現代日中伝統医学の差異はどのようにして生じたのか
古典鍼灸研究会(付脉学会)55周年記念講演1995年11月23日 於ホテルオークラ
[1]中国伝統医学と日本伝統医学の差異
1. 日本
— 例外は多いものの、大勢としてはほぼ次のようにいえる
(1)脈診に懐疑的
(2)経脈系よりもツボ中心の治療
(3)経方主体の弁証過程を省略した方剤選択
(4)以上の原点にある蔵府経絡システムへの懐疑
(5)医学理論を、一つの理想的モデルとしてではなく、個々人の身体の現実に直接結びつけて考える傾向(上述の懐疑的傾向の原動力。図式・理論よりも個々の身体の現実中心に考えるプラグマティックな親試実験主義はいわゆる古方派が創始したものではなく、『医心方』などからずっと見いだせる日本医学の主調音である)
→ 経脈図や蔵府、脈動などについて、理論通りの現象が、個々人の身体の上に見いだせるはずだと、考えてしまう傾向に向かう。
(6)以上の帰結として、蔵府経絡システムや弁証を言葉の飾りとしてのみ用いるか、もしくは否定し、現実にはそれらにあまり依拠せず、「口訣—先人から受け継がれた流派毎の個別経験の束」を主体とする医療をおこなう。
2. 中国
— これも例外が多いが、ほぼ次のようにまとめられる
(1)脈診を使わない
(2)経脈から考える思考
(3)蔵府経絡システムに基づく弁証から導き出される方剤
(4)蔵府経絡システムへの信頼
(5)医学理論は、長年に渉る参与観察的手法によってシミュレートされた、「限りなく身体の現実に近づきつつある」モデルとされる
→従って、医学理論の公式は、個々人の身体の現実そのものの上では、様々に変容した形で表れることが当然の前提となる。
(6)以上の帰結として、いつも医学理論がモデルとして診療の前提にあるような医療が行われる。だが、その医学理論はしばしばマニュアル化されて固定化し、モデルとしての応用性を奪われるような事態に至る。
現代中国における伝統医学では、後述する元明清医学の展開から、こうしたマニュアル化傾向が極点に達している。その結果、マニュアル化した理論をそのまま個々人の身体の現実に当てはめてしまうような医療が、(特に経験の少ない医療従事者を中心に)まま見受けられるようになっている。
これは、日本伝統医学において「理論と身体現実とを結びつけてしまう傾向」があるのと、結果的にはほぼ同様のように見える。
けれども、事態はまったく異なるものである。
・日本伝統医学は「理論と個々人の身体現実とを結びつけて考え」た結果、個々人の身体現実そのものとは一致しないことを理由に、理論への懐疑・否定に向かった。
・一方、マニュアル化しきった理論を、個々人の身体の現実にあてはめ、しかも、「その理論を疑わない」のであれば、それはドグマと化した理論への盲信にすぎなくなる。
余りにも理路整然とし現代中国伝統医学理論のマニュアル的体系化に対して、個々人の身体現実に基づく口訣を積み上げてきた現代日本伝統医学の側が、疑いの眼で眺めがちなのは、こうした傾向がある限りしかたの無いことである。
[2]差異の形成過程
1. 日本において、中国伝統医学理論への懐疑的傾向は、どの様に生じたのか
(1)脈診に対する懐疑
・『医心方』ー『諸病源候論』などを引用する過程で、脈診に関する記述を省略してしまう。
・『万安方』などに至っても、脈診の記述は至って少ない。
・江戸初期の曲直瀬後学になると、脈診自体を否定してしまう。
(2)経穴主体の鍼灸学
・『医心方』ー『甲乙経』が体幹部経穴記述に採用した「部位毎の経穴」記述(その伝統は『素問』に遡る。ただし、『素問』では経脈に沿う記述を併用)を全面的に採用。経脈とは一切関係なく、頭 、面 、 頭下、頭左右、肩、手、背、胸、腹、側脇、足と下って記述される(『千金方』巻30の発展形)上→下、内→外という枠組みは巻4以降の疾病記述の枠組みとしても用いられる。
・鎌倉室町期以降の医書も、かなりのものが「部位毎の記述」を採用し、経脈については、経穴と別に記したり、甚だしい場合には記さずツボ中心、といった態度を取る。(『十四経発揮』などが、経脈ルートに沿って記述する『明堂経』方式の記述を採っているにもかかわらず)
(3)蔵府経絡システムに対する懐疑もしくは簡易主義
・本草の記述に、蔵府経絡システムが深く係わるようになった唐宋金医学以降の成果を(とりわけ蔵府配当・升降浮沈など)殆ど無視する(唯一の例外は長沢道寿)。
→日中の実用本草書の差異
・平安〜鎌倉・室町と続く経方主体の方剤選択ー曲直瀬学派の弁証はむしろ例外的。
(4)その総決算としての江戸初期曲直瀬学派(後にいわゆる後世派の名で呼ばれる人々だが、その実態は親試実験主義と博物学である)
曲直瀬玄朔(1549-1631)
岡本玄治(1580-1645)
饗庭東庵(1615-1673)→味岡三伯→浅井周伯(1643-1705)、井原道閲(1664-1705)、小川朔庵、堀元厚(1686-1754)、岡本一抱(1686-1754)
?…饗庭道庵→津田玄僊
味岡三伯、岡本一抱や浅井周伯の著作を考えればすぐわかるように、江戸末期の考証派を除けば、彼らは日本の医家の中で、最も深く中国伝統医学を理解し、その理論を紹介・講義した人々である。『素問』『霊枢』も、『運気論』も、全て彼らによって本格的な講義と紹介がなされ始めたといってよい。
だが、そうした彼らの内部では,中国伝統医学はどの様に評価されていたのだろうか。諸種の『切紙』類から探っていくと、彼らが中国伝統医学、とりわけ蔵府経絡理論に対して、すっかり否定的であったことがわかる。
ただし、それはいわゆる東洞一派のような景気のいい(或いは上滑りの)全否定ではない。
・経験的現実からすれば、十二経脈はひと続きのもの、肺経・心経などというのも地名のようなものに過ぎず、実は区別がない。
・蔵府の配当理論は、経験的事実と関わりなく、論理やカテゴリーの上から立てたもの。
・五志なども道理によって蔵府に配当してあるに過ぎず、経験的実体としては、1つの神気があるだけ。
・脈診における蔵府配当についてもそれまでの諸説を詳しく考究したのち、それら全てを否定してしまう。—経験上、心脈・肺脈などといった区別は出来ないと断定。
・脈の実体は、「川の流れのように、ただ一筋のもの。岩石の所に行き当たれば川流が動揺するように、脈も関節の部分で動揺する。」
・ただ、道理の上からすれば、『難経』説が良いか、それも経験的に正しいというのではなく、理論上そうしているだけなのだ、と強調する。
・脈診の実体はー三指を三部に当てて
①胃の気を見る
②全体の虚実を見る
③浮沈・遅数から外傷・内傷・寒熱を定め、その中の虚実もみる(これを併せて六脈という)
④それが会得出来たら、各病の主病を基に、寸・関・尺の配当を考える。(道理上)
⑤更に、六脈以外の細かな脈象を考える(六脈上の種類の模様として)
医学理論と身体の経験的現実との深い乖離を認識したこの一派の後に、考証学や博物学、さらにはいわゆる古方などが出たとしても、それらは、彼ら江戸初期曲直瀬学派が切り開いた同じ流れの中に咲いた、多様な花の一群に過ぎない。
2. 中国伝統医学のマニュアル化はどのように生じたか
(1)中唐〜宋金医学と元明清医学との相違
中唐〜宋金医学の特徴
①宇宙構造論の変化を背景とする運気論(気象医学)の導入
②印刷技術と仏・道教の応報救済思想に基づく医学書の出版事業
③局方の頒布・病院設置などの国家的救急事業
④医経(『傷寒論』『内経』など)の運気論的解釈に基づく道教的色彩の強い新医学: 寇宋 ・陳言・成無己・劉完素・張従政など
→具体的には
〔a〕病因論・臓腑経絡理論・薬学理論などを中心とする分析体系の精密化
〔b〕医経は、新理論を証明する手段として断章取義的に利用される。医経注解作業の方はまだ散発的
(2)元明清医学の特徴
①折衷・統合の時代ー中唐〜宋金に勃興した新医学を折衷し整理→マニュアル化
羅知悌・朱震亨・王好古・葛応雷・呂復など
外邪:張仲景・劉完素・張従政
内傷:張元素・李杲……それぞれの善を採る
その端的な表現としての「四子」(四大家)論
〔a〕宣洩:劉完素・張従政 — 補益:張元素・李杲……葛応雷・呂復などの説
〔b〕外邪:張仲景、内傷:李杲、熱病:劉完素、雑病:朱震亨……李中梓・張介賓・王綸など名古屋玄医・曲直瀬玄朔もこの説
〔c〕外邪:張従性、内傷:李杲、熱病:劉完素、雑病:朱震亨……張〔王・路〕などの説
(*清以降、このあまり出来の良くない〔c〕説が一人歩きしていわゆる「金元四大家」なる実体のない概念や、金元医学というおかしな時代区分が登場する。)
②復古考証的精神による医経注解と百科全書編纂ー折衷統合時代のもう一つの側面
〔a〕断章取義ではなく、医経全体を要約もしくは注解する。
元の滑寿『難経本義』・『読素問抄』などから。『内経』・『傷寒論』を中心に、多くの注解・校定書が著される。
〔b〕救急医方書ではなく、規制の諸書・諸理論を整理考証し、普遍的な病因・病理論と治療原則にまとめあげた「医学百科全書」の登場。
『医学綱目』・『医学折衷』・『玉機微義』・『医学正伝』・『万病回春』・『赤水玄珠』・『医学六要』・『本草綱目』・『証治準縄』・『古今医統』・『医宗金鑑』
いわゆる「弁証論治」原則の確立とマニュアル化へ
→個々人の経験から出発した参与観察的理論が、一般化され、経験的事実と切り離されて、一人歩きをはじめてしまう。
③学統意識の開花ー折衷統合を束ねる軸の多様性から
〔a〕元気と温補論争 易水学派と河間学派ーCf.上記3.
〔b〕温病と傷寒 温病派と傷寒派、経方派と時方派
〔c〕『傷寒論』の考証 さまざまな六経説の争い→学派ごとのマニュアル作成、他派との差異強調
[3]従来の日本医学史の枠組みとその誤りー省略
[4]差異についてどう考えるのか
結局、日本と中国の伝統医学は、次のような両極に向かって歩んでしまったことになる。
1.現代日本伝統医学
理論の殆どを実質的には捨て、個々人の、その時その時の身体の現実に忠実に寄り添う。
→個々人の身体の現実を、その都度その都度細かく記述する形式で、身体の現実に触れる。
システム的ではないが、生きた身体の現実を有機的にとらえている。ただし、普遍化することは困難に(口訣の宿命)
2.現代中国伝統医学
理論を固定的なマニュアルとしてとらえる。
→個々人の身体の微妙な差異にかまうことなく、マニュアル化し公式化した理論を現実の身体にそのまま当てはめがちに(全ての医家がそうなのではないが)
・生きていつも変化し続ける有機体を、それなりにシミュレートするシステムであったはずの理論が、単なる固定的な公式や指標に変質してしまう。
・一件精緻なように見える理論も、こうした用い方をされる限り、ただ煩瑣なだけで、身体の現実をフォローできるようなシステムとしての自在さを喪失してしまう。
[5] まとめ
① 生きて変化し続ける有機的身体をみつめる、いわばホーリズムといってもよい視点は良心的な医者であれば、誰でも(近現代西欧医学家でさえ)、経験的・直観的なかたちではあるが、持ち合わせている。
② 現代日本伝統医学の達した境地は、こうした経験的・直観的なホーリズムと基本的には同じものである、と原理的にはいうことができる。
③ 但し、その経験と直感の積み重ねは、長く深いし、ホリスティックもしくは有機体論的な身体への眼差しが、医家の眼差しの中心になっている点で、近現代西欧医学科とは、決定的な違いがある(裏返せば、近現代医学家が、現代日本伝統医学家と同じ程に、有機体論を中心とする眼差しを持つようになれば、両者の間の距離は極めて近くなる。—実際ホリスティック医学を標榜する現代日本の西欧医学家は、伝統医学家と殆ど似たスタンスをとっている。)
④ 中国伝統医学が、ホリスティックで体液病理学を用いる点では同様な他の諸文化に於ける伝統医学と、決定的に異なっているのは、それが生きて変化し続ける有機体としての私たちの身体の現実を、経験的・直観的にではなく、システマティックに記述出来る理論を持っているという一点においてである。
⑤ であれば、そうした理論が個々人のその場その場における身体の現実と、常にはぴったり一致しない(シミュレーション・モデルの宿命)ことを理由に、理論自体を投げ出してしまう(日本伝統医学が辿ったように)のは、余りに惜しい。伝統諸医学の一般レベルにまで日中伝統医学を引き戻してしまう行為だからである。
⑥ ただし、その理論は、あくまで生きた個々人の有機的身体そのものではなく、シミュレートされ続けているモデルであることが、自覚されていなければならない。
・シミュレートされ続けるとは、個々人のその場その場における身体の現実によって、常に検証され、書き改められるということである。
・シミュレーション・モデルとしての理論は、身体の現実を検証する座標だが、それは固定的なものではなく、いつも身体の現実の側からも相互的にシステムとしての妥当性を検証され、変化していく「流動的システム」、「生きて変化し続ける身体の現実」を、「システムの側も変化しながらフォローし続ける」ようなシステムである。
⑦ したがって、現代伝統中国医学におけるマニュアル化し、公式に点火してしまった理論は、もとのダイナミックで流動し続けるシステムに返らなければならない。
⑧ こうして私たちがたどり着くべき地点は、
・マニュアル化・公式化しない形で流動を続ける中国伝統医学理論の在り方と
・そのためにも是非とも必要な、生きて変化しつづける個々人の身体の現実へのこだわり。その一例としては、日本伝統医学の「細やかなホーリズム」がある。
この両者の結合地点にたどり着くことによって、
・シミュレーション・モデルとしての理論が固定化される事態を避けつつ、
・経験・直観のみにたよる主義に特有の不安定さ、特殊性への埋没を避けうる。
こうして、実体化・固定化しないようにいつも現実の身体によって検証され続けるような形で、ホリスティックな眼差しがシステム化されることが、東アジアの伝統医学を未来に繋げる基礎である。
近現代医学は、機械論的な眼差しと技術をシステマティックに展開してきたが、身体と心を扱う以上欠かすことの出来ないホリスティックの眼差しとそれを支える技術については、必要性を認めながらも経験と直観に任せてきた。その経験は浅く、多くは様々な伝統医学の影響を受けた急場しのぎの借り物である。
機械論的な眼差しと技術は、伝統医学にとっても必須のものであり、どんな伝統医学も、何らかの形でこれを持っている。と同時にホリスティックな眼差しと技術を経験的・直観的に深く展開してきたのが、伝統医学の特徴である。
中国伝統医学は、さらにこのホリスティックな眼差しと技術を、「変化し流動しつづける」、その意味では「自己組織化的」ともいいうるようなシステムに練り上げている。
このシステムの流動性を止めてしまわないためには、日本伝統医学が蓄積してきたような経験的・直観的ホーリズムの細やかさによる検証が欠かせない。
そうした検証を不断に受けつづけるシステムとして、中国伝統医学のシステマティックな理論が再生するならば、それは伝統医学のみならず、未来の医学全体を導く方法論として、何者にも代えがたい価値を有するものになっていくだろう。