照らしても、なるほどその通りかも知れない。
しかし、『明堂』を抄録したという『医心方』巻2孔穴主治法の扶突条の下にも、主……暴悟瘖氣哽與舌本出血はある。
従って、この内容はもともと『霊枢』と『明堂』の双方に有ったが、重複を避けるために『明堂』からは採録されなかったと考えられる。そもそも『明堂』の主治症状の中には、『霊枢』を原資料とするものがかなり有る。
舌本は、『甲乙』に風府の一名、また暴瘖不能言喉嗌痛刺風府の記載も有る。
問題にしたいのは、暴瘖氣哽の場合に扶突もしくは風府を取れと言うのか、それとも扶突と風府の両方を取れと言っているのか、である。『霊枢』の原義からすれば、両方を取るのであろう。『明堂』でも扶突と舌本でセットだった可能性が高い。(ただし、出血させるという点からいえば、舌本は孔穴名でなくて部位かも知れない。また、少なくとも『明堂』を『医心方』に抄録した人は、舌本出血を主治症状と誤解している。)
刺扶突與舌本出血がセットであったとすると、『甲乙』に見える※与※主之の類もセットであるかも知れない、と言いたいところであるが、残念ながら『甲乙』に見えるのは、※及※主之であって、だからそれらが多穴方であるのか、単穴方の寄せ集めに過ぎないのかは分からない。

神麹斎 05/17 16:11

68:[ 勿陷 ]

鍉針者鋒如黍粟之鋭主按脉勿陷以致其氣
陷にはやっぱり「刺す」という意味も有るみたい。
『漢書』賈誼傳に「匕首已陷其匈矣」とあります。匕首はアイクチ、匈は胸とすると、陷は刺すでしょう。
致氣は、ヤバイことなのか好ましいことなのか、やっぱりよく分からない。『霊枢』には併せて5度ほど出てくるけれど、概ねヤバイほう。
例えば寒熱病に「致氣則生為癰疽也」とある。
だけど好ましいほうも無いワケじゃない。
陰陽二十五人に「凝濇者致氣以温之血和乃止」(凝澀による病人に対しては、その陽気を導いて暖めてやれば、血気が調和して治る)とある。
ヤバければ:主按脉,勿陷以致其氣。
好ましいのなら:主按脉勿陷,以致其氣。

神麹斎 05/16 22:16

67:[ 井滎分輸 ]

『太素』巻21九針所生(『霊枢』では官針):
病在脉氣少當補者取以鍉針于井滎分輸
楊上善注:鍉針之狀鋒如黍粟之兌主當行補於井滎之輸以致於氣也
つまり井滎分輸の分のところに之をあてているだけで、何の説明も無い。
では、分は之の形誤かというと、そうでも無いんですね。
病在五藏固居者取以鋒針冩于井滎分輸取以四時
楊上善注:鋒針之狀刃參隅以發固居之疾冩於井滎分輸取以四時也
まあ、いずれにせよ郭靄春あたりは、井滎分輸とはつまり井滎輸経合などの特定穴のことだと言ってます。

神麹斎 05/13 08:39

66:[ 6月の医古文同好会 ]

次回の医古文同好会は:
6月8日(第2日曜日)午後1時から5時
場所は岐阜市南部コミュニティーセンターですが、
都合により、部屋は1Fの集会室になります。

内容は『霊枢講義』九針十二原の続き、ただし
質問が有れば行きつ戻りつします。

見学・お試しを歓迎します。

神麹斎 05/11 21:14

65:[ 九針 ]

昔の人は現物を前にしてその形態を描写したはずなのに、現代の我々はその記述から現物を明確にイメージできない。古典を読むというのは、難しい。
鑱針:古い書物の挿絵にはヘラ型のものと、針の先に小さいハート型(♡の尖ったほうが針尖)がついたものが有る。鑱は犁鉄(スキの金具)であることから言えばハート型が佳いと思うけど、去写陽気という用途との兼ね合いはどうだろう。
員針:これはまあ異論は無い。員は圓つまり円と通用。
鍉針:これもまあまあ分かる。ただ黍粟の鋭の如しという針尖は、何となくイメージしているのよりうんと鋭いんじゃないか。
鋒針:今の三稜鍼で問題なかろう。ただ、九針論でその身を筒にするのは円針も同じだけど、実際はどんなだったんだろう。まさか竹槍状じゃないだろう。法を絮針に取るというのも同じ。絮針は多分、古くなったくず綿をほぐすための針だろう、想像だけど。それと九針十二原や九針論では、単純に出血させる針だけど、官針篇あたりでは、病の五蔵に固居するものを、井滎分輸に瀉す針である。ちょっとニュアンスが違う。
鈹針:これはもうメスである。我々が使うことは無さそうだからパス。
員利針:氂の如しと言うが、犛牛の尾なのか強曲毛の衣に著起できるものなのかが分からない。まあいずれ、細くてしっかりした針ということだろう。且員且鋭は、ひょっとすると松葉型の針尖のことじゃないか、というのはおもしろい。
毫針:ということは蚊虻の喙の如しという針尖は、すり下ろしかも。
長針:誰もあんまり気にしないようだけど、鋒は利にして身は薄いというのは、断面が真円じゃなくて楕円なのかも知れない。そういう針だと深く入りがちで平刺には不向きではないかという意見が有ったが、つまりそういう目的の針だったのかも。
大針:これはやっぱり火針じゃないか。筆書きの場合、大と火なんて全く酷似する。熱して瞬間的に刺抜する分には、梃つまり杖のような針尖がむしろ向いているかも知れない。機関の水を写すという用途にも相応しいかも。
まあ、いずれにしろ変わった形の針が有れば、用途は使い手が勝手に発展させるわけだし、無きゃ無いで、有るもので何とかする。本当に九針が全部、臨床に応用されていたかどうかは疑問である。員利針を第六針と呼んでいるような文献が有るから、九針というセットを常識にしていたグループが有ったことは間違いないけれど、それはつまりそういうグループの文献であって、九針というセットが一般的なものだったかどうかはまた別。

神麹斎 05/11 21:05

64:[ 孔穴主治法 ]

『医心方』巻二の「孔穴主治法」が『明堂』の抄録であるという説を小耳にはさんで、一寸だけ見てみたけど、いやおもしろいね。
例えば百會:
主痎瘧頂痛風頭重目如脱不可左右顧癲疾耳鳴熱病汗出而善歐痙小兒癇
小兒癇は『甲乙』に無いけど、これは顖會に紛れ込んでいるらしい。
熱病汗出而善歐もよく分からない。だって『甲乙』には、癲疾で嘔沫にはこれこれで、其不嘔沫ならと列記する中に百會が有る。そりゃ癲疾でというのと熱病汗出でというのは違うとか、嘔と嘔沫は違うとか、言えなくもないけれど。大体が熱病で汗が出るのが病気かねえ。多分、熱病で汗が出てそのうえ嘔吐も、と言うことだろうけど、『甲乙』には熱病汗出云々という記述自体が見当たらない。
他は大体有る。無いのもおもしろいけど、有るのもおもしろい。
「孔穴主治法」と(『甲乙』の)『明堂』を詳細につき合わせた人っているのかしら。

神麹斎 05/10 13:06

63:[ 一名 ]

『甲乙経』はツボに関する最も古いまとまった文献であり、最も重要なものであるには違いないけれど、勿論、これにも先行する資料が有るわけで、しかも『甲乙経』の段階でも編集面で未整理な記述がチラホラと。
例えば:
風池在顳顓後髮際陷中……
懸顱在曲周顳顓中……
頷厭在曲周顳顓上廉……
懸釐在曲周顳顓下廉……
などと有るけれど、顳顓なんてツボ(部位かも知れないけれど)は『甲乙経』の目録には無いわけで……。ただ、腦空の一名として顳顓というのが出てくる。
つまり腦空に相当するツボを顳顓と呼んだ文献が別に有って、その文献にはメインの文献には無い懸顱や頷厭や懸釐や(これらは顳顓という部位の……かも)風池が載っていた、ということじゃないでしょうか。

神麹斎 05/08 12:54

62:[ 字形を気にするということ ]

華夏出版社の『医心方』巻第二の孔穴主治第一に、「五处二穴,在督脉旁,去上星一寸五分。刺入三分,留七呼,灸三壮。此以泻诸阳气热,衂,善嚏,风头痛,汗出,寒热,癃,脊强反折,头重。」とあって、癃について、『甲乙経』巻七と『外台』巻三十九はいずれも「痉」に作っており、そのほうが意味的に優れていると注している。結論としてはそれで良いのだけれど、注釈としてはやや少し不足していると思う。つまり底本にしたはずの半井家本『医心方』では、癃は阝の無い字形を用いており、痙には痉に近い字形を用いている。だから、字形の酷似によって見間違え書き誤ったのである。

神麹斎 05/05 16:43

61:[ 太過か不及か ]

暑い広州・香港で発生して猛威をふるい、寒い北京・太原へ飛び火し、そのわりには中間の上海は比較的平静(これも疑わしいけれど、一応信用するとして)なのは何故か?
ウイルスをどうのこうのというのはあちらに任せておいて、気候の異常を重視する医学の立場としては、ちょっと考えてみるべきではないか。

神麹斎 04/30 18:13

60:[ 巨虚上廉 ]

虚は、日常的な意味としては「むなしい」である。だから名詞としてなら「あな」とか「すきま」と考えられる。ところが、『説文』では実は「大きな丘」である。(今はこの義には墟を当てる。)そこで、巨虚上廉は恐らく巨大な丘の上縁であろう。
であろうと言うのは、廉の字義に拠る。廉は、もともと建物の側面、だから物の側面の角立った部分。『甲乙経』あたりでも、概ね骨の上廉とか臂の上廉とか言う。
恐らくと言うのは、実は空所の廉という言い方も無いことは無いからである。『甲乙経』巻3に、下関在客主人下耳前動脉下空下廉合口有孔張口即閉とある。

神麹斎 04/26 13:49

59:[ 針灸経穴与原気 ]

 (一)『霊枢』中には原気、営気、衛気の三大脈系が有る
 『霊枢』中にはもともと「五蔵六府の出る所の処」の蔵府の本気(即ち原起、精気、腎間動気)が体表に「輸」出された「経脈十二、絡脈十五」さらには『霊枢・本輸』の井滎輸経合を正経となし、別脈(次脈)を「并」して組成された向心循行の経穴、病候、診法、治法の独立した系統が有る。ところが後の人の多くは『霊枢・本輸』、経別、十五絡などをいずれも『経脈』の一部分であると考え、それゆえに明の楊継洲は「『霊枢』図(経)は太繁にして雑」と言い、今人は『霊枢』経穴は「一団の乱麻であり、壊乱を理せんと欲す」と言い、あるいは一面で『霊枢・本輸』と『経脈』は二つの完全に異なった循行系統であり、『霊枢』の経気には先天の原気や後天の営気と「本質的な区別が有る」ことを承認しながら、また一面で『霊枢・経脈』こそが十二経脈の正経、大経であると考えている。そうした原因をつきつめてみると、いずれも『霊枢』、『明堂』の経文の含義と流伝の歴史に対する考察を欠いていることにある。『霊枢』中の向心の原気と、循環する営気と外を衛る衛気の三大脈系の経旨を明らかにすることが、本書で考察せんとすることの一である。
 (二)『甲乙』から『銅人』に至る経穴体例は原気を主とする
 明の『鍼灸聚英』に、「『明堂』、『針灸』、『銅人』、『千金翼』などの諸書には……殊に経絡起止の次序が無い」と言う。近代の名家もまた、『銅人』以前の経穴の排列は「乱」であり、「錯」であり、『甲乙』は「腧穴と経絡を分離させた」ものであると言う。しかし私は『甲乙』の巻三こそが『明堂』の正統であり、そこには経絡起止の次序が有り、錯、乱、分離などといった弊は無いと考える。その主旨をつきつめれば原気生発を依拠としているのである。上述の問題についての説明が、本書で考察せんとすることの二である。
 (三)『聖済』と『発揮』の経穴体例は改変して営気を主となす
 近人は、「『聖済総録』が腧穴の排列順序を調整したことには画期的な意義が有り、長期にわたる(経穴排列の)混乱を終結させ、経穴理論をさらに一歩、条理化し系統化し規範化する基礎を定めたものであり、後世の経穴排列のモデルと成っている。元の忽太必烈、滑伯仁から今日の全国通用の針灸教材に至るまで、多くがこれを準則としている」と言う。またある人は、「元の『十四経発揮』は『甲乙』の経絡循行を発揮した」と言う。しかし私は、『聖済』と『発揮』は『甲乙』の明堂経穴を継承発揚したもので無いばかりか、『黄帝明堂』に対して営気運行を以て原気を主とする考え方を改変するという錯誤を犯している考える。これが本書で考察せんとすることの三である。

以上は『針灸経穴与原気』の冒頭部分の抄訳です。これをここに取り上げたのは、『霊枢』全体における経脈篇と本輸篇の地位、それと第一から第九までの諸篇との関わり、ひいては『霊枢』編纂の目的について考えるための縁とするのが目的です。

神麹斎 04/24 12:50

58:[ 本輸をもって霊枢を読む ]

……歴代の経絡腧穴を研究した先賢にはもとより少なからぬ成就が有り、貢献を生んでいるのではあるが、経絡学説のある種の核心的な問題、例えば経気の主要な内容は、つまるところ原気が主であるか、それとも営気が主であるのか?十二経脈の走向、経穴の排列は、つまるところ『霊枢・本輸』における全き向心方向を宗とすべきなのか、それともやはり『霊枢・経脈』の半ばが向心であるのを宗とすべきなのか?五輸穴はつまるところ原気の発するところなのか、それともやはり営気の発するところなのか?十二経脈、十五絡脈と経気の関係はいかなるものか?十二原気はどうして四関に出るのか?さらには張景岳が提出した「経に長短有り、穴に多寡有り、いずくんぞ時を按じて能く分配せんや」など。……(向之中原作 李鼎重訂『針灸経穴与原気』1994年 中国中医薬出版社 詹永康序より)

上述したような問題を解明しようとする書物であると、原作者の友人であり同学であるという詹氏が言っているのであるから、おもしろそうな本なんだけれど、その友人に序の中に、「雖然文字稍欠精錬,亦如白璧稍有瑕疵耳」とあるくらいだから、決して読みやすくはないだろう。まあ、じっくりと。

それにしても、著者の名前を表紙で「何之中」と誤っているのは、なんともはや……。
それに李氏の序の中に、「今向老年届七七」とあるけど、ようするに喜寿ということでしょ。こういう書き方って有るんですね。「二七、二十七歳で……」と口走っても、笑っちゃいけないのかなあ。

神麹斎 04/23 15:04

57:[ 『明堂』か『難経』か ]

『甲乙経』に見える『明堂』由来の鍼灸方の大部分は単穴方であり、また特効穴的なものであると思う。無論、ここに鍼灸を施してかしこに治効を生ずるからには、間を取り持つ蔵府・経絡が必要であるには違いないが、いずれが卵であるか鶏であるか、は難しいところだろう。
『難経』は、人間と病を理論的に完璧に説明しようとした試みであると思う。理論的に説明しきれるのであれば、ありとあらゆる病は治療できる「はず」である。「はず」なだけであることは、それはまあ歴史が証明している。
鍼灸古典に記載された内容には、事実と規律と解釈が有り、価値は事実と規律に在るのであって、規律の解釈は往々にして屁理屈にすぎないという論が有る。
問題は、『難経』に見られるような理論化は規律たりうるのか、あるいは所詮解釈に過ぎないのか。そして、よしんば解釈に過ぎないとして、解釈をより精緻にすることには本当に価値は無いのか。事実とその間の無味乾燥な因果関係の指摘だけで、本当に中国伝統医学は「もう一つの医学」たりうるのか。「もう一つの医学」とは、つまるところ「もう一つのお話」ではないのか。
『明堂』と『難経』は、あるいはほとんど同時の産物かも知れない。本当はどちらが正道であったのか、どちらにより価値が有るのか。

神麹斎 04/21 21:46

56:[ 難経集注 ]

霊蘭之室の所蔵電子文献に、どうして『難経』が無いんだ、という声がありますが、別に毛嫌いしているわけではありません。
実は『難経集注』のデータは作ってあるんです。ただ、文字鏡フォントを使った文書をテキスト化したんで、ところどころ文字化けしてます。
校正しようという人があるなら、提供します。

神麹斎 04/19 14:12

55:[ 窓籠 ]

蕭延平本『太素』というのは、偉大な作業であったのは間違いないけれど、しょうもない誤りもやっぱり有るわけで、例えば:
以耳爲身窓舍,籠,音聾,故曰窓籠也。(句読点は科学技術出版社版のもの)
これは「以耳爲身窓舍,籠音聲,故曰窓籠也。」でしょう。つまり:
耳は身の窓舍を爲し、音聲を籠めるを以て、故に窓籠と曰う。

神麹斎 04/19 11:59

54:[ 義無邪下 ]

九針十二原「正指直刺、無針左右、」に対して、『霊枢講義』は、『素問』鍼解篇「義無邪下者、欲端以正也、」の王冰注「正指直刺、鍼無左右、」を引いています。
鍼解篇は、九針十二原の経文を解釈した篇だと思われるのに、「義無邪下」ってどこから出てきたんでしょうね。宝命全形論にも無いみたいだし。

「義無邪下」の意味もよくわからないんですが、例によって森立之にお伺いをたてると、義は後世「儀」と書かれるようになったものに相当するとのことです。

因みに学苑出版社版『素問攷注』の、
案:「義」是威義容、義之義,爲本義。後世用「儀」字,此是古字正字也。
は句読の誤りでしょう。
案:「義」是威義、容義之義,爲本義。後世用「儀」字,此是古字正字也。
とすべきだと思います。
原本ではもともと、
案義是威義容義之義、爲本義、後世用儀字、此是古字正字也、
になっています。つまり校点者の誤り(或いは校正ミス)です。

神麹斎 04/14 15:34

53:[ 経脈連環 ]

経脈を連環させたのが、『霊枢』の経脈篇の功罪であると言ったって、営衛の行は上下に相い貫くこと環の端無きが如し、とか言うのがみんな経脈篇成立以後だと言うわけでは無いですよ。第一、そういう発想が芽生えてなければ、それまでばらばらだった経脈を無理矢理くっつけて循環させようするわけも無い。
ただ、問題はこの経脈のこの経穴を使ってあの経脈の支配下のあの部位の病症を解決しよう、なんてことは考えない治療体系も相当根強かったはずだし、むしろ主流だったんじゃないか、ということ。原穴も下合穴も兪募穴も井榮腧経合も、その五蔵なり六府なり経脈なりに作用するだけでしょう。その五蔵なり六府なり経脈なりに起こった反応があの経脈にも波及して……、なんてことを考えるのは、その次の段階でしょう。

神麹斎 04/14 08:48

52:[ 5月の医古文同好会 ]

次回は5月11日(第2日曜)午後1時から5時
場所は、岐阜市南部コミュニティーセンターの多目的室。
(今後はおおむね毎月第2日曜の午後に同じ場所で)

岐阜市南部コミュニティーセンターの最寄りのバス停は:
市営バス:
加納・島線「城南通り」徒歩5分
岐阜バス:
松籟・加納線/おぶさ・加納線/岐阜病院・加納線「城東通3」徒歩7分
茜部・三田洞線「城南通り」徒歩5分
川島・前渡線「加納中学校前」徒歩3分

次回はいよいよ九針十二原篇の九針の記述に入ります。

新たな参加者を歓迎します。

神麹斎 04/13 20:37

51:[ さまざまな資料の公開 ]

最近はさまざまな大学や図書館のホームページでさまざまな資料が公開されていて圧倒されます。それに引き比べて我が霊蘭之室のなんとこころのせまいことよとは思わないでもないけれど、あちらは公的な予算が出てのことでこちらの個人的な努力とはわけがちがうというのはさておき、こちらだって閲覧・使用の申し出を断ったことは有りません。これからも断ることは無いと思います。ただし、どうしておまえのところは面倒くさいんだ、なんてことを言われたらわかりませんよ。ただし、俺のところは手続き無しで閲覧・使用させているのに、と言われたら、それもまた別です、すみません。

神麹斎 04/04 12:00

50:[ 本当はね ]

大陸版の黄龍祥『中国鍼灸学術史大綱』では:
《熱論》篇所採用的經絡學説有如下幾個顯著特點:其一,足陽經未與内臟之間的關係尚未建立,這表明這一時期的經脈循行中尚未引入“經脈”的理論,也可能“經別”的概念尚未建立;……(実際は簡体字、面倒だから下の繁体字をコピーして貼り込みました。)
これなら分かる。

神麹斎 04/02 13:12

49:[ やんぬるかな ]

前に推奨した黄龍祥『中国鍼灸学術史大綱』には、台湾から出ている繁体字・増修版というのが有ります。勿論、大陸のものよりかなり高価です。でも繁体字・増修版ですから、わざわざ取り寄せました。

非道いものです。

例えば:

《熱論》篇所採用的經絡學説有如下幾個顯著特點:其一,足陽經與内臟相聯繫,這表明這一時期的經脈循行中尚未引入“經脈”的理論,也可能“經別”的概念尚未建立;……

この文章の意味、分かりますか?
大陸版をお持ちのかたは見比べて見てください。愕然としますから。(第二部 経絡部 第四篇 経絡与腧穴 三、《内経》不同来源的経絡学説鈎沈 p.579)
当然、大陸版にも同程度あるいはそれ以上の誤りが予想されるわけで……、ね。

神麹斎 04/01 22:15

48:[ 『中医臨床』の陽維と陰維について ]

実のところ、「特に『難経』に詳しいワケでも奇経を研究しているワケでもないですから」ということで、一応お断りはしたんです。それでも、と言うことで無理矢理書きました。
無理矢理でも何でも、書いてしまったんだから突っ込まれるのはしようがない。

一番言い足りなかったのは、『難経』と『奇経八脉考』では、そもそも奇経に対する捉え方が違うだろう、ということです。『難経』は奇経八脉というセット、『奇経八脉考』は奇経八脉というシステムについての議論でしょうし、それと陽維とか陰維とかいう個々の絡脈についての話は、また別だと思います。
セットやシステムの構築という意味では、同じ高さの陰陽に在る陽交と三陰交という二穴を想定するのは魅力的ではないですか。

そもそも絡脈とは何ぞや、ということになると、四肢のどこかに皮膚の色とか触感とか何らかの異常を発見したとき、それとは離れた箇所に何らかの病症が起こっている、という関連として絡脈説が発生したのだろうと思います。ということは、陽維とか陰維とかの絡脈の病症を、主治症として持っている穴を探すべきだということになります。ただし、そのことと奇経八脉というシステムについて、どこが「起」であるかを論ずることとは、やはり少し別だと思います。

神麹斎 03/27 17:08

47:[ 楊注の夾雑物? ]

むかし、『素問』の王冰注に後世の夾雑物が有るんじゃないかと言って、あきれられたか顰蹙をかったか。で、『太素』の楊上善注もね……。
例えば、脾足太陰之脈の是動病に胃脘痛があって、楊上善注に「脘,胃府也」と言うのは良いんだけれど、何でその直後にまた「脘,音管也」なんだろう。当たり前なら「脘,胃府也,音管」だと思うけど。
楊上善注には、音義が齟齬するものが多いけれど、まさか別々の人が付けたってことは無いよね。

神麹斎 03/25 17:01

46:[ 受也 ]

受也というのはいくらも有るようですね。ただし、何を受けるのか前文からはっきり分かっているようです。例えば:
「昔天以越賜呉,呉不受也;今天以呉賜越,其可逆乎!」(呉越春秋)

蔭軒 03/25 16:03

45:[ 受之也 ]

結論としては之を也の草書と誤認したことから始まったんでしょうね。あるいは之也の之を落としたのかも。
受也の可能性も有るんだろうか。こういう微妙なところが分からない。独学の限界かしら。

神麹斎 03/25 07:56

44:[ 「之」と「也」 ]

「傷風上先受」と「傷濕下先受」は、対になっていますから、「之」と「也」をどちらかに統一したいという気持ちは、十分にわかります。

みどり 03/24 21:18

43:[ 賓語 ]

最近の漢和辞典には品詞を明記するものが増えたみたいなんだけど、賓語(目的語)を必要とするものかどうかは、書くわけにはいかない性質のものなんでしょうか。
例えば、『太素』巻6蔵府気液の楊上善注に「故傷風上先受之,傷濕下先受也」というのが有りますが、末の「受也」を袁本では何のことわりもなく「受之」に改めています。也の草書と之は確かに酷似ですが、ここは明らかに也と書いています。中国人には受の後に賓語が無いのは耐えられないのでしょうか。
『内経』の掲示板のほうで、『霊枢』脈度の「五藏常内閲于上七竅也」の内の後で断句する案が出ていますが、内を隠れるの意味にとれば賓語なしでもまあ大丈夫なんでしょう。納めるの意味にとったら、やっぱり賓語が要るんじゃないかと……。

神麹斎 03/24 07:33

42:[ 介詞 ]

小学館の『新選 漢和辞典』は、(たぶん、最新版から)「介詞」という品詞を用いています。その「介詞」を「介」のところで見ると「介詞句」をつくる、という説明があって、はぐらかされちゃうんですが……

みどり 03/21 16:46

41:[ 『太素』倭習例 ]

『太素』巻6蔵府気液
……腎藏精志。【……腎在二枚:左箱爲腎,藏志也;在右爲命門,藏精。】
楊注「腎在二枚」は「腎有二枚」の誤り。倭習。

神麹斎 03/18 08:52

40:[ 医古文同好会 ]

次回は4月13日(第2日曜)
岐阜市南部コミュニティーセンターの多目的室を借りることにしました。
その利用時間区分の都合で、時間は午後1時から5時ということにします。
ただし、正午ころからはロビーでうろうろしているつもりです。
早く来られる人がいれば、雑談してましょう。
医古文は、『霊枢講義』の抽齋按語を読むための予備知識として、校勘のことをお話しします。
『霊枢』は、九針十二原の「徐疾」の補瀉の記述に、もう少しこだわろうかと思います。


岐阜市南部コミュニティーセンターの最寄りのバス停は、
市営バス:
加納・島線「城南通り」徒歩5分
岐阜バス:
松籟・加納線/おぶさ・加納線/岐阜病院・加納線「城東通3」徒歩7分
茜部・三田洞線「城南通り」徒歩5分
川島・前渡線「加納中学校前」徒歩3分

神麹斎 03/09 16:49

39:[ ネットスケープでもOK ]

ネットスケープでも、この掲示板のユニコードCJK統合漢字拡張Aは、表示できるようです。ただ、どうやったらできるようになったのか、だらしないけどわからない。したがって、Operaでの設定も先に説明したようなことではないかも知れない。
インターネット・エクスプローラーはやっぱりダメみたい。
成功例と失敗例をここに書き込んでもらえませんか。

「大抵の議論は大丈夫」というのはどういうことか……?例えば:
『太素』には、癃の阝が省かれた字形が用いられている、とは書けます。
直接その字形を使うのには、拡張領域Bが必要です。𤸇
拡張領域Bはどのみちまだ実用段階ではないような……。

神麹斎 03/07 09:33

38:[ ユニコードCJK統合漢字拡張A ]

この掲示板に、ユニコードCJK統合漢字拡張Aを表示することが可能であると判明しました。
ただし、ブラウザにOpera7.02(無料)を使用した場合のことです。http://jp.opera.com/
インターネット・エクスプローラーとかネットスケープの場合は分かりません。
「ファイル」「設定」から、「フォントと配色」を開き、整形済テキスト用にユニコードCJK統合漢字拡張Aを含むフォントを選択すればOKです。

例えば 㐀㐁㐂㐃㐄㐅㐆㐇㐈㐉㐊㐋㐌㐍㐎㐏
だから 解㑊もOKのはずです。

これなら大抵の議論は大丈夫です。

神麹斎 03/06 16:17

37:[ 忿也……一曰憂也 ]

色でなく邑である可能性は高いと思います。
ただ、中国語でも「色をなす」とは「忿っている」こと、という可能性も皆無では無い……。
辞書類には、概ね単に「忿也」とあります。楊上善が「邑忿也」としたのは、おそらく『説文』に「忿也……一曰憂也」とあるのが関係している。つまり、ここの悁は、忿りというよりはむしろ憂い、というようなことじゃ無いでしょうか。忿も残しているのが煮え切らないんですが。
原文は改めませんが、注記に加えようと思います。多謝。


神麹斎 03/04 07:59

36:[ 『太素』楊注に関する按語 ]

16-70-1:悁・居玄反、色忿之也」
[色]はおそらく「邑(悒)」の誤写ではないでしょうか。仁和寺本をうつしたひとの。「いかり・うれい」という意味から考えて。

みどり 03/02 13:48

35:[ 恢刺 ]

官針篇の
「恢刺者,直刺傍之,挙之前後,恢筋急,以治筋痺也。」
に関して、新しい解釈を得ました。(私が知らなかっただけかも……)
古典研の高橋さんの方式の運動針における解釈です。
古典研では前々からの通常の解釈なのかも知れませんが、私はさぼっていたので今回はじめて聞きました。
つまり、今までは傍とか前後というのは、刺しなおしてそうすると思っていました。あるいは少し抜いて針尖を別方向に向けて再び刺すとか……。
で、高橋さんの方式では、周囲の肌肉を動かすことによって傍にし前後にするということのようです。この方が良いかも知れない。

神麹斎 02/24 13:22

34:[ 提挿 ]

黄龍祥氏曰く:
> 内経のあらゆる補瀉法における「徐にして疾」と「疾にして徐」の特徴は針を
> 進退させることについて言っているのであるが、明以後の医書に記載される焼
> 山火や透天涼の方法の中の「慢提按」と「緊提慢按」は針を進退させる過程で
> 何回かに分けて針を提按(あるいは「提挿」)させることに特徴が有るのであ
> って、この両者を混同して議論してはならない。
はたしてそうか。33に書いたことを敷延すると、
寫曰迎之,迎之意,必持内之,放而出之,排陽得針,邪氣得泄。
「持」は堅持。「放」は放縦。「排」は『説文』に「擠すなり」とあり、二つ並ぶ一方が相手をおすこと。「陽」は『甲乙』を採れば「揚」で、『説文』に「飛挙するなり」とある。即ち「排揚」は推すのと挙げるのと。これは「提按」あるいは「提挿」に近くはないか。

神麹斎 02/21 13:26

33:[ 徐而疾則實疾而徐則虚 ]

『霊枢』九針十二原に、「大要曰:徐而疾則實,疾而徐則虚。」云々とあって、『霊枢』小針解と『素問』鍼解に異なった解釈が有る。どちらの解釈が九針十二原の経文の原意に適っているかが屡々議論されるようだけど、それはおかしいのかも知れない。古経の「大要」篇に対して、小針解と鍼解が有って、それとは別に九針十二原としての解釈が有る、ということではないか。
その解釈とはつまり、「写曰迎之,迎之意」云々と「補曰随之,随之意」云々である。だから、九針十二原における解釈ということで言えば、必ずしも単純に「徐刺疾抜」と「疾刺徐抜」ではないかも知れない。写では抜針後に閉じないことに主眼が在り、補ではゆっくり刺針することに主眼が在るような気がしてならない。

神麹斎 02/21 09:07

32:[ 無知と不知 ]

『太素』巻十五・色脈診の楊注に「言失知色脈無知損益也」と言い、袁本も蕭本も無を不に作っています。底本の無の左にも、小さく不の字が添えられているように見えますから、抄者も疑問を持ったようです。無知の後に賓語を伴うのが変なのでしょうか。確かに『太素』の経注には、他に例は見当たらないようです。しかし、古籍中を見渡せば、別にそれほど珍しいとも思えません。例えば、『抱朴子』にも「世有了無知道術方伎,而平安壽考者,何也?」と有ります。何がいけないのでしょうか。

神麹斎 02/20 21:24

31:[ カギカッコ ]

林克先生の「也之」の「之」はカギカッコであるという説、おそらくは正解なんだろうけど……。
しかし、みどりさんの、
> 読者にしてみれば、「也」字で終わらない箇所にこそ、カギカッコ「之」字を使ってほしかったはずです。
というのも永遠の謎でしょうね。
個人的にみどりからもらったメールの、「之」≒「也」≒カギカッコで、もともとは「也カギカッコ」とされていたものが、誤って「之也」と転写されたものもあるのではないか、という話も可能性がかなり高いと思う。でも、どうしてカギカッコが付いたり付かなかったりするのか、は説明しようが無いでしょうね。

漢語を母国語としない人々の中に、文末にzhiと言ってしまう癖が有って、でもそれが誤りであるという自覚も有って、気が付き次第に削った……。之也という句法はいくらも有るから気付かなかったとしても、也之に気づかないのは変だわねえ。やっぱり珍説に過ぎないかしら……。

上の話とは全く関係無いかも知れないけれど、
『太素』巻二・順養に「廣歩於庭,被髮緩形,以使志生」とあって楊上善注に「廣歩於庭,勞以使志也。被髮緩形,逸以使志也。勞逸處中,和而生也。故其和者,是以内攝生者也。」と言うけれど、「勞以使志也」とか「逸以使志也」とかいう句法は良いんですかね。「使」の後には動詞が要るだろうし、動詞「志」の後に目的語が無いのは現代日本人には不思議なんですが。まさか「志之」じゃないですよね。だれもこんなこと問題にしてません。やっぱり気の回しすぎですか。

神麹斎 02/19 12:02

30:[ 『素問』校正 ]

江藤史郎氏からの校正案
24-08b09 81 積水者至隂也,至険者腎之精也。宗精之水所以不出者,是精持之也。輔
之裹之,故水不行也。〈天〉水之精爲志,火之精爲神,…〈天〉は〈夫〉では?

神麹斎云:
例の経絡学会の『素問・霊枢』では「天」です。『素問攷注』は何も言わずに「夫」と書いています。『黄帝内経素問校注』もそうです。内閣文庫所蔵の影宋明版はちゃんと「夫」です。『太素』も「夫」です。そのほうが良い。
『素問・霊枢』の『素問』は、厳密には本物の顧従徳本ではなくて、所詮は四庫善本叢書本に過ぎません。その欠陥がここに発見されました。これは一寸問題です。
それから至険は至隂の間違いです。陰でなく、隂を入力してあるのは、どれが正字であるか考えるのが面倒だからだけです。

神麹斎 02/18 18:29

29:[ 長鍼 ]

『霊枢』九針十二原に「長針者鋒利身薄」とあり、『太素』九鍼所象では「長鍼者鋒利身慱」に作ります。『霊枢』では長鍼の身は薄いと言っているようです。仁和寺本『太素』の字形は忄に専です。影印で見る限りでは右肩に一点は有りません。慱は『漢語大字典』によれば、團の意味で使われることが有ります。してみると、『太素』では長鍼の断面は円と言っているようです。ただ、楊注の「音團」の方には、右肩の一点が有るようにも見えます。有れば「音圑」の可能性も有るわけで、ひいては「身愽」の可能性も出てきます。しかし、少なくとも現代人の感覚から言えば、音釈にわざわざ圃の俗字を用いるのは不可解です。

それにしても平べったい長鍼なんて見たこと無いし、鍼の断面が円であるのは当たり前だし……。

神麹斎 02/18 12:06

28:[ 也と之 ]

これは参考になるかどうか……。
文末の之が実は也の草書体という箇所はあちこちに有る。逆に歴然と也と書かれたものが実は之であるという場合も有るんじゃないか。
前にここ(18)に書いた、『太素』巻3陰陽大論の楊上善注「以天地之風名也」の末尾の「也」は実は「之」、ということは無いですかね。
それから「之也」というのも無いですか。大半は「これを……なり」だけど、02-50-4の「故得壽命長生久視之也」なんかは、疑わしくないですかね。02-54-4の「五神皆去枯骸獨居稱為死之也」はどうですか。09-08-4「餘並上行向頭之也」、09-30-3「餘皆放此之也」、09-36-5「故曰長強之也」、09-37-5「故曰大包之也」、09-38-7「故曰皮有部之也」、10-14-2「毛即鬚髮及身毛之也」、10-32-6「若胻有氣取此三處之也」etc. いずれも楊上善注です。
yezhiまたはzhiyeあるいはいっそzhizhiという音に、何か秘密が有るような気がしてならないんだけど……。

神麹斎 02/16 00:59

27:[ 『太素』「也之」の由来 ]

林克先生曰く:『太素』「也之」の「之」は、カギカッコである。敦煌出土の巻子には、「乙」、「し」、「也」の草書体のような記号が使われている。それが漢字化して、「之」字となった。

みどり按語:「之」字がここで終わりであることを示す記号が、漢字化したという点については、まったく異議ありません。(実は、以前、もともと「也之」は同じ文字記号で、終止記号であったのではないか、と考えたこともあるんです。)楊注の最後、経文の始まる前にしか、原則として使われていないのですから。
この「之」字が、漢文の語法から逸脱していることは、誰の目にも明らかです。それで、一部の人は日本人が勝手にくっつけたのでは、という意見もありましたが、これも由緒がはっきりして、唐土から伝来してきたことが、傍証により確かめられたことは、まことにご同慶の至りであります。(ちなみに、ひらがな「し」の元となった漢字は「之」)

しかし、問題がすべてなくなった訳ではありません。なぜこのカギカッコ「之」字が、「也」字のあとにしか見られないのか。
そもそも「也」字は、漢文の初心者が句読するうえで、最もよくわかる句切りのための記号のようなものです。なぜ、カギカッコ「之」字は、このあとにしか用いられていないのか。読者にしてみれば、「也」字で終わらない箇所にこそ、カギカッコ「之」字を使ってほしかったはずです。(実は、むかし「也之」について、文章を作成したとき、意図的に触れなかった問題なのですが)

たとえば、ある時点の『太素』には楊注の終わりの印として、カギカッコ「之」字が全ての箇所についていたと仮定しましょう。それが伝写の過程で誰かが面倒になったのか、大字経文、小字楊注で書くのだから、カギカッコ「之」字は要らないからと削ったとして、なんらかの理由で「也」の次にある「之」だけは残したなんてことが、考えられるでしょうか。

なぜ、「也」の後ろにだけ、カギカッコ「之」はあって、その他の部分にはカギカッコ「之」は、ないのか。

「之」の由来は、明らかになったといえますが、「也之」の由来は、まだ残念ながら、納得いく説明は、得られていません。

みどり 02/15 22:35

26:[ 学苑出版社版『素問考注』の句読 ]

『素問参楊』四気調神大論「逆之則傷肝(至)奉長者少」の下に、「肝氣在春、故晩卧形晩起逸、體急形、煞奪罸者、皆逆少陽也、」云々とあって、「故晩卧形晩起逸」の傍らに「此一句難讀」と記す。
学苑出版社版『素問考注』(郭秀梅・岡田研吉 校点)は、「肝氣在春,故晩卧形(「形」上恐脱「緩」),晩起逸體急形。煞奪罸者皆逆少陽也。」と句読していますが、この句読は森立之のものではありません。
森立之の原本では付箋で、「肝氣左(在カ)春、故晩卧形(「形」上恐脱「緩」)、晩起逸體急形煞奪罸者皆逆少陽也、」です。
学苑出版社版『素問考注』の句読には異議が有ります。
私の考えでは、森立之の意見に従って「緩」を補った上で、「肝氣在春,故晩卧緩形,晩起逸體。急形煞奪罸者,皆逆少陽也。」と句読します。つまり、急形と煞(殺)と奪と罸が、少陽に逆するということのはずだろうと思う。
どちらが正しいかはともかく、学苑出版社版『素問考注』の句読が、必ずしも森立之の考えではないことには、あらためて注意されたい。

神麹斎 02/13 15:19

25:[ 必持内之 放而出之 ]

大要に、徐にして疾なるときは実すと言い、補は随であって、随という意味は「これを忘れるが若く、行くが若く悔いるが若く、蚊虻の止まるが若く、留まるが若く還るが若く、去るは弦絶の如く」と言うからには、「針の出入の速度」であるに違いない。
だけど、大要に、疾にして徐なるときは虚すと言い、瀉は迎であって、迎という意味はとして言う「必ず持してこれを内れ、放ちてこれを出す」は、必ずしも直接的に針の刺抜のスピードの話ではないような気がするが如何。持は、恐らく後の「持針の道は、堅きものを宝と為す、正指直刺して、針を左右にすること無かれ」と関係するだろうし、放は放任、放縦の放だろう。刺入の際に圧力がかかっいるようなイメージが有るが……。(グッと入れて、ス~ツと抜く、……だれかさんの打撃コーチングみたいですな。)
徐疾の解は、やっぱり一筋縄ではいかないように思う。

神麹斎 02/13 07:09

24:[ 遅速と徐疾 ]

遲速は、その来るをば迎える可からず(逆と迎は同じ)、その往くをば追う可からずであるところからすると、これはやはりタイミングの問題であると思う。
そして迎随は、写曰迎之と補曰随之から判断するに、どうしたって速刺徐抜と徐刺速抜で、スピードの問題である。
とすると、刺之微在速遅を書いた人と、大要曰云々に対する小針解を書き、迎之意と随之意を説明した人は全然別の人なんじゃないか。
つまり、針の技法に「針の出入の速度」を持ち込もうというのも、九針十二原執筆(旧い文章の改変)の、ひいては『霊枢』編纂の動機だったのではなかろうか。



蔭軒 02/11 16:26

23:[ 迎随の補瀉 ]

『霊枢』九針十二原の迎随の補瀉が、速刺除抜と除刺速抜であることは、かつての原塾・霊枢講座の井上先生の見解からも、最近の『中国鍼灸学術史大綱』の黄龍祥による解説からも、もう確実ですよね。その効果を保全するために開闔は加味するわけだけど。その他のゴチャゴチャは、後人の工夫である可能性はともかくとして、少なくとも『内経』の迎随の補瀉ではないでしょうね。



神麹斎 02/10 21:49

22:[ 有本爲暮也 ]

『太素』巻三・陰陽雑説に「二陽俱搏募病温死不治不過十日死」とあり、楊上善注に「陽明之氣皆聚則陽明募病」とあり「有本爲募也」(03-72)とありますが、経文も楊注も校異も同じ「募」では意味をなしません。そこで森立之は「有本爲募也之募,恐暮字之誤」と言いますが、その理由は明言していません。これはつまり、上文中の夜半、夕時、平旦、晝に倣って暮に改める、ということだと思います。蕭延平が勝手に「幕」に改めるのよりも、我等が森立之ははるかに優れています。なお、従って郭靄春『黄帝内経素問校注語訳』がその少し前の「盡」を「疼」に改めるべきと言うのも笑止の沙汰です。これは『太素』に従って「晝」にすべきです。ただ、森立之もそれを言ってない(?)ようなのは不審。


神麹斎 02/10 21:35

21:[ 同好会の宿題 ]

『霊枢』九針十二原の
「凡用針者,虚則實之,滿則泄之,宛陳則除之,邪勝則虚之。」 
これの「滿則泄之」って、どういう意味なんだろう?
小針解でも鍼解でも、「虚則實之」と「滿則泄之」を対にして解釈しているけれど、本当にそうなんだろうか?
「虚則實之」と「邪勝則虚之」が対ということは無いんだろうか?
もしそうだったら、「滿則泄之」って、どういう意味になるんだろう?

次回は3月9日(第2日曜)午前10時半ころから
医古文は、目録と版本。
『霊枢』は、九針十二原の第2段のつづき。


神麹斎 02/09 21:18

20:[ 漢字の構造 ]

漢字の構造を話すときには、いつも許慎の六書のことが出てくるわけですが、実はその前に単体字と合体字ということを、考えておくと良いと思います。
周知のごとく、漢字には形と音と義が有ります。で、単体字というのは、それ以上分解したら、音や義を失ってしまう最小の要素のことです。部首に独立した音や義が必ず有るのか、そんなふうに問われると、ちょっと返答に窮します。確かに疒なんてのが実際の文章に出てくるのは見たことがない。でも、どんな字書にも音と義が載っていますから、まあ字素の一つです。
単体字は概ね象形文字か、あるいは指示文字です。ある統計では三、四百有ると言っています。それを組み合わせた会意文字や形声文字が合体字ということになります。勿論、有り得ない組み合わせも有りますし、三つ四つの組み合わせも有りますから、数学的に漢字の総数を割り出すわけにはいきません。でも、相当凄い数になることは想像できますよね。
組み合わせの方法の代表は、一方が大分類、一方が読音という二つの要素の組み合わせです。で、どの字とどの字が同じ字なのか、別の字なのかを判断するのに、構成要素が同じなら同じとする判断基準が有ります。ここで微妙になるのが位置関係の相違をどう判断するかです。例えば脇と脅では、構成する要素は同じです。でも、現在は脅迫を脇迫とは書きません。やはり、別の字と考えるべきでしょうか。しかし、古典の世界ではそうでもない。ワキの意味で脅がどんどん出てきます。もう一つ例えば、汚と汙は氵に于・亐の組み合わせです。于と亐の違いはデザインの違いに過ぎません。つまり、最初に書いた絵は同じだったはず、ということです。だから、汚と汙は厳密には、異体字という必要もないくらいだと思います。
漢字は全部でいくつ有るのか?これは答えようが無い質問です。でも、大昔の方が少なかった、くらいのことは言えます。つまり齊で充分ヘソのことを表していたのに、やっぱり肉体のことだからと月(肉づき)を附ければ臍です。こういうのを古今字の関係と言います。これを安易にやると困ったことが起こります。例えば『太素』では経絡の絡を胳と書きます。多分、これも肉体に関することだからというつもりでしょうが、もともと胳という字は有ったからややこしい。字書には、腋の下とか牲畜の後脛骨としか載ってないと思います。臍は現代中国語では脐と書くようです。これは月(肉)という大分類と齊(齐)という声符の組み合わせは同じですから、つまり同じ字ということで良いと思います。齊の下の部分を省略して替わりに肉を置いた字が有ります。これと齊との関係は古今字で良いと思いますが、臍との関係はどう言えば良いのでしょうか、構成要素は同じだから同じ字でしょうか、見た目がこれくらい違えばやはりもう一つの字でしょうか。こんなところで迷うので、つまり、漢字は全部でいくつ有るのには、答えようが無いわけです。

構成要素の位置関係が、もともと造字の意図と関係する場合も有ります。例えば二人の人が同じ向きなら从(従う)だし、背中あわせなら北(そむく)です。北が方角を表すのに専用されるようになって、肉という大分類で北という音の字「背」が、「背中」「背を向ける」「従わない」から、「そむく」の意味に使われるようになった。


神麹斎 02/07 20:13

19:[ 黄氏の迎随 ]

黄龍祥氏の『中国鍼灸学術史大綱』刺灸法部に「迎随」についての考察が載っています。
冒頭数ページの翻訳を、
http://plaza.umin.ac.jp/~linglan/HuangLongxiang/cijiufa.htm
に置きました。


神麹斎 01/29 17:18

18:[ 語法質疑 ]

『太素』巻3陰陽大論に、「(陽之汗,以天地雨名之,)氣以天地之風。」の楊上善注に「前明人汗,以天地之雨爲名;則人之氣,以天地之風名也。」(東洋医学善本叢書影印仁和寺本03-23)とあるが、「以天地之風名」には語法的に問題が有るのでは?上の雨の例と同様に「以天地之風為名」とするか、あるいはいっそ「以天地之風名之」とすべきではないか。

神麹斎 01/29 12:44

17:[ 校正案内 ]

電子文献は日常的に校正していますが、その度に案内することはなかなか難しいので、所蔵一覧のページに最終アップロード日を小さく書き込みます。最近は『太素』の再アップロードが度々有りました。
(最終校正日とは微妙に異なります。11jan.2003は書庫を移動させた日付にすぎません。)
皆さんからご指摘いただく校正ミスは、この掲示板に表示するようにします。


神麹斎 01/29 12:43

16:[ 迎随 ]

『難経校注』(凌耀星主編)七十二難・按語
迎隨の針法はまた『霊枢・九針十二原』に「迎而奪之,悪得無虚。追而済之,悪得無実。」と見え、『霊枢・終始』には「瀉者迎之,補者随之。」と見える。本書七十四難の内容と『霊枢』は同じである。迎を瀉法と為し、随を補法と為していることが分かる。
迎隨の補瀉の具体的な刺法には、いろいろな説明が有る。
一、経気の始めて至るときに針を進めるのを「迎」と為し、経気が去るときに針を進めるのを「随」と為すものが有る。例えば丁徳用は、「凡そ気始めて至りて針を用いてこれを取る、名づけて迎而奪之と曰う。その気の流注終わりて針を内れ、出してその穴を捫す、名づけて追而済之と曰う。」と言う。
二、その子を瀉すを以て「迎」と為し、その母を補うを以て「随」と為すものが有る。例えば丁徳用は、「またその母を補うもまた追而済之と名づけ、その子を瀉すもまた迎而奪之と名づける。」と言う。
三、吸気に針を進め、呼気に針を出すを「迎」と為し、呼気に針を進め、吸気に針を出すを「随」と為すものが有る。例えば丁徳用は、「また呼吸に随いてその針を出納するを、また迎随と曰うなり。」と言う。
四、疾病の陰陽、営衛昼夜運行の逆順を以て迎随を分かつものが有る。例えば『集注』の楊曰に、「迎えるは逆なり、随うは順なり。衛気の逆行、営気の順行を謂う。病が陽に在れば、必ず営衛の行の陽分に至るを候いてこれを刺す。病が陰に在れば、必ず営衛の行の陰分に至るを候いてこれを刺す。これ迎随の意なり。」と言う。
五、三陰経三陽経の走向と針先の方向が逆なのを「迎」と為し、順なのを「随」と為す。例えば張世賢は、「凡そ瀉を欲すれば、針先をその経脈の来る方向に向け……つまりその針を逆にしてその気を奪う、これが迎である。凡そ補を欲すれば、針先をその経脈の去る方向に向け……つまりその針を順にしてその気を済う、これを随である。」と言う。
六、後世には経気の臓腑を流注する時間によって針刺の迎随を分けるものが有る。例えば楊継洲は、「迎は、その気のまさに来るを迎える、たとえば寅の時に気は肺に来たり注ぎ、卯の時に気は大腸に来たり注ぎ、辰の時に気は去り、胃に注ぐ。肺と大腸はこの時に正に虚し、而してこれを済い補うなり。余はこれに倣う。」(『鍼灸大成』巻四・経絡迎随設為問答に見える)と言う。
この他になお針体の捻転の方向、あるいは針の進出の徐疾で迎随を分けるものが有る。本書に述べるところの迎随の意義もまた一つではない。例えば本難には営衛が経脈を往来する逆順を言う。七十九難には補母瀉子の迎随を言う。これによって見れば「迎随」の意義および手法は様々で一つでないのが分かる。故に「迎随」は、実際上は補瀉の手法の総称と理解できる。

神麹斎 01/28 18:21

15:[ 点を打つ ]

> 俗字は、点を打つのは好きですね。

そうなんだよ。それでたまに点を打つと別の字になることが有るから困るんだよね。
有名な例では、伏衝の脈。人偏に大って、太の古字なんだってね。
それから、『太素』楊上善注の「謗各反,聚也」。これやっぱり、「謗各反」は榑、「聚也」は「槫」(仁和寺本では旁は略して専)だと思うんだよね。多分……、楊上善の意識の中では右肩に一点有るのも無いのも一字なんじゃないの。
こんなのざらに有るもの。

神麹斎 01/28 08:24

14:[ 臨床書 別の言い方 ]

「臨床書なんて読んでも仕様が無い」と書きましたが、ひるがえって逆に言えば臨床に基づかない経典なんてものは、もっとしょうもないわけで……。
つまり、こういう病にこのツボあのツボと鍼したり灸したりしたら治ったと言われてもしょうもないわけで、そうした経験が蓄積されて、その中から共通点を抽象して始めて価値有るものになる、と思うわけです。
また、現在の臨床報告に意味が有るのは、共通の診断法と治療法という認識が有る処で、そのマニュアルの運用の妙を見たり、あるいはマニュアルの穴を是正するヒントになることに意味に有るんであって、異なった診断と治療の世界の人に、「先生の言うとおりにやったら治りました、有り難う」と報告されたって、「へ~、そうなの」と言うよりしょうがないでしょう。

神麹斎 01/26 14:38

13:[ 医古文のはなし ]

医古文の話は、最初が工具書、次いで漢字、今度は版本とかなり変則的にやってますが、逆に言えば、どこから聞き始めても大丈夫ですし、どうせ一度では分かりません。
例えば、工具書を部首で引くには漢字のことが分からなければなりませんし、漢字の通仮が分かる為には音韻の知識が必要ですし、古今字には訓詁の問題も絡んできます。
何度も何度も脱線しながらやっていくより仕方がないと思います。

別に、同好会に参加してなくても質問は歓迎します。必ず応えます。(「正解」を「教えてあげる」ではありません。)


神麹斎 01/25 15:59

12:[ へだてるに…… ]

掛は挂と同じ(『太素』は挂に作る)で、『説文』にはもともと「挂,画也」と有りました。つまり区画するで、そこから阻碍するという意味も出てくる。「間不容髪」と言いたいところを「不可掛以髮」と言っても、何ら不都合は無いのかも知れない。(この髪は乘黄氏の言うような用法。)
清の紀昀『閲微草堂筆記・槐西雑志四』に「如行荊棘中,歩歩挂礙」と有るようです。新しい文章ですが、擬古文でしょう。

神麹斎 01/23 09:35

11:[ 「不可掛以髪」を強引に ]

 少々強引ですが、髮という字には長さの単位としての意味(一寸の百分の一)を持ち合わせているようです。
 一方、掛の字には”費やす”の意も含むようでありますので、先ほどの髪の長さの単位をある意味、時間の単位としても表現できるわけで「ほんのわずかな時間をも費やす(かける)ことなく・・・。」となり「間、髪入れずして・・・。」になっても不思議ではない気がします。
 しかし、「間、髪入れず・・」となりますと”速さ”が重要に感じられますが、ここで大事なのは”速さ”ではなく、あくまでも”間・タイミング”だと思われますので、そのタイミングが悪ければやはり「叩之不発」となるのではないでしょうか。

 

野次馬河童あらため乘黄 01/23 00:24

10:[ 臨床書 ]

臨床書なんて読んでも仕様が無い、けれども、考えてみれば『素問』『霊枢』だってもともと臨床書だったろうし、著者のレベルはより高いと言ったところで、伝承の誤りを生ずる機会だってより多いだろう。
近世の臨床書にだって、どういう場合にどうしてそうするくらいの記述はあるけれど、発明は稀でほとんどは古典の書き写しでしょう、しかも間違いの多い。ただ、実際の臨床例はそれから逸脱していることが多いんでないの。結局、読解の誤りを臨床がカバーしているんだろうね、名人の場合は。
臨床書の理論部分は、やっぱり古典に基づいてビシビシ訂正をせまって良いと思うけどね。

神麹斎 01/22 21:12

9:[ なやましいかんじ ]

漢字の問題で悩ましいのは、この字とこの字は同じなのか、やっぱり違うのか……。
例えば汙と汗は、はねるかはねないかだけの違いだけど、厳然たる別の字です。
汙と汚は、同じ字です。折れ曲がっているだけです。厳密に言えば異体字という必要も無いくらい。だって、文字の構成要素は同じでしょう。
では、衛と衞は同じか。同じだけど、異体字ではあるのかな。衛は行と韋の組み合わせだけど、衞は行と韋の省略と帀の組み合わせなんですね。
通行の文字に統一する方針の場合は、まあ良いけれど、異体字は可能な限り保存して研究の資料にしたい、なんて時はこんなしょうもないことも、悩ましい問題なんですねえ。だって、底本の文字の個性まではどうやったって再現不可能なんですから。

神麹斎 01/21 18:09

8:[ 訂正 ]

> 陽経の原穴は「本輸」に出ています。
そうですね、うっかりしました。
これは陰経の原穴と陽経の原穴を、別の篇に書き分けたのではなくて、そもそも別の人が別の意味で書いたのだと思います。陽経の原穴を六府の原穴とはとても言えない。特別に重要な穴とも思えない。(相対的にですよ。五蔵の原穴ほどは、という意味です。)
陽経と六府の関連は極めて薄いのに、例えば「膀胱出于至陰」云々と書き出す謎はもう一度考えてみる必要が有りそうです。

神麹斎 01/20 08:40

7:[ 奇説 ]

知機之道者不可掛以髪不知機道叩之不発
機の道を知れば、掛く可からずして以て発し、機の道を知らざれば、これを叩けども発せず。
(髪を発の仮借と見る。ひっかかるようなことも無く発射し……。)

橘蔭軒 01/19 22:39

6:[ 次回の医古文同好会 ]

次回は 2月9日(日)午前10時半ころから(今後はおおむね第2日曜)
『医古文の基礎』の「版本と校勘」と『霊枢』九針十二原「凡用針者」云々から。

場所は 岐阜市城東通3-34

1月19日の『霊枢』で困ったところは:
「不可掛以髮」
今まで『素問』宝命全形論の「至其當發,間不容瞚」と同じような意味と考えて、「掛けるに髮を以てもす可からず」と訓んで、「間、髮を入れず」と解していたけれど、考えてみると、だったらどうして「不可間以髮」と言わなかったのか。掛はやっぱり掛でしょう。
小針解には「易失也」と言うが、ではその解釈でこの段を通せるか。

ご教授を賜りたい。

神麹斎 01/19 20:13

5:[ 九針十二原はどうして陰経の原穴しか挙げないのか? ]

九針十二原の原穴は、陰経の原穴ではなくて、五蔵(と膏・肓)の原穴です。
経文をよく見てください。「陽中の少陰は肺なり」です。経について言うのなら、肺は太陰でしょう。その他にも「四関は五蔵を主治す」「五蔵に疾有るや、当にこれを十二原に取る」「五蔵の害を知る」でしょう。最後に「五蔵六府の疾有るものを主治するなり」と有るので紛らわしいけれど、六府は衍文か、もしくは膏・肓で六府を代表させているのではないかと思います。
六府(あるいは陽経)の原穴はどうしたのかというと、『甲乙経』が数合わせをしたに過ぎないか、あるいはもう少し好意的に言えば、新たな知見による補充でしょう。では、五蔵の原穴に相当する役目を六府において果たしていたのは何でしょうか。それはいわゆる下の合穴です。邪気蔵府病形に「黄帝曰く、内府を治すは奈何?岐伯曰く、これを合に取る」と有るでしょう。その下に三里、巨虚の上下廉、委陽、委中央、陽陵泉があげてあります。
五蔵には兪穴、六府には合穴という常識が、十二原を称揚する以前のものなのか、別のグループのものなのか、確たることは言えませんが、まあ『霊枢』が一枚岩で無いことだけは言えそうです。

神麹斎 01/17 09:41

4:[ 之は何画 ]

以下は廃止した掲示板に在った書き込みです。こちらに保存しておきます。

「之」   神麹斎 - 2002/12/10 14:45
「之」の画数、最近の漢和辞典では軒並み3画のようですね。
手元の辞典・字典では『康熙字典』だけは4画です。
小篆を見れば、やっぱり4画が妥当だと思うんですがね。
上海古籍出版社『説文解字』の索引では、流石に4画でした。

文部省の一声で?    野次馬河童 - 2002/12/11 00:16
手持ちの辞書、廣漢和辞典(大修館書店)に画数の数え方、および起筆法による筆型のとり方は、「筆順指導の手びき」(昭和三十三年三月、文部省)を参考として次のように定めた。
(一部略)・・・之を従来の丿部3画・総4画からヽ部2画・総3画に改めたことにより、芝・乏・泛などの諸字に含まれる之の形も3画に数える。とあります。
これから想像すると日本の漢和辞典は昭和三十三年以降の漢和辞典はおおむね、之は総3画になってしまったのではないでしょうか?
私はそんな古い辞典は持っておりませんので、確かめようがありません。

そうなんだろうねえ    神麹斎 - 2002/12/11 08:43
そういうことなんでしょうね。子供にも楽にひけることを目指して、生半可に知っている人は四苦八苦する。結局、目指すところに無かったら、前後を捜してみる、というマヌケな指示が有効になってしまうんですねえ。
それにしても、ここにも「日本における漢字」というお題目が顔を出しているということでしょうかね。漢字はあくまで借り物で、日本人があれこれ規定できるものでは無いと思うんですが、当座の用のためにごちゃごちゃ言うのは仕方ないところが有るんだろうけど……。余計な親切のおかげで、先に進む際にはまた一苦労ですか。
正しい漢字というのは文部省が決めた字のことではなくて、「中国の伝統において」だと思うんだけど、具体的な話になるとまた紛糾しそうなんだよね……。『康熙字典』の嫌いな人って多いから、嫌いと言わないと古くさい権威主義者と罵倒しそうな人も多いから。

管理者 01/14 18:42

3:[ どれが古いとか新しいとか ]

どれが古いとか新しいとか、そう簡単には言えない、と一応ことわったつもりですが、若干、誤解されかねない言い回しだったかと反省して:
まず確実なのは、小針解のほうが、その解の対象となった九針十二原の部分よりは新しい。
そして、経脈篇は、『素問』『霊枢』における経脈学説の完成なんだから、他の経脈をあつかった篇よりも新しい。針灸医学におけるその重要性からみて、経脈学説の完成は、おそらくは『霊枢』編纂の動機のひとつであろう。したがって経脈篇が著された時期と『霊枢』編纂の時期は重なるだろう。
九針十二原の小針解で解説されている部分は、『霊枢』の著作趣旨の開陳のようなものであるから、これもおそらく『霊枢』編纂と重なるだろう。それはそう古いはずは無い。少なくとも、そこに述べられている手法を駆使できるような針が制作可能になってからである。
現行の『霊枢』の第一~九篇と、第十篇以降は出自が異なる可能性がある。巻頭に持ってきたのには何らかの理由が有るはずである。ただし、それが『霊枢』編纂の趣旨と一致しているかどうかは、ちょっとわからない。
つまり、あんまり大したことはわかってない。
それから、『霊枢』の中には、九針十二原に対する小針解というように経と注が混在しているけれど、九針十二原自体の中にも、注釈に当たる部分が有りそうである。つまり、古くから有った文章に手を加えて巻首に載せ、宣言としたという可能性は有る。
そういう話はまたおいおいと。

神麹斎 01/09 18:52

2:[ 通其經脉 調其血氣 營其逆順出入之會 ]

九針十二原の序段は、まあ挨拶みたいなものだから、本当は大したことは無いんだと思うけれど、表題の句は、微鍼を以てこういうことをしたいという表明だから、割合意味が有るのかなと。
結論的に言ってしまえば、同じことを3回繰り返して強調しているんだと思う。それぞれに拘るのは、本当は穿鑿の病だと……。(これは自戒)
つまり、経脈と血気と逆順出入するものは、結局は同じことでしょう。それを通じさせ、調え、営ずるようにすれば健康は回復する。「之会」というところは、あるいは経穴というように解するべきかもしれないけれど。
問題の一つは、経脈というものには、血気が存在して、それが逆順出入しているというのが、もともと常識だったのか、この序段を書いた人が、新たな強調する必要の有ることだったのか……。

神麹斎 01/09 18:51

1:[ 医古文研究会もとい同好会 ]

医古文を勉強したいという人のための研究会もとい同好会を始めました。

どのくらいのレベルの同好会か?ということですが、これはちょっと説明しにくい。
具体的には、最初の私の質問は、「漢和辞典は引けますか?」です。
バカにされたような気がするでしょうが、実のところそんなに簡単ではない。私自身、十度に一度くらいは素直に出てこなくて四苦八苦します。勿論、もっと大きな辞書を引く必要が有る、なんてのは別ですよ。
部首を間違える、画数を間違える、あるいは安直に音訓から引こうとして失敗する、というような場合のことです。
で、大抵の日本人は、大抵の古医籍を、高校生用くらいの漢和辞典を引けば、何とか読めます。それ以上は、慣れの問題だろうし、センスの問題だろうし、センスの強力な身方は臨床体験だったりする。
だから、あんまり古医籍だ医古文だと、怖がらない方がいい。
考えてみれば、「医古文」というのは変な学科ですよ。他の部門にも有るのかしら。例えば、古代中国の哲学を学ぶのに、「哲古文を学ぶ必要が有る」なんてことは聞いたことが無い。つまり、伝統医学については古を学ぶことがより必要であり、しかも、ここが肝腎なんですが、中国でも医学生の水準が地に堕ちていたということでしょう。

次回は 1月19日(日)午前11時ころから
『医古文の基礎』の附章「漢字」と『霊枢』九針十二原のつづきです。

場所は 岐阜市城東通3-34
問い合わせは sagaw-daikei@umin.ac.jp まで

神麹斎 01/09 18:49

管理者 神麹斎 :