「<鍼灸師の医学>を目指して」井上雅文
1992年日本経絡学会第20回学術大会
一. はじめに
経絡治療の成立とその背景には少なくとも三つの要素、或いは要因が影響を与えているように思われる。それぞれの要素はそれぞれの要因を持っている。
一つは経絡治療の持つ古典主義であり、それは柳谷素霊先生の啓蒙した「鍼灸術が単なる刺激療法ではなく中国の古典医学に根ざした独特の医学理論と臨床の歴史」を持つという主張が要因としてある。
二番目は診断としての「六部定位脉診」の採用である。その背景には当時の漢方界の腹診を基準とした「証」による処方(治療)が影響を与えた。六部定位脉診の診断が即治療に導く様な選経と選穴を内容とする鍼灸術の「証」をもたらした。
三番目は当時の臨床家が顕在的にも潜在的にも持っていた対症療法としての「標治法」の知識、刺鍼技術、と経験である。
それぞれの経絡治療の成立の要素(同時に要因)は当初から問題を孕んで出発したと言っても過言ではない。そのことが「見切り発車」の本質である。
しかし、これらの要因と要素の背景にあるものの中で決して見逃してはならないのは、経絡治療の先達が「鍼灸師の医学」を目指していた情熱である。昭和10年代の鍼灸師がどのような社会的な位置にあり、どのような評価の下に施術を行っていたか。今日の状況とはいささか様相を異にしていたと思われる。しかし、医療の一領域として、まがりなりにも認知されつつある状況があり、学問として西洋医科学研究のアプローチの対象に急速になりつつある現実があっても、臨床の現状にあっては戦前とさして好転したとは思えない。依然として鍼灸術による施術者としてのみ存在しているに過ぎない。この基本的な状況を打開するために様々な考え方があり、方法があると思われるが、鍼灸師の現在の立場から「鍼灸師のための医学」が提言されても良いだろうと実感しているのである。そのような視点から「経絡治療」を規定すれば、「経絡治療」こそ唯一の「鍼灸師の医学」である。
だが、そのことにこそ「経絡治療」の問題点があり、「証」をめぐる問題点がある。それらの問題点を検討し、検証することが「鍼灸師の医学」としての「経絡治療」の現状の問題点と将来への展望の布石があると考えられる。私にとって「証」の問題はその医学としての資質が問われていると思われたのである。したがって、「鍼灸師の医学」を目指して、「経絡治療」の資質を問いながら、又「経絡治療」の創設者たちが見切り発車をせざるを得なかった為に後世に託した問題を問いながら、以下論述してみたいと思う。
二.「経絡治療」(随証治療)の限界と問題点
1.古典主義に付随する問題点
⑴テキストの問題
最近、九州の島原鉄道で起こった列車同士の正面衝突の原因は信号未確認の「見切り発車」が原因であろうとみられている。
岡部・竹山・井上の諸氏に代表される「経絡治療」の先輩たちが、「経絡治療」を標榜して臨床実践のかたわら古典主義的鍼灸術の啓蒙活動を開始した時、第一の信号を無視して出発してしまった。その信号は彼らの師である柳谷素霊先生から出されていたのである。先生は「原典考証なしにやっていいのか」ということであった。かくして「見切り発車」は信号無視でなされた。しかし、「原典考証」などという調査・作業・研究は柳谷素霊先生にさえ歴史的にも能力的にも不可能であった。後世に託された課題のその一である。
「原典考証」の必要性の第一は医学と古典と呼ばれる医学書の最善のテキストを選ぶことである。古典に記述されている内容は最善のテキストを読解することによってのみ学問的意味を持つのではないだろうか。故に、経絡学会の学術大会20回記念出版の『素問』、『霊枢』のテキストはそのような意味を持っている。しかし、そのテキストは最善なのであって、絶対無二のテキストではない。「原典考証」の意義は歴史的制約の下にあるのである。今後も新資料の発見、出土文物等によってテキストの問題は流動的にならざるを得ない。
⑵医古文読解の問題点と古典の臨床応用
中国の古医学の文献は医古文と呼ばれるが、現代の中国文とは全く異なっている。中国の中医学院の学生も医古文を読むためには特別な講座で訓練されなければ基礎的な教養を身につけることはできない。しかし、これはあくまでも基礎的なガイダンスであって古典経文の解釈のためには、中国の言語学史・文字学・訓詁学・書誌学・語法学・目録学・索引作成のための作業常識、及び一般的な歴史、習俗、習慣の知識等が必要である。
かつて、経絡治療の先輩たちは臨床的に古典を解釈するという立場を強調したことがあった。だが、極めて限られた「経絡治療」の世界の窓からの古典の臨床的解釈は偏見にならざるを得ない。その最も顕著な傾向は脉診と病因論にみられる。したがって何らかの形で医古文読解のための恒久的な講座が必要である。それなしには、「経絡治療」の古典主義を守ることも、又継続的な古典と臨床の齟齬を解決できないであろう。
初期の「経絡治療」が古典主義を標榜し得たのは、当時古典主義を実践していたと思われた巷間の臨床家が存在したからである。実際、脉診による鍼灸の施術を目の前に体験した当時の臨床家は将来的な鍼灸術のあり方をそのことによって決定してしまったと言っても過言ではない。したがって、古典から臨床への、今思えばかなりの学問的な、そして又比較検討の対象になるべき道のりを、かなり短絡的に受け入れてしまったのも事実であろう。それはそれとしての歴史的、必然的な妥当性があったのである。
一方で、初期の経絡治療家たちがその医学理論的基礎を構築するのに学んだ主要文献はそれほど多くない。特に、古典主義の医学の理論的基礎は江戸時代に刊行された岡本一抱子の著作、「医家七部書」、「杉山三部書」、『鍼灸重宝記綱目』、『類経』、『東医宝鑑』、類経本『霊枢』、寛文本『素問』、『難経本義』、『鍼灸大成』等である。これらの著作内容の臨床的理解は当然中国明清医学の影響のあることを客観的に認識できるものではなかった。石田秀実氏の『中国医学思想史』のキイワードでいえば相補的、重層的に金元時代の医学をも断片的に受け入れたものであった。その成果が岡部素道先生編輯の『補寫論集』、そして本間祥白先生の『経絡治療講話』、『鍼灸病証学』、小野文恵先生の『鍼灸重宝記』解説等であった。つまり、経絡治療の医学理論には明清の医学の影響が骨組みとして色濃く残っているのである。
2.六部定位脉診の問題点
⑴六部定位脉診の文献上の基盤と診断上の意義
六部定位脉診法の全体が何らかの古医学の記述に依拠しているとは決していうことはできないし、又『難経』にその根拠を求めることも、昨年の岩井佑泉氏の発表よれば否定されていると言って良いであろう。六部定位脉診法が唯一古典的だと言えるのは、脉診部として寸関尺の部位を使っているというに過ぎない。脉診法として虚実という要素だけで比較する診方は、中国の脉診史上存在しないのである。六部定位脉診で診断される、肝虚、腎虚、肺虚等は虚損という病名の病態(病証)として文献の上に記述されているが、それらとは全く違う意味内容を持っているのである。
証といわれるものは臓腑名によって蔵府経絡を表し、虚実によって蔵府経絡(蔵府病も経脉の病を同時に含んで)の気(血)の過不及を示しているのであり、この脉診法によってあらゆる病を蔵府経絡の虚実として診断するのが診断上の意義なのである。
又、この脉診法が比較脉診と呼ばれるようになったのはいつなのかわからないが、昭和40年代以降のことではないかと思われる。しかし、脉の虚実を相対化して捉えるという意味であれば、少しおかしな点が生じてくる。寫法の対象である実証は相対的に実脉なのではないからである。実証と診断できるのは絶対の実脉を示すことでなければならないと考えている。虚は虚中の虚でも、実中の虚でもよいが、実は虚中の実をとるのではなく、実中の実ではないだろうか。
六部定位脉診法は蔵府経絡の病を虚または実として診断する方法であるから、その中に他の脉状を診断する方法としては相応しくない。もしも脉状診をするなら中国で長く歴史的に伝承されてきた寸関尺診を導入するのが良いと思う。但し、二十四脉状の一つ一つの規定をどの文献(テキスト)に置くのか、診断としてのマニュアルをどのようにするのかといったことを検討する必要がある。
一方、六部定位脉診は病因を診断できないので、その病因から派生する病態を把握できない。病因のみならず、病証を診断することもできないのである。病証の重要な側面に陰陽虚実がある。陰虚・陽虚・陰実・陽実であるが、六部定位脉診の六部が一種類の脉状(例えば浮脉のみとか、沈脉だけ)であるのは稀であって、数種類の脉状が六部に現れる方が通常なのだと思う。そのような六部の診断をどうするのかという診断基準が明確になっていなければならない。伝統的な寸関尺診は少なくとも私の理解では、病症状の診断に使われてきたものと思われる。したがって、その診断から蔵府経絡の虚実は期待できないし、ましてや病因・病証を明らかに診断することなどできないのである。そのことを熟知する必要があるのである。
3.対症療法の価値
証が単に蔵府経絡の虚実を内容とするだけでなく、病因・病証を含むものになれば、一つの病気の病態象がその原因を基礎として対症療法の優劣が判明するであろう。そうなればある病態象には限られた療法が優先することになり、ひいては対症療法の応用範囲が広がることになる。そのためには病症学の研究が必要である。
4.結語-「鍼灸師の医学」を目指して
⑴鍼灸師の医学としての「経絡治療」の特徴と展開
経絡治療はシステムの医学だといわれている。それは診断から治療までの経過が確固として存在し、しかも鍼灸という施術手段により医学としての理論的思想的背景が明確であるからだと理解している。この医学の創立期から現在までの特徴をいえば、「脉」によって蔵府経絡の虚実を診断し、蔵府経絡の名を付けた「証」を立て、五行の母子関係の経穴を選び補寫することである。つまり、「脉」・「証」・「治」ということである。私はここに祖脉による「人迎気口診」を応用することによって、「脉」・「因」・「証」・「治」という新たなシステムを個人的に臨床応用している。その特質は病の病態的把握と兪募穴を含む要穴全部の臨床応用である。それによって病因と予後の診断が可能になったのである。
⑵鍼灸病証学の意義と必要性
経絡治療のシステムが鍼灸術の臨床の実施に際して優れた側面を持っているのは、まがりなりにも「証」によって陰陽虚実を指示しているからである。鍼の施術においてどの経にどのような鍼をどのように施術するのかということが明確であるならば、臨床は立派に成立するのである。「証」が示す、例えば「肝虚」は肝-陰蔵(肝蔵)、肝-肝経(陰経)、肝-五行中の木。虚は-不足、欠乏、停滞等を示している。肝経に補法の施術を行うことが指示されている。「肝虚」は同時にその病気の状態を陰陽(蔵府)、虚実という言葉で表している病証でもある。病態を表す言葉は陰陽虚実だけではなく、気血、三焦、寒熱、蔵府、経絡、五行等によっても表現されるべきである。病気は蔵府と経絡の虚実だけではないからである。病証は陰陽虚実(病証の内容を総括して呼ぶ)だけでもない。つまり病気の原因とそれが体に与える状態も病証と言えるのである。例えば「風証」、「虚損」(本来は腎の陰虚を指す)等である。証が蔵府の虚実だけでなく、他の病証の言葉で表現できるならば、証の内容と範囲を拡大してより多くの病態に対応できる治法を示すことにあるであろう。これが病証学の意義であり、必要性のある所以である。
古典医学の診断としての望・聞・問・切の全ての診断内容として陰陽虚実という病証を表現できなければ鍼灸術の診断として使うことはできない。今のところ、脉診以外では舌診がある程度使えるかもしれない。
⑶鍼灸師の医学であることの重要性
日本の鍼灸師は世界で唯一の特殊な立場を有している。今のところ、診断としては脉診のみにより、治療手段としては鍼と灸だけである。そのような状況下では経絡治療だけが唯一の診断から治療へのシステムを持っている。経絡治療はその創立から鍼灸師の医学だったのである。ただ、かの先輩たちに敬意をはらうことは勿論であるが、不幸なことに経絡治療のシステムを構築する際に、岡本一抱子と『類経』の張介賓という復古尊経学者にその理論的基礎を負ってしまったのである。『素問』、『霊枢』、『難経』、『傷寒論』等の古経の注解に明清の医学の影響をこの二人は大いに受けているので、経絡治療の先達の矛盾はこの二人の矛盾でもあるのだと思うのである。
しかし、やはり経絡治療が診断として持った六部定位脉診法は鍼灸術を治療の場として経絡・経穴にのみ限定する医学を実現させたのである。我々には一般的にいって湯液を含めた薬というものを使うことはできない立場にある。西洋医のように近代的な診断検査機器装置を使うこともできない立場にある。それ故、今我々は人間にとっては極めて自然で極めて害の少ない医学の創造に参加しているのではないだろうか。
もしかすると石田秀実氏が、その著書『中国医学思想史』で述べているように、「中国伝統医学のこうした性格(部分ではなく全体を連続的に捉えるアプローチ、病気と健康、そして正常と異常、ことさら裂け目をつくらない思想、老・病・死を当たり前のこととして受け入れながら、システムのなかの一位相として自己の心身、社会、自然を了解してゆくという性格)は、近代西欧医学を補うのみにとどまらず、そのまなざしにずれを持ち込みうるような何かを内に秘めている。多分それは、専門家の治療と、その指示命令による他律的セルフケアの医療に亀裂を入れることができるだろうが、それを超えて近代的な「私」や共同体の問い直しにも有効なモデルを提示しうるかもしれないのだ。」
そうだとすれば、我々鍼灸師も医療とそれに関わる人間のあるべき姿と現在的な地球規模の問題を解決する新しい思想と行動に参画しているのかもしれないのである。