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こだまの世界

2004年5月上旬号

道徳の一般的基礎に関して最近始まった論争がある。 道徳が理性に由来するのか、あるいは感情に由来するのか --道徳的知識を一連の推論や帰納によって得るのか、 あるいは直接的感情や精妙な内的感覚によって得るのか --すべての健全な真偽判断と同様に、 道徳はすべての理性を持った知性的存在者にとって同じなのか、 あるいは美醜の知覚のように、 道徳は人類という種の特定の組織や構造に全く依存しているのか。

---ヒューム、『道徳の諸原理の研究』1.3

なぜ人びとは、乞食には施しをするが、 哲学者にはしないのかと訊ねられると、 「それは彼らが、いつかは足が不自由になったり、 目が見えなくなったりするかも知れぬとは予想しても、 哲学者になるだろうとは決して思わないからだよ」 と彼[シノペのディオゲネス]は答えた。

---ディオゲネス・ラエルティオス、『ギリシア哲学者列伝』

スミスの思想において「功利性」は何を意味するかと単純な質問を 尋ねられたら、わたしはこう答えるだろう。 「デヴィッド・ヒュームという意味だ」と。

---Frederick Rosen

「倫理学の根本問題」というような書物は、現代でも多数出版されているが、 完全義務と不完全義務を扱ったものがないというのは、ちょっとスケールの 大きい理論的なスキャンダルではないだろうか。 だいたいローマ時代から使われていて、カントとミルの倫理学の基本概念に なっている概念に、一冊も専門書が存在しないというのは、まったく不可解である。

---加藤尚武


主な話題


01/May/2004 (Saturday/samedi/Sonnabend)

夜明け前

昨晩は夕方に知財・利益相反についての講習を受け、 それからジムで少し運動し、夜は某氏と飲み喰いしながら雑談。 そのあと研究室に戻ってきて医療資源の配分について勉強。 さきほど帰宅。

ひさしぶりに筒井康隆を読む。『薬菜飯店』とか。

夕方

う、半日寝てしまった。

イラク人捕虜の米国(とおそらくは英国)の虐待問題についてだが、 ブッシュのコメントが興味ぶかい。

「イラク人捕虜の処遇のされ方は、アメリカ人の性質を反映していない。 アメリカではこんなことはしない ("Their treatment does not reflect the nature of the American people. That's not the way we do things in America.")」 (CNN.com)。

なんとかして「ほんとのアメリカ人ならこんなことはしない」と言いたいようだが、 そのような主張がうまくいくのかどうか疑わしい。また、 「イラクに行った兵隊(の一部)はほんとのアメリカ人ではない」 と示唆することは、兵隊を疎外することになるだろう。

おそらく、「厳しい父親」を演じる大統領からすれば、 「若者たちが外国に行って調子に乗り、いささかやりすぎたようだ。 彼らは厳罰に処し、私たちも今後は二度と同じことが起きないように努めるので、 今回は許してほしい」などと言うべきだったのではないだろうか。


02/May/2004 (Sunday/dimanche/Sonntag)

夜明け前

昨夜は夜中まで大学にいたが、 眠かったせいもあり勉強は捗らず。 その前に半日寝たのにどういうことだ。 ご、五月病か?

夜は某所でカレー。 最近舌が肥えてきたのか、だんだんまずいものは食べられなくなってきた。

「よく言うよ、ロンドンでもどこでも何でも食べられる悪食のくせに」

「いや、ファストフード系のところはもうちょっと…」

「なあにが。ファーストキッチン好きのくせに」

最近日記の記述がおざなりの気がするな。 もうちょっといろいろ書くようにしよう。

『永遠のモータウン』、観てみたいな。渋谷でしかやってないのか。

早朝

医療資源の配分の勉強。功利主義や平等主義などの政治哲学の理論を、 医療の実際に結びつけてどう説明するか。 ところで、egalitarianismっていつも「エガリタリアニズム」で済ましてるけど、 「平等主義」って訳していいのかな。

自由と平等っていう二分法はセンの「何の平等か」で古くなったと思ってたんだけど (自由というのも、見方を変えれば自由権を平等に分配することだから、 この二分法は「カテゴリーミステイク」だとされる)、 考えてみるとegalitarianismとlibertarianismってこの二分法を引きずってるよな。

もう寝よう。

夕方

昼下がりに起きて洗濯。しばらく勉強してから大学へ。 途中の某海鮮丼屋で食事を買う。

功利主義の勉強。 ひさしぶりにシュニーウィンドやシジウィックの本を取り出してきて、 ガッサンディについて勉強。社会にとって有用かどうかはわからないが、 思想史はおもしろい。

夜2

まだ勉強中。グロティウスの名前もひさしぶりに見た。

某先生に預けていたシンガーの翻訳が、一部推敲されて戻ってきた。 どうしよう、これもこの祝日中にやらなければならないのか。


03/May/2004 (Monday/lundi/Montag)

夕方

昼下がりに起きてしまう。ネムイネムイ病のようだ。現実逃避とも言える。

気になっていたのでDidoの`Life for rent'を訳しておく。 実はコミットメントの歌なんだな。

Life for rent

自分の家と呼べる場所をまだ見つけたことがない
そんなに長く同じ場所にいたことがなかったから
ごめんなさい、今度も本気の恋愛じゃなかったみたい
気にしてるわけじゃないの、あなたがそんなに落ちこんでないことを
そう、ただの思いつき、ちょっと考えてみただけ

あたしの人生が借りもので
買い取ることを学ばなければ
人生なんてこんなものだわ
だってほんとはあたしのものじゃないもの

海のそばに住めたらって思ってた
一人で世界を旅行して、 もっとシンプルに生きたいって
あの夢はどうなったのかしら
だって、やろうと思えばできるはずなのに
そう、ただの思いつき、ちょっと思いついただけ

あたしの人生が借りもので
買い取ることを学ばなければ
人生なんてこんなものだわ
だってほんとはあたしのものじゃないもの

あたしの心が盾になり
それを降ろそうとしなければ
失敗を恐れるあまり
やってみようとしなければ
どうして言えるのかしら
あたしは生きてるって

あたしの人生が借りもので
買い取ることを学ばなければ
人生なんてこんなものだわ
だってほんとはあたしのものじゃないもの
ほんとはあたしのものじゃない
ほんとはあたしのものじゃない…

---Dido

夜中

大学へ。

夜、某氏と神保町近辺で回転寿司と喫茶店。 手持ちの現金が少なく、 しかも6日まで銀行が閉まっていることに気付く。 困った。

最近また保守的になりつつあったようだ(確たる実証的データはないが、 なんとなくそう思う)。「保守性のバイアス」につねに抗しつつ、 生きていかなければならない(なぜそうすべきなのか説得的な根拠はないが、 なんとなくそう思う)。参詣新聞に唾を吐きかけつつ読まなければ。

真夜中

まだ大学。 たまたま思い出してマイケル・ストッカーのSchizophrenia論文を読む。 友情や愛といった行為の(功利主義的・義務論的)正当化理由と動機付けが ずれていると、精神分裂病になってしまうという話。 agent-neutralな道徳理論は動機の問題を真剣に考えていないので問題だとか。 しかし、行為者中立的(三人称的)な視点と行為者相対的(一人称的)な視点によって このように引き裂かれる状態が人間としては普通のような気がする。 あれ、これはネーゲルがそう言ってたんだっけ。 とにかく、internalとかexternalとかいうのは一度ちゃんと整理しないとなあ。 説明と正当化とか、motivating reasonとjustifying reasonとかいう区別と ごっちゃになっていてよくわからん。


04/May/2004 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

「ああ、困った。頭が悪い」

「いや、問題は頭が悪いことだけでなく、意志の力が弱いとか、 十分に合理的でないとか、そういうところに問題があるんじゃないか。 自分の将来についてもっとよく他人と語ってみたらどうだ? 何になりたいとか、何をしたいとか。 三十にもなって、行きあたりばったりに生きててどうする」

「あなた、口で言うのは簡単ですけどね、 そんなにうまく行かないんですよ、人生は」

「わしみたいに育ちがいいと簡単なことだけどな。徳だよ、徳。 学校で教えてもらわなかったのか」

「賢明な生き方なんて教えてもらいませんでしたよ。 日本の公教育は知識一辺倒ですからね。 その知識もまともに伝授できないわけですが」

「日本の教育を批判してないで、自己批判をしたらどうだ」

真夜中2 (午前)

ひさしぶりにシジウィックのOutlines of the History of Ethicsを 読んでみたり。 シジウィックというのは倫理思想史の勉強が倫理学理論の最先端に つながっていた最後の(最初で最後の?)世代なのではないだろうか。

夜明け前

ヒュームのAn Enquiry concerning the Principles of Moralsも ひさしぶりにちょっと読む。これをゆっくり読めたら幸せなんだけどなあ。 なんて甘えたこと言ってないで、ちょっとずつ読むか。

夜明け前2

帰宅。 これはバイアスとは違うが、記憶力がよくないのも問題だよな。 古典を一字一句暗記できる能力はないので、 うまくまとめて覚えたり、あるいはちゃんと書き写したりしとかないといけない。 大学や自宅の机だけでなく、頭の引き出しも整理しないと。

夕方まで半日寝てしまった。自己嫌悪。

ちょっと「自己責任」についてネットで調べてみる。 データを示すのは面倒なのでしないが、 賛成、反対の人はそれぞれ違った意味でこの言葉を用いているように思える。 NGOやジャーナリストに対する共感・反感も議論に大きく影響しているようだ。

しかし、前にも書いた気がするが、正確な事実関係はよく知らないが、 もし「テロリストに人質を取られたからといって、 自衛隊を撤退させるわけにはいけない」という主張を正当化するために 「自己責任」という言葉を持ち出したのだとすれば、 そのような正当化はすべきではなかっただろう。 その人質に「自己責任」がなかったとしても、 テロリストの要求に従って自衛隊を撤退させるべき状況ではなかったからだ。

とかなんとか考えていると、 小泉首相の対応は大筋正しかったんだろうという結論になる。

そんなこと書いてないで、大学に行って勉強しないと。

夜2

小雨の降る中、大学へ。 ひもじいので(アメリカで買った)チョコレートばかり食べていると、 気分が悪くなる。

思いつきのメモ。 功利主義の良いところは道徳的直観をそれほど 信頼しないところ(revisionisticなところ)だと思うが、 常識道徳を信じる人にとっては、これは宗教的な背信と類比すべき、 社会の道徳への裏切りと映るのだろうと思う。 「神が存在するかどうか」を議論すること自体が涜神の行為でありうるように、 直観を疑ってみるという姿勢自体が、社会の道徳を揺らがせる行為だ ということになる。 土台がしっかりしているかどうかを調べてみようとする人は、 土台を破壊しようとする人と疑われてしまう。 「若者をたぶらかす」ソクラテスしかり、 安楽死の議論を許さない現在のドイツの状況しかり。

ヒュームの道徳の基礎は理性か感情かというテーマの一変奏だと思うが、 道徳は推論を許すものかどうかというのは少なくともアカデミズムの外側に おいてはいまだに深刻な問題だ。 「それはたいへん悪いことだ」--「どうして悪いんですか」--「悪いものは悪いっ」。

真夜中

勉強。ヒュームって頭いいなあ。しかし、 どうして経験というか実証性にこだわったのに、 道徳(正義)のgeneaologyないしconjectural historyなんか論じたんだろう。 正義の人為性を言うためにはその発生過程を もっともらしく説明する必要があったのか。


05/May/2004 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中 (午前)

ヒュームとベンタムの勉強。やっと一通り終わったので、 今日からはまた医療資源の配分の勉強をしなければならない。

ちょっと目が痛い。よく休ませないと (「児玉くん、両目がないけどどうしたんだね」 「先日から有給を取って旅行に行っています」)。 あと、暗いところで本を読まないように注意。

早朝

帰宅してハインラインを読む。 お腹が減ったのでカレーを作って食べる。うまい。

と思ったが、腹の調子を悪くしてしまう。 カレーに入れたタマネギが古すぎたか、 あるいは単に部屋が寒いからお腹を冷やしたか…。

しまった、またお日様を見ない一日になってしまった。 明日から大丈夫だろうか。

夜中

ツナタマカレーを食べて大学へ。


06/May/2004 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中 (午前)

大学で医療資源の配分について勉強中。トリアージ。 この話題も実はなかなかおもしろいことがわかった。

夜明け前

某ナチュラルローソンで買物をしてから帰宅。

昨日の産経の社説で「男の子は男らしく育もう」という論説があったので ちょっとそれを読んでいた。 よく引かれる日本青少年研究所の 米中韓日の高校生の意識調査で、 日本人だけ「男は男らしくすべきだ」という考え方が希薄で(肯定したのが43%)、 産経はこれをジェンダーフリー教育のせいとしている。 しかし、問題は何をもって「男らしい」と見るかだろう。 この統計を実際に見てみると、 何を「男らしい」「女らしい」と見るかは国によって違うので (たとえば米国の高校生は「頼りになる」「創造性がある」は圧倒的に「女らしさ」 として認識しているようだ)、 「男は男らしくすべきだ」という質問の意味が各国ごとにどの程度違うかで、 上の質問に対する違いの意義も変わってくるだろう。

また、 「乱暴だ」というのが男の子と連想され、 「おしゃべり」というのが女の子と連想されがちのようだが、 「男らしい」「女らしい」にこういったネガティブな徳(?)も含むべきなのだろうか。 「男の子は男らしく」はいいんだが、 はっきりすべきなのは何を「男らしさ」に入れるのかということだ。 また男の徳と女の徳が排他的な関係にあるのか、 それともオーバーラップするものと考えるのか、という問題もある (たとえば「リーダーシップ」「やさしさ」など)。

あ、書いていて腹が立ってきた。 「男らしさや女らしさを否定してしまうと、 (「男のくせに泣くな」「女の子はもっと、しとやかに」 という風な説教ができなくなるので)子供に対する十分な躾ができなくなる」 だと、ふ、ふざけるな。 「男は男らしく」「女は女らしく」あるべきかどうかを云々する前に、 その中身をもっとよく吟味しろっつーの。

「研究者のくせに、腹を立てるな」

「やかましいっ」

早朝

寝なければ。今日から普通の生活に戻らないと。

昼下がり

がんばったがお昼に起きてしまう。 適当に食事をしてシャワーを浴びてから大学へ。

夜中

昼下がり、初めて総合図書館の書庫に入る。 和雑誌もアイウエオ順でなくアルファベット順なので、 慣れないと見つけにくい。 探していた雑誌をなんとか見つける。

夕方、某卒論指導に少し付き合う。 それから某ミーティング。 ケアの倫理。勉強になった。

某ユニットのウェブサイトの宣伝をしてもよくなったようなので、 一応宣伝しておく。 いつかどこかで見たようなスタイルシートだが、 まあご容赦ねがいたい。 何かコメントがあればいつでもよろしく。 無断リンク大歓迎。

夜、ジムに行く。 超初級者用のトレーニングプログラムに従ってやってみると、 かなり疲れた。がんばろう。

眠いがもうしばらくお仕事。


07/May/2004 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中 (午前)

真夜中に帰宅。カレー。

気を使う一通のメールを書くのに一時間以上かかった。 メールは手紙に比べると形式に拘らずに済み、 オレのような礼儀知らずはそのおかげでかなり助かってるわけだが (長い目で見た場合、それがいいのかどうかわからないが)、 それでもそれほど親しくない数名の目上の人にあてて書くとなると、 かなり神経を使う。 なるほど、こういうことを毎日やっていると胃に穴が開き、 脳の血管が二、三本切れるわけだな。

明日は早いのでもう寝よう。


08/May/2004 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中 (午前)

全身筋肉痛。

昨日は明け方までかかってハインラインの『フライデイ』 を読み終わる。 ハインラインはフリーセックスというテーマに取り憑かれているようだ。 「自分の帰れるところ」という帰属感というテーマもあったが、 十分に展開されていない。最後が盛り上がりにかけるというか、 下巻は完全に尻切れトンボに終わっている。ときどきおもしろいセリフはあるが、 内容はぜんぜんダメ。C。

なんとか早朝に起きて、南大沢へ。 某本のガッサンディ、ヒューム、ベンタムという流れについて論じている 部分を紹介する。今回の発表のためにヒュームの『道徳原理の研究』 をまともに読んだら、すっかりヒューミアンになった気がする。 道徳における理性対感性の問題、利己心対利他心の問題を絶妙な具合に調停する 議論を展開した彼は偉い。 ベンタムが同じ問題に対してどういう取り組み方をしたか、 ということを検討する必要があるが、あ、これは発表のネタになるな。 いや、D論のネタというべきか。

「道徳というパズルにおいて、理性と感情、利己心と利他心(および義務感) というピースをどのようにはめこむかというのは多くの哲学者が取り組んできた 問題である」とかなんとか。

南大沢で昼食を食べてからいったん帰宅し、30分ほど仮眠を取る。 眠くてふらふらのまま大学に行き、必要な荷物を取って神保町へ。 某ゼミに出席。スキャンロンの続きで今日もたいへん勉強になった。 奥が深い。

「奥が深いって、君はまだ倫理学の入口のあたりをうろついてるだけやないかっ」

某氏らと夕食を約束していたので、ゼミ後の飲み会はパスして、いったん大学に戻る。 それから某氏らと両国に行き、下町風情のある某中華料理屋でたらふく飲み喰いする。 そのあとまた大学へ。眠いがもうちょっと勉強せねば。

「血ィ吐くぐらい努力せんとどんな分野でも大成できへんでっ」

「わかってますよ。いちいち耳の痛いつっこみを入れるのはやめてくださいよ」

「ふん、わしは君の良心やからな。 『わたしはたしかにあなたの良心です。しばらく話してませんでしたね。 調子はどうですか』 『ぼちぼちですね』てな具合や」

「『ファインディング・ニモ』ですか」

真夜中 (午前)

まだ大学。椅子に座ってちょっと寝る。

福田官房長官が辞任。ラムズフェルド国防長官もイラク人虐待について謝る。 しかし、`unAmerican'っていう形容詞を使っているのが気になる。

本当のアメリカ人(American American)は、 本当にイラク人POWを虐待しないんですかね」

「本当のアメリカ人っていうのは、結局のところ、 『イラク人を虐待しないアメリカ人』と定義されるんだろうから、 それは定義的に真なんだろう。まあ、もっと好意的に理解してやれば、 unAmericanとは、 『アメリカ人はイラク人を虐待しないという自己理解を持っており、 今回の件はその自己理解に反している』というような意味なのだろう」

「だとすると、その自己理解が間違えていたことにならないんですか」

「多くの非アメリカ人はそのように考えるだろうが、 上のように主張するアメリカ人としては、その自己理解こそが正しいのであり、 今回はその例外、逸脱だと主張するだろうな」

「なるほど、unAmericanという表現は、記述的な要素と理念的(規範的)な要素を 持っているわけですね」

「記述的と理念的の説明がないのでよくわからんが、そんなところだ」

夜明け

昨日のスキャンロンの復習をしていたら夜が明けてしまった。 こんなことしてないで医療資源の配分の勉強をしないといけないのだが。 とりあえず帰って寝よう。

昨日の南大沢での発表に使ったパワーポイントファイルを、 一応アップロードしておく。 あんまり肯定的にコメントしていないが、 エピクロス的伝統にベンタムを置くことにより、 ベンタムについての従来からの誤解を解くとともに、 ヒュームとの関係をよりクリアにしようという試みは評価できる。

夜中

今日はお昼すぎに起きて、 某氏と一緒に某明治大学で行なわれた「医療と法」の シンポジウムの様子を見に行った。 某明治大学の法科大学院は「医事・生命倫理と法」という専門的な 法曹を育てる教育をするようで、今回はそのお披露目会というわけだ。

医療過誤の某シンポジウム

シンポジウムは満員御礼で、広い講義室に立ち見客が大勢出ていた。 医事法研究者、元検事、現役弁護士、医療従事者、 有名な医療過誤の被害にあった患者の遺族などが集まり、 医療従事者の刑事責任を問うことによって 被害者を救済し、医療過誤の再発防止ができるかとか、 それ以外の仕方でこの二つの目的を実現する手段はあるかとか熱く論じられた。

ただ、時間の制限もあるし、 あらゆる当事者が集まると議論が紛糾するのが常であるため、 最近の刑事医療過誤事件には大きな問題があるということを認識するに とどまったように思う。

被害者以外は、つまり法曹人や医療従事者は、 医療過誤の真相究明と再発防止のために 刑事裁判を使うことに消極的で、 「中立な」第三者機関の設置を模索しているようだ。 それを支持する主な論点は以下の通り。

法曹人や医療従事者と被害者たちの意見のずれは、 被害者とその家族(遺族)は、医療事故を起こす医師をほとんど故意犯とみなす論調で、 「邪悪な医師像」を想定しているのに対し、 法曹人たちや医療従事者はあくまで医療事故や過誤のほとんどはどうしても 防げなかった過失であり「限られた資源と時間の中で最善を尽す医師像」 を想定している、という点に少なくとも部分的には求められるように思う。 あまりに邪悪な医師像を想定して厳格なルールを作るのも困るだろうが、 逆につねに医師は徳が高くて善意から行為していると考えるのも問題だろう。

メモ。刑法もcureとpreventionという目的を持っている言い方ができるな。 cure=被害者救済、prevention=再発防止。 ベンタムもこの比喩はどこかで使ってなかったかな?

それからいったん帰宅してちょっと仮眠を取ってから、 ジムへ。まだ全身筋肉痛だったが、体を温めると元気になった。 今日もプログラムに従ってトレーニング。 背筋と腹筋がうまく鍛えられているか不安。

ジムのあと、某所でカレーを食べてから研究室へ。 今夜は医療資源の配分の勉強をせねば。もう眠いけど。


09/May/2004 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中 (午前)

まだ大学。 正義について勉強していると、 なぜか行為功利主義と規則功利主義の論争の勉強になってしまう。

夜明け前

思想史の意義についてメモ。思想史研究というのは、 自分あるいは自分の属する文化の精神的な家系図を 辿るようなものだろうか。 家系図を調べることの意義は、あまり興味がないのでよくわからないが、 一部には自分のアイデンティティを知りたいという欲求を満たしてくれる、 ということにあるのだろう。 とすれば、思想史の系譜を繙くことも、今の自分の思想の由来を確かめたい という自己分析的な欲求に結びついているのかもしれない。

そういえば、金曜日と土曜日に、`ultima ratio'(最後の手段)という言葉を まったく別の文脈で聞いた。毎日使われるような言葉ではないと思うが。 奇遇というべきか。

夜明け

なぜかプーフェンドルフの勉強。 (本当は理由はわかっている。 配分的正義→匡正的正義→刑罰 (punishment)→Pufendorfという風に倫理学事典を読んでいったわけだ)

脱線するのは楽しいものだが、現実逃避している場合じゃない。 そろそろ帰って寝て、起きたら資源の配分の発表の準備をしなければ。

早朝

帰宅。あれ、菅代表もやめちゃうのか。 未納期間10ヶ月で責任を取らされるのはいささか気の毒な気もするが…。 小泉首相も未納期間があれば、菅代表もやめることはなかっただろう。 う〜ん、 この辞任劇も福田官房長官(未納期間8年9ヶ月)の深謀遠慮だったのだろうか。 まあ、民主党はこれを機に若返りを狙ったらどうだろう。

昼下がり

お昼すぎに新聞の集金が来て起きる。その前にeBook-offの配達も来たが。

大学に来て、医療資源の配分について勉強。 シアトルの神の委員会の話をまとめる。

腹減った。

夜2

某海鮮丼屋に食べに行ったあと、 しばらく研究室の椅子に座ったまま寝る。

『ブラックジャックによろしく』を古本で5巻まで買ったので、 途中まで読む(以前に一度読んだ)。やはり医学部って特殊だよなあ。 経済学部からは官僚やビジネスマンが輩出され、 法学部からも官僚や弁護士や裁判官が輩出され、 文学部からは編集者や思想家が 輩出されるわけだが、 どの学部も医局を通じて各地の病院を牛耳るほど大規模なことやってないからなあ。

これはあれだ、文学部で言えば、灯台は岩浪、鏡台は高段者を完全に支配し、 出版社が気に入らない雑誌や新書を出したりすると、 「うちからはもう君のところに就職させないからね」というような権力構造が 成り立っているようなものだろう。 法学部で言えば、「うちからは東京地裁には裁判官を行かせないからね」 と灯台法学部教授が脅かしたり、地方の裁判所には人数が足りなくて 法学部の教授から名義を借りたりする、というような状況になる。 経済学部だと、ソニーや松下は完全に灯台や鏡台の植民地になっているわけだ。 工学部とかに行くと、多かれ少なかれそういうつながりもあるのかもしれないけど、 医学部ほど産学が利益関係で結びついている、というか、植民地支配が進んでいる 学部はほかにないだろう。いやまあ、植民地支配と書いたが、 どこまで支配がおよんでいるのかよく知らないんだけど。 いずれにしろ、やっぱり文学部の世界とは違うよなあ。

「あたりまえだろ。今ごろ気づくなっつーの。 医学部行ったら国家試験受けて医者になるけど、 文学部行っても文学者にはまずならないだろ」

以下、読者のための練習問題。選択肢は思いつきです。

「ま、しかし、あれですね、裏を返すと、文学部に行ったら何にでもなれるけど、 医学部に行ったら医者あるいは医学研究者にしかなれないとも言えますよね」

「まあ、文学部の面目を保つためにそういうことにしておこう」


10/May/2004 (Monday/lundi/Montag)

夜明け前

異常なほど真面目に勉強。もう寝ないと朝が大変になるのだが。

メモ。「効率的」とはどういう意味だろう。 同じ目的を達するのに二つの手段があり、片方の方がより速く、 かつ・または、より安価にできる場合、 そちらの方が効率的だというのはそうだろう。 ここにはとくに倫理的問題は生じない。 しかし、暗に価値判断を含んだ「効率的」の用法があるんじゃないか。 会社の合理化とか。これは、リストラの犠牲者よりも、 効率性を重視するという価値判断がなされている、といえるか。

ひ。もうこんな時間だ。帰ってちょっと仮眠したら、また戻ってこなければ。

今日はえらく熱心に勉強している。ライターズ・ハイか。

夜中

今日は眠くて死にそうだったが、 お昼になんとか起き出して大学へ。 夕方まで真面目に勉強し、 夕方から某氏らに手伝っていただき、 明日の発表の予行演習。 勉強になった。

某氏らと韓国料理を食べてから帰宅。 眠くて疲れているので、 とりあえず朝まで寝て、 それから大学に行って勉強しよう。


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Mon May 31 02:29:54 JST 2004