これから一ヶ月の間にフランス語をなんとかものにすることに決定。 しばらく「フランス語奮闘記」を記すことにする。 アドバイス大歓迎。
とりあえず、テキストは、以前古本屋で買った 『朝倉初級フランス語』(朝倉季雄著、白水社、1965年) を使うことにする。 この本は第100節まであるのだが、 本をぱらぱらとめくると、 ちょうど3回生の今ごろ(1995年の2月上旬〜中旬)に、 第31節まで読み進めて力尽きた形跡がある。いやはや。 しかし今回は必ずマスターするぞっ。
さて、フランス語は読みが難しいのが第一関門だと思うが、 どうも主に問題になるのは、以下の点らしい。
他にもいろいろ規則があるみたいだが、あとは気合いだっ。 (発音もうまくなりたいが、これはいつか別に練習しよう。 とりあえず哲学書を読めるようになることが主要な目的)
慣れるまでは大変そうだ。
ふう。第100節まであるから、一日5節ずつ進めば20日で終わるな:-)
ふい〜。いやはや、大変。くじけそう。
男性名詞と女性名詞を一つの人称代名詞で受けるときは、 通常男性形の代名詞を複数にしたもの(ilsなど)で受ける、 とこのテキストには書いてあるが、 きっとフランスにもポリティカル・コレクトネスにうるさい人がいるはずだから、 そういう場合は女性形の代名詞を複数にしたもの(ellesなど) で受けるべきだなどという意見もある気がするが、 どうなんだろうか。 (しかし、フランスは言語に関して保守的だそうだから、 そんなことはしないのかもしれない)
ご存知の方は御一報を。
あっ。な、なるほどっ。 ノートルダム(Notre Dame)っていうのは、 Our Ladyでマリア様のことなのかっ。 やっぱりダムの名前じゃなかったんだ:-) いやはや。いやはや。初めて知った。 ちょっと感動。
あれ、途中から「です・ます」調になってるな。まあいいや。
わあ。ますます大変になってきた。
あ。 否定文はne..pasという組合せの他にもたくさんあるという情報、感謝。 おかげさまで今日はne...plusとne...ni...niを覚えました。
そういえばこのテキスト、よく考えると練習問題が一つもない。 これはちょっとまずかろう。 もう一冊テキストを買ってサブテキストにするか。
「降参する」という意味で「シャッポを脱ぐ」という表現があるが、 「シャッポ」とはchapeauで帽子のこと。 古くから「兜を脱ぐ」という表現があったらしいが、 これを「シャッポを脱ぐ」と最初に言い換えた人はだれなんだろう。 なかなか洒落た方である。
ええと。じぇ。てぃや。いら。ぬざぼ。う゛ざう゛ぇ。 いるぞ。いたぞ。いないぞ。いたぞ。そんなはずはないぞ。さがせさがせ。…。
あれ? 何の話だっけ。 あ。avoirの活用の練習をしてんだった。 じぇ。てぃや。いら。ぬざぼ。う゛ざう゛ぇ。いるぞ。いるぞ。 ここにもいるぞ。 うぃ。うぃ。 うぃ。うぃ。 あう゛ぇう゛? あう゛ぇし! あたたたたっ!
あれ? 何の勉強してたんだっけ。
わ。今日はずいぶん適当だな。 ま、動詞や形容詞の不規則な変化をいっぺんに覚えるのは大変だから、 おいおい一つずつ覚えていこう。
今日(正確には昨日)気づいたが、 madameとかmademoiselleっていうのは、 ma-dame「わたしのご婦人」、ma-demoiselle「わたしのお嬢さん」 っていう意味なんだな。なるほど。うぃうぃ。
また、monsieurもmon-sieur (英語なら`my sir'か)で、 「わたしのご主人」てな意味なわけだ。 ううむ。そうだったのか。ちょっと感動。
どうもフランスでは、 `une petite bouche'「小さなお口」というのは女性に対する誉め言葉らしい。 これが誉め言葉になるということは、 きっとフランスにはブリジット・バルドーみたいな口が大きい女性が多いのであろう。
今年の夏ごろに英国に行ってきたいのだが、 今こうしてフランス語を学んでおけば、 ついでにパリにも行くことができるかもしれない。 そうするとやはり発音の練習もすべきだな。 (あるいは鉛筆と紙だけで用を足すか)
`monde'という語は、「世界」を表わすと同時に「人々、世間」をも表わすそうだ。 この語はラテン語のmundis(世界)から来ており、英語だとmundane(現世の、世俗の) なんかが同語源の語である。いや、知識をひけらかしたいんじゃなくて、 人と世界を同じ語で表わすっていうのがおもしろいなあ、と。 まあ、もちろん、英語でもworldは「世間」を指すこともあるわけだけどさ。
ふい〜っ。やっと第40節まで進んだ。もうちょいで半分終わる。
昨日、先日買ったフランス語テキスト付属のCDをMDにダビングして、 さっそく自転車に乗りながら聞いてみた。 アルファベの`o'は何度聞いても「ウッ」と言ってるようにしか聞こえないが、 文章の方は何度か聞けばわかる。 もっとも、 文章と言っても、 「この男優はだれですか? --アラン・ドロンです」とか、 「たばこはどこですか?」とかだけど。
数字は難しいなあ。
ところで、昨日買った大正時代のフランス語のテキスト、 読んでみるとなかなかおもしろい。 特に例文がイカす。
「下女ガ魚ト茶ヲ買ヒマシタ」
「太閣秀吉ハ豪イ人デシタ」
「武田信玄ハ勇敢ナ人デシタ」
う〜む。「うっ」と言えばフランス語では8月になるのか。 「おっ」と言えば水。「じぇ」って言えば 「わたしは〜を持っている」。いやはや。簡潔すぎる。
ええと、「今日は天気です」は。Il fait beau aujourd'hui. ええと、「昨日は雨でした」は。あ。まだ過去形を習ってなかった。
「わたしは彼に論理的であれと言っているのです」
「では、言いますが、彼は論理的ですよ。彼は論理そのものです」
「そうあってほしいですね」
↑フランス人はほんとにこんな会話をするのだろうか。
直接目的と間接目的の人称代名詞の語順はまことに摩訶不思議。 おそらく理解可能な法則があるのだろうが、 この点に関しては英語の方がたぶん単純なんじゃなかろうか。
次はついに過去形の話。 ついにフランス語で過去が語れるときが来た。
先日、 直接目的語も間接目的語も人称代名詞になる場合の語順についてメイルをいただく。 感謝感謝。
それによると、要するに、 「一人称にそれ(ら)を」「二人称にそれ(ら)を」「それ(ら)を三人称に」 という語順は許されるんだそうだ。 ただし、ここに書いた「それ(ら)」は直接目的の三人称代名詞であるので、 当然「彼(ら)を」や「彼女(ら)を」となる場合もある。 そして、上記以外の場合は間接目的の方をa`+強勢形にするわけだ。
surは「〜の上に」という意味の前置詞。 「シュールレアリスム」というのでおなじみ。 同様に、apre`sというのは「〜の後」という意味の前置詞で、 これも「アプレゲール(apre`s-guerre)」(戦後派)というのでおなじみ。 ちなみに、「戦前派」はアバンゲール(avant-guerre)。 avantは「〜の先に、前に」という意味の前置詞で、 「アバンギャルド」という語でもおなじみ。 戦後しばらくはフランス語が多く日本語に流入していたのだろうか。
なるほど、「デジャヴュ」(既視感)というのは、 「すでに(de'ja`)会った(vu < voir)」ということか。 ♪Do you know what's going on down under you? (CSN&Y) (「すでに見た」の方が適切か。3月7日追記)
あ。「エクセラ」っていうのは`excellent'から来てるのか。 たしかにそうだ。
次はいよいよ関係詞。
う〜む。あとは主だった文法事項はきっと条件法と接続法ぐらいっす。 (半過去とかもあるらしいっすが)
前未来形とか、半過去形とかって、 名前だけ聞くと全然内容がわかんないっすね。
ふ〜ん。すると、`Il y a...'(〜がある)という文は、 直訳すると、「それはそこに〜を持っている」という意味なのか。
忙しいのでペースが遅くなってるっす。
あ。そうか。なるほど。 `qui est-ce qui...'とか`qu'est-ce qui'っていうのは、 `who is it that...'とか`what is it that...'という構造だったのか。 ようやく知りにけり。
あと3回っす。
いやはや、とても覚えきれん。
死ぬ。たいへん。動詞の語形変化が多すぎる。 英語は時代を下るにつれてどんどん簡単になったようだけど、 フランス語やドイツ語はギリシア語やラテン語ほどではないにせよ、 まだまだ複雑。もっと簡素化してくれんものか。
ま、とにかくあともう一回。
一応終わり。万歳。
このテキストはなかなか良かったが、 練習問題がないのが難点だ。 他のテキストを使って復習しなければなるまいて。 特に、動詞の変化や人称代名詞など、 適当にしか見てこなかったので、 しっかり暗記することにしよう。 あと、発音も。 せっかくCD付きのテキストを買ったんだし。
全然関係ないが、米ソ冷戦のときに使われた「デタント」というのは、 フランス語の`(la) de'tant'で、「ゆるみ、緊張の緩和」という意味のようだ。 ちなみに、よく似た語に「デカンショ」というのがあるが、 これはもともとは盆踊りの唄の一部で、「どっこいしょ」が訛ったものらしい。 学部一回生のときに某塾の先輩に教えてもらったが、 これが大学では(いや、おそらく「旧制高校では」か)、 「デカルト、カント、ショーペンハウエル(を読むべし)」という意味になるらしい。 もちろん、「デタント」とは何の関係もないことは言うまでもない:-)
Antoine Arnauld & Pierre Nicole,
La Logique ou L'art de Penser,
Aux Presses Universitaires de France, 1965.
(2月17日に文閲から借り出してきた)
なになに、`Il n'y a rien de plus estimable que le bon sens & et la
justesse de l'esprit dans le discernement du vrai & du faux.'
(La Logique ou L'art de Penser, p. 15)
う〜む。わからん。なぜ否定文なのに`ne ... pas'の形になってないんだ? (→rienがpasの代わりに使われてるらしい) bon sens (良識)とかesprit (精神)とかは知ってるが。くそくそ。 まだまだ修行が足りんのか。(→あたりまえだって)
上の文を辞書を引き引き読んでみると、 「真偽を見分けるに当たって、良識と、精神の正確さよりも立派なものはない」 ぐらいの意味のようだ。たぶん。なぜ`& et'となっているのか不明だが。
昨日の続き。
`Toutes les autres qualite's d'esprit ont des usages borne's;
mais l'exactitude de la raison est generalement utile dans toutes les
parties & dans tous les emplois de la vie.'
(La Logique ou L'art de Penser, p. 15)
わ。やっぱりまだ全然歯が立たん。辞書辞書。 え〜と、「精神の他のすべての性質は、その用途が限られている(?); ところが、理性の正確さは、すべての分野と人生のすべての使用において、 一般的に役立つ」か?
わああ。こんなことしてる間に一日が終わってしまった。
さらに続き。
`Ce n'est pas seulement dans les sciences qu'il est difficile de distinguer
la verite' de l'erreur, mais aussi dans la plu^part des sujets dont les
hommes parlent, & des affaires qu'ils traitent.'
(La Logique ou L'art de Penser, p. 15)
わ。相変わらずぜんぜんわからん。 最初の部分は強調構文か? うぃうぃ。そうに違いない。
「真理と虚偽を区別するのが難しいのは何も学問においてのみではなく、 人々が話す話題の多くにおいて、また人々が扱う事柄の多くにおいてもそうである」 ってな感じか。
どうやら`que'は関係代名詞にもなるみたいだ。 さしずめ英語ならば、 `qu'il est difficile de distinguer'は `which it is difficult to distinguish'になり、 また`des affaires qu'ils traitent'は `(many) of affairs which they treat'となるのだろう。
あ。文学部提供のオンラインの辞書だと、 仏語や独語の単語の発音が聞けることを発見。うぃうぃ。 ちょっと遅いのがあれだけど。
また続き。`Il y a presque par-tout des routes differentes,
les unes vraies, les autres fausses; & c'est a` la raison
d'en faire le choix.'
(La Logique ou L'art de Penser, p. 15)
う〜む。だんだん文法的なことは理解できるようになってきたが、 単語がわからん。
「ほとんどいたるところに分かれ道があり、一方は真理に、 他方は虚偽へと通じている; そしてその選択をするのは理性の仕事である」 という感じか。
さらに続き。`Ceux qui choisissent bien, sont ceux qui ont l'esprit juste;
ceux qui prennent le mauvais parti, sont ceux qui ont l'esprit faux,
& c'est la premiere & la plus importante difference qu'on peut mettre
entre les qualite's de l'esprit des hommes.'
(La Logique ou L'art de Penser, p. 15)
うわ。長くてわからん。しかしこれでようやく一段落が終わる。 辞書辞書。
う〜。わからんわからん。 (しばらく辞書を調べる) うっ。これはthose who構文なのか。なるほど。
「[真理と虚偽へ通じる分れ道において]よく選ぶ者は、 正しい精神を持つ者である; 悪い選択をなす者は、狂った精神を持つ者である、 そしてこれこそが、 人間の精神の特質の中に数え入れることができる最高の、 また一番重要な相違点なのである。」ってな感じか? いやはや、難しい。
Claude Lancelot and Antoine Arnauld,
Grammaire Generale et Raisonnee,
The Scolar Press Limited (England), 1967.
(2月17日に文閲から借り出してきた)
ちょっと『普遍文法』(Grammaire Generale et Raisonnee) の最初のとこ(p. 5)を見てみよう。 どのくらい読めるようになっただろうか。
`La Grammaire est l'Art de parler.'
「文法は話しをするための技術っす」
(l'art de+不定詞で「〜する術」という意味らしいっす)
`Parler, est expliquer ses pense'es par des signes,
que les hommes ont inuentez a` ce dessein.'
「話すことは、記号によって自分の思考を説明することっす。
人間はそのために記号を作ったっす」
(inuentezというが見つからなくて困ったっす。
結局OED(!)の全文検索で、
これがinventerの古い形らしいことに気付き、
上のように訳したっす。
しかしっす、
複合過去形のように見えるのになぜ過去分詞形がinvente'ではないのだろうっすか)
『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 5) を読み解いてみようと思ったら、 単語が一つわからないので行きづまってしまった。 どうも古いつづりかなんからしい。 だれか教えて下さいっす。
`On a trouue' que les plus commodes de ces signes, estoient les sons & les voix.'
↑この文中の`estoient'という語。
謎はすべて解けたっ。 って、親切な方に教えてもらったんすけど。
estoientのsは、古いフランス語においては、 eがe^になる、ということを示しているそうで、 だから、現代風につづると、e^toientになるらしい。 それで、これはe^treの半過去形の三人称単数の古いつづり字の一つなんだそうだっ。 (現在ではe'taient)
だから、`On a trouue' que les plus commodes de ces signes, estoient les sons & les voix.'は、 「ある人が、 こうした記号のうちでより便利なものは音や声であるということに気づいた」 とかいう風に訳せるようだ。一件落着っ。情報感謝っ。
こりずに『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 5)。
Mais parce que ces sons passent, on a inuente' d'autres signes pour les caracteres de l'e'criture, que les Grecs appellent grammata, d'ou` est venu le mot de Grammaire.
`Mais'は文頭に来ると「さて、ところで」。 `parce que'は「〜なので」。 ギリシア語のgrammataは、gramma(文字)の複数形なんだそうな。 appellentはappelerの現在形三人称複数だよな。
あとは何となくわかるな。 というわけで、 「さて、音は消え去るものなので、 書きしるす文字のための別の記号が発明された。 ギリシア人はそれをグラマタと呼び、 そこからグラメール(文法)という語が来ている」。
もう少しやるか。
Ainsi l'on peut considerer deux choses dans ces signes: La premiere; ce qu'ils sont par leur nature, c'est a` dire, en tant que sons & caracteres.
`ainsi'は「かくして」。文頭に来ると主語と動詞が倒置されるらしい。 `on'は文頭では`l'on'になることもあるそうだ。 `peut'は`pouvoir'(できる)だったっけ。
う。後半が難しい。 `e^tre a`+不定詞'っていうのは英語の`be to do'と同じものと考えていいのかな? `en tant que'は「〜の資格で、〜である限りは」という意味らしい。
すると。「かくして、記号においては、二つの問題が考察されうる。 第一に、記号が本性上そうであるところの事柄が、 音と文字に関する限りにおいて、述べられることになる」
[追記: 親切な方に教えてもらったところによれば、 `c'est a` dire'は「すなわち」という意味の熟語らしい。 (現在ではハイフンで結ばれる) だから、後半は「第一に、記号が本性上そうであるところの事柄、 すなわち、音と文字に関する限りにおいて」と訳すべきだろう。 03/11/99]
もう一文。
La Seconde; leur signification; c'est a` dire, la maniere dont les hommes s'en seruent pour signifier leurs pense'es.
`maniere'は英語の`manner'に当たるようだ。 `dont'は関係代名詞の一種(of which, by whichなど)らしい。 `seruent'は`servir'の三人称複数形で、 この語は代名動詞としては「〜(de...)を利用する」という意味だそうだ。 なるほど、すると「de+名詞」が`en'に代わってるわけか。
というわけで。 「第二に、記号が指し示すところ。 人が自らの思考を表示するために記号を用いる仕方が述べられることになる」
切りがいいのでもう一文。
Nous traitterons de l'vne dans la premiere partie de cette Grammaire, & de l'autre dans la seconde.
`traitterons'は、`traiter'(扱う)の一人称複数形。 古い綴りのせいか、`tt'になっている。 l'un(e)とl'autreは対になって、 「一方は〜、他方は〜」という意味になるようだ。 これも古いせいか`vne'になっている。
すると。「われわれはこの文法書の第一部において一方を論じ、 そして第二部において他方を論じる」
う〜む。まだまだ怪しいとこもあるけど、 だんだん上達してきたっす。
またまた『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 6)。
PREMIERE PARTIE,
OV IL EST PARLE' DES
lettres & des caracteres
de l'e'criture.
む。il est以下は非人称構文の様子。 なぜか時制が複合過去になっているが、 慣用的な表現か。
とすると、「第一部、書き言葉における文字や記号について述べられる」ぐらいか。
CHAPITRE I.
Des lettres comme sons, & premierement des voyelles.
commeは英語のasみたいなもので、「〜のように、〜として」という意味らしいから、 第一章「音としての文字、まず母音について」てなもんか。
さらに『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 6)。
LES diuers sons dont on se sert pour parler, & qu'on appelle Lettres, ont este' trouuez d'vun maniere toute naturelle, & qu'il est vtile de remarquer.
sertはservirの直説法三人称単数形っす。 代名動詞で「〜を(de...)利用する」という意味。
ont este' trouuezは、どうも複合過去形の受身になってる様子。 este'はおそらくe'te'なのだろう。
d'vne maniere toute naturelleは、 「あるまったく自然な仕方で」というような意味。 d'une maniere+形容詞というのが定形らしい。
il est utile de+不定詞で、 「〜するのは有益だ」という意味らしい。
というわけで、 「話すために用いられ、また文字と呼ばれるさまざまな音は、 まったく自然な仕方で発見された」
あれ、最後の& qu'il est vtile de remarquer.がわからん。 queは何を指してるんだろうか。ヘルプっ。
『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(p. 6)。 少々わからずともどんどん進むべし。
Car comme la bouche est l'organe qui les forme, on a veu qu'il y en auoit de si simples, qu'ils n'auoient besoin que de sa seule ouuerture, pour se faire entendre & pour former vne voix distincte, d'ou` vient qu'on les a appellez voyelles.
わ、長いっす。`car'は「なぜなら」、`comme'も「〜なので(as)」、 `bouche'は「口、唇」。 `qui les forme'の`les'は前文の`sons'を指しているに違いない。
`veu'は`vu'のことのようだ。 `auoit'は`avoir'の三人称単数半過去形`avait'のことだろう。 `en'は何を受けてるんだろうか。
`si...que...'で「とても〜なので〜である」という意味のようだ。 `avoir ... de besoin'で「〜が必要だ」だが、 ここもなんか複雑。むむ〜。 あ、`ne...que'「〜しかない」という意味か。
`de la` vient [d'ou` vient] que...'で、「それが〜の理由である」 という意味らしい。`that's why ...'ということだな。
というわけで。 「口がそれらの音を形作る器官であるからして、 人はそれらの音の一部が非常に単純で、 その音を聞こえるようにしたりはっきりした声を出したりするには 口を開くことしか必要ないことを理解する。 そういうわけでそれらは母音と呼ばれる」
う〜む。やっぱり`il y en auoit de si simples'のあたりが謎だが、 だいたいこんな話をしてるに違いない。
前回のところは、数人の方に情報をもらったが、 まだ理解できないとこがあるので、またしばらくしてから考えてみる。 情報感謝。
さらに『普遍文法』 (Grammaire Generale et Raisonnee)の続き(pp. 6-7)。
Et on a aussi veu, qu'il y en auoit d'autres qui de'pendant de l'application particuliere de quelqu'vne de ses parties, comme des dents, des le'vres, de la langue, du palais; ne pouuoient neanmoins faire vn son parfait, que par l'ouuerture mesme de la bouche, c'est a` dire, par leur vnion auec ces premiers sons, & a` cause de cela on les appelle consonnes.
う。また長いな。
`qui de'pendant ...'の部分は、de'pendantを形容詞と考えると動詞がないので、 これはde'pendreの三人称複数現在形(de'pendent)の古い形と考えた方がいいと思う。
`quelqu'une de ...'は「〜の何人か、いくつか」という意味。 ここでは後者だろう。
`la dent'は「歯」、`la le'vre'は「唇」、`la langue'は「舌」、 `le palais'は「口蓋」。
セミコロンのとこまでを訳すと、大体こんな感じだと思う。 「そして、また、次のことも看取された。 すなわち、(音の)他のものは、 歯、唇、舌、口蓋といった部分のいくつかを 特定の仕方で用いることに左右される」 う〜む、わかりにくい訳だ。
後半は、`neanmoins'は「にもかかわらず、それでも」(neverthelessだろうか)、 `parfait'は「完全な」、 `mesme'は(しばらく考えたが)`me'me'で、 名詞の後に来ると「〜でさえ、〜そのもの」 という意味になるそうだ(ドイツ語のselbstみたいなものか)。
`a` cause de...'で「〜のために、〜のせいで」という意味。 `par'はどうやら前置詞ではなく、 `parer'(飾る、付与する、整える)という動詞らしい。
そこで。 「しかしこれらは完全な音を作ることはできず、 それは口の開きそのものを整える、 すなわち最初の音との結合を整える。 そしてこれがその音が子音と呼ばれる所以である」
「最初の音との結合…」のあたりはよくわからん。誤訳か。
久しぶりに『普遍文法』の続き(p. 7)。 エルヴェシウスは難しいのでしばらく放棄。
L'on conte d'ordinaire cinq de ces voyelles, a, e, i, o, u, mais outre que chacune de celles-la` peut estre breue ou longue, ce qui cause vne variete' assez considerable dans le son; il semble qu'a` considerer la difference des sons simples, selon les diuerses ouuertures de la bouche, on auroit encore pu^ adjouster quatre ou cinq voyelles aux cinq precedentes. Car l'e ouuert, & l'e ferme' sont deux sons assez differens pour faire deux differentes voyelles, comme mer, abisme'r, comme le premier & le dernier e dans nettete', dans ferre', &c.
ひゃあ。長くてわけわからん。conterは「語る」、d'ordinaireで「通常」、 outre queで「〜のみならず」、chacuneはeach、breueはどうもbref「短かい」 の変化形らしい。assezはenoughかrather。
というわけでセミコロンまでを訳すと、 「通常、母音には五つあると言われる。すなわち、a, e, i, o, uである。 もっとも、それに加えて、それぞれの母音は長くなることも短かくなることもでき、 それによって音に十分なだけの多様性が生まれる」。 outre queのあたりがようわからんな。
semblerはseem、a` considererはto不定詞みたいなものか? selonは「〜に従って」、auroitはおそらくavoirの未来 形の三人称複数だと思うが不明(そうだとすれば前未来形になっているのだろう)、 adjousterも不明(しかしadjustという意味だろう)。
すると、「口のさまざまな開き方に応じた単純な音の違いを考慮すると、 人はふたたび、 四つまたは五つの母音を先の五つに調整することができてしまうであろう」。 ん? 意味がわからん。誤訳か。
あ、adjoindre「〜に(a`...)加える」という語があるみたいだから、 adjousterはそれなのかな? すると、後半は、「人はさらに、四つまたは五つの母音を、 先の五つに加えることができちゃうだろう」かな。
carはfor, because、fermeはfirm、merは「海」、 abismerはabi^merで「傷つける」、 dernierはlast、nettete'はclearness、ferre'は「鉄具をつけた」 という意味のようだ。
すると、 「というのは、開いた『エ』と、堅い『エ』は、 二つの異なる母音を作るのに十分な違いを持った二つの音だからである。 たとえば、「メール」と「アビスメ」や、 「ネッテ」や「フェレ」における最初の『エ』と最後の『エ』などのように」 ということか。
ううむ。そういわれてもなかなか二つの『エ』は区別が付かんのだが…。
ま、今日はここまで。
以下は、昨日と今日やったフランス語の勉強。 『普遍文法』の続き(pp. 7-8)。
Et de mesme l'o ouuert & l'o ferme', coste & cotte, hoste & hotte. Car quoy que l'e ouuert, & l'o ouuert tiennent quelque chose du long; & l'e, & l'o ferme' quelque chose du bref; neanmoins ces deux voyelles se varient dauantage, par estre ouuertes & ferme'es, qu'vn a ou vn i ne varient, par estre longues ou breues; & c'est vne des raisons pourquoy les Grecs ont plustost inuente' deux figures a` chacune de ces deux voyelles, qu'aux trois autres.
costeはco^teで肋骨のことらしい。こっちが狭い方のオ。 cotteは仕事ズボン、オーバーオールのこと。こっちは広いオ。 hosteはho^teでホストないし主人のこと。こっちは狭いオ。 hotteは「大きな負カゴ」。広いオ。
そこで、「また、同じことが開いた『オ』と堅い『オ』についても言える。 たとえば、「コート」と「コット」、「オート」と「オット」がそうである」。
quoyはquoiで、quoiqueで「〜けれども、〜とはいえ」という意味になるようだ。 tiennentはtenirの三人称複数形で、 deを伴なって「〜に似る、ある性質を帯びる」という意味になるらしい。 neanmoinsはyetだな。 dauantageはdavantageで、「それ以上に、いっそう」という意味みたい。 ということは、たぶん後ろのque(qu'vn)はthanなのだろう。 pourquoyはpourquoiで、why。ここはさしずめthat's why...だな。 plustostはたぶんpluto^tで、rather。これもqueと相関的に使われるようだ。
あ。しまった。ferme'は「堅い」じゃなくて、「閉じた」か。 アクサンテギュを無視してしまっていた。訂正訂正。 なんか変だと思ってたっす。
すると、 「というのは、たしかに、広い『エ』と広い『オ』はいくぶん長く、 狭い『エ』と狭い『オ』はいくぶん短かいのであるが; とはいえ、二つの母音は、開いていることと閉じていることによって、 『ア』と『イ』 が長かったり短かかったりすることによっては変わるところがないのに比べて、 より変化するからである; そして、これが、ギリシア人がこの二つの母音にはそれぞれ二つの文字を作り出し、 他の三つには作らなかった一つの理由である」。どうだ。
De plus l'u, prononce' ou, comme faisoient les Latins, & comme font encore les Italiens & les Espagnols, a vn son tres- different de l'u, comme le prononc,oient les Grecs, & comme le prononcent les Franc,ois.
de plusは「さらに」、faisoientは、faisaientで、 faireの直・半過・3・複のようだ。 あとは大体なんとなくわかる気がする。
というわけで。 「さらに、かつてのローマ人、 また今日のイタリア人やスペイン人たちの発音のように、 『ウ』と発音されるuは、 かつてのギリシア人や今日のフランス人が発音するようなuとは、 まったく異なる音を持っている」。かなり意訳。
Eu, comme il est dans feu, peu, fait encore vn son simple, quoy que nous l'e'criuions auec deux voyelles.
feuはfire、pewは少し。e'criuionsはe'crivionsで、 e'crireの直・現・1・複。これもなんとなくわかるな。
「feuやpeuに見られるeuは、二つの母音を用いて書かれるけれども、 これもまた、単純な音を形成する」。
今日はここまで。
『普遍文法』の勉強(pp. 8-9)。
Il reste l'e muet ou feminin, qui n'est dans son origine qu'vn son sourd, conjoint aux consones, lors qu'on les veut prononcer sans voyelle, comme lors qu'elles sont suiuies immediatement d'autres consonnes, ainsi que dans ce mot, scamnum: c'est ce que les Hebreux appellent scheua, sur tout lors qu'il comme|ce la syllabe. Et ce scheua se trouue necessairement en toutes les langues, quoy qu'on n'y prenne pas garde, parce qu'il n'y a point de caractere pour le marquer. Mais quelques langues vulgaires, comme l'Alemand & Le Franc,ois, l'ont marque' par la voyelle e, adjoustant ce son aux autres qu'elle auoit de'ja: & de plus ils ont fait que ce't e feminin fait vne syllabe auec sa consonne, comme est la seconde dans nettete', j'aymeray, donneray, &c. ce que ne faisoit pas le scheua da|s les autres Langues: quoy que plusieurs facent cette faute en prononc,ant le scheua des Hebreux. Et ce qui est encore plus remarquable, c'est que ce't e muet fait souuent tout seul en Franc,ois vne syllabe, ou plustost vne demie syllabe, comme vie, vue:, ayme'e.
わあ、長い。il reste...で「〜が残っている」、muetはmuteで「無音の」、 sourdは「無声の」(反対語はsonore)、 conjointは「付随した」、consonesはconsonneで「子音」、 lorsは副詞で「その時」という意味らしいが、 ここではqueと一緒になって関係副詞的な用法になってるのかな? veutはvouloirで「欲する」、suiuiesはsuivre(follow)の過去分詞形、 ainsiはthusだが、ainsi que...で「〜と同様に」という意味になるようだ。 あれ、scamnumという単語はないぞ。ううむ。
というわけで、とりあえず、 「無音ないし女性の『エ』が残っているが、 これはもとから無音であるわけではないのだが、 子音を伴なうと、人はその子音を母音なしで発音したいと思うのだ。 それはちょうど、たとえば『スカナム』という語のように、 そうした子音の直後に別の子音が続く場合と同じである:」。 う〜む。だいぶ怪しいな。
次。les Hebreuxはヘブライ人だが、単数はhebreu。 comme|ceというのは、eの上に傍線が引いてあるのだが、 どうもこれはcommencerであるようだ。 また、il commence ...は非人称動詞らしい。 sur toutはたぶん「とくに」という意味ではなかろうか。 辞書にはsur toute(s) chose(s)で「何にもまして」とある。
そこで、「だからヘブライ人は、特にその音節から始まるときは、 scheuaと呼んだのだ」。意味不明。
次。trouueはtrouverでfind。代動詞の場合は、「見出される」となるらしい。 prendre garde a`...で「〜に注意する」という意味のようだ。 だからyが入ってるのか。parce queはbecause(反対はpourquoiでwhy), pointは「全然」という意味のようだ。 marquerは「印をつける」。
というわけで、 「そこでscheuaはあらゆる言語において必要であることがわかる。 とはいえ、それを記すための文字がまったくないために、 人はそのことに気付かないのであるが」。 わ。どんどん意味不明になっていく。
さらに。quelquesはsome、langue vulgaireは「俗語」、 autres queはother than、 auoitはavaitでavoirの直・半過・3・単のようだ。
ここも意味わからんが、 「もっとも、ドイツ語やフランス語のようないくつかの俗語は、 『エ』という母音によってそれに記しをつけ、 その音を、『エ』が以前持っていた以外の音に加えた:」。 うわ。全然意味不明。あかんがな。
ええい、次。faire que+直説法で「〜を引き起こす、という結果になる」 という意味らしい。faisoitはfaisaitでfaireの直・半過去・3・単のようだ。
というわけで、 「そしてさらに、それらの言語では、この女性の『エ』を、 その子音とともに一音節にした。 たとえば、nettete'(明晰な)やj'aymeray(「わたしは愛するだろう」かな?)や、 donneray(「与える」の未来形だろう)などにおける、 二つめの音節がそうであるのだが、 他の言語においてはこのscheuaは作られなかった:」。 う〜。めちゃくちゃだ。
plusieursはseveral、facentは辞書に載ってない。 fauteはfaultで「間違い」、 en prononc,antはジェロンディフというやつらしい。
というわけで、 「とはいえ、中には、ヘブライ人のscheuaを発音するさいに その誤りを犯したものもいる」かな? facentはfaireと関係ある気がするのだがよくわからない。 faire fauteで「必要なものがない、不足している」という意味もあるようだから、 「とはいえ、中には、 ヘブライ人のscheuaを発音するさいにそれが不足している言語もある」 という訳もできる気もするが、これでは余計意味が通らんか。
souuentはsouventでoften、 tout seulは「たった〜だけ」(toutは強調)、demieはhalf。
そこで、 「そして、さらに注目すべきことに、 この無音の『エ』はしばしば、フランス語においてのみ、一音節を形成する。 あるいはむしろ一つの半音節というべきかもしれないが。 たとえば、vieやvue:(voirの過去分詞形)やayme'eがそうである」。 う〜ん。この段落で言っていることが結局わからなかったっす。
あと一段落でくぎりがつくので、もう一つ。
Ainsi sans considerer la difference qui se fait entre les voyelles d'vn mesme son, par la longueur ou breuete', on en pourroit distinguer jusques a` dix, en ne s'arrestant qu'aux sons simples, & non aux caracteres: a, e^, e', i, o, o^, eu, ou, u, e muet.
pourroitはpourraitでpouvoirの条・現・3・単のようだ。 mightとかcouldということか。 jusquesは「〜まで(a`...)」という意味のようだ。 en ne s'arrenstant queもジェロンディフで、 「a`以下のことは気にしないで」という意味のようだ。 ところで、ここのqueにはonlyの意味がない気がするがどうなんだろう。
そこで、 「というわけで、 長いか短かいかによって同一の音に加わる違いを考慮しなければ、 母音は--単純な音であるかどうかとか文字に気をかけないのなら-- 10個にまで区別することができる: すなわち、 『ア』、広い『エ』、狭い『エ』、『イ』、狭い『オ』、広い『オ』、 eu, 『ウ』、『ユ』、無音の『エ』である」。
よくわからんが今日はここまで。
読書会までまだ少し時間があるので、久しぶりにフランス語の勉強を。 また『普遍文法』の続き(p. 9)。
Chapitre II. (第2章)
Des Consones (子音)
Si nous faisons touchant les consones ce que nous auons fait touchant les voyelles, & que nous considerions seulement les sons simples qui sont en vsage dans les principales Langues, nous trouuerons qu'il n'y a que celles qui sont dans la table suiuante. Ou` ce qui a besoin d'explication est marque' par des chiffres qui renuoyent a` l'autre page.
う〜。もう忘れた。touchantってなんだ? 辞書辞書。「《文》〜に関して」か。 「もしわれわれが子音に関して、 われわれが母音に関して行なったのとようにやるならば、そして」
そして? en vsageってなんだ? en usageで「使用されている」という意味か。 「そして、主な言語において使用されている単純な音だけを考えるならば、 われわれは次のことを見い出すであろう。すなわち、」
すなわち? que celles quiってなんだ? あ、neとqueがくっつくんだったっけ。 suivant(e)は「次の」だって。 「すなわち、次の一覧表に載っているものしかないことを。 説明を要するところは、」
marque'とchiffresとrenuoyentがわからん。 marquerが「印をつける」か。chiffreが「数字」。 renvoyerが「送る」とか「追い払う」とか「反射する」とか。 あ、`Les aste'risques renvoient aux notes'で 「*印は注を参照のこと」という意味になるんだそうだ。 というわけで、 「説明を要する箇所には、数字で印をつけてあり、 それらの数字はその次の頁を参照のこと。」
『普遍文法』の続き(p. 12)。
S'il y a quelques autres sons simples (come pouuoit estre l'aspiration de l'Aiin, parmy les Hebreux) ils sont si difficiles a` prononcer qu'on peut bien ne les pas comter entre les lettres qui entrent dans l'vsage ordinaire des Langues.
うわ。もうすっかり忘れてしまった。 え〜と。「単純な音が他にまだいくつかあるとしても、 それらはとっても発音しにくいので、」
comterってなんだ? 辞書辞書。え、伯爵? あ、これはどうもcompter「数える」の異形のようだ。 entreはamongだから、 「言語で通常に用いられる文字のうちには数え入れることはできないだろう」
それでカッコの中はというと、いいかげんだが、 「ヘブライ語の中にあるAiinの気息音はその一つと言えるだろう」 かな? comeってなんだ?
というわけで結局、「単純な音が他にまだいくつかあるとしても (ヘブライ語の中にあるAiinの気息音はその一つと言えるだろう)、 それらはとっても発音しにくいので、 言語で通常に用いられる文字のうちには数え入れることはできないだろう」
Pour toutes les autres qui se trouuent dans les Alphabets Hebreux, Grecs, Latins, & des Langues vulgaires; il est aise' de monstrer que ce ne sont point des sons simples, & qu'ils se rapportent a` quelques-vns de ceux que nous auons marquez.
pourはfor、aise`は「容易な」、monstrerは「示す」かな? ne ... pointで「少しも〜でない」、 se rapporterは「〜と(a`)関係がある」。 なので、「ヘブライ語やギリシア語やラテン語や他の俗語のアルファベットに 見い出されるその他すべての文字に関しては; それらが単純な音でないことを示すのは容易であり、 また、それらがわれわれがすでに論じたもののいずれかと関係を持っている ことを示すのは容易である」。
今日はここまで。眠い。
『普遍文法』のつづき(pp. 14-5)。
La pluspart des diphtongues se sont perdueus dans la prononciation ordinaire du Latin.
えっと。pluspartはmany ofかな? perdueus (euはeウムラウト)は perdre(失う)の過去分詞形のようだ。 すると時制は現在完了だな。 いや、フランス語では複合過去形っていうんだっけ。 「二重母音の大半は、ラテン語の通常の発音においては失なわれてしまった」。
Car leur ae, & leur oe, ne se prononcent plus que comme vn e. Mais elles se retiennent encore dans le Grec, par ceux qui prononcent bien.
carってなんだったっけ。あ。「なぜなら」か。 「なぜなら、ラテン語のaeやoeは、eのようにしか発音されない。 しかし、それらはまだ (encore) ギリシア語には残っており (se retenir)、 いくつかはきちんと発音される」。 う。par ceux qui prononcent bienのparがよくわからん。
Pour les Langues vulgaires, quelquefois deux voyelles ne font qu'vn son simple, comme nous auons dit de eu, comme encore en Franc,ois oe, au.
「俗語に関して言えば、ときに、二つの母音は一つの単純な音しかつくらない。 たとえば、われわれはeuという語を持っており、 もっといえば、フランス語におけるoeとかauなんかがそうである」。
Mais elles ont pourtant de veritables diphthongues, comme ai, ayant; ouee, foueet; oi, foy; ie, mien, premier; eau, beau; ieu, Dieu:
「しかしながら(pourtant)、(ときに)それらは真の二重母音である。 たとえば、ayantのai、foueet (鞭) のouee、foy (信頼) のoi、 mienやpremierのie、beauのeau、Dieuのieuなど」。
ou` il faut remarquer que ces deux dernieres ne sont pas des triphthongues, comme quelques-vns ont voulu dire, parce que eu, & au, ne valent dans le son qu'vne simple voyelle, non pas deux.
わあ。よくわからん。「ただし、 これらのうち最後の二つは、 三重母音でないことに注意しなければならない (ある人はそう言おうとしたのだが)。 なぜなら、euやauは二つではなく一つの単純な母音にしか相当(valoir)しない からである」。かな?
ま、今日はこんなとこで。
大学に来ると、某くんから、 昨日のフランス語の勉強についてのメイルが来ていた。 というわけで訂正訂正。
Car leur ae, & leur oe, ne se prononcent plus que comme vn e. Mais elles se retiennent encore dans le Grec, par ceux qui prononcent bien.
このparは受動態におけるbyにあたるものらしい。ceux quiは that whichではなく、those whoの方だった。勉強勉強。
「なぜなら、ラテン語のaeやoeは、eのようにしか発音されないからである。 しかし、ギリシア語では、それらは、 きちんと発音する人々によってまだ (encore) 保持されている (se retenir)」。
ou` il faut remarquer que ces deux dernieres ne sont pas des triphthongues, comme quelques-vns ont voulu dire, parce que eu, & au, ne valent dans le son qu'vne simple voyelle, non pas deux.
dans le sonを訳し忘れていた。これはカッコに入れて考えるようだ。
「ただし、 ここで注意しなければならないのは、これらのうち最後の二つは、 三重母音でないことである (ある人はそう言おうとしたのだが)。 なぜなら、euやauは、音の上では、 二つではなく一つの単純な母音にしか相当(valoir)しないからである」。
勉強になりました。感謝感謝。
じゃ、ちょっとエルヴェシウスのテキストを読んでみましょう(p. 15)。
DISCOURS I.
DE L'ESPRIT EN LUI-ME^ME.CHAPRITRE PREMIER
「第一論文『精神それ自体について』第一章」 てな具合でしょうか。
ところでこの本は不思議なことに目次(TABLE SOMMAIRE)が本の最後に付いています。 フランス語の本は大体そうなんでしょうか。 そういえば、『普遍文法』も同様のようです。
On dispute tous les jours sur ce qu'on doit appeller Esprit: chacun dit son mot; personne n'attache les me^mes ide'es a` ce mot, et tout le monde parle sans s'entendre.
え〜、「人は議論する、毎日、人が精神と呼ぶに (doitはdevoirで、「〜に違いない」)違いないものについて: (chacunは誰でも)誰でもその(motはword)語を口にする; (personneはneと共に用いてno one)誰もその語に同じ観念を付与しないので、 人はみな理解しあうことなく喋るのである」。
s'entendreは代名動詞で「理解しあう」という意味になると、 さっき入門書で学んだ。
Pour pouvoir donner une ide'e juste et pre'cise de ce mot Esprit et des differentes acceptions dans lesquelles on le prend, il faut d'abord conside'rer l'Esprit en lui-me^me.
え〜、「精神という語にぴったり正確な観念を 与えることができるために、 そして(lesquellesはlequelでwhich)人がそれを使う(acceptionはmeaning) (desはsome)いくつかの意味を与えることができるために、 (d'abordはfirstly)まず精神それ自体について考えなくてはならない」。
Ou l'on regarde l'Esprit comme l'effet de la faculte' de penser (et l'Esprit n'est en ce sens, que l'assemblage des pense'es d'un homme); ou` l'on le considere comme la faculte' me^me de penser.
え〜、「人が精神を(effetはeffect)思考の能力の結果のようにみなす場合 (また、精神は感覚でできているわけではなく、 ある人の思考の集合にすぎない); 人はそれを思考の能力そのものと考える」。
あれ、意味がよくわからんぞ。誤訳っぽい。
Pour savoir ce que c'est que l'Esprit, pris dans cette derniere signification, il faut connoitre quelles sont les causes productrices de nos ide'es.
え〜、「(prisはprendreの過去分詞形)(derniereはlast) この最後の意味での精神というものを知るために、 何がわれわれの観念を生み出す原因なのかを知る必要がある」。
Nous avons en nous deux faculte's, ou, si j'ose le dire, deux puissances passive, dont l'existence est ge'ne'ralement et distinctement reconnue.
え〜、「われわれは二つの能力を自分で持っている、 すなわちそれらは、(oseはdare)もし大胆にも言わせてもらうならば、 (puissanceも能力)受動的能力であり、 (dontはof which)その存在は(reconnueはreconnaitreの過去分詞で公認の) 一般に、そして明晰に、認められている」。
う〜ん、ここで終わると切れが悪いんで、も少し。
L'une est la facule' de recevoir les impressions diffe'rentes que font sur nous les objets exte'rieurs; on la nomme sensibilite' physique.
「一つは、(あ、facule'はfaculte'の間違いのようだ) (fontはfaireの三人称複数形)さまざまな印象を受け取る能力であり、 それらの印象は外部の対象をわれわれの上に刻印する; 人はその能力を身体的感覚と名付ける」。
L'autre est la faculte' de conserver l'impression que ces objets ont faite sur nous; on l'appelle Me'moire: et la me'moire n'est autre chose qu'une sensation continue'e, mais affoiblie.
「もう一つは、そうした対象がわれわれの上に刻印した印象を保存する能力であり; 人はそれを記憶と呼ぶ: そして、記憶とは継続する感覚に他ならず、ただaffoiblieなものである」。
わ。affoiblieが辞書にない。くそ。
またエルヴェシウスを読んでみます(p. 16)。
Ces faculte's, que je regarde comme les causes productrices de nos pense'es, et qui nous sont communes avec les animaux, ne nous occasionneroient < fourniraient > cependant qu'un tre`s petit nombre d'ide'es, si elles n'e'toient jointes en nous a` une certaine organisation exterieure.
え〜、難しいっす。ne...queは「だけしかない」。 occasionneroientは条件法現在のようっす。 cependantはhoweverみたいな意味のようっす。 un petit nombre de...で、「小さい数の〜」という意味。 ellesはfaculte'sを受けてるようっす。 certain(e)は、名詞の前にあると「いくつかの、ある」で、 名詞の後ろにあると「確実な」という意味になるそうっす。 e'toient(e'taient)は、e^treの半過去形。 そういえば、反実仮想は、 Si (S')+半過去形, 条件法現在形という風に作るんでした。
そこで、ちょっと怪しいっすが、 「それらの能力は、 わたしがわれわれの思考を生み出す原因として見なしているものであり、 また、われわれにとって動物と共通のものであるが、 しかしながら、 もしそれらが、われわれ自身において、 いくつかの外部の組織と結合されなかったなら、 われわれにほんのいくつかの数の観念しか生みださなかった (提供しなかった)であろう」
Si la nature, au lieu de mains et de doigts flexibles, eu^t termine' nos poignets par un pied de cheval, qui doute que les hommes sans art, sans habitations, sans de'fense contre les animaux, tout occupe's du soin de pourvoir a` leur nourriture et d'e'viter les be^tes fe'roces, ne fussent encore errans dans les fore^ts comme des troupeaux fugitifs?
au lieu deで、in place of。 e^utはavoirの半過去の三人称単数らしい。 しかもなぜか接続法のようだ。 terminerは「〜で(par)終える」。 qui doute que ...は、who doubts that...ということのようだ。 occupe'sはoccuperの過去分詞のようだから、 ここは分詞構文とみるべきだろう。 fussentは、接続法・半過去・3人称複数。 erransはerrer「さまよう」の変化形のようだが、 erran(s)という形の時制はなぞ。
というわけで、 「もし自然が、柔軟な手と手首の代わりに、 われわれの手首の先を馬の足にしてしまっていたなら、 技術もなく、住居もなく、 動物に対する防御手段もなく、 自分に食物をもたらし、狂暴なけものを避けることを心配することに 完全にかかりっきりの人間が、 逃亡する群れのように再び森の中を彷い歩くだろうと思わない人がいようか?」