マーガレット・メーダー博士
「物事が正しいとか正しくないとかという判断は、 たいていの場合、判断する人の環境がもとになるのよ。 もともと、 それ自身が正しかったり、悪かったりするものなんてほとんどないわ。 物事の正邪というものはその社会の文化に左右されるのよ」
(ロバート・ハインライン、 『銀河市民』、213頁)
日記の整理。 ついでに96年に書いた日記も整理する (上の方に若い日付が来るようにひっくり返した)。
「飲み会で一人だけ酒を飲まないのは、 みんなが裸になっているのに一人だけ服を着ているようなものだ」
なるほどそういうものかと思った。
ついでついでと思いながら、97年5月前半の日記までをいじる。 時間の無駄。
朝、久しぶりに目覚しをかけて起きた。 洗濯。
それから某喫茶店でモーニング。チャンピオン。
ここ二、三日、寝不足気味。眠い。
30分ほど椅子の背もたれにもたれかかって寝て、 さらに30分ほど机に突っ伏して寝る。
修論の口頭試問の日が決まったようだ。 一階に貼り出されている。
……。勉強しよ。
ロック読書会終わり。 第三巻第二章「語の意味表示について」の続きと、 第三章「一般名辞について」の途中(第二段落)まで。
言葉は、直接には話し手の観念を指すが、 秘密理には、聞き手の観念や、実在の事物に関連させられる、 という話と、 すべての個物にそれぞれ固有の名前を与えるのは物理的に不可能だ、 という話。
倫理学入門読書会(「世紀末の倫理学に向けて」その2)終わり。 ムーアの未決問題論法は、結果的に、 道徳判断の持つ行為指導性action-guidingnessを強調することになり、 40年代に頂点を迎えるメタ倫理における非認知主義(注)の隆盛の一助となった。 しかし、50年代以降、 これまで倫理学が言語分析に終始して、 道徳判断の肝心の内容を取り扱わなかったことに対する反省が起こり、 実質的、規範的な道徳哲学が復興した。
注: 非認知主義non-cognitivism--いろいろな説明の仕方があるが、 道徳判断は事実判断のように真偽を決めることはできない (真偽を「知ること」ができない)とする立場。 逆に、自然主義や直覚主義においては、 道徳的性質は自然的性質や(記述不能な)非自然的性質として理解されるため、 --たとえば「あの行為は善い」を「あの行為は快を生みだす」 と理解することにより-- 道徳判断の真偽を問題にすること(真偽を「知ること」)ができる(認知主義)。
腹減った。
読書会後、みなで某お好み焼き屋さんへ。 研究室のウェブブラウザにフィルタリングソフトを導入することを提案。
British Moralists読書会、来週の火曜から始めることに。
4時間ぐらい研究室のソファで寝る。 なんか寒い。
ベンタムの人間本性論についてのポステマによる説明を読んだり。 腹減った。
ようやく日記の整理が終わる。無駄無駄無駄ぁ。
『男組』第1巻から第3巻まで読む。 池上遼一もこの頃はまだ絵が若々しいなあ。
さらにポステマの文章を読む。疲れた。
朝、某喫茶店でモーニング。楳図かずおの作品読む。
いったん下宿に戻った後、また大学に来て、久しぶりにベンタム読書会。 『序説』第10章「動機について」第3節「快苦の一覧に対応する諸動機の一覧」 に入る。 われわれは味覚の快や性欲の快や富の快が動機になって、 いろいろな行為を行なうが、 これらの動機の善し悪しは帰結によって判断されるのであり、 常に善いものであったり、 常に悪いものであったりするわけではない、 ということが具体例を用いながら説明されている。
一緒にバンドをやっているギター弾きが、 ついに会社でe-mailのアカウントをもらった模様。 こいつのPHSはいつかけてもつながらんので、 連絡がとりやすくなってありがたい。
歯医者行く。二回目。
麻酔される。数回打たれたようだが、 上手なせいか、あまり痛くない。 どうやら注射する前に何か塗ってるらしい。
それからウィーンキョキョキョキョキョッと盛大に削られる。 あの音はなんとかならないのか。
さらに、なまぬるいゴム状のものを歯に塗りつけられた後で、 歯の型を取られる。上下とも。 終了後、手鏡を渡され、 唇や鼻の頭などについたピンクのゴムの残りかすを取らされる。
次回、詰め物をするらしい。
ほんとにどうでも良いことだが、悩みを垂れ流すのは問題ないが、 脳を垂れ流すのは少し問題だと思う。
久しぶりにボ・ディドリーを聴く。いいなあ。
おまえはいつもおれがどこにいたのかってギャーギャー言う
おまえはいつもおれが使った金についてキーキー言う
どこかおかしいんじゃないのかい?
気が狂ってるぜおれはおまえのために洗濯もやるし料理もやってる
男性のおれが女性のためにこれ以上できることってあるかい?
おれのどこが悪いってんだ
気が狂ってるぜずいぶん前に、おまえのこと少し甘やかしすぎたんだ
昔はおまえのために料理を作ってドアのところまで持って行ってた
もううんざりだ
いらいらするぜBo Diddley, `Crackin' Up'
また『エリア88』を読んでいる。名作。
研究室のソファで爆睡。早朝からお昼過ぎまで、7時間ぐらい寝た。
左の奥の歯茎が痛い。ちょっと体調も悪い。 風邪を引かないよう注意しなくては。
昨日は、昼下がりに大学を出て、二三軒古本屋に寄り、 そのあと某スーパーなどで買物をしてから下宿へ。 しばらく自炊をしていなかったので、 久しぶりにカレーを作ろうと思って、お米(5キロ)を買ったり、 野菜を買ったりする。
大学を出てから、しばらくの間、猛烈に憂鬱になる。 ついにおれもうつ病になったかなどと心配したが、 下宿に戻ってしばらくこたつで寝たら元気になった:-)
下宿でラーメンを食べたり、風呂に入ったり、 ビジネス英語を二日分聴いたり、 カレー(今回は中辛)を作ったり、本を読んだり。
真夜中まで本を読んで、大学に来た。 しばらく本を読んでから勉強しよう。
つまり、自然とは、人間が、人間の文化がつくった〈コト〉なのだ。 意味を与えながらつくった〈コト〉なのである。 だからこそ、記号、少なくとも記号的なものといったわけだ。 つまり記号として解読できるのであり、 現に記号として扱っている。 自然を読むとは、みずからがつくった意味と戯れている、 といっても過言ではないのだ。(前出、『記号論入門』、154頁)
まあ、言ってることはだいたいわかるのだが、 なぜわざわざ「戯れている」と言わなければならないのだろうか。 「戯れている」という言葉には、「一人よがりである」 「自己満足である」という含意があるような気がするが、 なんとも現代思想的(ゲンダイシソーテキと書くべきか)な言葉である。
……(むかむか)。………(むかむかむか)。 なんなんだこの言葉は。 いったいだれがこの言葉を使いだしたんだ。 責任者を出せ責任者を。
昨日は、お昼前に下宿に戻って睡眠。 起きたら真っ暗になっていたのでびっくりした。 昼に寝て起きたら夜っていうのは久しぶりだ。 それからカレーを食べる。
食後、記号論の本(岩波新書の『記号論への招待』)を読んでいると、 あまりにつまらないのでまた眠くなり、 こたつに入ったまま寝てしまう。 二度の睡眠時間を合わせると、ほぼ半日寝てしまったことになる。 疲れていたのか。
真夜中に起きて、また記号論の本を読み出す。 どうにか読了。つまらん。
たしかに、言語を分析して得られたいろいろな概念を、 文化全体に適用してみる、というのはおもしろい試みだけど、 ほんとにうまくいってんのかね。 「道具の意味はその用途である」 (たとえば、金づちの意味は「釘を打つこと」) なんていうのは、「意味」という言葉を広げすぎてる気がする。
ま、しかし、 シニフィアン(「記号表示」だったか)とシニフィエ(「記号内容」)とか、 デノテイション(明示的意味)とコノテイション(暗示的意味)とかの区別は、 ロックの言語論を検討するための参考にはなった。 いや、一応、シニフィアンとシニフィエは以前から知ってましたけど……。
読了後、何もすることがないので大学に来る。 夜更けなので外は寒いかと思ったが、 1月後半にしては比較的暖かい。 昨日も雪じゃなくて雨が降ってたしな。
さてさて、読書会の予習をしよう。
ロック読書会の予習をしたり、休憩がてらブラインド・タッチの練習をしたり。
J・ウォルドロンの文章を読んだり、休憩がてらブラインド・タッチの練習をしたり。
某喫茶店でモーニング。読んでない雑誌がなかったので、 仕方なく朝日新聞と京都新聞を見る。 千代大海優勝とか、26年間ストーカー起訴とか。
ところで、ストーカーに対して、 ある女性の半径200メートル以内に近寄ってはいけない、 という判決が出た場合 (すでに一度、 芸能人の追っかけをしていたストーカーに対して同趣旨の判決が出てるらしいが)、 いったいどうやってそれを確かめるのだろうか。 ひょっとすると、 ストーカーの体内にある種の発信機を埋め込んだりするのだろうか。 あるいは、問題の女性を中心とした200*2*3.14メートルの円周ぐるりに、 私服警官が手をつないでずらずらと並ぶのだろうか。 う〜む。気になる。
1時間ほど、ソファで寝る。 起床後、読書会の時間が迫っていたため急いで中央食堂で食事。 紅鮭と卵の雑炊、ほうれん草。
また雨。
ロック読書会終わり。 第三巻第三章「一般名辞について」第3段落から第9段落まで。
一般名辞の指示対象は、一般観念である。 一般観念は、個々の事物の観念から、個々の事物に特有な性質を捨象し、 個々の事物に共通な性質のみを残すことによって形成される。 (たとえば、ピーターやメアリーという個人に共通な性質を残し、 それ以外の性質を捨象することで、人間という観念をつくり、 それに一般名を与える) さらに一般的な観念を作るさいも、同様の仕方で進めばよい。 (たとえば、人間や猫の観念から、 共通の性質を残し異なる性質を捨象することで、 動物の観念を作り、 さらに動物や植物の観念から、生物の観念を作るなど)
口の中がやたらと荒れてる気がする。 扁桃腺が腫れてるのか、歯茎の奥が腫れてるのかわからない。 栄養失調なのだろうか。
朝、某喫茶店でモーニング。ジャンプ。
昼、下宿でカレー。まだ二日分ある。
昼下がり、第一回BMOR読書会。 (BMORはPast Mastersで使われているBritish Moralistsの略号)
読書会後、3時間くらいかかってまとめを書く。大変。 まとめは交代で作るべきか。
眠い。猛烈に眠い。
昨夜は、某所で夕食。某煮魚定食。
そのあと、某師匠に助けてもらって、British Moralists MLを作った。 基本的には研究室でやっている読書会の報告の場になると思うが、 18世紀を中心とする英国道徳哲学に興味がある人は、 よければ参加していただきたい。
イギリスの大学生から来た「発表が近い。助けて」メイルに丁寧に答えてしまう。 男だから無視しようかとも思ったが:-)、 修論で論じた内容に近いテーマだったのでつい長々と書いてしまった。 お人好しというかバカというかチビというかデブというか…。
研究室のソファで数時間寝てしまう。
また少しソファで寝てしまう。いやはや。
某大の資料集の件、某先輩の原稿を除いて、 みなの原稿を某先生のところにメイルで送らせてもらった。 某先輩の原稿が一緒に送れなかったのは、 彼が自分のファイルを見つけられなかったため。 いやはや。
朝、某喫茶店でモーニング。サンデー。 それから下宿へ。 下宿で少し寝てから勉強しようと思っていたのだが、 ウインダムの 『トリフィド時代』 を読み返していたら夕方になってしまい、 結局、風呂と食事(カレーを全部食べた)を済ましただけだった。 勉強しろってば。
夕方、某歯医者。詰め物をする。今日で完了。いやはや。
歯医者の待合い室にあったテレビで、 動きかつ喋るジャイアント馬場を久しぶりに見る。 司会者と並ばせると彼がいかに巨大かがわかる。 スーツとか作るの大変なんだろうなあ。
ここで一曲。
あなたはわたしとは違った風に世界を見ているけれど
ときどきあなたの驚きに触れることができます
あなたが新しい色を使って描くすべて絵の中にかわいい坊や
とてもうれしいの、あなたがわたしの子どもであることが
わたしの子
わたしの子
とてもうれしいの、あなたがわたしの子どもであることがあなたは行き先を教えてもらう必要はありません
どっちへ行けばいいのか知っていますもの
あなたの邪魔をするつもりはありません
ただあなたが育つのを見ていたいだけ
あなたはわたしに教えてくれました
うしろを振り返る必要はないことをかわいい坊や
とてもうれしいの、あなたがわたしの子どもであることが
わたしの子
わたしの子
とてもうれしいの、あなたがわたしの子どもであることがだれもあなたの夢を壊したりしないし
現実的になれとも言いません
あなたをつらい目にあわせる人も出てくるでしょうが
かれらの考えも変わるでしょう
あなたが微笑むのを見ればあなたの生まれた時代は最良のものとは言えないかもしれません
でもあなたは未来を最高のものにすることができます
あなたは自分に誠実に生きるでしょう
たとえ常に親切であることはできないにしても
かわいい坊や
とてもうれしいの、あなたがわたしの子どもであることが
わたしの子
わたしの子
とてもうれしいの、あなたがわたしの子どもであることがCarole King, `Child Of Mine'
タイムカプセル的な歌ですなあ。 (あ、タイムカプセル的と言ったのは、 彼女の子供はずっと後になってようやくこの歌を理解するだろう、ということ。 いや、もちろんもうすでに成人してるんだろうけど)
もう一曲。
ぼくらはみんなの間にある空間について話していた
幻影の壁のうしろに隠れている人々は
決して真実を見ることがない
----死んでからでは遅すぎるのにぼくらはみんなが分かちあえる愛について話していた
愛をもって努力すればいいことに気がつけば
愛があれば----ぼくらは世界を救うことができるかもしれない
かれらがこのことを知ってさえいればすべてが君の心の中にあることを知ろうとするんだ
君だけが君を変えることができる
そして君が本当はとても小さいことを知ろうとするんだ
そして生命が君の中へ君の外へと流れていることをぼくらはとても冷たくなった愛について話していた
世界を獲得し魂を失なった人々
かれらは知ることができない かれらは見ることができない
君はかれらの一人かい?君が自分の向こう側を見たとき
そこに心の平穏が待っていることを知るだろう
そしていつか君はみんなが一つであることを知るだろう
そして生命が君の中へ君の外へと流れていることをGeorge Harrison, `Within You Without You'
朝、某喫茶店でモーニング。マガジン、チャンピオン。
さ。勉強勉強勉強。
午前中からお昼過ぎまで、BMOR読書会の準備。いやはや。大変。 それからBMOR読書会。 今日は某君と某さんと3人でやる。 だんだん人数が減ってきた。いやはや。
疲れた。これからすぐに倫理学入門読書会。いやはや。(そればっかり)
倫理学入門読書会(「世紀末の倫理学に向けて」その3)終わり。 しばらく休みに入るんだそうな。いやはや。
みなで某所で食事。カキフライ定食。
某E研のラジカセでビジネス英会話を聴かさせてもらった後、 『ミリオンシャンテンさだめだ!!』1-2巻を読まさせてもらう。
いやはや。
昨日夜遅くに、某師匠と某ラーメン屋へ。
某師匠と話をして、いろいろ考えるところがあり、 おれもちょっと内省的になろうと決心する。 たまには自分を見つめる作業が必要だ。
それから下宿に戻った。「イン・マイ・ライフ」を聴いてみたり。
前の日は3時間ぐらいしか寝てなかったので、 風邪を引くのを恐れて、今日は7時間ぐらい寝た。
朝起きて、ニーチェを読み出す。 そして、もうあまりニーチェを好きではないということに気付く。
以前は彼の作品を克己ないし自己陶冶という視点から読んでいたので、 大変勇気づけられたわけだが、 今読んでみると、選民思想が鼻について嫌悪感しか感じない。 ニーチェはミルをぼろくそに罵倒しているが、 実はこの「エリート思想」という点で共通していると思う。
お昼ごろに下宿を出る。 寒いなと思った矢先に雪が降り出した。
ベンタム読書会終わり。
中央食堂でジャコワカメ雑炊、かぼちゃ煮付け、冷奴。
ところで、 「ジャコワカメ雑炊」というのはなんとも発音しにくい名前で、 今日も注文するときに 「あの、ジャ、ジャカワカ、いや違った、ジャジャ、 ジャコワコメ、うが、ジャコワカメ雑炊下さい」 などとほたえてしまった。 おばさんは慣れっこになっているのか、 おれが最後まで言うより先に「はい、ジャコワカメですね」 とか言ってさっさと調理しはじめていた。
食べ終わって外に出たら、かなりはげしいみぞれ。 走って新館に駆け込む。 だが、研究室に戻ってきてしばらくすると止んでしまい、 雲までどっかに行ってしまった。はてさて。
ロック読書会終わり。 議論していたら一時間ほど長びいてしまった。
第3巻第3章第10段落から第13段落まで。
夜明け前に大学に来るやつ。 道が凍ってて恐い。
最近の流行はインフルエンザらしい。
研究室に来る人がゴホゴホやっていると、 本性的に親切なおれは 「下宿でゆっくり寝た方がいいですよ」 と、純粋に博愛的な動機から忠告するのだが、 忠告される人、およびそれをはたで聞いているみなは、 おれの忠告を、 「風邪がうつるから研究室に来るな」 という風に、利己的な動機から生じる発言と解釈するようだ。
いやはや。いやはや。嘆かわしい。 せちがらい世の中になったものよ。
いや、そういう結論を出したいんじゃなかった。 この話の教訓は、動機の特定は難しい、ということです。 というわけで、邪推はやめましょうね。
夜が明けて外を見やると、北の山々が真っ白になっている。 吉田山もかなり雪が積っている。ちょっと美を感じた。
ソファで3時間半ほど寝た。
あ。寝てる間に北の山の雪が大部分溶けて、普通の色に戻っている。
お昼過ぎ、某古本屋で買物。
久しぶりに自転車の後輪がパンクしたので、 最寄りの自転車屋さんで修理をしてもらった。
修理をしてもらってる間に、自転車屋さんの店内をうろついていたのだが、 ある柱に貼ってあるポスターに目がいった。
もっとも、ポスターと言っても、紙じゃなくて、 交通標識のような金属のやつだ。 そしてそれにはこう書かれてあった。
自転車の防犯登録が義務化になりました
一応このポスターは警察庁のお墨付きのきちんとしたポスターなのだが、 なんかおかしい。だが、いったいどこがまずいのか。
自転車の修理をしてもらってる間じゅう、 ひまなのでどこがおかしいのか考えていた。
首をひねりながら考えていると、 「義務化になる」 というのが変であることに気づいた。 日本語として正しい表現(というものがあるとすればだが)は、 「義務になる」であるはずだ。
「義務化になる」だと一見誤りに気付かないが、 たとえばこれが「アニメ化になる」とか「文明化になる」とかだと 明らかにおかしいと感じるだろう。え、感じない? いやはや。
英語で考えると、 「日本が文明化した」は`Japan became (got) civilized.' とかになると思う。これは問題ない。 しかし、 「日本が文明化になった」という表現は、 英語では`Japan became civilization.'という風な表現になるだろう。 「日本が文明化になった」という表現は、 この英語の表現のおかしさのと同じようなおかしさを感じさせるのだ。
などなどと、いろいろ考えた末、自転車屋の店内で達した結論はこうである。 すなわち、 「義務化」や「文明化」や「アニメ化」などの「名詞+『化』」という表現は、 「その名詞の状態になること」を意味する。 したがって、それにさらに「なる」という動詞を加えるのはおかしいのだ。
だからたとえば、 「文明化になる」という表現は、 「文明の状態になることになる」と述べていることになり、 奇妙な印象を与えることになるのだ。
上のような結論に達してまもなく、 自転車の修理が終わった。 お金を払って店を出る。
その後、自転車を走らせながらしばらく考えていたことは、 「ひょっとすると、あの店のおじさんは、 修理の間じゅう、客がひまつぶしができるように、 わざとあのようなポスターを貼っていたのだろうか」 ということであった。いやはや。
それから下宿に戻って、 『かもめのジョナサン』読了。 いやはや。
夕方、下宿でビジネス英会話(三日分)を聴いたり、 風呂に入ったり、ラーメンとごはん一合食べて気分悪くしたり。いやはや。
暗くなるころにまた大学に。 途中古本屋に寄る。
某古本屋(チェーン店)は全店、当面の間、店頭買取は中止するんだそうだ。 きっと在庫余ってるんだろうなあ。
眠いの椅子で寝たり。 勉強したり。試問の準備を進めねば。
「義務化になりました」に関して、 ある方の記述を読ませてもらう。 なるほど。たしかに「アニメ化なる」はありえるなあ。 あと、「日本、ついに文明化なる」とか。
もっとも、この場合の「アニメ化」は、 文の主語になっていて、 「アニメ化がなる(成立する、達成される)」 ということなのだろう。
だから、「宮崎アニメがゲーム化なる」はちょっと不自然で、 かといって「宮崎アニメがゲーム化する」もやっぱりちょっと変で、 「宮崎アニメがゲーム化される」がもっともしっくりくる。
要するに、「ゲーム化する」は一つの動詞と考えられ、 「ゲーム化なる」は、主語+述語となっており、 一文として成立するのだろう。たぶん。はてさて。
あれ、すると、「日本、文明化なる」はどれが主語なんだろう? この文を、「日本は、文明化が達成された」と理解するなら、 やはり「文明化」か。 「象は鼻が長い」みたいだな。 そもそも主語とか述語とかいう文法概念がまずいのかも。
2時間半ほどソファで爆睡。
BMOR読書会終わり。 いやはや。疲れた。
久しぶりにバンドの練習。今日はギターが休みで三人でやることに。 練習が終わった後、連中と某お好み焼き屋で楽しく話した。
また大学へ。眠い。