『荘子・応帝王』に「南海の帝を儵と為し、北海の帝を忽と為し、中央の帝を渾沌と為す。儵と忽と時に相い与に渾沌の地に遇い、渾沌の之を持すること甚だ善し。儵と忽と渾沌の徳に報いることを謀りて曰く、人は皆七竅有り、以て視聴食息す、此れ独り有ること無し、と。嘗試みに之を鑿ち、一日に一竅を鑿ち、七日にして渾沌死す」とある。按ずるにこの説には必ず古神話の拠り所が有る。『左伝・文公十八年』に「帝鴻氏に不才子有り……天下の民之を渾敦と謂う」と言い、杜預は「帝鴻は、黄帝」と注する。而して天山の神帝江は、正しく「状は黄嚢の如く」、「渾敦として面目無し」であって、これが渾沌の神の本来の姿である。畢沅が「江は読みて鴻の如し」と言うのは、帝江は即ち帝鴻であり、恐らくは即ち黄帝だということである。而してまた帝鴻の子を渾沌と為すのは、乃ち歴史化の説である。『神異経・西荒経』に言う所の「長毛にして四足」、「犬の如し」、「腹有りて五臓無く」、「人に徳行有れば往きて之に抵触し、凶徳有れば往きて之に依凭する」怪獣渾沌に至っては、則ち古神話の帝江(帝鴻)と歴史化された「帝鴻氏の不才子」の説の相い合した変種である。(袁珂『中国神話伝説辞典』より)